
2015/12/26 - 2016/01/03
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ふくうめちゃんさん
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毎年恒例・夫と行く年末年始の台湾旅行は11年目に突入。今年も2匹のニャンを預けて、台北を気ままにブラブラ。
台北孔子廟をでてお隣の大龍同※保安宮へ。
※正しくは山へんに同の文字
※表示できない環境文字は似た日本語(読)を充ててあります。
※敬称略
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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孔子廟の向かいにある保安宮庭園『隣聖苑』、大龍街を横断してこの門から中に入ります。
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あ、屋根の上に飛びリス~
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保安宮の主祀は、「あらゆる病気を治す」医術高名の神医として信仰篤い『保生大帝』
保生大帝は実在の人物で『姓は呉、名は夲、字は華基、別号雲東という、福建省泉州府同安県白礁郷の人』だといいます。
『宋朝太平興国4年(979年)3月15日生まれ。
幼少から聡明で学問を修めたのち、崑崙山に昇り西王母(※1)のもとに七日間とどまり、神方法術を伝授される。
24歳の時貢挙により御史(文書記録の官史)に任ぜられるが辞職し、大雁東山で隠居・専心修養し三界に霊通し伏魔の霊能を体得する。
後に故郷の白礁に庵を結び、経の説法をし、聖道と慈悲を広め、丹薬を作り、救世に尽力する。
一生菜食で、妻帯せず、医術に優れ、貴賤の分け隔てなく人を救った。
仁帝景佑2年(1036年)5月2日、58歳で白鶴に乗って昇天したといわれる』
※1 中国古代神話の女神。道教の最高位の神「玉皇上帝※2」の妻で女神の最高位・すべての女神仙女の元締めとされている。西の仙境・崑崙山に住み、三千年に一度実をむすぶ仙桃(不老不死の霊薬)を所有している長寿の神。
※2 「天帝」無形の天を具現化した神で宇宙の創造者・支配者で万物の根拠とされている。あらゆる神・仙人を統御し、さらに全ての人間の行為を算定し運命を決定すると信じられている。 -
神医としての多くの逸話があり、その一部を題材としたジオラマが庭園にはあります。
『点龍眼』
天上の巨竜が眼に病を患い痛みに耐えかね、人に化けて呉夲に治療を求めました。眼を診て龍だと見破った呉夲は「本来の龍の姿に戻れば治してやる」と告げ、龍がその姿に戻った時に治療しました。快癒した龍は何度も感謝し天空に飛んで行きました。
呉夲が昇天した際、この巨龍は呉夲の騎乗する龍として仕えたといわれています。 -
『医虎喉』
呉夲が薬草を採るため山に入ったところ、うめき声を立て苦しんでいる一頭の虎と遭遇。虎は「一人の婦人を襲って食べたがその骨(頭にさしていた簪)が喉に痞えた」と苦痛を訴え呉夲に助けを求めました。呉夲は「おまえは多くの人や獣を殺した、これは天の懲罰だからお前を救うことはできない」と虎を責めましたが、虎は立ち去ろうとせずずっとその場で頭を下げ懺悔し続けたので、一椀の呪水を与えます。これを飲み下したところ喉をふさいでいた骨は消え快癒しました。
虎はその恩徳に感謝し、それ以後片時も呉夲から離れず、生前は乗り物として働き、死後も忠誠に守護しました。そして保生大帝の守護神「黒虎将軍」となったそうです。 -
庭園の南側に池があり、中央に龍の噴水。
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障壁が綺麗だったので近くで見てきました。
この壁の向こうにバス停「大龍同保安宮」があります。 -
池周囲をぐるり一周して、保安宮へ向かいます。
清代の台湾は同郷出身者が集落を作り暮らしていて、各集落はそれぞれ廟をもっていました。集落の出身地の神を尊び、廟の主祀としました。
