斑鳩・法隆寺周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2014年の今頃、法隆寺へ来た時、ここへ廻る予定でしたが、時間がなくて、諦めました。ついに今日、念願の法輪寺、法起寺をゆっくりと見ることができました。宮大工の棟梁・西岡常一さんが修復をされた法隆寺・斑鳩三塔のある寺の一つ。1645年の台風で、三重塔以外の堂宇が倒壊し、その後の再建は、規模を縮小して、現在の姿になったそうです。明治時代に、国内最古の三重塔として国宝指定を受けました、しかし、昭和19年落雷によって焼失しました。幸田文さんなどが資金集めに協力されて、昭和50年に完成しました。このお寺の再建現場で小川三夫さんが弟子入りされて、後に棟梁代理として現場を仕切られたそうです。小川三夫さんは、栃木の出身で、修学旅行の折に、法隆寺を見て強く惹かれてから、宮大工になりたいと思われたそうです。今回、小川三夫さんの「宮大工と歩く奈良の古寺」を持参して、じっくりと拝観しまいした。

ついに斑鳩・法輪寺と法起寺を訪れる

7いいね!

2017/04/25 - 2017/04/25

406位(同エリア646件中)

0

25

belledune

belleduneさん

2014年の今頃、法隆寺へ来た時、ここへ廻る予定でしたが、時間がなくて、諦めました。ついに今日、念願の法輪寺、法起寺をゆっくりと見ることができました。宮大工の棟梁・西岡常一さんが修復をされた法隆寺・斑鳩三塔のある寺の一つ。1645年の台風で、三重塔以外の堂宇が倒壊し、その後の再建は、規模を縮小して、現在の姿になったそうです。明治時代に、国内最古の三重塔として国宝指定を受けました、しかし、昭和19年落雷によって焼失しました。幸田文さんなどが資金集めに協力されて、昭和50年に完成しました。このお寺の再建現場で小川三夫さんが弟子入りされて、後に棟梁代理として現場を仕切られたそうです。小川三夫さんは、栃木の出身で、修学旅行の折に、法隆寺を見て強く惹かれてから、宮大工になりたいと思われたそうです。今回、小川三夫さんの「宮大工と歩く奈良の古寺」を持参して、じっくりと拝観しまいした。

旅行の満足度
4.5
  • 車以外だと不便なところにありますが、「奈良・斑鳩1dayチケット」が使える路線バスが近鉄奈良駅、JR奈良駅から10時台に1本出ています。事前に時刻表をしっかりと調べて、帰りのバスも確認しておきましょう。私達は、お喋りしながらも、時間だけはしっかり確認しながら、何とか4つのお寺を路線バスで回りました。次回は、薬師寺の東塔が完成した時に来たいです。<br />この時点で12時頃でしたので、お握り持参の私達は休憩にしました。

    車以外だと不便なところにありますが、「奈良・斑鳩1dayチケット」が使える路線バスが近鉄奈良駅、JR奈良駅から10時台に1本出ています。事前に時刻表をしっかりと調べて、帰りのバスも確認しておきましょう。私達は、お喋りしながらも、時間だけはしっかり確認しながら、何とか4つのお寺を路線バスで回りました。次回は、薬師寺の東塔が完成した時に来たいです。
    この時点で12時頃でしたので、お握り持参の私達は休憩にしました。

  • 昭和50年に完成した法輪寺の三重塔です。勾欄の色が少し浮いていると友人は言っていましたが...昔の資料で忠実に再現したのかもしれませんね。その勾欄部分には卍崩しが使われているのが見えます。<br />法輪寺の心柱は、基壇下、2.7mの穴の底に心礎(石)を置いて、その上に建てられています。心礎の中に穴があり、そこに舎利容器を納めてあります。柱の周囲は、湿気を防ぐために大きなヒューム菅に保護されているそうです。

    昭和50年に完成した法輪寺の三重塔です。勾欄の色が少し浮いていると友人は言っていましたが...昔の資料で忠実に再現したのかもしれませんね。その勾欄部分には卍崩しが使われているのが見えます。
    法輪寺の心柱は、基壇下、2.7mの穴の底に心礎(石)を置いて、その上に建てられています。心礎の中に穴があり、そこに舎利容器を納めてあります。柱の周囲は、湿気を防ぐために大きなヒューム菅に保護されているそうです。

  • 創建は、推古30年(622)に聖徳太子が病気になられた時、息子の山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)が父の病気平癒を願って建立したという説と、670年に法隆寺(斑鳩寺)が焼失後に、百済の開法師・円明法師、下氷新物(しもつひのにいもの)の3人が建てたという説がありますが、はっきりとは分かっていません。<br />伽藍の配置は法隆寺と同じで、規模は、法隆寺西院伽藍の3分の2で、出土した瓦の文様は、法隆寺と類似しているそうです。

    創建は、推古30年(622)に聖徳太子が病気になられた時、息子の山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)が父の病気平癒を願って建立したという説と、670年に法隆寺(斑鳩寺)が焼失後に、百済の開法師・円明法師、下氷新物(しもつひのにいもの)の3人が建てたという説がありますが、はっきりとは分かっていません。
    伽藍の配置は法隆寺と同じで、規模は、法隆寺西院伽藍の3分の2で、出土した瓦の文様は、法隆寺と類似しているそうです。

