五島列島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
11月1日から4日にかけて、<br />長崎五島福江島・<br />長崎市内西坂近辺・<br />並びに大村市の<br />キリスト教関連施設を訪問した。<br /><br />長崎キリシタン関連施設を訪問したいと<br />思ったのは、他でもない。<br /><br />3か月前プラハのカレル橋で、<br />日本にキリスト教を伝来させたザヴィェル像を<br />見ているうちに、思いついたのである。<br /><br />それまでも、若桑みどり氏や松田毅一氏の<br />著作天正遣欧使節に関する本、<br />ルイス・フロイスの「日本史」を読んでいて、<br />興味があったことも関係する。<br /><br />加えて、当方は15歳までを長崎県で過ごし、<br />故郷を改めてキリスト教関連施設という<br />テーマで振り返ることも自分を見つめ直す<br />良い機会ではないかと考えた。<br />父母の本籍である島原や北有馬では、<br />江戸時代初期島原の乱がおこった。<br />また、親せき筋の在住する大村では<br />1657年郡くずれという未曾有の<br />キリシタン弾圧事件が起こっている。<br /><br />日程は<br />11月1日2日ー福江にて2泊<br />11月3日ー長崎市内西坂など見て、大村市にて1泊<br />11月4日ー大村市内のキリスト教関連跡地などレンタカーで見てまわり<br />4日当日の<br />最終便で羽田到着、深夜自宅帰着とした。<br /><br />五島列島にキリスト教が入るのは、<br />1566年(ザヴィェルが伝来させて後17年後)の<br />ことである。<br />ルイス・デ・アルメイダが、日本人ロレンソを伴って<br />福江島にやってきた。<br /><br /><br />(福江港桟橋に到着すると、<br />既に福江観光タクシーの辻氏が迎えに来ていた。<br />早速乗り込んで、本日の行き先など調整した。)<br />(明日もこの観光タクシーを利用する)<br /><br />写真は、堂崎天主堂の<br />ファサードである。<br />福江市奥浦地区にある<br />堂崎教会であるが、<br />1566年初めて五島奥浦に<br />来たポルトガル人<br />ルイス・デ・アルメイダとは<br />どのような人物だったろうか。<br /><br />ザヴィェルが日本にキリスト教を<br />齎した1549年の3年後、<br />1552年に27歳の一人のポルトガルの<br />青年が長崎に上陸する。<br />大航海時代のポルトガル人の典型<br />金もうけのためなら荒れ狂う海も<br />凶暴な海賊ももろともせずに<br />やってきたこの男こそ<br />ルイス・デ・アルメイダだった。<br /><br />リスボンから船に乗り<br />アジアでの一攫千金を夢にみて、<br />インドのゴア、更に中国マカオに<br />行き、中国で生糸を仕入れ、日本で<br />売りさばくために日本へ<br />やってきた。日本へ来た当初は<br />金もうけが目的だった。<br />30歳時には、もう巨万の富を<br />蓄えていた。<br /><br />ところが、<br />この男、<br />仲介貿易で巨利を掴んだのにも<br />関わらず、祖国ポルトガルから<br />遠い島国日本で、その全財産を投げうち、<br />貧者たちの救済に目覚めて献身し、<br />おまけに、終いには<br />日本に骨までうずめてしまうのである。<br /><br />アルメイダは、<br />日本に28年間も滞在して、日本で死んだ。<br />アルメイダは、当時の世界で起こっている<br />投機的な世界経済とキリスト教布教の双方を<br />一身に体現しているようだ。<br />医者でもあったアルメイダ、<br />大分では、貧民救済の救護院という病院まで、<br />自分の負担で作り上げている。<br /><br />大もうけをした野心家の若者が<br />聖人ザヴィェルの死を聞いて<br />劇的に回心し、ザヴィェルのなせなかった日本での<br />魂の救済に目覚めたのかも知れない。<br /><br />ともかくも、<br />こういう人物が五島にやってきて、<br />キリスト教カトリックを布教して行くのである。<br />

長崎五島福江島・長崎西坂近辺・長崎大村市のキリシタン関連地極私的探訪記(福江島その①堂崎天主堂・福江市内、ルイス・デ・アルメイダのことなど)

