2015/11/09 - 2015/11/09
16位(同エリア219件中)
junemayさん
- junemayさんTOP
- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 168,442アクセス
- フォロワー41人
2015年5月から6月にかけて訪れたイタリアで、時間制限のためじっくり見ることが出来なかったパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂。鳴門にある大塚国際美術館には陶板で焼かれたスクロヴェーニと同じ大きさの礼拝堂が再現されていると聞き、いてもたってもいられず訪れることにしました。
しかし、実際に訪れてみるとスクロヴェーニ礼拝堂だけじゃあなかった。システィーナ礼拝堂やポンペイの秘儀の間、カッパドキアの聖テオドール聖堂等々、以前見たけれど今ではほとんどが忘却の彼方だった名画の数々を味わうことが出来て大・大・大満足! 本物、偽物の区別なんぞ全くつかない私には、じっくり、穴の開くまで見れることが何よりのしあわせ。しかも写真撮り放題!! この魅力満載の美術館を1日たっぷり鑑賞する予定でしたが、なんと最後の日の予定をキャンセルして、丸2日間こもる羽目になってしまいました。なんという至福の時間!!
1日目はずっと前から行きたかった吉野川沿いのうだつの上がる町脇町、2日目は昔父が単身赴任していた時代に訪れたことのある懐かしい徳島の町を巡りました。
11/9 羽田空港→徳島空港→徳島→穴吹(脇町)
11/10 穴吹→徳島→鳴門
11/11 鳴門(大塚国際美術館)
11/12 鳴門(大塚国際美術館)→徳島空港→羽田空港
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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羽田発ANA281便は定刻の10:10に徳島空港に到着。早速JR徳島駅行きのリムジンバスに乗車します。
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四国三郎吉野川の河口付近の橋を通過中。思ったより川幅広くないなと思ったら、違った! これは手前の今切川でした。
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こちらが正真正銘の吉野川。広~い! こうでなくっちゃ!
今正面に見えている橋が、河口に一番近い阿波しらさぎ大橋です。上を徳島県道29号徳島環状線が通っています。 -
この橋の特徴は、吉野川河口干潟に生息する絶滅危惧種になるべく影響を与えないよう、一部を吊り橋構造にして橋脚の数を減らしてあること。ちょうど二連続く吊り橋の下あたりに、干潮時に現れる広大な干潟があり、沢山の野鳥が飛来します。
その右側眉山の麓に、数十年ぶりに見る徳島の町が広がっていました。 -
河口付近に広がるブイは、スジアオノリや黒ノリの養殖棚だそうです。
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空港から30分ほどで終点の徳島駅に到着です。大急ぎで今度はJRに乗り換えです。
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おお~、待っていてくれました。11:00発の徳島線(吉野川ブルーライン)普通列車穴吹行きにバッチリ間に合いました。ぎりぎりだけれどセーフ! これを逃すと1時間近く待たなければなりません。
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JR四国1500形の気動車は一両のみのワンマンカー。地方では列車のワンマンカーはごく普通の乗り物なのでしょうが、私にとっては物珍しくていつもきょろきょろ。
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徳島線(吉野川ブルーライン)はその名の通り吉野川に沿って走っています。徳島から30分ほど乗った頃に到着した阿波川島駅からお城が見えました。阿波川島城です。阿波九城の一つで、1572年にこの地を与えられた川島兵衛之進によって築城されますが、江戸時代に入ると一国一城令により廃城。明治になるまで徳島藩の奉行所が置かれていました。
現在の城は勿論オリジナルではなく、1981年(昭和56年)勤労者野外活動施設として造られたものだそう。 -
阿波川島の次の駅「学」駅は合格祈願きっぷが売り出されるほどの人気駅ですが、現在は無人駅です。駅舎屋根の上の櫓はなかなか威厳がありますね。
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駅名表示板も写真に収めました。人生の終わりまでずっと学んでいきたいという願いを込めて。
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学駅から二つ先の阿波山川駅。この駅も雰囲気ありますね。帰って来た者を松の木が温かく迎えてくれるような気がします。
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川田駅を過ぎると、ようやく吉野川が見えてきました。線路は川沿いの国道192号と平行して進みます。
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雲の多い天気だけれど、雨はまだ降っていません。なんとか今日1日はもって欲しいなあ・・・
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徳島からジャスト1時間で終点の穴吹駅に到着です。穴吹は古くは山間部の藍の集積地として栄えました。ここからは吉野川を利用して船で藍を運んだのです。鉄道が開通すると、貨物輸送が船に取って代わりました。
今でも穴吹は徳島県内の主要な駅の一つ。徳島線の普通列車は穴吹止まりが大半です。 -
駅前に早速うだつの上がる建物(元お店?)発見!
