2017/06/22 - 2017/07/03
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ダイスケitさん
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イタリア旅行12日間も終盤になり、残るはローマ観光2日間となった。これまでの分と、この後の旅程は以下のようになっている。
【個人】1日目:成田-コペンハーゲン-ミラノ、ミラノ泊
【個人】2日目:ミラノ-トリノ、トリノ観光、トリノ泊
【個人】3日目:トリノ-ジェノヴァ、ジェノヴァ観光、ジェノヴァ-ミラノ、ホテルでツアーに合流しミラノ泊
【ツアー】4日目:ミラノ観光、ミラノ-ヴェネツィア、ヴェネツィア泊
【ツアー】5日目:ヴェネツィア観光(ツアー)、ヴェネツィア観光(フリー)、ベネツィア泊
【ツアー】6日目:ヴェネツィア-フィレンツェ、フィレンツェ観光、フィレンツェ泊
【ツアー】7日目:フィレンツェ自由行動(午前、午後)、フィレンツェ泊
【ツアー】8日目:フィレンツェ-ローマ、ローマ観光、ローマ泊
【ツアー】9日目:★ローマ自由行動(ティヴォリ観光&★ローマ観光(S.M.マッジョーレ大聖堂、ボルゲーゼ美術館))、★ローマ泊
【個人】10日目:ローマ自由行動(ヴァチカン観光&ナボーナ広場・パンテオン等)、ローマ泊
【個人】11日目:ローマ-コペンハーゲン-成田
【個人】12日目:帰国
35年前の出張時に、ミラノ・ヴェネツィア・フィレンツェを訪れたことは既に書いてきたが、その時には最初にローマも訪れて半日観光しており、更にはその数年前にもヨーロッパ一周2週間の旅行で、一日ローマ観光を行っていた(この時は、2週間でロンドン・リスボン・マドリッド・ローマ・スイス・パリを周遊するという、今では考えられない盛り沢山ツアーだった)。
従い、代表的なローマ名所の観光は3度目となるので、同じコースのみでは到底満足出来なくて、ローマ近郊の世界遺産も含む他の名所旧跡や美術館を訪れるために、1日のフリータイムに加えて帰国延長しての観光1日の合計2日間のローマでの自由行動(9・10日目)の設定となった(★が今回の内容)。
第12回目は、9日目の自由行動時に訪れた下記のうち、朝一番のサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂と夕方のボルゲーゼ美術館を訪れた時の模様となる。(□は前回済み)
■サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
□【世】ヴィッラ・アドリアーノ(ハドリアヌス帝別荘)
□【世】エステ家別荘
■昼食
■ボルゲーゼ美術館
■夕食
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 航空会社
- スカンジナビア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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9日目、テルミニ駅近くのホテルの最初の朝食。ごく変わり映えしない内容だが、特に文句はない。
この日は、ローマ郊外のティヴォリの世界遺産2個所を見学するために個人ガイドを予約しており、8時半にホテルに車で迎えに来てくれることになっている。後先となってしまったが、そのティヴォリ観光の模様は、前回の(11)でお伝えした通りである。 -
朝食を終えて、約束の8時半までには少し時間があったので、ホテル近くのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を見物に出掛けた。
ホテルから緩やかな坂を数百m下ると、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が左側に見えてくる。7時半過ぎと朝早いので、人影はまばらだ。 -
教会への入口は反対側にあったので、教会正面に向き合うようにぐるりと回り込む。こちら側は全面に朝日を受けていた。
【サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、「偉大なる聖母マリアにささげられた聖堂」の意で、教皇が建築させたローマの四大バシリカ(古代ローマ様式の聖堂)の一つに数えられる。四大バシリカとはこのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂とサン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖パウロ大聖堂)である。
「サンタ・マリア・マッジョーレ」(聖母マリアの聖堂)という名称には二つの意味がある。一つは世界の聖堂の中でも特に重要な教会、まさに母なる教会であるということ。第二にカトリック信仰において古代より尊重されてきた聖母マリアへの崇敬を表す聖堂であるということである。世界中に聖母マリアにささげられた聖堂があるが、その中で最大のものがサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂である。
アヴィニョン捕囚からローマ教皇がローマに戻ったあと、ラテラノ大聖堂が荒れ果てていたため、一時的にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が教皇宮殿として用いられていた。後にバチカンに教皇宮殿がつくられ、教皇はそこに移って現代に至っている。また、1929年に結ばれたラテラノ条約のとりきめによって、イタリア政府は、バチカン市国外であってもサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂におけるバチカンの特別な権利を認めている。】ウィキペディアより -
外に面した柱と教会入口の間には、大きなテラス状の空間がある。
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教会内部は大きなバシリカ(聖堂)の空間となっており、人影はほとんどない。