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2017/11/01 - 2017/11/04

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わき

わきさん

11月1日から4日にかけて、
長崎五島福江島・
長崎市内西坂近辺・
並びに大村市の
キリスト教関連施設を訪問した。

長崎キリシタン関連施設を訪問したいと
思ったのは、他でもない。

3か月前プラハのカレル橋で、
日本にキリスト教を伝来させたザヴィェル像を
見ているうちに、思いついたのである。

それまでも、若桑みどり氏や松田毅一氏の
著作天正遣欧使節に関する本、
ルイス・フロイスの「日本史」を読んでいて、
興味があったことも関係する。

加えて、当方は15歳までを長崎県で過ごし、
故郷を改めてキリスト教関連施設という
テーマで振り返ることも自分を見つめ直す
良い機会ではないかと考えた。
父母の本籍である島原や北有馬では、
江戸時代初期島原の乱がおこった。
また、親せき筋の在住する大村では
1657年郡くずれという未曾有の
キリシタン弾圧事件が起こっている。

日程は
11月1日2日ー福江にて2泊
11月3日ー長崎市内西坂など見て、大村市にて1泊
11月4日ー大村市内のキリスト教関連跡地などレンタカーで見てまわり
4日当日の
最終便で羽田到着、深夜自宅帰着とした。

五島列島にキリスト教が入るのは、
1566年(ザヴィェルが伝来させて後17年後)の
ことである。
ルイス・デ・アルメイダが、日本人ロレンソを伴って
福江島にやってきた。


(福江港桟橋に到着すると、
既に福江観光タクシーの辻氏が迎えに来ていた。
早速乗り込んで、本日の行き先など調整した。)
(明日もこの観光タクシーを利用する)

写真は、堂崎天主堂の
ファサードである。
福江市奥浦地区にある
堂崎教会であるが、
1566年初めて五島奥浦に
来たポルトガル人
ルイス・デ・アルメイダとは
どのような人物だったろうか。

ザヴィェルが日本にキリスト教を
齎した1549年の3年後、
1552年に27歳の一人のポルトガルの
青年が長崎に上陸する。
大航海時代のポルトガル人の典型
金もうけのためなら荒れ狂う海も
凶暴な海賊ももろともせずに
やってきたこの男こそ
ルイス・デ・アルメイダだった。

リスボンから船に乗り
アジアでの一攫千金を夢にみて、
インドのゴア、更に中国マカオに
行き、中国で生糸を仕入れ、日本で
売りさばくために日本へ
やってきた。日本へ来た当初は
金もうけが目的だった。
30歳時には、もう巨万の富を
蓄えていた。

ところが、
この男、
仲介貿易で巨利を掴んだのにも
関わらず、祖国ポルトガルから
遠い島国日本で、その全財産を投げうち、
貧者たちの救済に目覚めて献身し、
おまけに、終いには
日本に骨までうずめてしまうのである。

アルメイダは、
日本に28年間も滞在して、日本で死んだ。
アルメイダは、当時の世界で起こっている
投機的な世界経済とキリスト教布教の双方を
一身に体現しているようだ。
医者でもあったアルメイダ、
大分では、貧民救済の救護院という病院まで、
自分の負担で作り上げている。

大もうけをした野心家の若者が
聖人ザヴィェルの死を聞いて
劇的に回心し、ザヴィェルのなせなかった日本での
魂の救済に目覚めたのかも知れない。

ともかくも、
こういう人物が五島にやってきて、
キリスト教カトリックを布教して行くのである。

旅行の満足度
4.5
同行者
その他
交通手段
タクシー JRローカル 私鉄 徒歩 ソラシド エア

PR

  • 写真は、五島列島全体地図<br />教会群は、全体で51か所もあるので、<br />今回回るのは福江島の主だったところである。

    写真は、五島列島全体地図
    教会群は、全体で51か所もあるので、
    今回回るのは福江島の主だったところである。

  • 上記写真の<br />矢印部分が<br />堂崎天主堂<br />この写真では<br />マーカーで印をつけている

    上記写真の
    矢印部分が
    堂崎天主堂
    この写真では
    マーカーで印をつけている

  • そして、<br />一日目は、<br />主に福江「市内」地区<br />を観光タクシーで回った。<br />即ち、<br />堂崎天主堂から始めて、<br />浦頭教会<br />歴史資料館<br />明星院<br />鬼岳<br />鐙瀬溶岩海岸<br />の順である。<br />

