2015/11/10 - 2015/11/10
116位(同エリア905件中)
junemayさん
- junemayさんTOP
- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 168,967アクセス
- フォロワー41人
2015年5月から6月にかけて訪れたイタリアで、時間制限のためじっくり見ることが出来なかったパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂。鳴門にある大塚国際美術館には陶板で焼かれたスクロヴェーニと同じ大きさの礼拝堂が再現されていると聞き、いてもたってもいられず訪れることにしました。
しかし、実際に訪れてみるとスクロヴェーニ礼拝堂だけじゃあなかった。システィーナ礼拝堂やポンペイの秘儀の間、カッパドキアの聖テオドール聖堂等々、以前見たけれど今ではほとんどが忘却の彼方だった名画の数々を味わうことが出来て大・大・大満足! 本物、偽物の区別なんぞ全くつかない私には、じっくり、穴の開くまで見れることが何よりのしあわせ。しかも写真撮り放題!! この魅力満載の美術館を1日たっぷり鑑賞する予定でしたが、なんと最後の日の予定をキャンセルして、丸2日間こもる羽目になってしまいました。なんという至福の時間!!
1日目はずっと前から行きたかった吉野川沿いのうだつの上がる町脇町、2日目は昔父が単身赴任していた時代に訪れたことのある懐かしい徳島の町を巡りました。
11/9 羽田空港→徳島空港→徳島→穴吹(脇町)
★11/10 穴吹→徳島→鳴門
11/11 鳴門(大塚国際美術館)
11/12 鳴門(大塚国際美術館)→徳島空港→羽田空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2日目の朝です。ビジネスホテルマツキでさわやかにお目覚め。ヴォリュームたっぷりの朝食を頂きます。
-
時刻は8時20分。ピークの時間は済んでいたのか、朝食を摂っている人はそう多くはありませんでした。
-
大満足の宿ビジネスホテルマツキを撮った1枚。最初にこの写真アップすればよかったね(遅いし~)。
-
帰りも駅までは昨日通った「ふれあい橋」を渡ります。スーツケースをガラガラ曳きながら歩いていたら、「どこ 行っきょん。海外か?」と地元の人に話しかけられました。
まさに、ふれあい橋でした。 -
今日も雲が多いけれど、なんとか降らずに頼みますよ!
-
昨日も撮ったけれど、川の水が作る「皴模様」が面白い。微妙な色加減も良いねえ。
-
穴吹駅に到着。写真にはありませんが、駅前にある古くからのお菓子の老舗日之出本店の「ぶどう饅頭」を仕入れてから列車に乗ります。小さなぶどう位のあんこ玉を串に刺したお菓子で、果物のぶどうかと思ったら、穴吹が武道信仰で名を馳せる剣山の玄関口ということでつけられた名なのだそうです。
-
ホームにはちょうど徳島-阿波池田間を結ぶ特急「剣山」が止まっていました。私はホームの反対側に停車中の穴吹始発の徳島行き普通列車に乗り込みます。
-
乗客殆ど0人のまま出発。ちょと寂しい・・・
2017年8月19日付の毎日新聞に <JR四国>路線維持「近く困難に」という記事が載っていました。毎年100億以上の赤字とか。何とかしないと・・・ -
うだつの上がる町、さようなら!! いつまでもうだつが上がっていて欲しいなあ!!
