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照国神社の正式な表記は照國であり、先にも触れたように、この神社は薩摩藩第11代藩主島津齋彬公が照國大明神として神格化され、その大明神を御祭神として幕末に創建された神社で、正一位、鹿児島の総氏神となっている。境内には資料館が併設されていて、中に入ると、齋彬公の数々の事績が展示されている。彼は主に江戸の薩摩藩邸(現・田町のNEC本社ビルの跡地)に住んでいて、国元の薩摩に帰るのはまれであったが、英明高い藩主で、多くの薩摩藩民から慕われていた。一説によれば、西郷も公のお庭番のような裏の仕事をしていたとのことを何かの本で読んだこともある。<br /><br />資料館の中には公の見慣れたふくよかな顔立ちの写真なども展示され、一昨日、銅像の顔立ちと写真とは大分違うのではないかとのコメントが名無しのキムチ氏より寄せられたが、確かに銅像の顔立ちと写真はかなり違っている。銅像は朝倉文雄氏の彫塑であるが、彼は写真も見ないで、勿論実際の齋彬公とも会ったこともなく、話の中の想像で制作されたものなのか・・。中にはペリーの写真なども展示されていて、幕末の緊迫した空気がどことなく漂っていた。<br /><br />資料館を出て、先刻City Busの中でチラっと見えた西郷隆盛像に向かって歩く。神社と旧鶴丸城址の前は中央公園になっていて、その正面に城山を背にして隆盛像が建っている。この像がいつ建立されたのかは知らないが、その前の歩道には「西郷南洲翁終焉百年之碑」とあり、没後100年を記念して建立されたものかも知れない。官軍の軍服姿の威風堂々としたもので、既に賊軍の汚名は注がれている。<br /><br />西南戦争後、100年経った今では、西郷翁、いや、南洲翁は郷土の英雄になっている。いやそれは、西南戦争が起きようが起きまいが、薩摩のみならず、日本の開国の英雄であることには違いない。さて、見上げるような高さの南洲翁の銅像を眺め、再びCity Busに飛び乗って、いよいよ最後神社に向かうことにした。<br />

薩摩・大隅の旅(12)照国神社資料館を見て西郷像へ。

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2016/12/16 - 2016/12/18

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照国神社の正式な表記は照國であり、先にも触れたように、この神社は薩摩藩第11代藩主島津齋彬公が照國大明神として神格化され、その大明神を御祭神として幕末に創建された神社で、正一位、鹿児島の総氏神となっている。境内には資料館が併設されていて、中に入ると、齋彬公の数々の事績が展示されている。彼は主に江戸の薩摩藩邸(現・田町のNEC本社ビルの跡地)に住んでいて、国元の薩摩に帰るのはまれであったが、英明高い藩主で、多くの薩摩藩民から慕われていた。一説によれば、西郷も公のお庭番のような裏の仕事をしていたとのことを何かの本で読んだこともある。

資料館の中には公の見慣れたふくよかな顔立ちの写真なども展示され、一昨日、銅像の顔立ちと写真とは大分違うのではないかとのコメントが名無しのキムチ氏より寄せられたが、確かに銅像の顔立ちと写真はかなり違っている。銅像は朝倉文雄氏の彫塑であるが、彼は写真も見ないで、勿論実際の齋彬公とも会ったこともなく、話の中の想像で制作されたものなのか・・。中にはペリーの写真なども展示されていて、幕末の緊迫した空気がどことなく漂っていた。

資料館を出て、先刻City Busの中でチラっと見えた西郷隆盛像に向かって歩く。神社と旧鶴丸城址の前は中央公園になっていて、その正面に城山を背にして隆盛像が建っている。この像がいつ建立されたのかは知らないが、その前の歩道には「西郷南洲翁終焉百年之碑」とあり、没後100年を記念して建立されたものかも知れない。官軍の軍服姿の威風堂々としたもので、既に賊軍の汚名は注がれている。

西南戦争後、100年経った今では、西郷翁、いや、南洲翁は郷土の英雄になっている。いやそれは、西南戦争が起きようが起きまいが、薩摩のみならず、日本の開国の英雄であることには違いない。さて、見上げるような高さの南洲翁の銅像を眺め、再びCity Busに飛び乗って、いよいよ最後神社に向かうことにした。

旅行の満足度
4.5

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