保生大帝は神医であると同時に泉州同安県出身者の郷土神、「保佑同安(同安人を守る)」から保安宮と命名されました。 -
庭園の北、向こうに見えてきました~国家第二級古蹟『大龍同保安宮』。
台湾最大規模の保生大帝廟。(萬華)龍山寺・清水厳祖師廟と並んで台北三大廟(古刹)と称されております。
清朝乾隆7年(1942年)福建泉州府同安の移民が故郷同安県白礁郷の祖廟・慈済宮の保生大帝から分霊し奉祀したのが始まり。当時は住民も少なく財力も乏しかった為木造の粗末な廟だったが、乾隆20年(1755年)に増築を開始し5年後竣工。
大龍同の士紳・王一族などが土地を提供、共同で資金を集めて嘉慶10年(1805年)現在地に再建。25年の歳月をかけ道光10年(1815年)完成。
清朝同治7年(1868年)と日本統治時代の大正7年(1918年)二度の再建を経て現在の廟の容貌となる。
戦争の影響で荒廃し1950年大陸からきた軍人と家族に占拠されたが、保安宮保存委員会主任委員・林拱辰の尽力で1966年宮中の違法建築群を撤去し修築に着手。その後庭園等の造営、後院ビル完成、修繕などを経て現在に至る。 -
「坐北朝南」北を背にした南向きの寺廟。
前の道路はアスファルトではなく石畳、創建当時の様子を再現したのだとか。
保安宮が創建された清の時代、廟は信仰の場だけではなく冠婚葬祭や会合なども行う集落の集会所の役割も持っていました。集落・組織が利権を争う「械闘」という抗争が繰り返されていた時代で、廟が防御の砦となりました。
なので、この保安宮も強靭な壁に四方を囲まれ、門を閉ざせば完全に孤立し人が侵入できない要塞のような造りをしています。
前殿『三川殿』面幅は11間、威風堂々とした門構え -
保安宮の屋根は赤い竹節瓦、
三川殿は二重屋根、中央に赤い珠・両側にそれを守る龍。
中央に三開間の三門、西の虎門、中央門、東の竜門。他の寺廟と同じで中央門は通常出入りに使えません。
蟠龍の巻き付いた二本の柱は嘉慶9年(1804年)に彫られたもので、保安宮最古の石造彫刻だそうです。八角柱に4爪の竜の前足は波に、後足は雲に登りとぐろを巻いている清代中期の代表作。
中央門の前に「天公炉」 -
中央門両脇に一対の『石獅』、龍柱同様嘉慶年間に彫られたもの。慣例では雄獅子は口を開け雌獅子は口を閉じているのですが、職人が誤って雌獅子の口を大きく裂けさせてしまったため工賃を減らされたという逸話が残されているそうです。
中央正面の壁は全て石材を使用。石材には隙間が殆どないほど彫刻が施されていて、重厚でありながら豪華。 -
東側牆壁には龍、西側には虎の石刻。
寺廟の左右対を成す壁面には五行の「東左青龍」「西右白虎」に基づくこのような装飾がよく見られます。 -
交趾陶・剪粘・泥塑などの福建南部・みん南地区特有の装飾はこちらでも多く見ることができます。
写真は以前天気のいい日に撮影した東山門。
山門の壁面は赤煉瓦、書巻竹節窓、水車堵を飾る装飾、牆壁に描かれている絵画は儒教の「孝感天地」。 -
交趾陶の雕塑像(粘土や石膏で作った、釉薬をかけ低温で焼成した陶磁器)
このスズメは陶磁器ではなく本物です。 -
寺廟参拝の基本は「東側侵入 西側退出」=「龍側から入り、虎側からでる」→「福を得て厄災を避ける」意味があるとのこと。
東山門から中へ入ります、敷居を踏まないように注意。
右側に「香燭處」でお供え物が買えます(拝拝セットは確か50元)。お供えなしの参拝でも問題はありません。 -
拝拝セットに入っている紙銭やお菓子は供物台に供え、赤い蝋燭2本は火をつけて三川殿両側の燭台に立てます。
お線香を持ち順に香炉を廻り参拝します。
紙銭はあの世のお金、神様に供えるものは金紙といいます。金紙は燃やすことで天に届くので、参拝が終わったら外の金爐(金紙専用の焼却炉)で燃やします。止めてある輪ゴムを外して1枚ずつ爐の中に入れるようです(そのまま入れない)。
お菓子は持って帰ります。 -
三川門の内部
露明造り、二通三瓜式
彫刻や絵画の装飾がびっしり、煌びやか~! -
緻密な彫刻と絵画、凄すぎます。
保安宮の梁上画は三国志や史記に関連するものが多いようです。 -
三川殿の山門には観音開きの左右の扉、外に面した側に一対で描かれてる『門神』は検閲を司り悪鬼から門を守る神様。