    そして、
    一日目は、
    主に福江「市内」地区
    を観光タクシーで回った。
    即ち、
    堂崎天主堂から始めて、
    浦頭教会
    歴史資料館
    明星院
    鬼岳
    鐙瀬溶岩海岸
    の順である。

  • 羽田から<br />飛行機・<br />長崎空港からリムジンバス<br />長崎駅から徒歩を利用して<br />約3時間半後には<br />長崎港ターミナルビルに到着した。<br />

    羽田から
    飛行機・
    長崎空港からリムジンバス
    長崎駅から徒歩を利用して
    約3時間半後には
    長崎港ターミナルビルに到着した。

  • 出発便は、<br />午前11時30分の<br />ジェットホイル高速船<br />である。

    出発便は、
    午前11時30分の
    ジェットホイル高速船
    である。

  • これが、その<br />ジェットホイル高速船<br />ペガサス号<br />長崎ー福江間を1時間25分で結んでいる。

    これが、その
    ジェットホイル高速船
    ペガサス号
    長崎ー福江間を1時間25分で結んでいる。

  • 船内はこのようになっていた。

    船内はこのようになっていた。

  • 1時間すると<br />五島列島が見えてきた。

    1時間すると
    五島列島が見えてきた。

  • 他にも高速船が<br />走っていた。

    他にも高速船が
    走っていた。

  • こちらは、<br />鈍行船。

    こちらは、
    鈍行船。

  • 福江港に到着した。

    福江港に到着した。

  • このように、<br />迎えてくれた。<br />桟橋に迎えに来ていた<br />観光タクシーに<br />早速乗り込んで、<br />堂崎天主堂へ向かった。

    このように、
    迎えてくれた。
    桟橋に迎えに来ていた
    観光タクシーに
    早速乗り込んで、
    堂崎天主堂へ向かった。

  • 堂崎天主堂前の海岸<br />奥浦町の海岸である。<br />ここに、アルメイダは<br />1566年やってきた。

    堂崎天主堂前の海岸
    奥浦町の海岸である。
    ここに、アルメイダは
    1566年やってきた。

  • このように、ファサードの横に<br />石柱が立っている。

    このように、ファサードの横に
    石柱が立っている。

  • 堂崎天主堂の全景前面<br />ファサードを。<br />バラ窓まであったのに<br />驚いた。

    堂崎天主堂の全景前面
    ファサードを。
    バラ窓まであったのに
    驚いた。

  • ファサード上部を。<br />下の円形窓<br />放射状なので、バラ窓ではないかと思う。

    ファサード上部を。
    下の円形窓
    放射状なので、バラ窓ではないかと思う。

  • 堂崎天主堂と読めた。<br />正面奥部分

    堂崎天主堂と読めた。
    正面奥部分

  • 堂崎天主堂全景を<br />左天主堂ファサード<br />右手前には、マルマン神父(1877年来島宣教復活)<br />座っているのは、現在の赤レンガ堂崎天主堂を建てた<br />ペルー神父。<br />写真の中央に、小さく白く見えるのは<br />マリア像。

    堂崎天主堂全景を
    左天主堂ファサード
    右手前には、マルマン神父(1877年来島宣教復活)
    座っているのは、現在の赤レンガ堂崎天主堂を建てた
    ペルー神父。
    写真の中央に、小さく白く見えるのは
    マリア像。

