五島列島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
11月1日から4日にかけて、<br />長崎五島福江島・<br />長崎市内西坂近辺・<br />並びに大村市の<br />キリスト教関連施設を訪問した。<br /><br />福江島その①堂崎天主堂・福江市内、<br />ルイス・デ・アルメイダのことなどは、<br />以下の通り公開させて頂きました。<br />https://4travel.jp/travelogue/11300125<br /><br />また<br />福江島その②半泊教会・楠原教会・三井楽教会・<br />井持浦教会・高浜ビーチ・辞本涯・大瀬崎灯台なども、<br />以下の通り公開させて頂きました。<br />https://4travel.jp/travelogue/11300893<br /><br />本日は、3日目<br />五島氏庭園「心字が池」訪問記です。<br /><br />日本で最後に築城された福江城(石田城)<br />完成は文久年間の1863年幕末期であるが、<br />こののち、僅か9年後には明治5年に<br />廃城となっている。<br />完成時の城の規模は、およそ東西300m<br />南北250m、本丸・二の丸・付属の曲輪から<br />なっていた。<br />けだし廃城は明治革命と廃藩置県でやむをえないからである。<br /><br />因みに、<br />嘉永年間(1848~1853年)の<br />江戸時代名城石高武鑑によれば、<br /><br />全国171の城のうち、<br />福江城は、下から4番目<br />僅か1万2千600石にすぎなかった。<br /><br />関連する情報としては、<br />現時点での 日本の<br /><br />古建造物現存の城は、21城<br />即ち以下の通りである。<br />1 佐伯城ー1601年櫓門 殿館 石垣<br />2 大分府内城―1599年隅櫓 堀<br />3 秋月城ー1624年表御門 黒門 石垣<br />4 大洲城ー1590年台所櫓 高欄櫓<br />5 高松城ー1590年月見櫓 渡櫓 水戸御門<br />6 明石城ー1617年隅櫓 巽櫓 石塁<br />7 福知山城ー1575年多聞櫓 石垣 堀<br />8 二条城ー1602年二の丸御殿 隅櫓 城門 濠<br />9 亀山城ー1590年多聞櫓 石塁<br />10金沢城ー1583年石川門 三十間 長屋 石塁 堀<br />11福江城ー1863年門 石垣 堀<br />12鹿島城ー慶長年間 大手門と正門 石垣 濠<br />13佐賀城ー1590年鯱ノ門 石塁<br />14新発田城ー1598年大手門 隅櫓 石垣<br />15掛川城ー1593年太鼓櫓門 石塁 濠<br />16小諸城ー1590年大手門 三ノ門 石垣<br />17上田城ー1622年本丸隅櫓 水ノ手櫓 本丸 二の丸<br />18江戸城ー1596年~1614年<br />      富士見櫓 桜田巽櫓 西の丸伏見櫓 大手門 堀他<br />19土浦城ー1616年櫓門 石塁 堀<br />20中村城ー1611年大手門 城壁<br />21松嶺城ー1779年櫓門<br /><br />更に言えば<br />古天守閣現存の城は、以下の12城である。<br />弘前城ー1810年三層三階<br />丸岡城ー1577年三層三階<br />松本城ー1590年五層六階<br />犬山城ー慶長4年ごろ三層六階<br />彦根城ー1606年三層三階<br />姫路城ー1609年五層七階<br />備中松山城ー1683年二層二階<br />松江城ー1611年五層六階<br />丸亀城ー1643年三層三階<br />松山城ー1854年三層四階<br />宇和島城ー1665年三層三階<br />高知城ー1747年四層六階<br />(いずれも、嘉永年間の江戸時代名城石高武鑑による)<br />

長崎五島福江島・長崎西坂近辺・長崎大村市のキリシタン関連地極私的探訪記(福江島その③五島氏庭園心字ガ池を見る)

