2017/10/06 - 2017/10/07
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montsaintmichelさん
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秘境 祖谷(いや)の魅力を、著書『美しき日本の残像』や古民家を再生する「桃源郷祖谷の山里」のプロデューサで知られる東洋文化研究者アレックス・カー氏が語っています。彼はエール大学で「日本学」を学び、祖谷にある築300年の茅葺古民家を購入し、「ちいおり」と命名して一時住んでいました。 有名な言葉は「祖谷は日本のグランドキャニオン」ですが、印象的なのは「昔から祖谷は最後に行き着く隠れ里だった。祖谷は現代人にとっての隠れ里であり、私にとっての隠れ里でもある」というメッセージです。「隠れ里」というフレーズには白州正子女史の随筆の影響も見られます。また、彼の著書に寄稿された坂東玉三郎氏は、彼から「美はバランスの妙にある」というダ・ヴィンチの言葉を教わったと述べています。彼がこの言葉の本質を理解し、石造とは異なる東洋建築の宿命を知っていたら、偏見や思い込みで京都や日本の田舎の変容を酷評せずに済んだと悔やまれます。
翻って今の祖谷は、彼がこの地と巡り合った1971年当時を偲ばせる処も残されていますが、すでに残像すら偲べない処もあり、それらが絶妙なバランスで共存しています。ここを訪れる者は現実を受け入れ、心眼で心の古里を観るしか術がありません。
かつて彼は、「日本には未練がない。日本はダメになった」と言い放ってタイへスピンオフしました。彼が辿り着いた「美しい日本」は、すでに残像でしかなく、その残像すら消えゆく運命だったのです。形あるものは、放置すれば廃れるのが道理です。そんな紆余曲折を辿り、現在彼は「古き日本の美」の新たな道を見据え、古民家や町の復元に取組み、地方再生の手段として「持続可能な観光」を唱えています。嘆くだけの傍観者ではなく、自ら汗を流さなければ、山里が壊滅すると自らを鼓舞したのでしょう。日本人よりも日本の山里を愛したアレックス氏の悟りの境地と言えます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
-
JR阿波池田
JR阿波池田駅から、四国交通が企画運営している昭和レトロなボンネットバスを利用した「西祖谷ツアー」に参加します。駅前を起点に、小便岩~ひの字渓谷~祖谷美人(ランチ)~かずら橋~平家屋敷~ラピス大歩危~大歩危峡舟下り~JR阿波池田駅を5時間半かけて周遊する定期観光バスです。社内アナウンスによる平家落人伝説や祖谷の歴史・名所の説明を聞きながら、秘境祖谷をのんびり堪能できます。急カーブの連続でもあり、結構揺れるため決して乗り心地の良いバスではありませんが、思い出に残る旅が演出されます。 -
秘境の小便子僧号
四国交通が購入した最後のレトロなボンネットバス4台のうちの1台です。いすゞ製エンジンに富士重工製ボディを背負い、外観に大きな改造を加えることなく現役で活躍中です。購入当時、富士重工製ボディは、特注仕様だったそうです。グリーン・アイボリー・ブルー・イエローの4色に塗り分けられています。
車両型式:いすゞBXD30
エンジン型式: DA640
エンジン年式:1966年
エンジン製造: いすゞ
荷物棚はありますが、飛行機内に持ち込めるようなサイズでも駅のコインロッカーに預けることになります。
四国交通「西祖谷ツアー」のHPです。3ヶ月前から予約可能で、2ヶ月前に予約しましたが、その時点でほぼ満席状態でした。連休中は混むようです。
早目に予約して景色の良い右側の座席を指定なさってください。因みに、予約は電話受付だけです。ツアー費は、当日駅前の受付で現金で支払います。
