2017/07/28 - 2017/07/28
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montsaintmichelさん
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目指す日吉東照宮は、比叡山ケーブル坂本駅の近所に佇みます。スケールこそ日光東照宮に遠く及びませんが、その雛形と伝えられ、鄙びてはいるものの往時の絢爛豪華さを今に残し「関西の日光」と称されています。東照宮と言えば日光や久能山が有名ですが、東照大権現信仰が盛んな頃は全国に500以上もの東照宮があったとされ、御三家はじめ諸国大名家がこぞって勧請して豪華な霊廟建築を競い合いました。その性格上、明治維新後にその大多数が破却される憂き目に遭いましたが、徳川家所縁の地に建てられた物件等は特例として遺されてきました。
日吉東照宮もその恩恵に与った物件で、徳川家3代にまたがるブレーンとして大車輪の活躍をしていた天台宗の僧 天海の肝入りで建立されたものです。元々は延暦寺が管轄しており、総本山の一画に建造されました。因みに天海は、信長の比叡山焼討ち後、比叡山をV字カーブで復興させた立役者です。
また、日光東照宮は北辰信仰とも深い係わりがあることで知られていますが、日吉大社の社殿群が北斗七星の配置構成に倣っている点や、平城京から見て北極星の方角に当たるこの地に日吉東照宮が配された点は興味深いものです。
坂本エリアのマップです。
http://www.hieizansakamoto.jp/sakamoto-map02.pdf
日吉東照宮のHPです。
http://hiyoshitaisha.jp/toushougu/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 私鉄
-
日吉東照宮 参道
権現馬場の終点には、一息入れる形で県道47号が横たわっています。
その先は見ての通り、まるで参拝者を拒むかのごとく、衝立のような階段が先が見えないほど延々と続いています。
この階段の頂点に君臨するのが、目指す日吉東照宮です。
因みにこの階段は、比叡山高校の体育会系のトレーニングの場になっているようです。 -
日吉東照宮 参道
鳥居の手前の石碑には、「毘沙門天王 戒蔵院」と刻まれています。場所を間違えたのかと一瞬焦るかもしれませんが、気を取り戻して冷静になってください。
石碑や石鳥居、石燈籠は、歴史を感じさせる風格に満ちています。 -
毘沙門天王 戒蔵院
鳥居手前の階段の先、その左手に佇むのが「戒蔵院」です。「毘沙門天」像で知られた寺院です。
そして隣接する厨が、戦後6人目の比叡山12年籠山行満行者に当たる宮本祖豊師の住居です。宮本師は、住職になるための「3年籠山」も勤められ、約20年間に亘る修行を積み重ねられました。
千日回峰行が「動」の修行なら、12年籠山行はまさに「静」の修行です。12年籠山行は、1699年頃に確立され、現在まで117名の侍眞の名が残されているそうですが、その中で満行に到らず26名が病死者したとされる過酷な苦行だそうです。 -
日吉東照宮
急勾配の階段を登り切ると、延段の先に平唐門と菱格子の透塀に囲まれた東照宮がひっそりと寡黙に佇んでいます。まだ、誰も来られていないようです。
前庭の右手に社務所があり、そこで拝観料¥200と希望者はご朱印の初穂料¥300を納めます。(日吉大社をセットで参拝する場合は、拝観料50円割引)
HPに記されていますが、内部拝観は金土日祝(9:00~16:00 )に限定されています。因みに内部拝観とは、唐門を潜って境内に入り、昇殿参拝することも含みます。これ以外の平日は、唐門も閉じられていますので注意なさってください。尚、団体の場合は、平日であってもあらかじめ日吉大社社務所に連絡すれば対応していただけるようです。 -
日吉東照宮 唐門
平唐門は檜皮葺の4脚門で、天井や冠木上に絢爛豪華な極彩色の文様や彫刻が施されています。周囲は透塀で囲われ、いかにも東照宮と思わせる派手さを演出しています。 -
日吉東照宮 唐門
本家 日光東照宮の唐門と比べるのは、さすがに無理があります。
しかし、閑静な雰囲気に良く馴染んでいます。 -
日吉東照宮 唐門
