2017/10/16 - 2017/10/24
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tono202さん
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洞爺湖北岸沿いの下台地は、美しい湖水の水面に向かって南に傾斜し、その北側となる台地は羊蹄山麓まで続く広い農耕地となっている。そこを開いたのが香川県の財田町出身の人たちだという。財田町史を読むと、明治期に数多くの入植者を北海道に送り出したことが書かれていた。その中心的人物が大久保諶之丞であったという。そして、彼の胸像が洞爺湖湖畔に建っているという。
香川県財田から旅立った人たちの「入植地」を訪ねて洞爺湖北岸を歩いてみた。今回は、
夕陽の見える渚公園 → 財田キャンプ場 → 徳浄寺 → 財田集会場
→ 財田親水公園をたどります。
- 旅行の満足度
- 4.0
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夕陽の見える渚公園から時計方向に湖畔を進みます。
湖畔には彫刻アート等がおかれて、遊び心を刺激してくれます。夕日が見える渚公園 公園・植物園
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木立の中に遊歩道も整備されているのですが、湖畔の岸沿いも小石を踏みしめながら歩いて行けます。
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秋の陽光に照らされる中島を眺めながらある行きます。
湖面がまぶしい。
洞爺湖村の年表を見てみよう。
1887年(明治20年) - 香川県旧丸亀藩士三橋正之ら22戸76名大原地区に移住、 「洞爺村」開基。
1889年(明治22年) - 第2次移住民80数戸が湖岸に移住。香川地区の開拓開始。
1905年(明治38年) - 林竹太郎(伊達キリスト教会牧師)旭浦地区に孤児院建 設し濃尾地震の孤児収容
1907年(明治40年) - 富岡地区の開拓開始
1905年(明治38年) - 洞爺郵便局設置[3]。
1908年(明治41年) - 洞爺初の動力船「金湖丸」就航[3]。(公共交通の開通)
道路交通網が整備される以前に、洞爺湖周辺の集落は定期便で結ばれ、集落毎に桟橋を持っていた。この財田地区もこの辺りに桟橋があったようだ。
ちなみに定期船の系譜をひく現在の観光船のようだ。 -
普通、カルデラ湖はすとーんと岸から落ち込んでいて、砂浜はあまり発達しない。
しかし、ここでは北岸はゆるやかに湖面につながっていて、のんびりと歩くことができる。。 -
木立から内側に入って行くと
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木道が整備され・・
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コテージがみえてきました。
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財田キャンプ場です。
10月下旬の平日。利用者はいません。洞爺水辺の里 財田キャンプ場 キャンプ場
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センターハウスでは冬支度が進められていました。
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キャンプ場の駐車場を抜けて北に向かいます。
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財田の徳浄寺です。
この寺を開いた佐長徳浄は、幕末安政5(1858)年2月2日、に香川県財田上村の厳嶋山「宝光寺」の次男にとして生まれた。讃岐財田駅の近くにある宝光寺は、真宗興正寺派の阿波から讃岐への教勢拡大の拠点ともなった寺院で大久保諶之丞の菩提寺でもある。
徳浄寺は、山号「宝光山」や香川の財田宝光寺詣りど今でもつながりがあるという。 -
徳浄寺の「沿革大要」には
「 佐長徳浄が明治二十八年三月状況視察のため香川県より単身渡道。
周知の込山喜平、大西鉄造、香川芳造、山田与市氏等の懇請により虻田村字ポロベツ(現在地)に草庵を結び開教に着手、時に三十八歳。
十九年三月本山興正寺より「北海道開教依憑ス」の辞令を拝し、妻セイ(三十一歳)と逞、栄、実の三子、計四人を携えて現在地に移住す。
三十年一月真宗興正派説教所の公称認可、信徒四十戸。
大正四年本堂九十坪竣工、実に香川熊造、安藤浅八、大西熊造、山本馬太郎、田緑与市、渡辺トク氏等の努力は特筆。」
香川県からの第一回移住民がこの村に入植して以来七年、移住民が待望していた寺院が故郷のお寺の次男佐長徳浄が、この地に草庵を結ぶことにより実現した。
これが徳浄寺として発展していくことになる。 -
第二代住職佐長了逞は、父佐長徳浄の長男として香川県財田村に生れ、明治二十九年三月、父母、弟の栄(八歳)、実(三歳)とともにこの地にやってきた。
そして、旧制中学校は大久保諶之丞の弟彦三郎が香川県善通寺に建学した尽誠中学校に入学・卒業している。大久保彦三郎が舎主であった尽誠舎の寄宿舎で過ごし、彦三郎を直接知り、その死を在学中に経験したことになる。
ここにも財田との「絆」が見えてくる。 -
開拓者と開基寺院との関係については、次の文章に出会い、いろいろと考えさされた。
「古来より神を敬い仏を信ずることは、日本人としての一般の習わしでした。
特に故郷を遠く離れて、蝦夷地と呼ばれる北海道に渡ってきた明治・大正・昭和の前半時代の人々にとっては、神仏を頼りとする人情に切なるものがあったように思われます。内地(本土)とは大きく違う過酷な自然環境と心細い孤独感や困苦欠乏に耐えられたのは、先祖から受け継ぎ、より強まった神仏への畏敬の念と信仰心だったと思われます。いわば天恵に依存する度合いが強い開拓の時代にあっては、神仏に祈ることが重要な役割をもっており、神仏への祈りこそが新天地で生きる人々に生活の目標と勇猛心を湧き立たせ、開拓者として働く力となっていました。そして、自分たちの生活の無事と豊漁・豊作を祈るため小祠(神様を祀る場所)を設け、道半ばで亡くなった家族を弔うために石仏・小堂(仏様を祀る御堂)を造り、更には神社・寺院の建立を願うようになったと思います。
開拓途中の掘立小屋という厳しい住宅環境と、鍋釜もまともに揃わぬ乏しい生活の中から、血の惨むような一紙半銭の浄財によって造られたのが心の拠り所としての小祠小堂です。これが現在の北海道の神社・寺院の原点なのです。開拓者が思いを抱く遠い郷里の氏神を神社に分祀し、また寺院を建立して、離れた生家の宗旨を受け継ぎ心の拠り所としたのです。」
笠谷覚真「亮昌寺百十年誌」 -
寺の入口には、由来を表す碑文が建てられいる。
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徳浄寺の北にはこの地区の集会所がある。
名称は「財田集会所」 -
さらに北に向かうと財田親水公園
洞爺水辺の里財田キャンプ場洞爺財田自然体験ハウス キャンプ場
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美田の谷頭に位置する所に広い芝生が広がっている。
もう1月半もするとここも真っ白になっていくのだろう。
その前の青い空と緑の芝生。 -
洞爺湖方面を眺めると年月を経て開墾されてきた美田の向こうに、洞爺湖から突き出すように中島が見えた。
讃岐財田から入植した人たちが築いてきたものを垣間見れた度となりました。
感謝
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