http://yonkoh.co.jp/periodi_1.htm -
JR阿波池田駅
ノスタルジックな丸みを帯びたヒップラインがとってもキュートです。
さて本日のツアー客は、国際色豊かです。32名中、日本人は9名だけ、つまり72%が外国人です。国も、ドイツ、ニュージーランド、スペイン、香港、台湾、インドネシア、タイと多彩です。当然、社内アナウンスも英語交じりです。因みに、2016年度は、60%のツアー参加者が外国人だったそうです。日本人でも存在を知らない方が多いローカルな現地ツアーですが、彼らの旅行に傾ける情熱には頭が下がる思いです。
2016年に大歩危・祖谷地区の主要5ホテルに宿泊した外国人は、前年比50%増の1万5千人に上ったそうです。50%超の伸びは、5年連続です。国別では、香港が54%、次いで台湾が12%、中国が7%、米国が6%となっています。
一方、観光施設の一番人気は「祖谷のかずら橋」です。ここには、前年比40%増の4万300人の外国人が訪れました。「大歩危峡の舟下り」も25%を外国人が占めるようになり、日本人の減少分を補っています。 -
So, let's hit the road! 10:45定刻の出発です。
旧式のバスですので、このように社内はとても狭く、大柄な外人さんには気の毒なほどです。故に、太った人がツアーに参加していないのは納得です。
また、空調もなく、小さな扇風機が今にも壊れそうな音を発して必死に回っています。ですから、夏のシーズンだけは通常の観光バスで運行しています。車内で熱中症なんてことになったら、洒落になりませんから…。 -
JR阿波池田駅(車窓)
駅の西側の高台から見下ろします。
このように山狭の盆地にひっそりと佇む、絵になる駅です。 -
JR阿波池田駅(車窓)
三好市における主要駅であり、観光列車「四国まんなか千年ものがたり」を除く全特急列車が停車します。(催しがある場合は、臨時停車します。) -
池田へそっ湖大橋(車窓)
吉野川に架けられた徳島自動車道路の「池田へそっ湖大橋」です。全長705m、湖面からの高さが70mあり、コンクリートアーチが碧い池田ダムの湖面に美しい影を映しています。橋が架けられている池田町は、丁度四国の「へそ」に当たるため、この橋名が採用されました。
アーチ部分はあまり見かけない形ですが、折れ線状になった「ランガー形式」と言い、最大支間長200mあり、同形式としては日本最長を誇ります。
こうしたデザインが用いられた理由は、国道・県道・町道に加え吉野川のダム湖・公園・JR土讃線を横断し、その両端はトンネルという立地条件故の選択です。複雑な立地や施工性・経済性・景観などを総合的に考慮し、逆ランガー形式のバランスドアーチ橋形式が採用されました。
因みに、2002年の土木学会デザイン賞 優秀賞を受けています。 -
祖谷川(車窓)
吉野川の支流「祖谷川」に入ると、山の斜面にへばりつく集落「そらの郷」があちらこちらに顔を覗かせるようになります。
左側に見える赤い橋が「祖谷橋」です。そこから1車線しかない県道32号に分け入ります。 -
祖谷川(車窓)
崖下には透き通った碧い清水が湛えられていますが、それとは対照的に看板にはドキッとするようなことが書かれています。
「これより26.4kmの間は、大雨のため道路が危険となった場合は通行止めをします」。V字渓谷のため、雨によって水位が極端に上昇することを示しています。
もうひとつ、マイカーを利用してここを訪れる場合の注意点があります。秘境とは言え全線舗装道路ですが、基本は車1台が通れる幅しかない崖に沿ったスリリングな道です。ですから、対向車両とはカーブ等で待機してやり過ごさなくてはなりません。基本は路線バス優先のため、対向車はすれ違うことのできる場所まで延々と戻らなくてはなりません。ですから、運転に自信のある方か「酷道マニア」以外にはお勧めできないルートです。
