2017/07/29 - 2017/08/07
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PROGRESさん
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<ワルシャワ蜂起記念碑>第二次世界大戦末期1944年8月1日市民の手でワルシャワを解放しようと起こります。しかしドイツ軍の反撃を受けてしまい、支援するはずのソ連軍の援軍は傍観し、見殺しにされてしまいます(のちに廃墟と化したワルシャワをソ連軍は占領します)。非力な市民は、地下の下水道に隠れ、孤立した状態で約20万人もの死者を出す結果となってしまいます。ポーランド国鉄の近郊線に乗り、向かいました。
<世界遺産ワルシャワ歴史地区>バルバカン(要塞)をくぐり抜け、外壁に囲まれた旧市街に入ります。中世の建物が残っているクラクフと違い、ワルシャワは第二次世界大戦で廃墟になったので、写真の建物はほぼ全て戦後、建て直されたものです。「破壊からの復元」が評価された世界遺産になっています。広場の真ん中には市の紋章にもなっている人形像がありました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 LOTポーランド航空 ANA
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クラクフ→ワルシャワはEIP(エクスプレス・インターシティ・プレミアム)で移動しました。
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時速最大200kmの特急でクラクフ→ワルシャワを2時間半で結びます。
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乗車した時期はメンテナンスが行われており、3時間半とスピードダウン。
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日本からWebで早期割引139ズロチ(4360円)。
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1等は座席まで食事とドリンクのサービスがありました。
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PKPの短距離列車に乗り、宿泊したホテルに近いワルシャワOCHOTA駅からワルシャワSRODMIESCIE駅まで近距離列車で移動します。
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ワルシャワSRODMIESCIE駅で降り、乗り換えのため、地下鉄のCENTRUM駅へと向かいます。地下鉄に乗り、ワルシャワ蜂起記念碑を見に行きます。
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<ワルシャワ蜂起記念碑>第二次世界大戦末期1944年8月1日市民の手でワルシャワを解放しようと起こります。しかしドイツ軍の反撃を受けてしまい、支援するはずのソ連軍の援軍は傍観し、見殺しにされてしまいます(のちに廃墟と化したワルシャワをソ連軍は占領します)。非力な市民は、地下の下水道に隠れ、孤立した状態で約20万人もの死者を出す結果となってしまいます。
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訪問日は8月1日です。蜂起記念碑の前にはお花を供えに来る市民がひっきりなしで、テレビ局も来ていました。17時の黙祷の時間(追悼のためサイレンが鳴り、ワルシャワの人はみんな立ち止まって黙祷する。)は、デモ隊が目抜き通りを練り歩いて警察が出動したりしていて、いまいちよくわからなっかたです。
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<キュリー夫人の生家>ワルシャワ生まれのマリ・キュリーは女性で初めてのノーベル賞受賞、ノーベル物理学賞・化学賞と2回受賞していることで有名ですが、生家は現在、博物館となっています。
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<世界遺産ワルシャワ旧市街>バルバカン(要塞)をくぐり抜け、外壁に囲まれた旧市街に入ります。
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外壁です。
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中世の建物が残っているクラクフと違い、ワルシャワは第二次世界大戦で廃墟になったので、写真の建物はほぼ全て戦後、建て直されたものです。「破壊からの復元」が評価された世界遺産になっています。
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広場の真ん中には市の紋章にもなっている人形像がありました。
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店の外にはビールを注ぐ蛇口が見えます。
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<ワルシャワ旧王宮>ジグムント3世は16世紀にポーランドの首都をクラクフからワルシャワへ遷都します。王宮前に立つのはジグムント3世の碑です。
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美しい宮殿は第二次世界大戦でナチスドイツにより破壊されましたが、価値のある美術品は国外に持ち出されて難を逃れました。
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現在は美術品を展示した博物館となって、当時の姿を再現しています。
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最後は聖アンナ教会の鐘楼を階段で登ったところです。「白い巨塔」で放映されたシーンを思い出しました。黒木瞳・唐沢寿明さんも登った鐘楼です。
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写真は兵士とライオン像にて守られている大統領官邸です。もとは貴族の館でショパンもここで初めての演奏会を開きました。
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<ヴィジトキ教会>18世紀に後期バロック様式で建てられました。第二次世界大戦でも奇跡的に破壊されませんでした。当時学生だったショパンがオルガニストをしていたそうです。