頭貫の上にある「つがいの鶴」の生き生きとした姿は、今にも飛び出してきそうな迫力に満ちています。
所々色彩が落ちているのが少々気になるところです。 -
日吉東照宮 唐門
左側の鶴です。
どちらが雄なのかは判りません。 -
日吉東照宮 唐門
右側の鶴です。
子鶴を連れているので、こちらを雌としておきましょう。 -
日吉東照宮 唐門
中央の蟇股に君臨するのは、孔雀です。
手前に梁があるため、正面からは隠された状態になるのが少々残念です。蟇股をアピールするなら唐破風が一番です。これも日光東照宮のデザインのプロトタイプとして体現したものなのでしょう。この反省を踏まえ、日光の唐破風を構えた唐門があるということです。「失敗は成功の元」とはよく言ったものです。 -
日吉東照宮 唐門
蟇股にある孔雀の裏面です。
2本足でけなげに立っている様子が伺えます。 -
日吉東照宮 唐門
天井は格子状になっており、華麗な花のような意匠が各面に施されています。吉祥の花や文様として扱われる、極楽浄土に咲く幻の花「宝相華」でしょうか? -
日吉東照宮 唐門
菱格子の透かし細工も巧妙です。 -
日吉東照宮 唐門
六葉の猪目(ハート形)は、何時見ても微笑ましいものです。
ここにも徳川家の「三つ葉葵」の御紋が並んでいます。 -
日吉東照宮 拝殿
唐門を潜ると、凛とした静寂に、極彩色に彩られた権現造の建物が全貌を顕にします。
手前の拝殿は、入母屋造、銅瓦葺、正面の3間の向拝には軒唐破風、その奥に千鳥破風を載せ、桁行5間と奥行2間の堂々たる面構えです。日光東照宮の原型になったと伝えられるだけあり、総黒漆塗りが極彩色の彫刻の華麗さを際出させています。
東照宮は、東照大権現たる徳川家康を祀る神社です。将軍職を秀忠に譲り、駿河で大御所として隠遁生活を送っていた家康が死去したのが、1616年、享年75歳でした。「まず駿河 久能山に葬り、1周忌の後、日光山に移せ」との遺言通り、久能山は仮の社として約半年で竣工、その間に日光東照宮建造に着手しました。日光東照宮は1年4ヶ月の工期で竣工させ、遺言通りに家康の亡骸を日光へと移しました。
日吉東照宮の建立は、1623年です。当初の社殿は派手なものではなく、現在のような権現造の様式に変貌したのは1634年、家光の時代でした。家光は、上洛の途中で天海に日吉に東照宮を建てよと命じました。これは建立が目的ではなく、尊敬する家康に相応しい立派な社殿を考案しろというものでした。天海は、家光の命に恥じない社殿を模索するため、試金石として日吉東照宮を造営しました。家光は、完成した社殿を大いに気に入り、すぐに日光東照宮の再建に着手しています。 -
日吉東照宮 拝殿
東照宮の建築時期を時系列で照合すると、日光の寛永大造替が1636年、日吉東照宮は現日光東照宮よりも古く、規模は小振りながらも構成や意匠に共通性が窺えることから、日光東照宮の雛型として建造されたものと推測されています。また、日光東照宮の大工棟梁 甲良宗広の腕を磨かせるための試作品との説もあります。
1917(大正6)年に社殿が国の特別保護建造物とされ、1929(昭和4)年には旧国宝に指定されますが、1935(昭和10)年に東照宮橋(権現橋)が水害で流失する被害に遭っています。1950(昭和25)年に社殿が重文に指定され、1956年に唐門と透塀が重文に追加されています。 -
日吉東照宮 拝殿
軒唐破風の桁上には阿吽の虎が彫られ、極彩色に彩られています。瑞雲が立ち込める描写は、守護獣を象徴し、神格化した姿を表します。
家康は寅年生まれであることから、どこの東照宮にも虎の彫刻が多いのがご愛嬌ですが、しなやかな背骨の曲線やアスリートを彷彿とさせる筋肉質の後ろ足など、リアル過ぎて吃驚ポンです。
また、色彩が剥落しているため、阿形の虎は当時は誰も知らなかっただろう「ホワイトタイガー」になっているのも面白いかも! -
日吉東照宮 拝殿
軒唐破風にある鬼瓦の鬼板には黄金色の「三つ葉葵」が燦然と輝いています。
内陣外陣共に金箔や装飾金具が施され、華麗で美しいのですが、瓦や扉などの金具には「三つ葉葵」がこれでもかと言わんばかりに施されています。これも東照宮の専売特許のひとつです。 -
日吉東照宮 拝殿
真正面からは拝むことのできない、千鳥破風の全景です。 -
日吉東照宮 拝殿
懸魚の中央にある金細工は、蓮華の花を模しているのでしょうか?
