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 名古屋市東区にある日蓮宗のお寺、恵眼山・真柳寺の紹介です。慶長12年(1605年)に法華寺六世真柳院日動上人によって創建され、以来法華寺の末寺となりました。本堂は幕末の嘉永6年に焼失、2年後に再建されました。

2012春、清州越しの東寺町散策(9):5月20日(9):恵眼山・真柳寺:真柳寺表札、山門、境内、本堂、二度の焼失があったお寺

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2012/05/20 - 2012/05/20

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 名古屋市東区にある日蓮宗のお寺、恵眼山・真柳寺の紹介です。慶長12年(1605年)に法華寺六世真柳院日動上人によって創建され、以来法華寺の末寺となりました。本堂は幕末の嘉永6年に焼失、2年後に再建されました。

交通手段
私鉄

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  • 東区二丁目にある日蓮宗のお寺、『恵眼山・真柳寺(しんりゅうじ)』の山門光景です。本堂は幕末の嘉永6年に焼失、第二次大戦時の名古屋大空襲でも被害を受けました。

    イチオシ

    東区二丁目にある日蓮宗のお寺、『恵眼山・真柳寺(しんりゅうじ)』の山門光景です。本堂は幕末の嘉永6年に焼失、第二次大戦時の名古屋大空襲でも被害を受けました。

  • 『日蓮宗・真柳寺』の文字が記された表札のズームアップ光景です。山号は、恵眼山です。中興は第六世の恵眼山日侃上人、現在は第三十五世の中尾鳳武住職です。山号は中興の第六世の恵眼山日侃上人に因むようです。

    『日蓮宗・真柳寺』の文字が記された表札のズームアップ光景です。山号は、恵眼山です。中興は第六世の恵眼山日侃上人、現在は第三十五世の中尾鳳武住職です。山号は中興の第六世の恵眼山日侃上人に因むようです。

  • 蓮座の上に置かれた、『南無妙法蓮華経』の髭文字が記された題目碑の光景です。側面に『天四海皆帰妙法』の文字がありました。<br />

    蓮座の上に置かれた、『南無妙法蓮華経』の髭文字が記された題目碑の光景です。側面に『天四海皆帰妙法』の文字がありました。

  • 山門の扉は閉まっていましたが、境内の一部を眺めることができました。昭和20年(1945年)3月19日に名古屋大空襲により、幕末時に続く二度目の焼失をしました。その後、昭和46年(1971年)に庫裡が新築され、境内も整備されました。昭和28~29年頃に、名古屋市の都市計画に基づく墓地の移転により、名古屋市東部の平和公園に墓地が遷されました。

    山門の扉は閉まっていましたが、境内の一部を眺めることができました。昭和20年(1945年)3月19日に名古屋大空襲により、幕末時に続く二度目の焼失をしました。その後、昭和46年(1971年)に庫裡が新築され、境内も整備されました。昭和28~29年頃に、名古屋市の都市計画に基づく墓地の移転により、名古屋市東部の平和公園に墓地が遷されました。

  • 山門から眺めた境内光景です。昭和34年(1959年)9月に、未曾有の災害をもたらした伊勢湾台風で仮本堂も一瞬で全壊しました。その後、昭和54年に老朽化して崩壊寸前となった山門の改築が行なわれ、あわせて屋根の葺き替え・門塀の改装、庫裡の一部が増築され、ほぼ現在の形にまで復興されました。

    山門から眺めた境内光景です。昭和34年(1959年)9月に、未曾有の災害をもたらした伊勢湾台風で仮本堂も一瞬で全壊しました。その後、昭和54年に老朽化して崩壊寸前となった山門の改築が行なわれ、あわせて屋根の葺き替え・門塀の改装、庫裡の一部が増築され、ほぼ現在の形にまで復興されました。

  • 右端に見えるのが山門の屋根、その周りにあった本瓦を載せた土塀の光景です。少し青色が入った不思議な色に塗色されていました。

    右端に見えるのが山門の屋根、その周りにあった本瓦を載せた土塀の光景です。少し青色が入った不思議な色に塗色されていました。

  • 本瓦葺きの山門の屋根のズームアップ光景です。崩壊寸前でしたが、昭和54年(1879年)に改修された山門と、同寺のHPに紹介されていました。

    本瓦葺きの山門の屋根のズームアップ光景です。崩壊寸前でしたが、昭和54年(1879年)に改修された山門と、同寺のHPに紹介されていました。

  • 古樹の根元付近の光景です。樹種は分かりませんでした。葉に厚みが少ない感じもしましたが、強いて推定するなら、クロガネモチ(黒鉄黐)当たりでしょうか。根元付近には、幹の腐食を食い止めるための措置が施されているようでした。

    古樹の根元付近の光景です。樹種は分かりませんでした。葉に厚みが少ない感じもしましたが、強いて推定するなら、クロガネモチ(黒鉄黐)当たりでしょうか。根元付近には、幹の腐食を食い止めるための措置が施されているようでした。

  • 地蔵堂などで見かけることが多い、少し小さめの堂宇の光景のように見えましたが、ネット情報では、本堂のようでした。『環境・平和・命を守ろう、日蓮宗』の横断幕がありました。

    イチオシ

    地蔵堂などで見かけることが多い、少し小さめの堂宇の光景のように見えましたが、ネット情報では、本堂のようでした。『環境・平和・命を守ろう、日蓮宗』の横断幕がありました。

  • 少し小さめの堂宇の屋根のズームアップ光景です。東寺町の紹介です。徳川家康は名古屋城下を防備するため 西、南、東に寺町を建設しました。その一つ東寺町は駿河町を起点とする飯田街道(駿河街道)に交差する禅寺町筋と法華寺町筋に沿って寺院群が構成されました。北は現在の桜通、南は瓦町あたりまでにまたがり、大きな門前町を形成していました。

    少し小さめの堂宇の屋根のズームアップ光景です。東寺町の紹介です。徳川家康は名古屋城下を防備するため 西、南、東に寺町を建設しました。その一つ東寺町は駿河町を起点とする飯田街道(駿河街道)に交差する禅寺町筋と法華寺町筋に沿って寺院群が構成されました。北は現在の桜通、南は瓦町あたりまでにまたがり、大きな門前町を形成していました。

  • 表通りに面した表示された、『日蓮宗・真柳寺』の文字です。建物も表示も、再建途中の仮施設のように見えました。

    表通りに面した表示された、『日蓮宗・真柳寺』の文字です。建物も表示も、再建途中の仮施設のように見えました。

  • 町中にあった東寺町、現在の東桜2丁目付近の案内地図です。この区域の主なお寺を主体に紹介されていました。現在地はエリアの東南角付近の真柳寺付近です。

    町中にあった東寺町、現在の東桜2丁目付近の案内地図です。この区域の主なお寺を主体に紹介されていました。現在地はエリアの東南角付近の真柳寺付近です。

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