2017/10/19 - 2017/10/25
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ペコちゃんさん
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旅の5日目は、午前中にダナンから国内線でハノイへ移動し、市内観光の後、ハロン湾に向かいました。
ベトナム社会主義共和国の首都・ハノイは人口が750万人強で、政治・文化の中心都市。
1009年にベトナムを統一した李公蘊によって李朝大越国が建てられ、首都をタンロン(ハノイの旧称)に置いて以来、1000年の歴史を持つ古都に相応しく由緒ある寺社などがある一方で、フランス統治時代(1887~1945)に建てられた洋館や教会も残されています。
そして、整然と走る美しい並木の道路や、点在する湖と公園・・・また、道行く人々の表情も穏やかな感じで、街全体に落ち着いた雰囲気が漂っています。
写真は、文廟(孔子廟)の文廟門。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- JTB
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<5日目>
今日はダナン発8時半のフライトでハノイに向かうため、6時にホテルを出発・・・パン・茹で卵・ヨーグルト・バナナなど、ホテルで受け取ったお弁当をバスの中でお腹に入れました。 -
6時40分に、ダナン国際空港に到着・・・2011年にオープンしたターミナルビルは、ガラスを多用した近代的で開放感のある造りが特徴です。
国際線が第1、国内線が第2ターミナルで、ビル内で分かれます。 -
スーツケースを引っぱって、搭乗手続きに向かいます。
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暑い中、2日間に亘ってベトナム中部を案内してくれたナイスガイドの《しんちゃん》・・・有難うございました。
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ベトナムの各空港では、チェックイン後の手荷物検査でベルトを外し、靴まで脱いで検査装置に通します。
13年前に、ホーチミンのタンソンニャット国際空港でシェムリアップにトランジットした際、初めて「靴脱ぎ」を経験し、ビックリしたことを思い出しました。 -
旅も5日目となれば、すっかり打ち解けて、話が弾みます・・・「今度はどこに行くの?」
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ダナンから1時間余りのフライトで、ハノイに到着。
タラップを降りて、荷物をピックアップし、2度目のハノイの街へ。 -
ハノイ都心部から北に約45kmの「ノイバイ国際空港」・・・2015年に第2空港ターミナルビルが竣工したので、第1ターミナルビルが国内線専用。
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バスで空港からハノイの市街へ・・・保育園から元気な子供の声が聞こえてきます。
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1805年に建てられた「タンロン遺跡」の正北門・・・1010年に李朝がタンロンに都を定め大越国を起こしてから、阮朝が1802年にベトナムを統一するまでの間、ベトナム諸王朝の城がこの一角に築かれました。
タンロン(昇龍)はハノイの旧称。 -
ハノイの市内観光は「文廟(孔子廟)」から。
ベトナム王朝は仏教国でしたが、宋(中国)から儒教が入り、李王朝の第三代皇帝・李聖宗によって、1070年に孔子(紀元前552~479年)を祀る文廟が築かれました。
その後も儒教による教育が重視され、1075年から科挙(人材登用試験)の試験が始まり、1076年にはベトナム最古の大学となる「国子監(こくしかん)」を文廟に併設して、その後、約800年の間に多くの優れた人材を輩出してきました。 -
入り口の「文廟門」は、最初は木造でしたが、17~18世紀の頃、石造で建て替えられました。
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文廟門の左右には、虎と龍のレリーフが刻まれています。
門の右側にある、成功のシンボル『龍』は科挙の合格者を表し・・・ -
左側にある、権力のシンボル『虎』は科挙の受験者を表しているそうです。
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敷地内には「下馬碑」が設けられ、文廟に入るにはたとえ皇帝であっても馬や乗り物から降りなければならない位、神聖視されていた場所です。
入場料は3万ドン(約150円)。 -
門をくぐって振り返ってみると、アーチと鐘の間に春秋時代の中国の思想家「孔子と4人の高弟」の像があります。
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文廟門から「皇帝の道」を歩いて2つ目の門「大中門」へ。
儒教の教書である「四書」の『大学』と『中庸』から一文字ずつ取って付けられた大中門・・・屋根の上には水が溢れ出る瓶の像が据えられており、その左右には一対の鯉がシャチホコのように鎮座しています。
これは中国後漢の歴史書である『後漢書』に記された「急流の滝を登り切ることができた鯉は龍になる」という故事にちなんだもので、成功のための関門という意味で使われる「登竜門」の語源とされています。
科挙の受験者たちは、この鯉を前に「龍になるぞ」と意気込んだことでしょう。 -
3番目の門「奎文閣(けいぶんかく)」は、阮朝時代の1805年に建てられた二重の楼門で、上層には学問を司る星である「奎星(けいせい)」を象徴した複雑な形状の丸窓が設けられています。
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奎文閣の美しい姿は、10万ドン札の裏面に描かれ、またハノイ市章のデザインモチーフとしても取り入られており、まさにハノイのシンボル的な存在といえるでしょう。
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奎文閣をくぐると、科挙の合格者(1,308名)を記した82基もの「進士題名碑」があり、最も古いものは1442年のもの。
名前と出身地が刻まれた石碑は、亀の台座「亀趺(きふ)」に載っており、亀の形や表情は微妙に異なって個性的・・・ハノイの受験生は、試験前に必ずお参りに行くという、ベトナム屈指の合格祈願スポットです。 -
4つ目は最後の門「大成門」。
ここからが、孔子を祀っている文廟エリア。 -
大成門の先に構える建物が、祭壇のある「拝堂」。
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鳳凰・キリン・龍がデザインされた銅製の「鼎」。
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「拝殿」。
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拝堂の祭壇。
上に掲げられている「萬世師表」の扁額は、「永遠に人々の模範を示す先生」という意味で、孔子を表します。 -
祭壇の左右には、亀の上に立った鶴の銅像があります。
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鶴のお腹も亀の頭も、触るとご利益があるとか・・・みんな触るので、ピカピカ!