懸魚の脇の奥には、隠すように「天台宗菊輪宝」がキラリと輝いています。こうした所に、天海が天台宗をさりげなくアピールしているのが窺えます。 -
日吉東照宮 拝殿
入母屋の妻には、2重虹梁蟇股を配しています。 -
日吉東照宮 向拝
日光東照宮同様、龍や五色の極彩色といった魔除けの機能を持たせた装飾が、龍派(気の流れる山脈)や穴(気が集中するスポット)と言われる陰陽五行説を基調にしたコンセプトに則ってあしらわれています。 -
日吉東照宮 拝殿 向拝
正面中央の蟇股にはとぐろを巻いて身構える「青龍」、その下の頭貫にも龍の文様が描かれています。 -
日吉東照宮 拝殿 向拝
龍の蟇股の右隣は、唐獅子です。
左右「阿吽」で一対にしています。 -
日吉東照宮 拝殿 向拝
頭貫の木鼻は迫力に満ちた唐獅子です。
こちらも左右で「阿吽」で一対です。 -
日吉東照宮 拝殿 向拝
見所は装飾の多様性にあり、向拝の手鋏や頭貫木鼻は極彩色に彩られた唐獅子や鳥獣、草花等の彫刻で埋め尽くされ、本殿や拝殿の外周に配された蟇股は龍・虎・玄武(亀)・雉・孔雀等の霊獣類の彫刻で構成されています。
しかしこれらの彫刻は何れも長押より上部にだけ配され、下部の壁面は板絵を嵌めただけで彫刻や金箔・飾り金具等は施されず、日光よりも久能山に近いスタイルです。これは、恐らく久能山を参考にしたということなのでしょう。 -
日吉東照宮 拝殿 向拝
拝殿正面の中央部にある鳳凰の蟇股です。
正面には5つの蟇股が並びますが、全て鳳凰があしらわれています。その中央を飾るのがこの蟇股であり、羽を広げる姿は優雅です。
周囲の彫刻は、松に山鵲(さんじゃく)を配しています。 また、蟇股の上部には、熨斗(のし)と言われる装飾が用いられています。 -
日吉東照宮 拝殿 向拝
拝殿に向かって左端から順に、中央の蟇股を除いた鳳凰のフルキャストです。
順番は、左上→右上→左下→右下です。 -
日吉東照宮 拝殿 向拝
順序は、1.左上→2.右上→3.左下→4.右下です。
1.尾羽を広げ、斜め上を見上げるポーズをとっています。周囲は、牡丹があしらわれています。
2.桐の花の中を飛翔する姿です。周囲は、松と椿、禽鳥があしらわれています。
3.翼を広げ、滑降するかのような姿をしています。周囲は、松と椿、禽鳥をあしらっています。
4.尾羽を広げ、桐の枝に止まるポーズです。周囲は、牡丹と禽鳥。 -
日吉東照宮 拝殿 向拝 手挟(たばさみ)
正面からは見えないため、見逃してしまうことの多い手挟の見事な彫刻です。
各面にそれぞれ異なった意匠の鸞(らん)をあしらっています。組み合わせは、牡丹です。ここには手挟が4か所設けられていますが、全て鸞と牡丹で統一されています。
鸞と鳳凰とを区分けする明確なポイントは存在しませんが、尾羽や牡丹との組み合わせから鸞と想定されています。 鸞は、中国の類書『三才図会』から引用されたもので、神霊の精が鳥と化した実在のものとされ、姿は雉をより豪奢にし、鳴き声は鶴に似ており、青っぽい羽色をしているそうです。 また、「鸞」は雄の名であり、雌は「和」と呼びます。鳳凰が歳を経ると鸞になるとも、君主が善政を治めた時に現れるともいい、その血液は粘りがあるためにニカワとして弓や琴の弦の接着に最適とあります。実在の鳥類では、ケツァール(キヌバネドリ目)が、鸞の外観に合致するとも言われています。
今でも中国では、ウェディングドレスの刺繍の柄にこの鳥の意匠を用いています。 -
日吉東照宮 拝殿 向拝 手挟
拝殿に向かって左側から眺めた様子です。
