2017/09/30 - 2017/10/03
4191位(同エリア5595件中)
明石DSさん
モーニングサービス、朝一番に食べに来る
昨日と今日、2回の朝食、種類多くて迷う
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プトラジャヤ:マラッカ:クアラルンプールを訪ねる
2017:平成29年9月30日(土)~10月3日(火)
2泊4日
3日目:10月2日(月):晴れ時々曇り
クアラルンプール観光、そして帰国へ
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2019.平成29年10月2日(月)
■クアラルンプール最後の朝
クアラルンプール二日目の朝は帰国の日でもあり気は楽だ。午前はオプショナルツアー「バツー洞窟と国立博物館」。私は申し込んでいないので自由行動。
朝食は6時20分からなので一番に行った。それでもすでに人は来ていた。和食もありメニューは豊富、レストランも広くてテーブル 椅子も多く申し分ない。
クアラルンプールの人口200万人、マラッカ70万人、マレーシア全部で約3千万人。面積約33万平方キロメートル(日本約37.8万平方km)。
日本は少子化で国力の低下、経済低迷危機を煽り外国人労働者の受け入れをしているが、国土面積ほぼ同じのマレーシアの人口はたった3千万人。多民族共生は日本の未来の悪夢。
マラッカ・クアラルンプールしか見てないが貧困国には見えない。しかし人種の坩堝は直ぐ分かる。多人種・多民族・多宗教の国の国民は気苦労が多いか諦めか・・・国家の危機と言ってもそれぞれに利害あり一枚岩になること至難なり。
国の中に国が出来、それぞれの利害を元に行動をする。多民族共生は絶対嫌だ!日本を潰すな。
- 旅行の満足度
- 5.0
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37回目の海外旅行だが朝食はどこでもほぼ同じ感あり
朝食で特段変わった食べ物は見たことはない -
ここは赤道にほど近い熱帯雨林なのに
服装も半袖ばかりではない
何を基準に皆服を選ぶのだろう? -
月曜日の早朝7時 ホテルから電車に乗ってクアラルンプールへ
昨日の予行演習で不安なく駅に向かってホテルを出発
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■クアラルンプールへ
朝食を済ませ早速クアラルンプールへ向かって出掛けた。昨日の予行演習で駅までの道も分かって不安なく歩く。目的地は昼からのツアーで行く場所と同じ。
なんで同じ場所に行くのか?ツアーは“ゆっくり”見れないから。それとクアラルンプールの戦跡や日本人に関連する場所も知らずだから他に行くところがない。
旅先の一人歩きを楽しむのが目的と言える。英会話が出来ればもっと自信を持って歩けるのにと海外に来るたびに思う。7時18分にホテルを出て50分には「Masjid Jamk(マスジッド・ジャメ駅)」までの切符を購入ホームいた。
月曜朝の通勤時間、色とりどりのスカーフを被った女性が多く肌の色顔の色も多様だが出勤風景は万国共通かも。
高齢者と思えるような年寄りの姿は少ない。ナップサックを背負った67歳の日本から来た“オジン”は満員の出勤電車の中では老いが目立つのか?2年前の平成27年2月に台湾の左営からMRTで高雄国際機場駅まで行く地下鉄で若い女性に人生初めて席を譲られて以来の二度目があった。
左斜め前の座席に座っている若い青年が私の方を見て「席を譲る」と目とジェスチャーで合図をしてくれた。予期せぬことで一瞬固まったが、少し離れていたこともあり「ノウ・サンキュー」と右手をそっと上げて辞退した。
見た目も老けた、写真を写せば老いを実感する。「これ俺ちゃうやろ、何でこんな老けてるねん」頭髪も細くなり数も減り薄くなった。でも何故か伸び方は変わらず一ヶ月一回散髪屋に行く。身体の劣化は止まらない。免疫力も体力・筋力・気力・記憶力すべて劣化する。
思えば世の一流人、政治家・社長等々人の上に立つ人たちの体力・気力とも半端ない。怪物なのだろう。我今67歳。77歳、87歳果たしてこの世にいるのかいないのか?
