2017/09/21 - 2017/09/21
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frau.himmelさん
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「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。」
これは、1873年に出版されたアルフォンス・ドーデの短編小説集の中の『最後の授業』の一部です。
この小説の舞台となったフランスのアルザス地方。
あるときはフランス、またあるときはドイツと、独仏の間で幾度となく激動の嵐に揺れ動いた地でした。
今回訪れたコルマールも同じです。どのように歴史に翻弄されたか、わかりやすいように箇条書きにしてみました。
○コルマールはかつて現在のドイツを中心とする神聖ローマ帝国自由都市でした(独)。
○17世紀後半、アルザス地方がドイツ圏からフランス王国に割譲されるとともに、コルマールはフランス領アルザスの一都市となりました(仏)。
○普仏戦争でフランスがプロイセンに敗北したので、1871年ドイツ帝国に割譲され、コルマールはドイツ領エルザス=ロートリンゲン州の一部となりました(独)。「最後の授業」はこの時代です。
○1918年、第一次世界大戦でのフランスの勝利により、フランス領になります(仏)。
○1940年の6月にナチスの侵攻で、またドイツ領となります(独)。
○1944年の終わりに、ドイツの占領から解放され、またフランスとなり、現在へと続きます(仏)。
第二次世界大戦では、コルマールにドイツ軍が進駐していたため、特殊な事情があることも判りました。*コルマールの戦い。別途記述。
そして、ホテルへの帰途、偶然に見つけたラトル・ド・タシニー広場。フランスの軍人だったタシニー将軍を記念した広場です。
そこに散らばっていた大小いくつもの石に刻まれた絵や文字。
帰国してそれを紐解いていくうちに、昔々、戦争娯楽映画をワクワクしながら見ていたころを思い出しました。
史上最大の作戦、ノルマンディー上陸作戦、バルジの戦い、レマゲン鉄橋、パットン将軍とロンメル将軍・・・。
現在戦場になっている世界の地域の方々のことを思うと、ワクワクした・・・なんて不謹慎な言葉ですね。ごめんなさい。
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サンマルタン教会を出て、私たちは次なる場所へ向かいます。
昼食時間とあって教会周りのレストランはどこも満席。
私たちはちょっと早めに食事してよかったわね~。 -
見事なコロンバージュと・・、どうしても可愛い飾りつけに目が行ってしまいます。
アイスクリーム屋さん。 -
この家にはジョウロが所狭しと飾ってあります。
今数えたらなんと25個ありました。
何か意味があるのかしら。 -
落ち着いた配色の壁絵模様はレストラン。
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観光客がタムロしている家は「メゾン・デ・テット(頭の家)」
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よく見ると、この建物には頭の彫刻がいっぱい。
なんと100以上あるそうです。
それも可愛くないのばっかり(笑)。 -
逆光でよく見えませんが、屋根の上の彫像は「樽職人」の像。
これもバルトルディーの作品です。 -
現在はホテル、レストランになっています。
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メゾン・デ・テートの近くにもう一か所、ぜひ訪れたいところがあります。
このドミニカン教会です。
13世紀から15世紀に建てられた初期ゴシック建築。 -
この教会には、コルマール生まれの画家、マルティン・ショーンガウアーの『薔薇の茂みの聖母子』の祭壇画があるのです。
私は、コルマールに過去3度も訪れながら、この有名な祭壇画はまだ見ていないのです。 -
入り口の聖母子像。
では中に入ります。 -
入場料一人1.5ユーロ払って中に入ります。
中央祭壇の正面に黄金に輝く聖母子像が見えました。 -
聖母子の傍にはこの絵を目当ての観光客がいっぱい。
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幼子キリストを抱く聖母の神々しいまでの美しさ、
聖母の身につけている赤色の衣服とガウンの豪華さ、豊かさ。
背景を彩る生垣に咲く薔薇の花と、黄金の王冠を持つ二人の天使の黒っぽいグリーンの衣服とも調和が良くとれていて、ショーンガウアーの思い入れが覗えます。 -
写真がぼけていますので、購入した絵葉書の方で詳しくご覧ください。
祭壇のツタ模様の黄金の扉と、7人の天使の音楽隊があやなすフレームの豪華さも聖母子像をさらに引き立てています。 -
教会内部でこの絵を見つけました。
明らかにショーンガウアーの「薔薇の茂みの聖母子」の複写ですね。
これはイザベラ・ステュアート・ガードナー美術館蔵のショーンガウアー工房作の同名の作品。
複写と言いつつ、こちらの方がより広い範囲で描かれているのがお判りになりますか?