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2017/11/01 - 2017/11/04

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わき

わきさん

11月1日から4日にかけて、
長崎五島福江島・
長崎市内西坂近辺・
並びに大村市の
キリスト教関連施設を訪問した。

福江島その①堂崎天主堂・福江市内、
ルイス・デ・アルメイダのことなどは、
以下の通り公開させて頂きました。
https://4travel.jp/travelogue/11300125

また
福江島その②半泊教会・楠原教会・三井楽教会・
井持浦教会・高浜ビーチ・辞本涯・大瀬崎灯台なども、
以下の通り公開させて頂きました。
https://4travel.jp/travelogue/11300893

本日は、3日目
五島氏庭園「心字が池」訪問記です。

日本で最後に築城された福江城(石田城)
完成は文久年間の1863年幕末期であるが、
こののち、僅か9年後には明治5年に
廃城となっている。
完成時の城の規模は、およそ東西300m
南北250m、本丸・二の丸・付属の曲輪から
なっていた。
けだし廃城は明治革命と廃藩置県でやむをえないからである。

因みに、
嘉永年間(1848~1853年)の
江戸時代名城石高武鑑によれば、

全国171の城のうち、
福江城は、下から4番目
僅か1万2千600石にすぎなかった。

関連する情報としては、
現時点での 日本の

古建造物現存の城は、21城
即ち以下の通りである。
1 佐伯城ー1601年櫓門 殿館 石垣
2 大分府内城―1599年隅櫓 堀
3 秋月城ー1624年表御門 黒門 石垣
4 大洲城ー1590年台所櫓 高欄櫓
5 高松城ー1590年月見櫓 渡櫓 水戸御門
6 明石城ー1617年隅櫓 巽櫓 石塁
7 福知山城ー1575年多聞櫓 石垣 堀
8 二条城ー1602年二の丸御殿 隅櫓 城門 濠
9 亀山城ー1590年多聞櫓 石塁
10金沢城ー1583年石川門 三十間 長屋 石塁 堀
11福江城ー1863年門 石垣 堀
12鹿島城ー慶長年間 大手門と正門 石垣 濠
13佐賀城ー1590年鯱ノ門 石塁
14新発田城ー1598年大手門 隅櫓 石垣
15掛川城ー1593年太鼓櫓門 石塁 濠
16小諸城ー1590年大手門 三ノ門 石垣
17上田城ー1622年本丸隅櫓 水ノ手櫓 本丸 二の丸
18江戸城ー1596年~1614年
      富士見櫓 桜田巽櫓 西の丸伏見櫓 大手門 堀他
19土浦城ー1616年櫓門 石塁 堀
20中村城ー1611年大手門 城壁
21松嶺城ー1779年櫓門

更に言えば
古天守閣現存の城は、以下の12城である。
弘前城ー1810年三層三階
丸岡城ー1577年三層三階
松本城ー1590年五層六階
犬山城ー慶長4年ごろ三層六階
彦根城ー1606年三層三階
姫路城ー1609年五層七階
備中松山城ー1683年二層二階
松江城ー1611年五層六階
丸亀城ー1643年三層三階
松山城ー1854年三層四階
宇和島城ー1665年三層三階
高知城ー1747年四層六階
(いずれも、嘉永年間の江戸時代名城石高武鑑による)

旅行の満足度
4.0
同行者
その他
交通手段
徒歩
  • 福江城跡が見えている

    福江城跡が見えている

  • 歴代の宇久氏(1592年以降は五島氏)<br />の城主の名が並んでいた。

    歴代の宇久氏(1592年以降は五島氏)
    の城主の名が並んでいた。

  • 大きく拡大してみた。<br />歴代五島藩主<br />宇久・五島家略譜である。

    大きく拡大してみた。
    歴代五島藩主
    宇久・五島家略譜である。

  • 同じく<br />

    同じく

  • 宇久姓を<br />五島姓に変えた年<br />1592年は、<br />秀吉政権時の朝鮮戦役の年である。

    宇久姓を
    五島姓に変えた年
    1592年は、
    秀吉政権時の朝鮮戦役の年である。

  • 堀を進むと蹴出門が<br />見えてきた。

    堀を進むと蹴出門が
    見えてきた。

  • 福江城の中に<br />今は、県立五島高校があり、<br />その手前の方に、<br />五島氏庭園<br />心字が池が<br />写真の地図で明らかにされていた。