現在の保安宮の門神像は1983年人間国宝・劉家正が描いたもの。
立身出世の象徴「鰲魚ごうぎょ」が左上の梁柱に飾られいますね。 -
東護室前に無料のお線香と點火處、お線香の所に参拝順序が書いてあります。
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龍山寺同様、香炉の数が10→7に減っていました。
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中心部分は正殿をぐるりと取り囲む回廊のように建物が配されています。前殿・正殿・後殿の三進式で左右に護龍が配された、‘回字形三殿’という様式。
殆ど左右対称ですが、実は左右で少し異なるようです。大正6年(1917年)の修復時に、陳応彬と郭塔という2人の名匠が現場で技を競いあった結果とのこと。
昔は建築の際棟梁を2人雇い左右を受け持たせることがよくあり、基本設計は同じでも彫刻に技量を発揮して競争したそうです。 -
『保安宮正殿』
屋根部分がとても大きく感じます。
燕尾のように反り返った二重屋根、中央の七級宝塔には魔除けの意味があります。屋根の先には『伸び続ける、永遠に続く』を意味する巻草と、『火災除けのお守り』鴟吻(しふん)の剪粘 -
台北孔廟の鴟吻は龍に似ていたけれど、保安宮の鴟吻は魚に近い形。鱗の一枚一枚まで見事に表現されてる!
剪粘:陶磁器を特殊な工具で剪(切り)形にしたあと、成形した型に粘土で黏(くっつける) -
屋根と屋根の間にも精巧緻密な彫刻がびっしり、木彫りの「八仙大鬧東海(八仙過海)」。
左右でデザインも雰囲気も全然違いますね。前述したように二人の名巧が腕を競った結果で、左半分が(西側)郭塔、右半分が(東側)陳応彬の作品。 -
正殿正面の4本の龍柱
二匹の蟠龍(双竜)が巻き付いている2本の内柱は、大正7年の再建時に追加された龍柱。口の開いた龍が雄、閉じているのが雌。双竜は天地の安泰と平和を象徴するそうです。 -
一匹の蟠龍が巻き付く2本の外柱は清朝嘉慶10年(1805年)のもの。同年代に作られた三川殿の龍柱に似ています。
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木造構造は三通五瓜式
三川殿同様梁上画や木彫りなどで装飾されていますが、より整然とした落ち着いた雰囲気です。
床に敷かれた褐色タイルは幾何学模様のようです、場所によって配置のされ方が違っています。‘人‘‘丁’の文字を示しているとか。
正殿の丹ち(香炉のある月台)の六角形の配列は‘蜂の巣‘を現しているそうです。 -
東壁面の龍の交趾陶
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正殿の正面に祀られているのはもちろん主祀『保生大帝』
呉夲は昇天した後も数々の神績を残し賜号されていて、この『保生大帝』の称号は明の永楽年間に賜ったものだそうです。
『明の永楽7年、成祖の孝慈皇后は患った乳房の病に苦しんでいました。治療効果が一向に見られず、大帝は道士に化け診察することを願い出ます。皇后が恥ずかしがって直接診察を受けることを拒むため、糸の先を患部に当て糸線を門外まで引き間接的に診療することを提案。その診察を信用できなかった皇后は糸先に柱や猫を付けてみたそうですが大帝はそれらを見破り、皇后は診察に応じます。大帝の指示した治療法でたちまち皇后の病は完治。喜んだ太子が報奨金で報いようとしたものの受けることなく、大帝は鶴に乗って去っていきました』
後に即位した太子(仁帝皇帝)は報恩に感謝し、「昊天闕御史慈済医霊妙道真君万寿無極保生大帝」の称号を授けました。
左右両側には『三十六神将』
『もとは玄天上帝に仕えていた神達。玄天上帝は三十六官将を担保(人質)に保生大帝から宝剣を借りたが、威力を持つ宝剣を手放せず返さなかっため、保生大帝は三十六官将を護壇神将として身辺に留めた』
そして前述した保生大帝の守護神『黒虎将軍』もこちらに居ります。 -
正殿の両側に配されている東西護室(写真は西護室)
鐘鼓楼を護室の頂上に置いた建築物で、その楼閣は四角形。台湾でよく見られる六角形と異なり特殊な造型とのこと。 -
こちらの屋根にも色彩豊かな交趾陶や剪粘などの装飾が施され綺麗です。