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この日は金曜日だったのでミサも行われておらず、人影のない教会の奥の方へ進んで行く。
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身廊天井。
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祭壇のひとつ。
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床の大理石模様も見応えがある。
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祭壇上部の装飾。
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クーポラの下まで進んで、天井画を見上げる。光の入り方が良いためか、細部に至るまではっきりと見ることが出来る。
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主祭壇寄りの右側廊には、16世紀に造られたシスティーナ礼拝堂がある。。
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礼拝堂内部の壁の装飾・彫刻も立派なものだ。
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天井画。
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クーポラ内部の宗教画も鮮やかに見て取れる。
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この教会を見物していると、ツアー一行の一組の夫婦が入ってきた。彼らは、前日に行けなかったヴァチカン見物のバスの出発が9時とのことで、それまでの時間を利用して見学に来たのだ。我々は、ティヴォリへの出発が8時半だったので、先に失礼することになった。
ティヴォリ観光の模様は、既に書いた(このシリーズの(11)をご覧ください)。 -
ティヴォリからホテルに帰着したのは、14時前になっていた。
昼食がまだだったので、簡単に済ませるべくホテル前のピザハウスへ。 -
ウィンドウの中にある多くの種類のピザの中から、指差して2種類を選択。ビールも同時に頼んだので、ちゃんと椅子に座って食べることが出来る(笑)。
ほどなく、オーブンでもう一度焼き直してパリパリで熱々のピザが出てきた。生地が薄いので、食べ易い。二人で10数ユーロの昼食だったが、冷えたビールと相まって美味しく食べることが出来た。
この日の次の予定は、17時予約のボルゲーゼ美術館となっていて、2時間半ほどの空き時間がある。「さて、どうするか?」となったが、トリノでもヴェネツィアでもフィレンツェでも、フリータイムの午後~夕方は、一旦ホテルに戻って大休憩(昼寝)が丁度具合良かったので、この時もすぐに相談がまとまった。もう、30歳若かったら、もう1個所ぐらい地下鉄を利用して見物出来たかもしれないが、無理は禁物だ(笑)。
冷房の効いたホテルの部屋で、横になって暫しの休憩。 -
16時前にノロノロと起きだして、早めにボルゲーゼ美術館に行くことになった。
ホテルのフロントでタクシーを頼み料金を聞いたら、「近いので10ユーロぐらいでしょう」と教えてくれた。実際、15分ほどで到着したボルゲーゼ公園入口までは、9ユーロだった。
美術館は公園の中にあり、車は入れない。公園の門に、「ガレリア・ボルゲーゼ」の標識が架かっていた。 -
公園の中に入って行くと、ほどなくボルゲーゼ美術館が見えてくる。この美術館は、完全予約制でしかも2時間単位での入替え制となっているが、ベルニーニの彫刻を見たくて日本で予約しておいた。美術館の周りにチラホラ見える人達は、我々同様に次回の17時を予約しているのだろう。
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美術館正面の装飾。
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まだ入場時間まで30分以上あるので、地下のチケット売り場でeチケットと入場券を交換したり、その横にあるミュージアムショップで図録を見ながら予習をしたりして、時間を潰していた。
【ローマ市内の広大なボルゲーゼ公園 の一画にあるこの美術館には、ボルゲーゼ家歴代の美術コレクション(ボルゲーゼ・コレクション)が展示されている。ボルゲーゼ家はシエナ出身の貴族で、教皇パウルス5世を出した名門である。
美術館の建物は、シピオーネ・ボルゲーゼ(1576- 1633年)が夏の別荘として建てたもので、1613年ごろ着工。完成は1616年。 設計者はオランダ人のヤン・ファン・サンテンである。シピオーネ・ボルゲーゼは枢機卿であり、当時の芸術家に多くの作品を注文したパトロンでもあった。
建物の完成から約2世紀を経た19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトが、ボルゲーゼ家の多くの美術品をフランスに持ち出し、ルーヴル美術館に移してしまうという事件があった(当時、ボルゲーゼ家は経済的危機にあって所蔵の美術品を手放しつつあった。加えて、当時のボルゲーゼ家当主カミッロ・フィリッポ・ボルゲーゼの妻はナポレオン・ボナパルトの妹ポーリーヌであった)。こうした事件を経てもなお、当館にはルネサンス・バロック期のイタリア美術の優品が数多く伝えられている。イタリアの国立美術館として公開されるようになるのは1903年のことである。1階には彫刻、2階には絵画を展示する。】ウィキペディアより -
公園内には、セグウェイに乗っている人もいた。
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公園の門近くの噴水(水飲み場)。
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この噴水付近から美術館方向を見る。