上の祭壇画と比べてご覧ください。
祭壇画には、右側のマリアを象徴する白い百合の花はありませんし、マリアの足元のドレスやマントは途中で切れています。
また左側の薔薇の木は、こちらは形があるのに対して祭壇画の方は真ん中から描かれていません。 -
それから考えると、祭壇画は元々もっと大きかったものと思われます。何らかの理由でダメージを受け、それを隠すために四方が切断されて現在の形になったものと考えられています。
まだこの聖母子につながるミステリーは続きます。 -
このボケボケの写真は先ほどサンマルタン教会で撮ったものです。
どうしてここにこの写真が?と思ったものですが、「有名な祭壇画がドミニカン教会にありますよ、」という宣伝かと思っていました。
実はこのショーンガウアーの「薔薇の茂みの聖母子」は、もともとサンマルタン教会にあったものでした。
1972年1月に何者かに盗まれ、1973年6月にリヨン郊外の個人宅の駐車場から見つかりました。
今は安全上の理由からドミニカン教会に保管されています。
いろんなミステリーをはらんだ聖母子像だったのですね。 -
この聖母子像はドミニカン教会のまさにマドンナ。
絵葉書も聖母子関係が多いです。 -
説教壇。
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キリストの受難の連作がありました。
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ヨーロッパの美術館ではよく見かけますので、これを見て勉強したいと思い一連の絵を写真に撮ってきました。
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正面に見える大きな建物はウンターリンデン美術館。
1232年建造の、元々はドミニコ派修道院でした。これを改造して1853年に美術館としてオープンしました。
この美術館で最も有名なのは、ドイツ人画家マティアス・グリューネヴァルトの「イーゼンハイムの祭壇画」。
私は祭壇画を見るためだけに2012年にコルマールを訪れました。
その時の旅行記はこちら。
https://4travel.jp/travelogue/10682512
2012(6) ドイツ国境を越えて日帰りの旅①「イーゼンハイム祭壇画」を見るためだけにコルマールへ☆ -
夫はまだ見ていないので、
「私、この付近のカフェで待っていますから、お一人で見てきてください」って提案しました。
夫の答えは「祭壇画は十分見たからもういいよ。それよりいったんホテルに帰ろうよ。」とのこと。
確かにね。
どんなに名画であろうと3軒続けてはね。 -
私たちは、朝バーゼルを出て、ホテルに荷物を預けたまま、そのままずっと歩き詰めです。
そういえば疲れましたね~。
いったんホテルでチェックインしてからもう一度出直します。
地図を見ながらホテル方向に歩きだします。
ここはコルマールの市立劇場。 -
テアター前のこの広場、地図を見ると「11月18日広場」となっている。
何があったんだろう?
調べてみました。
「第一次世界大戦でドイツが降伏し、1918年11月11日停戦協定が結ばれた。
ドイツに侵略されていたアルザス・ロレーヌ地方も解放され、7日後の11月18日にフランス軍が入ってきた日を記念して名前が付いた。」そうです。
ドイツからフランスに国が変わった日ですね。 -
さらに進むと、騎馬像と軍隊の噴水が見えてきました。
ここも歴史に関係がありそうな広場です。 -
あちらこちらに置かれている大きな石。
一つ一つに文字や絵が彫ってあります。 -
そしてこれは!?