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東西護室に配された竹節窓
奇数の竹が陽を、偶数の間隔が陰を表している→陰陽の調和を意味しているのだそうです。
日本寺院にある多重塔が奇数なのも同じ理由(奇数=陽)との事。 -
東護室の『天上聖母』航海・漁業の守護神、海洋を守る女神『媽祖』です。
大陸から海を渡ってきた移民が多かった台湾ではポピュラーな神様の一人。
『宋代に実在した林黙娘が神となったもの。
黙娘は宋朝建隆元年(960年)3月23日、福建省興化府の官吏の7女として生誕。幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤かったが、16歳の頃に神通力を得て、悪や災いを退け、病を治すなどの奇跡を起こし「通賢霊女」と呼ばれ崇められた。
28歳の時に父が海難に遭い行方不明になり、悲嘆した黙娘は旅立ち、その後、峨嵋山で仙人に誘われ神となったとされる。宋朝太祖雍熙4年(987年)9月9日に修行を終え昇天。その後も赤い衣装を身に纏い海の上を舞い、海難事故に遭った人々を救助する姿が度々目撃されたという』
天上聖母の脇を固めるのは、あらゆる人の声を聴き分け天上聖母に報告する『順風耳』と、あらゆるものを見分けて天上聖母に知らせる『千里眼』 -
保安宮の柱に記された対聯(文字)は保生大帝の徳を讃える内容だそうです。
正殿周囲の回廊には故事に因んだ壁画。
人間国宝・潘麗水が1973年に描いた作品で非常に価値の高いものだそう。
「韓信跨下受辱」、「朱仙鎮八槌大戦陸文竜」、「鍾馗迎妹回娘家」、「八仙大鬧東海」、「花木蘭代父従軍」、「虎牢関三戦呂布」、「賢哉徐母」の7枚。 -
正殿裏に中央の大きな壁画は「八仙大鬧東海」。
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後殿。屋根は単層。正殿と比較するとこじんまりとしています。
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後殿中央2本の石柱は花鳥柱。日本統治時代・大正6年(1917年)の修築時の作品で、牡丹と雀が彫られています。
後殿の屋根も美しい交趾陶や剪粘で装飾されています。 -
後殿は小部屋のように区切られた空間が並んでいて、それぞれに神様が居られます。
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後殿中央にあるのが神農殿、その前に香炉があります。
保安宮の香炉には龍生九子のひとり、さん猊が装飾されています。『獅子に似て安静と火や煙を好む』『人の話を聞くのが好き』 -
神農殿に鎮座する『神農大帝』は農業・医薬の神様。
古代の中国の炎帝・神農氏が神になったものと伝えられています。
上半身裸、胸と腰を木の葉で多い、稲穂を右手に持っています。
農具を発明し人々に開拓と農耕を教え、狩猟から農耕へ導いた農業の神様。
又、あらゆる草を舐め毒性を検証分類、薬草に精通していて人々の病を治した医薬の神様としても信仰されています。
台湾が干ばつに見舞われた際、神農大帝に雨乞いしたところ間もなくして雨が降り、凶作が解消されたといいます。その恩恵に感謝し保安宮後殿にお祀りすることになったとか。 -
『玄天上帝』
四霊(青龍・朱雀・白虎・玄武)の玄武の化身で、北方守護の神様。
保生大帝から借りた宝剣を返さなかった神様ですね‥。
玄天上帝が昇天した後、世の中で悪さをした部下の亀将軍と蛇将軍を服従させるのに宝剣を借りたのだそうです。 -
『孔聖夫子』学問の神様
孔子廟に祀られていた先聖先師・孔子は、道教の神様としても信仰されています。
孔子廟は位牌でしたが、ここには孔子像が祀られていました。背部の絵画は龍ではなく麒麟。 -
『関聖帝君』財運・信用・商売の神様
「三國志」で数々の武勇伝を残した、後漢時代に実在した武将・関羽です。
忠義を貫き正義感が強く、また算術にたけることから商売の神様として知られています。勝負必勝、学業仕事運、商売繁盛、家内安全などの御利益があると言われています。
