2006/03/01 - 2006/03/01
27043位(同エリア59377件中)
TX-1000さん
- TX-1000さんTOP
- 旅行記352冊
- クチコミ5件
- Q&A回答0件
- 443,383アクセス
- フォロワー89人
2006年4月で廃止になった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に乗りに、北海道に行った旅行記です。
正確な日時は思い出せないですが、2006年の春休みに友人と旅してます。
この旅では、帰省していた新潟をベースにフェリーで渡道しました。LCCなんて言葉すら無かった時代、最安値で東京から北海道に渡るのは、新潟まで高速バスで行き、新日本フェリーに乗る方法だったのです。
旅の終盤では函館から新潟まで「白鳥」「かもしか」「いなほ」と485系に乗り続けてます。
当時はうんざりでしたが、引退してしまった今思えば、とても贅沢な時間でした。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 船 JR特急 JRローカル
-
みぞれの混じる冷たい雨が降る新潟港。その山下埠頭に佇む白い船体、彼女は新日本海フェリーの〝ゆうかり〟です。
〝ゆうかり〟は、2003年に就航した最新鋭の船で、全長199.9メートル、総トン数18300トン。その大きな船体の車両積載能力はトラック146台 普通車58台、さらに892名の乗客を乗せて22.7ノットで航行する大型リゾートフェリーです。
今回の旅は2006年4月20日を持って廃止になる、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線を訪れます。 -
ターミナルで乗船手続きを済ませ、ボーディングブリッジより乗船すると、豪華ホテルのようなエントランスに出ます。まさに水上を走る豪華ホテルでしょう。
欠点を挙げるとすれば、その運行ダイヤです。トラック重視のダイヤであるため、翌日の小樽港到着が午前4時10分になります。運賃の大半をトラック輸送でまかなっているフェリーなので、仕方ない事ですが‥ -
〝ゆうかり〟は、長い汽笛を鳴らして新潟港を出航します。
まず、船首と船尾にあるスラスターを使い横に移動し、それから前進します。
今の船はスクリュープロペラピッチを変えることで、前進はもちろん後進する事も出来るので、前後左右、自由自在に移動することができます。 -
今夜のベッドがこちら、2等寝台です。
ベッドメイキングはセルフサービスですが、この方が清潔感があっていいと思います。
確かに相応の金額を払えば船室も豪華ホテルになりますが、私の乗船目的は、あくまでも移動することであって、豪華な雰囲気を楽しむクルーズとはいきません。 -
出航して6時間、秋田県沖を航行中です。ダメ元でブリッジ(操舵室)と機関室の見学はできないか? と聞いてみましたが、やっぱりダメだそうです。
-
午前4時20分に小樽港に接岸しました。定刻より10分ほど遅れてしまったのは、同じ新日本海フェリーで舞鶴~小樽を結ぶ〝あかしあ〟が近くに停泊していたため、慎重に接岸作業をしていたためです。
誰もいない道を小樽築港駅に向かって歩いています。 -
札幌からキハ183系の〝特急 オホーツク1号〟に乗車しました。
この区間は〝特急 スーパーホワイトアロー〟が札幌駅~旭川駅間の136.8kmを、80分で駆け抜け、表定速度105km/hを記録する国内屈指のハイスピード区間です。
しかし、〝特急 オホーツク〟は知ってか知らずか、のんびりそのもの。 -
生田原駅より先は、石北本線の難関として名高い常紋峠を越えます。
-
列車は苦しそうに常紋峠を上りますが、暖房の効いた車内ではアイスの時間です。
途中、心霊スポットとして有名な常紋トンネル(507メートル)を通過しました。人権を無視した過酷な労働環境で、工夫たちは不眠不休で働かされ、働けなくなった物は壁のコンクリートの中に生埋めにされたと言い伝えられきました。事実、十勝沖地震で損傷した際、崩れた壁から多数の人柱が発見されているので、幽霊が出るのは、あながち嘘ではないかもしれません。 -
