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 前日大連から飛行機でハルピン(哈爾浜)に移動。<br /> ハルピンに着いてハルピンシャングリラホテルで寝たのが午前2時過ぎ。<br /><br /> 従って今日の観光は、少し遅めで10時にホテルを出発。<br /><br /><br /> まず、松花江での船の遊覧である。<br /> 松花江は、川幅が広く、水量の多い河であった。<br /> ただ水は、濁って真茶色の色をしていた。<br /><br /> 船着場から、船に乗って遊覧に出る。<br /> 岸辺に昨晩泊まったシャグリらホテルが見えた。<br /> 河の所々で流れに逆らって、泳いでいる人が、沢山いた。<br /> 多分健康の為、毎日泳いでいる人達であろう。<br /><br /> 途中警察学校の生徒達が乗った船が何隻もすれ違った。<br /> 何か行事が行われていたのであろう。<br /><br /> 続いてハルピンの中心街中央大街に出て市内散策を行う。<br /> さすがに人が多く渋谷や新宿にいる感じがした<br /> 街の中には、中国の田舎から来た観光客が沢山いた<br /> 日本人を始め、外国人風の人は余り見かけなかった<br /><br /> 昼食後、郊外にある“金太祖阿骨打御陵遺跡”に向かって市外に出る<br /> とにかく道が悪い。<br /> 砂利道で道路の至る所に穴が開いている。<br /> また舗装されている所でも表面がでこぼこでバスが飛び跳ねる。<br /><br /> やがて、一面畑となり、所々に人民公社風の家が現れる。<br /> バスは、道をそれて道なき道を畑の中をかまわず走っていく。<br /> 畑の真ん中にバスは停められた。<br /><br /> 遥かかなたに少しこんもりと盛り上がった堤防上に<br /> 盛り土が四方を囲んでいるところが見える。<br /> これが、昔の城壁の跡だと言う。(阿城上京会寧府遺跡)<br /> そしてこんもりと盛り上がった所に石碑があった。<br /><br /> ここは西暦1100年代女真族の金朝という王国が栄えた所、<br /> 今は一面野菜、トウモロコシ畑になっている。<br /> この畑の地中に遺跡が沢山眠っているのであろう。<br /><br /> 底から西に約300m行った所に“金太祖阿骨打御陵遺跡”がある<br /><br /> これが高さ10m周囲ながさ100m余りの土の丘陵<br /> 金時代初期の寧神殿。<br /> 中は良く整備されていて、公園のようになっていた<br /><br /> 続いて東に2.5kmくらいの所の石人山の西麓にある、<br /> 珍しい形をした男女の石造(亜溝摩崖石刻像)があると言うことでそこに向かう<br /><br /> しかし現地ガイドも運転手も行った事がないということで<br /> 途中で地元のガイド(道先案内)3人乗せて<br /> さらに田舎道の舗装もされていない細い道を行く。<br /> とてもバスの走る道ではない。<br /> 随分走った所で橋を渡ろうとしたら<br /> 観光バスではその橋は渡れないと<br /> 立ち往生してしまう<br /> いろいろ地元の人に聞いて結局今はそこに行く道は修理中で<br /> 車は通れないと言う事が判明。<br /> 辺りも暗くなってきた為、そこに行くのは結局諦めることになる。<br /><br /> どうも腑に落ちないのは、<br /> 雇った道先案内人は地元の役所の人間らしいが<br /> どうしてそんな事がわからず現地に連れて行こうとしたのか<br /> しかも3人も着いて来た。<br /> うん、“This is Chinese???”<br /><br /> ハルピンは市内中心街は、大変な近代的都市である。<br /> しかし、一歩郊外に出ると<br /> とたんに昔ながらのいかにも貧しそうな家並みと成り、<br /> 家も古くて汚い<br /> 一方、道路にはいろいろな乗り物があふれて<br /> 街を行く人々を奪いあっていた<br /> 

中国東北三省歴史文化の旅 3(ハルピン)

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2005/08/31 - 2005/09/01

68位(同エリア418件中)

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21

ウナデン

ウナデンさん

 前日大連から飛行機でハルピン(哈爾浜)に移動。
 ハルピンに着いてハルピンシャングリラホテルで寝たのが午前2時過ぎ。

 従って今日の観光は、少し遅めで10時にホテルを出発。


 まず、松花江での船の遊覧である。
 松花江は、川幅が広く、水量の多い河であった。
 ただ水は、濁って真茶色の色をしていた。

 船着場から、船に乗って遊覧に出る。
 岸辺に昨晩泊まったシャグリらホテルが見えた。
 河の所々で流れに逆らって、泳いでいる人が、沢山いた。
 多分健康の為、毎日泳いでいる人達であろう。

 途中警察学校の生徒達が乗った船が何隻もすれ違った。
 何か行事が行われていたのであろう。

 続いてハルピンの中心街中央大街に出て市内散策を行う。
 さすがに人が多く渋谷や新宿にいる感じがした
 街の中には、中国の田舎から来た観光客が沢山いた
 日本人を始め、外国人風の人は余り見かけなかった

 昼食後、郊外にある“金太祖阿骨打御陵遺跡”に向かって市外に出る
 とにかく道が悪い。
 砂利道で道路の至る所に穴が開いている。
 また舗装されている所でも表面がでこぼこでバスが飛び跳ねる。

 やがて、一面畑となり、所々に人民公社風の家が現れる。
 バスは、道をそれて道なき道を畑の中をかまわず走っていく。
 畑の真ん中にバスは停められた。

 遥かかなたに少しこんもりと盛り上がった堤防上に
 盛り土が四方を囲んでいるところが見える。
 これが、昔の城壁の跡だと言う。(阿城上京会寧府遺跡)
 そしてこんもりと盛り上がった所に石碑があった。