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拝堂の後ろにあるのが、孔子像を祀る「大聖殿」・・・大聖殿前には、2匹の龍が飾られた香炉があります。
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大聖殿の中央に鎮座する孔子像。
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上の像:顔子と子思
下の像:孟子と曾子 -
拝堂の脇で、水上人形劇風の人形が売られていました。
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大聖殿の裏側にある「国子監」・・・1946年、抗仏戦争の際に破壊され、2000年に再建されました。
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国子監の右側には、重さ700㎏の大太鼓。
13年前に来た時も、文廟は印象深かったので、よく覚えています。
その時は観光客も少なく数えるほどで、ゆったりと観光した記憶がありますが、今回は人ごみにまみれての観光でした。 -
ハノイ駅は、フランス植民地時代の1902年に開業しました。
ここは、根幹路線である南北線を始めとする4支線の列車が発着する、ターミナル駅です。 -
1972年にベトナム戦争で大きな被害を受けましたが、爆撃を免れた駅両側の部分に当時の面影を偲ぶことが出来ます。
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街中にある日本語塾・・・ガイドのマイさんの話によると、2016年からベトナム全土の小学校で日本語を「第1外国語」として教えることになったそうで、嬉しいことです。
” あと10年もしたら、ガイドの仕事がなくなるわ ” と、冗談半分で言っていました。
因みに、日本に来る留学生数は184,155人で、ベトナム人は12,460人と中国人に次いで2番目。(平成26年5月1日現在)
「日本人のような心で、日本人のような生活をすることが憧れです。」と、マイさんの話・・・嬉しいようなくすぐったいような、私達も頑張らないと、このベトナムの人達の若いエネルギーに飲み込まれてしまいそうです。 -
日本語塾の隣にあるベトナム料理のレストラン「SEN XANH」で昼食。
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店内はフランス風で、落ち着ける雰囲気・・・カーテンのデザインが素敵です。
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アオザイ姿の店員さんもイイ感じ。
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ベトナム料理店ですが、フレンチ・レストランのようでした。
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昼食の後もハノイ観光。
軍事博物館から道路を挟んだ向かいはレーニン公園で、旧ソ連の指導者であるレーニンの像があります。
この像をみると、ベトナムは社会主義国家なのだと実感します。 -
2012年に完成した「国会議事堂」・・・ホーチミン廟の前にあるバーディン広場に面しています。
バーディン広場は、1945年にホー・チ・ミンがベトナム民主共和国の独立宣言を読み上げた場所として有名。 -
1975年に完成した「ホー・チ・ミン廟」・・・大理石で造られた廟の中にはホー・チ・ミンの遺体が安置されています。
開館時間は午前中なので、今回は外観だけの見学。
ベトナムの人達はここにお参りに来るのではなく「会いに来る」のだそうです・・・前回は地元の人たちに交じって並び「ホーチミンさんに会いました」。 -
ベトナムの独立と南北統一に生涯をかけ、今もベトナム国民の父として敬愛されるホー・チ・ミン・・・彼は生涯妻子を持たず「国民はすべて私の子ども」と言ったそうで、国民からは「ホーおじさん」と呼ばれて、今も親しまれています。
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廟内部に安置されたホー・チ・ミンの遺体は本物で、ロシアの技術で腐敗しないよう特別な処置を施しています。
生前、ホーチミンは、自分の遺体は火葬したあと、北部・中部・南部とベトナム全土に分骨することを望んでいたそうで、この廟はホーチミンの意思に反しているとも言えますが、それだけベトナム人にとっては、ホーチミンが重要な人物であり、崇拝すべき存在であることが窺えます。
13年前に見学した時の緊張感を思い出しましたが、廟の入り口も内部もベトナム人民軍の軍人により警護されており、私語厳禁で立ち止まることや撮影は不可でした・・・入館の際に、すべて持ち物検査をされたように記憶しています。 -
一柱寺に行く途中、廟の方を見ると、衛兵交替の兵士がバーディン広場に向かっていました。
1時間ごとに交代するそうです。 -