左に居るのは『周蒼将軍』。関聖帝君の侍神、主君の武器である青竜刀を守っています。右に居る『関平将軍』は関羽の息子で側近の侍神、手にしているのは印綬。
周蒼将軍も関平将軍も、何故か洋装‥。 -
後殿を飾る木彫りの彫刻のひとつ。
これは合戦の様子、緻密で精巧なだけでなく躍動感にあふれています。 -
今にも動きだしそうなスズメ‥。台湾の寺廟を装飾する木彫りはどこでみてもかなりリアル。
-
後殿にある保恩堂には位牌が並んでいました。械闘で命を落とした義勇公をお祀りしているらしいです。
後殿の後ろにそびえる後棟ビル
3階 大雄寶殿『釈迦牟尼仏』『観世音菩薩』→仏教の神様
4階 凌霄寶殿『玉皇上帝(天公)』『王母娘娘(西王母)』→道教の最高位の神様とその妻、一番高い所に居られるのですね。 -
武徳殿
『李将軍』『西秦王爺』『田都元帥』『黄将軍』 -
西護室『註生娘娘』
子宝・安産の神様。左手に出生簿、右手に筆を持ち出産の管理をしています。 -
『十二位婆姐』
写真は6柱ですが、実際は12柱居られます。
十二か月を分掌しているといい、それぞれが子連れ。
子供を抱いたり背負ったり、母親のおおらかさと子への大きな愛情を感じさせる神様達です。 -
観光客はそう多くなく、地元の人が多いです。龍山寺のような騒然さはなく静かです。
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保生大帝は健康・命に係わる問題を解決してくれる神様ゆえ、皆心を込めて真剣にお祈りしていました。
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ズラリと並んだお供えの花、ご利益があり信者が多いことがわかります。
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保安宮の「霊籤」いわゆるおみくじ
台湾のTV番組で知ったのですが、医神・保生大帝を主祀とする保安宮には「藥籤」というおみくじがあります。これは「神様からもらう漢方の処方箋」を意味していて、かつて中医学の知識人が少なかった時代に人々が神様から処方箋を貰っていたことに由来があります。やり方は普通のおみくじと同じ。
①「住所・氏名・生年月日」「○○について相談したいのでおみくじを引いてもいいですか」とお伺いをたて、赤い半月型のポエ(2枚一組)を床に落とす。表と裏がでればOK。
②おみくじは服務處に置いてあり、内科・外科・小児科などに分かれているので相談内容にあった藥籤を選ぶ
③藥籤を一本ひき「これでよいですか?」と尋ね、ポエを床に落とす。表と裏がでればOK。
④ひいた番号から‘保正大帝藥籤解’という書籍を見て、病・処方薬について知る。
服務處で「我請給免費的護身符」というメモを見せれば無料のおみくじと御札をいただけます。 -
大龍同保安宮
ほんの一時だけど日常や現実から離れ、ただひたすら神様に感謝し祈念し、癒され満たされる。何故か清々しい気持ちになれるパワースポット。
それと同時に、美術館・博物館のようにいつ来ても感動と感激があり、何度見ても決して飽きることがない場所。 -
こうして旅行できるのも、健康で元気だからこそ。
何があっても健康第一ですよね、保生大帝様。
有難う、また来ます。 -
保安宮の向かいに石碑『四十四坎舊址』
門前街「四十四坎」の跡地を示すもの。「一坎」は一軒を意味します。
保安宮の廟宇建築で余った建材を王・鄭・高・陳姓の士紳が資金を出し合い購入し1805年に着工。保安宮西側のここ哈密街に四十四軒(左右に二十二軒、大きさデザイン寸法が全く同じ木造瓦屋根)の店舗が立ち並び、その街路の両端に隘門(扉のついた門)、豪商が軒を並べていたそうです。
四十四坎にお店を構えていた富商の一人が‘陳遜言’、台北孔廟に追祀された陳維英の父です。 -
陳遜言が1907年に完成させた四合院『国家第三級古蹟 陳悦記祖宅(老師府)』や、『文昌祠(樹人書院)』が北西に位置する延平北路四段にあるとのこと。
行ってみようと重慶北路の横断歩道を渡っている途中で、目覚めた夫から電話きて‥タイムアップ。
バス41 酒泉重慶路口→民権中山路口、ホテルに戻りました。
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