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丁度お昼だったので、まずは腹ごしらえ。駅員さんに聞いたら、この辺りは徳島と言っても香川に近く、セルフのうどん屋があるよという話だったので、早速向かいました。
うどんや のぶ です。 -
今では讃岐うどんのチェーン店があちこちに出来て、セルフのうどん屋は珍しい光景ではなくなりましたが、父が赴任していた時代にはカルチャーショックに近いものでした。数十年前私が一番びっくりしたのは、銭湯にあるような湯栓(プッシュ式でネジがない)から出汁つゆが出てきたこと。
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シンプルなアスパラ天とかけうどんに決定。味は〇亀製麺とどっこいどっこいかな?
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旧穴吹町のデザインのマンホール発見! 旧穴吹町の町章の下を流れるのは吉野川ではなくて、徳島県の最高峰剣山を源流として吉野川に注ぐ、清流として名高い穴吹川です。左側の花は町の花だった百日紅。周りをどんぐりとその葉っぱが囲んでいます。
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うどん屋さんからは一旦穴吹駅に戻って、・・・
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駅の正面近くにある、吉野川にかかる歩行者(と自転車)専用橋を渡ります。駅から川向こうの旧脇町方面に行くにはこの橋を利用するのが近道。全長499.5m。
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穴吹駅から今宵の宿がある旧脇町の中心までは、私の足で、ゆっくり歩いて15分ほどでした。
いやあ、この橋、四国三郎吉野川の勇壮な流れを見下ろすことが出来る、中々の優れものです。霧が湧きたつ山々の景色も素晴らしい・・・ -
小舟が一艘のみ、岸辺に繋がれていましたが、まさか渡し船ではないですよね。
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400mほど下流側に、国道193号線が通る赤い穴吹橋が見えています。実はこの橋、旧穴吹橋の老朽化に伴い、架け直されたものですが、元々の橋はこのふれあい橋の傍に架かっており、旧穴吹町と旧脇町を結ぶ最短ルートでした。そのため、歩行者がぐるっと遠回りしなくて済むよう利便性を考慮して、歩行者&自転車専用の橋がここに架けられたのだそうです。
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先ほど冗談で「渡し船?」と書いたら、本当に渡し場の跡がありましたよ。1926年(昭和元年)に旧穴吹橋が架けられるまでは、この穴吹渡しが、穴吹町、脇町を結ぶ唯一のルートでした。渡し船は明治初期から1928年(昭和3年)まで運行されていたと書かれていましたので、旧穴吹橋の完成によって、廃止となったようです。
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ホテルに荷物を預け、すぐに街歩きに出掛けます。あらあら残念。とうとう雨が降って来てしまいましたよ。
旧脇町(現在の美馬市)の住宅地に入ると、立派な瓦屋根に鴟尾(棟両端に据える魚尾形の飾り)まで上がっていて驚かされます。元々はこの鴟尾火よけのまじないなのだそうです。鯱に似ていますね。 -
東京周辺では滅多に見かけない、黒光りする瓦屋根のお宅が殆ど。入母屋造りの屋根が多いなあ。入母屋造りは、切妻と寄棟を合体させた造りで、わが国では最も格式が高い屋根として重んじられたのだそうですよ。知らないこと多すぎ!
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どの家も立派で、美しく、絵になります。人様のお家なのにすっかり夢中でシャッターを押し続けてしまいました。怪しい人と思われたかしら???
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大きな屋根も小さな屋根も風格あり過ぎ!
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イチオシ
なんと! 見て見て 竹林のトラまで登場です。
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こちらのお宅の屋根は軒丸瓦(鐙瓦)の流れる様がなんとも美しいですねえ。
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脇町の郵便局は、勿論後世の建物ですが、申し分のないうだつが上がっていました。これから向かう、脇町のメインストリートが楽しみです。
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こちらの建物は何だと思いますか? スーパーマーケットですよ。風格あるでしょう。看板のないせい?