車両から設備まで、なにもかもが老朽化した石北本線、先ほどの常紋トンネルも大正時代に掘られました。JR北海道では、石北本線以外の長大幹線で高速化事業が完成し、最新の気動車が駆け抜けています。石北本線の番は来るのでしょうか? それとも‥‥
女満別駅にはDMB(デュアル・モード・ビーグル)の実験施設があります。DMBとは、線路上を列車として走り、道路上を車として走る乗り物です。現在、女満別空港から女満別駅までを自動車として道路を走り、そこから列車として線路を走る事を想定して実験が行われています。
列車からは、それらしい場所が見受けられました。 -
札幌から5時間25分、終点の網走に到着しました。
-
スラントノーズが美しいです。
-
網走駅では43分の折り返しです。慌しく近くのファミレスで食事をして、〝特急 オホーツク6号〟に飛び乗りました。
-
北見から乗るのは、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線です。
この、ふるさと銀河線は4月21日をもって廃止になり、併走する道路に新たにバス路線が新設されます。 -
列車は北見駅を出発しました。
車内には、私の同じ目的で乗車している方が多数いらっしゃいます。車輌基地の横を通るとき、視線が一斉にそっちに向くのですぐ分かります。車内は7割方のシートが埋まり、そこそこ乗っていると言えますが、それは〝乗り納め〟に来ている私達が居るからで、本来の目的で乗車している人は10名にも満たないでしょう。 -
線形が良くカーブが少ない線路を、80km/hほどで巡航します。
-
駅に停車しました。駅といっても立派な駅舎がある訳では無く、ごらんの通り木製のホームがあるだけです。
-
本別駅で反対列車と交換のため停車しています。長いホームに1両の短い気動車がポツンと停車しています。
-
ふるさと銀河線は1989年に開業した路線です。一見、新しい路線に見えますが、赤字ローカル線として廃止対象になった国鉄池北線から転換し、自治体の支援による第三セクタ-鉄道です。
開業した当時、世間はバブル期で経営安定基金の利回りで赤字補填する計画でしたが、その夢と共に破れ超低金利時代に突入、最近では経営安定基金を取り崩しての運行が続きました。毎年、3億円以上の赤字を計上し、経営安定基金は2004年で底を尽きてしまいました。それ以降は、周辺自治体の支援で暫定的に運行を続けましたが、自治体としても多額の出費に耐えられず、2006年4月21日をもって、ふるさと銀河線を廃止することが決定しました。 -
まもなく終点の池田に到着する頃、併走する根室本線を札幌行きの〝特急 スーパーおおそら10号〟とすれ違い、夕暮れの中を紫煙を残して走り去っていきました。
あと5分早く池田に到着して接続を図ればいいのに‥
仕方なく、池田から普通列車に乗って帯広に行き、そこから特急列車に乗ります。 -
帯広まで移動してきました。帯広の町で夕食を探すも、安いお店が見つからずに断念。
ここからはキハ283系〝特急 スーパーとかち〟です。 -
19時11分、気動車とは思えない強力な加速力で、定刻通り帯広駅を後にしました。
-
民家の灯り一つ無い石勝線を、その強力なパワーに物を言わせて駆け抜けます。唯一の灯りである信号だけが、闇の中に浮かび上がっています。
-
只今、信号場に停車しています。ここで、〝特急 とかち9号〟と交換します。暗闇の中から四つのライトを光らせ、信号所を通過していきました。
-
遠くに街の明かりが見えて来ると、追分に到着しました。人里離れた所を走っているため、久しぶりに明かりが見えると〝ホッ〟とします。石勝線は、1981年に開業した新しい路線で、道東(帯広や釧路)への短絡ルートとして完成しました。従来の滝川経由に比べて46km短縮されたのです。
空港のある千歳から30分ほど、札幌駅に到着しました。シンボルであるJRタワー(左)の灯りがキレイでした。 -
明けて翌朝、ホテルで朝食を済ませ慌しくも札幌駅のホームに上がりました。本日最初のランナーは〝特急 北斗4号〟です。昨日と同じキハ183系ですが、こちらはダイナミックブレーキを搭載した後期車で120キロ運転対応型です。