 ここは西暦1100年代女真族の金朝という王国が栄えた所、
 今は一面野菜、トウモロコシ畑になっている。
 この畑の地中に遺跡が沢山眠っているのであろう。

 底から西に約300m行った所に“金太祖阿骨打御陵遺跡”がある

 これが高さ10m周囲ながさ100m余りの土の丘陵
 金時代初期の寧神殿。
 中は良く整備されていて、公園のようになっていた

 続いて東に2.5kmくらいの所の石人山の西麓にある、
 珍しい形をした男女の石造(亜溝摩崖石刻像)があると言うことでそこに向かう

 しかし現地ガイドも運転手も行った事がないということで
 途中で地元のガイド(道先案内)3人乗せて
 さらに田舎道の舗装もされていない細い道を行く。
 とてもバスの走る道ではない。
 随分走った所で橋を渡ろうとしたら
 観光バスではその橋は渡れないと
 立ち往生してしまう
 いろいろ地元の人に聞いて結局今はそこに行く道は修理中で
 車は通れないと言う事が判明。
 辺りも暗くなってきた為、そこに行くのは結局諦めることになる。

 どうも腑に落ちないのは、
 雇った道先案内人は地元の役所の人間らしいが
 どうしてそんな事がわからず現地に連れて行こうとしたのか
 しかも3人も着いて来た。
 うん、“This is Chinese???”

 ハルピンは市内中心街は、大変な近代的都市である。
 しかし、一歩郊外に出ると
 とたんに昔ながらのいかにも貧しそうな家並みと成り、
 家も古くて汚い
 一方、道路にはいろいろな乗り物があふれて
 街を行く人々を奪いあっていた
 

旅行の満足度
4.0

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  • <br /> ハルピンシャングリラホテルにて


     ハルピンシャングリラホテルにて

  • <br /> 松花江の遊覧を行う


     松花江の遊覧を行う

  • <br /> 松花江は大変川幅の広い川であった


     松花江は大変川幅の広い川であった

  • <br /> 甲板に椅子があり景色を眺める


     甲板に椅子があり景色を眺める

  • <br /> 石炭を満載した船が行きかう


     石炭を満載した船が行きかう

  • <br /> 松花江の水は、茶色に濁っていた


     松花江の水は、茶色に濁っていた

  • <br /> 紅い旗を振りながら警察学校の生徒達の船が<br /><br /> 列を成して通っていった<br /><br /> 何か行事をしていたのであろう


     紅い旗を振りながら警察学校の生徒達の船が

     列を成して通っていった

     何か行事をしていたのであろう

  • <br /> ハルピンの繁華街<br /><br /> 中央大街は、中国地方から来た人で<br /><br /> 賑わっていた<br /><br /> 日本人、外国人の姿は余り見られなかった


     ハルピンの繁華街

     中央大街は、中国地方から来た人で

     賑わっていた

     日本人、外国人の姿は余り見られなかった

  • <br /> 広場にはいろいろなモニュメントが並んでいた


     広場にはいろいろなモニュメントが並んでいた

  • <br /> 馬車のモニュメント<br /><br /> 子供達が喜んで乗っていた


     馬車のモニュメント

     子供達が喜んで乗っていた

  •  阿城上京会寧府遺跡<br /><br /> 金朝の前期の都城遺跡で、<br /><br /> 金の  太祖(1115~23)<br />          太宗(1123~35)<br />     熙宗(1135~49)<br />     海陵王(1149~61)<br />  四帝、合わせて46年間、都城として栄えた<br /><br /> 旧跡は上京路と会寧府の役所が設置された場所

     阿城上京会寧府遺跡

     金朝の前期の都城遺跡で、

     金の  太祖(1115~23)
       太宗(1123~35)
         熙宗(1135~49)
         海陵王(1149~61)
    四帝、合わせて46年間、都城として栄えた

     旧跡は上京路と会寧府の役所が設置された場所

  • <br /> 周りは、すっかり土に覆われ一面畑となっていた


     周りは、すっかり土に覆われ一面畑となっていた

  • <br /> 土で覆われた、城子跡を登って見物


     土で覆われた、城子跡を登って見物

  • <br /> 周りは、一面畑<br /><br /> 農家が、畑仕事をしていた


     周りは、一面畑

     農家が、畑仕事をしていた

  • <br /> 道なき道を進み<br /><br /> 畑の真ん中にバスを停めて


     道なき道を進み

     畑の真ん中にバスを停めて

  • <br /> 金太祖阿骨打御陵遺跡<br /><br /> 金の太祖完顔阿骨打(1068~1123)は、<br /><br /> 金朝初代の皇帝で、1115年に即位し、<br /><br /> 国号を大金、年号をを収国、都城を会寧と定めた


     金太祖阿骨打御陵遺跡

     金の太祖完顔阿骨打(1068~1123)は、

     金朝初代の皇帝で、1115年に即位し、

     国号を大金、年号をを収国、都城を会寧と定めた

  • <br /> 中は、石灯篭が並び芝生で綺麗に整備されていた


     中は、石灯篭が並び芝生で綺麗に整備されていた

  • <br /> 石造も沢山並んでいた


     石造も沢山並んでいた

  • <br /> 祠の中には、石の用品が並んでいた


     祠の中には、石の用品が並んでいた

  • <br /> 発掘された品々が展示されていた


     発掘された品々が展示されていた

  • <br /> 太祖を葬る寧神殿(1123年)


     太祖を葬る寧神殿(1123年)

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