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この橋を渡ると、「うだつの町並み」と書かれた看板のある場所までやってきました。うだつの町並みの前に、寄っていきたい場所がありました。
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そう、脇町劇場、旧オデオン座です。1934年(昭和9年)に、回り舞台や花道を持つ本格的な芝居小屋として建てられました。第二次大戦後は地域の人々の娯楽の殿堂 歌謡ショー会場や映画館として利用されてきましたが、1995年(平成7年)に閉館。取り壊される運命でしたが、・・・
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脇町が西田敏行主演の映画「虹をつかむ男」のロケ地となり、オデオン座も登場。一躍注目を集めた結果、町の指定文化財として保存されることが決まったのです。
脇町劇場は創建当時の姿に復元され、現在ではうだつの町並みとともに観光スポットとなっています。懐かしい切符売り場で入場券を求めて、早速中に入ります。 -
中は大変居心地の良い空間。これは使わないと勿体ない本格的な劇場ですよ。
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左側に伸びているのが花道ですね。板の間部分には座布団を敷いて座ったのでしょうか?
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舞台に向かって左側の桟敷。2階の天井付近に神棚がありますよ。
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舞台には直径6mの回り舞台がありました。
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そして舞台と反対側の壁には、「虹をつかむ男」の完成までのストーリーが綴られていました。
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「虹をつかむ男」は1997年のお正月映画だったんだ。「お正月映画」という言葉も死語になりつつありますねえ。
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2階席は畳敷き。どういう風に座ったんでしょう? もしかして早いもの順かしら?
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2階席からの眺めもなかなか良さそう。折角の舞台なので、ここではやはり映画よりは芝居を観たいですね。
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2階席の後は地下に潜ります。これは創建当時のものではなくて、平成になってからの修復工事で美しく蘇った部分です。
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回り舞台の下はこのような構造でしたよ。毎年多くの芝居が上演されているそうですが、これからも芸人さん達の「晴れ舞台」となるよう、願ってやみません。観光スポットとしての利用のみでは、勿体ない。脇町までわざわざ行って観たい芝居が上演されると良いですね!!!
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脇町劇場を出て、うだつの町並みに向かいます。良かったぁ。雨が上がりましたよ。
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虫籠窓(むしこまど)のある漆喰壁の商家。2階の隣の家との境に、漆喰塗りで、鬼瓦の乗った袖壁卯建(うだつ)が置かれています。延焼を防ぐ防火壁で、火除け壁とも呼ばれるそうです。
このうだつ、造るのにかなりの費用がかかったことから、いつまでもぐずぐずしていて出世できなかったり、下手な商いを行っていると「うだつが上がらない」と陰口をたたかれました。
うだつが「上がる」より「上がらない」方が有名なのは、「上がらない」方が数が断然多いからかしら? -
脇町の中心は南町通りで、電線を地下に埋設したため、とてもすっきりとした街並みが広がっていました。
阿波藩主蜂須賀家政の第一家老だった稲田植元が要衝脇城代として当地に赴任、阿波特産の藍を奨励したため、脇町には藍商が大店を構える商人の町となったのです。植元は蜂須賀家家臣の中でも別格扱いで大名に近い存在だったと言いますから、脇町が当時、いかに重要な場所だったかがこの事からもわかります。。 -
ここにも、商家だけでなく、入母屋造りの独特な屋根勾配を持つ民家が見られました。2階部分の木枠の窓。なんて素敵なのでしょう。
1階部分は純和風と擬洋風のコラボでしょうか。良く刈り込まれた植木が家の構成要素の一部になっています。 -
伝統的な建造物の数は85棟。そのうち、四間半(一間が1.8mだから約8.1mかな)以上の間口のある家屋が22棟あるそうです。写真の建物も間口広いですね。通常なら見ることの少ない大通りに面していない側が良く観察できました。この面にも虫籠窓が用いられていますよ。
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まずは通りを一番端の方まで歩いていき、美馬市観光文化資料館という看板があったので、入ってみることにしました。明治時代に税務署として建てられた擬洋風建築です。
歴史的な資料が少々展示されていましたが、特筆すべきものはなかったような記憶。 -
観光文化資料館の右隣りに建つ背の高い蔵と古き良き時代風の電話ボックスの組み合わせがなかなかでした。
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この通りに来ると、軒丸瓦(鐙瓦)の建造物しか見当たらなくなっちゃいましたよ。こちらのお宅2階の窓が虫籠窓と格子窓一つずつになっていたので、思わず注目しちゃいました。
明治時代初期に建てられた、醤油醸造業を営んでいたお宅だそうです。 -
雨上がりのうだつの町並み。平日のせいか閑散としています。通りの端まで行ったので、ゆっくりと戻ることにしましょう。
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イチオシ
うだつの上の鬼瓦。結構可愛いと思いませんか。
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伝統的な格子窓、ラティスのような柱飾り、2階の微妙に高さを変えた手摺など、細かい木工技術が光りますねえ。
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明治時代の将棋名人小野五平翁の生家 平田家。 1980年(嘉永3年)19歳で江戸に出て 将棋名人天野宗歩に弟子入り。1900年(明治33年)にはついに第12世将棋名人となりました。生家は旅籠で、五平は泊り客のさすのを見て将棋を覚えたそうです。
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その平田家の棟にズームイン。角が生えている割には、あまり怖くない鬼がいないいないばあっ!
