2017/05/03 - 2017/05/03
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LP1989さん
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2017年のゴールデン・ウィークは、特に遠出する予定なし。
ならば、近場で行かずじまいだった日本三大山城の一つ、岩村城へ。
今まで、若干の起伏・勾配のある城を訪れることで「登城」としていたが、
今回の岩村城は、リアルの登城となった。
訪れたのが 程よい日差しが注ぐ5月初旬で ちょうど良かった。
梅雨時以降の蒸し暑い季節、凍えるような寒さの中、登っていたら、
エラいことになっていただろうな~。
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岩村城跡に歩いて向かう。先ずは 自慢の城下町を抜ける。
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城下町の途中がクランク状になっている。枡形だ。
名称は「下町枡形」 先の左右の建物の間に 門(木戸)があったという。 -
味のある街並みが続く。
元々、むき出しだった電柱&電線を
4年前に地中化して、この姿に仕上げたそうだ。 -
通りの右手に(NHK大河)女城主・直虎に関する展示スペースがあった。
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女城主と聞けば、浜松(直虎)より、
ここ岩村(おつやの方)を連想するんだけどね。 -
「寺院の庫裏か? 」と思わせる白い外壁が際立つ建物、これは郵便局。
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歴史的・文化的魅力たっぷりの外観の商店が続く。更に歩みを進めて
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山が近くなった所で、城下町をはずれ、左に曲がる。
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その交差点付近にあったマンホール。 女城主の里・岩村城を強調。
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城下町と岩村城跡を結ぶのは 至って地味な小道。
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櫓が見えて来た。 あれ? ここは 以前来たことあったな。
ゴルフに来た時 この脇のいわむら山荘に前泊していたわ。 -
見るからに新しい櫓は、近年の再建だろう。ピカピカ。
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「江戸の泰平の世に落ち着き、
藩主の居場所を山頂の本丸から ここに移した。」
「この藩主邸跡(現況:城址公園)が
岩村城跡の玄関口的役割を果たしている。」
これらを踏まえれば、ここに太鼓櫓&表御門を再建したことには頷ける。 -
門の向こうが歴史資料館。ここで百名城スタンプをゲット。
スタンプラリーするわけじゃないから、これで帰るわけにいかんよね。 -
歴史資料館の前から櫓付近を振り返る。
一番右の こちらに側面を向けた建物が・・・ -
岩村藩校知新館の正門
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知新館正門跡を正面から これは再建された物ではない。立派な遺構。
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知新館正門の近くにあった佐藤一斎の碑。
岩村の偉人(思想家)だそうだ。 -
これから登る岩村城の案内図&古絵図。
これらが リーフレットに載っていたらよかったのにね。 -
ここが登城口。 今までは おまけみたいなもの。ここからが本番!
