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岬の上の高台から眼下の大和村を見下ろし、その先の幾重にも重なる半島を眺め、坂を下り降りると戸円の集落に出る。この戸円が大和村の中心集落かどうかは分からないが、坂を下って最初に目にしたのが、道路の右側に見える学校校舎だ。建物はかなり新しく見えるが、何か雰囲気が違う。小学校であれば児童の賑やかな声とか校庭で遊ぶ子供たちの姿。それ等の生命体の動きの全くない、静止した風景画を見ているような感覚だ。そう、この学校は建物は新しくても、児童の全くいない廃校になっているのだ。<br /><br />この大和村は一つの入り江ごとに集落があって、数百戸の小さな部落が、軒先を重ねるようにしてかたまっている。峠や岬を越えるごとにそれ等の集落が現れる。山が海の間近まで迫っているので、耕作地は少なく、何か栽培できるとしても、自家用の家庭菜園程度だろう。その多くは、目の前の海に出て、漁業、漁労で生計を立てているに違いない。だから入り江の端のどこかにはそうした漁船用の小さな埠頭が造られているが、停泊している漁船の数は少ない。コンクリートの人工埠頭に似合わず船の数は希薄だ。どこの集落も人口減で、漁船の数も減っているのだろう。<br /><br />この県道79号線が何時頃建設・開通したのかは知らないが、この学校もこの道路が出来た直後頃に海沿いの空き地に新たな校舎として建築されたに違いない。校門のプレートを見ると戸円小中学校、昭和58年築とある。第2次ベビーブームの頃でこの戸円の集落も人口が増えていたのだろう。県道が開通し、周辺の集落からも通学できるようにと、この場所に大和村立の小・中学校が建築されたのだ。しかし今は又人口減、過疎化の波に洗われ、入学児童数も減って、何時の頃か廃校になった。<br /><br />県道を隔てて山側には、数百戸の家並みが見える。だが人影は見えない。空き家なのか無人なのか、この学校のように生活音も聞こえない。小中学校の向かいにバス停があり、見ると日に数本のバスが名瀬と瀬戸田の間を往復している。この集落に今何人の人が生活しているのか知らないが、高齢者にとってはバス便は生活の足だ。ストップされたら町の病院へも行くことができなくなる。<br /><br />バス停の横には無人の野菜販売棚がある。大根ニンジン、胡瓜ナス。値段も100円とか120円、産地直売の野菜販売コーナーだが、もう何年も使われていないようだ。又、バス停の前には西部劇に出てきそうなオープンカフェがある。夏場には開いているのか、今は無人で、カウベルのような大きな風鈴が風に吹かれて揺れている。店の名前を見ると「ウエスターナーズカフェ」とある。地元の若者なのか、アメリカ帰りなのか、地元に根を生やし、少しでも地元の活性化に役立とうと始めたに違いない。<br /><br />昭和58年。自分が田舎の高校を出て、東京の大学に入った年だ。丁度その頃、自分の田舎の小中学校も新築された。その頃の日本は輝き、Rising Sun,人々は希望に満ち溢れていた。田舎から都会に飛び出し、人生の成功を夢見ていた。この戸円小中学校を巣立った多くもこの集落を離れ、名瀬や鹿児島、福岡、大阪、東京へと羽ばたいた。今はもう人生の後半、還暦前後にはなっているだろう。毎年この集落に帰り、両親を見舞う人もいるだろう。何十年ぶりに帰郷する卒業生もいるだろう。そして、今もここにこうしてに立ち続けている学校校舎を眺め、多くの事を思い出すに違いない。鄙の記憶、がここにある。<br />

奄美の3日間(6)大和村・戸円集落。鄙の記憶。

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2017/11/15 - 2017/11/17

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ちゃお

ちゃおさん

岬の上の高台から眼下の大和村を見下ろし、その先の幾重にも重なる半島を眺め、坂を下り降りると戸円の集落に出る。この戸円が大和村の中心集落かどうかは分からないが、坂を下って最初に目にしたのが、道路の右側に見える学校校舎だ。建物はかなり新しく見えるが、何か雰囲気が違う。小学校であれば児童の賑やかな声とか校庭で遊ぶ子供たちの姿。それ等の生命体の動きの全くない、静止した風景画を見ているような感覚だ。そう、この学校は建物は新しくても、児童の全くいない廃校になっているのだ。