ホー・チ・ミン(1890~1969)は、社会主義建設と祖国統一を推進したベトナム独立の英雄であり、建国の父。
1941年にベトナム独立同盟会(ベトミン)を結成し、宗主国フランスを制圧して1945年にベトナム民主共和国の初代大統領となりますが、社会主義の拡大を恐れたアメリカがベトナムに介入し、ベトナムは南北に分断され、ホーチミン率いる北ベトナムとアメリカから強力な支援を受けた南ベトナム政府が対立し、ベトナム戦争が勃発。
ホーチミンはベトナム戦争の終結前に亡くなりましたが、北ベトナムが勝利して南北ベトナムは統一され、今の姿になりました。 -
ホーチミン廟から歩いて5分ほどの所にある「一柱寺」・・・李朝の太宗が1049年に建立した延祐寺内の楼閣で、1本の柱の上に仏堂を載せたユニークな形から、この名で呼ばれています。
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跡継ぎがなかなか生まれなかった太宗は、ある晩、蓮華の上で子供を抱いた観音菩薩の夢を見てから間もなくして子供を授かり、その感謝の念で蓮の花に見立てたこの寺を建立したそうです。
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家族の幸せと世界平和を・・・
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御堂の中には「蓮花台」という扁額が掲げられ、黄金色の八本手の観音像が安置されています。
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一柱寺が浮かぶ池は「霊沼池」と言い、季節になると睡蓮の花が足元を飾ります。
この柱は、地上からの高さが4m、直径が1.2mあり、その上に3m四方の御堂を載せています。 -
ホー・チ・ミンの生誕100年を記念して1990年に建てられた「ホーチミン博物館」・・・自筆の手紙や絵など、展示品の数は2000点に及び、ホー・チ・ミンの生涯が分かるようになっています。
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ハノイの観光を終えてハロン湾に向かう前に、ハノイ市内のお土産屋さんでショッピング・タイム。
カラフルなマスクも売っていました・・・色白はベトナム女性の大事な要素で、排気ガス対策ではなく日焼け対策のために必要なマスクです。
言われてみると、男性のマスク姿は少なかった・・・男性は日焼けしている方が逞しくて好まれるとか。 -
お土産屋さんの近くにあったバインミーの店・・・美味しそうな香りが漂っています。
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中国・雲南省に源を発し、ハノイを流れてトンキン湾に注ぐ、全長 1,200 キロmのホン川(紅河)には、何本もの橋が架かっています。
2015年に完成した斜張橋「ニャッタン橋」は日本の経済的・技術的支援のもとに建設され、全長は1,500m。 -
ハロン湾に向かう途中の風景・・・刈り取りが終わった田んぼに、黄牛がノンビリ。
下の写真は、火力発電所・・・ベトナムの電力は、石炭火力・水力・天然ガスで殆ど賄い、勿論、原発はありません。 -
ベトナムでは、まだ上水道が整備されてない地域が多く、主に電動ポンプで井戸水と雨水を利用し、屋根の上に貯水タンクを置いて水を使っています。
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路上の床屋さん。
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夕方、ハロン湾の中心地に着いて、ミスリン・ホテルで夕食。
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メインは豆腐・野菜・魚貝類が盛り沢山のベトナム海鮮鍋。
最後は、鍋にインスタントラーメンとフォーを入れて仕上げ・・・お腹いっぱいになりました。 -
デザートのミカンを食べて、ビール代の支払い準備・・・ベトナムの物価は日本の約1/3程度なので、ドンドン使っても、あまり減らないドン。
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ハロン湾の中心街を通って、今夜のホテルへ。
街の様子が13年前とは全く違います。 -
「サイゴン ハロン ホテル」に着きました。
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ゆったりとした2階吹き抜けのロビー。
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チェック・インの後、写真を撮りに最上階(14階)のレストランへ行ってみました。
バルコニーに出てみると、市街地の美しい夜景が広がっています。
明日はハロン湾クルーズ、そして帰国の日です。
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