2017/09/20 - 2017/09/20
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frau.himmelさん
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今日は私たちにしては珍しく動き回った日でした。
バーゼル近郊のラインフェルデンを訪れ、その合間にライン川の渡し船、バーゼル大聖堂、聖アルバン地区などに行きました。
この齢になりますとせっかく旅に出ましても、若いころのように精力的に動き回れません。あれも見たい、これも見たいという気だけはあるのですが、体力気力ともに付いていかないのが現状です。
そこで、体力の消耗を防ぐために、計画をしっかり練り、行き先を厳選し、それに優先順位をつけたりと、考えて旅をするようになりました。
行き先の下調べは大変楽しい作業です。
旅行本を見たり、ネットで検索をしたり、特にテレビの旅番組は、見ているとわくわくして今すぐにでも旅に出たいという気にさせてくれます。
実は今回のバーゼルの旅はBSテレビの旅番組をすっかり辿る(パクるとも言う)旅になってしまいました(笑)。
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今日の始まりはクンストムゼウム(バーゼル美術館)から。
路面電車道路が工事中のため、マルクト広場など旧市街にトラムが停車しないので、どこへ行くのもこの美術館経由で大変便利に利用いたしました。
それにしてもカラフルなトラムですね -
今日は美術館前で降りてミュンスター(バーゼル大聖堂)へ向かいます。
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ここは、バーゼルで最も古いリッターガッセです。
歴史的佇まいを残した素敵な路地です。 -
古くて頑丈な覗き扉、アールヌーボーっぽい鉄の門扉、1389年に建てられた古い建物・・・、
キョロキョロしながら歩きます。 -
遠くに大聖堂の尖塔が見えてきました。
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私はなおも美しい装飾に心惹かれます。
扉の飾りの見事なこと!
紋章を思わせる入り口も豪華です。
窓の防護柵も鉄線もなんて繊細なの。 -
この奥の路地も雰囲気よさげ、ちょっと寄り道しようかしら。
私の心を見透かしたように、「早く行こう!」と無情の声が聞こえました。
仕方がない、急ごう。 -
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ミュンスター(バーゼル大聖堂)に着きました。
ここも市庁舎と同じくこの地方特有の赤砂岩で作られています。 -
大聖堂の日時計。
これで今何時か判りますか?
この日時計でどうやって時間を見るのかわかりませんが、いまは9時少し過ぎたばかりなのです。
大聖堂には10時からしか入れないそうです。また出直します。 -
私たちは「Pfalz」と表示があるほうに。
プファルツとは本来「王宮」という意味なのですが・・・。 -
ここは展望台になっているようです。
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日本を離れてどれくらいかしら、すっかり深まった秋を踏みしめながら歩きます。
足元に落ちているのはマロニエの実。
この殻がはじけると栗の実とそっくりな実が出てきます。 -
展望台。
眼下にはライン川が広がっています。
ライン川の水源はスイスアルプスの雪融け水。
ドイツやフランスなどヨーロッパ6か国を通って海に注ぎます。
バーゼルは港湾都市としてはライン川の一番上流に位置し、早くから水運の要衝として栄えました。
下流方向に見える橋は市民や観光客に親しまれているミットレレ橋。 -
上流方向に目をやると、これも歴史的なヴェトシュタイン橋。
プファルツのすぐ下から万国旗が翻っているのが見えます。 -
このすぐ下からバーゼル名物の渡し舟が運行しているのです。
私たちはこれに乗って向こう岸に渡ります。 -
急な階段を降りて降りてまた降りて・・・。
シニアには応えます。 -
これは何?