この石には明らかにナチスのハーケンクロイツがV(勝利)によって破壊されたモチーフ。
ここは歴史広場に間違いありません。
一つ一つ銘碑を見て歩くことにします。 -
この広場はラトル・ド・タシニー広場。
馬に乗って軍隊で指揮をとっている人物はフランスの軍人であったジャン・ド・ラトル・タシニー(1889-1952)将軍。
この広場は第一次・第二次大戦でフランスのために戦い、アルザスの解放に貢献したタシニー将軍の栄誉を讃える広場です。 -
一つ一つの石に連合軍の西部戦線やタシニー将軍の功績が彫ってあります。
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上は史上最大の戦いと言われるノルマンディー作戦の落下傘部隊でしょうか。
1844年6月6日のノルマンディー上陸作戦の成功により、アメリカを主体とする連合軍はフランスの各地でドイツ軍を追撃していきます。
下はタシニー将軍が前線でフランス軍の将軍として指揮をとった地名が彫ってあります。
アフリカ戦線、チュニジア戦線、コルシカ島、イタリア。 -
1944.8月、マルセイユ解放。
マルセイユは大戦中、ドイツ軍に占領され大きな被害を受けました。
1944.8.26 トゥーロン解放。
トゥーロンは、第二次世界大戦中の1942年、ドイツ軍に軍艦が奪われるのを阻止するため、ヴィシー・フランス軍は港に停泊中の多数の軍艦を自沈させた。
この戦争で町は徹底的に破壊されたが、1944年連合軍によって解放された。 -
1944年9月11日、ディジョン解放。
ディジョンの街は、1940年から1944年にかけナチス・ドイツに占領され、1944年9月11日に、フランス・イギリス・アメリカの合同軍によって解放された。
9月8日、オータン解放。 -
1944年11月20日 ベルフォール解放
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1944年11月21日、ミュールーズ解放。
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1944年12月23日、ストラスブール解放。
ストラスブール大聖堂の絵。
このころ連合軍の別の大隊は、アルデンヌ地方でバジルの戦いを繰り広げていました。 -
1945年2月2日、コルマールが解放される。
参考:コルマールの戦い。
現在のフランス東部のアルザスにあるコルマール周辺で行われた、第二次世界大戦中の1945年1月20日から45年2月9日の期間に、連合国軍とドイツ軍との間で起こった戦い。
当時コルマールを含むアルザス=ロレーヌ地方はドイツ領であり、ライン川に架かる橋を守る重要拠点であったため、周辺には幅65km、深さ50kmにわたるドイツ軍の橋頭堡が築かれていた。
激しい戦いの末、フランス第1軍とアメリカ第11軍団は守備するドイツ第19軍団を敗走させることに成功した。
連合軍は死傷者21,000、ドイツ軍は38,000の損害(捕虜と戦死者を含む)を出した。
これにより連合軍はライン川を渡ることに成功し、ドイツ領への本格侵攻を開始した。Wikipediaより -
1944年12月~1945年2月の間にコルマール近郊のリボーヴィレ、ゲゼルスベルク、トゥルクハイム、マンステールなどのワイン街道の村々が解放される。
-
1945年3月31日、ついにフランス軍とアメリカ軍との連合軍が、ライン川に架かる橋を死守していたドイツ軍を逃走させることに成功し、ドイツに攻め入る突破口となった。
-
1945年4月4日、ライン川を越えて連合軍はドイツのカールスルーエを侵攻。
4月24日シュツッツガルト侵攻。 -
1945年4月24日、ドナウ川を越えてウルムに侵攻。
-
そしてベルリン陥落、ヒトラーの自殺、ドイツ敗戦。
1945年5月8日、ラトル・ド・タシニー将軍はフランスを代表して、ベルリンにおいて、アメリカのアイゼンハワー将軍、イギリスのモンゴメリー将軍らとともに、フランス代表としてドイツ降伏文書に署名した。 -
ここからホテルは近くです。