  • この辺りに聖徳太子所縁の3つの井戸があり、そこから三井という地名が付いたため、三井寺とも呼ばれていました。法林寺、法淋寺とも書くことがあります。この法輪寺は、「法隆寺地域の仏教建造物」には含まれていません。寺史資料が少ないため、創建の詳細は不明だそうですが、発掘調査の結果、前身建物の遺構と推察される掘立柱穴や溝が見つかっていることから、飛鳥末期頃、7世紀中頃には創建されていたことは間違いないとされています。

    この辺りに聖徳太子所縁の3つの井戸があり、そこから三井という地名が付いたため、三井寺とも呼ばれていました。法林寺、法淋寺とも書くことがあります。この法輪寺は、「法隆寺地域の仏教建造物」には含まれていません。寺史資料が少ないため、創建の詳細は不明だそうですが、発掘調査の結果、前身建物の遺構と推察される掘立柱穴や溝が見つかっていることから、飛鳥末期頃、7世紀中頃には創建されていたことは間違いないとされています。

  • 初重の隅組物

    初重の隅組物

  • 人類はどうして塔を立てずにはいられないのか、という藤森照信さんの文に因ると、木の立柱が日本の縄文時代、新石器時代に造られていたそうです。腐りやすいため、石のもの、スタンディング・ストーンへと移行していきました。この立柱は、神を意識した宗教上の存在だったということ。つまり、太陽でした。それがよく分かるのは、ストーンヘッジや三内丸山遺跡の列柱も大湯の環状列石も、夏至、冬至の日の出か日の入りの方向に合わせて並べられていることが証明されているということです。立柱は、太陽信仰のしるしだったことが分かります。新石器時代に、人類が初めて農業を覚えたことが、太陽と深い繋がりとなって、太陽信仰になったのでしょうね。

    人類はどうして塔を立てずにはいられないのか、という藤森照信さんの文に因ると、木の立柱が日本の縄文時代、新石器時代に造られていたそうです。腐りやすいため、石のもの、スタンディング・ストーンへと移行していきました。この立柱は、神を意識した宗教上の存在だったということ。つまり、太陽でした。それがよく分かるのは、ストーンヘッジや三内丸山遺跡の列柱も大湯の環状列石も、夏至、冬至の日の出か日の入りの方向に合わせて並べられていることが証明されているということです。立柱は、太陽信仰のしるしだったことが分かります。新石器時代に、人類が初めて農業を覚えたことが、太陽と深い繋がりとなって、太陽信仰になったのでしょうね。

  • 日本には、国宝の五重塔は11基あり、その内2基は、小塔です。海竜王寺(高さ4,7m)と元興寺(高さ5,9m)へは見に行ったことがあります。地震国日本ですが、地震による五重塔の倒壊はありません。その建築技術は素晴らしいものですね。                                    

    日本には、国宝の五重塔は11基あり、その内2基は、小塔です。海竜王寺(高さ4,7m)と元興寺(高さ5,9m)へは見に行ったことがあります。地震国日本ですが、地震による五重塔の倒壊はありません。その建築技術は素晴らしいものですね。                                    

  • 屋根の上に土をのせず、野地板の上に直に瓦を置くカラ葺きで造られました。昭和19年に焼失する以前の法輪寺の塔の三重目は、江戸時代・正保2年(1645)と台風で吹き飛ん多のを元文4年(1739)に復元したもの。柱間を3つとすると共に、江戸様式の屋根となり、頭でっかちの印象を与えるものだったそうです。現在のものは、昭和50年に復元されたものなので、それとは異なっています。

    屋根の上に土をのせず、野地板の上に直に瓦を置くカラ葺きで造られました。昭和19年に焼失する以前の法輪寺の塔の三重目は、江戸時代・正保2年(1645)と台風で吹き飛ん多のを元文4年(1739)に復元したもの。柱間を3つとすると共に、江戸様式の屋根となり、頭でっかちの印象を与えるものだったそうです。現在のものは、昭和50年に復元されたものなので、それとは異なっています。

  • 講堂は昭和35年に耐火耐震の収蔵庫として改築されたもの。

    講堂は昭和35年に耐火耐震の収蔵庫として改築されたもの。

  • 金堂は、宝暦11年(1761)に再建されたもので、収蔵庫が完成するまで諸仏を安置していました。

    金堂は、宝暦11年(1761)に再建されたもので、収蔵庫が完成するまで諸仏を安置していました。

  • 今私達が立っている建物に、飛鳥時代からこの寺に伝わる薬師如来座像、虚空蔵菩薩立像、平安時代に造られた十一面観音像、吉祥天立像、弥勒菩薩立像、地蔵菩薩立像、米俵乗毘沙門天立像、楊柳観音菩薩立像などを見ることができますが、写真撮影は不可です。

