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この旅行記では、「金比羅火口災害遺構散策路」を紹介します。<br /><br />1977年、2000年に発生した有珠山の噴火は、今でも我々の記憶に残っています。<br />2000年の噴火では、西山と金比羅山に噴火口が合計60ヶ所以上できましたが、地元住民の避難が徹底され直接的な人命の被害がありませんでした。<br />そして、自然の脅威を伝えるため、2000年の有珠山噴火の災害の様子をそのまま残した「西山山麓火口散策路」が2002年に整備されました。<br />2005年には洞爺湖温泉街からほど近い「金比羅火口災害遺構散策路」が整備され、訪れた人々に火山活動を伝える重要な役割を果たしています。<br /><br />なお、旅行記は洞爺湖町「ふたつの火口散策路ガイドマップ」を参考にしました。<br />

2000年有珠山噴火時の災害遺構が伝える教訓(北海道洞爺湖町)

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2017/07/04 - 2017/07/04

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かっちん

かっちんさん

この旅行記では、「金比羅火口災害遺構散策路」を紹介します。

1977年、2000年に発生した有珠山の噴火は、今でも我々の記憶に残っています。
2000年の噴火では、西山と金比羅山に噴火口が合計60ヶ所以上できましたが、地元住民の避難が徹底され直接的な人命の被害がありませんでした。
そして、自然の脅威を伝えるため、2000年の有珠山噴火の災害の様子をそのまま残した「西山山麓火口散策路」が2002年に整備されました。
2005年には洞爺湖温泉街からほど近い「金比羅火口災害遺構散策路」が整備され、訪れた人々に火山活動を伝える重要な役割を果たしています。

なお、旅行記は洞爺湖町「ふたつの火口散策路ガイドマップ」を参考にしました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
高速・路線バス タクシー JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 金比羅散策路の案内図<br /><br />西山山麓火口散策路の北口に、金比羅散策路の入口があります。<br /><br />洞爺駅前~洞爺湖温泉を走る道南バス「西山遊歩道」バス停のところです。<br /><br />ここから金比羅山フットパスに入り、有くん火口、珠ちゃん火口、砂防ダム付近の災害遺構を見学し、洞爺湖ビジターセンターまで歩きます。<br /><br />

    金比羅散策路の案内図

    西山山麓火口散策路の北口に、金比羅散策路の入口があります。

    洞爺駅前~洞爺湖温泉を走る道南バス「西山遊歩道」バス停のところです。

    ここから金比羅山フットパスに入り、有くん火口、珠ちゃん火口、砂防ダム付近の災害遺構を見学し、洞爺湖ビジターセンターまで歩きます。

  • 金比羅散策路入口<br /><br />金比羅火口展望台は、散策路ではなく紛らわしいです。<br /><br />ピンク色した元消防署の前を横切る道が散策路です。<br />

    金比羅散策路入口

    金比羅火口展望台は、散策路ではなく紛らわしいです。

    ピンク色した元消防署の前を横切る道が散策路です。

  • 金比羅山フットパス(散策路)<br /><br />草の中に案内板が隠れていました。<br />

    金比羅山フットパス(散策路)

    草の中に案内板が隠れていました。

  • 木の実沢 展望台<br /><br />1977年の噴火前まで、金比羅山は森林で覆われ、コクワや山葡萄が実り、清水が湧き出す里山でした。<br />西隣の木の実沢は住民の生活の場でした。<br /><br />1977年噴火で降灰・断層・泥流の災害が発生し、2000年噴火でいくつかの火口が開き、現在は砂防ダムがつくられています。<br />

    木の実沢 展望台

    1977年の噴火前まで、金比羅山は森林で覆われ、コクワや山葡萄が実り、清水が湧き出す里山でした。
    西隣の木の実沢は住民の生活の場でした。

    1977年噴火で降灰・断層・泥流の災害が発生し、2000年噴火でいくつかの火口が開き、現在は砂防ダムがつくられています。

  • 噴火の面影を思わせる枯れ木<br />

    イチオシ

    噴火の面影を思わせる枯れ木

  • 神秘的な色の「有くん火口湖」<br /><br />2000年噴火でできた火口です。<br /><br />噴火終息後、火口内に一時多量の温泉水が溜まり、現在は青い水を湛えた火口湖となっています。<br />

    イチオシ

    神秘的な色の「有くん火口湖」

    2000年噴火でできた火口です。

    噴火終息後、火口内に一時多量の温泉水が溜まり、現在は青い水を湛えた火口湖となっています。

  • 洞爺湖の眺望(有くん火口から)<br /><br />2000年噴火で火口からあふれ出た熱泥流が、洞爺湖畔近くに建つ桜ヶ丘団地を襲いました。<br /><br />被害が予想される地区の住民は避難していたので、この噴火による死傷者はありませんでした。<br /><br />写真手前の建物が災害遺構として保存し公開されています。<br />