-
新千歳空港行き〝快速 エアポート〟、石勝線方面に向う特急、さらに普通列車ひしめく千歳線を流れるように進みます
-
室蘭本線の直線&平坦区間を豪快に突っ走ります。
-
別に海に来たわけではありません。線路がこんなに海に近いところを走っています。
-
かがやく内浦湾を望みながら走っています。
〝それにしても、今日は天気いいなぁ~〟と、思っていたら‥ -
目を覚ますと、天気は打って変わって吹雪です。
一瞬、何が起きたのかわからずにフリーズ。 -
そんな天気も20分もすると、この通り。
世の中、変化が早くて‥‥ -
駒ケ岳を見ながら進むと、まもなく渡島大野駅を通過します。この渡島大野駅では、2005年5月に北海道新幹線の起工式が行われました。札幌まで開業すると、札幌~函館間が現在の最速3時間7分から、48分に短縮されます。
-
終点、函館に到着しました。
-
次なる列車は、〝特急 白鳥20号〟です。この列車は、JR東日本の485系電車です。
吉岡海底駅の見学指定列車です。 -
海底駅見学整理券です。
-
今日の函館湾は穏やかで波も無く、津軽海峡は鏡のように光り輝いています。
1954年9月26日、異常な速度で北上してきた台風による強風で、函館湾内に退避していた5隻の青函連絡船が沈没、1430名が犠牲になりました。これは、20世紀中ではタイタニック号に次ぐ海難事故です。
当時、日本海側に気象観測点が無く、その複雑な気象変化を知ることは困難だったのです。 -
中でも1139名が犠牲になった洞爺丸では、青函連絡船の持つ数々の欠陥が露呈しました。高波で車輌甲板の入口から入った大量の海水がボイラー室に降り注ぎ、次々とボイラーの火が落ち航行不能に陥りました。
その場に停船するため、海底に打ち込んだはずの錨(いかり)が、風によって振り回される船体の力に耐えられずに抜け、海底を引きずられる、走錨現象(そうびょう)が発生し、制御不能の洞爺丸は七重浜(上写真の左側)に座礁、青函連絡船で初めてSOSを打電しました。その直後、座礁したはずの洞爺丸の船体は横転し、海の中へと消えていきました。原因は、船底にある突起物が海底の砂に突き刺さり、そこを支点に横転したものとされています。
この事故をきっかけに青函トンネル計画が具体化し、また連絡船の船体構造や運行体制が見直されました。1988年3月13日に青函トンネルが完成し、その使命を全うするまで、二度と大事故が起こる事はありませんでした。 -
将来、新幹線が走ることを想定して作られた線路の上を、持てる力を振り絞るように加速を続けます。
やがて、北海道最後の駅である知内駅を通過すると、まもなく青函トンネルに突入します。 -
列車は、長い汽笛を鳴らして青函トンネルに入りました。(写真、左側が青函トンネル)
青函トンネルの全長は53.85キロです。ちなにみ〝ゴミバコ〟と覚えます。
この青函トンネルは、総工費7000億円、工期24年、延べ人員1300万人を投入した世紀の大プロジェクトでした。このトンネルの完成により、対北海道輸送が安全・安定的に行われる効果は計り知れません。 -
列車は、青函トンネル内の下り勾配を利用して最高速度140キロに達します。
トンネル内は、常に気温20度、湿度90パーセントで、トンネル内の53キロのレールが一つに溶接された、ハイパーロングレールになっています。場所によっては海水が降り注ぐのレールは、波状磨耗が発生していると思われ、走行音が客室まで響きます。
暗闇の中で速度を落としたと思うと、吉岡海底駅に到着しました。見学用の整理券を持った人しか降りることが出来ないため、1ヵ所しかドアが開きません。車掌がDコック(非常用ドアコック)を扱いドアを開けると、〝駅〟と言うイメージとは程遠く、全面コンクリートで覆われた吉岡海底駅が広がっています。 -
〝特急 白鳥〟は30名ほどを残して出発しました。
降り立った人の中には背広姿で、あきらかに見学目的で無いと思われる方も多数います。
その方達はヘルメットを被り、足早にトンネルの奥に消えていきました。この先、消防署のヘルメットを被った方々も見受けられ、謎は深まる一方‥‥この人たちは、いったい何の目的があってこんな所まで?
