2017/07/17 - 2017/07/28
31位(同エリア219件中)
botaさん
この博物館は、タイ北部のミャンマー国境、メーホンソンの南クンユアムに有ります。博物館の名前は、「クンユアム第二次世界大戦戦争博物館」や「クンユアム旧日本軍博物館」が有るようですが、数年前記念館の新築の際「タイ日友好記念館」に変更されました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝で~す、涼しいで~す。
小雨が降っていますが、空は薄っすら青いような気がするし、太陽の形も確認できます、これは期待できるかと思ったけれど・・・ -
朝食後、北に向かって走り出したが、108号線から少しづつ離れて行くような気がします。
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道路沿いの民家の女性に道を聞くと、やはりミスコース、来た道を戻ります。
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30分ほど走ると最初の検問、せっかく国際免許を取ってきたのに、見せろと言いってくれず顔パス、オレ顔が良すぎるのかなぁ。
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チョッと休憩、男は楽ですね。
周りはトウモロコシと枝豆畑、いや大豆畑と言うべきかな。 -
川で魚を取っているのかと思ったら、砂を集めています、川は増水しているのに、こんな雨降りに頑張らなくても良いのではと思うんだけど。
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今度は景色が良いから少し休憩。
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メーサリアンからの道は山道ですが、アップダウンは少なく、山の中で暮らす私には、快適なドライブです。
雨でなかったら、もっと良かったのに(;_;) -
メーサリアンからの距離は100キロ足らず、ゆっくりノンビリ2時間ほどで着きました。
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メーホンソンは山の中なので、あまり魅力を感じなかったが、調べて見ると、メーホンソンから60キロほど南に有るクンユアムに有る、この記念館の存在を知り、ぜひ行って見たいと思うようになりました。
クンユアムはインパール作戦のために作られた、カンチャナブリーの泰緬鉄道と共に、チェンマイからインパールを目指す道路建設で、ミャンマー国境を越える基点の町です。 -
1995年クンユアム警察に署長として赴任したチェーチャイ・チョムタワット氏が、クンユアム家々に、日本兵の遺品を持っている事に気付き、調べてゆくと、日本兵と住民との絆の強さを知り、お年寄りの思い出に留めておくのはもったいないと、戦争の真実の姿を明らかにする事をテーマに集められた数々の遺品を中心に、チェーチャイ氏が個人の力で作り上げた記念館です。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/ -
その後、各種団体の協力で、数年前新築されましたが、タイ政府や日本政府は関わっていません。
博物館の庭にある「戦友よ安らかに眠れ」と書かれた碑に、日本から持っていった線香と日本酒で、お参りしました。 -
戦友よ安らかに眠れと書かれた碑の横には、絵馬があり、タイ語・英語・日本語など色々な字で慰霊の言葉が書かれてあります。
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庭には赤く錆びたトラックが展示展示されています、出発前に調べた写真には、もっと多くのトラックが写っていましたが、記念館新築で減らしたのでしょう。
庭をもう少し見て回りたかったけれど、土砂降りです。 -
館内に入り、日本語の解説ビデオを見ます。
戦争が始まりイギリス軍の空爆から、クンユアムへ道路建設のため訪れた日本兵の話、インパール作戦の失敗で戻ってきた話、驚くのは現地の人たちが語る日本兵の印象です。日本人が戦争を美化するために作ったのではないかと、疑いたくなるほどの内容ですが、この話が嘘でしたら、記念館は新しく立て替えられる事は無いでしょう。 -
日本兵が優しく勤勉で、農作業や子守まで手伝ってくれる、兵隊と現地の女性が恋いに落ちた内容の映画も作られたようです。
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インパール作戦に向かうパネル。
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ミャンマー国境を越える道路工事の模様。
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宣戦詔書と書かれた額 ビルマ戦線慰霊之日、このコーナーは立派になっています。
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説明の下、式軍帽は大日本帝国軍が・・・・
「日本軍の軍帽」の見出しが上下逆、日本人だってタイ語文字は上下も判らないから、どうって事無いミスですね。 -
展示品は銃や軍服、水筒や飯ごう、歯ブラシなどの日用品も展示しています。
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使えそうな銃は、お世話になった家に、お礼として置いて行ったのでしょうか、錆びて金属部分だけ残った銃は、クンユアムまで辿り着けなく亡くなった兵士の物でしょうか。
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村民と日本兵との交流を表すパネルの前に、集められた遺品が並べられています。
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インパール作戦の失敗により、撤退してきた旧日本兵がこの町で休息、タイは友好国、戦闘地域のビルマから急な坂道を登り、クンユアムに辿り着いたとき、村民の暖かいもてなしに、帰国した思いだったのでは、でも、多くの日本兵が帰国できず、この地で亡くなられたそうです。
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当時使われていたトラックの写真や、道路建設に使われたスコップやつるはしなどの道具も並べられています。
日本兵は各国で現地の住民に、迷惑をかけたような話も聞きますが、展示されているパネルや遺品を見ると、チェンマイからこの地を通りインパール作戦に参加した日本人は、地域の人達と仲良くできる、選び抜かれた良い日本人でしょうか? カンチャナブリーからスリーパゴダの国境を越え、ミャンマーまでの鉄道建設や、インパール作戦に向かった日本兵や、中国へ出兵した日本兵は、チョット危ない日本人?
私の父が兵隊だった頃のアルバムを見ると、パネルにあるトラックの隊列の写真や、紫金城の綺麗に修復された姿ではなく、崩れそうな石段や、凸凹で草の生えた石畳の写真が有るから、中国へ出兵したはず、て事は、オヤジは悪いグループに選ばれ、中国へ行ったのかな? -
多くの当時の写真も有ります。
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どの地点で写された写真でしょうか、チェンマイからクンユアム、国境を越えてビルマまで山を開いて、トラックが走れる4mほどの道路を作って行きましたが、工事に携わった若者でしょうか。
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このジオラマは市場でしょうか、日本兵の姿も有ります。
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家具の陰になっていて見ずらい地図ですが、インパール作戦失敗後の地図でしょう。ビルマのボーラケーを6月5日、ケマビューが7月、タイ国内に入り、7月11日国境越えから国境と108号線中間辺りからクンユアムとメーサリアンに分かれ、クンユアムへ到着sたのが14日です。
クンユアムからメーホンソン・パーイを経由、チェンマイへ向かったのが北兵站線、クンユアムから直接チェンマイへ行ったのが中兵站線、国境からメーサリアン経由、チェンマイへ向かったのが南兵站線です。
今回はチェンマイから南兵站線を走り、クンユアムから北兵站線を走りましたが、北兵站線のアップダウンのキツイ道を歩いた兵の死亡率は、南兵站線移動の兵より多かったのではと思います。 -
子供の頃私の叔父は、戦病死だったと聞き、カッコ悪っと思いましたが、そんなものでは無いんですね、マラリアで死んだ人や、食べるものが無く餓死した戦友を慰霊する兵士の悔しい気持ちは、想像が付きません。
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記念館前の食堂で昼食、手書きの小さな看板には、しゃぶ、って手書きで書いて有るけど、山岳民族が作る麻薬? な訳無いよね、しゃぶしゃぶと、すしでした。
メニューに味噌汁が有ったので注文、うううん味噌の味はするが不思議な出汁の味、豆腐は固めです、チャーハンは美味しかったですよ。 -
記念館の向かいにあるムワイトー寺には日本兵の慰霊の碑が有ります。
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お寺に入り左に、「ビルマ戦線将兵鎮魂之碑」が有りますが、お寺に入ると土砂降り、線香に火を付けるのに苦労しましたが、こちらでも線香と日本酒でお参りします。
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暫く待つと雨も小雨になったので、「日本軍将兵遺骨埋葬の地」の牌にもお参り。
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隣には、最近出来たらしい立派な碑が有ります。
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正面左側には、日本国側支援団体及び個人の名前、右側には、
慰霊碑設立にあたって
この地クンユアムは、第2次世界大戦の折、多くの旧日本兵、現地クンユアムの
村民、そしてその他各国の人々が命を落とされました。しかしその際、
村民の皆様の暖かいご支援をいただいたことを私達は忘れません。私達は
この反省に立って争いのない未来忘向を願って、この地で亡くなられた方々の
御霊を奉る慰霊碑を建立し、末永く友好の証しとしたいと考えるものです。
クンユアム会名誉顧問チャロン・チャオプラユーン 代表 境野啓秀 -
お寺の中庭には、木陰で休む日本兵の像、
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進軍していく兵士、地域住民との交流を表す像も有ります。
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見覚えの有る書体の詩が。
下3枚の写真は、カンチャナブリーの西、サンクラブリーの先に有る小さな国境、スリーパゴダパスで写しましたが、ここにも同じ書体の碑が有りました。
http://4travel.jp/travelogue/10163937
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本堂には、タイ的仏像と、ミャンマー的仏像が有ります。
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居合わせたお坊さんが、これを見ろと指差した絵には、やせてガリガリの日本兵の前に鉄兜と水筒、中央にスポットライトを当てたような表現で、ヤシの実からは芽が出ています。
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クンユアムにはタイ日友好記念館とムワイトー寺以外、特別見る物は無いし、山の中の国境へ行って見たいが、雨が心配。メーホンソンへ行こうかと出発すると、学校が見えた。クンユアムには4トラメンバーの、Shu-senseiさんが、日本語教師として暮らしているらしい。学校へ入り日本人の先生が居るかと訪ねると、もう少しメーホンソンよりの学校に居るかも知れないとの返事、少し走るとクンユアムウイタヤ高校が、先生らしい人に日本人の先生は居るかと尋ねると、こっちへ来いと歩き始め、トランシーバーで探してくれている。先生とは知り合いでもないし、メールを1度送っただけの人、授業中なら迷惑だし、居る事がわかるだけで結構ですと言っても、まあまあまあ、て感じで、すごくよい方です。
写真中央の日の丸がある教室が、Shu-senseiさんの教室です。 -
事務所に通され、コーヒーまで出してくれて、校長先生まで出てきて、今日先生は休みらしい、話がどんどん大きくなり、私は迷惑を掛けたお詫びのメールに、なんて書こうかと・・・ しばらくすると連絡が取れて、学校へ向かっているとの事、何処の馬の骨とも判らない日本人のために、せっかくの休みに出てきてくれるなんて・・・ごめんなさい。
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Shu-senseiさん、優しい人手良かった???
国境の話をしたら、此れから行きますか、自分の運転では自身が無かったので、感謝感謝です。 -
最初の検問所です。
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この辺りは、山岳民族の村です。
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民家もなくなりアップダウンの多い道を走って行くと、少しづつ舗装が痛んできて、国の外れを感じてきます。
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35分ほどで、小さな国境検問所へ着きました。
私だけなら、怖くて近づけません。 -
普通この先には行けませんが、この検問所は、先生の教え子のお父さんの職場で、先生の顔パスで、緩衝地帯へ入る事が出来ました。
タイ側の緩衝地帯は急な下り坂、ジャングルを大型機械無しでトラックが走れる道にしたなんて、今でも道を外れれば毒蛇や毒虫、ヒルなどが居るから、工事に当たった兵隊も体調を崩した人は多かったでしょう。
普通の人は、こんな景色も良くない山道歩いて喜びませんよね、私にとっては今回の旅で一番印象深い場所です。
歩き始めて5~6分で国境の橋に着きます。 -
ミャンマーとの国境はこの川でしょう、タイ側は舗装が出来ていますが、橋を渡るとミャンマー側は未舗装で、雨季では道が泥濘んで、普通の車では通り抜けられないそうです。
この道が白骨街道と呼ばれた道ではないかもしれないが、この辺りの地形は似た様な山並みだから、辛い帰り道だったでしょう。 -
帰りは運動不足の私にはきつい急な上り坂、倍の時間をかけてで登りました。
ビルマから帰る兵隊は、国境を越え最後の難所、急な坂道を越えればクンユアムまでほとんど下りですが、この道を歩いたのは7月、雨季に入った未舗装の坂道を登るには、大変だったでしょう。 -
国境の通行料金は、
子供 10B 大人 20B 自転車 10B バイク 20B
車 60B トラック100B トレーラー200Bだけど、この先走れるの -
次は先生の教え子の家へ行きます。
タイの道は良いですね、私の町の国道は牛は居ませんが、こんなに広くありません。 -
この辺りの道は、最近急に良くなっているそうですが、枯れた竹が道をふさいでいますが、路肩ギリギリで無事通過しました
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教え子の家に着きました。
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この子ももう直ぐ先生の学校へ行くのでしょう。
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今までこんな家に行きましたが、囲炉裏のような物は有りましたが、釜戸を見るのは初めてです。
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庭にはマンゴウやパパイア、ドラゴンフルーツも有ります。
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この子ももう直ぐ先生の学校へ行くのでしょう。
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家の中はこんな感じ、冬は霜が下りるそうですが、暖房が出来るような物はありません、私の子供のころの家は、隙間風だけではなく雪が舞いこむ時も有りましたが、コタツが有り夜もコタツで寝ていまし。、こんな家でもコタツを作れば快適なのにね。
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クンユアムに戻ると、トラックでパイナップルを売っています、今年はパイナップルは暴落で一つ10B、先生は寮に居る教え子たちに20個買いました、子供たちはバナナは喜ばないそうです。
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学校の寮え行き、子供たちに運ばせます。
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夕食は先生行きつけの食堂へ、タイでは海の魚より淡水魚を各地で、塩焼きやから揚げで食べられていますが、日本の魚より生臭さや泥臭さが無い、この魚が日本に関係がありました。この魚をタイ語でプラーニン 仁魚、天皇陛下が皇太子のころ、プミポン国王に送られた魚だったんですね。
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先生には、私が強引に押しかけ、案内までして頂いて、お土産まで頂いてしまいました、写真のミャンマー製のウイスキーです。
このウイスキーのコスパは最高、タイ製の酒にはこんなに美味しい酒は売っていません。
ウイスキーの詳細は、Shu-senseiさんの旅行記、「ミャンマーウイスキーを飲んできました」で、ついでにこの写真も旅行記から盗みました。
http://4travel.jp/travelogue/11198648
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この旅行記へのコメント (4)
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- dashxさん 2017/08/24 01:27:22
- 今回のタイも素晴らしい旅でしたね
- bota師匠、こんばんは。
さすがに今回はお天気天使君も疲れたのか、ちょっと手抜き気味のスタートでしたが、
この旅行記を拝読して「すご〜い!! さすが師匠!」と思いました。
タイのこんな辺鄙な地でタイ人と疲れ果てた日本兵との優しい交流があったなんて私も
初めて知りました。日本では戦争を少しでも美化するような表現は避けると言うか
ブーイングを受けると言うか、蓋を閉めてしまいますよね。でも酷い話だけでなく
このような歴史もあったことを知ることは国際交流だけでなく、平和への願いにきっと
結びつくので、もっと報道して欲しいですよね。
ましてや警察署長個人が立ち上げ、今も民間の方々によって維持されているなんて
頭が下がる思いです。私の父も兵士として満州に駐留していましたので、日本兵の
悲惨な(これは日本兵に限らずすべての兵士にとって悲惨な)歴史は遠いことでは
ありません。ましてやあのインパール作戦の前哨基地であれば、師匠がお線香を
持参されてお参りされたお気持ち、強く共感します。
そしてその後、日本人の先生にお会いになって、観光客では絶対に経験できないような
地域の探訪、それに親切な校長先生、と思い出が尽きない一日でしたね。
この日一日だけでも十分に行った甲斐がある素晴らしい旅でしたこと、よく分かります。
旅の前半でこれだけ濃い内容ですと、中盤、後半はどう展開していくのかとても
楽しみです。
続編、お待ちしてますね〜♪
- botaさん からの返信 2017/08/24 21:52:36
- RE: 今回のタイも素晴らしい旅でしたね
- dashxさん、こんばんは。
今年は何処へ行こうか、幾つか候補を上げたのですが、タイ友がチェンライの西100キロほどのファーンへ越したので、家に泊まるのも良いかなと、北部でまだ行って無いメーホンソンを調べだしたら、地球の歩き方にも載っていない「タイ日友好記念館」を見つけ、日本人が戦争を美化して作った記念館かと、すこし調べたら、想像に反した事ばかりが書いてある、これは線香を持ってお参りに行かなくてはと、今回の計画を立てました。
警察署長が赴任したのが、戦後50年経ってから、村民は50年もの間、日本兵の思い出を、大事にしていてくれたのでしょう、もし反日日本人が言うように、日本兵は各地の人たちに、迷惑を掛けてきたなら、穴の開いた飯盒や水筒を、50年も取っておくはずが無いですよね。
記念館は立派な物では無く、写真で見れば十分のような施設ですが、やはり現地に立ってみると、多くの人たちの協力を得たとは言え、個人の力でここまでの物を作り上げたのだから、当時の出来事を直接感じることが出来、行って良かったと思いました。
Shu-senseiさんにお会い出来たのも、幸運でした。あの国境の道が白骨街道と言われる道では無いかも知れませんが、何の変哲もない山の中の急な坂道も、雨季に入って泥濘んだ道を、ゆっくり這って上がった兵もいたのではと思うと、普通入ることの出来ない緩衝地帯まで行けたことに感謝しています。
今回の旅はこれでおしまい、雨のため考えていたコースはすべてキャンセル(;_;) 晴れ男の卒業旅行でした。
ブヒブヒさんに会いに行ったら、JOSANさんが亡くなられたんですね、日本に帰りブログを見たら、
JOSANは6/17に永眠致しました。 姉弟一同
最後の旅行記にこのようなコメントが載っていました。
旅は楽しい・・・ て事にしよう、この後も。
bota
-
- trat baldさん 2017/08/23 07:10:07
- この旅行記を最低限日本人全員が閲覧して欲しい、、、、、
- 戦争と云う狂気が殺戮を呼ぶ事は承知しています、それは一方的なものではなく双方にある国策に依るものでしょう。
日本政府(軍と行政府)が犯した過ちは230万に及ぶ軍人軍属の見殺しです、勝てば官軍の言葉がありますが敗れて死ねば勝って生き残った連中に事実を歪曲されます、それが歴史でしょう、、、、、
殺さなければ殺される状況に追い込まれた兵隊が悪行に走る事は多々生じた事でしょう、現地民にも被害が及んだと思います、しかし無謀な戦線拡大と兵站線延長を考えると良い意味での八紘一宇(融和政策)が効果を発したと思います。
地球儀の汚れ程度の小国が命を賭した事がアジア全域の独立運動に結びついたとするなら英霊たちの苦行が生きたと感じる僕です、カンチャナブリを訪れた時に日本兵墓地と英国兵の墓地の差に慄然として悲しみを覚えましたが今回の旅行記で救われた思いです、botaさん有難う。
Ps.辺境の地で日本人ここに有りと頑張る先生に乾杯!
- botaさん からの返信 2017/08/23 21:02:05
- RE: この旅行記を最低限日本人全員が閲覧して欲しい、、、、、
- 早速の書き込み、ありがとうございます。
trat baldさんが、私と同じような考えで、安心しました。
インパール作戦の詳しい事は知りませんが、反日日本人が言う、日本兵はアジアの人々に迷惑をかけた、この考えは間違えだと言う事を、クンユアムへ行き確信しました。インパール作戦のための道路工事で、幾つもの村民のふれあいで、日本軍の規律の良さ、兵隊の村人への接し方、村人からの信頼は、かなり強いものが有ったと思います。もちろん悪いことをした兵もいたと思いますが、事件を知った上官から、厳しい処罰が有ったはず、民家に盗みに入った兵が捕まり、数日後自殺した兵隊に、村民は気の毒だと同情をしてくれた、と言う話も有るようです。ケガや病気で目を反らしたくなるような兵士を、暖かく迎えてくれたのも、日本兵えの信頼感が有ったからだと思いますし、このような話を調べてみれば、東南アジアで幾つも聞けるのでしょうか。
反日日本人は認めないと思いますが、多くの若者が亡くなったのは、犬死ではなく世界の植民地開放に役立ったと信じます。
色々な思いを書きたい気持ちは有りますが、これくらいで。
立派な記念館とは言えませんが、日本人にとって中身の濃い施設です、trat baldさんも時間を作って、ぜひ訪れて下さい。
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