    今私達が立っている建物に、飛鳥時代からこの寺に伝わる薬師如来座像、虚空蔵菩薩立像、平安時代に造られた十一面観音像、吉祥天立像、弥勒菩薩立像、地蔵菩薩立像、米俵乗毘沙門天立像、楊柳観音菩薩立像などを見ることができますが、写真撮影は不可です。

  • 法輪寺から歩いて10分くらいのところにある法起寺。天平時代の記録に池後尼寺とあることから、尼寺として建立されました。伽藍配置は、東に塔、西に金堂を配して、法隆寺西院や法輪寺の位置とは逆になっていて、「法起寺式伽藍配置」とされています。<br />山号は「岡本寺」ですが、奈良時代以前の寺院には山号というものはなく、後世に付けたものです。ここは、法隆寺地域の仏教建造物の一部として世界遺産に登録されています。<br />この山門は、江戸初期の四脚門で、真政の再興時のものと考えられています。

    法輪寺から歩いて10分くらいのところにある法起寺。天平時代の記録に池後尼寺とあることから、尼寺として建立されました。伽藍配置は、東に塔、西に金堂を配して、法隆寺西院や法輪寺の位置とは逆になっていて、「法起寺式伽藍配置」とされています。
    山号は「岡本寺」ですが、奈良時代以前の寺院には山号というものはなく、後世に付けたものです。ここは、法隆寺地域の仏教建造物の一部として世界遺産に登録されています。
    この山門は、江戸初期の四脚門で、真政の再興時のものと考えられています。

  • 現存する最古の三重塔、高さ24mです。慶雲3年頃(708)の創建で、再三の大修理が行われたため、建立当時の形式がよく分かっていませんでしたが、昭和45年から昭和50年に掛けての解体修理の時に、それまでの研究を元に復元されました。<br />法起寺は、法輪寺に比べて、柱が細く、スマートで、胴張りの張り方が少ないということです。雲肘木、雲斗、一軒に角の垂木、勾欄の卍崩しなどは同じ意匠になっていますが、少しずつ異なっているそうなので、じっくり見比べてみましょう。基壇、九輪、水煙、軒の反りも異なっています。一番分かりやすいのは、この軒の反りです。

    現存する最古の三重塔、高さ24mです。慶雲3年頃(708)の創建で、再三の大修理が行われたため、建立当時の形式がよく分かっていませんでしたが、昭和45年から昭和50年に掛けての解体修理の時に、それまでの研究を元に復元されました。
    法起寺は、法輪寺に比べて、柱が細く、スマートで、胴張りの張り方が少ないということです。雲肘木、雲斗、一軒に角の垂木、勾欄の卍崩しなどは同じ意匠になっていますが、少しずつ異なっているそうなので、じっくり見比べてみましょう。基壇、九輪、水煙、軒の反りも異なっています。一番分かりやすいのは、この軒の反りです。

  • 日本の木造塔は、方三間(正側面に柱が4本並び、柱間の数が3つになる)が原則ですが、この塔は、初層、2層の柱間が3間、三層の柱間が2間という特殊な形式になっています。<br />初重内部は、土間で、四天柱と八角の心柱を立て、四天柱の上に肘木と斗を組んでいます。二重以上は、骨組みがいっぱいに組まれています。<br />法隆寺五重塔の初層、三層、五層の大きさが法起寺三重塔の初層、二層、三層にほぼ等しいことが分かっています。心礎は、法起寺では、法隆寺とは異なり、基壇の版築の途上で据えられています。古い仏壇の痕跡がないので、初重にある仏壇は、近世のものだそうです。

    日本の木造塔は、方三間(正側面に柱が4本並び、柱間の数が3つになる)が原則ですが、この塔は、初層、2層の柱間が3間、三層の柱間が2間という特殊な形式になっています。
    初重内部は、土間で、四天柱と八角の心柱を立て、四天柱の上に肘木と斗を組んでいます。二重以上は、骨組みがいっぱいに組まれています。
    法隆寺五重塔の初層、三層、五層の大きさが法起寺三重塔の初層、二層、三層にほぼ等しいことが分かっています。心礎は、法起寺では、法隆寺とは異なり、基壇の版築の途上で据えられています。古い仏壇の痕跡がないので、初重にある仏壇は、近世のものだそうです。

  • この塔は、江戸時代の延宝年間(1673~1681)の修理で大改造され、三層の柱間も2間から3間に変更されていましたが、1970年~1975年の解体修理で、部材に残る痕跡を元にして創建当時の姿に復元されました。二層と三層の勾欄も解体修理時に復元されています。

    この塔は、江戸時代の延宝年間(1673~1681)の修理で大改造され、三層の柱間も2間から3間に変更されていましたが、1970年~1975年の解体修理で、部材に残る痕跡を元にして創建当時の姿に復元されました。二層と三層の勾欄も解体修理時に復元されています。

  • 心礎のレプリカです。

    心礎のレプリカです。

  • 聖天堂は、金堂の旧跡に建てられています。文久3年(1863)に僧順光によって建立。本尊歓喜天像を安置しています。

    聖天堂は、金堂の旧跡に建てられています。文久3年(1863)に僧順光によって建立。本尊歓喜天像を安置しています。

この旅行記のタグ

7いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP