2017/07/09 - 2017/07/09
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たびたびさん
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久しぶりに東京見物がしたいなあとやってきた妹が、「そう言えば川越って行ったことないけど」と言い出したので、それでは川越を案内してみるかと思い立ったのが今回の企画。
あんまりこまごましたところは面倒くさいので、時の鐘 蔵造りの町並み 喜多院 川越まつり会館の定番コースなんですが、ミソはまつり会館の山車展示ホールで行われるお囃子の実演。川越祭りでもたくさんのお囃子は見れるのですが、祭りのお囃子は狭い屋台の舞台なので動きが限られる。じっくりとお囃子の醍醐味が見れるのは圧倒的にこっちの方なんですよね。
(川越祭りの方はこんな感じです。参考まで。
https://4travel.jp/travelogue/11181194)
グルメの方は、B級グルメと芋絡み。うなぎとか並ぶお店は避けたので、こちらはどうということはないかなと思います。
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予定より早く着いてしまいまして。
イタリアントマトでちょっと時間調整をします。 -
いただいたのは焼き菓子と紅茶のセット。まあ、何んということはないのですが、朝は他にお客さんもいないし、ゆったりとした気分になりました。
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そして、まず向かった中院は、喜多院のすぐ南。
創建は、鎌倉時代の終わり頃。喜多院に天海僧正が来るまではこの寺が中心だったようです。 -
今でも、塀に囲まれた境内は緑が深くて美しい。
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本堂手前の見事な枝垂れ桜や赤松も見応えがあります。
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イチオシ
建物内の拝観は出来ませんが、境内全体がよく整備されているので、散策するだけでもとても気持ちいいと思います。
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続いて、喜多院へ。ただ、周辺にちょっとした見所があって。
仙波仙芳塚は、喜多院から東側に細い道があって、それを抜けたところ。
柱のような碑が建つシンプルなこの塚は、仙芳という仙人が入定した地であることを示すもの。仙芳は、海を干し上げることで今の喜多院の土地を作ったという伝説の人。碑には説明が書かれているようですが、そちらはほとんど読めない。近くに紙の説明文があります。 -
こちらの喜多院の山門手前の植え込みの中にある小さな社は、白山権現。それが白山権現です。祠に鳥居、飛び石の参道と形ばかりのミニチュア版。境内もないので、これでは神社とも言えないかもしれません。神仏習合の中で、喜多院の創建当時から護持のために祀られているものだと思いますが、今ではとにかくミニマムのしつらえです。
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喜多院正門手前の植え込みの中には、天海大僧正像も。
喜多院27世住職で、江戸時代初期に喜多院を復興。徳川家康の信頼が厚く、様々な宗教政策を助言したとあります。山岡荘八の小説「徳川家康」では、早い時期から家康に天下人となる指南をしていた人物として描かれていて、まあ、そういうイメージもなくはない人物でしょう。
すっくと立った像は108歳まで生きた天海の人並み外れたパワーも表現していると思います。 -
いずれにしても、喜多院は川越の名刹。
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徳川家康の信頼厚い天海僧正ゆかりの寺ということで、大いに栄えます。
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家康の墓が静岡の久能山から日光に移される際、この川越で四日間の法要が営まれたという、その一事をとっても、いかに特別な場所であるかが想像できます。
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喜多院は、そのような縁もあり、江戸城から移築された、徳川家光誕生の間、春日局化粧の間など、東京にも残っていない貴重な建物が残っていて、
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イチオシ
それはこの奥の拝観エリア。
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建物は撮影禁止なので、
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周囲のお庭だけを紹介します。濃い緑も美しいです。
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春日局化粧の間は、意外に質素な印象。当時の権勢を考えるとギャップもありますが、それが逆に凄みもあるような。徳川家の安泰を思う春日局の気持ちがこもっているように思います。
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イチオシ
喜多院を出て、中心部に向かいます。
途中の芋十。蔵造りの街から少し離れているので、観光客にはちょっと気が付きにくいかもしれません。 -
老舗風でも開けっぴろげなお店には、品数は少ないんですが
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天皇皇后両陛下献上菓子という芋菓子があって、それをお土産にしました。芋けんぴのタイプと薄くスライスしたタイプ。後者の方が変わっていますが、固そうでいてそれなりに食べやすい固さがたぶんお店の腕の見せ所なのかなと思います。
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川越観光のメインストリートの裏通りになる大正浪漫夢通り。
しかし、こちらも、かつては銀座商店街といって、大正から昭和初期にかけては「埼玉県随一の商店街」と呼ばれた歴史ある商店街です。戦に備えて緩やかにカーブした通りには、今でもレトロな店舗が30軒余り並んでいます。 -
山崎美術館の角を曲がると
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これがメインストリートです。
川越では、明治26年に大火があり、街の大半は焼失してしまいます。火事を恐れた街の復興は店を火に強い蔵造りとすること。また、当時、東京銀座のメインストリートも蔵造りになっていたそうで、それを真似たという面もあるそうです。 -
イチオシ
仲町から札の辻までの通り沿いには、30数棟の蔵造りの商家があって、見事な街並みとなっています。
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取りあえず、札の辻まで歩きましょう。
甘味茶房 かすがは、店頭でお団子を販売していて、それをいただきました。 -
これは米粉で作ったお団子ですね。もっちり感はイマイチですが、これはこれであっさりしたうまさがある。手軽に食べれるお団子です。
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近江屋長兵衛商店は、蔵造りの街の表通りから時の鐘に入る角のところ。お豆腐屋さんで豆腐やがんもどきを売っている一方で、豆腐ドーナツが目立ちます。
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試しに一個買ってみましたが、揚げたてのふわふわドーナツはとってもおいしいです。豆腐の香りとかはよく分かりませんが、この食感は優れものです。
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時の鐘をチェックして、
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これは蘭山記念美術館。
蘭山というのは、狩野派に学んだ幕末の川越藩お抱え絵師。丁寧に描いた花鳥画は、小品ですが、その多彩なモチーフでけっこう楽しめる。メイン展示は三韓征伐の神功皇后。真っ白なスタイリッシュな展示室によくマッチしていると思います。
川越ゆかりの画家だと川越藩の御用絵師で、維新後はフェノロサや岡倉天心が設立した東京美術学校の絵画科主任となった橋本雅邦なんといっても有名。さきほどの山崎美術館で大作を見ることができますが、この蘭山も悪くないですね。 -
ここは菓子屋横丁。明治の始め頃、近くの寺の門前町として栄えるこの界隈で江戸っ子好みの 気取らない菓子を製造したことが始まり。今でも20軒あまりの駄菓子屋さんが、この一角に軒を並べています。
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和楽 花音は、店頭で食べ歩きの「横丁たこせん」というのを売っていてそれを買ってみました。
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えびせんべいみたいな薄い煎餅で明石焼きを挟んだもの。明石焼きというよりもたこ焼きのような感じでしたが、私にとっては本当に子供だましのB級グルメ。派手に宣伝していましたが、はっきり言っておいしくはないです。
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岡野屋食堂は、菓子屋横丁の近くにあるうどん屋さん。普通のお店そうなんですが、なかなか人気のよう。うどんに芋が練り込んであるのが特徴です。
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面倒くさいので、昼飯はここにしましょう。
お店イチオシの肉汁うどんをいただきましたが、うどんのコシが芋が練りこんである分弱いので楽に食べられるような。うどんの量は少し少なめかなと思います。 -
その並びにある池田屋本店は、小さな箱型の店舗。
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川越は団子屋さんが多くて、ここでも味比べ。見るからに醤油をたっぷり使いましたという濃い茶色の団子。しかし、食べてみるとそれほど醤油味はきつくない。米粉と醤油のバランスは悪くありません。
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その向かい側の大蓮寺も覗いてみます。
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浄土宗のお寺で、境内はよく整備されていて清々しい。
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本堂の前の普通だと灯籠のある場所に座った地蔵像をいただく石柱が二つ。面白いですね。別に地蔵堂もあって、中を覗くと金色の地蔵様。ほほに涙を流したような跡があって、ちょっと意味があるのかないのか。気になりました。
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時間になったので、まつり会館へ。いよいよお囃子の実演の始まりで~す。
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イチオシ
釣竿を担いだ男が登場。
なんか適当っぽくて、軽そうな感じですけど -
今日は何が釣れるんでしょうねえ。
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お。何か掛かったようですよ。
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あれれ、釣れたのはかわいらしい女の子。
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思わぬ獲物に大喜び。
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踊りを踊ってもらって、大満足の男です。
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これはすごい。欲をかいて、もう一度挑戦です。
でも、あれ~ -
今度釣れたのは、たくましい大男。
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これは味方なのか、敵なのか。男はおっかなびっくりなんですが、
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これは雲行きが怪しい。
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ドンドン
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ドンドン。
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ドーン、
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ドン。
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イチオシ
すごい迫力。
ありあまる力を示して威嚇するので、男はもうなすすべなし。 -
男の気力がなえたところで、
大男は、男に向かい、 -
この子は自分が貰い受ける。分かったな。
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せっかくの女の子をさらわれてしまい、すっかりしょげてしまいます。
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このままでは悔しすぎる。えーい。もう一度、挑戦だあ。
と、今度釣れたのは、な、なんだあ。 -
きつねの化身。
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この化身は男を救ってくれるんでしょうか。
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しかし、男の思いにもかかわらず、化身にはその気持ちはまったくないみたい。
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イチオシ
その存在を鼓舞して、ただ舞うだけ。自分の世界に浸っています。
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今度も妙なものが釣れたものです。
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トントコ、トントコ。
お囃子はあいかわらず冷静に場の雰囲気を整えます。 -
勝手にしろーって、感じでしょうか。
もうやけくそで、自分で踊りだしました。 -
トントコ、
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トントコ。
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ソーラー
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ヨーっと。
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あれ、後ろから現れたこのおたふくさんも
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男の踊りを受けて踊りだしました。
このおたふくさんは、釣った獲物ではないですよね。。 -
イチオシ
と、思ったら、これは奥さんだったようです。
あなた、いい加減にしなさいよ。奥さんに叱られて、すごすご帰っていく男です。
めでたし、めでたし。
あー、面白かった。皆さん芸達者。この人を食ったようなひょうきんな動きは川越ならでは。期待通り、スカッとする楽しさでした。 -
翠扇亭は、蔵造りの街の中ほど。小さな路地の入口で、たくさんの観光客でごった返していました。焼き芋おにぎり芋太郎は焼き芋を三角おにぎりみたいに固めたもの。ちょっと試食しましたが、焼き芋と味は同じです。
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その後、二色のソフトクリームをいただきましたが、これもまさに芋。さわやかさというよりも、まじめに芋のどっしり感が伝わってくる。ヘビーなソフトクリームです。
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この通りには、芋関係のお菓子を売る店がたくさんあって、まさに激戦区。どの店もなんとか特徴を出そうと思ってしのぎを削っています。
菓匠 芋乃蔵では、芋を輪切りにした切り口が美しい芋羊羹があって、これもお土産にしました。渡した時にすぐに芋だと気づくインパクトが気にいりました。まあ、味は普通です。
さて、以上で川越の一日はサクッと終了。お疲れ様でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- trat baldさん 2018/01/10 18:22:36
- 今でも上質な歴史文化が息づいているのね!
- 川越宿が江戸から幾つ目の宿場かすらも知らないけど中山道の重要な位置を占めて栄えていたのでしょうね。
- たびたびさん からの返信 2018/01/12 16:51:55
- RE: 今でも上質な歴史文化が息づいているのね!
- コメントありがとうございます。たぶん、川越って?ですよね。
川越は江戸からだと川越街道。中山道の脇街道で板橋宿から分かれます。そこから先は、藤岡宿でまた中山道に合流するんですが、中山道が今のJR高崎線になっているのに対して、川越街道の方はイマイチはっきりしません。
ただ、川越が栄えたのは、街道ではなくて、むしろ新河岸川の水運。新河岸川でいったん荒川に出て、千住の方に抜けるんですが、いずれにしても、江戸時代における関東平野は街道による人の行き来よりも、水運で運ばれる物資の輸送ルートで考えることが意外に重要です。川越もまさにそういう街。そして、上方からの物資に頼らず関東で自前の生産力が高まる江戸時代後期こそ、関東の地方都市が活況を呈した時代。その時代を想像するとよりリアルに街の文化が感じれるかなあと思います。
たびたび
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