左上が1番手前、右上が2番目、左下が3番目、右下が1番奥の彫刻です。 -
日吉東照宮 拝殿 向拝 手挟
拝殿に向かって右側から眺めた様子です。 -
日吉東照宮 拝殿 向拝 手挟
左上が1番手前、右上が2番目、左下が3番目、右下が1番奥の彫刻です。 -
日吉東照宮 社殿
社殿全体では、桁行5間に奥行6間の社殿サイズになります。
久能山東照宮はここと同じサイズですが、日光東照宮は桁行9間に奥行10間とさすがに規模が格段にスケールアップされています。
色彩は、50年程前に塗り替えたそうですが、比叡おろしの厳しさを物語るかのように一部が損傷してきています。 -
日吉東照宮 社殿
こうした霊廟建築を「煌びやか」と感じるか「悪趣味」と感じるかは、実のところ線引きが微妙です。ただし、こうしたコテコテの様式を「伝統的な日本の美ではない」と一蹴するのは、間違いだそうです。ブルーノ・タウトが桂離宮などの「侘び・寂び」をことさら持ち上げた結果、そうしたものだけが「伝統美」と勘違いされてしまったのは忸怩たる思いです。
東照宮に代表される霊廟様式も、日本人の感性が生み出した伝統美であることに違いはありません。建物自体が瑞祥の証になった稀に見る誉れ高い様式です。
でも、どう見ても派手なのは確かですが…。 -
日吉東照宮 拝殿
拝殿正面の入母屋の妻同様に、こちらの妻にも2重虹梁蟇股を配しています。
2重虹梁にも、極彩色に彩られた斗きょうが配されています。 -
日吉東照宮 拝殿
隅には立派な斗きょうが組まれています。「枡組」や「組物」とも言い、軒を深くしたり、屋根の重さを分散させるため、徐々に複雑なものになっていった経緯があります。地震の振動を熱に変換するという画期的な機能もさることながら、その機能美と配色の巧みさにも唸らせるものがあります。 -
日吉東照宮 社殿
拝殿に向かって左側面から時計回りに、順番に蟇股周辺を紹介します。
拝殿正面に配された蟇股に比べると、周囲の彫刻が取り除かれ、スッキリした印象を受けます。
順序は、1.左上→2.右上→3.左下→4.右下です。
蟇股の上には、三鈷杵のようなものが描かれています。
1.拝殿左側面
2.同上
3.拝殿左側後面
4.石の間左側面 柱の上部には獅子噛のような絵が描かれています。獅子の頭部を模様化したもので、兜の目庇 (まびさし) の上や鎧の肩、火鉢の脚などの装飾に用いられました。梁の鳳凰の絵も見事です。 -
日吉東照宮 社殿
順序は、1.左上→2.右上→3.左下→4.右下です。
1.<拝殿左側面>瑞雲と戯れる麒麟です。一角で角の先端が裂けておらず、鬚ももたない奇妙奇天烈な麒麟です。また、巻き毛もなく、麒麟としては異例の姿と評される物件です。
2.唐獅子と牡丹のセットです。色彩が剥落しており、損傷が痛々しいです。 3.<拝殿後面>波間を飛翔する飛龍の姿です。魚の胴体に龍の顔を持ち、そして翼を有し、霊獣の中でも異形の姿をしています。日光東照宮では手水舎で立派な飛龍が見られます。
4.<石の間左側面>波の上に玄武(亀)の姿が彫られています。甲羅の彩色は比較的健在です。 -
日吉東照宮 石の間
本殿(左)と拝殿(右)を「石の間」という一段低い空間で繋ぐ様式が、天海が智恵を絞って考案した「権現造」様式です。こうして見ると、廻らされた高欄の床の位置が本殿と拝殿で違えてあるのが判ります。
権現造は、古くは北野天満宮に見られるものですが、秀吉を祀った豊国廟を経て、 日吉東照宮、そして日光東照宮へと伝承され、霊廟建築の代名詞と言っても過言ではありません。