朝8時前クアラルンプールの市内へ向かう満員通勤電車内の印象は、スマホ片手は日本と同じだがイスラム教国だから女性のスカーフの多さと50~60才前後の中高年男女の姿が少ないように感じた。 -
異国で日本車を見たらつい写真を撮りたくなる
日本車は物づくり大国日本の象徴なり
こだわりの物づくりが日本人の命だ -
月曜日の早朝、やはり駅前には露店があった
弁当もあり ここで食べても良し -
切符コインを置けばガードが開く
-
日曜日の夕方のホームの様子と違って
月曜日の通勤時間なので人が沢山
やはり会社勤めなのか身だしなみはそれなりに -
この混雑の中、私が“オジン”に見えたのか
若い青年が私に席を譲ろうとしてくれた
あァ~ショックなり、我そんなに老いたりか
少し離れていたので「ノウ、サンキュー」
と、つぶやき、会釈し、遠慮した -
マスジッド・ジャメ駅ホームの様子
扉が開いても我先に乗り込む者は見かけず
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■マスジッド・ジャメ駅に到着
35分程でマスジッド・ジャメ駅に到着。この駅名は市内最古のモスクの名前。
行きたい方向の出口が分からず通行人に地図を見せて聞いたが要領を得ず。しかし「ムルデカ・スクエア(独立広場)」と言うと笑顔で即座に「あっち」と手で方向を示してくれた。
マスジット・ジャメ:Masjid Jamek
『1909年に完成したクアラルンプール最古のモスク』を見て歩いていたら豆乳売りの立ち売り“オバチャン”がいたので買った。
“オバチャン”は中華系で「豆漿:D?・uji?・ng ドゥジャン」「多少銭:Du?・sh?・o qi?・n ドォウシャオチィエン いくら?」と中国語が普通に通じる。 -
駅そばの新しい橋の向こうにモスクが見える
モスクの名前:マスジット・ジャメが駅名 -
駅そばの露店の総菜屋はどこにもある
国や人種が違えども、やること変わらず -
1909/明治42年完成 クアラルンプール最古のモスク
明治42年10月26日 伊藤博文、哈爾浜駅で安重根に暗殺される -
「豆漿:D?・uji?・ng ドゥジャン」を買って飲む
味は期待していた豆漿の味だった -
ムルデカ・スクエア(独立広場)
1957年8月31日独立が宣言された歴史的な場所
正面は高さ100メートルの国旗掲揚塔
2107年の今年、独立60周年を迎えた
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■ムルデカ・スクエア(独立広場)
そして“ムルデカ・スクエア”に行った。1957年8月31日独立が宣言された歴史的な場所。世界一の高さ100mの掲揚塔に国旗が掲げられていた。私が生まれたのが1950/昭和25年8月、その7年後に独立をした。
この芝生広場は英国統治時代はクリケット場。傍に1884年(明治17年)建立のクラブハウス「ロイヤル・スランゴール・クラブ:Royal Selangor Club」が雄姿を留め今もセレブたちの社交場として使われているそうだ。
広場北には「英国教会:Cathedral of Saint Mary」がある。英国時代を思わせる雰囲気が充満する独立広場周辺をキョロキョロしながら散歩した。
白人に支配された有色人種国の民は、人種的・文化的劣等感からだと思うが白人列強国を高みに置き 支配された過去を「仕方がない・・・」と、支配されたことを諦め、あまり遺恨を持たない。
しかし隣国であり同じ黄色人種、日本人に統治された支那人及び小中華・朝鮮人は、過去から遡って口惜しさ余って憎さ千倍。日本はそんな支那朝鮮とは関わらないことが一番であり、遠い国として必要最小限の関りに留めることが日本の国益に叶う。
支那朝鮮人が何故日本人をネタむのか?それは支那朝鮮人には頼るべき国がないからだ。可能なら自国を捨てて他国に移り住みたいという者が多いのがその証だ。
支那人はユダヤ人と同じく国が無きに等しく、昔から華僑として多くが世界に出て行った。その昔、朝鮮人は出ることも出来ない民だっただけ。
「クアラ・ルンプール記念図書館」「国立織物博物館:National Textile Museum」「音楽博物館:Music Museum」「クアラルンプール シティギャラリー:Kuala Lumpur City Gallery」・・・等、周囲を歩き写真を撮り、国立織物博物館には入って見学した。
織物博物館は入場無料で建物内部は見学者もほとんどいなくレトロな雰囲気が漂う静かな空間だった。壁面に多民族共生国家である象徴の如く民族衣装に身を飾った多種多様な老若男女が一同に会した大写真が印象に残った。
誰もが満面の笑みを浮かべた写真で「地球は一つ人類皆兄弟」と訴えなのかもだが、そんな理想は現実にはあり得ず。御免被る。