-
で、次にやってきたのは、終着駅の踊る阿呆の町 徳島です。郵便ポストの上でもこの通り、踊っています。
-
駅構内にあった観光案内所で手に入れた地図を片手に、今日は数十年ぶりの徳島の町をぶらぶらする予定。町の地理については忘却の彼方。すっかり忘れてしまった。
さあて、どこに行きましょう? -
まずは、駅前広場に植えられた「スダチ」の木にご挨拶。お魚の塩焼きや、お肉料理にもスダチを絞ると一味加わります。我が家では父の赴任以来スダチは常備品となりました。
手前はスダチじゃあないですよ。多分つつじ。
スダチの実は8月から10月頃が旬だったようで、もう1つも残っていませんでした。木になっているのを見たかったのに、残念。 -
徳島市のマンホールの模様は波型。中央の市章は、徳島藩時代の徽章(子持筋)の下に「市」という文字を配した物だそうですが、子持筋というのは、太い筋に細い筋を平行して添えた模様で、お目出たいことの印に使うものだそうです。
-
駅から暫く線路沿いに歩いて、この看板のあるところで跨線橋を渡ります。
-
跨線橋から見下すと (^^♪ JR四国の車両が並んだ、並んだ~♪
こういう風景大好き! -
跨線橋を超えると、徳島城址とそれに続く徳島中央公園が見えてきます。ちょうど駅の真裏がお城なんですね。明治になるまで、徳島藩蜂須賀氏25万石の居城でした。
-
橋を渡ってすぐにあるのがこちらの太鼓櫓跡。居城に入る下乗橋(小見付橋)を渡り、大手門を入ると東に月見櫓、西にこの太鼓櫓がありました。1873年(明治6年)の廃城令により、城内にあった全ての建物は75年までに壊されてしまいました。
右に見える塔は、1933年(昭和8年)NHKの徳島放送局が開局した記念に設置されたラジオ塔で、戦前は人々はラジオを公園で聞いたものなんですって。公衆用聴取施設と呼ばれ、全国の公園に置かれていたそうですが、初めて見ました。現在のものは1982年(昭和58年)に復元されたのだそう。 -
濠に架かる下乗橋が見えています。
石垣の上にもう一つ見えるモニュメントは大日本駆逐艦追風記念マスト。京都の舞鶴で製造された駆逐艦「追風」(おいて)の記念にとそのマストを徳島県海軍班が創建したんですって。なぜここにあるのか、良く分かりませ~ん。 -
丁度、徳島彫刻集団による野外彫刻展が開かれていたので、見物しがてら歩くことにしました。
-
歯を見せて豪快に笑っている笑い玉。これは面白い。癒されますねぇ。
-
小学5年生の作品が並んでいました。見ているといつの間にか顔の筋肉が緩んできます。
-
徳島彫刻集団は、鳴門市出身の彫刻家坂東文夫氏と彼が教鞭を振るっていた徳島大学の教え子らを中心とした彫刻家グループで、野外展覧会は今年で第53回を数えます。
-
坂東文夫氏の彫刻の代表作といったらこちら。徳島阿波踊り空港正面を飾るブロンズ製「阿波踊り像」です。空港のシンボルになっていました。
ありえない角度から作品を写したのはひとえに私の責任です。m(__)m -
徳島名産の青石を用いた作品かしら? 正式名は緑泥片岩(りょくでいへんがん)といい、板状に割れやすいのが特徴の石ですが、青みがかっていてとても綺麗です。
-
彫刻鑑賞も、途中で市立徳島城博物館を見つけてしまったので終了。博物館では「中国国分 四国国分」展が開かれていましたが、今一つ興味のある対象ではなかったので、代わりに千秋閣表御殿庭園に入場することにしました。
-
こちらが現在博物館になっている建物。徳島城表御殿の跡地に建設されているので、かつての表御殿を髣髴させる書院造り風になっているのでしょうね。徳島藩と蜂須賀家について知りたい人は博物館へどうぞ。
-
私はこちらの旧表御殿庭園に向かいます。阿波、淡路二国を治めた蜂須賀家の居城内部に位置し、表御殿の書院と藩主が普段暮らす中奥に面して築かれた庭園です(説明書きより)。
のっけから素晴らしい石を見つけて興奮! -
江戸時代初期に、武将で茶人でもあった上田宗箇により造られた庭で、枯山水庭園と泉水庭園を組み合わせた形式になっています。こちらは築山泉水庭の部分です。
-
やはり、石に注目してしまいますね。この庭園は石組みの豪健無比な名園と言われています。
-
泉水式庭園で目を惹くのはこちらの青石。
-
橋として使われているこの青石の鮮やかな色が美しいですねえ!
