2014/08/06 - 2014/08/06
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junemayさん
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もうだいぶ前の旅になりますが、ふと思い出してはその余韻に浸る。そんな忘れえぬ旅の一つが、この青森紀行です。例によって例のごとく、思い立ったのは25日前。でも青森のお祭りシーズンとあって、宿はどこも満杯です。諦めかけていた時に、天の助けがあり、祭りを最後に店じまいするという弘前の宿を確保することが出来ました。こうなったら、行くっきゃありません。
ねぷたとねぶたと立佞武多。そんな「ハレ」を楽しみに訪れたのですが、意外にも思い出すのはいつも「ケ」の方。津軽では暖かい人情に触れることが多く、町歩きが本当に楽しかった!
前後を野暮用に挟まれ、確保できたのは丸3日。そのため、往復夜行バスという強行軍。しかしゆっくりと寝ていけるリクライニングシートだったので、疲れも少なく、3日間をフルに使うことが出来ました。
8/4弘前、田舎館、弘前
8/5弘前、青森
★ 8/6平川、黒石、五所川原
あくる日になっても、激しい雨は降り続きました。どうやら集中豪雨だったらしく、起きてみたら弘前を走るJRは全線不通。昨日、今日も使えるからと2日間有効の津軽フリーパスを購入したのに、これじゃあどこにもいけないじゃない! 五能線で太宰の実家のある金木に行こうと計画していたのですが、さて どうなる?
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日も、女将さんが丹精込めて作った朝食を食べたら。元気が蘇りました。ホテル浜長、本当に家庭的な素敵な宿でしたよ。もう行くことが叶わないのが寂しい!
そして、大変残念なことに、2014年の弘前ねぷたは、昨晩の死亡事故を受けて、残る日程が中止となってしまいました。4日の夜にお祭りを見れた私としては複雑な気持ちでした。 -
チェックアウトの事は気にせずに部屋にいて構わないよ と言われて、暫く宿で休んでいるうちに、天気が回復してきました。いつまでも宿にこもっていても仕方ないので、もしかしたら列車も動き出したかなと、駅に向かいます。
弘前駅前には、リンゴが乗った、いかにも弘前らしいポストが立っていました。
駅で問い合わせるとやはりJRは全滅。というわけで、金木はまたの機会に。観光案内所の人とも相談して、動いている弘南鉄道弘南線沿いにある盛美園を訪れることにしました。 -
今回の旅で二度目の乗車の弘南線です。途中の新里(にさと)駅には、何故かぽつんとSLが置かれていました。8620形という日本で初めて本格的に量産されたSLで、以前は鰺ヶ沢町の役場裏に保管されていたものが、2011年にこちらに移されたそうです。
でもねえ、駅は無人だし、周りに何もないみたいだし、せめて案内板位設置して欲しいですよね。置いておけば良いというもんじゃあないでしょう。なんだか淋しげなSL48640号君でした。 -
津軽尾上駅で下車。空は鉛色をしていますが、少しだけ明るくなってきました。このまま何とかもって欲しいなあ・・・
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駅から歩いて5分ほどで見えて来たこちらの建物なんだと思いますか?
平川市の尾上総合支所 要は平川市役所の出張所ですが、とてもご立派。西洋のお城のような外観です。合併により支所になりましたが、以前は南津軽郡尾上町役場でした。近隣の田舎館村の天守閣のような役場に対抗して建てたのかなと勘ぐってしまいました。
望楼のような左端の建物の窓はなんとリンゴ模様のステンドグラス! -
津軽らしい風景が目に飛び込んできました。まだ青いけれど、もう十分な大きさに育ったりんごがたわわに実っていました。
あとひと月もすれば、真っ赤に色づいて、美味しくなるんだろうなあ。毎日の少しずつの色の変化を写真に収めたいなと思っちゃいました。 -
駅から10分程で盛美園に到着! と思ったら、あららぁ清藤氏書院庭園と書いてありますよ。
受付はこちらって、あなた、この水たまりの中歩いていけと言うの?!
いまいちよくわかっていなかったのですが、清藤氏書院庭園というのはこちらのお屋敷の庭園で、盛美園というのは清藤氏の別荘と庭を指すようです。
清藤氏というのは北条時頼の側室である唐糸御前に随従して津軽にやって来た古い家柄だそうで、こちらの格式高いお屋敷には清藤氏の子孫の方が今も住んでいらっしゃいます。よって屋敷の見学は不可。庭の見学は事前予約が必要。その清藤氏が明治時代に作った庭と別荘が盛美園。こんな理解で良いのかしら??? -
入場料を払って、直接盛美園の庭に向かいます。なんでも大石武学流という、津軽地方独特の様式を持つ庭園なのだそう。これって人の名前なのかしら?