こうした情報が行き届いているのか、すれ違った対向車は僅か数台でした。地元の方は、路線バスが通る時間帯は利用されないのが不文律のようです。ガイドさん曰く、「困るのは紅葉の季節のマイカー観光客」だそうです。勝手が判らないため、大渋滞を引き起こすそうです。 -
祖谷川(車窓)
吉野川は、四国西部に位置する高知県吾川郡の石鎚山地にある瓶ケ森(標高1897m)にその源を発し、四国中央部を四国山地に沿って東に流れる一級河川であり、「四国三郎」とも呼ばれます。河川長は四万十川より少し短い全長194kmあり、雄大な流れは紀伊水道に注ぎます。「母なる川」の風格を持ち、流域面積が四国の河川の20%を占める四国最大の大河です。
支流に当たる祖谷川は、その源を剣山(標高1955m)に発し、徳島県池田町で吉野川に合流します。
吉野川の説明に不可欠なのが、「何故、四国三郎か?」です。 利根川を「板東太郎」、筑後川を「筑紫次郎」と言い、この3河川が国内の「天下の3大暴れ川」だからです。吉野川の名の由来については定かではありませんが、「河口付近の平野が葦(よし)に覆われていたことから」とする説が有力です。 -
小便小僧
最初の立ち寄りポイントは、剣山国定公園の祖谷渓にある「小便小僧」です。
JR阿波池田駅から45分程のドライブです。
祖谷街道にある断崖絶壁の名所「七曲」にある風呂ノ谷バス停のすぐ前にあり、祖谷渓を代表するビュースポットの一つです。 -
小便小僧
1968年に徳島県の彫刻家 河崎良行氏が制作した像です。公衆の面前で谷底に向けて半永久的に放尿を決め込むという見上げた根性のブロンズ像です。ベルギー ブリュッセルの小便小僧とは縁も所縁もなく、観光資源を兼ねた度胸試しの代役にと、当時の副知事が設置を提案したそうです。因みにこの岩は、「小便岩」と呼ばれ、絶景と像が織り成すコントラストの妙が魅力です。 -
小便小僧
鋭く切り落ちたV字型の祖谷渓をエメラルドグリーン色を呈した祖谷川が滔々と流れています。
渓流沿いの断崖には、祖谷街道の開設工事で残された小便岩がオーバーハングし、その下は吸い込まれそうなほど深い谷底です。崖からせり出すように小用を足す身長1m程の小僧の姿が微笑ましくもあります。
この像は、子どもや祖谷街道工事の作業員、旅人たちが、像のある岩の辺りで立小便をして度胸試しをしたという逸話に因んで制作されたものです。度胸試しどころか、200mの高さから見下ろすだけで足がすくみます。
高所恐怖症の男性は、股の下がスースーするのでは!? -
小便小僧
TV「ナニコレ珍百景」にも取り上げられ、実際に放尿させることもできるそうですが、何なんでしょうかこの圧倒的なスケール感は…。 -
小便小僧
雄大な自然を借景に立ち小便をしているに過ぎないのですが、その後ろ姿たるや神々しいほどの雄渾さに満ち、つい見とれてしまうほどです。
制作者の河崎氏が「4歳の息子をモデルに存在感のあるリアルさを追究した」と語っている通り、小便小僧は緊張感に満ちた真剣な面持ちをしています。また、オーバーハングした岩盤が渓谷と彫刻を繋げるステージ的な役割を果たし、渓谷美を望む絶好の「アイストップ(目印)」にもなる絶妙のコラボレーションです。往時の副知事のアイデアに脱帽です。
因みに、正面の雲湧く国見山の反対側の谷筋が小歩危峡になります。今回のツアーは、この山を一周するようなコース設定です。 -
小便小僧
こうした外人さんばかりの光景を見ていると、日本の秘境ではなく、海外旅行にでも来ているようなトランス状態に陥ります。