本殿と拝殿に挟まれた石の間は、両下造(まやづくり)の銅瓦葺、桁行3間に奥行1間です。
日光東照宮では本殿・石の間・拝殿・向拝が梁で一体となっていますが、日吉東照宮では拝殿から本殿に伸びる梁が本殿まで達しておらず軒下で止まっているなど、拝殿と本殿を如何に繋ぐか腐心した痕跡が見られます。こうした実体験が日光改修に活かされています。
調べてみたところ、「権現造」のルーツは「八幡造」にあるそうです。 -
日吉東照宮 社殿
蟇股上部の三鈷杵が「三つ葉葵」に変わっています。
1.本殿左側面
2.同上
3.同上
4.本殿後面 -
日吉東照宮 社殿
1.<本殿左側面>禽鳥(きんちょう)類の一種と考えられますが、嘴が長く大きく、特定できません。
2.尾羽を垂らし、体をついばむ孔雀です。
3、後ろを振り返える鶴をあしらっています。
4.<本殿後面>錦鶏(きんけい)の一種の雉と思われます。菊と組み合わせてあり、こちらも後ろを振り返るポーズです。 -
日吉東照宮 社殿
本殿は、屋根に千木外削ぎと鰹木3本を載せた両下造の銅板葺、桁行5間に奥行3間です。
日光東照宮をコンパクト化したような社殿ですが、他の東照宮同様に3柱の神を合祀して「東照三所大権現」と言い、勝運福徳、出世海運のご利益があります。
徳川家康公(中央)
日吉大神(向かって右)
豊臣秀吉(向かって左)
日吉東照宮が建造された地の歴史を踏まえると、秀吉が祀られていることに首を傾げられる方も多いかもしれません。信長の比叡山焼討ちには秀吉も加担していましたから…。
しかし社史を調べてみると、1876(明治9)年の神仏分離令で延暦寺から分離されて日吉大社の摂社になり、その際に祭神の一柱が秀吉に替えられています。日吉大社が、秀吉の幼名「日吉丸」の由来となった愛知県清洲の日吉神社の総本宮と言う縁もあるのかもしれません。
因みに創建時には、摩多羅神(まだらしん)を祀っていました。この神は、慈覚大師 円仁が唐から船で帰国する際に声が聞こえ、感得したとされる神様であり、阿弥陀経や念仏の守護神です。なるほど、延暦寺由来の神様では神仏分離に沿わなかったのです。因みにこの摩多羅神は、比叡山延暦寺や出雲大社、日光東照宮など名立たる日本の寺社で祀られています。 -
日吉東照宮 本殿
入母屋の妻には、左右の瑞雲に挟まれた大瓶束がちらりと見えます。 -
日吉東照宮 本殿
2重虹梁蟇股は、頭を下げた玄武(亀)です。 -
日吉東照宮 社殿
1.本殿後面
2.同上
3.本殿右側面
4.同上 -
日吉東照宮 社殿
1.錦鶏の一種の雉と思われます。組み合わせはシャクヤクです。羽を広げて飛翔する躍動的な姿です。
2.茶色のノウサギに紅葉を組み合わせています。
3.<本殿右側面>山鵲に牡丹を組み合わせています。尾羽のうち2本が長く、かつ身体が青いことから山鵲とされています。
4.鷹に松を組み合わせています。何かを睨んで前傾姿勢になっており、今にも飛び立ちそうな雰囲気です。 -
日吉東照宮 本殿
東向きかつ曇天なので逆光というほどではなかったのですが、リング状に5個の不思議なゴーストのようなものが写り込んでいます。
まさか、オーブ??? -
日吉東照宮 本殿
施された彫刻は、葡萄です。
仏教美術にも葡萄唐草は盛んに使われていますが、日本の作品では白鳳時代の作品として薬師寺薬師如来像台座に施されたものが知られています。また桃山から江戸時代初期の工芸では、木鼠(りす)と組み合わせるパターンが増えています。
