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ホーチミンで行きたかったのは、ホテルマジェスティック、ただ一箇所だ。<br />ここに泊まるためだけの目的で、ハノイIN、ホーチミンOUTのフライトを選択した。<br /><br />1989年、58歳で死んだ開高健の、サイゴンでの定宿だったホテル。

ベトナムできるかな(4)サイゴン感傷ホテル

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2017/12/20 - 2017/12/21

843位(同エリア7381件中)

旅行記グループ ベトナムできるかな

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鯨の味噌汁

鯨の味噌汁さん

ホーチミンで行きたかったのは、ホテルマジェスティック、ただ一箇所だ。
ここに泊まるためだけの目的で、ハノイIN、ホーチミンOUTのフライトを選択した。

1989年、58歳で死んだ開高健の、サイゴンでの定宿だったホテル。

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 徒歩

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  • 開高健は1965年、南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン)に滞在した。<br /><br />朝日新聞の秋元カメラマンとコンビを組み、毎日米軍のオフィスに通い、「大本営発表」みたいなリリースを取材し、時に米軍にくっついて、戦闘の起きそうな場所にヨタヨタと出かけた。<br />朝日新聞の臨時特派員だから、従軍記者とゆうヤツですね。<br /><br />その報告は「ベトナム戦記」とゆう名前で本になってる。<br /><br />サイゴンの北・ベン・カットという町の郊外で、ジャングルの遭遇戦を体験し、秋元カメラマンと遺影を撮影しあったエピソードは有名だ。部隊200人で生き残りが17人という全滅戦だった。<br />

    開高健は1965年、南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン)に滞在した。

    朝日新聞の秋元カメラマンとコンビを組み、毎日米軍のオフィスに通い、「大本営発表」みたいなリリースを取材し、時に米軍にくっついて、戦闘の起きそうな場所にヨタヨタと出かけた。
    朝日新聞の臨時特派員だから、従軍記者とゆうヤツですね。

    その報告は「ベトナム戦記」とゆう名前で本になってる。

    サイゴンの北・ベン・カットという町の郊外で、ジャングルの遭遇戦を体験し、秋元カメラマンと遺影を撮影しあったエピソードは有名だ。部隊200人で生き残りが17人という全滅戦だった。

  • 今回予約した部屋はリバービューだった。バルコニーから眺めると、正面がメコン川だ。日本から予約して、320万ドン、1万6000円。ほかのホテル4泊の合計価格より高い。<br /><br />部屋は天井が高く、木目が基調の落ち着いたつくりだった。<br />あんまり豪華でメマイがする。そもそもバッグパッカーが来るところじゃない。<br /><br />

    今回予約した部屋はリバービューだった。バルコニーから眺めると、正面がメコン川だ。日本から予約して、320万ドン、1万6000円。ほかのホテル4泊の合計価格より高い。

    部屋は天井が高く、木目が基調の落ち着いたつくりだった。
    あんまり豪華でメマイがする。そもそもバッグパッカーが来るところじゃない。

  • いつのまにか開高健が死んだ年になってしもうた。<br />あのころ開高健は親よりも年上で、遠くに霞んだオッサンだったのに。<br /><br /><br />学校出てすぐ所帯を持って、子供に恵まれて、ワンコもやってきて、だがしかし、気がつくとみんないなくなってしまった。<br /><br />おいおいこのオレが60かよ。

    いつのまにか開高健が死んだ年になってしもうた。
    あのころ開高健は親よりも年上で、遠くに霞んだオッサンだったのに。


    学校出てすぐ所帯を持って、子供に恵まれて、ワンコもやってきて、だがしかし、気がつくとみんないなくなってしまった。

    おいおいこのオレが60かよ。

  • 夕方の街に出てみる。<br />若いカップルが多い。日本人の旅行者も多い。<br />通りは楽しそうな人波で洗われていて、クリスマスのディスプレイがキラキラしている。<br /><br />戦争が終わって40年経って、ベトナムはかわいい小物とエステ、それにスイーツが人気の観光地になった。<br />

    夕方の街に出てみる。
    若いカップルが多い。日本人の旅行者も多い。
    通りは楽しそうな人波で洗われていて、クリスマスのディスプレイがキラキラしている。

    戦争が終わって40年経って、ベトナムはかわいい小物とエステ、それにスイーツが人気の観光地になった。

  • ホテルに戻り、屋上のバーに行ってみる。<br />目玉がびよよよーーーんと飛び出て、成層圏に届くくらい高い。<br /><br />バンドがアメリカのポップスを演奏していた。<br />メコンの対岸に並ぶ、巨大な赤い星の広告はベトナム共産党の意匠ではなく、ハイネケンビールだ。<br /><br />開高健は学生結婚だった。<br />でも、年上の奥さんとは最初から最後までうまくいかなかった。人生の不幸は相性の合わない配偶者と一緒になってしまったことだった。<br /><br />だから海外に逃げた。世界じゅうを回って酒を飲んで、命を削るように書いた。<br /><br />そんなことちっとも知らなかったから、若い頃、開高健が羨ましかった。<br />いつか自分も世界を見に行きたいけど、その前に寿命がきてしまう気がしていた。<br /><br />十二指腸にできた潰瘍が、365日、じくじくと痛んだ。昭和の終わりごろ、仕事がきつくなると、しばしば出血もした。<br />これがもとで死ぬなー、と思っていた。だから安月給のくせに高い生命保険を契約していた。<br /><br />それが、20世紀の終わりにピロリ菌が発見されて、抗生物質の療法を受けたら、学生時代から毎日続いていた鈍痛がうそのように消えた。不定期にあった出血も止まった。<br />胃の痛くない日常なんて信じられなかった。<br /><br />生き延びた、と思った。<br />