また、ご覧のようにバスの計測器パネルも、とってもレトロでシンプルなものです。当然パワステ仕様ではないため、ハンドルを操作するには相当の腕力が必要だそうです。ドライバーさん、ご苦労様です。 -
ひの字渓谷(車窓)
小便小僧から2.5km程の距離にあります。Google Mapで確認していただければ、川の特異な形状で場所が特定できます。
深く切れ込んだV字渓谷にエメラルドグリーンの祖谷川が美しい大歩危祖谷温泉郷は、『ミシュラン・グリーン・ガイド・ジャパン(2009)』の2つ星に登録されました。特に審査員が気に入った景観が、この「ひの字渓谷」だそうです。因みに「2つ星」は、近くに居れば寄り道する価値があることを意味します。
川の流れが大きく蛇行し、上空から見るとひらがなの「ひ」の字に見えることから、その名があります。手つかずの自然が織り成す絶景です。 -
ひの字渓谷(車窓)
谷底に川の流れを見下ろせるロケーションは限られており、有名処を含め数ヶ所しかありません。しかし、有名処が束になっても敵わないほどインパクトがあるのが、この「ひの字渓谷」です。深い谷の高低差と共に前後の奥行きも深く、中央に雄大な尾根が迫り、今回の旅行で見た風景の中でも屈指のダイナミックさです。
意外に道路から近いので、全体を写すには広角レンズを準備されると良いと思います。この写真は焦点距離10mmの超広角レンズによる撮影です。
因みにこの景色を車窓から眺めるには、バスの右側に座るのがお勧めです。予約時にお願いしてみてください。 -
ひの字渓谷(車窓)
ここでは後続車両や対向車両の状況を判断しながら、景色を眺めたり、写真撮影するために数分間バスを止めてくれます。しかし、本来駐停車できるような場所ではないため、バスから降りることはできません。
「ひ」の字の凹部に当たる尾根は、三国山の一部です。雲がかかっていなければ、カメラのフレームに入っていないかもしれません。それ位、雄大なスケールです。 -
渓谷の隠れ宿「祖谷美人」
祖谷のご当地グルメと言えば、祖谷そばです。
この「祖谷美人」は、祖谷そばが美味しい、創業40年のお蕎麦屋さんとして有名です。
ここでランチをいただきます。 -
渓谷の隠れ宿「祖谷美人」
もうひとつの注目は、祖谷の郷土料理「でこまわし」です。そば団子、固さがウリの岩豆腐、こんにゃくを串刺したゆず味噌田楽のことで、阿波人形浄瑠璃の木偶(でこ)人形のように竹串をクルクル回しながら焼くのが名の由来です。甘くてコクのあるゆず味噌が、クセになるおいしさです。ここは、お蕎麦が売りのため「そば団子」になっていますが、通常は在来種の芋「ごうしいも」です。
アメゴは徳島でよくとれる川魚で、他の地域ではアマゴと呼ばれます。クセがなく、食べやすい魚です。 -
渓谷の隠れ宿「祖谷美人」
おしながきは、季節の野菜煮物、山菜盛り合わせ、手作りこんにゃく刺身、アマゴの塩焼き、でこまわし、御飯、香の物、オレンジ。これらに、途中で2品がプラスされます。
因みに、アメゴは丸ごとかぶりついて食すのが最高です。外人さんも、見よう見真似でかぶりついています。 -
渓谷の隠れ宿「祖谷美人」
少し時間をずらして給仕されるのが、そば米雑炊です。
ソバを粉にせずに実のまま食す、全国でも珍しい郷土料理です。祖谷は高い山に囲まれて米が作れないため、代わりにソバが作られました。ソバ米とは、ソバの実を塩ゆでし、殻を剥いて乾燥させたものです。源平の合戦に敗れて祖谷に逃げてきた平家落人たちが、都を偲んで正月料理に作ったのが「そば米雑炊」のはじまりと伝わります。プチプチとした歯ざわりが特徴です。
平家の末裔がソバの白い花を見た時、どんな気持ちだったでしょうか?白は、すなわち宿敵 源氏の旗印の色です。それで、実を摘んで粉にして食べてしまおうとでも考えたのでしょうか?
