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4回目のスペイン。今回タラゴナ県には立ち寄らなかったが、仏領カタルーニャを含めたカタルーニャ地方のロマネスクの教会を訪ね歩く。<br />【旅程】--------------------------------------------------<br />11/3(金)~11/11(土) 7泊9日<br /> 1日目  羽田→バルセロナ(カルドナ泊)<br /> 2日目  アルティエス<br /> 3日目  フォア<br /> 4日目  アルジュレス=シュール=ラメール<br /> 5日目  アルジュレス=シュール=ラメール<br /> 6日目  ベサルー<br /> 7日目  ペラタリャーダ<br /> 8日目  ペラタリャーダ→バルセロナ→フランクフルト→羽田<br /> 9日目  帰国

2017カタルーニャ紀行 ウニャ(Unha)

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2017/11/03 - 2017/11/11

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クリス

クリスさん

4回目のスペイン。今回タラゴナ県には立ち寄らなかったが、仏領カタルーニャを含めたカタルーニャ地方のロマネスクの教会を訪ね歩く。
【旅程】--------------------------------------------------
11/3(金)~11/11(土) 7泊9日
 1日目  羽田→バルセロナ(カルドナ泊)
 2日目  アルティエス
 3日目  フォア
 4日目  アルジュレス=シュール=ラメール
 5日目  アルジュレス=シュール=ラメール
 6日目  ベサルー
 7日目  ペラタリャーダ
 8日目  ペラタリャーダ→バルセロナ→フランクフルト→羽田
 9日目  帰国

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • この日は11月5日の日曜日になる。<br />朝9時に始まる朝食を食べる際に、お昼のランチボックスも用意した。<br />スタートしたのは9時半過ぎ、まずはガロンヌ川の上流あるサラルドゥ(Salardú)の町を通り過ぎ、ウニャ(Unha)の村に行く。<br />アルティエスからは4km程の至近距離だ。<br />ウンハと読めるが、地元ではウニャと呼ぶらしい。<br />海抜1200m。人口は112人(wiki,2010年調べ)とあるが、B&amp;B等が何件か立ち並ぶ先に広い駐車場があった。

    この日は11月5日の日曜日になる。
    朝9時に始まる朝食を食べる際に、お昼のランチボックスも用意した。
    スタートしたのは9時半過ぎ、まずはガロンヌ川の上流あるサラルドゥ(Salardú)の町を通り過ぎ、ウニャ(Unha)の村に行く。
    アルティエスからは4km程の至近距離だ。
    ウンハと読めるが、地元ではウニャと呼ぶらしい。
    海抜1200m。人口は112人(wiki,2010年調べ)とあるが、B&B等が何件か立ち並ぶ先に広い駐車場があった。

  • 通り名がCarrèr Major(中央通り?)とあるから、たぶん村のメインストリートだろう。

    通り名がCarrèr Major(中央通り?)とあるから、たぶん村のメインストリートだろう。

  • 村の南端に尖塔が見えるので、その塔を目指して進む。<br />急斜面を走る階段の先に教会が見えてきた。

    村の南端に尖塔が見えるので、その塔を目指して進む。
    急斜面を走る階段の先に教会が見えてきた。

  • 階段が見えるが急そうなので、脇の坂道から迂回して頂上を目指す。

    階段が見えるが急そうなので、脇の坂道から迂回して頂上を目指す。

  • 坂から眺める村は、こんな感じ。

    坂から眺める村は、こんな感じ。

  • 村の頂にある教会は、サンタ・エウラリア(Santa Eulàlia)教会という。内部に12世紀中頃といわれるフレスコ画(アラン谷では唯一とある)があるのだが、残念ながら閉まっていた。<br />

    村の頂にある教会は、サンタ・エウラリア(Santa Eulàlia)教会という。内部に12世紀中頃といわれるフレスコ画(アラン谷では唯一とある)があるのだが、残念ながら閉まっていた。

  • サンタ・エウラリア教会は12世紀建造のロマネスク。<br />写真脇にプレート表示があった。

    サンタ・エウラリア教会は12世紀建造のロマネスク。
    写真脇にプレート表示があった。

  • 1944年フランスの約5,000人といわれるレジスタンスの軍勢(スペイン共産党の指導といわれている)がアラン谷に侵攻した。<br />当時のフランコ政権は中立を保っていたが枢軸側と思われていた。<br />この侵攻はドイツ軍の劣勢が明らかになる時期に、独自でスペインの政権打倒を企てた行動であった。<br />ヴィエラを支配下に置きサラルドゥまで侵攻した勢力を10月19日この地において反撃撃退した記念のプレートのようである。

    1944年フランスの約5,000人といわれるレジスタンスの軍勢(スペイン共産党の指導といわれている)がアラン谷に侵攻した。
    当時のフランコ政権は中立を保っていたが枢軸側と思われていた。
    この侵攻はドイツ軍の劣勢が明らかになる時期に、独自でスペインの政権打倒を企てた行動であった。
    ヴィエラを支配下に置きサラルドゥまで侵攻した勢力を10月19日この地において反撃撃退した記念のプレートのようである。

  • 後陣の円筒形3アプトはオリジナルの姿を留めている。ロンバルデイア帯の半円アーチの下に装飾文様が施されているのがわかる。

    後陣の円筒形3アプトはオリジナルの姿を留めている。ロンバルデイア帯の半円アーチの下に装飾文様が施されているのがわかる。

  • この地に多い八角形の鐘楼は、18世紀の後付けの物だという。

    この地に多い八角形の鐘楼は、18世紀の後付けの物だという。

  • 教会脇の墓地からの眺め。この方向はピレネー最高峰アネト山の方向だが、何も見えない。

    教会脇の墓地からの眺め。この方向はピレネー最高峰アネト山の方向だが、何も見えない。

  • 墓地からサラルドゥの町を眺める。次はサラルドゥに行く。

    墓地からサラルドゥの町を眺める。次はサラルドゥに行く。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • shinkaiさん 2017/12/01 00:57:45
    ウニャ
    なんとなく可笑しな印象を受ける土地名ですが、何という意味でしょう?

    人口112人にしては町の規模が大きいというか、かなり整理されている様子ですから、きっとこの教会を見る為にかなりの観光客が訪れるのでしょうね。

    教会の石が何とも良い、積年の色、形ですねぇ。 
    レジスタンスとの戦いのどさくさに、破壊されなくて良かった!

    クリス

    クリスさん からの返信 2017/12/01 17:22:01
    RE: ウニャ
    誰かに聞いた訳ではありませんが、おそらくuno「1つ」から来ているのだと理解しています。アラネーズなのかカタロニア語なのかもわからないですけれど。
    この近くに大きなスキー場があるので冬はスキー客が中心です。その点はサラルドゥも同様です。夏は登山などの滞在型リーゾートですね。アラン谷は峠を超えてウルヘルまでつながっています。ボイ谷はアネト山にトンネルが出来るまでフランスとの接点がなかったんです。
    レジスタンスもボイ谷方向へはトンネル封鎖で行けなかったんですね。そしてウニャは丘の上なので、登ってくる勢力を迎え撃つには絶好の位置だったのだと。被害が出なくて幸いでした。

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