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17時前になったので入口付近に待機していたら、そのうちに入場許可が出た。この2時間の鑑賞時間帯は、確か200人限定なので混み合うこともない。
美術館に入ってすぐのテラス部分。ここにも彫刻が多く展示されている。 -
テラスの反対側。
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入ってすぐの玄関大広間。
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その大広間の天井フレスコ画。
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床のモザイク画、「剣闘士のモザイク」。
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剣を右手で掲げている像は、2世紀頃の「戦うサテュロス」。
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玄関大広間は、天井画と床のモザイクと彫刻に飾られていた。
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「戦うサテュロス」の反対側には、これも2世紀の「バッカス」。
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壁には、「マルクス・クルティウス騎馬像」。これも1~2世紀頃の作品だ。
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次の部屋に進むと、「パオリーナ・ボルゲーゼ」像が横たわっていた。
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更に次の部屋には、ベルニーニ作の「ダヴィデ」像。
【17世紀に活躍したジャン・ロレンツォ・ベルニーニは、バロックの時期を代表するイタリアの彫刻家、建築家、画家。「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と賞賛されたバロック芸術の巨匠である。古代遺跡が残る古き都ローマは彼の手によって、壮大なスケール、絢爛豪華な装飾にあふれる美の都に変貌していった。人々は彼の作品を「芸術の奇跡」と絶賛した。】ウィキペディアより -
壁際には、同じような小さなアスリートの像が並んでいる。
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ダヴィデは、凛々しい表情をしている。
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同じくベルニーニの「アポロンとダフネ」像。
著名な彫刻が、ひとつずつ部屋の真ん中に置かれていて観客が少ないので、非常に見やすくなっている。 -
像の周囲を回りながら、角度を変えて撮影する。
今にも動き出しそうな躍動感が素晴らしい。 -
アポロンとダフネ。
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次の比較的広い部屋の真ん中に立つ、ベルニーニの「プルトンとプロセルピナ」。
この美術館で鑑賞していると、これらの著名な像を日本に持ってきて、例えば国立新美術館のパネルに囲まれた部屋で見ても、値打ちはそれほど感じないだろうと思う。つまり、像と部屋と壁や天井の装飾が相まっての雰囲気が素晴らしいのだ。観客がパラパラというのも、いい。 -
プルトンとプロセルピナ。
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この小品は、スシーニの「ファルネーゼの雄牛あるいはディルケの刑罰」。
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空間の大きさが良く見てとれる。
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再び小さな部屋に入ると、ベルニーニの「アエネアスとアンキセス」。
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アエネアスとアンキセス。
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同じ部屋の片隅には、ベルニーニの「真実」。
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「真実」の手の先の彫刻には、「太陽」という名前が付いている。
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ベルニーニの彫刻は見終わり、天井画と床のモザイク画を観ながら、進んで行く。
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壁画と天井画。
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床面のモザイク画。
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1階の彫刻の最後は、「踊るサテュロス」。これは紀元前4世紀のオリジナルによる模刻を2世紀に修復したものとのこと。
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踊るサテュロスのある部屋。
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2階は、絵画のフロアーになっている。
これは、カラヴァッジォの「バッカスに扮する自画像」。 -
カラヴァッジォの「ゴリアテ(自画像)の首を持つダヴィデ」。
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カラヴァッジォの「聖ヨハネ」。
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カラヴァッジォの「果物籠を持つ少年」。
