2017/09/30 - 2017/10/03
3078位(同エリア5595件中)
明石DSさん
01:55 D7-0532 遅延 05:00
まだ3時間・・・か
移動距離を考えれば待ち時間なんて無きが如し
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プトラジャヤ:マラッカ:クアラルンプールを訪ねる
2017:平成29年9月30日(土)~10月3日(火)
2泊4日
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4日目:10月3日(火):晴れ時々曇り
クアラルンプール空港から関空。帰宅
2019.平成29年10月3日(火)
■クアラルンプール空港で夜を過ごす
ハンバーグを食べ終わって12時が過ぎた。出発までまだ5時間余り。椅子に座っての仮眠も長く出来ず、床に転がって寝たりもした。無論遅延で待つのは搭乗者全員なのであちこちでゴロゴロしている。
これが飛行機であり移動も半端な距離ではない。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」であり「増水により川止めが2~3日も続くことがあった」・・・そのことと移動距離を思えば数時間の遅延など何でもない。それでもしんどかったけど・・・。
午前5時頃から搭乗開始、5時半過ぎに関空に向かって飛び立った。帰路も往路に読み終わっていなかった「菊兵団ビルマ死闘記」を読みながら過ごす。苦痛の機内からやっとこさ解放されたのは日本時間午後1時50分。
- 旅行の満足度
- 5.0
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-
椅子は長椅子で寝れるようになっているのが良い
床にそのまま寝転がっている者も多し
もっと早く私も床に寝転がれば良かった -
やっとあと1時間になった
時々ウロウロ歩きながら身体をほぐす -
気持ちよく寝ている・・・のか
どこでも寝れる、そんな人になりたい -
午前5時過ぎ、やっと搭乗始まる
みんなここまで時間を潰していた -
エアアジアよ 落ちずに関空に着いてくれ
世界中で交通事故は毎日膨大な数だけど
飛行機事故はなんでこんなに少ない -
午前5時29分 まだ離陸せず
日本に行く人も今日の予定は皆狂うだろう -
日本時間午後1時35分 やっと関空到着
真中 三座席の通路側 下界が見えずガッカリ -
飛行機は機内から出るのにも時間が掛かる
現在時13:44
“ベイ・シャトル”へのバス時間 14:30
残り46分で関空玄関のバス停まで辿り付けるか? -
無事日本に降り立つ
まだバス時間諦めず
乗り遅れたら関空で2時間待ちとなる
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■関空到着 家路へ
機内から出るとクアラルンプールへ折り返しに便に乗る待ちくたびれた乗客の姿があった。
トランクを受け取り、その場にいたツアー同行者に挨拶をし到着出口を出た。しかし残念ながら「関空→ポートアイランド」への“ベイ・シャトル”船着き場に向かうバスはタッチの差で間に合わず。
ここでも運悪くこの時間の次の便は2時間後で2時間の待ち時間となる。早々に諦め関空3階のレストラン街へ行き「そじ坊」で山菜かやくご飯の定食を食べてホッと一息。
「そじ坊」での休憩後にバス乗り場付近の空港内の椅子に座ったら周囲はロシアのジャージ姿のスポーツ選手の一団が座っていた。一体何の選手?と、付き添いで世話役の日本人に聞いたら「ロシア代表のダーツ選手です」だった。
ちょうどこの日から「2017年第21回WDFワールドカップ 神戸大会」【10月3日(火)~7日(土)】が開催のようだ。選手は少女から“おっさん”まで年齢層は幅広い。さすがロシアの少女はみな美しい。
http://www.kobeport150.jp/event/e171003.html
船乗り場に行ったら岸壁に係留中の“ベイ・シャトル”が大揺れに揺れていた。海は白波が立っている。船酔いするので嫌だなあと思ったが仕方がない。運航中止よりましだ。船員さんに「船酔いには船の真ん中の辺りの座席がましですよ」と教えてもらい座る。
船にはロシアだけでなく他国のダーツ選手が乗り込んできた。今日から開催のダーツ大会に今日外国から到着とはなかなか強行日程だ。ダーツは五輪種目入りを目指しているようだが、まだマイナーな競技なのだろう。
午後5時10分過ぎポートアイランドに到着、駐車場に一目散。ハンドルを握って六甲山脈・神戸市街を正面に見て一路家に向かう。西明石の自宅に着くころにはすっかり暗くなっていた。
午後8時半家内の出迎えを受けて自宅に戻った。37回目の海外旅行は無事終了。次はどこに行くのやら・・・。 -
折り返しで出発のクアラルンプール行きを待つ乗客
11時(発)搭乗2時間前に来て3時間待ち
みんな5時間以上関空で待っているのだろう -
トランク引き取り、ここまで13:58に辿り付く
残り32分もあったが待てどトランク出て来ず
出口目前にして 無念残念万事休す
14:30分に2分ほど間に合わず
関空にて再び2時間待ちを余儀なくされる -
空港3階 レストラン街に行き
「そじ坊」で休憩す -
山菜かやくご飯の定食
人間が生涯飲む水量:93,594リットル
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1086645935?__ysp=5Lq66ZaT44GM55Sf5rav6aOf44G544KL6YeP
食べる量
0.363kg × 365日 × 75歳 ≒ 9937kg ≒ 10t
凄い!としか言いようがない
誰が何のために人間を作ったのか? -
ロシアのナショナルチームのような感じの一団が
一体この団体は何?何のスポーツと思っていたら
ダーツ競技のロシア代表団だった -
関空“ベイ・シャトル”桟橋にて
ロシア代表といってもダーツ競技はメジャーでないのか?
開催当日のギリギリで来日しているようだ -
“ベイ・シャトル”に乗り込んできたダーツチーム
どこの国の代表なのか分からないけど -
ポートアイランド桟橋に到着
ここから駐車場に一目散 -
この前方に我が愛車が待っている
“ベイ・シャトル”を利用すれば
何日停めても無料の駐車場は一杯 -
六甲山系と神戸市街を前にして
神戸大橋を渡って我が家に向かう -
18:27 夕闇迫る交差点
我が家はここから車で5分
37回目の海外旅行も終了まじか
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マレーシアへの旅を終えて思うこと
この旅を機に大東亜戦争緒戦のマレー作戦のことを少しだが調べた。真珠湾奇襲に先立ちマレー半島に日本軍は上陸を敢行し、英軍の堅固な陣地を世界を驚愕させる速度で突破した。
12月8日上陸から1100キロを進撃、目標は70日間だったが1月31日55日間という短期間でマレー半島の最南端ジョホールバルに突入を果たした。そして英国のアジア最大にして最強と言われた要塞都市シンガポールを2月15日攻略。
マレー半島攻略での戦力は「日本:35,000名」vs「英印豪:88,600名」 戦死傷者は「日本:戦死、1,793、戦傷2,772」vs「敵側:約25,000うち遺棄死体約5,000、捕虜約8,000」の圧勝だ。
この戦争の火蓋が切られるまで世界の有色人種国家のほとんどは白人列強国の植民地下にあった。有色人種は白人に支配されるのが当然の時代であり、その支配を戦いによって転覆させることなど不可能としか思えない世界だった。
そんな20世紀初頭に日本はロシアを破り、益々国力増強軍事力も白人列強国に肩を並べることになり、白人による黄禍論が密かに増幅して行ったことは想像に容易い。その延長線上で日本は太平洋戦争開戦を余儀なくされた。
それは歴史の必然であり、あの時日本が開戦に踏み切らずば今の世界は当時に増しての白人天下の世界があるだろう。大東亜共栄圏・アジアの解放という意味では日本は戦いには敗れたが戦争目的は達成した。英米他連合国は戦いの勝利を得たが植民地はことごとく失った。
大東亜戦争は日本の誇るべき戦いであり敗れたといえど何ら悔いるべきではない。このマレー半島での戦いも、まさに自己犠牲をいとわない英雄達がなした。その英雄たちの戦いぶりも人も敗戦によってすべて隠され消されてしまった。
こんな罪なことはない。しかし戦記本や資料によって残されており日本がまともな国に再生した時、日本人が日本人に立ち返った時には埋もれた英雄たちが再び日本人に人間の真の生き方を教えてくれる。
マレーシアは人種の坩堝・宗教の坩堝。争いの種は数知れず。100年後この国がどうなっても不思議ではない。それは多民族共生国家に共通する問題だ。日本もグローバル化によって徐々に日本という国柄は薄められ、在日外国人の数も増え問題の根は嫌でも多くなり複雑になっている。
マレーシアを旅し垣間見ただけだが、日本はいつまでも日本であって欲しいと改めて強く感じた。我能書きを記す。
追記(抜粋)
昭和30年(1955年)、インドネシアで開催された「第1回バンドン会議」に、当時、次から次へと独立を果していたアジア、アフリカの国々29カ国の代表が集まった。
その時、我が国の代表が各国の代表から握手攻めにあったということである。
アジア、アフリカの代表は我が国の代表に口々に熱く語った。
「我が国が独立できたのは日本のお蔭です。日本はこれからもアジアのリーダーとして頑張って下さい」と。
その事を全く分かっていないのは、現在の多くの日本人である。
マレーシアの元外務大臣、ガザリー・シャフィーは次のような言葉を残している。
「日本はどんな悪い事をしたというのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈伏させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたのだと思っていた。日本は敗れたが英軍は再び取り返すことが出来ずマレーシアは独立したのだ」と。
-以上- 了
2017/平成29年11月吉日(記)
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