2017/09/05 - 2017/09/05
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ドクターキムルさん
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旧東海道の戸塚宿・上方見附から藤沢方面は登り坂になる。この坂道に「大坂下」、「大坂台」、「大坂上」のバス停がある。「大坂下」のバス停は丁度この「上方見付跡」にある。
しかし、戸塚第一地区連合町内会には「大坂上町内会」、「大坂上マンション町内会」、「大坂台町内会」はあるが、「大坂下町内会」はなく、「戸塚町坂下町内会」がある。
また、坂下第六天神社が鎮座し、工事看板の地図には「坂下」と記載されている。
こうしたことからも、通称「大坂下」の字名は「坂下」であろう。
では、江戸時代に東海道であった頃にはこの戸塚の坂には名前がなかったのであろうか?
(表紙写真は工事看板の地図に記載された「坂下」)
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「上方見付跡」にある戸塚バスセンター行(戸塚駅西口経由であるが戸塚駅の行先表示はなされない)のバス停。
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「上方見付跡」にある藤沢方面行のバス停。
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「上方見付跡」史跡標柱。
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「横浜市地域史跡」。
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「東海道五十三次 戸塚」。歌川広重(初代)作。嘉永年間(1848年~54年)。
本図は、戸塚の宿を過ぎて汲沢村の辺りの山道を描くが、宿外れの坊示杭が右手に見え、手前に松の大木がある。
第六天神社あたりからの坂を大坂といい、急勾配の坂が続き、標高差約40m の松並木のある坂上へと出たという。かつては二つの坂から成り立っていて、「新編相模国風土記稿」によれば、一番坂登り一町(110m)余、二番坂登り三十間(54m)余であった。大坂は、昔は短く急な坂で旅人にとっては難儀な険しい坂であった。
昭和の初めに道路改修され、一番坂、二番坂は1つのなだらかな坂になった。「大坂」と呼ばれるのはこれ以降であろうか? -
富塚郵便局。
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「横浜市戸塚土木事務所」。
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横浜戸塚土木事務所向かいの工事看板。
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工事看板の地図に記載された「坂下」の地名。
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坂下第六天神社。
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「坂下第六天神社 お祭り 例 祭のご案内」。
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