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カラヴァッジォの「聖ヒエロニムス」。
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カラヴァッジォの「馬丁たちの聖母」。
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ラファエロの「降架」。
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ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」。
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天井画。
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クラナッハの「ヴィーナスと蜂の巣を持つアモール」。
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16世紀のプレシャニーノの「ふたりの愛神の間のヴィーナス」。
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天井画。
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これは、ベルニーニの絵画3点。左から、「子供の肖像」、「成人した自画像」、「若い自画像」。
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ルーベンスの「ピエタ」。
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壁面の絵と天井画。
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ティツィアーノの「聖愛と俗愛」。
それほど作品数も多くないので、絵画もひと通り観たことになった。 -
退出する前に、1階の玄関大広間にもう一度行ってみる。
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最初に入ってすぐに見た光景だ。
館内は空いているしそれほど作品数も多くないので、スムーズに回ることが出来た。繰り返しになるが、完全予約制・入替え制・人数限定というのは、事前準備が万端であれば、優雅に鑑賞出来るいいシステムだ。
約1時間半の鑑賞を終えて退出。ベルニーニとカラヴァッジォを満喫した夕べだった。 -
美術館の建物の裏には、ちょっとした庭園があった。
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ここからどうやって帰るかになったが、復路については何も考えていなかった。もちろん、タクシーが捕まる訳でもなく、夕暮れ時のパラパラとしている雨模様でそれほど暑くもなかったので、歩いてみようとなった。
地図を見ながら、テルミニ駅を目指す。 -
途中、共和国広場を過ぎる。ここまで来れば、ゴールは間もなくだ。
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30~40分ほど歩いて、駅前の広場まで来て迷子になる心配がなくなると、今度は夕食の心配だ(笑)。
ホテルまであと数分のところで、パスタや美味そうな前菜の看板がある店(スナックバー)を見つけた。 -
テラス席もあったが、暑いので冷房の効いている店内の席に座る。
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注文したのは、シーフードサラダ(茹でたエビ・貝・イカをオリーブオイルとバルサミコで味付けしたもの)とトマト味のスパゲティ。もちろん、ビールも。
一人前ずつ2品の注文だったが、ボリュームたっぷりだ。スパゲティは、ツアーで食べたものとは異なり、熱々でトマトの出汁も良く効いており美味い。シーフードは、言うまでもなく日本人好みの料理だ。
何の変哲もない街角の小さな店のB級グルメが、この旅行一番のご馳走だった。 -
デザートには、4種盛りのアイスクリーム。これを2人で分けて食べ、満腹となった。料金は、合計37ユーロ程度。ほどほどの値段で、満足感一杯だった。
食事を終えて、数分でホテルに帰着。20時半になっていた。
翌日はローマ観光最後の日で、朝食付きヴァチカン博物館の早朝鑑賞からスタートとなる。
(続く)
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この旅行記へのコメント (4)
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- 出張が多かった小旅人さん 2017/10/13 22:50:02
- 素晴らしい
- 凄い写真ばかりですね
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- 出張が多かった小旅人さん 2017/10/13 22:49:24
- 素晴らしい
- 凄い写真ばかりですね
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- 出張が多かった小旅人さん 2017/10/13 22:49:21
- 素晴らしい
- 凄い写真ばかりですね
- ダイスケitさん からの返信 2017/10/18 22:45:44
- RE: 素晴らしい
- 出張の多い小旅人さん
お褒めにあずかり、ありがとうございます。
イタリアは教会も美術館もフォトジェニックな対象ばかりですし、おまけに沢山写真を撮るものですから、必然的に素晴らしい写真が残っています。もっとも、沢山の写真の中から選ぶ作業も大変なものですが(笑)。
イタリア旅行記はまだ続きますので、またお立ち寄りください。
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