    ホテルに戻り、屋上のバーに行ってみる。
    目玉がびよよよーーーんと飛び出て、成層圏に届くくらい高い。

    バンドがアメリカのポップスを演奏していた。
    メコンの対岸に並ぶ、巨大な赤い星の広告はベトナム共産党の意匠ではなく、ハイネケンビールだ。

    開高健は学生結婚だった。
    でも、年上の奥さんとは最初から最後までうまくいかなかった。人生の不幸は相性の合わない配偶者と一緒になってしまったことだった。

    だから海外に逃げた。世界じゅうを回って酒を飲んで、命を削るように書いた。

    そんなことちっとも知らなかったから、若い頃、開高健が羨ましかった。
    いつか自分も世界を見に行きたいけど、その前に寿命がきてしまう気がしていた。

    十二指腸にできた潰瘍が、365日、じくじくと痛んだ。昭和の終わりごろ、仕事がきつくなると、しばしば出血もした。
    これがもとで死ぬなー、と思っていた。だから安月給のくせに高い生命保険を契約していた。

    それが、20世紀の終わりにピロリ菌が発見されて、抗生物質の療法を受けたら、学生時代から毎日続いていた鈍痛がうそのように消えた。不定期にあった出血も止まった。
    胃の痛くない日常なんて信じられなかった。

    生き延びた、と思った。

  • ドライマティーニを頼んで、ここまで来られたことに感謝した。<br /><br />突然、といった感じで「ホテル・カリフォルニア」が流れ出した。<br /><br />なんでここでこの曲なんだよ。<br />もう40年前じゃんか。<br />懐メロじゃないか。<br /><br />オレを泣かせようたってそうはいかねえ、強がったものの、突然、涙が出てきて困った。

    ドライマティーニを頼んで、ここまで来られたことに感謝した。

    突然、といった感じで「ホテル・カリフォルニア」が流れ出した。

    なんでここでこの曲なんだよ。
    もう40年前じゃんか。
    懐メロじゃないか。

    オレを泣かせようたってそうはいかねえ、強がったものの、突然、涙が出てきて困った。

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この旅行記へのコメント (8)

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  • willyさん 2019/11/27 12:00:33
    やっぱり書いてしまいました
    鯨さん

    記事を全部読んでしまうのが惜しくて、この頃はちびちび舐めるように読ませていただいています。これはもう、一言抑えきれず。
    おとこの世界がうらやましくてたまらなかった。憧れながら読んだ開高の世界でした。そしてマジェスティック、見に行くだけじゃなくて宿泊、さらにドライマティニっていう鯨さんもやっぱりおとこ。通奏低音の自分内悲哀をここでも感じてしまいました。
    実は前回のコメント時、北杜夫、なんとなく削ってしまったのでですが、ドクトルマンボウもわたしの旅心を育ててくれました。

    鯨の味噌汁

    鯨の味噌汁さん からの返信 2019/11/27 21:49:14
    若い頃に読んだ作家
    willyさん、

    あたたかいコメントありがとうございます。

    若いころに読みふけった作家の中で、今でも読み返す人って案外少ないですよね。
    開高健も、その数少ないうちに入っています。

    「毒蛇は急がない」
    「子供の心、大人の財布」

    いくつも大切な言葉をもらった気がします。
    だけでなく、旅のすばらしさを教えてもらった方でもあります。
    学生時代、どうしても会いたくて、茅ケ崎の自宅まで訪ねていこうかと思ったこともありました(笑)

    亡くなったのは、ワシが社会人になって5年目、冷たい風の吹くちょうど今頃でした。
    残業して、終電で家に帰ってテレビをつけたら、TBSが深夜の臨時編成で釣り番組の再放送をやってました。それで作家の死を知りました。

    でもねぇ、200人の部隊で17人の生き残りって本当かなぁ、と最近思います。
    開高先生、ちょっと膨らまして書いてるんじゃないかと…
  • mistralさん 2018/03/17 17:18:02
    最後は感動で。
    鯨さん

    こんにちは。
    ベトナムを縦断された旅行記、楽しく拝見しました。

    ホーチミンのホテル マジェスティック
    開高健さんへのオマージュとともに
    鯨さんの青春を振り返るに最高の場所となりましたね。

    特にバーで突然に流れてきた、ホテル・カリフォルニア!
    時も空間も一気に飛び越えて、40年前の当時へ。
    そんなことを可能にしてくれる名曲と私も思います。