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色々な顔の鬼たちがいろいろな方向を向いて、一応「威嚇」しています。
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ところどころに観光客向けのお店がありましたよ。こちらは雑貨のお店 うだつや。藍染め製品の小物が沢山置いてありました。
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右側の建物、どう見ても傾いていますよね。大丈夫なのかしら? 前に置いてある自転車妙に生活感があって、良い雰囲気になっていました。
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2階部分に木枠の出窓があるのが印象的なまんじゅうやさん。
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お次は、主屋の建築が1707年(宝永4年)と言いますから、もう300年以上経っている国見家住宅です。裏に広がる敷地は広大で、吉野川に面して門があったと言います。この辺りで最も古い住宅の一つです。
もしかして元はたばこやさんをやっていたのかしら??? -
9代目当主が1920年(大正9年)から1954年(昭和29年)まで診療所を営んでいた森家の玄関です。
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藍商佐直と書かれているこの商家は、吉田家住宅。1792年(寛政4年)に創業した脇町で最大の床面積を持つ商家です。ここは一般公開されているので、早速お邪魔することにしました。
通りに面する間口は十一間(19.8m)、奥行き三十間(54m)で、約600坪の敷地を有する脇町でも一、二の豪商でした。 -
御成玄関です。いわゆる天皇・皇族、将軍や藩主専用の玄関の事で、下々の者はここから上がれませんよ。
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は~い、こんにちは。この方が藍商佐直の番頭さん。いかにも人当たりと愛想が良いけれど計算高そうな商売人って雰囲気だしています。お邪魔させてもらいますよ。
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どこにでもありそうですが、木目が美しい階段ダンスにまず注目。
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緑に接して思わずほっとする小さな坪庭がありました。説明書きには身分の高い人が鎮座する主座敷、次の間と外界を区分する「結界」であったと書かれていました。
結界とは仏教用語で、修法を行う場所に魔障が来ないよう一定地域を限ること とあります。要は、当家に滞在するお客様に、外とは隔絶された平和で静寂な世界を提供したということなんでしょうね。ちょいと説明が大げさかも。 -
先ほど通り沿いにも明治の将棋名人の生家がありましたけれど、ここの主座敷には、将棋の王位戦に使われた時の様子がそのまま再現されていました。
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46期王位戦第5局と書いてありますから、2005年(平成17年)9月5日6日、羽生善治王位と佐藤康光棋聖との闘いが繰り広げられたのです。10年間このまんまだったんだ!
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イチオシ
将棋はさっぱりわからないけれど、主座敷の障子の上の欄間の透かし彫りには見とれてしまいました。鶴達が羽ばたいたり舞ったりしています。
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こちらは、主座敷と次の間を隔てる欄間の透かし彫りです。
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とても美しく、風格を感じます。
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主座敷に面していたのは、第二の中庭です。こちらも外界とは距離がありそうです。将棋のみに集中できる環境でした。
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藍商佐直の広大な敷地には、江戸時代中期から後期にかけて建てられた母屋、質蔵、藍蔵など5棟が中庭を囲むようにして建っていました。見えているのは大きな2階建ての蔵です。
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向かって右側には離れへと続く渡り廊下がありました。
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台所に入って参りましたよ。
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台所の風景はどの家もあまり変わりませんが、なんとこの家には冷蔵庫らしきものがありました。いつの時代の冷蔵庫でしょうねえ。
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こちらは2階の広々とした西の間です。
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襖や天袋、地袋が白一色でシンプルなのが気にいりました。
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先ほど見た渡り廊下を上から眺めた1枚。吉野川は、奥に見える家の更に先。緑の土手の奥を流れているはず。かなりの距離がありそうですね。昔と流れが変わったのかしら?