日光東照宮の彫刻「眠り猫」でも知られる左甚五郎の作とされる「葡萄に木鼠」が宮城県松島町にある瑞巌寺 御成玄関にあります。 -
日吉東照宮 社殿
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日吉東照宮 本殿
入母屋の妻は、蟇股の意匠を除いて左側と同じデザインです。 -
日吉東照宮 本殿
斜めから覗くと中央の大瓶束がよく見えます。 -
日吉東照宮 本殿
2重虹梁蟇股は、頭をもたげ小枝に喰らいつく猛々しい玄武(亀)です。 -
日吉東照宮 石の間
出入口は、観音開きの扉と引き戸の障子戸の2重構造になっています。 -
日吉東照宮 石の間
石の間の扉にある透かし細工です。
唐門と同じデザインのようです。 -
日吉東照宮 拝殿
日光東照宮の原型が、京都の表鬼門を守護するこの地にあったというのが偶然とは思えないところです。そして、ひとつの重要なキーワードを発見しました。
「猿」は鬼を無力化すると考えられたため、鬼門には欠かせない動物です。そして、まさにここの蟇股にも霊獣類に混じり、何の脈絡も無い「猿」が存在しています。
元々、日吉大社は猿が神の使いとされている神社です。本家の日光東照宮ではこの猿が更にデフォルメされ、「見ざる、聞かざる、言わざる」の3猿に発展していったかと想像を逞しくするのも面白いものです。 -
日吉東照宮 拝殿
猿と栗の組み合わせです。
猿は、片手を地面に着け、無遠慮に寛ぎながら何かをほおばっています。まったりとした猿独特のおどけた雰囲気が醸されています。 -
日吉東照宮 社殿
1.本殿右側面
2.石の間右側面
3.ひとつ(拝殿右側面裏面の猿)飛ばして、拝殿右側面
4.同上 -
日吉東照宮 社殿
1.山鵲と椿の組み合わせです。
2.<石の間右側面>玄武(亀)。
3.ひとつ(拝殿右側面裏面の猿)飛ばして、<拝殿右側面>虎に竹の組み合わせです。
4.紅葉の中を疾走するしなやかな鹿です。 -
日吉東照宮 社殿
明智光秀は山崎の合戦で秀吉に敗れた後、敗走中、土民の竹槍で突かれ負傷し、自刃したとされていますが、実は死なずに落ちのび、比叡山で暫く暮らした後、南公坊 天海として密かに歴史の舞台に舞い戻ったという、興味深い説があります。また、比叡山には、光秀の没数よりも後の時代に、寄進者が光秀と刻れた石塔も遺されています。
一方、天海に関係する地域は、江戸と近江、日光、川越です。つまり、ここ近江坂本は光秀と天海に共通の所縁の地ということになり、天海の廟所もあります。
日吉東照宮は、日光東照宮に先立って造営され、日光東照宮の雛形あるいは試作品とも言われています。天海がどのような目的でこの地に日吉東照宮を建設したのかは謎ですが、仮に天海と光秀の間に何らかの深い関係があるとすればその謎が解けます。
また、「天海=光秀」説の根拠として、光秀の木像と位牌のある京都慈眼寺の寺号と天海の諡名が同じ「慈眼」であることも挙げられます。 -
日吉東照宮 社殿
俗に「東照宮コード」と呼ばれる暗号が存在することは、広く知られています。実は、祭神のひとりを秀吉と言いながら、陰で戦国時代の坂本領主 明智光秀を祀っていたとも考えられるのです。
今まで紹介してきた蟇股の上部に、その「東照宮コード」が隠されているのです。
もう判りましたか?蟇股の彫刻の上方には、直下から見ると隠れるように3つの家紋が円弧上に描かれています。「桔梗紋」です。本来なら「三つ葉葵」が必然とされるべき所に、何故、何の脈絡もない「桔梗紋」が描かれているのでしょうか?