午前中の自由時間、織物博物館を出た後、今一度独立広場と周辺を散策し10時頃マスジッド・ジャメ駅に戻る。そして帰路の電車も結構な乗客だったが座れた。
10時49分サバン・ジャヤ駅に到着。ホテルまでの道すがら駐車中の日本車の比率を見ながら歩いた。見た感じ私の印象では「三分の一強」くらい日本車だった。
ホテルの部屋に戻ったのが11時20分。私のスマホ歩数計は午前中だけで「11,431歩:8.4㎞」。私の旅は歩きが基本。歩かないと面白くない。 -
2017年8月31日 独立60周年を祝うムルデカ・スクエア
You-Tube動画は中国語 -
広場横には1884年(明治17年)建立のクラブハウス
「ロイヤル・スランゴール・クラブ Royal Selangor Club」
白人統治者たちの異国での優雅な暮らしぶりが伺える
冷徹な差別が出来ぬ日本人に植民地統治は似合わない -
広場北に「英国教会:Cathedral of Saint Mary」
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「スルタン アブドゥル サマド ビル (旧連邦事務局ビル)」
1897/明治30年竣工 イギリス統治時代に連邦事務局として使われた
この2年前、明治28年4月から日本は台湾を併合した -
クアラルンプール記念図書館
-
旧国立歴史博物館:レストラン ワリサン
へぇ~ 博物館がレストランに・・・か -
国立織物博物館(National Textile Museum)
1896年建立、ムガール様式の歴史的建築物
この博物館の中に入って一応見学した -
見学者の気配なく閑散としていた
展示室も廊下も、どこも綺麗だった
展示品には興味なくほとんど記憶にない -
織物博物館でただ一つ目を引いたのは
民族衣装を身にまとい皆笑顔の集合写真 -
「レストラン ワリサン」の右隣
クアラルンプール シティギャラリー -
マレーシア観光文化省(Ministry of Tourism and Culture Malaysia)
独立広場から駅に向かう途中写す -
マスジッド・ジャメ駅に戻って来た
正午ホテルから出発の集合時間に遅れないように -
クアラルンプール中心部から隣町のプタリンジャヤへ
午前10時14分 車内の様子 -
偶然にも同じ車内に乗り合わせることとなる
見も知らない異国の人たち、100年後皆いない -
駅からホテルまでの道すがら・・・駐車の車は?
日本車の比率は「三分の一」くらいは日本車の感じがした -
昨日の夜 この寿楽で「お造り定食」を食べた
ここからホテルまで徒歩5分くらい -
スマホ歩数計「11431歩 8.4km」
我が旅は
歩いてこそ旅なり、歩かずば旅と言えず -
午後からのツアー最初はホテル近くでの昼食へ
この大型バスで三日間 ゆったり乗車だった
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■午後のツアーは昼食から
そして午後からのツアー出発12時。観光後はそのまま空港へ、そして帰国。
部屋でトランクをもう一度確認し、枕銭1RMと小銭コインを置いて11時48分ロビーに降りた。12時の集合時間にはまだ余裕があったがすでに一行はバスの中。私が最後で全員揃ったので11時50分バスはすぐ近くにある昼食レストランの店、「Restaurant Bamboo Park 竹苑風味小食館」に向けて出発。
https://www.google.co.jp/maps/@3.0868424,101.6240314,3a,18.8y,81.26h,91.16t/data=!3m6!1e1!3m4!1sADIa_GbzzwKsR6oFL3UXcA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
バス乗車10分ちょっとで到着し昼食タイム。飲茶料理を食べる。丸テーブル二つに、いつものように「八人」と「七人」が別れて座る。メンバーは決まっていない。バスの座席もやはり日々違う席に座るようにと最初の出会いの日に“ポール”からのお達しがあった。
一行15名、一期一会の出会いはいつも不思議だ。ビッグバンが135億年前、地球の歴史46億年、人類誕生から700万年。営々と奇跡的に繋がれてきた命。その15名が何の因果か日本からマレーシアに同じツアーで来た。
私と長兄とで2010/平成22年家系図を作った。江戸末期に生まれた高祖父母二人を第一世代として私の孫の六世代目には二人の血統を継ぐもの112名、それらの配偶者56名、168人に二人を合わせれば合計170人ちょうど。
不明があるので実数はもっと多いと思う。高祖父母が結婚していなければ112名はこの世に存在せず。