舟に乗って身を寄せあっている素朴なお人形たちのように見えます。
日本で言えば、水難除けの川の神様みたいなものでしょうか。
ヨーロッパで初めて見ましたので、ちょっと驚きましたが、心も和みました。 -
この素朴な木の舟に乗り込みます。
バーゼル市内4か所でこのような渡し場があるそうです。
ここはミュンスター渡し場。
舟にも、渡し場によって違う名前がついているのだそう。
私たちはその中の「LEU」号に乗り込みます。
乗客は私たち二人だけ。運賃は一人1.6フラン。 -
出発時間など決まっていなくて、夏場は9時から20時までの間だったら、客が集まれば舟を出してくれるのだそう。
今9時を少し過ぎたばかりだから、私たちは今日最初のお客様ってことね。 -
舟の動力は川の流れ。
両岸から引っ張った細いワイヤーを、川の流れに対して舟を斜めにすることで動きます。
このしくみを考え出したのはレオナルド・ダ・ヴィンチだそうです。
「ダヴィンチの渡し舟」と言われているそうです。 -
船頭さんは、船倉にある舟の角度を調節するロープを操りスピードを調整しています。
なんとも長閑な渡し舟です。 -
大聖堂が岸からだんだん遠くなっていきます。
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ヴェットシュタイン橋。
路面電車が橋の上を通って行きます。 -
万国旗。
これ1本でつながっているなんて面白いですね。 -
川を泳いでいる人を見つけました。
寒くないのかしら?
あの浮袋みたいなものは脱いだ服を入れるビニール袋です。
これを持って泳ぐのが、バーゼル定番の川泳ぎスタイルなのだそうです。 -
まもなく対岸に近づきます。
「ダヴィンチの渡し舟」は川幅200mを4分で渡ります。
向こう岸で待っているのはおじいちゃまとお孫さんのようです。 -
舟は、私たちを降ろすとすぐに、祖父と孫を乗せて出発しました。
だんだん岸から離れていく万国旗。 -
渡し舟、ライン川、大聖堂。
この風景があまりにも美しくて、舟が向こう岸に着くまでじっと見つめていました。
この渡し舟の運営は現在は民営化されていますが、以前はバーゼル市の文化協会が管理しており、その収益はバーゼル市立美術館の維持費に充てられていたそうです。 -
バーゼルの地図。
私たちが乗ったミュンスター・フェーレは矢印です。 -
渡し舟を降りた私たちは、プロムナーデをヴィットシュタイン広場へ向かいます。
そこからトラムに乗り中央駅に。
そしてラインフェルデンに向かいました。ラインフェルデン編は別途作成します。 -
スイスのラインフェルデンからドイツのラインフェルデンに行き、スイスのバーゼルでなくドイツのバーゼルに戻ってまいりました・・・・。
な~んて、何がなんだか、頭がこんがらかってきますね。
詳しくは後日アップ予定のラインフェルデン編をご覧ください。 -
DBのバーゼルバーディシャー駅から、バスに乗ってバーゼル中央駅に向かいます。
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車窓からスイスで最も美しい門と言われているシュパレン門が見えてきました。
中世のころ、バーゼルには町を囲む城壁に7つの門が設置されていました。
街の発展と共に門は取り壊されて、現在では3つの門しか残っていません。 -
この「シュパーレン門」と、昨日フランス国境越えでトラムの車窓から見えた「ザンクト・ヨハンス門」、そしてもう一つは「聖アルバン門」の3つです。
聖アルバン門へは後ほど行きます。 -
バーゼル中央駅に着きました。
駅前の公園に建つこの大きな彫像は、「ストラスブルガー・デンクマル」と言うそうです。
普仏戦争の時にスイスの市民がストラスブルクの市民を助けたことで、ストラスブルクから贈られたものだそうです。 -
バーゼル駅前からトラムに乗り、再びバーゼル美術館前で下車しました。
朝方、時間が早すぎて入れなかった大聖堂に行くためです。 -
大聖堂の外観は朝方撮っていましたので、まずはその写真から。
バーゼル大聖堂が建てられたのは9世紀の初めごろですが、戦争や大火などで焼失し、13世紀になって当時流行のロマネスク様式で建て直されたそうです。
15世紀になり現在のゴシック様式に改修され、そのため2つの様式が混在しています。 -
高い塔が聳えています。写真に入り切れません。
向かって左側が聖ゲオルクの塔、1428年造。
右側が聖マルティンの塔、1500年造。 -
正面入り口。
見事な彫り物飾り。
左側の像はローマ皇帝ハインリッヒ2世とその妻クニグンデ。 -
ハインリッヒとクニグンデの左側、つまり聖ゲオルクの塔の下には、おなじみの聖ゲオルクが悪の象徴ドラゴンを退治しているところ。