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2階の一部は博物館になっていて、うだつの町並みの大きなジオラマもありました。
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題して南町復元模型。うだつは元来延焼を食い止めるための防火壁だと書きましたが、後の時代になると装飾的な意味合いが濃くなり、財力を誇示する象徴としても上げられるようになりました。
中世イタリアでは他人よりも高い塔を建てるのを競い合った時代がありました。どこの国でも豊かになってくると、やることは同じ。実質的な意味を考慮せず、いかに他人より目立つかということに取り憑かれるようになります。
えっ 防火の役割もあるからいいんだって? はいはい。いつものことだけれど、話が逸れましたね! -
これらの模型は岡本先生と地元の建築科の高校生達が代々引き継ぎながら制作したもので、2009年(平成21年)に美馬市に寄贈されました。実物の50分の1のサイズで丁寧に制作された26棟は、うだつの町並みの実に約70%に当たるのだそうですよ。
こうやって見ると、殆どの家の瓦が軒丸瓦ですね。再認識しました。 -
壁には脇町の歴史が綴られていました。蜂須賀氏により稲田植元が脇城代となったのは関ケ原の前のこと。1637年(寛永14年)には、脇町は徳島藩直轄の御蔵地となっています。
1700年代から江戸時代末期の1860年代にかけて大火が多かったのは確かで、年表に数え上げられているだけでも10回に及びます。火事以外の記載は、当藍商佐直(吉田家)が商いを始めた1792年のみなので、やはりうだつは必需品だったのかしら? -
主屋も蔵も、この家屋では柱の上に「登り梁」を受ける大きな「牛梁」があり、その上に屋根が掛かっている構造でした。
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何本もの太い梁や柱が家屋を貫いていて、伝統的な職人技を感じられる2階部分は、木の温もりが心地よい空間でした。
そうそう、正面に見える虫籠窓からはうだつの町並みを覗くことが出来ます。 -
おや~、ここにも若干1名 覗き見中の女の子がいましたよ。
ねえねえ、そんなところから何覗いているの? -
釣られて覗いてみると、藍商佐直吉田家に入って、最初にご挨拶した番頭さんの背中がよく見える仕掛けになっていました。店に誰が来ているか、ここから観察したんでしょうねえ。
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藍商佐直から出ると、吉田家の真向かいにあるのがこちらの時代屋。ギャラリーには阿波踊りを踊る竹人形が多数展示されています。ちょうどシーズンとなった菊も見事な咲きっぷりでしたよ。
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藍商佐直吉田家にはこのほか裏に「藍の寝床」、「離れ」、「中倉」、「質蔵」、「船着き場」などが残っています。「離れ」には、藍蔵を改装したカフェがあり、そこで飲み物を戴くこともできます。
個人的には徳島名物スダチジュースが美味しかった! 写真撮り損ねたようです。 -
一休みした後はもう少し町歩きを続けましょう。入母屋造りの家がお気に入りになったせいで、写真の枚数半端じゃない。
このお家、窓の格子造りも繊細で美しいですねえ。 -
かつての商家も今は普通のお宅になっているケースが殆ど。
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江戸時代にタイムスリップしたような、素敵な佇まいです。
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鬼瓦もよく見ると一つ一つ形が異なっていて、撮りがいがあります。
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こちらの住宅2階の格子造りには「住友」の商標のような井桁が入っていました。細かいところまで、主のこだわりが感じられます。
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酒屋の正木商店では、うだつの上がる酒を沢山扱っていましたよ。お酒に飲まれないようにね。
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そのお隣は旧脇町立図書館(手前)。農業倉庫だった建物をリフォームしていて、今も美馬市立脇町図書館として現役です。
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図書館の向かいの建物には、「農業倉庫」と書かれた文字が読み取れました。この角を曲がってみましょう。
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旧農業倉庫の内部は美馬市指定文化財に指定されている緻密な彫刻を施された山車やうだつの実物模型が展示されていました。脇人神社祭礼に出る屋台の一つ、落久保地区の屋台です。
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こちらの山車も同じような構造。登り龍と下り龍がはっきりわかりますね。その右隣にうだつの模型。モルタルの内部を見ることが出来て、うだつの仕組みが良く分かりました。
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旧脇町立図書館の入口付近には、お稲荷さんが建物と合体していました。面白い組み合わせですね。