  • 海岸沿いから<br />天主堂を撮影。

    海岸沿いから
    天主堂を撮影。

  • マルマン、ペルー両神父の<br />説明が。

    マルマン、ペルー両神父の
    説明が。

  • 左 ペルー神父<br />右 マルマン神父である。<br />切支丹復活の夜明けであった、<br />1877年のことである。

    左 ペルー神父
    右 マルマン神父である。
    切支丹復活の夜明けであった、
    1877年のことである。

  • ヨハネ五島殉教像らしい。<br />1597年長崎西坂での<br />26名のひとり。<br />19歳。<br />カトリック総本山ヴァチカンによって、<br />列聖されるのは、1862年文久年間である。<br /><br />カトリックでは、<br />列福 列聖 聖遺物といった概念が<br />極めて重要なものだそうである。<br />けだし、カトリックが続く限り<br />未来永劫にその名が記録されるからであるし、<br />命をかけて信念を貫き通すことが崇高なものと<br />されるらしいからである。

    ヨハネ五島殉教像らしい。
    1597年長崎西坂での
    26名のひとり。
    19歳。
    カトリック総本山ヴァチカンによって、
    列聖されるのは、1862年文久年間である。

    カトリックでは、
    列福 列聖 聖遺物といった概念が
    極めて重要なものだそうである。
    けだし、カトリックが続く限り
    未来永劫にその名が記録されるからであるし、
    命をかけて信念を貫き通すことが崇高なものと
    されるらしいからである。

  • 下の銘盤を。

    下の銘盤を。

  • 隠れキリシタンが<br />祈りをささげた場所みたいだ。

    隠れキリシタンが
    祈りをささげた場所みたいだ。

  • 同上

    同上

  • 中村神父(日本初の海外派遣宣教師)<br />ゆかりのイヌマキの木 と読める。

    中村神父(日本初の海外派遣宣教師)
    ゆかりのイヌマキの木 と読める。

  • ルイス・デ・アルメイダの<br />切支丹獲得のための宣教の図。

    ルイス・デ・アルメイダの
    切支丹獲得のための宣教の図。

  • その説明書き

    その説明書き

  • 坂の中途にマリア像があった。

    坂の中途にマリア像があった。

  • マリア像を大写しで

    マリア像を大写しで

  • 別角度から<br />マルマン神父<br />ヨハネ五島を。

    別角度から
    マルマン神父
    ヨハネ五島を。

  • アルメイダの宣教のところも入れて。

    アルメイダの宣教のところも入れて。

  • 次は<br />浦頭教会にやってきた。

    次は
    浦頭教会にやってきた。

  • 独特の建物だった。

    独特の建物だった。

  • 白地に<br />上には十字架が

    白地に
    上には十字架が

  • 同上

    同上

  • 大きく撮影してみた。<br />写真中央の<br />XとPの記号は、<br />救世主を意味するギリシャ語の<br />「キリスト」の最初の2文字<br />XとPを重ねたもののようである。<br />

    大きく撮影してみた。
    写真中央の
    XとPの記号は、
    救世主を意味するギリシャ語の
    「キリスト」の最初の2文字
    XとPを重ねたもののようである。

