名古屋旅行記(ブログ) 一覧に戻る
名古屋市東区の東桜2丁目にある、清州越しのお寺の一つ、日蓮宗の一乗山・法輪寺の紹介です。かつては東寺町と呼ばれていた一角にあった、法華寺町にあったお寺です。(ウィキペディア)

2012春、清州越しの東寺町(4/11):一乗山・法輪寺:法華寺町石碑、薬医門の山門、本堂

10いいね!

2012/05/20 - 2012/05/20

3200位(同エリア5910件中)

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

名古屋市東区の東桜2丁目にある、清州越しのお寺の一つ、日蓮宗の一乗山・法輪寺の紹介です。かつては東寺町と呼ばれていた一角にあった、法華寺町にあったお寺です。(ウィキペディア)

交通手段
私鉄 徒歩
  • 『法華寺町』の題字があった石標の光景です。この後紹介する、『法輪寺・山主』の名前で設置されていました。慶長15年(1610年)から始まった名古屋城とその城下町造りの紹介でした。南寺町(現在の中区大須周辺)に約50カ寺、東寺町(東区東桜周辺)には、約40カ寺が配置され、この法華寺町には18カ寺が配置され、その一覧が記してありました。

    『法華寺町』の題字があった石標の光景です。この後紹介する、『法輪寺・山主』の名前で設置されていました。慶長15年(1610年)から始まった名古屋城とその城下町造りの紹介でした。南寺町(現在の中区大須周辺)に約50カ寺、東寺町(東区東桜周辺)には、約40カ寺が配置され、この法華寺町には18カ寺が配置され、その一覧が記してありました。

  • 法輪寺の敷地らしい場所に置かれていた、『南無妙法蓮華経』の文字が刻まれた、題目碑の光景です。『髭文字』と呼ばれる独特の書体が金文字に加工されていました。

    法輪寺の敷地らしい場所に置かれていた、『南無妙法蓮華経』の文字が刻まれた、題目碑の光景です。『髭文字』と呼ばれる独特の書体が金文字に加工されていました。

  • 日蓮宗のお寺、法輪寺の山門前にあった、『法輪寺』の石標の光景です。ダイナミックな姿の自然石が使われていました。ネット情報にあった。法輪寺の縁起です。『清須より、元和6年(1615年)現在地へ移る。延宝7年(1679年)今の寺号に改めた。嘉永5年(1852年)本堂より出火し、門などを残して焼失し、その後再建された。一間薬医門である』と紹介されていました。また、江戸末期に書かれた『名古屋城下図』には、『大法寺』とは地続きで南隣と紹介されていました。

    イチオシ

    日蓮宗のお寺、法輪寺の山門前にあった、『法輪寺』の石標の光景です。ダイナミックな姿の自然石が使われていました。ネット情報にあった。法輪寺の縁起です。『清須より、元和6年(1615年)現在地へ移る。延宝7年(1679年)今の寺号に改めた。嘉永5年(1852年)本堂より出火し、門などを残して焼失し、その後再建された。一間薬医門である』と紹介されていました。また、江戸末期に書かれた『名古屋城下図』には、『大法寺』とは地続きで南隣と紹介されていました。

  • ネット情報で『一間薬医門』と紹介されていた、法輪寺の山門光景です。柱、壁面ともに、ベンガラ色に塗色されていました。立入り禁止の柵がありましたが、境内を撮影することができました。

    ネット情報で『一間薬医門』と紹介されていた、法輪寺の山門光景です。柱、壁面ともに、ベンガラ色に塗色されていました。立入り禁止の柵がありましたが、境内を撮影することができました。

  • 『一間薬医門』の山門の屋根のズームアップ光景です。『薬医門』とは、本柱の後方に控え柱を立て、その上に女梁(めうつばり)・男梁(おうつばり)をかけ、切妻屋根をのせた門のことです。薬医門には一間一戸と三間一戸の造りがあり、一間の門は本柱が二本でその間が一つ、三間の門は本柱が四本でその間が三つです。『間』は長さの単位ではありません。