-
そしてこちらは枯山水のお庭です。ここには初代藩主の蜂須賀至鎮が踏み割ったという伝説が残る巨大な青石の橋がありました。
-
至鎮が怒りのあまりに踏み割った? あるいは毒を盛られ苦しんで足踏みして割った? 部分が右側に見えます。先ほどの石のような強烈な色は放っていませんが、長~い! 10.5mもあるんですって。
-
中まで浸食された青石も置かれていました。この石陰陽石という名がついていました。波による浸食のように見えるけれど、青石の産地四国山地もかつては海だったのでしょうか?
-
見る角度によって、全く違った景色になってしまうから不思議。
-
筋の入った石と松の組み合わせも絶品!
-
石の存在感が半端ではないお庭でした。
-
幹が印象的な松の木?
-
徳島城の遺品と言われる鯱です。卍の文様がついた軒丸瓦の上に載っていました。
-
井筒とは井戸の地上に出ている部分。文字通り井戸の井の形をしています。この井筒に使われている青石がまた見事な色ですね。徳島城下八百屋町の豪商松浦家に伝わっていたものです。
濡れるとさらにきれいな色になるんですよね。この青石。 -
かつての徳島城の遺構はあとこの塀位でしょうか。青石の石垣が他とは異なる雰囲気を生んでいます。
-
最後に青石の石垣 ズームアップで庭園はお終い。青石は劈開性があり割れやすいけれど、方向さえ間違えなければ石垣にも使えるということですね。優しい青(緑色)でした。
-
庭園を出ても、青石の石垣は続いていました。
-
こんなに青石ばかりの石垣も珍しいと、先ほどから立て続けに撮りまくっています。写真のような豪快な野面積みが多かったように思います。
-
平城部分と山城部分に分かれている徳島城ですが、山の方には行かずに北に向かう濠沿いに築かれた石垣の道を歩きます。
-
地図を見て分かったのですが、徳島城が築かれた場所は新町川と助任川に挟まれた中洲です。
名前ついているのかしら? まさか「徳島」という名前じゃあないよなと思っていたのですが、後で名前が判明しました。「ひょうたん島」ですって。確かにひょうたんのような形をしています。
で、そのひょうたん島の最高峰が、城山なのです。標高61.7m。ここに最初に城を築かれたのは室町時代のこと。天然の濠に囲まれた築城するのに理想的な場所でした。 -
出てきたところは徳島城の北東の角 いわゆる鬼門にあたる門で数寄屋門。そしてその門に架かる橋がこちらの数寄屋橋です。数寄屋門は別名不明門(ふみょうもん)と呼ばれていて、城内で余程の悪いことが起こらない限りは開くことがない門だと説明書きに書かれていました。
-
数寄屋橋を渡り終えた場所から見た内濠と青石造りの石垣です(南方向)。この内濠、堀川とも呼ばれていて、城の北を流れている時任川から水を引いてきているそうです。
-
ここでもまた、青石の石垣に惚れ惚れ。出角の部分は算木積み(さんぎづみ)になっていて、石の長辺と短辺を交互に組み合わす積み方ですが、その他の部分は野面積み。青い石垣にぞっこんです。
-
イチオシ
赤く色づいた葉っぱも青石によく映えます。石垣の南角には明治になって壊されるまで月見櫓が建っていました。
-
逆C字型になった内濠のさらに南にあるのがこちらの鷲の門。なぜ鷲の門なのか諸説あるそうですが、変わった名前ですね。1875年(明治8年)に徳島城が壊される際に唯一残された門でしたが、第二次大戦中の1945年(昭和20年)、徳島大空襲で焼失。現在の門は1989年(昭和64年/平成元年)に復元されたものです。
-
鷲の門は一目見て満足したので、そのまま南に下ります。新町川にぶつかる手前に並ぶのが中洲総合水産市場。数十年前、父の元を訪れた母が中洲の市場での経験を楽しそうに話していたのを思い出してしまいました。
「市場で『こうて、こうて、はげこうて!』と威勢の良い声を出している人がいるので、何を売ってるんだろうと近寄って行ったら、はげってカワハギのことだったのよ。」 -
中洲市場を通り過ぎると、新町川の畔に出ます。川はこの辺りから名前を変えるのか、地図には沖洲川とも書かれていました。
ビルの陰に隠れてしまいましたが、徳島の町のもう一つの象徴が眉山です。どの方向から見ても「眉」の形をしている山だというのがその名前の由来。テレビアンテナが沢山立っている山だということで、この山は記憶にありました。 -
新町川(沖洲川)の護岸にも青石がふんだんに使われていました。なんという贅沢! 青石は徳島県各地で採れるそうだそうですが、産地により異なった名前が付けられていて、なんとその数10を超えます。
-
ここは南内町演舞場。阿波踊り期間中のみ特設される演舞場だそうですよ。踊りのない季節はご覧のように静かな川べりの公園。今踊っているのは目の前の二人だけのようです。
-
これなんでしょう? 屋根付きベンチかしら? ちょうど一服したい時間だったので休憩させていただきました。
-
両国橋の欄干上で踊る人発見!
-
反対側には女性の姿がありました。町中で踊る姿を見るたびに撮らずにはいられません。
どう見ても男性の踊りの方が腰を痛めそうな気がしませんか!? -
両国橋を横切ってすぐの新町川水際公園からはひょうたん島一周遊覧船が利用できます。この船に乗ることで、徳島城のある中洲の名前を知ったという次第です。
この船「新町川を守る会」という非営利団体が運営していて、無料で利用できますが、保険料が確か200円かかったような記憶。午後の時間に1日5便程度運行されています。 -
幸い、そんなに待つことなく遊覧船に乗り込むことが出来ました。子供に返った気分でわくわくドキドキです。ひょうたん島と聞いたから尚更のこと! 全部で22の橋をの下をくぐるんですって。
-
まず最初にくぐったのは、本日二つ目のふれあい橋。いや、穴吹ではくぐったのではなく、渡ったんでしたね。穴吹同様このふれあい橋も歩行者、自転車専用橋で、橋の中央に描かれているのは、阿波の国に伝わる狸(ラクーン)。夢と現実の橋渡しをする幸運のシンボルなのだそう。
-
佐古町の水門を通り過ぎると間もなく・・・
-
くぐるのは佐古大橋。伊予西条と徳島を結ぶ国道192号線が通っています。
-
突然ですが、屋上に車が乗ったビル発見!
-
三ツ合橋(みつあいばし)は、川が二つに分かれて新町川と助任川になる辺りに架かる、三本足の珍しい橋です。3本の足がちょうど真ん中で合わさったような形で、まさに名前の通り三ツ合橋。
-
正面に見えてきたのは徳島城のある城山です。標高61.7m。城を作るにはもってこいの場所ですね。これ以上の場所は望めない。
-
城山へ続く河岸は色鮮やかでした。
-
この方面から城を攻めるのはまず無理でしょう。あの石垣は古い時代のものかしら?
-
中洲みなと橋の先で新町川と助任川は再び合流します。
-
ほらっ! 合流すると川幅はうんと広くなります。遠くに見えている橋は、昨日空港から徳島駅に向かう途中でも見えた徳島東環状線の通る末広大橋です。あの橋の先は海です。
-
徳島から更に南の阿南方面に行くJR牟岐線(むぎせん)の橋梁を越えるとゴールは近く。JR牟岐線にも愛称があって、阿南室戸シーサイドラインですって。
-
こちらが国道11号線に架かるかちどき橋。橋げたが低くて結構すれすれのような気がするんだけれど、気のせい?
-
そして最後の両国橋で終了です。22本の橋の下をくぐる一周30分のクルーズでした。
-
次なる船のお客さんは先生に引率されたちびっ子たち。賑やかな一周となりそうですね。
徳島が水の町、中洲を中心に発展してきた町だということが良く分かり、楽しい時間を過ごすことが出来ましたよ。ちびっ子たちも楽しんでね! -
先ほどひょうたん島遊覧船で最初にくぐったふれあい橋の方に歩いていくと、綺麗に整備された水際公園が広がっていました。ちょうど今、ちびっ子たちを乗せた船が橋の下を潜り抜けたところです。
-
こんなモニュメントがありましたよ。中心市街地の活性化をめざして、1989年に県と市が一緒に施工したのだそうです。
-
せっかくなのでふれあい橋を渡ってみましょう。
橋の上からの1枚です。両側の護岸に青石の石垣がやはり目立ちますねえ。落ち着いた良い色です。すっかり「お気に入り」になってしまいました。 -
ふれあい橋を渡ると、今度は新町ボードウォークが続きます。木の温もりが感じられるデッキの上に白いパラソルが続きます。
土日にはパラソルが開いて、その下にお店が並ぶんですって。平日は寂しいなあ・・・ -
ボードウォーク越しに対岸を覗くと、ほらあ、青石が良い雰囲気じゃあありませんか。まだ言ってるって? はい、しつこいですね。
-
ふれあい橋次の橋新町橋脇には小さなステージがあって、イヴェント広場になっており、ボードウォークがそのまま良い感じの観客席に変身を遂げていました。
-
昔アーケードを歩いたなあ と記憶が蘇ってきます。この辺りだったのかしら。行ってみようっと!
-
やはりシャッター通り・・・
-
次のコーナーで元気よく踊っている人たち発見。そう来なくっちゃ!!
-
相変わらずのB級グルメファンの私がどうしても食べたかったのはご当地徳島ラーメン。観光案内所でもらった地図にも載っていた銀座一福にやって参りました。時刻は13時を過ぎています。さあ、腹ごしらえ。
-
こちらが元祖徳島ラーメン。生卵が入っていると思っていたのですが、見当たりませんでした。地元の人はこれにご飯を付けてラーメンライスにして食べると噂に聞いていたんですが。
こってり醤油味。お肉は甘辛く、スープは濃厚。徳島ラーメンは以前徳島にあった徳島ハム(現在の日本ハム)の工場から出る大量の豚骨を利用して作られ始めたのがルーツなんだとか。美味しかったです。う~ん、満足。 -
食べてからなんですが、他にもガイドマップに載っていたお店見つけちゃいました。阿波屋。ここでも食べてみたかったけれど、残念ながらもう入らない(泣)。
-
紺野町のバス停にあった阿波おどりカラクリ時計は、10:00~20:00の2時間おきに阿波おどり人形が踊る時計なのだそう。夜にはLEDライトによる演出もあると書かれていましたが、残念ながら「故障中」ですって。
-
四国八十八か所の遍路道はここ徳島から始まります。数十年前父と一緒にいくつかお寺を回った記憶がありますが、もう忘却の彼方なので、最終日に改めて札所1番から訪ねようと、この時は思っていました。
-
新町橋からの賑やかな通りを歩いていくと、眉山に登るロープウェイが見えてきました。阿波おどり会館5階にある駅と眉山山頂を6分で結んでいます。珍しいことにこのロープウェイ徳島市営なんですって。ということは阿波おどり会館も市営ということですね。
-
立派な塀が回った建物があるなと近づいて行ったら、徳島市立新町小学校でした。
-
小学校南門近く。植栽が美しく、うだつも上がっていましたよ。
-
私のお目当ては小学校の奥にあるお寺瑞巌寺。江戸時代初期に造られた池泉回遊式の庭園があると書かれていたのでやって参りました。眉山の山麓にあり、豊かな緑が大変美しいお寺でした。寺は1603年(慶長8年)、一鶚禅師が開山しました。宮城県松島にある瑞巌寺と同じ臨済宗妙心寺派ですが、関係があるのかしら?
-
イチオシ
この阿波弁の看板が愛おしい。「動詞未然形+れん/られん」は禁止を表すので、「あそばれん」は「遊んではいけない」を意味するそうです。
方言で書いてあるところが画期的ですね。 -
ほんの少し楓が色づき始めていました。
-
鐘楼の脇の・・・
-
階段を上っていくと・・・
-
阿波名水の一つ鳳翔水(ほうしょうすい)が湧き出ているところがありました。硬水でマグネシウムやカルシウムなどのミネラルを特に多く含んでいる水だそうですよ。
-
こちらが庭園への入り口中門です。お庭に入るにはお寺の呼び鈴を鳴らして、入場料300円を払うと、庭のパンフレットがいただけます。
-
まだ、紅葉の見頃とはなっていないせいか、見学者は私以外になく、またしてもお庭を独占してしまいました。なんという贅沢!
-
中門からのアプローチを進んでいくと
-
本堂とその前庭に出ます。
-
枯山水もありました。手前のモミジ、さらに色づいたら見事な紅葉が楽しめそうです。
-
大半のモミジはまだ青いままでした。
-
庭の至る処植栽が溢れていて石灯籠が目立ちません。
-
泉水式庭園は茂りすぎかも・・・桃山式風の庭園で眉山の傾斜をうまく借景に生かした設計だったのでしょうが、今はジャングル状態・・・青石の石橋がかろうじて見えますでしょうか?
-
様々な植物がびっしりと庭を埋め尽くしているようです。
-
池泉の他、滝、谷川、蓬莱山、三尊石等を配すとパンフレットには書かれていましたが、音は聞こえど滝の姿見えず。池の奥には一つ目の茶室椅松軒がありました。
-
自然の風景としてはとても美しいので文句なし。
-
鳳翔水以外にも湧水が方々で見られました。ここは山地と平地の境目に当たるので、地下水が地表に出てくるにはもってこいの場所です。
-
青石の石橋を渡り、・・・
-
急な石段を上っていくと
-
半ば朽ちたような茶室がありました。こちらは指話亭だったかしら。
-
十王像に導かれ・・・
-
更に石灯籠が並ぶ山道を進んでいくと・・・
-
鮮やかな朱塗りの三重塔の前に出ました。
-
下からこの角度で写すのが精いっぱい。
-
山道を再び下りていって、先ほどの茶室指話亭の裏側に到着。ふぅ、きつい。
-
茶室前のモミジはなかなか風情がありましたよ。
-
これが全部真っ赤になったら、さぞかしきれいでしょうねえ。
-
石灯籠沢山ありましたが、お気に入りはこちらの苔むした一基。
-
徳島県の文化財に指定されている天然記念物 瑞巌寺の天狗松と書かれていたので近寄って行って見たら・・・
-
枯れてしまった松の断面が飾られていました(反対側は年輪が見えていた)。もはや天然記念物ではないことだけは確かです。高さ33m、周囲8.33m、樹齢500年だったこの松は、「巨樹であるばかりでなく、枝多く、枝端が垂れて、姿形美しく、樹勢旺盛であった」と書かれていますが、どうして枯れてしまったのでしょう? その説明がないのが不可解でした。
-
最後に瑞巌寺の青石の参道です。素敵ですねえ。小さな石の配置がニクイ!