  • 再び同じく大きく十字架を。

    再び同じく大きく十字架を。

  • 聖ペテロ像があった。

    聖ペテロ像があった。

  • こちらは、聖パウロ像

    こちらは、聖パウロ像

  • 横には聖母像がこのように立っていた

    横には聖母像がこのように立っていた

  • 聖母像を大きく

    聖母像を大きく

  • 聖ペテロ・聖パウロの<br />銘盤

    聖ペテロ・聖パウロの
    銘盤

  • 教会の中

    教会の中

  • 次にやってきたのは、<br />五島福江市内でも福江城跡に<br />ある五島観光歴史資料館である。

    次にやってきたのは、
    五島福江市内でも福江城跡に
    ある五島観光歴史資料館である。

  • このように、<br />城のままの中が資料館だった。

    このように、
    城のままの中が資料館だった。

  • 中に入ってみると<br />何やら<br />青森県のねぶたに似た<br />祭も五島にあるようだ。

    中に入ってみると
    何やら
    青森県のねぶたに似た
    祭も五島にあるようだ。

  • へトマトは、<br />五島下崎山地区での民俗行事だとか。<br />最後に登場するのが<br />長さ3mもの大草履だとか。

    へトマトは、
    五島下崎山地区での民俗行事だとか。
    最後に登場するのが
    長さ3mもの大草履だとか。

  • これがその<br />大きな草履である。

    これがその
    大きな草履である。

  • 五島へのキリスト教伝来の説明が<br />あった。

    五島へのキリスト教伝来の説明が
    あった。

  • 絵踏みの説明。<br />当時は、踏み絵ではなく、<br />絵踏みが一般的な用語であった。

    絵踏みの説明。
    当時は、踏み絵ではなく、
    絵踏みが一般的な用語であった。

  • これは、下に十字架と首が<br />あり、切支丹の供養札らしい。<br />踏み絵にも使用されたという。

    これは、下に十字架と首が
    あり、切支丹の供養札らしい。
    踏み絵にも使用されたという。

  • 上記の写真の説明

    上記の写真の説明

  • 切支丹弾圧の<br />おふれである。

    切支丹弾圧の
    おふれである。

  • 正確なものは<br />このように定めていた。<br />

    正確なものは
    このように定めていた。

  • 踏み絵そのもの

    踏み絵そのもの

  • 大村藩から<br />逃れてきた<br />キリシタンの人たち。<br />移住とは良く言ったものである。

    大村藩から
    逃れてきた
    キリシタンの人たち。
    移住とは良く言ったものである。

  • かくれキリシタンたちの<br />殉教、そして弾圧。<br />「崩れ」とは、既存組織が迫害弾圧により<br />もとの形をとどめないほど破壊され、<br />消滅するありさまのことである。

    かくれキリシタンたちの
    殉教、そして弾圧。
    「崩れ」とは、既存組織が迫害弾圧により
    もとの形をとどめないほど破壊され、
    消滅するありさまのことである。

  • 水の浦牢跡などの<br />説明

    水の浦牢跡などの
    説明

  • これは、<br />メダイ、即ちメダルのことである。<br />

    これは、
    メダイ、即ちメダルのことである。

  • 同上

    同上

  • これは、所謂人別帳<br />大村藩からの移住者の数など<br />記載している。

    これは、所謂人別帳
    大村藩からの移住者の数など
    記載している。

  • 楠原牢屋敷跡<br />の説明。<br />次の日に行って現実にみた。

    楠原牢屋敷跡
    の説明。
    次の日に行って現実にみた。

  • 潜伏キリシタンの説明書き

    潜伏キリシタンの説明書き

  • 隠れキリシタンの説明書き

    隠れキリシタンの説明書き

  • その関連施設の跡など。

    その関連施設の跡など。

  • 五島列島の教会群は、<br />全部で51もの数だそうである。<br />ここより、<br />下に、その教会の画像が展示されていたので、<br />全てを写真におさめたが、<br />なかなかうまくは撮影できなかった。

    五島列島の教会群は、
    全部で51もの数だそうである。
    ここより、
    下に、その教会の画像が展示されていたので、
    全てを写真におさめたが、
    なかなかうまくは撮影できなかった。

  • 以下教会群の写真である。

    以下教会群の写真である。

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 歴史資料館に<br />伊能忠敬関連の<br />資料があったことが<br />目を引いた。

    歴史資料館に
    伊能忠敬関連の
    資料があったことが
    目を引いた。

  • 伊能忠敬は、足かけ17年かけて、<br />日本をくまなく測量、<br />精緻極まる日本地図を完成させる。<br />五島列島も例外ではなかった。<br /><br />彼は、必ず岩橋善兵衛の作った<br />当時日本で最も精巧な望遠鏡を<br />片手に持ち歩いていたに相違ない。<br /><br />岩橋の望遠鏡がなかったら、<br />伊能忠敬の精密な日本地図作製も<br />数年は遅れていたのではないかと<br />考えたい。<br />(岩橋は、大阪貝塚の元は魚屋のせがれだったが、<br />子ども時代から天文学に興味を持ち、太陽の<br />黒点など観測している)<br />

    伊能忠敬は、足かけ17年かけて、
    日本をくまなく測量、
    精緻極まる日本地図を完成させる。
    五島列島も例外ではなかった。

    彼は、必ず岩橋善兵衛の作った
    当時日本で最も精巧な望遠鏡を
    片手に持ち歩いていたに相違ない。

    岩橋の望遠鏡がなかったら、
    伊能忠敬の精密な日本地図作製も
    数年は遅れていたのではないかと
    考えたい。
    (岩橋は、大阪貝塚の元は魚屋のせがれだったが、
    子ども時代から天文学に興味を持ち、太陽の
    黒点など観測している)