    『一間薬医門』の山門の屋根のズームアップ光景です。『薬医門』とは、本柱の後方に控え柱を立て、その上に女梁(めうつばり)・男梁(おうつばり)をかけ、切妻屋根をのせた門のことです。薬医門には一間一戸と三間一戸の造りがあり、一間の門は本柱が二本でその間が一つ、三間の門は本柱が四本でその間が三つです。『間』は長さの単位ではありません。

  • 山門の前から眺めた、本堂の甍光景です。大棟に『一乗山』の山号が記されていました。写真の上部に写っているのが、薬医門の軒の一部です。

    イチオシ

    山門の前から眺めた、本堂の甍光景です。大棟に『一乗山』の山号が記されていました。写真の上部に写っているのが、薬医門の軒の一部です。

  • 『一乗山・法輪寺』の本堂のズームアップ光景です。第二次大戦の戦火を潜り抜けた木造の建物か、戦後に再建された建物かは分かりませんでした。ネット情報で調べた限りでは、嘉永5年(1852年)に本堂から出火し、焼失した後に再建された本堂以外の情報は見つかりませんでした。

    『一乗山・法輪寺』の本堂のズームアップ光景です。第二次大戦の戦火を潜り抜けた木造の建物か、戦後に再建された建物かは分かりませんでした。ネット情報で調べた限りでは、嘉永5年(1852年)に本堂から出火し、焼失した後に再建された本堂以外の情報は見つかりませんでした。

  • 『一乗山・法輪寺』の境内光景です。庭石と庭木が配された和風庭園になっていました。背後に見えているのは本堂です。第二次大戦の戦火を潜り抜けた建物ですと、金属製の手摺りは、近年のバリアフリーの工事で施されたものかもしれません。

    『一乗山・法輪寺』の境内光景です。庭石と庭木が配された和風庭園になっていました。背後に見えているのは本堂です。第二次大戦の戦火を潜り抜けた建物ですと、金属製の手摺りは、近年のバリアフリーの工事で施されたものかもしれません。

  • 春日灯篭タイプの石灯篭の光景です。法輪寺に隣接する木造建築の大法寺は第二次大戦の戦火を免れたことが分かりましたが、法輪寺に関しては分かりませんでした。

    春日灯篭タイプの石灯篭の光景です。法輪寺に隣接する木造建築の大法寺は第二次大戦の戦火を免れたことが分かりましたが、法輪寺に関しては分かりませんでした。

  • 本堂の片隅に設けられていた階段の光景です。この造りから判断しますと、基礎部分などは、戦後に再建された鉄筋コンクリート造りの建物に見えます。回廊が板張りではなく、コンクリート製のようでした。

    本堂の片隅に設けられていた階段の光景です。この造りから判断しますと、基礎部分などは、戦後に再建された鉄筋コンクリート造りの建物に見えます。回廊が板張りではなく、コンクリート製のようでした。

  • 右端が、『一間薬医門』の造りの山門の屋根。奥に見えるのが本堂の甍の光景です。左手前に、南無妙法蓮華経の文字が刻まれた題目碑がありました。

    右端が、『一間薬医門』の造りの山門の屋根。奥に見えるのが本堂の甍の光景です。左手前に、南無妙法蓮華経の文字が刻まれた題目碑がありました。

  • 南無妙法蓮華経の文字が刻まれた題目碑の上部と、庭木のズームアップ光景です。大木に育った庭木は、剪定を繰り返されていました。

    南無妙法蓮華経の文字が刻まれた題目碑の上部と、庭木のズームアップ光景です。大木に育った庭木は、剪定を繰り返されていました。

  • ズームアップした、『一間薬医門』の造りの山門光景です。その手前にあった門被りの松が新芽を出していました。

    ズームアップした、『一間薬医門』の造りの山門光景です。その手前にあった門被りの松が新芽を出していました。

10いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP