2017/08/13 - 2017/08/13
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深川にある富岡八幡宮には横綱力士碑と大関力士碑がある。しかし、横綱力士碑は知られているが、大関力士碑はあまり知られてはいない。
富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名である。江戸時代の相撲興業は京・大阪から始まるが、 トラブルが多く、しばしば禁令が出ていた。その後禁令が緩み、貞享元年(1684年)に幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許された。その地こそが富岡八幡宮の境内だった。以降約100年間にわたって本場所が境内にて行なわれ、その間に定期興行制や番付制が確立された。その後本場所は、本所回向院に移っていったが、その基礎は富岡八幡宮において築かれ、現在の大相撲へと繋がっていく。そうした由縁で「大関力士碑」と「横綱力士碑」が建つのである。
しかし、大相撲の力士の番付における最高位の称号が横綱であるが、江戸時代後期に設けられ、それまでは番付における最高位は大関であった。寛政3年(1791年)、第11代将軍・徳川家斉の上覧相撲において二代目 谷風梶之助(仙台の谷風)と小野川喜三郎が行った紙垂をたらした純白の綱をつけた土俵入りが天下公認となり、横綱が誕生することになった。しかしその後も依然として、横綱は、横綱免許を持つ大関に対する名誉称号に過ぎず、番付では大関が最高位であった。番付に横綱の文字が掲載されるようになったのは明治23年(1890年)5月場所からである。
表参道大鳥居をくぐってすぐ右手には、 歴代大関を顕彰するために建立された 「大関力士碑」がある。大関力士碑とは江戸推進相撲発祥の地として昭和58年(1983年)に建てられたという比較的新しい碑である。
この碑は明治の頃に、9代目市川団十郎と5代目尾上菊五郎により寄進されていた2基の仙台石を活用し、初代大関雪見山から最近では小錦関、霧島関まで、104人の歴代大関の四股名が彫り込まれている。
またその傍らには巨人力士碑、巨人力士手形足形碑、 強豪関脇碑、 釈迦ヶ嶽等身碑等一群の顕彰碑が立ち並んでおり、横綱力士碑とあわせて、相撲名所として相撲ファンに親しまれている。
一方、「横綱力士碑」(明治28年(1872年)銘)は歴代の横綱力士と強豪大関雷電爲右エ門を顕彰するもので、12代横綱陣幕久五郎が発起人となって、明治33年(1900年)に完成した。縦3メートル50センチ、厚さ1メートル、重さ20トンの白御影石で、正面に宮小路康文の揮毫で碑銘、裏面に初代明石志賀之助以降の横綱力士と、「無類力士」として雷電の名が並んでいる。
また、新横綱誕生時には相撲協会立会いのもと刻名式がおこなわれ、新横綱の土俵入りが富岡八幡宮で奉納される。
表参道にある「大関力士碑」が古く、裏参道にある「横綱力士碑」が新しいものかと考えたのだが、そうではなさそうだ。番付に「横綱」が表記されるようになった明治以降に「横綱力士碑」が建てられ、その後、「大関力士碑」も建てられたようだ。富岡八幡宮で相撲興行が行われた17、18世紀からは時代が下った19世紀末以降のことなのである。
(表紙写真は「大関力士碑」)
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