-
瑞巌寺からの帰り道に見つけたのは、ポルトガルの神戸・大阪総領事だったヴェンセスラウ・デ・モラエスの像です。彼は徳島出身の妻おヨネを亡くした後公職を退き、徳島に移り住んで日本を紹介する文筆活動を行いました。
ウィキペディアを見たら、日本の変な外人第1号と書かれている部分があって、その人となりを垣間見たような気になりました。 -
さあ、阿波おどり会館にやって参りましたよ。なぜか会館の写真は1枚もなし。提灯のような逆三角形をしていたようですが記憶にありません。こちらは会館前の女性のかぶる編み笠風のベンチのある広場。
-
そしてこちらは、阿波おどり会館の左側にある天神社の鳥居です。ここは眉山のパワーが集まるところだそうで、恋愛運がアップするスポットとして近頃人気になっています。
-
恋愛にはあまり関心がない私は阿波おどり会館にまっしぐら。さっそく3階にある阿波おどりミュージアムを見学します。
わぁ~ かっこ良いですねえ!!! -
まずは歴史に描かれた阿波おどりのお勉強から。これ、徳島の橋の上なのかしら? うっかり出展をメモるのを忘れてしまいました。みんな楽しそうに踊っていますよ。
-
こちらは、二人の三味線弾きの周りに群がって、思いっきり手を伸ばして乱舞する人々。徳島藩の御用絵師 守住貫魚(もりすみつらな 1809年~1892年)の描いた絵の模写だそうです。
-
高円寺や三鷹の阿波踊りしか見たことがないけれど、ジオラマが、古くからの踊りのスタイルを教えてくれましたよ。富山のおわら風の盆にもどこか似た日本の祭りの原風景を見ることが出来ました。
ここで注目したのはうだつ。似たようなものはあるけれど、脇町のような立派なうだつは上がっていませんでした。 -
ポスターも世相を反映する大事な歴史書。「阿波盆おどり」だったんですね。
-
阿波おどりでは、一つの踊りのグループを「連」と呼んでいます。有名な連が数多くあって、祭りの時はどこの連を見るかが重大関心事。
-
色々な踊り人形は今にも動き出すのではと言う雰囲気です。
-
阿波踊りロボットまでいましたよ。女性おどりは下半身の動きが少ないけれど、男性おどりは動きが大きく、「オドロット」君には無理じゃないかしら? なんて勝手に思っていたのですが、実際には徳島アミューズメントロボット開発研究会によって女おどり11体、男おどり3体が制作されて見事な踊りを披露しているそうです。
-
阿波おどり会館では、ほぼ毎日、本物の阿波おどりが楽しめます。昼の時間帯は1日4回。阿波おどり会館専属の連「阿波の風」によるショーが楽しめます。また夜の公演もほぼ毎日行われていて、こちらはここに提灯がぶら下がっている有名な連が毎日交代で踊りを披露してくれるのだそうですよ。
-
私が観たのは15:00からの公演。
-
もはや単なる盆踊りの世界から大きく飛躍して、芸術の域に達したおどりでした。
-
おどりを支える楽隊の皆さまです。
-
昼間の公演は40分間。あっという間に時間が過ぎてしまいます。
-
阿波おどり会館専属の連「阿波の風」は有名連から選出されたメンバーで構成されていて、一日4回の公演を行っています。自分の連と掛け持ちのメンバーも多く、まさに踊り人生の方々ばかり。
-
演目は「おどらなそんそん阿波おどり」。連長さんの解説付きですので、とても分かりやすい。
-
大勢で踊るのも良いけれど、男女の踊りの違いがはっきりわかるペアの踊りが良かった。二人の息がぴったり合ったこの場面はまさに圧巻でした。
-
両国橋の欄干の上で踊る人達と同じポーズが出ました!
芝居や劇と異なり、気軽でとっつきやすい阿波おどり、しかも舞台は充実した内容でしたので、最後までしっかりと楽しむことが出来ました。 -
公演終了後は阿波おどり会館1階「あるでよ徳島」内で売っていた滝のやき餅でおやつにしました。
-
1個から注文できますが、小さなお餅なので、2、3個は軽く行けちゃいます。結局物足りずにお変わりをする羽目に。渋めの抹茶とよく合いました。
-
時刻は16:00。日が落ちるまでにはまだ1時間くらいありそうです。地図を見ると阿波おどり会館の北側は寺町になっているようなので、眉山のふもとの街歩きを続けましょう。
最初に現れたのは善学寺。どうやらモラエスの墓のある潮音寺は通り越したみたい・・・ -
こちらは般若院。阿波秩父観音霊場番外札所ってわけわからない???
