2017/03/19 - 2017/03/19
73位(同エリア87件中)
滝山氏照さん
四条畷神社(しじょうなわてじんじゃ、大阪府四条畷市南野)は正平3年(1348)四条畷の戦いで足利尊氏の重臣である高師直(こうの・もろなお、?~1351)率いる大軍に対し劣勢ながらも戦いを挑み戦死した、南朝の武将楠正成の嫡男楠正行(くすのき・まさつら、1326~1348)を主神とし家臣で実弟正時(まさとき、1327?~1348)や従兄弟の和田賢秀(にぎたけんしゅう、?~1348)ら24名が祀られています。
明治維新後は南朝称揚の風潮が高まり、南朝武将である楠木正成(くすのき・まさしげ、1294~1348)が大楠公と呼ばれて神格化され、これに合わせて正成息子も父の遺志を継いで南朝のため戦い敗死したので小楠公として崇敬され、後に神社創建の機運が高まり、明治21年(1888)に地元有志によって社殿造立申請がなされ翌年創立許可が降り、翌年創建の運びとなっています。
境内に建てられている「四條畷神社由緒記」には下記の通り記されています。
「四條畷神社由緒記
御祭神 贈従二位 楠木正行 卿
贈正四位 楠木正時 卿
贈従四位 和田賢秀 卿
外 殉節将士二十四柱
鎮座地 大阪府四條畷市南野(飯盛山麓)
創立 明治天皇の思召により明治二十二年
別格官幣社に列格御下され翌年鎮座
摂社 御オヤ神社 正行公御母
楠木正行公は楠 正成公の嫡男であり正成公の大楠公に対して小楠公と申し上げる卿は延元元年(1336)湊川へ出陣をせられる父君と桜井の駅にて決別されたが時に御年十一歳爾来母君に孝養を尽くして臥薪嘗胆読書練式に励み報恩の至情を捧げた 正平二年(1347)十二月後村上天皇に拝謁国難に殉せん事を誓い如意輪堂の扉に鉄をもって決死の和歌を遺された
翌年正月敵将高師直の軍勢八幡を発し河内に至るや正行御一族は寡兵よくこれを迎え撃ち獅子奮起せられたが満身に創を受け遂に殉節せられた時に御年二十二才の青年であったこの正義に燃えたる小楠公の事蹟と吉野朝史の一駒は四條畷に永く留められ万古に変らぬ飯盛山は青少年の徳義昂揚を叫び老松は史蹟を語っている」
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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四条畷神社・一の鳥居
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四條畷神社・社標
鳥居の脇には「別格官幣社四條畷神社」と刻された社標が建っています。 -
四條畷神社・参道
鳥居を越えると少しずつ勾配となって東進する道路が1Kmほど続きます。 -
飯盛山・山頂
四條畷神社参道から微かに飯盛山が確認できます。 -
四條畷神社
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四條畷神社・参道
緩やかな参道を振り返ります。 -
四條畷神社・周辺地図
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四條畷神社・周辺地図(拡大)
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四條畷神社・石段
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四條畷神社(全景)
当該神社は飯盛山の西麓に位置しています。 -
四條畷神社・境内
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四條畷神社・手水舎
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四條畷神社・由緒記
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四条畷神社・神明鳥居
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父正成との「桜井の別れ」石像
楠正成は戦死を覚悟で湊川に向けて出陣する際、11歳になる嫡男正行に対し「父親の教えを守って正統な天皇を仕えるように」という遺訓を伝える像が設置されています。 -
「桜井の別れ」説明板
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母親と正行の石像
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四條畷神社・拝殿
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四条畷神社・拝殿内部
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御オヤ(みおや)神社拝殿
楠正行の母堂を祀る神社で大正14年創建されています。 -
御オヤ神社説明板
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御オヤ神社本殿
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四條畷神社・本殿
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四條畷神社・境内
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四條畷神社・境内
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四條畷神社・御祭神
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四條畷御祭神(拡大)
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四條畷神社境内の南端
これから飯盛山城跡に向けて移動します。その前に境内南側から市街を展望します。 -
市街展望
四條畷神社のハイキングロ-ド側から野崎駅方面を一望します。
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