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1791年(寛永3年)に建てられた棟札を有する野崎家は、この町で一番古い呉服商。呉服屋は1856年(安政3年)開業で、今ではエプロン、暖簾、ブラウス、ネクタイ等様々な藍製品を売るお店に変身していました。
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看板の上にある□のなかに「さ」は屋号で、「さのぎ」と読むんですって。電話番号はかつて脇町一番だったとか。
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農業倉庫のお隣にあったのは江戸末期に建てられた典型的な商家の建物です。道路に面した部分には2種類の格子が並んでいます。
向かって右側はお店部分なので、中が見えるよう太い角木(太格子)を使っていますが、手前は座敷部分のため、逆に中が見えないよう、細い角木を縦に組み合わせている(細格子)のが特長だそう。 -
太格子側から撮った1枚。格子の幅が全く異なっているのが分かりますね。
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そのお隣は細格子のみの造りでした。
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うだつの町並みの一番端まで歩いてきたので、もう一度歩いてみようと引き返します。
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お手製らしい郵便箱にもうだつが上がっていました。
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鬼の姿はないけれど、これも鬼瓦コレクションに加えましょうか。
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この家前にも撮ったかしら? 戸数があまりに多すぎて、記憶が曖昧。
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並んだ、並んだ、純白の富の象徴うだつ。
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最近修復されたのか、鈍く輝く新しい瓦が目立ちます。藍の集積地として栄えた頃を彷彿させますね。明治の頃、脇町は、徳島に次いで鳴門と並ぶ徳島第二の町だったそうです。
藍は明治中期、日清戦争の頃までが最盛期で、日露戦争後は化学染料が出てきたため、次第に衰退。その後脇町は代わって繭の集散地となり、筒井製糸所脇町工場が建てられたことで第二の黄金期(四国随一の繭の集散地)を迎えますが、それも昭和初期までしか続きませんでした。
船運が廃れた後、鉄道が吉野川の対岸を走ったのも、脇町にとっては不幸でした。こうして脇町は歴史の表舞台から次第に消えていき、豪勢なうだつの上がる商家だけがここに取り残されたのでした。 -
まだ午後3時過ぎだというのに、通りは静まり返っていました。電信柱がない世界ってこんなに空が広く、美しいんだとあたらめて実感。
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個人的には一番のお気に入りがこの妻入造りのお宅です。コンパクトですが、脇町独特の要素をすべて備えていて、無駄な部分がありません。家に全く似合わないクリスマスリースが飾られているのはご愛敬!?
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うだつの上がる町並みはこの位にして、もう少し旧脇町を歩いてみましょうか。最初の方でも書きましたが、一般の家がどれも重厚な造りで、どっしりと存在感があることに驚かされます。
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御殿のような家もありましたよ!
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日本家屋の良さがギュッと凝縮されているみたいです。建物はそう新しそうではありませんが、瓦はピッカピカ!
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このお宅の鬼もどこかユーモラスですねえ。
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脇町北側にやって参りました。町に二つある神社の一つ脇人神社。先ほど農業倉庫の中に展示されていたのは、この神社の祭礼で使う山車です。
神社で「静謐」、「安寧」と書かれた柱を見るのは初めてです。 -
続いては稲田氏の菩提寺だった貞真寺の山門。一間一戸の屋根に唐破風を持つ向唐門(むかいからもん)という珍しい様式の門で、市の有形文化財に指定されています。門の両側には翼門がついていて、屋根瓦には稲田氏の家紋である矢羽文様が施されていました。寺は1955年(昭和30年)の大火で焼け落ち、稲田氏関連の文化財はこの門以外全て失われたそうです。
ボロボロですが、かつては赤く彩色されていたことが分かります。 -
この寺に稲田家初代の元植とその家族の墓所が残っていました。稲田氏はその後淡路島由良城代となり脇町を離れましたので、ここを菩提寺としたのは元植だけだったと説明書きにありました。
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貞真寺山門の角を曲がるとすぐに山にぶつかります。そこにあるのが秋葉神社の鳥居。