    福江城の中に
    今は、県立五島高校があり、
    その手前の方に、
    五島氏庭園
    心字が池が
    写真の地図で明らかにされていた。

  • 中に入ると、<br />総合案内マップがあった。

    中に入ると、
    総合案内マップがあった。

  • 更に進むと<br />石田城跡の説明案内図が<br />あった。

    更に進むと
    石田城跡の説明案内図が
    あった。

  • 説明を大きく。

    説明を大きく。

  • いよいよ、<br />心字が池に到着。

    いよいよ、
    心字が池に到着。

  • 同上

    同上

  • その前には<br />このように案内があった。

    その前には
    このように案内があった。

  • その配置図である。

    その配置図である。

  • 五島家30代の<br />盛成(もりあきら)の<br />隠居所である。<br />林泉回遊式日本庭園である。<br /><br />作成設計は、京都の僧全正。<br />全正は、鹿苑寺金閣の丸池を<br />模範に鬼岳の溶岩を多用した。

    五島家30代の
    盛成(もりあきら)の
    隠居所である。
    林泉回遊式日本庭園である。

    作成設計は、京都の僧全正。
    全正は、鹿苑寺金閣の丸池を
    模範に鬼岳の溶岩を多用した。

  • 亜熱帯植物<br />オオタニワタリが繁茂していた。<br />男女群島から持ってきたものらしい。

    亜熱帯植物
    オオタニワタリが繁茂していた。
    男女群島から持ってきたものらしい。

  • 池の中島を。<br />

    池の中島を。

  • 同じく中島

    同じく中島

  • 築山の方角から見た<br />樹齢840年の<br />クスノキである。<br />パワースポットとしても<br />有名で、人が触ったあとが<br />残っていた。

    築山の方角から見た
    樹齢840年の
    クスノキである。
    パワースポットとしても
    有名で、人が触ったあとが
    残っていた。

  • 作庭以前からあった<br />クスノキを取り込んだ<br />ものと思われる。

    作庭以前からあった
    クスノキを取り込んだ
    ものと思われる。

  • 同上クスノキ。

    同上クスノキ。

  • 井戸があった。

    井戸があった。

  • 大きく井戸を。

    大きく井戸を。

  • 中には、そこの方に<br />水が

    中には、そこの方に
    水が

  • 再びクスノキを撮影した。

    再びクスノキを撮影した。

  • 近くによって<br />撮影、<br />そして肌で触れてみた。

    近くによって
    撮影、
    そして肌で触れてみた。

  • クスノキの説明書きが<br />このように。

    クスノキの説明書きが
    このように。

  • 840年まえからあるということは、<br />鎌倉時代から育って現在に至っていると<br />いうことで、日本の西の果てに近い五島<br />でも存在していること自体、嬉しい感慨が湧いた。

    840年まえからあるということは、
    鎌倉時代から育って現在に至っていると
    いうことで、日本の西の果てに近い五島
    でも存在していること自体、嬉しい感慨が湧いた。