しかし、ソバ粉を打てば、赤いソバになります。これでは、共食い!? -
渓谷の隠れ宿「祖谷美人」
締めは、祖谷そばです。寒冷地を好み、痩せた土地でも育つ蕎麦は、祖谷の昼夜の寒暖の差が奏功し、いつしか名物になったそうです。つなぎを使わず、他の地域の蕎麦よりも素朴な舌ざわりがあり、ジャコでとった薄口の絶妙のだし汁と太くて短い麺が良く合います。これは、最高に美味しかったです。 -
渓谷の隠れ宿「祖谷美人」
テラスからは、谷底を俯瞰できます。
七曲りにある「小便小僧」をパロディ化して作られたタヌキの置物ですが、訪れた観光客には好評で、隠れた観光名所となっています。
テラスからの祖谷渓の景色も美しく、お勧めのスポットです。 -
渓谷の隠れ宿「祖谷美人」
こちらも祖谷渓谷に迫り出した緊張感たっぷりな場所で小用を足しています。
名前も付けられており、「度胸狸るい」君だそうです。 -
渓谷の隠れ宿「祖谷美人」
こうした深いV字の祖谷渓谷を見下ろせる場所は限られているため、しっかり目に焼き付けておいてください。 -
渓谷の隠れ宿「祖谷美人」
「度胸狸るい」君は、憚ることなく、こんな景色に向かって満足げに放尿しています。 -
祖谷のかずら橋 国・県指定重要有形民俗文化財
「祖谷美人」から、バスで5分程の所にあります。
三好市西祖谷山村の祖谷渓 祖谷川に架けられた原始的な吊り橋で、「日本の三大奇橋」に含めるかどうかで話題に上る橋です。深山幽谷な「日本三大秘境」のひとつとされるロケーションにあり、雰囲気、怖さ共にトップクラスの吊り橋です。元々、西祖谷山村は、「讃岐屋島の戦い」に敗れた平清盛の甥 国盛が安徳帝を擁して落ち延びたとする「もう一つの平家物語」が語り継がれる隠田集落としても名高い地です。かつてはこの吊り橋が渓谷地帯唯一の交通施設でしたが、現在は祖谷渓観光のハイライトに出世しています。
「見るからに渡るも嫌(祖谷:いや)のかずら橋 身もはいかかる心地こそすれ」(『浪花桃苗』) -
祖谷のかずら橋
祖谷の歴史は古く、かつては13本の「かずら橋」が存在していたそうです。江戸時代の1641年に描かれた『阿波国大絵図』や1647年の『阿波国海陸道度之張』には、その内の7本の存在が記録され、歴史を物語ります。しかし、大正時代初期に一時ワイヤー橋へ架替えられた経緯があるそうですが…。
吊り橋の起源は、空海が当地巡行の際、村人の不便の解消のために架けたものだとか、1185年の「屋島の戦い」に敗れた平国盛が源氏が追ってきてもすぐに切り落とせるように蔓を束ねて架けたものなど、諸説あります。
現在残っているのは、この「祖谷のかずら橋」と剣山に近い東祖谷菅生にある「奥祖谷二重かずら橋」の2本だけです。二重かずら橋は、男橋(おばし)と呼ばれる長さ42mのものと女橋(めばし)と呼ばれる20mの橋が並んで架けられていることから、「男橋女橋」とも「夫婦橋(みょうとばし)」とも呼ばれています。 -
祖谷のかずら橋
全長45m、幅2m、水面から14mの高さに架かる橋です。シラクチカズラと呼ばれる蔓のツルは丈夫で腐り難く、熱を加えることで自在に曲げられ加工し易く、スチール製ワイヤのコアにこの蔓を編み込んでいます。つまり、現在の蔓はワイヤロープを包み隠すためのデコレーションとも言えます。 -
祖谷のかずら橋
吊り橋の床面は「さな木」と呼ばれる丸太や割木を荒く編んだもので、それがはしごの様に一定間隔に並んでいます。ですから、足を踏み出す度に揺れてスリリングです。床板の間隔は揺れを助長するかのように広くとられ、その隙間からは谷底の激流が覗くというおまけ付きです。
足元以上に横のスカスカ感の方が強烈ですが、平家が耳にした「諸行無常の響き」に比べれば、どうってことのない怖さです。因みに現在は、3年に1度架け替えられ、安心・安全を担保しています。 -
祖谷のかずら橋