さあ、それではホテルへ。
せめてバルトルディーが同時代の人だったら、きっとこの公園にタシニー将軍の騎馬像が建てられたでしょうね。
◆上記の事柄は銘碑を写真に撮って、帰国してから調べました。
昔々、戦争娯楽映画をワクワクしていた頃を思い出しました。
今現在戦争状態にある地域の方々のことを考えると、そんなお気楽なことは言っていられませんね。 -
フロントで荷物を受け取り部屋に入ります。
小さくて質素だけど清潔です。
私たちにはこれで十分です -
ベランダが付いているのは嬉しいですね。
ここに3泊しますからスーツケースから必要なものを出して、のんびりしていたら、突如、大音響で非常ベルの音。
驚いて窓から外を覗いたり、廊下に出てあたりを見回しても何も異常はありません。
それでも大音響は止まらないので、夫がフロントで様子を聞きに行きましたら、年に一度の非常ベルの点検だそうです。
一言言ってくれたら驚かなかったのに。 -
ホテルからコルマール駅は比較的近距離にあります。
明日のワイン街道の街々へ行くバス停を確認して、それから夕食に出るつもりでした。
疲れたわね~。
駅でパンを買ってホテルで食べましょうということになりました。
もう少し体力が欲しい。
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この旅行記へのコメント (7)
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- salsaladyさん 2018/01/09 10:53:50
- 『最後の授業』!覚えています~
- ☆確かに、仏蘭西領から突然のドイツ語圏編入?国民は如何にして母国語を訃音出来たのだろう?と不思議でしたが。。。日本も今の韓国を一時占領したときは、同じ行為をしたのですね。母は当時裕福だったらしく、お手伝いさんが話す朝鮮語に少し興味を持ったモノの、「オモニ」や「アイゴー』しか覚えてなかった?
☆夫が在職中、アルザスに出張すると、風景や顔つきはフランスなのにドイツ語も堪能なので驚いたとか?(やむを得ぬバイリンガル!)今ではそれが生きることに役立ってるらしいけれど、島国日本にいると国際語一つまともに話せない自分が残念です。(シングリッシュ=中国系英語)は理解できますが?
- frau.himmelさん からの返信 2018/01/12 16:10:30
- RE: 『最後の授業』!覚えています?
- salsaさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
新年会やらお出かけやらでバタバタしていまして、返信が遅くなってごめんなさい。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
『最後の授業』、覚えていらっしゃいますか。
そうですね、あるときから急にドイツ語になったりフランス語になったり、アルザスの歴史に翻弄された人々は大変でしたね。
あの『最後の授業』の物語、有名なのは日本だけだったらしいですね。
フランスの方ではあまり知られていないそうです。
当時はやむを得ずドイツ語を喋らなければならなかったけど、終戦から随分経ちますので、今ではドイツ語を話す人も少なくなったそうです。
ドイツ語しか(ほんの少し)喋れない私は不便になったなと思います。
salsaさんはバイリンガルどころか何か国後も話されるのでしょう?
歌曲にはドイツ語、イタリア語、フランス語、スペイン語・・・、いろいろありますものね。
どうか今年も楽しい旅行記、発表してくださいね。
himmel
-
- mistralさん 2018/01/07 13:43:59
- 歴史をひもとく。
- himmelさん
新年早々ですのに、丹念に時間をかけられて調べられた旅行記を
拝見させていただきました。
ヨーロッパを旅しますと、必ずやキリストの受難から復活までの
絵に出会いますね。
いつも勉強不足を痛感しますが、喉元過ぎれば熱さを忘れる、
といった状況です。
himmelさん、さすがです!