  • クスノキ側から邸宅側を撮影

    クスノキ側から邸宅側を撮影

  • 野面積みの石垣。<br />藩中、藩外の<br />力自慢の若者が<br />浜辺から運んでこういう<br />積み方をしたという。<br />

    野面積みの石垣。
    藩中、藩外の
    力自慢の若者が
    浜辺から運んでこういう
    積み方をしたという。

  • 海の波で洗われて<br />丸くなったところが<br />特徴的だった。

    海の波で洗われて
    丸くなったところが
    特徴的だった。

  • 横から撮影した。

    横から撮影した。

  • 五重塔である。<br />何でも、1592年の文禄の役の際、<br />20代藩主が小西行長軍の先鋒で<br />戦ったようである。

    五重塔である。
    何でも、1592年の文禄の役の際、
    20代藩主が小西行長軍の先鋒で
    戦ったようである。

  • 五重塔側から<br />クスノキを撮影してみた。

    五重塔側から
    クスノキを撮影してみた。

  • 五重塔を別の角度から<br />20代藩主の1592年<br />朝鮮の役の記念物のようである。

    五重塔を別の角度から
    20代藩主の1592年
    朝鮮の役の記念物のようである。

  • 回遊式なので<br />回遊してみた。

    回遊式なので
    回遊してみた。

  • 板石があった。

    板石があった。

  • ここに、全正が座って<br />庭を作庭するとき、<br />指揮したとされる石である。

    ここに、全正が座って
    庭を作庭するとき、
    指揮したとされる石である。

  • 別の中島を。<br />石は、30代盛成が好んだといわれる<br />亀に似せた石が多用されたとあるが、<br />亀に似ているだろうか?

    別の中島を。
    石は、30代盛成が好んだといわれる
    亀に似せた石が多用されたとあるが、
    亀に似ているだろうか?

  • 再び大クスノキを<br />板石側から撮影

    再び大クスノキを
    板石側から撮影

  • クスノキ全体を

    クスノキ全体を

  • 板石から更に<br />歩むと松の木が<br />立っていた。

    板石から更に
    歩むと松の木が
    立っていた。

  • その松と<br />周辺を。

    その松と
    周辺を。

  • 更に歩むと、<br />抜け穴と称するものがあった。<br />色々な仕掛けで、<br />身を守る術を考えているのは<br />いつの世も同じである。

    更に歩むと、
    抜け穴と称するものがあった。
    色々な仕掛けで、
    身を守る術を考えているのは
    いつの世も同じである。

  • 抜け穴を大きく。

    抜け穴を大きく。

  • 1863年の文久年間<br />中国福建省から<br />取り寄せた金明竹(きんめいちく)。<br />茎は黄色で、<br />枝の先葉は緑の取り合わせ、<br />他の竹とちょっと違っていた。

    1863年の文久年間
    中国福建省から
    取り寄せた金明竹(きんめいちく)。
    茎は黄色で、
    枝の先葉は緑の取り合わせ、
    他の竹とちょっと違っていた。

  • 他の竹と比較すると<br />こんな具合に見える。<br />金明竹だけが、<br />茎の部分が黄色というか、<br />黄金色に見えてくる。

    他の竹と比較すると
    こんな具合に見える。
    金明竹だけが、
    茎の部分が黄色というか、
    黄金色に見えてくる。

  • 中庭には<br />堪忍と記載ある<br />石灯籠があった。

    中庭には
    堪忍と記載ある
    石灯籠があった。

  • それを大きく。<br />藩主盛成(もりあきら)<br />の自署を刻み込んだもの。

    それを大きく。
    藩主盛成(もりあきら)
    の自署を刻み込んだもの。

  • 別の井戸水である。

    別の井戸水である。

  • 邸宅の平面図である。<br />これから、中へ入ってみた。

    邸宅の平面図である。
    これから、中へ入ってみた。

  • まず、<br />五島邸玄関の間である。<br />心字が池庭園を設計した全正の辞世の句。<br /><br />元々は全正は戒律を破り<br />福江島に流刑された僧だった。<br />彼の教養と人となりを見て、<br />盛成は、全正に作庭を依頼する。<br /><br />五島家に召されてこのような庭園を作る事となった<br />ご縁を喜ばしく思うという内容の句である。