今現在同時期にこの地球に存在している人間はそれだけで奇跡的な縁だと思う。生まれ出る者、誰しも国も選べず親も選べず時も選べず、生まれた瞬間に差は厳然とある。
差別を無くせ?バカか!無くせる訳がない。差別を無くせなど無意味だ。差別に負けるな!であり、差こそエネルギーの源になる。 -
10分程で到着、「竹苑風味小食館」で飲茶料理
「へぇ~ こんなとこに」と、思う一角に店が -
どこに店が?・・・と、思いながら歩いていると
近づけば「竹苑風味小食館」あり -
料理は味良く、みんな満足そうに食べていた
和気あいあいとツアー仲間での食事だったけど
話しの内容は何も記憶に残っていない
こうやって旅する日本のシニア世代は恵まれている -
王宮前到着は午後1時20分
輪番制で選ばれた王様の日々の生活や如何に?
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■新王宮:イスタナ ネガラ(Istana Negara)
1時前に出発し最初の観光地は2011年に完成した「新王宮:イスタナ ネガラ(Istana Negara)」、王宮に王様がいるという印の旗が掲げられていた。
https://www.google.co.jp/maps/place/National+Palace/@3.1608276,101.6643019,1684m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x0:0xd36dbe78ef7caac8!8m2!3d3.1597051!4d101.6675569?hl=ja
『マレーシアは選挙王制だが実際には各州のスルターンが輪番で国王に選出されることが慣習化している。』・・・その王様も1957年独立以後、現在15代目とのこと。125代、日本の天皇陛下とは意味が違う。
内部には入れないが門の前の広場で多くの観光客が写真を撮っていた。M16自動小銃を持つ衛兵がおり横に並んで勝手に写真を写すこともできる。そこは撮影スポットで人が集まっていた。 -
王宮は観光名所であり撮影スポット
広場には多くの観光客がウロウロと -
正面の旗の掲揚は王様が王宮にいるしるし
権力の象徴ではなく権威の象徴はいる方が良い
その象徴の下に万民は平等となる -
門の前で記念撮影 写真は世界を巡る
これからは膨大な写真や動画が未来に残る -
王宮警護の兵隊とのツーショット
警備兵は黙って立つのみ
好き勝手に並んで写す 順番待ち -
あっという間に駐車場は車で一杯
ツアーコースはどこも同じのようだ -
ここは戦ったマレーシア兵の功績を称える公園
平和も独立も戦わないと保つことは出来ない
牙を抜いた生き物は奴隷か寄生か太鼓持ちか
戦後日本は米国の太鼓持ち・・・我が人生なり
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■「国家記念碑:Tugu Negara(トゥグ)」「国立モスク」「ムルデカ・スクエア」
ここの兵士像は1949年から12年続いた共産ゲリラとの戦いで犠牲になった1万1千人の兵士を弔うために時の米国大統領ケネディがマレーシアに贈呈した。この碑を作った彫刻家は硫黄島の戦いの報道写真を元に「海兵隊戦争記念碑」を制作した彫刻家フェリックス・デ・ウェルドン。
ガイドの“ポール”の説明によれば「この作者は米国人、一回もマレーシアに来たことない。マレー人の写真も見たことない。だからこの碑の兵士は米軍兵士にしか見えない。しかしマハティール首相もケネディが贈ってくれたこの碑に文句は言えず受け取った」とのこと。
中華系の“ポール”の口ぶりでもそうだからマレーシア人にとってこの碑に納得する者はいないだろう。無関係の私が思うにも彫刻家フェリックスはふざけた奴だ。仮にも英霊として称える兵士の碑を似ても似つかぬ米軍兵士に見たてて制作するとは・・・。
“ポール”曰く
「共産ゲリラのボスはバンコクに亡命し最近死亡した。しかし新聞・ネットも報じず。ボスの血縁者は遺体をマレーシアで埋葬希望があるが政府は許可していない」
「あそこに金の“玉ねぎ”が見えるでしょ。キリスト教は十字架、イスラムの象徴は“玉ねぎ”と“三日月”金と玉ねぎの間に“の”を入れなければ大変ね、“きん〇ま”になるでしょ。」と皆を笑わせていた。“ポール”はムスリムではなく仏教徒。
次は1965年に完成したマレーシア最大のモスク「国立モスク」に行く。モスク周辺には支那での法輪功弾圧を訴える活動をしていた。どこの国でも中華系の人がいるところには必ずといっていいくらいこの光景はある。法輪功の実態は良く分からない。
シナの法輪功への弾圧は真に酷いのだと思うが、宗教は国を越え民族人種を越え心の拠り所となるのかもだが争いの種を作る。そんな宗教とは一体何ぞや?