写真が完全に残っていましたら、そこからひもとけますね。
コルマールの悲しい歴史
支配国が変わると共に、言語まで変わらなくてはならない、
日本では想像できないほどの過酷な歴史を経てきたのでしょう。
それにしても石碑からひもとき、支配国の歴史を解説下さり
そうなのね~と一旦はわかったつもりになりますが。
現地に足を運んで、そこの空気感を味あわなくては
真の理解までには到達できないなあ、と思ったことでした。
そんな読者ですが、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2018/01/07 23:28:53
- RE: 歴史をひもとく。
- mistralさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
>丹念に時間をかけられて調べられた・・・
いいえ、mistralさんの旅行記に比べましたら、私の旅行記なんて恥ずかしい限りです。
ただ、旅行記を書くにあたり調べることはとても楽しいことでもあり、私の老化防止に一役買ってくれてます。
ヨーロッパの美術館では、聖書やキリスト、マリアの物語を知らないと、うわーきれいな絵ね〜で終わってしまいますが、内容をちょっとでも知っていると、絵画鑑賞が楽しくなりますものね。
そうなんですね。写真が残っていますと、帰国してから調べるのがまた楽しいのです。
あの公園の石のことも写真を参考に調べていましたら、ネットだけでは物足りなくてとうとう「戦争の20世紀」というドキュメンタリーDVDの10枚組を買ってしまいました。
でも、あのコルマールの可愛い町で、あんまり目立たない公園に立ち止まってぐずぐずしていたら、旅行記はいつ終わるのだろうと、焦ります。
こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。
himmel
- mistralさん からの返信 2018/01/08 09:10:57
- RE: RE: 歴史をひもとく。
- himmelさん
おはようございます。
> ただ、旅行記を書くにあたり調べることはとても楽しいことでもあり、私の老化防止に一役買ってくれてます。
そうですね!
私も旅行記を書くことで、旅していた折の、?や!などの感情などが整理されるように思いますし、
そのことは老化防止に役立ってくれていると、信じることにしています。
> あの公園の石のことも写真を参考に調べていましたら、ネットだけでは物足りなくてとうとう「戦争の20世紀」というドキュメンタリーDVDの10枚組を買ってしまいました。
それはすごい!です。
DVD10枚組、みるだけでも膨大な時間がかかりそう。
でも20世紀の歴史が網羅されていて、世界の動きがわかりそうですね。
> でも、あのコルマールの可愛い町で、あんまり目立たない公園に立ち止まってぐずぐずしていたら、旅行記はいつ終わるのだろうと、焦ります。
だからこそ、himmelさんの旅行記に惹かれるんだとおもいます。
目立たない公園、普通だったら写真など取らないような公園の石碑に目を止められ
写真を撮られて、そこからひもとかれる!
なんて素晴らしいことでしょう。
応援しておりますので、是非丹念に辿られて下さい。
mistral
-
- norisaさん 2018/01/07 07:55:50
- 最後の授業
- frau himmelさん
おはようございます。
新年早々、重いテーマですね。
「最後の授業」これは読んだことがあります。
原作ではなくてこの本を引用した解説だったような気がします。
とにかくこの付近は二大国の綱引きで悲惨な歴史があるのですね。
占領時代以外は外国人に占拠されなかった日本、ありがたいことです!
今は美しい街ですが往時はかなり大変だったようですね。
日本も空襲で滅茶苦茶だったでしょうから偉そうには言えませんが(苦笑)
それにしても宿泊しているホテルの非常ベル!
これ経験がありますが、まさしく異邦人を実感する背筋の凍る体験でした。
今年もよろしくお願いいたしますネ!
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2018/01/07 23:03:28
- RE: 最後の授業
- nrusaさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
>新年早々、重いテーマですね。
ホント、私もそう思います。
あんな可愛い街に滞在していたのだから、お正月らしい写真を出せばいっぱいあったのに、と。
独仏の間であっち行ったりこっち行ったり、どっち付かずの国民なんて日本では考えられませんね。
アルザスの人達は必然的にバイリンガルにならざるを得なかった・・・。
そのことを思えば、フランス語が全くわからない私でもアルザスを旅することができるのですから、そのお蔭といえるのかも。
なんて、自分本位に考えてはダメですね。
あの非常ベル、ほんとにビックリしました。
もの凄い音だったのです。夫がフロントに様子を聞きに行っている間、証拠保全にスマホで動画をとりました。その音を旅行記に載せようと思ったら、私の慌てた声まで入っていたのでやめました(笑)。
あの時、ほんとに非常事態だったら、どうしたらいいのでしょうね。
と、相変わらず失敗ばかりしている私です。
今年もよろしくお願いいたします。
himmel
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