脇町で大火が続き、特に1829年(文政12年)には169軒を焼く大火事が起こったため、静岡県浜松市(旧天竜市)の山奥秋葉山頂にある火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)を祀る秋葉神社から勧請したものです。
余談ですが、TV番組ブラ〇モリで最近やった熱田(名古屋)の古い町では、各通りのどん詰まりに秋葉神社がありました。木造家屋の町並みが最も恐れるものは火事だったということが良く分かりました。 -
かなりの急坂ですが、見晴らしが良さそうなので、上りますか・・・
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階段を上って更に上ると西側の標高100m付近に、かつての脇城本丸跡があるようです。徳島からの車窓で見えた阿波川島城と共に阿波九城の一つです。
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秋葉神社拝殿に到着です。簡素な造りですが、きちんと手入れされていました。
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おお~、結構上ってきましたねえ
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しめ縄の間から、脇町を眺めます。中央に吉野川、左右を低い山に囲まれた風光明媚な町でした。
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コスモスの原色と不思議にマッチする風景の中を歩きます。
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最後にやってきたのは、東林寺です。こちらの山門も、市の文化財に指定されていました。この山門は2階部分が鐘楼になっていて、屋根は入母屋造りですが、多くの寺社同様、屋根の反りが、今まで見て来た民家とは逆のカーブを描いていました。
このカーブ、正しくは縄を垂らした時に出来る「縄だるみ曲線」と呼ぶのだそうです。雨が最も早く流れ落ちることから「最速降下曲線」とも言われるとか。本当に美しい曲線ですね。 -
寺には座観式枯山水庭園があったそうですが、気が付かずに出て来てしまいました。
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今日はこちらの方に関心あり過ぎ!! ここにも、ややこわもての鬼が健在でしたよ。
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そろそろホテルに戻るとしましょう。
県立脇町高校前を通り過ぎ、 -
吉野川に注ぐ大谷川を渡ります。河岸の石垣は風情があります。「虹をつかむ男」のロケ地にもなった場所と聞きました。
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脇町劇場オデオン座まで戻って参りました。ホテルまではもう少しの距離です。再びきょろきょろしながら街中の家並みを見て歩きます。
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一般の住宅までこんなに面白い町は滅多にお目にかかりませんよ。このお宅には塔屋までありました。何のために作られたのかしら? あの内部がどうなっているのか見てみたかったなあ・・・
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元は商売をされていたのだと思いますが、やはり住む人がいないと家は傾いていってしまいます。うだつが寂しそう。
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駐車場にしておくのは勿体ない建物のような気がしますが、余計なお世話・・・ですね!
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木の格子の美しさをこれでもかっと見せびらかしている(?)お宅もありました。歩きながらため息をついている自分がいましたよ。
ああ、面白かった。今日は5時前に起きましたが、早起きは三文の徳。半日たっぷりと見どころ満載の脇町を歩くことが出来て大満足でした! -
今宵の宿ビジネスホテルマツカに戻って参りました。先ほどは荷物を預かってもらっただけなので、チェックインはこれから。
正直、あまり期待はしていなかったのですが、フロントのインテリアがとてもくつろげる雰囲気を醸し出していました。 -
お部屋に入って納得。うん。これはなかなかいけてますよ。重厚感漂う落ち着いた色調の室内でした。デザイナーズホテルと言ってもいいくらい・・・
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Wifiバッチリ、お部屋居心地よく、ホテルのスタッフの方の対応も迅速で温かみを感じます。
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浴室はバスタブが広めで使いやすかったです。脇町で泊まるなら絶対お勧めですよ。というわけで、初日はお風呂に浸かってゆっくり過ごしました。
脇町の良いところは、うだつの上がる町並みのみならず、町中の家々の多くがこの地に伝わる日本家屋の良き伝統を受け継いでいるところ。これからも残していきたい日本の風景だと思いました。はるばるやってきた甲斐がありましたよ。
明日は徳島に戻ります。踊る阿呆の町をほっつき歩く阿呆となる予定です。ではまた明日。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ねんきん老人さん 2021/07/21 09:35:14
- いやはや、私の旅行は何だったんでしょう?