「桔梗紋」の代表格と言えば明智光秀の家紋です。そしてここを創建したのが「天海」。俗に説かれている「天海=光秀」説の証左がこの「桔梗隠紋」だと言われています。また、同様の「桔梗隠紋」は、日光東照宮にも存在します。
因みにこの「桔梗紋」は、寺社の装飾に多用される「唐花紋」と一蹴される方もおられます。「桔梗紋」と「唐花紋」の違いは、桔梗紋は先が尖っているのに対し、唐花紋は先が丸くて3つに分かれています。しかし「カムフラージュ」は世の常です。まんまと天海のトリックに嵌ってしまっています。冷静になって考えてみてください、誰もがすぐに解けるようなコードでは暗号にはなり得ません。「裏の裏」を読み解かなくてはなりません。
信じるか信じないかは貴方次第です。
いずれにしても、比叡山を焼討ちした信長を討った光秀、方や比叡山を復興した天海、どちらも比叡山にとって大恩人であることは間違いありません。 -
日吉東照宮 拝殿
ここも2重虹梁蟇股になっています。 -
日吉東照宮 拝殿
2重虹梁蟇股は、大きく羽を広げた鶴と思われます。
本殿の鶴(玄武)と拝殿の亀で縁起「鶴亀」を担いだということでしょう。 -
日吉東照宮 拝殿
斗きょうは左側と同じ組物です。 -
日吉東照宮 拝殿(内陣)
日吉東照宮の最大のポイントは、昇殿参拝ができることです。
拝殿の正面にある、赤い毛氈が敷かれた階段から昇殿します。
拝殿の中央にある御幣から奥は「石の間」の領域になり、そこには下りの階段が設けられています。また、「石の間」の奥には登りの階段があり、3つある黄金色の扉の奥にそれぞれの祭神が祀られています。 -
日吉東照宮 拝殿(内陣)
拝殿中央部の装飾です。
蟇股は、牡丹です。
熨斗の装飾も見逃せません。 -
日吉東照宮 拝殿(内陣)
内陣の特徴は、一面に黒漆が塗られ、柱や壁面には金箔も使われ、天井は豪華な折上小組格天井にし、荘厳感を重視したコントラストの強い重厚かつ神聖な空間に仕上げていることです。 -
日吉東照宮 拝殿(内陣)
金箔仕立ての大羽目板の画題は不明ですが、『舞楽図』と思しき彩色画が描かれています。内陣は紫外線の影響が少ないため、長押や欄間の彩色もよく遺されています。
雅楽は、古来より日本人が培ってきた音楽とアジア大陸の各地で生まれ育った楽舞とが順次日本に伝えられ、それらが融合して平安時代に完成したものです。 -
日吉東照宮 拝殿(内陣)
舞人の所作などから、演目は「納曾利」と推測されます。高麗楽曲の中で最も有名かつ最高傑作とされる舞曲です。「納曾利」は、本来舞楽面を付けた走舞ですが、女性や少年少女が舞う場合は、舞楽面を着けずに山吹の挿頭花を挿した前天冠を着け、歌舞伎舞踊と同様の舞台化粧をします。
楽人として描かれているのは、「笙(しょう)」と「篳篥(ひちりき)」の奏者です。通常は「龍笛(りゅうてき)」を加えた3管で演奏します。 -
日吉東照宮 拝殿(内陣)
右側の金箔仕立ての大羽目板です。 -
日吉東照宮 拝殿(内陣)
「龍笛」の奏者が不在と思っていたら、反対側の壁板に描かれていました。
「納曾利」は別名を「双龍舞」と言うように、雌雄の龍が戯れて遊んでいる様を舞にしたものと伝えられています。
平安時代では、主に相撲、競馬、賭弓の節会で右方の勝者を祝って奏しました。『源氏物語』では、六条院での端午の節句の騎射(蛍巻)、紫の上主催の光源氏四十の賀での精進落としの宴(若菜上巻)、朱雀院五十の賀の試楽(若菜下巻)の各場面に、いずれも「落蹲」の名で登場します。勝運福徳、出世海運のご利益がある日吉東照宮に相応しい画題です。 -
日吉東照宮 拝殿(内陣)
蟇股は、「ウズラと蒲」です。
長押には、密教法具「金剛杵」のひとつとされる三鈷杵が描かれています。
その両隣にあるのは、錨に似た「輪宝紋」です。仏教の法輪から発生した紋章で、神社仏閣の装飾として使われる紋です。この天海が用いた「輪宝紋」が、足利家紋「丸に二引き両」に似ていることから、天海が足利将軍家12代 義晴の子という風説が流布される発端となりました。 -
日吉東照宮 石の間(内陣)
ありがたいことに南北の扉が開放されているため(暑さ対策)、仄暗い感じはあるもののじっくり拝観ができる状態です。扉が閉まれば、かなり暗くなると思われます。
拝殿の先に下りの階段があり、その一段低くなった所に畳敷きの「石の間」があります。ここで神職が本殿の祭神に祈りを捧げます。つまり、神職は一番低い「石の間」で祈りを捧げることになり、神職が祭神に背を向けて奉仕しても非礼にならないように一段低く設計されたものです。 -
日吉東照宮 本殿(内陣)
祭神は3柱を祀り、中央が徳川家康、向かって右が日吉大神、左が豊臣秀吉です。因みに日光東照宮の本殿や神輿舎では家康と秀吉、源頼朝を祀っています。久能山東照宮は家康と秀吉、信長です。日光東照宮では、共に武将として家康が尊敬していた人物ゆえ合祀したと説明されています。
ですから、この日吉東照宮に秀吉が混ざっても特段の違和感はありません。 -
日吉東照宮 本殿(内陣)
因みに日光東照宮に秀吉が合祀された経緯は、日吉東照宮と同じく神仏分離令に発します。岡田譲、他著『日光 その美術と歴史』には、「山王神が豊臣秀吉に、摩多羅神が源頼朝へと祭神変更があったが、これについても明治以前より、山王は秀吉、摩多羅神は頼朝であるとの説があることはすでに額賀宮司が指摘している」とあります。従って、日吉東照宮も日光に倣ったものの、山王神として日吉大神は外せず、やむなく摩多羅神の方を秀吉に替えたのではないでしょうか?秀吉は延暦寺転法輪堂などの再建に尽力したことを買われての起用だったことでしょう。
因みに『葵御紋考』には、「山王権現 秀吉公 摩多羅神 信長公」と記されているそうです。さすがに比叡山を焼討ちした信長の起用はあり得ないので、順当なところでは…。 -
日吉東照宮 石の間(内陣)
石の間から対面する本殿を仰ぎ見る形になり、黒漆に鈍く光る本殿神棚の金箔が幽玄の世界を放ちます。霊廟建築といった性格上外観は派手でも、内陣は荘厳な気配を漂わせ、放っておいても自然に背筋が伸びます。
家康の神棚と対峙しているのは、虎の蟇股です。秀吉は、麒麟。日吉大神は、霊獣とするば獏? -
日吉東照宮 石の間(内陣)
石の間の左面です。
天井は拝殿同様に折上小組格天井です。
板絵は、上方に瑞雲を散らし、梅と松、竹笹(左)をあしらっています。 -
日吉東照宮 石の間(内陣)
石の間の右面です。
板絵は、上方に瑞雲を散らし、椿と松、竹笹(右側)をあしらっています。 -
日吉東照宮 本殿(内陣)
神前の階段は7段になっています。家康は帝王の星「北極星」信仰者でしたので、7段の階段は北斗七星を表しているそうです。かつてここに安置されていた狛犬の尾は、阿吽共に7本に枝分かれしていたそうです。また、日吉大社の社殿群が北斗七星の配置構成に倣っている点や、平城京から見て北極星の方角に当たるこの地に日吉東照宮が配された点も興味深いものです。 -
日吉東照宮 本殿(内陣)
階段の両脇には随身門にあるような随身の絵が描かれ、警護を務める役割を果たしています。
毎年6月1日に3つの神棚を開帳するそうですが、その奥にも厨子があるため中身が何かは謎だそうです。かつての日吉東照宮は神仏混淆しており、天台宗の仏像などが祀られていたようです。しかし、明治時代の神仏分離令でそれらが秘密裏に排除されたため、何がこの厨子の中に入れられていたのかは永遠の謎だそうです。
一方、何故6月1日に開帳されるかと言いますと、家康が没した旧暦4月17日が新暦では6月1日になるからです。つまり、「家康の命日」ということです。
因みに家康のご神体は、彫像ではなく、「神鏡」だそうです。ただし、管理人さんも拝見した事がないようですが…。 -
日吉東照宮 本殿(内陣)
装飾金具も見逃せません。
側面は菱形十字になっています。
十字は星を象徴するので、これも北斗七星に因んだ装飾と言えるかもしれません。 -
日吉東照宮 参道
日吉東照宮は、江戸のある東の方角を向いて建てられています。そして真正面に鎮座するのが、琵琶湖の対岸に聳える近江富士として知られる三上山(みかみやま)です。肉眼では三上山が見えていたのですが…。
1時間程滞在しましたが、朝一番だったこともあり、他の参拝者の姿は見られませんでした。
ここから坂本ケーブル駅へ向かう場合は、階段の一番下まで下りる必要はありません。少し下りた所に左へトラバースできる道があり、駅まで5分かかりません。
この続きは、九夏三伏 比叡山彷徨③延暦寺 東塔エリア(前編)でお届けいたします。
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