「かずら橋」が全国に知れ渡ったのは、1970年に旧国鉄が企画した「ディスカバー・ジャパン・キャンペーン」に登場したのがきっかけです。幼少の身(?)でしたので僅かに記憶にあるだけですが…。
かずら橋には、標高1000m級の高山に自生する直径8cmの「シラクチカズラ」が5トン使われています。
因みに3年毎に架け替えられますが、シラクチカズラは鹿の食害に遭うなどして地元では確保できず、現在は県外で採取しているそうです。ですから地元の中学校では、苗木移植を行って将来は地元産を使って架け替えができるよう活動されています。 -
祖谷のかずら橋
徳島平野を貫流する吉野川の支流になる祖谷川は、四国の霊峰 剣山に源を発する清流で、深いV字渓谷を形成しています。「四国の屋根」とか「阿波のチベット」と呼ばれる祖谷地方は、急峻な山が連なる偏狭の地です。それ故に祖谷川両岸の往来は困難を極め、住民たちが創意工夫の末に架けたのが、このかずら橋です。秘境と呼ばれ文明から隔絶された地であったが故に、中世以来の生活様式や独特の分化・習慣が伝承されている稀有なエリアです。 -
祖谷のかずら橋
河原には大きな岩がゴロゴロしていますが、全て庭石として高級な「阿波青石」です。青石は、変成岩の内の結晶片岩に分類される良質な緑泥片岩のことを言います。つまり、アルミニウムや鉄、マグネシウムなどの含水ケイ酸塩鉱物を主成分とする緑泥石が、地中深くで地殻変動によって「動力変性」を受けて出来上がったもので、地殻変動の顕著だった所に産出されます。
徳島県では四国山地の剣山山系がメッカであり、阿波青石は「大谷通れば石ばかり、笹山通れば笹ばかり…」と阿波踊りのはやし詞にも詠まれるほどです。因みに、徳島城の石垣にも使われています。 -
祖谷のかずら橋
この橋は「日本三奇橋」のひとつにも数えられ、岩国(山口県)の錦帯橋、甲斐(山梨県)の猿橋、日光(栃木県)神橋、黒部川(富山県)愛本橋と並ぶ「奇橋」とされています。
また祖谷は、白川郷(岐阜県)、椎葉村(宮崎県)と並ぶ「日本三大秘境」の一つでもあります。
もう一つ記せば、祖谷渓は、青森の谷地温泉や北海道のニセコ薬師温泉などと並び、「日本三秘湯」に数えられている温泉地でもあります。 -
祖谷のかずら橋
少し残念なのは、混雑防止のために一方通行にされ、1度しか渡れないことです。因みに、こちらの橋の出口へはコンクリート製の別の橋を渡っても行けます。どうしても吊り橋を渡れない方は、そちらを利用してください。 -
祖谷のかずら橋
平家落人の村とされる西祖谷山村には、南北朝時代の頃、土佐の幡多郡有井荘に流された後醍醐天皇第一皇子 一宮尊良親王の妃 加羅宇多(からうた)姫の伝説が残されています。
伝承では、姫は親王の後を追って阿波へ渡り、陸路土佐を目指すも、祖谷の田ノ内集落で長旅の疲れにより若宮を早産し、若宮を亡くしました。この地にわが子を葬り、産後の静養のままならね中、土佐まで行くも、既に親王は京へ渡った後でした。再びもと来た道を戻り、わが子の墓所のある祖谷の里にある古宮嶽(現 古宮神社)で力尽きて亡くなりました。やがて母子は、西祖谷山村の若宮神社と古宮神社に祀られました。それ故、古宮神社は安産の神として尊崇されています。 -
琵琶の滝
かずら橋の出口から50mほど先に行った右手にあります。
平家落人たちが古都の生活を偲び、琵琶を奏でながらつれづれを慰め合ったとの由来から、この名があります。高さ50mから白糸を引くように落下し、水量も多いため思いのほか雄壮な滝です。しかし、その水音はどこか繊細であり、哀愁を誘います。清涼感溢れる滝は、かずら橋でスリルを堪能した後の癒しスポットでもあり、クールダウンに最適です。滝壺直下まで行くことができ、マイナスイオン全開のパワースポットとしても知られています。
「辺りにはたえず平家の物語 いとおもしろき琵琶の滝つ瀬」(『浪花桃苗』) -
祖谷のかずら橋
琵琶の滝の所から河原に降りることができます。
ここから見上げるかずら橋の借景は、山と共に暮らす集落「そらの郷」です。