    洞爺湖の眺望(有くん火口から)

    2000年噴火で火口からあふれ出た熱泥流が、洞爺湖畔近くに建つ桜ヶ丘団地を襲いました。

    被害が予想される地区の住民は避難していたので、この噴火による死傷者はありませんでした。

    写真手前の建物が災害遺構として保存し公開されています。

  • ひっそり佇む「珠ちゃん火口湖」<br /><br />「有くん火口」付近から階段を下りると「珠ちゃん火口」があります。<br /><br />このあたりは噴火で常に変動を繰り返す「火山性活断層」があり、断層線上の西端に「珠ちゃん火口」があります。<br /><br />有珠山の一文字もらい「珠ちゃん火口」と名付けられました。<br />

    ひっそり佇む「珠ちゃん火口湖」

    「有くん火口」付近から階段を下りると「珠ちゃん火口」があります。

    このあたりは噴火で常に変動を繰り返す「火山性活断層」があり、断層線上の西端に「珠ちゃん火口」があります。

    有珠山の一文字もらい「珠ちゃん火口」と名付けられました。

  • 旧国道230号線に出ます<br />

    旧国道230号線に出ます

  • 巨大な砂防ダム<br /><br />砂防ダム沿いに通ります。<br />

    巨大な砂防ダム

    砂防ダム沿いに通ります。

  • 熱泥流を堰き止める目的の砂防ダム<br />

    熱泥流を堰き止める目的の砂防ダム

  • これが沢<br />

    これが沢

  • 有珠山砂防事業<br /><br />今通った巨大砂防ダムは1Gのところです。<br /><br />西山・金比羅山の沢沿いに、いくつかの砂防ダムが設置され、一番下流に巨大砂防ダムがあります。<br />

    有珠山砂防事業

    今通った巨大砂防ダムは1Gのところです。

    西山・金比羅山の沢沿いに、いくつかの砂防ダムが設置され、一番下流に巨大砂防ダムがあります。

  • 洞爺湖電気鉄道<br /><br />昭和4年~16年まで、国鉄虻田駅(現、JR洞爺駅)から洞爺湖まで電車が通っていました。<br />

    洞爺湖電気鉄道

    昭和4年~16年まで、国鉄虻田駅(現、JR洞爺駅)から洞爺湖まで電車が通っていました。

  • 沢を渡る鉄道橋脚跡(洞爺湖電気鉄道)<br />

    イチオシ

    沢を渡る鉄道橋脚跡(洞爺湖電気鉄道)

  • おそらく洞爺駅跡(洞爺湖電気鉄道)<br />

    おそらく洞爺駅跡(洞爺湖電気鉄道)

  • 金比羅火口災害遺構物の案内<br /><br />橋が2件、家屋が2件などの遺構が外から見学できます。<br />

    金比羅火口災害遺構物の案内

    橋が2件、家屋が2件などの遺構が外から見学できます。

  • さくら橋<br /><br />この橋は西山川の上流に架かっていた三つの橋のうち、ただ一つだけ流されずに残った2000年噴火時の橋です。<br />

    さくら橋

    この橋は西山川の上流に架かっていた三つの橋のうち、ただ一つだけ流されずに残った2000年噴火時の橋です。

  • 流れてきた橋「木の実橋」<br /><br />旧国道230号線カーブ区間に架かっていた国道橋。<br /><br />2000年噴火時の熱泥流によって流されてきました。<br />

    流れてきた橋「木の実橋」

    旧国道230号線カーブ区間に架かっていた国道橋。

    2000年噴火時の熱泥流によって流されてきました。

  • 桜ヶ丘団地パネル<br /><br />2000年噴火時、3棟並んでいた公営住宅のうち、噴石と泥流の被害が大きかった1棟を保存しています。<br /><br />ここから500m程のところにある火口から、噴石や火山灰がなどが噴出しました。<br />住民は事前に避難していたため無事でしたが、この周辺の建物や道路には、噴石が多数落ちてきました。<br /><br />噴火の実情を後世に伝え、減災に繋げるために、被災時のまま保存展示しています。<br /><br />

    桜ヶ丘団地パネル

    2000年噴火時、3棟並んでいた公営住宅のうち、噴石と泥流の被害が大きかった1棟を保存しています。

    ここから500m程のところにある火口から、噴石や火山灰がなどが噴出しました。
    住民は事前に避難していたため無事でしたが、この周辺の建物や道路には、噴石が多数落ちてきました。

