2017/12/09 - 2017/12/09
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アルプ・グリュムさん
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相模国分寺は741年(天平13年)に聖武天皇が日本の各国に建立を命じた寺の一つで現在は歴史公園として市民の憩いの場となっています。
海老名市内の相模国分寺、相模国分寺跡、大型建築跡・区画溝跡、国文尼寺講堂跡、国文尼寺金堂跡を訪ねました。
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散策は海老名駅からスタートします。
海老名駅 駅
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海老名中央公園
大型商業施設「ビナウォーク」に囲まれていますが歴史は海老名中央公園海老名中央公園
奥には七重の塔が見えますがビナウォークが海老名中央公園海老名中央公園 公園・植物園
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五重の塔ではなく七重の塔
相模国分寺の七重の塔を縮小して再現したものです。高さ21.97メートルですが当時は65メートルあったと伝えられています。 -
七重の塔の横には「海老名市観光シンボルモニュメント 七重の塔」
七重塔は、741(天平13)年、聖武天皇の「国分寺建立の詔」を受けて建立された相模国分寺の伽藍の一つです。国分寺の塔には国家の平和を祈る金光明最勝王経が安置されていました。過去2回行われた発掘調査によると基壇(建物の基礎となる土壇)は一辺の長さが20.4m、高さは1.3mの規模で、現存する礎石から塔の初重の広さは10.8m四方、塔の高さは65mにも及ぶものであったと推定されています。
また基壇周辺で発掘された石敷きや盛り土から、2回の修理もしくは建て替えが行われたこともわかりました。この塔は故大岡實氏の復元図を基に建設した。 -
その横には「歴史のさんぽみち 周辺案内」
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七重の塔
ビナウォークの上から見ていますが五重の塔ではなく七重の塔です。 -
ビナウォークから相模国分寺の道中には道祖神が
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国分寺の参道の入り口には大ケヤキが
海老名の大ケヤキ 自然・景勝地
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海老名の大ケヤキ
漁師が船をつなぐために逆さに打ち込んだケヤキの杭が根付き、枝を張って大木になったという言い伝えがあります -
要所には史跡案内が地図と距離と方向が示されていて便利です。
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相模国分寺入り口
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相模国分寺
院号は醫王院。本尊は薬師如来。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、相模国国分僧寺の後継寺院にあたる相模国分寺 寺・神社・教会
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相模国分寺
境内のイチョウが見頃でした。 -
相模国分寺の梵鐘
余りにも新しい梵鐘相模国分寺 梵鐘 寺・神社・教会
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相模国分寺の梵鐘は、1292年(正応5年)、国分に居館を構えていた海老名氏の一族国分季頼が国分尼寺に寄進したもの(国重文)。
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この銅鐘が国の重要文化財なのです。
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相模国分寺を後にして史跡逆川(さかさがわ)の碑を
逆川は、かつて相模国分寺と相模国分尼寺の中間を流れていた運河。逆川は目久尻川から分水して、国分寺と国分尼寺の間を南東から北西側へと流れ、それから相模川東側の平野部の水路の1つとなっていた。逆川碑 名所・史跡
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史跡逆川
碑と説明板の前には警察が用意したテントがあり邪魔でした。
飲酒運転の取り締まり用ですが真昼間にこの光景を見た運転手は飲酒後はここを通らないと思います。
抜き打ちで実施するのが一般的ではないでしょうか? -
史跡逆川
逆川は、大化の改新の頃、条里制による海老名耕地の灌漑用水と運搬用に掘られた人工の運河といわれ、平安中期まで利用されていた。
地図も描かれていましたがテントを固定するロープが説明板を利用されていました。 -
相模国分寺跡へ向かいます。
碑と案内板が設置されています。 -
史跡相模国分寺跡
思ったよりも広いのでびっくりしました。
元々は人家があったのですが埋設物調査のため付近へ移転させたそうです。相模国分寺跡 名所・史跡
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相模国分寺跡の説明板
中門跡・南面廊跡 -
相模国分寺跡
海老名市が設置した史跡国分寺跡歴史公園利用案内
むやみに地中を彫らないで下さい等の注意が事項が書かれています。 -
相模国分寺跡
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相模国分寺跡
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相模国分寺跡
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相模国分寺跡
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相模国分寺跡
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相模国分寺跡
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相模国分寺跡
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相模国分寺跡
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相模国分寺跡
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相模国分寺跡
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相模国分寺跡
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海老名市温故館
4トラの地図の場所は違っています。
グーグルの地図上の海老名市温故館の場所が正です。海老名市温故館 美術館・博物館
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海老名市温故館
金堂、塔、講堂、中門と回廊の復元模型です。 -
海老名市温故館
金銅製水煙と呼ばれていて塔の跡から出土されています。 -
海老名市温故館
一階には多数の出土品が展示されています。 -
海老名市温故館
2回には昭和以前の農機具、生活品が多数展示されています。 -
海老名市温故館
足ふみミシン -
海老名市温故館
昭和のテレビ、ラジオ、電卓、タイプライター等が展示されています。
スマホもいつかは過去のものとなりここに展示されるのでしょう! -
海老名市温故館
足踏み脱穀機 -
僧坊跡
道路を挟んで北側にあります。 -
僧坊跡
国分寺の僧が住んでいた建物です。
出土品の写真と復元したイメージです。 -
ここにも海老名市が設置した史跡国分寺跡歴史公園利用案内が設置されています。
むやみに地中を彫らないで下さい等の注意が事項が書かれています。 -
僧坊跡全体写真です。
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僧坊跡の北側には国分寺の維持管理を担っていたと思われる建物群が発見されている。
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大型建築跡・区画溝
発掘調査による概要が記されて、調査時の写真と共に紹介しています。 -
相模国分寺全体の配置が示されています。
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大型建築跡・区画溝
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相鉄の線路を越えたところにある国文尼寺講堂跡
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国文尼寺講堂跡
防災倉庫の必要性は十分に理解できますが無神経に無造作に置かれているのは大変残念です。
国の史跡に指定されているのです。 -
国文尼寺金堂跡
高さ1mほどの基壇上に礎石が16個残っていました。全国的にみても残りがよく、その規模や築造過程が分かります。 -
国文尼寺金堂跡
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国文尼寺金堂跡
この寺院跡は相模国分寺の北方600m位に位置しています。
近年、寺域内の発掘調査が数次にわたって実施され、この金堂跡のほか、講堂跡と鐘楼跡の基礎の一部が確認されました。
その結果、中門・金堂・講堂が南北に並び、講堂の両端に経蔵と鐘楼がつく伽藍配置をとること、規模は相模国分寺より一回り小さいことが分かりました。
また、金堂跡の確認調査では、基壇上から桁行5間、梁行4間の大規模な礎石建物跡が検出されました。
平成3年3月31日 海老名市教育委員会 -
国文尼寺金堂跡
説明は文章だけではなく調査した時の模様と金堂の配置図があれば最高なのですが?
埋め戻された後は付近の住民の散歩道でしかないのはとても残念です。
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