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本格登城の始まり。
現在地(標高)と本丸までの距離(:平面距離だろうね)を
示すポストが立つ。 -
登城開始直後、左手に建っていた碑。
「平尾家邸阯 下田歌子刀自誕生之地」 と刻まれている。 -
女流思想家の下田歌子
(初めて聞いた人なので、詳細は 現地案内書任せ) -
この上りは急角度だけど 石畳のスロープ状になっているから まだ楽。
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岩村城偉人十傑の碑があったが、
「女城主」以外の9人は 今回、初めて聞いた名前。 -
急勾配を上った右手の「下田歌子勉学所」と呼ばれるゾーン
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男尊女卑の時代で藩校に入れなかったため、ここで己を磨いたという。
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中に入ったら その下田歌子の半身像があった。
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(登城路を挟んだ左手にあった) 三好学博士像。
人体より大きいサイズの半身像って ちょっと不気味だな~。
先の下田像でも感じた。(但し、あくまでも、個人的感想) -
三好学も今回初めて知った人なので、現地案内書に丸投げ。(横着過ぎ)
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藤坂と呼ばれる坂道を上る。 これが急な坂道らしい。
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登城路に入って 二つ目の距離ポスト。
どうやら 100m毎に設けてあるらしい。 -
上がってきた道を振り返る。
見下ろしてみると この藤坂は結構な傾斜だな。 -
初門と呼ばれるこの場所から先の登城路は 鉤の手状に屈曲している。
(但し、泰平の世に落ち着いたため、
ここに門を設けることはなかったそうだ。) -
この場所が 登城路の中で最も屈曲していた。
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ここまでの 100mの道程は、結構な勾配&くねり具合だったな。
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少し なだらかになってきた。
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この辺りは、あっという間に 100m 進んだな~。
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背の高い石垣群が見えてきた。
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この坂を上った所、右側の石垣の切れ目に
「一の門」という門を構えていたそうだ。 -
「門は この辺りにあったのかな?」 と想像しながら 振り返ってみた。
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更に進んだ先の両脇に きれいに整った石垣がある。
これは どう見ても門の跡 -
ここ土岐門で 登城路を 直線で400m、上に90m進んだことになる。
ここまでの道程がキツかったのだろうね~。
座り込んで息を整える人が何人もいた。 -
一の門方向を振り返る。
後に続いて 登ってくる人の顔色が穏やかじゃないよ~。 -
本丸まで もう一息という所で この足元。 簡単には進ませてくれない。
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この辺りに枡形の追手門と 城内最大級の三重櫓があったというが、
現況の林から、往年の姿をイメージするのは、容易ではないな~。 -
本丸への接近を知らせる距離ポストと 奥の立派な石垣
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左右にきれいに揃った石垣の間を進む。
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更に 石垣に挟まれながら 進む。
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いかにも「関心を寄せてくれ」 と言わんばかりの井戸。
霧ケ城の井戸 略して、霧ケ井 -
霧ケ井に係る伝説(岩村城が霧ケ城と呼ばれる由来)の紹介
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登城も大詰め。残り100m
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おっ! 前方に雛壇の石垣が見えてきたぞ。
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岩村城跡自慢の この石垣の名称は「六段壁」
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六段壁を正面から捉えた。
元々 単独の高石垣だったが、崩落防止のため、
手前に補強用の石垣を段々に増設したそうだ。 -
六段壁を 真上から見下ろしてみたら・・・
各段に生える草のグリーンが重なって見えるせいで、
段々の石垣だとわからんね~。 -
六段壁を横目に本丸に通じる石段を上がる。
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くねりながら、上った先は、整った石垣に挟まれた門の跡。
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この門の名は「長局埋門」で
両脇の石垣の上に多聞櫓を載せていたという。 -
門跡をを曲輪内から見ると 山城に居ることを実感する。
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「長局」と呼ばれる細長い曲輪を進む。
この辺りが先ほどの六段壁のてっぺん。 -
この石段を上がったら、本丸。
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本丸に到達。 奥に何か屋根の付いた所があるな~。
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井戸の跡だった。
こんな山奥で篭城することを想定すれば、その役割は重大。 -
昇竜の井戸だって?
登城時 ドラゴンズはGW連敗の真っ只中、6連敗に及んだけどな~。 -
本丸の案内板の左に建つのは 岩村城歴代将士慰霊碑。
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本丸からの眺めは、眼下を見下ろす絶景・・・とはいえないが、
周りに山々が連なる様子で 三大山城に上がったことを実感させる。 -
そんな中 この長身の一本木が目立っていたな~。
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南西を見下ろすと 休憩&駐車スペースがある。
ここは「出丸」と呼ばれる曲輪。 -
出丸の詳細は、現地の案内書きに任せる。
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本丸に通じる別ルートにあった見事な石垣で囲まれた埋門の跡。
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埋門から本丸方向を窺う。
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日本三大山城の一つをやっとクリア。
備中松山城、高取城を訪れるのは いつになることやら。
(以上 岩村城登城記)
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