そして我ら一行は午後2時25分、「ムルデカ・スクエア」に来た。
やはり今日の午前中に一人で来て正解だった。“ゆっくり”周囲の建物を見たり独立広場の感傷にふける間もなく10分程公園での写真タイムが終わればすぐに出発。 -
「TO OUR GLORIOUS DEAD( 栄光ある死)」
碑に刻まれた年号は
第一次世界大戦:1914-1918
第二次世界大戦:1939-1945
独立戦争 :1948-1960
人類の歴史は戦いの歴史 未来永劫変わらず -
正面に見える高層ビルがマレーシアの国会議事堂
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米国の「海兵隊戦争記念碑」
硫黄島の戦いの報道写真を元に制作 -
国家記念碑は時の米国大統領ケネディがマレーシアに寄贈した
しかし兵士像は米国兵そのものであり「何じゃこりゃ」 -
ガイドの“ポール”に教えられて気付く
倒れている共産ゲリラの靴底はすり減っている
これぞ彫刻家苦心の作なのか??? -
国立モスク「マスジットネガラ」
モスク内も自由に見学できるようだが
我々一行はこうやって写真を撮るだけ -
ここでも支那の法輪功弾圧への抗議活動あり
江沢民への抗議文であり習近平の名はどこに?
支那共産党のすることなすこと全てに疑惑あり -
迫害弾圧を受けてもなお信者を辞めない
宗教とはそれほど人を強くするのか? -
午前中に訪れた独立広場に一行と再訪す
午前と違って周囲に観光バス止まり人多し -
旧クリケット場の傍らのセレブご用達クラブ
「ロイヤル・スランゴール・クラブ」の建物が正面に
白人派遣国家の植民地政策は見事なり
支配者と奴隷の関係を徹底出来てこそ植民地足り得る
日本人は徹底した差別できず併合は不要な遺恨を生む -
21世紀の風景 スマホ片手に写真を撮る面々
これではデジカメも売れず -
独立広場からジュエリーショップへ
金は何物にも代えがたい何よりの価値がある
元歯科技工士の私は金の価値を知っている
銀や銅と比較しダントツに金は価値ある
錆びない・身体に害なく・加工しやすい
歯の補綴物には最高だった
宝石は要らないが金は買う価値ある
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■土産店とチャイナタウン
行き先は「Amoda Building」の中にあるジュエリーショップ「新徳美金鑽行 SIN TER MAY」。店員は巧みな日本語を話し金のネックレスなどを女性陣に売り込む。
https://www.google.co.jp/maps/place/Amoda+Building/@3.1434959,101.7098906,19z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x31cc3628e4dac92f:0x6e301d3200426beb!8m2!3d3.1434959!4d101.7104391?hl=ja
私も残ったお金を使おうと『睡眠改善 肩こり解消 血行 促進 磁気ブレスレット』、日本では3万8千円するというタングステンのブレスレットを¥376RM(¥10,528円)で値切りもせず衝動買いをした。
痛恨のミスだった。帰国後アマゾンで検索したら程度は分からないが良く似た代物が1千円代からある。無知は損。
午後3時過ぎ店を出て向かったのは到着の日に行く予定だったクアラルンプールのチャイナタウン。
「南国フルーツの試食付き」なのでみんなで先にフルーツを食べ、あとは集合場所を確認し30分程の自由散策。私は試食フルーツの他に自分でお金を払っていくつものフルーツをそこで食べた。どんなものでも果物はうまい。
そしてあっちにいったりこっちにいったりぶらぶらする。中華街はどこの国でも同じ雰囲気、店員や往来する人種が場所によって違う。このクアラルンプールではインド系の店員?も多い。
見て歩いただけで集合場所に戻りバスに乗車。再びお買い物コースで民芸品の店「Jadi Batek Gallery」に入る。アロマ効果のあるというナマコ石鹸を買った。 持って帰っただけになっている・・・けど。
https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298570-d1383017-Reviews-Jadi_Batek_Gallery-Kuala_Lumpur_Wilayah_Persekutuan.html
買い物コースの最後は「Beryl’s Chocolate Kingdom:チョコレートキングダム」。試食しながら品定め。どれも美味しい。ここでも一袋買った。
http://www.malaysia-magazine.com/immigrate/child/kl%e8%b2%b7%e3%81%84%e7%89%a9%e3%83%bb%e3%81%8a%e5%9c%9f%e7%94%a3/1193/ -
しかし金を買うなら細工は不要「塊」が良い
ここで私はタングステンのブレスレットを\376RMで買う
帰国後アマゾン等々で千円代から良く似た物があった -
クアラルンプールのチャイナタウンにやって来た
-
歩く人たちは違えど雰囲気はどこでも同じチャイナタウン
物が溢れている 買って ほかして また作り -
この店でフルーツの試食あり ツアーに含む
それ以外に自分でお金出して沢山食べた
果物は美味い -
店の品物より歩く人間を見て歩く
多人種共生は見るのは良いが日本では御免被る -
お買い物コースで民芸品の店「Jadi Batek Gallery」
団体ツアーならではの観光コース -
静かに黙々と作業していた
物づくりは良いものだ -
この棚に並んでいるナマコ石鹸を買った
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次はチョコレート工場へ
総勢15名一行 -
試食のあとチョコ一袋購入す
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クアラルンプール最後の晩餐は最初の晩餐の隣の店だった
「へェ~、そうだったのか、隣の店が最初に入った店か」
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■「貴州苑 Guìzhōu yuàn グイジョーユエン」でツアー最後の晩餐後「KLタワー展望台」からの夜景観賞
クアラルンプール最後の夕食はこのツアー最初に入った「紅辣椒:Restoran Hong La Qiao」の右隣の店:「貴州苑:Restaurant Guizhou Garden」。入店は午後5時21分。最後の晩餐も美味しかった。ツアーの食事はみんな中華料理だったような気がする。
https://www.google.co.jp/maps/@3.1405364,101.7106077,3a,90y,350.01h,95.29t/data=!3m6!1e1!3m4!1sIhsPD5MYaE5gxVFQTQChhw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
貴州苑を出たのが午後6時12分。最後の晩餐のあとは最後の観光、初日行けなかったKLタワー展望台からの夜景観賞。
『KLタワー高さ421メートル。ペトロナスツインタワーは452メートル。KLタワーの方が低い。しかしKLタワーは標高94メートルのブキットナナスと呼ばれる丘の上に建設されているため目視ではツインタワーよりも高く見える。』
KLタワーの展望台ははパイナップル型。英国植民地時代、この丘はパイナップル畑でパイナップルの丘とも言われる。丘の上に立つKLタワーは合わせて515メートル。
この日はイベントの日だった。
『2017/9月28日から10月2日にかけて「KL Tower BASE Jump2017」』・・・KLタワーにある高さ300メートルのオープンデッキからスカイダイビングを競う。
https://youtu.be/dz8Z40xjHts
スカイダイビングは見れなかったがタワーを見上げれば確かにイベント用のオープンデッキがあった。その為か展望台に上るお客さんも多く入場口はやや渋滞。少し待ってエレベーターに乗り276mの展望台へ。
360度の眺望でクアラルンプールの大きさが何となく分かる。そんなに面積的にも大都市という感はない。下界の風景は高層ビル林立だけではなく熱帯雨林に属しているからなのか樹木も多い。少なからず自然のある都市、それだけでもホッとする。
展望台で夕方の風景から徐々に夜景になった。東京・大阪等と比較すれば遥かに町の小ささを感じる明かりの数。そして、こういった観光地でいろんな人を目の当たりにするたびに、今この場所に一体何ヶ国の人間がいるのか?と考える。出来る事なら一人一人聞いて回りたいくらいだ。
電光掲示板で現在この展望台にいる人の国名表示と計何ヶ国なのか?刻々とリアルタイムで表示してくれれば楽しみは倍加する。空港でもいつもそう思う。「18:55~19:53」・・・展望台で約1時間過ごし観光ツアー終了。
展望台下の撮影スポットでKLタワーの電飾七変化?を楽しみバスに乗車、空港に向かう。スマホ歩数計は今日の朝からこの時点で19,365歩、14.3キロだった。 -
マレーシア滞在中に食べた食事は全て満足
といっても日本で食べる料理の方が美味いけど -
初日「紅辣椒」 最後の今日「貴州苑」
「こんなこともあるんや・・・」 -
午後6時33分 KLタワーに到着
いよいよ最後の観光となる -
パイナップルの丘」の上に立つKLタワー
丘の標高「94メートル」+タワーの高さ「421メートル」
合計515メートル
ツインタワー452メートルより高い、何か文句でも -
タワー上部に突き出た物が???
高さ300メートルからスカイダイビングの為のデッキ -
276mの展望台に登るエレベーター待ち
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展望台から周囲を見渡しての感想は
「クアラルンプールってそんな大きな都市ではないなあ」
東京や大阪と比べて -
やっぱりツインタワーは象徴だ
目立つ、存在感がある
こんなんを建てる人間は凄いといつも思う -
こういった観光名所では国別カウントをしてくれ
「只今この展望台には何ヶ国の観光客がおられます」
と、リアルタイムで、出来れば国名も -
KLタワーの電飾七変化?
小さなカシオのデジカメ
簡単操作で綺麗に撮れる -
朝から午後8時まで:19365歩 14.3km
一生涯の歩数は幾らぐらいなのかなァ~
例
『1日5,000歩×歩幅0.7m×365日×80年=102,200,000m=102,200km
これを地球1周(赤道上) 40,000kmでわると2.555周』
http://otasuke.goo-net.com/qa7663193.html
ふ~ん、人体の凄さ!生き物の凄さ、創造主は? -
ツアー最後の興味は金正男暗殺現場
「KLIA2」に足を踏み入れた瞬間分かった
「ここや!」「あそこで背後から女に襲われた」
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■クアラルンプール国際空港「KLIA2」
空港まで向かうバスの中で三波伸介再来のガイド“ポール”の渾身の営業?熱演?あり。それはバスの運転手の為の土産セールスだった。「黙々とこの三日間運転をしてくれたこのバスの運転手〇〇が、このツインタワー・フォーク土産を欲しい人に買ってもらえたら・・・とのことです。20RMです。欲しい人がいればお願いします」
運転手の為にとの熱弁だった。一組の夫婦を除いてみんな買った。私も一つ買った。品物なんてどうでもよく“ポール”の熱演に拍手だった。でも一組の夫婦は買わなかった。それまで子供に笑顔で品行方正、平和を愛する夫妻に見えていたが「何じゃ」とガッカリだった。私は一つだけだがいくつも買った夫妻もいた。良い夫婦だと思った。
こんな時は例え騙されても買えよ!たかだか600円だ。私ほどむかっ腹が立たなくてもみんな「なんや、買わんのか?」とガッカリしたと思う。運転手と“ポール”への感謝の気持ちで買った。全員が笑顔で買えばもっと気持ち良かったのに・・・。
21:12分、クアラルンプール国際空港の「KLIA2」ターミナル到着。
http://malaysiajp.com/klia/map_of_klia2.html
このターミナルは、あの金正男「暗殺現場」。到着の時は自分のいる場所も定かではなく、現場を探す時間も余裕もなかったので帰国時に必ず確認しようと思っていた。
http://toyokeizai.net/articles/-/161311
その為に日本から実行現場や正男が体調を崩し駆け込んだメディカルセンター(医務室)の写真を印刷して持って来た。そして「KLIA2」ターミナルに入ったら写真と同じ場所が直ぐに目に入り「あっ!ここや」と分かった。
エアアジア「D7-532便」関空行出発予定時刻は1:55分。それまでまだ4時間以上ある。し、しかしまたもやここでガッカリ・・・が。“ポール”が搭乗手続きから戻って来て「出発が3時間遅れになりました。原因は分からないけど・・・」とのこと。
「えっ?午前2時の3時間遅れということは午前5時発」・・・言葉もナシ。諦めるしかない。そこから遅延の為に“ポール”がエアアジアと交渉し20RMの食事券をもらうために掛け合ってくれた。ペナン島に自宅がある“ポール”は、午後11時の飛行機で帰る為に焦っていたが交渉は遅々として進まず。
一人、20RM¥600円の食事券の為に帰れなくなったら申し訳ないので、それはどうでもええのにと思ったが本人は「それはダメです」と職員と掛け合いやっと10時半頃20RMの券が我々の手に入り、“ポール”も何とか11時の便に乗れたと思う。
“ポール”と別れてツアー一行は出国手続きに向かったが私は一人「メディカルセンターを探すので・・・」と別行動となる。正男が女性に背後から襲われたのはターミナルに入ってすぐのKLIA2の案内カウンターの向こう側にある自動チェックイン機が並んでいる場所。
「へぇ~、こんなだだっ広い所で・・・」、周囲に北鮮工作員が見張っていたのだろうが、数台の監視カメラで死角なく全体が撮影可能だ。その時は多くの人がいたようだが、この時間この場所に人はいなく遮るものもなく周囲が見渡せた。
メディカルセンターの場所が分からず聞いたら一階だった。正男が歩いて行った姿しか見ていなかったので同じ階にあるのかと思っていた。エスカレーターで階下に降りたら到着時に出て来た場所だった。到着ゲートに向かって右端にメディカルセンターがある。「あっここや、写真と同じ」だった。
勝手に中に入って写真を写していたらスカーフ姿の女性職員が出てきたが、私がカメラ片手に撮影しているのを見て「またか・・・」とでも思ったのか、何も言わずに引っ込んだ。金正男がくたばって座った同じ椅子が並んでいた。同じ椅子なのでその時のままだと思う。
「金日成」→「金正日」→「金正恩」と金王朝は三代続いていはいるが、これぞ李氏朝鮮そのままで哀れなものだ。南北統一はどんな形でいつになるのか?現状の終焉はきっとあっけないと思うが日本にとって朝鮮半島がどのように変わろうとも難儀であり続けるのは変わりようがない。どこでも良いから日本列島の引っ越しを願う。
暗殺現場の確認をし写真を撮り旅の最後の目的は果たした。そして出国手続きをし20RMを使うためにレストラン街に行く。時間は11時を過ぎていた。バーガーキングでハンバーグを買って食べた。これで旅はジ・エンド。
朝までこの空港内で過ごすことになる。 -
これをプリントして持っていた
この写真では人も多いが、だだっ広い場所
360度から犯行現場を見渡せるところでか -
2017/2月13日(月)朝9時頃ここで事件は起きた
北鮮の七不思議はなぜ世襲の金王朝が続くのか?
これが朝鮮半島の伝統であり宿痾なのだろう
シナの属国、李王朝が500年続いたのと同じだ
北鮮の高齢者は日本時代をどう思う -
金正男が襲われた自動チェックイン機を背に入口方向を写す
こんなに“だだっ広~い” -
午前2時発が3時間遅れの午前5時となる
現在時午後10時30分 6時間半待ち(泣)
遅延の為に食事券を交渉する“ポール” -
VXガスで襲われた後、金正男はここまで歩いて来た
空港医務室は一階到着ゲートの端
襲われた2階からそこそこ距離はある -
この医務室内の椅子に倒れ込んだ
https://ameblo.jp/hideomurai/entry-12247977110.html
人間世界には闇が渦巻く -
この三つ並びの一番向こう側の黒い椅子にへたり込んだ
当時の椅子がそのまま置かれているようだけど・・・
女性スタッフが出てきたが何も言わず引っ込む
同じように写真を撮りに来る者が多いのだろう -
クアラルンプールに到着日、ここから入国した
この写真一番奥にメディカルセンターがある -
ツアー最後の課題 暗殺場所を確認し帰国するのみ
もらった食事券をこのバーガーキングで使う -
四国から来ていた女性二人連れの方と同席し
旅の話しをしながら、このハンバーグを食べる
まだここでの待ち時間は5時間以上ある
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