    噴火の実情を後世に伝え、減災に繋げるために、被災時のまま保存展示しています。

  • 被災した公営団地(桜ヶ丘団地)<br /><br />噴石が多数落ちて窓ガラスが割れ、写真の左側から泥流が押し寄せてきました。<br />

    イチオシ

    被災した公営団地(桜ヶ丘団地)

    噴石が多数落ちて窓ガラスが割れ、写真の左側から泥流が押し寄せてきました。

  • 団地の1階部分(桜ヶ丘団地)<br /><br />壁面に残る大きな傷は、熱泥流によって流されてきた「木の実橋」がぶつかった跡です。<br /><br />室内は泥流と堆積した火山灰によって埋もれています。<br />

    団地の1階部分(桜ヶ丘団地)

    壁面に残る大きな傷は、熱泥流によって流されてきた「木の実橋」がぶつかった跡です。

    室内は泥流と堆積した火山灰によって埋もれています。

  • 土砂が侵入した1階(桜ヶ丘団地)<br /><br />避難命令は約1年3ヶ月後に解除されましたが、1階部分は家財道具も取り出せないままになってしまいました。<br />

    土砂が侵入した1階(桜ヶ丘団地)

    避難命令は約1年3ヶ月後に解除されましたが、1階部分は家財道具も取り出せないままになってしまいました。

  • 壊れたベランダの柵(桜ヶ丘団地)<br />

    壊れたベランダの柵(桜ヶ丘団地)

  • やすらぎの家(遺構)<br /><br />桜ヶ丘団地近くの洞爺湖寄りにある「やすらぎの家」は、町営温泉浴場として昭和63年(1988)に建てられました。<br /><br />2000年噴火の前年に改修したばかりで、地元の人達と観光客が楽しく交流していた場所でした。<br /><br />2000年噴火によって熱泥流がここにも押し寄せました。<br />

    やすらぎの家(遺構)

    桜ヶ丘団地近くの洞爺湖寄りにある「やすらぎの家」は、町営温泉浴場として昭和63年(1988)に建てられました。

    2000年噴火の前年に改修したばかりで、地元の人達と観光客が楽しく交流していた場所でした。

    2000年噴火によって熱泥流がここにも押し寄せました。

  • 泥流のしぶきがそのまま残る玄関(やすらぎの家)<br /><br />建物の内部は約1mもの厚さで泥流に埋もれています。<br />

    泥流のしぶきがそのまま残る玄関(やすらぎの家)

    建物の内部は約1mもの厚さで泥流に埋もれています。

  • 備品が倒れる休憩室(やすらぎの家)<br />

    備品が倒れる休憩室(やすらぎの家)

  • 泥流で埋まる大浴場(やすらぎの家)<br />

    泥流で埋まる大浴場(やすらぎの家)

  • 年月が経ち、草が生える大浴場(やすらぎの家)<br />

    年月が経ち、草が生える大浴場(やすらぎの家)

  • 噴石で窓ガラスの割れた大浴場(やすらぎの家)<br />

    噴石で窓ガラスの割れた大浴場(やすらぎの家)

  • ノイバラの花<br /><br />今は自然が戻り平穏です。<br />

    ノイバラの花

    今は自然が戻り平穏です。

  • 洞爺湖ビジターセンター<br /><br />金比羅散策路を出たところに、ビジターセンターがあります。<br />館内では、洞爺湖周辺の観察情報、有珠山の自然史、周辺に生息する動植物を紹介しています。<br /><br />併設している火山科学館では、1977年噴火、2000年噴火を中心に、有珠山の火山活動を映像や解説、体感装置などで紹介しています。<br />

    洞爺湖ビジターセンター

    金比羅散策路を出たところに、ビジターセンターがあります。
    館内では、洞爺湖周辺の観察情報、有珠山の自然史、周辺に生息する動植物を紹介しています。

    併設している火山科学館では、1977年噴火、2000年噴火を中心に、有珠山の火山活動を映像や解説、体感装置などで紹介しています。

  • 特急スーパー北斗<br /><br />洞爺駅から特急に乗り、新函館北斗駅で新幹線に乗り継ぎ、東京へ帰ります。<br /><br />北海道新幹線が開通したおかげで、6時間ほどで帰れます。<br />

    特急スーパー北斗

    洞爺駅から特急に乗り、新函館北斗駅で新幹線に乗り継ぎ、東京へ帰ります。

    北海道新幹線が開通したおかげで、6時間ほどで帰れます。

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