  • 福江島の、<br />彼が作成した地図である。

    福江島の、
    彼が作成した地図である。

  • 杖先方位盤の説明

    杖先方位盤の説明

  • 杖先方位盤

    杖先方位盤

  • 五島で最も古い寺<br />明星院へやってきた。

    五島で最も古い寺
    明星院へやってきた。

  • 空海は唐から帰朝する途中<br />この寺に籠って、<br />明星院と名付けたといわれる。

    空海は唐から帰朝する途中
    この寺に籠って、
    明星院と名付けたといわれる。

  • 五島家代々の祈願寺であるそうだ。

    五島家代々の祈願寺であるそうだ。

  • 柱の文字<br />明星院と読める。<br />五島最古の木造建築物だそうだ。

    柱の文字
    明星院と読める。
    五島最古の木造建築物だそうだ。

  • 空海の石像が<br />あった。

    空海の石像が
    あった。

  • 横には写真のように<br />弘法大師入唐帰朝顕彰碑<br />と読めた石でできた顕彰碑があった。

    横には写真のように
    弘法大師入唐帰朝顕彰碑
    と読めた石でできた顕彰碑があった。

  • 両方まとめて<br />写真におさめる。

    両方まとめて
    写真におさめる。

  • 明星院へ入ってみたら<br />バラモン凧があったので撮影した。<br />バラモンとは、方言で<br />「荒くれ、元気者」<br />バラモン凧は、福江に古くから<br />伝わる大凧で、絵柄は、<br />鬼に立ち向かっていく武者の兜<br />が背後から描かれている。<br />鬼は、武者の頭に齧り付いている<br />羅生門の鬼退治伝説から来ているそうだ。

    明星院へ入ってみたら
    バラモン凧があったので撮影した。
    バラモンとは、方言で
    「荒くれ、元気者」
    バラモン凧は、福江に古くから
    伝わる大凧で、絵柄は、
    鬼に立ち向かっていく武者の兜
    が背後から描かれている。
    鬼は、武者の頭に齧り付いている
    羅生門の鬼退治伝説から来ているそうだ。

  • 再び、外側へ<br />石像を。

    再び、外側へ
    石像を。

  • 空海石像

    空海石像

  • 鬼岳である。<br /><br />標高は317メートルだが、<br />その昔噴火している。

    鬼岳である。

    標高は317メートルだが、
    その昔噴火している。

  • 臼のような形状である。

    臼のような形状である。

  • 鐙瀬溶岩海岸に到着した。<br />この辺りは、<br />写真にあるように、<br />五島で最も暖かい地域で、<br />棕櫚、蘇鉄などの植物で<br />あふれていた。

    鐙瀬溶岩海岸に到着した。
    この辺りは、
    写真にあるように、
    五島で最も暖かい地域で、
    棕櫚、蘇鉄などの植物で
    あふれていた。

  • 鐙瀬溶岩海岸である。<br />鬼岳噴火による<br />溶岩でできた海岸で、<br />黒い岩肌が十数キロにわたって<br />続いていた。

    鐙瀬溶岩海岸である。
    鬼岳噴火による
    溶岩でできた海岸で、
    黒い岩肌が十数キロにわたって
    続いていた。

  • 同上

    同上

  • 同じく

    同じく

  • 蘇鉄と溶岩の海岸を。

    蘇鉄と溶岩の海岸を。

  • 同上

    同上

  • 鬼岳を見ながら<br />本日は終わりである。

    鬼岳を見ながら
    本日は終わりである。

  • 五島福江の武家屋敷通りの様子である

    五島福江の武家屋敷通りの様子である

  • 同じく武家屋敷通り

    同じく武家屋敷通り

  • 極めて閑静な通りだった。<br /><br /><br />以下二日目の教会巡りに<br />続きます。<br /><br /><br />

    極めて閑静な通りだった。


    以下二日目の教会巡りに
    続きます。


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