-
般若院の隣の東宗院。どこの寺にも入らずに、ひたすら山門だけ写しましたが、いずれも立派。屋根の反りが上の般若院と逆なことに気が付いて興味津々。
-
と、突然現れたこちらの建造物には説明板がありました。先ほどの瑞巌寺の鳳翔水同様、阿波の名水と謳われる錦竜水(きんりょうすい)の水くみ場です。歴代の阿波藩主はこの錦竜水を愛用し、水番を置いて保護したと書かれていました。水質は鳳翔水と同じく硬水で、ミネラル分に富み、カルシウムイオンやマグネシウムイオンなどを多く含む水だそうですよ。
-
あれっ 湧水出ていない と思った次の瞬間、
-
水が勢いよく流れ始めました。高度が高い割には意外とまろやかな味でしたよ。
-
錦竜水の水くみ場の先を右に曲がると、左手に見えてくるのが春日神社。市中五社と呼ばれる神社のうちの一つで、奈良春日大社の分社だそうです。
この神社にも春日水という湧水が湧いていると後から知りました。 -
春日神社参道で、先ほど食べた滝のやき餅と書かれた看板を発見して満足してしまい、お店の名前が違うことに気が付きませんでした。
てっきり阿波おどり会館1階にあった和田の屋だと思い込んでいました。春日神社のすぐお隣にある滝薬師の餅だから、滝の焼き餅なんですよね。ここは春日神社。いい加減気づけよ!!! -
おかげで国の登録有形文化財に指定されているお店の建物を見損なってしまいました。藩主愛用の錦竜水を使い、藩主の御用菓子として名声を博したとありますから、長い歴史のあるお菓子だったんですね。
-
善福寺は阿波西国三十三観音霊場2番札所。色々な霊場があるんだ。山門の外にある毘沙門堂の配置が気になりますね。
-
こちらが滝薬師本堂です。左側に薬師様に負けない位沢山の幟を出しているのが、噂?の和田の屋でした。たった今発見!
この寺の裏手から眉山北麓の大滝山へ上るハイキングコースがあるそうです。春は桜の名所と聞きました。 -
寺町最後の寺は安住寺。モラエスの位牌が収められているお寺だそうです。唐破風の玄関が立派。
-
ついでに屋根の上の獅子も撮っちゃいました。なんて愛嬌のあるお顔でしょう!
-
道路にこんな標識見つけました。鮒の里ってどこのことでしょう??
-
徳島駅までの帰り道は午後一で乗ったひょうたん島遊覧船でくぐった22の橋の一つあいせん橋を渡ります。斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える斜張橋(しゃちょうきょう)と呼ばれる構造。左側の大きな建物はあわぎんホールです。
-
ここで、本日最期の青石の石垣をじっくりと鑑賞しました。
-
藍場浜公園内にあったモニュメントで、三木健司さんの「赤の空」。徳島の人々の熱い心を赤い内部空間で表現しているのだそうです。どうしても中を覗いてみたい衝動にかられます。
-
手をあげて 足をはこべば 阿波踊
これ いいなあ~ -
渦潮をバックにここでも踊っています。
-
おどりと青石を見ながら歩き回った1日でした。徳島 自分の足で歩いて惚れ直しましたよ。初めての町に近い初々しい体験でした。
-
藍場浜公園から徳島駅は5分とかかりません。なぜか「JR徳島駅」と言う看板だけ工事中。今日はこのまま鳴門まで行き宿泊します。
この続きは阿波紀行 うだつの上がる町と踊る町、そして世界中の名画を独り占めできる場所その3で。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
徳島市(徳島) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
167