- junemay さん、読み応えのある旅行記でした。
脇町には私も2度行き、なんとなく知っているつもりでしたが、今回 junemay さんの旅行記を拝読して、私は何も見ずに帰っていたんだと痛感しました。
まず、 junemay さんが飛行機と電車を使って行かれたのが正解でしたね。 私は車で行って、直接脇町の駐車場に入っていたので、今にして思えばずいぶん見どころを飛ばしてしまったと思います。
駅から旧脇町への「近道」が500mもある橋で、そこからいかにも吉野川らしい景観が一望できるなんて。 知らなかったとはいえ勿体ないことをしたと後悔しています。
また、有名なうだつの町並みに行く前に豪壮な家々をじっくり見て回られたのも羨ましいことです。 まあ、行っていたら私の家とのあまりの違いに気が狂っていたでしょうから、見なくて良かったと無理な負け惜しみを言ってみても、残念な気持ちは消えません。
オデオン座は1度しか行っていませんし、中にも入っていません。そもそも入れるということを今日まで知りませんでした。 junemay さんの詳しい紹介を拝見して、自分はいったい脇町まで何をしに行ったのだろうと地団駄踏む思いです。
かくなる上は、もう少し生き続けて、もう一度脇町に、それも電車で行かなければ死ねないなと唇を噛んでいるところです。
うだつの連なる通りでも、一棟々々を丁寧にご覧になっていて、ただ歩き回っていた私とは大違い。 旅行とはかくあるべきものと思い知らされた気分です。
もう一度脇町に行くためには長生きしなければなりませんが、これだけ刺激を受けた以上、カップラーメン頼りの生活を少し改めて、健康というものに少しは留意しようかという気になりました。
ありがとうございました。
ねんきん老人
- junemayさん からの返信 2021/07/22 02:22:32
- RE: いやはや、私の旅行は何だったんでしょう?
- ねんきん老人さま
こんばんは junemayです。
またしても素敵な、私には勿体ないコメントを頂きましてありがとうございました。書いた本人もその内容を忘れかけていたので、本日久しぶりに読み返してみました。
目的地へたどり着くまでも旅であると改めて実感。そして、ペーパードライバーゆえ、旅先で運転することができず、公共交通機関しか利用できない身を憂いていたのですが、この時ばかりはラッキーだったんだと再認識させていただきました。読む人のことを考慮せず、個人的な趣味で満ち満ちている駄文を喜んで読んでいただけて、当方感謝しかございません。
旅行記で紹介した新旧の家屋群は日本のお宝。こうした文化が廃れることのないよう、今後も何らかの形で応援し続けたいと思っております。コロナ禍になって以来、書く気力が失せてしまい、また記憶もどんどん失われつつあります。書きたい場所はまだまだたくさんあるのですが、最後まで書きとおす自信がなく、無為徒食の毎日を送っているのが現状。旅に出て新鮮な感動、エネルギーを得たいですね。いつまで辛抱すればいいのやら・・・と最後はまたボヤキになってしまいました。重ね重ねですが、ご訪問いただき、本当にありがとうございました。
junemay
> junemay さん、読み応えのある旅行記でした。
> 脇町には私も2度行き、なんとなく知っているつもりでしたが、今回 junemay さんの旅行記を拝読して、私は何も見ずに帰っていたんだと痛感しました。
> まず、 junemay さんが飛行機と電車を使って行かれたのが正解でしたね。 私は車で行って、直接脇町の駐車場に入っていたので、今にして思えばずいぶん見どころを飛ばしてしまったと思います。
> 駅から旧脇町への「近道」が500mもある橋で、そこからいかにも吉野川らしい景観が一望できるなんて。 知らなかったとはいえ勿体ないことをしたと後悔しています。
> また、有名なうだつの町並みに行く前に豪壮な家々をじっくり見て回られたのも羨ましいことです。 まあ、行っていたら私の家とのあまりの違いに気が狂っていたでしょうから、見なくて良かったと無理な負け惜しみを言ってみても、残念な気持ちは消えません。
> オデオン座は1度しか行っていませんし、中にも入っていません。そもそも入れるということを今日まで知りませんでした。 junemay さんの詳しい紹介を拝見して、自分はいったい脇町まで何をしに行ったのだろうと地団駄踏む思いです。
> かくなる上は、もう少し生き続けて、もう一度脇町に、それも電車で行かなければ死ねないなと唇を噛んでいるところです。
> うだつの連なる通りでも、一棟々々を丁寧にご覧になっていて、ただ歩き回っていた私とは大違い。 旅行とはかくあるべきものと思い知らされた気分です。
>
> もう一度脇町に行くためには長生きしなければなりませんが、これだけ刺激を受けた以上、カップラーメン頼りの生活を少し改めて、健康というものに少しは留意しようかという気になりました。
>
> ありがとうございました。
>
> ねんきん老人
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