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ヴィジトキ教会内部です。
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そして、サスキ公園に進むと、2人の衛兵が24時間交代して守る、無名戦士の墓に着きました。
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生のアコーディオン演奏!歌!街の雰囲気、素敵です。
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<聖十字架教会>パリで晩年ピアニストとして活動していたショパンは1849年肺結核にて39歳の生涯を閉じました。
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遺言に従い、彼の心臓は祖国ポーランドに持ち帰られ、この教会の写真の柱の下にアルコール漬けで埋め込まれています。第二次世界大戦で教会は一部が破壊されましたが、持ち出された心臓は、戦後、彼の命日に元の場所に戻されました。
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生家近くの宮殿跡はショパン博物館となり、沢山の遺品が展示されています。
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ショパン博物館そばの壁には楽譜がありました。
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写真は地動説を唱えたコペルニクス像。
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ワルシャワの旧市街を走る市内バスです。
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新世界通りからCENTRUM駅に向かう途中が一番のショッピング街で、賑やかでした。
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<ワジェンキ公園>ポーランド最後の王が造った公園です。園内にはバラの庭園に囲まれたショパン像があり、野外コンサートも開かれます。白い巨塔で黒木瞳・唐沢寿明さんがショパン像の前で、スケートをするシーンがあります。
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ショパン像に近づいてみました。
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「ヨーロッパでもっとも美しい公園」の名に負けない、いい雰囲気でした。
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写真のように、夏の離宮であったワジェンキ宮殿(別名水上宮殿)があります。
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<ワルシャワ文化科学宮殿>スターリン時代、ソビエト連邦からポーランド人民への贈与という形で1955年に竣工しました。ワルシャワのランドマークとなったものの、美しいワルシャワの街にふさわしくないスターリン様式は市民に不評でした。
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続いて昼間の姿です。東欧革命後、ワルシャワに西側資本が進出して高層建築が増加しており、スターリン宮殿も埋もれてきた感があります。
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<ポーランド料理>ワルシャワで数店舗あるポーランド料理のザピエチェクに行きました。ウエイトレスが民族衣装です。
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写真の「ジューレック」というライ麦を発酵したスープは定番です。ポーランドのスープは酸味が効いていて外れがなく、別の店で食べた「フラキ」というモツ煮込みスープも美味しかったです。
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ここの「ピエロギ」(ポーランド風水餃子の様なもの)はかなり塩辛く、最後は罰ゲームみたいでした。餃子の外見から、中華風な味付けを期待しているので落差が大きいです。
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ワルシャワの地下鉄です。開業当初から走っている旧ソ連製の無骨な車両です。
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こちらはドイツ・シーメンス製の新型車両(乗降ドアが全面ガラス張り)。対比が興味深いです
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ドイツ・シーメンス製新型車両の車内です。
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地下鉄の駅名が、壁に見事にデザインされていました。
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宿泊したホテルGOLDEN TULIPです。
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GOLDEN TULIPの朝食です。
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<EN57型電車>社会主義時代1961年から30年にわたり1412編成が製造されました。吊り掛け駆動の重低音を響かせながら、都市近郊輸送に活躍していました。
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更新車(前面1枚窓の車両)はインバーター制御に改造されて内装も写真のように綺麗です。
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最新鋭車両(別の形式)は流線形のデザインです。
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最後の写真はポーランドの通貨(1ズロチ=30円)です。
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