    まず、
    五島邸玄関の間である。
    心字が池庭園を設計した全正の辞世の句。

    元々は全正は戒律を破り
    福江島に流刑された僧だった。
    彼の教養と人となりを見て、
    盛成は、全正に作庭を依頼する。

    五島家に召されてこのような庭園を作る事となった
    ご縁を喜ばしく思うという内容の句である。

  • 同上

    同上

  • 同じく

    同じく

  • ここから、亀の間の説明

    ここから、亀の間の説明

  • 亀の間である。<br />亀のデザインを欄間や釘隠しに<br />使用している。<br />中々に落ち着きのある<br />和室空間だった。<br />

    亀の間である。
    亀のデザインを欄間や釘隠しに
    使用している。
    中々に落ち着きのある
    和室空間だった。

  • 接客の部屋である。<br />亀の間

    接客の部屋である。
    亀の間

  • 同上

    同上

  • こちらも同じ<br />亀の間

    こちらも同じ
    亀の間

  • 同上

    同上

  • 亀の間から<br />クスノキを<br />1枚撮影した

    亀の間から
    クスノキを
    1枚撮影した

  • 梅の間にやってきた。<br />壁の唐紙模様、釘隠し、欄間彫刻は<br />すべて「ねじ梅」の紋様である。

    梅の間にやってきた。
    壁の唐紙模様、釘隠し、欄間彫刻は
    すべて「ねじ梅」の紋様である。

  • 梅の間は、<br />居室のようである。

    梅の間は、
    居室のようである。

  • その梅の間が<br />このようにあった。

    その梅の間が
    このようにあった。

  • 格子のデザインが<br />様々な形で<br />特徴的。

    格子のデザインが
    様々な形で
    特徴的。

  • 梅の間から向こう側までを<br />畳敷きが貫く。

    梅の間から向こう側までを
    畳敷きが貫く。

  • 同上。<br />見事な空間だった。<br /><br />そして、<br />突然私の脳裏に<br />70年代80年代活躍した<br />詩人清水昶の詩句が甦った。<br /><br />かぎりなく知ることは/<br />はてしない生涯を這いぬくことを教え/<br />あおざめた階級に尻をつけ/<br />飢えているつめたい水にひたす藁/<br />しめった思想を無言で打ち/<br />垂らすべき縄 つるすべき首/<br />想いめぐる日の中心で声を裂き/<br />鍋をかかえて自滅する一揆がある/<br />(未明の階級より)

    同上。
    見事な空間だった。

    そして、
    突然私の脳裏に
    70年代80年代活躍した
    詩人清水昶の詩句が甦った。

    かぎりなく知ることは/
    はてしない生涯を這いぬくことを教え/
    あおざめた階級に尻をつけ/
    飢えているつめたい水にひたす藁/
    しめった思想を無言で打ち/
    垂らすべき縄 つるすべき首/
    想いめぐる日の中心で声を裂き/
    鍋をかかえて自滅する一揆がある/
    (未明の階級より)

  • そしてこのような<br />隠し部屋がかなり見られた。

    そしてこのような
    隠し部屋がかなり見られた。

  • 同上隠し部屋などが<br />多数あった。

    同上隠し部屋などが
    多数あった。

  • 戻り、<br />和室空間を。

    戻り、
    和室空間を。

  • 向こう側まで、<br />おごそかな空間だった。

    向こう側まで、
    おごそかな空間だった。

  • 円窓が<br />開けられると<br />かような風景が<br />見られる。

    円窓が
    開けられると
    かような風景が
    見られる。

  • 梅の間からみた<br />堪忍石灯籠である。

    梅の間からみた
    堪忍石灯籠である。

  • 閑静なる廊下を<br />歩き、五島氏庭園心字が池を<br />あとにした。<br />このあと、<br />ジェットホイルで、<br />福江島とはお別れ。<br /><br />次の長崎市内へ向かった。<br /><br />以下長崎西坂近辺に続きます。

    閑静なる廊下を
    歩き、五島氏庭園心字が池を
    あとにした。
    このあと、
    ジェットホイルで、
    福江島とはお別れ。

    次の長崎市内へ向かった。

    以下長崎西坂近辺に続きます。

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