    そんなシチュエーションで、あの曲が流れたら
    私もやはり涙が溢れたかも、と思いました。
    旅の最後を飾る感動的なシーンでした。

    mistral

    鯨の味噌汁

    鯨の味噌汁さん からの返信 2018/03/20 09:53:28
    RE: 最後は感動で。
    mistralさま

    こんにちは。
    いつも暖かいお手紙ありがとうございます。

    > ベトナムを縦断された旅行記、楽しく拝見しました。

    ベトナム、いいですよね。
    偶然ですが、今もベトナムにいます(笑)。
    今日これから日本に帰りますの。

    前回の旅でハノイの北に未練があったので、昆明に降りて国境を越えてきました。おもろかったっす。

    > ホーチミンのホテル マジェスティック
    > 開高健さんへのオマージュとともに
    > 鯨さんの青春を振り返るに最高の場所となりましたね。

    青春っていつまでを言うんでしょうね?
    家族と自分の、その日の生活を守るために頑張って働いてた日々も青春かな。
    昭和と一緒に、遠くなりましたー。

    今はナニモノでもない、ただのツーリストになって、世界のイナカを歩けます。
    なかなかいい人生ではないかと。(まだ終わってないって)
  • 猫大好きさん 2018/01/19 15:10:39
    マジェスティックホテル!
    開高健にそのような意味があるとは知らなかった!

    私達もこのホテルに憧れて 泊まりました
    が エレガントで素敵なホテルには 不釣り合いでしたね~
    2階の客室だったのに 1階から2階までの美しいらせん階段を
    昇っていったら迷子になったり。。。
    金庫の扉を閉め忘れて出掛けて
    支配人が扉を閉めておいてくれて 開けてもらったり
    屋上のバーのドリンク無料券をもらって 帰国前に1杯呑んだり
    良い思い出です
    鯨さんの旅行記には 完全に負けていますけど
    今年も楽しい旅行記 待っています!!

    鯨の味噌汁

    鯨の味噌汁さん からの返信 2018/01/19 23:15:53
    屋上のバー、いいですよねー
    猫大好きさん

    ワシも迷いましたよー、あのホテル…だって屋上のバーに行くエレベーターが見つからないんだもん。新館と旧館は行き来できないみたいですし。
    行きくれてホテルの廊下で野宿するとこでした(うそ)

    ちなみに無料券貰えませんでした、格安で泊まったせいかしら? カクテル一杯2000円、目玉が飛び出てメコンの対岸まで飛んで行きました。
  • keiさん 2018/01/11 23:13:58
    ♪Welcome to the Hotel Majestic such a lovely place
    こんにちは、ナマズの味噌汁様。

    寒中お見舞い申し上げます。
    お変わりないでしょうか?なさそうですね(#^.^#)

    年末はベトナムでしたか。
    私の今年の初笑いは鯨さんの旅行記でした。

    カントリーロード、のどかでいい感じ!
    私もバイクの後ろに乗って、ベトナムの生暖かい風を
    感じてみたいなー。
    舗装されてない道だからお尻が痛そうですが・・・。

    お召し物がジャンバーだったりアロハシャツだったりと、
    地域によって気温が違うみたいですね。
    それか、高低差のせいなのかな。。。

    さすが読書家の鯨さん、景色や人々の描写が
    素晴らしく、躍動感がありますねー。
    こっちまでバイクの後ろで雲古が「こんにちは」しそうに
    なったし、ボートで売り子のおばちゃん達の声がしそうだし、
    大音量のカラオケバスに乗ってるみたいだった。
    それに列車に乗ってお弁当やお粥食べ、
    ぼーっと現れては消えていく風景を眺めたり、
    時々思いついたように何かを書き留めたりする情景が
    伝わってきました。

    ホテルマジェスティック、行けてよかったね♪
    高くても鯨さんには泊まる価値のあるホテル。
    この日のドライマティーニは忘れられない味になった事でしょう。

    鯨の味噌汁

    鯨の味噌汁さん からの返信 2018/01/12 21:04:57
    やっぱりドブ臭いから鯨でいいやー。
    おkeiさん、

    もうじき大寒ですねぇ。おお寒。
    西日本の雪は大丈夫ですかー。

    いつも暖かいお手紙、ありがとうございます。

    服装が違ってるのは、標高じゃなくて緯度の関係ですの。
    ハノイは15度くらいだけど、ホーチミンは日中30度。1600キロ南下するから、もう全然別の陽気でした。南下するに従って、皆さん薄着になってく。

    バイクツアーの日が一番楽しかったです。野中の道を、トコトコ走ると、ヤギだのアヒルだの牛だのがのんびり歩いてる。マウさん、一日中精いっぱい、いろんなところに連れてってくれました。こうゆう旅ができる平和に感謝せなならん。

    マジェスティックは、予想以上でも以下でもありませんでした。最後にその曲がかかったのだけが想定外でした。

鯨の味噌汁さんのトラベラーページ

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