この大和村は一つの入り江ごとに集落があって、数百戸の小さな部落が、軒先を重ねるようにしてかたまっている。峠や岬を越えるごとにそれ等の集落が現れる。山が海の間近まで迫っているので、耕作地は少なく、何か栽培できるとしても、自家用の家庭菜園程度だろう。その多くは、目の前の海に出て、漁業、漁労で生計を立てているに違いない。だから入り江の端のどこかにはそうした漁船用の小さな埠頭が造られているが、停泊している漁船の数は少ない。コンクリートの人工埠頭に似合わず船の数は希薄だ。どこの集落も人口減で、漁船の数も減っているのだろう。

この県道79号線が何時頃建設・開通したのかは知らないが、この学校もこの道路が出来た直後頃に海沿いの空き地に新たな校舎として建築されたに違いない。校門のプレートを見ると戸円小中学校、昭和58年築とある。第2次ベビーブームの頃でこの戸円の集落も人口が増えていたのだろう。県道が開通し、周辺の集落からも通学できるようにと、この場所に大和村立の小・中学校が建築されたのだ。しかし今は又人口減、過疎化の波に洗われ、入学児童数も減って、何時の頃か廃校になった。

県道を隔てて山側には、数百戸の家並みが見える。だが人影は見えない。空き家なのか無人なのか、この学校のように生活音も聞こえない。小中学校の向かいにバス停があり、見ると日に数本のバスが名瀬と瀬戸田の間を往復している。この集落に今何人の人が生活しているのか知らないが、高齢者にとってはバス便は生活の足だ。ストップされたら町の病院へも行くことができなくなる。

バス停の横には無人の野菜販売棚がある。大根ニンジン、胡瓜ナス。値段も100円とか120円、産地直売の野菜販売コーナーだが、もう何年も使われていないようだ。又、バス停の前には西部劇に出てきそうなオープンカフェがある。夏場には開いているのか、今は無人で、カウベルのような大きな風鈴が風に吹かれて揺れている。店の名前を見ると「ウエスターナーズカフェ」とある。地元の若者なのか、アメリカ帰りなのか、地元に根を生やし、少しでも地元の活性化に役立とうと始めたに違いない。

昭和58年。自分が田舎の高校を出て、東京の大学に入った年だ。丁度その頃、自分の田舎の小中学校も新築された。その頃の日本は輝き、Rising Sun,人々は希望に満ち溢れていた。田舎から都会に飛び出し、人生の成功を夢見ていた。この戸円小中学校を巣立った多くもこの集落を離れ、名瀬や鹿児島、福岡、大阪、東京へと羽ばたいた。今はもう人生の後半、還暦前後にはなっているだろう。毎年この集落に帰り、両親を見舞う人もいるだろう。何十年ぶりに帰郷する卒業生もいるだろう。そして、今もここにこうしてに立ち続けている学校校舎を眺め、多くの事を思い出すに違いない。鄙の記憶、がここにある。

旅行の満足度
5.0
  • 峠の坂道の途中からも青々とした東シナ海が見渡せた。

    峠の坂道の途中からも青々とした東シナ海が見渡せた。

  • 坂を下って最初に目にしたのは、県道右手に建っている学校校舎だ。

    坂を下って最初に目にしたのは、県道右手に建っている学校校舎だ。

  • 見ると、大和村立戸円小中学校。昭和58年築とある。だが、今はもう廃校だ。

    見ると、大和村立戸円小中学校。昭和58年築とある。だが、今はもう廃校だ。

  • 学校の前にはバス停があり、無人の野菜販売コーナーがあった。だが、もう何年も使用されていないようだ。

    学校の前にはバス停があり、無人の野菜販売コーナーがあった。だが、もう何年も使用されていないようだ。

  • バス停の前には西部劇に出てきそうなカフェがある。店名を見ると「ウエスターナーズ・カフェ」とある。

    バス停の前には西部劇に出てきそうなカフェがある。店名を見ると「ウエスターナーズ・カフェ」とある。

  • 大和村戸円の集落。この奥の山中に湯湾岳の森林公園、奄美フォレストポリスがある。

    大和村戸円の集落。この奥の山中に湯湾岳の森林公園、奄美フォレストポリスがある。

  • 戸円の浜辺。左奥の細長い岬が峠から見下ろした砂州だ。

    戸円の浜辺。左奥の細長い岬が峠から見下ろした砂州だ。

  • 戸円小学校の直ぐ前の浜辺。子供達もこの浜辺、岩場で遊んだに違いない。

    戸円小学校の直ぐ前の浜辺。子供達もこの浜辺、岩場で遊んだに違いない。

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