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右側、つまり聖マルティンの塔の下には、聖マルティンの像。
厳冬のある日、寒さに震える乞食に自分のマントを半分切り裂いて与えたマルティン。
翌日キリストがこの半分のマントを着て現れた・・、という伝説の場面です。 -
北側の入り口。
上段:最後の審判、
下段:「十人の処女たちのたとえ」
新郎を迎えるために、5人の愚かな娘は灯り用の油を用意せず、5人の賢い娘は油を用意して待っていた。というマタイによる福音書だそう。
左側は神の子羊を抱いた洗礼者ヨハネ。 -
15世紀当時のバーゼルはカトリックの司教が最大の権力を持っていました。
中庭。 -
教会の内部。
16世紀にマルティン・ルターの宗教改革が起き、バーゼルもその波にのみ込まれました。 -
1528年、宗教改革の流れの中で、カトリックの司教を追放しプロテスタントの町になりました。
説教壇 -
宗教改革前は他のカトリック教会と同じように、煌びやかな多くの財宝がありましたが、すべて取り払われました。
洗礼盤 -
唯一煌びやかなのはステンドグラス。
これは19世紀に新たに造られたものです。 -
ステンドグラス。
中央は4人の福音伝道師マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ(?)。
左はモーゼとダヴィデ。右はペトロとパウロ。 -
ところで、私が探している物はどこにあるんだろう?
クリプタ入り口。 -
これでもないし・・・。
バーゼル大学最初の総長であり、司教でもあったゲオルク・フォン・アンドラウの墓。
バーゼル大学はスイスで最も古い大学、その総長ともなればバーゼル市でもかなり権力があった人なのでしょう。 -
いろんな墓碑があります。
バーデン辺境伯夫人、司教、Ritterって言えば騎士ですね。
ここにお墓が残っているほどですからよほど力のあった騎士なのでしょうね。
私が探しているのはこれではない。
一つ一つ碑銘を確認しながら探して回ります。 -
でもこれでは埒があきません。
受付で打ち合わせで忙しそうにしていた2人の係員に、恐る恐る尋ねました。
「エラスムスの墓碑があると聞いたのですが、どこにありますか?」。
上司っぽい男性が「この東洋人はちゃんと調べてきている」と思ってくれたのか、急に顔がほころびました。
もう一人の男性が指さしで場所を教えようとしたら、いいよ僕が案内するよと言って、私たちを墓碑の前まで連れてきてくれました。 -
これがそうだよ、と言いながらエラスムスについて、ドイツ語でいろいろ説明してくれました。
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デジデリウス・エラスムス(1466年-1536年)は、オランダ(ネーデルラント)出身の人文主義者、カトリック司祭、神学者、哲学者。
出身地をつける当時の慣習から「ロッテルダムのエラスムス」と呼ばれる。
1536年にバーゼルで死去し、バーゼル司教座聖堂だった教会に埋葬された。 -
エラスムスが終わったら、この盤を指さして説明してくれました。
その時は理解できませんでしたが、帰国してから調べたら「聖ヴィンセントの殉教」っていうのですね。
その係員が説明してくれたことは私にはほとんど理解できませんでしたが、でも忙しいさなか、私たちのために時間を割いてくれたことは、とても嬉しかったです。
やはり少しでも下調べして行くことは重要なんだなと思いました。 -
その男性にお礼を言って外に出ました。
大聖堂の外にはガイドから熱心に説明を聞いている観光客の姿。 -
ホルバインとエラスムスの顔。
バーゼルを二分する有名人の顔です。
彼らの名前を冠した市内ガイドツアーのルートのようです。 -
またまたバーゼル美術館前の停留所。
明日朝バーゼルを発ちますが、まだ見残したところがあります。
すっかりお馴染みになったこの停留所からトラムに乗って・・・。 -
Aechenplatで2番トラムに乗り替えて・・・。
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到着したところは聖アルバン門。1230年に完成しました。
バーゼル城壁に今も残っている3つの門の一つです。
シュパーレン門とザンクト・ヨハンス門は既に見ていますので、これで3つの門をクリアしたことになります。 -
周りは公園です。市民の憩いの場となっています。
孫を遊ばせている老夫婦。
見ているだけでも心が和む風景です。 -
旧市街から少し離れて緑豊かなこの聖アルバン地区は、裕福な人達が住む高級住宅地だったそうです。
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今でも中世のころの佇まいを残しています。
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そんな一つの路地からひょっこり姿を現した老夫婦。
老婦人の方は足が悪いようです。それを労わりながらひっそりと寄り添って歩く老主人。
私たちに気が付き、挨拶をして別な路地に入っていきました。
いいわね~~。
私たちもこっちだ!あっちだ!と我を張らないで、お互いに仲良く譲り合わなければならないわね、と私の心の声(笑)。 -
ピンク色の聖アルバン教会。
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ブラブラと散策していたらライン川に出てしまいました。
ところで聖アルバン地区の名前の由来となったのは、この近くに今も残っている1083年創設の聖アルバン修道院なのです。 -
聖アルバン修道院が今日のバーゼルの発展の基礎を築きました。
対岸の斜めになった高層ビルは、世界的に有名な製薬会社ロシュ社のロシュタワー。 -
近くを歩いていると、水路が多いことに気づきます。
聖アルバン修道院は12世紀ごろ、付近を流れる小川を整備して水路を作りました。
そして水路に水車を設置して小麦などを挽いていました。 -
15世紀になると、商人が水車を買い取り製紙業を始めました。
バーゼルは製紙の街として栄え、その後印刷や出版の街としても有名になります。
当時バーゼルで数多く出版されたのは宗教関係の本でした。
1518年にはルターの宗教改革の原本となる本が出版され大反響を呼びました。偉大な人文学者エラスムスはバーゼルに滞在し、多くの宗教関係の著書を出版しました。 -
また医学書なども出版し、医学に大きく貢献しました。
バーゼルは欧州でも重要な製紙・印刷・出版業の中心都市になりました。
バーゼルで印刷と出版業で財を成したのは、本場イタリアで技術を習得したアマーバッハ家。画家のホルバインのパトロンとなった財閥です。
地区の歴史を説明した案内板。 -
当時は数多くの水車がありましたが、産業革命の発展と共に廃れていき今はほとんど残っていません。
しかし、当時水車があった家には、水車の絵が描かれています。 -
現在は、当時の水車が1基だけ残されています。
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バーゼル製紙印刷博物館。
見学したかったけど5時で終了。 -
今ちょうど5時、見学が終わって出てくる人もいます。
ドサクサに紛れてちょっとだけ中に入ります。 -
幸い売店の方はまだ人が残っています。
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時間切れ、残念な気持ちで外に出ます。
外から中の工場を写しました。
昔ながらの手すきで作られていた紙、そのころは材料は布でした。 -
博物館の外にあった昔の製紙づくりに使った道具。
現在のように木を材料として紙を作るようになったのは産業革命以降だとか。 -
当時はここにも水車が設置してあったのだろうか?
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聖アルバン門前の停留所から、2番トラムに乗ってホテルに帰ります。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ぶどう畑さん 2017/12/05 09:42:02
- 渡し船、乗りました!
- himmelさん
ぶどう畑です。
あの渡し船の動力は、川の流れだったんですか?
知らなかった、不思議ー!
私はhimmelさんの逆コース。
コルマール駅の窓口が混んでいて、予定した電車に乗れず、観光開始が遅くなって、大聖堂に着いた時には閉まっていました…。
ラインフェルデン、himmelさんは私とは違う視点で観ているかも。
楽しみにしています!
- frau.himmelさん からの返信 2017/12/06 11:32:00
- RE: 渡し船、乗りました!
- ぶどう畑さん、こんにちは。
あのダヴィンチの渡し舟に乗られましたか?
そうですって、動力は川の流れですって。
と言ってもテレビ番組の受け売りですが。
でも本当に旅のコースが私たちと逆でしたね。
私たちはバーゼルからコルマールに行きました。
大聖堂に入れなかったのは残念でしたね。
ぶどう畑さんがバーゼルでどこにいらっしたのか大変興味があります。
今後の旅行記、見逃せません。
himmel
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