で、残った見学者は13名です。係りの人の案内にしたがって進みます。 -
今、歩いているのは先進導坑と言われ、工事の際に本坑より先に掘り進んで地質調査などを行う本坑より小さなトンネルです。この通路は23キロ先の隣駅、竜飛海底駅までつながっています。
吉岡海底駅の正式名称は、〝吉岡定点〟と呼ばれ、トンネル内で列車火災などの異常が発生した場合に備えて、避難所になっています。 -
ここが列車が走る本坑です。
この照明や、湧き出した湧水をだすポンプなど、一日の電気代はトンネル全体で300万ほどかかるそうです。 -
私達が先ほど歩いた先進導坑の他にも、作業坑や横取基地(作業車を止める場所)など多数の設備があります。
広いトンネル内です。作業用にトンネル内に自動車を置いておくと、塩害で1年も持たないそうです。 -
作業坑及び先進導坑の他にも斜坑や立坑など、列車が走る本坑の他に数多くのトンネルがあります。
-
津軽海峡を最短距離で渡るルートは、右側の下北半島から北海道に渡るルートのほうが近いように見えますが、下北半島は活火山帯であり、また海が深いため、津軽半島経由が選ばれました。それでも、海底部分は23kmあります。
-
世界で一番低いところにあるトイレです。なんかそう言われると、ここを使ってみたくなりますよね。
-
訓練 訓練 こちらは函館指令センターです。トンネル内は指令センターとテレビを通じてつながっています‥
トンネル内の施設(ドラえもん広場)で火災が発生したと言う想定で、訓練が行われていました。
〝足元に気をつけて~〟写真、左の人が誘導し、その後ろから10人ほどゾロゾロ歩いてきます。先ほど、消防署に人たちは、この訓練を見に来たんですね。
っーつか函館指令センターさん、スピーカーから笑い声が聞こえますよ。 -
函館行きの最終列車、〝特急 スーパー白鳥9号〟で函館に戻ります。なお、定期列車の吉岡海底駅への停車は2006年3月18日をもって終了しました。
-
トンネルの奥からHIDの光が見えてきました。〝特急 スーパー白鳥9号〟の到着です。車掌がDコックを扱いドアを開けます。
後ろを見ると、先ほど避難訓練に参加した方々も多数、なんたって函館行きの最終列車ですから。
客室に入ると、乗ってる方の視線が痛いです。まぁ、確かにこんな海底駅から乗ってくる客なんて珍しいですよね。 -
〝スーパー白鳥〟は、トンネル内を140キロで駆け上がります。
途中、八戸行きの〝特急 スーパー白鳥 号〟とすれ違いました。トンネル内は少しカーブしていて、ヘッドライトが見えたかと思うと、一瞬で離合します。 -
地上に戻ってきました。只今、夕食を求めて函館の町を徘徊中です。
-
昨日に続き、今日も485系の〝特急 白鳥18号〟に乗って本州を目指します。
-
途中、木古内駅で〝寝台特急 日本海1号〟と交換しました。
寝台特急の衰退は激しく、同一の列車名で複数(2往復)走る寝台特急は、共に北を向かう列車、東京からの〝北斗星〟と、大阪からの〝日本海〟だけとなってしまいました。しかし、この日本海も3月18日のダイヤ改正で函館乗り入れが廃止になります。 -
青函トンネルを抜け、本州に唯一あるJR北海道の駅、津軽今別駅を通過しました。
これより、列車は中小国信号所を通過してJR東日本の領土に入ります。 -
陸奥湾を望みながら青森を目指します。
-
青森駅に到着しました。
ここで盛岡に向う相棒と485系〝特急 白鳥〟に別れを告げ、次なる列車へ向います。 -
〝特急かもしか4号〟は、3両編成の短い特急です。上の写真、〝特急 白鳥〟と同じ485系ですが、こちらは未更新車です。
需要が少ないので編成が短いのは解りますが、編成構成に激しく不満があります。喫煙自由席は一両丸々あるのに、自由席禁煙車が半室グリーン車の後方しかなく、とても少ないんです。
この頃は、まだ喫煙車が普通にあった頃でしたね。 -
八郎潟干拓地を右手に見ながら進みます。
特急電車の代名詞とも言える485系は、JR線で電化されている全てのを走ることが出来、北は北海道から南は九州まで、最近は東武日光線も走るようになりました。そんな485系も、最近は新型特急に職場を追われ、さらには老朽化が進み多くの仲間を失いました。残った車両も、最後の職場になるであろう日本海側エリアに集結しています。 -
秋田に到着しました。さらに485系の旅は続きます。
こちら最近、すっかり有名人になってしまった〝特急 いなほ14号〟で新潟を目指します。
また485系かよ。 -
〝この列車は、一部区間で速度を落として運転します。〟と、放送が入ると列車は徐行し始めました。
車内には重々しい空気が漂い、ゆっくりと最上川橋梁を渡ります。
ここは、2005年12月25日、突如発生したマイクロバーストによって、遅れていた〝特急いなほ14号〟が吹き飛ばされ土手の下に転落した現場です。(写真はその反対側)
3分遅れをもって通過しました。 -
間もなく村上に到着すること、車内の明かりが突然消えました。
これはデッドセクションを言って、電車の動力となる電気を交流から直流に切り替えている瞬間です。 -
終点、新潟には3分遅れて到着しました。
ふるさと銀河線のように、ローカル鉄道の経営は厳しさを増しています。鉄道経営には膨大なコストがかかり、それに見合うだけの運賃収入が無い鉄道が廃止になってしまうのは、仕方ないことだと思います。
4月20日のラストランまで、ふるさと銀河線が無事に走り続ける事を願って止みません。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
64