大自然が2億年かけて磨き上げた渓谷の峻険さは、祖谷を俗世から隔離してきました。平家落人に格好の「隠れ里」だったのは想像に難くなく、現代人には「失われてしまった何か」を求道する心の古里です。
祖谷の古代史については史料がなく不詳ですが、祖谷の住人が平家や源氏の子孫と称したことや伝承から、祖先は各地からの移住者と推測されます。「祖谷の開祖」として語られるのが、恵伊羅御子(えいらみこ)と小野媼(おののうば)の夫婦です。彼らが紀州熊野から入山したのは、1200年前の奈良時代です。恵伊羅御子は剣山に登って山頂大岩へ山神を祀り、その後、谷伝いに現在の名頃より菅生へ至り、祖谷川を川下へ開拓したと伝わります。また彼らは、土着民に農耕や機織を教えたとされ、通称「お山さん」と呼ばれました。尚、地内の地名は当地を開拓した彼らの事蹟に因むとされ、恵伊羅御子の墓は「お山公園内」の洞窟の奥にあります。因みに『続日本紀』には、「752年、京師の巫覡(ふげき=シャーマン)17人を捉えて、伊豆・隱伎・土左等の遠国に配す」とあり、祖谷は土佐からも近く、この2人はこの巫覡だったと解釈できます。 -
祖谷のかずら橋
平安~鎌倉時代には「平家落人伝説」があり、平家残党を追討して四国に渡った源氏方の新羅三郎義光の後裔 小笠原清光は、名家 菅生家の血筋が絶えたのを惜しみ、菅生姓を名乗ったと伝えられています。その 菅生家には「源氏の白旗」が家宝として伝わり、中央上部に「八幡大菩薩」と記され、その下に小笠原氏の定紋「三階菱」が染められているそうです。鶴岡八幡宮で武運長久を祈って神霊を込めた神旗と伝わり、八幡太郎義家の弟 義光の手から菅生家に渡されたと伝えられています。現在、この白旗は三加茂町の内田家が所蔵しています。(『阿波伝説集』) -
祖谷のかずら橋
南北朝時代には、「山岳武士伝説」や四国平定後の「祖谷山一揆」などの歴史があります。「山岳武士」とは、南朝に従って剣山周辺の山間部で活動した在地の武士を言い、南朝派の阿波山岳武士が妙体山に城塞を構えたと伝わります。近年の研究では、「山岳武士」という用語の見直しが迫られているものの、少なくとも、山間部で暮らしたり、そこを往来した人たちがいたのは間違いないそうです。祖谷を制圧した武将の子孫が建てたとされる、武家屋敷「喜多家住宅」がその名残とされます。
また、「祖谷山一揆」は、長宗我部元親が豊臣政権に屈し、豊臣氏の重臣 蜂須賀家政の阿波国支配に反対して勃発した土豪層を中心とする一揆を言います。 -
西祖谷山村物産館「かずら橋夢舞台」
「秘境 祖谷」で訪問者を失望させるのが、観光用に建てた「バベルの塔」、否、巨大立体駐車場「かずら橋夢舞台」です。急峻な斜面に段々畑と民家が憩う原風景「そらの郷」は祖谷をはじめ西阿波の特徴ですが、祖谷川縁に忽然と現れる近代的鉄筋構造物は桃源郷「祖谷渓」のイメージを木っ端微塵に砕きます。バブル期に国家予算を投じ、年間ピーク駐車台数を賄える規模の駐車場を造ってしまったという失敗例です。上高地のようにマイカー規制等の手段もあった筈ですが…。また、巨大な物産館や食堂、地域活性化施設も併設しており、それらがこの場所に不可欠だったのか大いに疑問です。
「秘境 祖谷」の言葉を躍らせ、観光客を形振りかまわずに呼び込もうとした「エコノミック・アニマル」の成れの果てです。アクセスが不便な地域であり、マイカーや観光バス依存なのは判りますが、もう少し工夫があればと悔やまれます。こうした安易な観光開発を許していては、インバウンドどころか日本人観光客も激減し、しっぺ返しを喰らうこと必至です。観光に携わる方には、「他山の石」と捉えていただきたい光景です。
因みに建物は、東京藝術大学名誉教授だった故 黒川哲郎氏の設計です。氏の真骨頂は木の素材を活かした地球環境に配慮した設計でしたが、ここの外観にはその片鱗すら見られず残念です。この建物が氏のHPの代表作から外されているのは、意図的でしょうか?
こうした悪評を顧みて、三好市「かずら橋周辺整備構想」が始動しています。プロジェクトの今後に期待したいものです。くれぐれも「夢舞台」を祖谷観光のハブにするなんてことのないように、顧客目線でお願いしたいものです。 -
西祖谷山村物産館「かずら橋夢舞台」
欧州では、絶景が消滅の危機に瀕しているのをご存知でしょうか?地球環境保護のために輸送手段をCO2排出量の多い自動車や航空機から鉄道にモーダル・シフトしており、鉄道インフラ整備のために絶景がその犠牲になっています。
潔く絶景を放棄したのは、イタリア ジェノヴァとフランス国境近くのヴェンティミリアを結ぶ路線です。海岸線に沿って線路が伸び、途中は単線という歴史ある路線でした。しかし急峻な地形が自然災害を引き起こし、運休が散発していました。そのため、トンネルを掘削して新線を敷いたのです。その代償となったのが美しい車窓風景です。この路線は『ヨーロッパ鉄道時刻表』が選んだ景勝ルートでしたが、サンレモ駅周辺のヤシの並木風景や、イタリア鉄道写真では最も有名なチェルヴォ周辺の風景が失われました。もうひとり甚大な被害を被ったのは、地域住民でしょう。
国内の事例には、山陰本線旧線があります。しかし現在は、嵯峨野観光鉄道がトロッコ列車で復旧させています。一方、スイスではフルカ蒸気鉄道が廃線になりましたが、その後一部の区間を復活させました。共通するのは、復活に気の遠くなるようなエネルギーを費やしたことです。山陰本線旧線は3年を要し、フルカ鉄道に至っては18年を費やしています。因みにスイス アルプス鉄道のトンネル化事業では、賢明にもゴッタルド峠の名物「3重ループ」路線をローカル線として共存させています。観光が主眼ですが、トンネル内の事故時のリスクヘッジも兼ねています。「覆水盆に返らず」とはよく言ったもので、利便性と引き換えに失われた風景は相当な覚悟がなければ復活できません。 -
シュウカイドウ
かずら橋の周辺に咲き誇る、楚々とした花です。
シュウカイドウ科シュウカイドウ属(ベゴニア属)に分類される多年生草本球根植物です。バラ科の海棠(カイドウ)に似た花を秋に咲かせることから、和名「秋海棠」の名があります。原産地は、中国大陸(山東省以南)、マレー半島です。日本には江戸時代初期に園芸用に持ち込まれた、帰化植物です。
まず雄花が咲き、更に花茎が2股に分かれて伸びて新たな雄花が咲き…を3、4回繰り返して最後はその先端に雌花を下向きに咲かせます。雌花は三角錐の形の子房が付き、雄花とは容易に区別できます。
俳句では秋の季語として詠まれます。
「秋海棠 西瓜の色に 咲きにけり」 松尾芭蕉
花言葉は、「自然を愛す」「恋の悩み」「片思い」「未熟」。「片思い」はハート形の葉の片方だけが大きくなり、非対称になるのが由来とされます。
この続きは、桐葉知秋 阿波紀行⑨秘境 西祖谷<後編>エピローグでお届けいたします。
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