特徴として私に分かったのは、地元産の無骨な岩、石を多く使っている事、庭木には雪国らしく針葉樹が用いられている事位でしょうか。津軽地方には、こちらの庭を筆頭に一般のご家庭の庭を合わせると、大小合わせて400以上、大石武学流の庭園があるそうです。全く存じ上げずの世界です。 -
そして、こちらが1908年(明治41年)に、庭を眺めるために建てられた盛美園の別荘です。パンフレットには盛美館と書かれていました。
面白い建物ですねえ。1階部分は純和風。その上にどこから見ても洋風の塔のある建物がどっかり乗っかっています。1階部分の屋根が非常に大きく、どう見ても頭でっかち!
1階は数寄屋造り、そして2階はルネサンス様式だそう。津軽はルネサンス大好きですね。 -
建物は津軽の名頭領堀江佐吉の弟子の西谷市助が建てたもの。やはり、堀江佐吉は津軽の建築界の頂点にいらした方のようです。目の覚めるような明るい緑の銅葺きの上には、大小さまざまな尖塔が沢山飛び出していました。
写真を拡大してみると、窓枠の飾りも西洋風ですが、窓の下部についた転落防止用の柵の中央に、多分清藤氏のものと思われる純和風の紋がついているのが大変興味深いです。
それから塔屋の下に柱が1本?しかないのも気になりました。よく落っこちないこと! -
イチオシ
大きな岩と平たい石を無造作に組み合わせたように見える灯篭。雨上がりの緑が眩しい・・・野夜燈(やどう)と呼ばれているそうです。
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大きな池の先には築山。一番高い場所には東屋が建っていました。
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背の低い松のある涸池の畔から建物を振り返りました。屋根の周りのバルストレード、てっぺんの尖塔がよく見えています。
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あそこの東屋まで行ってみましょう。雨の後で足場が悪い庭を恐る恐る歩きます。
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イチオシ
じゃーん。築山のてっぺんから別荘を再度眺めました。純和風の荒々し庭園にピッタリはまる景色とは正直あまり思えませんでした。建物だけ異次元の世界から飛んできたようです。
お庭は変に手を入れ過ぎないで、自然そのものを生かしていて良いなあ・・・涸れ池の右側にある斜めに伸びた松が見事ですねえ。 -
イチオシ
盛美園だけ切り取ると、幾分落ち着きを取り戻したように感じました。やはり周りが針葉樹だけの方がしっくりいくようです。この庭と盛美館は共に国名勝に指定されていました。
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ずらりと並んだピナクル達・・・
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築山の上から見た平川市の長閑な風景です。手前にリンゴ畑。その先には青い田んぼが広がっていました。
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築山から帰り道、刻々と変わる風景を楽しみます。計算され尽くされた庭とは異なり、自然の厳かさを崇めるのがその目的の一つとなっているようなお庭だと思いませんか? 季節を変えてまた訪れたいな。
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盛美園に上がり込んだ途端、黒石在住の女性と現在東京在住の大学生であるそのお嬢さん、お嬢さんの同級生という三人組に会い、おしゃべりに夢中になり、すっかり意気投合して黒石まで車で送って送って頂くことになったため、館内の写真がありません。
こちらは2階への階段ですが、2階部分は参観不可となっていました。あの塔屋から庭を眺めてみたかったので、がっかり・・・ -
最後に「これだけは絶対に見てきて」と三人に言われ、係りの人に案内して頂いたのが、30分間に3分だけ開かれる御宝殿という建物です。こちらは撮影禁止だったので写真はありませんが、部屋全体が金箔と蒔絵で覆われたお霊屋のような所でした。清藤氏の先祖が祀られている位牌堂で、中央には大日如来が安置されていました。外界とは別世界の先祖に祈りを捧げるプライベート空間です。
たった3分の御開帳ですよ! もうすっかり忘却の彼方・・・ -
清藤氏の本宅と書院庭園も見れずじまい。まあ、事前予約していなかったから再度出直すことにしましょう。
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今まで平川という地名すら知らなかった町をもう少し見てみたかった気持ちもあったのですが、折角のお誘いなので、お母さんの運転する車で、慌ただしく盛美園を後にしたのでした。また来るからね。
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で、15分ほどでやってきたのが、弘南鉄道の終点黒石です。黒石は弘前藩初代藩主の津軽為信公の孫津軽十郎佐衛門信英(のぶふさ)が5000石で分地した小さな支藩で、後に津軽藩第8代の時に1万石に格上げされ、正式に黒石藩となりました。
この黒石にも町独特のねぷたがあるそうですが、この年はすでに終わっていました。弘前風の扇ねぷたと青森風の組ねぶたが両方共存するそうです。組ねぶたの作り方に独自性が見られるそうなので、これも是非一度見なくっちゃ。 -
町中心の中町こみせ通りで車を降り、お礼を申し上げて三人の親子連れとお別れしました。お母さんやけに急いでいらっしゃると思ったら、これからお仕事ですって。時間がないのに、目いっぱい案内して下さいました。仲の良さが肌で伝わってくる素敵な親子でしたよ。
こみせは漢字では小見世と書きます。ここは雁木の並ぶ町の目抜き通りとなっています。黒石に陣屋(黒石城)を建て、弘前に倣ってこみせを作ったのも、初代津軽信英でした。かつてはこみせのある商店街が3km以上続いていたそうですが、時代と共に消え去り、今はこの中町にわずかに残るだけ。
写真は鳴海醸造店。1806年(文化3年)創業の造り酒屋で、代表的な銘柄は「菊乃井」なので、それが通称となっています。「菊乃井」と書かれた看板が1階の長く張り出した庇(その下がこみせ)の上に乗っているのが見えました。 -
反対側のこみせは殺風景ですが・・・
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鳴海醸造店のこみせはご覧の通り。独特の味わいがありますね。弘前の亀甲門前にあった石場家住宅も間口が広かったけれど、こちらも長い! 二十三間半と言いますから42.7mもありますよ!
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軒下には、追子野木(おっこのき)小学校の子供たちがこしらえた灯篭が沢山ぶら下がっていました。おっこのきとはまた、珍しい地名ですねえ。これは津軽の方言でイチイの木の事だそうです。
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鳴海醸造店 通称「菊乃井」さんにお邪魔します。見学希望者が何人か集まると、店の主人自ら案内をしてくださいます。
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まず案内されたのが、創業(1806年)前からあったという母屋の座敷から眺めることが出来る大石武学流の庭園です。本日2つ目! まことにラッキー! 1887年(明治20年)頃に作られたお庭だそうです。これがまた素晴らしい!
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イチオシ
大きな石が要所要所に配置されて、その先に池、奥に枯滝石組があるのは、盛美園と同じ。池の前にある大きな石を礼拝石(らいはいせき)と呼ぶんですって。正面に見える黒松がとても見事です。
左側に続く建物の庇もこみせのように長く伸びていて、冬に雪が吹き込まないよう工夫がなされていました。 -
続いて酒蔵見学です。こちらは1913年(大正2年)の建造。
米を蒸す大釜がありました。正に酒造りの出発点ですね。 -
もう順番が分からなくなっています。これは仕込み用のタンクだったかしら?
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ご主人が一生懸命説明して下さっているのに、ろくすっぽ聞きもせずに、建物左側の古い木枠の窓と格子に心奪われている者若干1名。
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だって窓の外の景色が素敵すぎるんですよ! 100年前にスリップしたような感じ。左側の建物は2011年に封切られた「津軽百年食堂」という映画のロケに使われたのだそうです。東京暮らしの青年がふるさと弘前で100年続く老舗蕎麦店を継ぎ、店主となるまでの道を追った作品で、外の建物はドラマの中では最初の、つまり100年前の食堂だったようですよ。
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津軽百年食堂のポスター見っけ!
ポスター右側に写っているのが酒蔵から見える建物のようです。この映画一度見たいと思いつつ未だ果たせていません。
「津軽百年食堂」の右隣には「黒石ねぷた祭り」のポスターもありました。7月30日から始まり、昨日8月5日までだったんですね。青森県各地で多くのねぷたねぶたが同時期に開催されるので、全部見ようと思ったら日程の調整が大変!
何 欲張るなって? はい、おっしゃる通りです。 -
「菊乃井」の古い看板です。電話番号の「一番」には参ったぁ・・・
このお店で購入した酒粕を搾る布袋が、意外にも我が家で大活躍。お酒はもちろん(試飲もOK)の事、それ以外にもよそでは見ることのないアイテム(お土産用)が置いてありましたよ。 -
菊乃井さんに別れを告げて、少し黒石の町をぶらぶらしてみましょう。
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鳴海醸造店の向かい側にも、こみせがご覧のように伸びています。
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先ほど格子窓越しに覗いた、ロケに使われた建物の方には行けないかなあと、裏に廻って駐車場に入り込みます。
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なんと、こんな蔵との間の狭い通路を通って奥に行くと、お蕎麦屋さん「金の銀杏」が営業中でした。ジモティ専用かしら? 普通の観光客はこの道行かないと思うけれど・・・
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イチオシ
やったぁ! 先ほど惚れ込んだ風景が目の前に!
透明ビニールの目張り?が気になりますが、黒石の趣のある建物No.1は鳴海醸造店の作業蔵でした。 -
折角100年前にスリップした気になったのに、白い車邪魔よ!
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こみせ通りに戻ります。
こちらは、国の重要文化財に指定されている高橋家です。1751年から1763年の宝暦年間に建造された建物と言いますから、なんと270年以上たっている計算になります。元々は藩御用達の米問屋だったそうですが、現在は喫茶店になっていました。 -
こみせの中のごみ置き場がやけにリアルです。
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こちらは、もう1軒の酒蔵、「玉垂(たまだれ)」の製造元中村亀吉酒造店です。人気(ひとけ)がなかったので、どうも入りにくくてお店を覗きこんだ後出て来てしまいました。
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中村酒造店の外観です。津軽に来てからすっかりお馴染みになった金看板。ここにも掛かっていましたよ。1913年(大正2年)の創業。当時は黒石市内だけでも11件の酒蔵があったそうですが、現在では鳴海醸造店とこちら中村亀吉酒造店だけになってしまいました。
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吃驚したのは、お店の建物の先に吊るしてあった杉玉の大きさ! 店の前にあった案内板によると、こちらのお店の杉玉(酒林)は直径1.1間(2.1m)、重さ400貫目(1500kg)で日本一だと書かれていました。
杉の葉がそんなに重たいものだとは知りませんでした。それにしてもでかい! -
中村亀吉酒造店の対面にはこみせ美術館と書かれた建物がありましたが、閉まっている様子でした。
元呉服店、質屋を営んでいた西谷家の住宅で、保存状態も良さそうなんですがねえ。それにしても津軽の商店はどこも間口が広い! よって建物がでかい! 間口の広さで税金を取るというのはどこの国でも一般的に行われていて、日本でも京の都などウナギの寝床的店舗が主流だというのに、津軽ではそれはなかったのでしょう。 -
黒石散歩マップに記載のあった岩谷歯科醫院。医院は現在新しい建物に移られたようです。1938年(昭和13年)の建築。
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どこの町でもかつては一番の大店だったであろう呉服店が寂しい外観を晒しています。又上上原呉服店と書かれていました。伝統家屋ではありませんが、ガラス窓付きのこみせが続いていました。建物が出来た当時はさぞ「ハイカラ」だったに違いありません。
これ以上行っても何もなさそうなので、来た道を戻ることにします -
こちらのお宅は小ぶりなこみせです。元は商売をやってらしたのかもしれません。
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こみせから外に出るところには、雪頭上注意の看板があちこちにありました。黒石では、左右より先にまず頭上確認ですよ!
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あっという間にこみせ美術館西谷家住宅のある角まで戻って参りました。この方向から見ると、建物の大きさが良く分かりますね。呉服店だったと聞きましたが、角には杉玉がぶら下がるのに似合いそうな切妻が作られていました。
おや~
建物の向こうに何か見えますよ! -
こみせ通りから西に向かいます。西谷家住宅は空き家にしておくのが勿体ない、堂々とした造りの建物です。
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あらあらどうしましょう! また可愛い火の見櫓がお目見えです。津軽地方の火の見櫓って皆こんなに愛らしいのでしょうか?
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イチオシ
第三消防部と書かれていますので、現役であることは間違いありません。傍にあった案内板によると、県重宝に指定されている「黒石市消防団第三分団第三消防部屯所」です。
1924年(大正13年)に建造された望楼付きの消防屯所で、建設当初は2階部分にバルコニーがあったそうですが、新型消防車の配備に伴い、1階部分を増築したため撤去されました。そりのある唐破風屋根の望楼がなんともノスタルジックな佇まいです。 -
黒石で出会った「趣のある建物」No.2がこれで決定です。入口の扉には張り紙があって、中にある消防自動車もヴィンテージものだと書かれていました。もしかして、これが「新型」消防車???
日産FS780 ボンネット型の消防ポンプ車で、1971(昭和46年)に配備され、今も現役なんですって! 年に10回は出動しているそうですが、消防車が40年以上現役とは恐れ入りました。この年季の入った建物にはぴったりかもしれません。 -
お腹がすいてきたので、こみせ通りに一旦戻ります。先ほど知り合った親子連れ3人組の話では、黒石名物に「つゆやきそば」なるものがあるらしいのですが、全くイメージ沸きません。B級グルメには目のない私としては、是非とも挑戦しなくっちゃ。
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黒石のマンホールみっけ!
中央にこけし。黒石は津軽こけし発祥の地。胴の部分に「弓」という字を背中合わせに開いたような形の市章が見えますが、これは黒石藩の幕紋・旗印・替紋に使われていたデザインだそうです。
こけしの両側にはリンゴと稲穂。名物揃い組ですね。 -
お店が閉まっていたこみせ美術館西谷家の紋です。
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西谷家を過ぎた辺りを入ったところに、ずらりと店舗が並んでいましたが、つゆ焼きそばは見当たらない・・・
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上の横丁、突き当りに石仏の置かれた祠があって、その裏を回ると、こちら重要文化財の高橋家の庭に出てしまいました。ちらっとお庭を見せて頂いただけで、失礼してしまったので、良く分かりませんが、鳴海醸造店のようなまとまりのあるお庭ではありませんでした。
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重要文化財には興味がなかったのか、喫茶メニューには惹かれなかったのか、そのまま、高橋家を通り抜けて表に出てしまったようです。
お昼ご飯どこで食べましょうか? 町で一番有名らしいすずのやさんは、もうランチの時間が終わっていました。 -
となると、残すところはこちらの「こみせ駅」と書かれたお店です。実は1989年(平成元年)に前の持ち主がマンション建設業者に売却しかけたものを、市民ら25名が資金を出し合って買い取ったことにより始まったお店なのです。ここにマンションが建ったら、古い町並みが壊れてしまうという強い危機感があったのでしょう。
市民による黒石の町の再生計画がここを中心に始まった記念すべき建物でもあります。現在は土産物店、津軽三味線のライブが行われるこみせ会館、食堂などが入っています。そう言えば、先ほど鳴海醸造店で、2時過ぎからライブが行われると聞いたような記憶。グッドタイミングです。 -
こみせ通りをもう1枚。
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下手くそな写真で恐縮ですが、こちらが黒石名物「つゆ焼きそば」です。ソース焼きそばにうどんなどで使われる和風だし汁をかけた一品でした。
ソースの酸っぱさが醤油だしと相まってまろやかな味に仕上がっていました。う~ん、これはなかなかいける! -
実はたまたまですが、この時、当時日テレ系の朝の番組で日本全国を犬と共に旅してまわっていたシンガーソングライターの渡邊ヒロアキさんも食事の最中でした。
おんなじ物を食べている! -
で、2時15分過ぎから津軽三味線のライブが始まりましたよ。長い間聞く機会がなく、もしかしたら高橋竹山さん以来の津軽三味線かもしれません。
途中からつゆ焼きそばの味がしなくなるほど、素晴らしい音色でした。三味線弾いていらっしゃる方は若そうに見えますが、かなりのキャリアの持ち主とお見受けしました。 -
皆さん、箸が止まってる・・・
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渡邊ヒロアキさんも、感心したように、何か呟きながら左手で弦を押さえるポーズを繰り返していました。
この白熱のライヴで、すっかり黒石が身近に感じられるようになりました。本場で聞く津軽三味線はまた格別です。 -
同じような写真前にもありましたが、何度見ても、鳴海醸造店前のこみせが一番美しいと思いました。冬景色も見てみたい・・・
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黒石の散歩マップを見ると、先ほど見つけた火の見櫓の他に、もう2箇所消防屯所があると書かれていたので、それを見がてら、もう少し町を歩くことにしました。
新しい建物にもこみせが備わっていますねえ。 -
閉店した呉服屋さんと同じ名前の上原呉服店。こちらは元気で営業中。商標が上・吉 とありました。金看板が光ります。
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横浜屋は黒石の団子館と呼ばれています。津軽らしく「こけしだんご」と書かれていたので興味が沸いたのですが、一見どこでもありそうなみたらし団子だったので、買わないで出て来てしまいました。ごめんなさい。
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店先に立っていたこけし灯篭です。2010年から黒石温泉郷で、冬の風物詩としてこけし灯篭祭りが開かれていますが、こちらは、お店の名前が入っているので、黒石ねぷたに合わせて作られた物でしょうか? 夜になると灯りが灯るようです。
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山県町までやって来て、わぁ 見つけましたよ。2つ目の火の見櫓!
最初のものは黒石消防団第三分団第三消防部屯所でしたが、こちらは第一分団第一消防部屯所です。 -
建物は1946年(昭和21年)の築で、2階建ての上に望楼が作られています。あっ半鐘が外に出ていますね。
建物の矢切の部分には〇の中に水と書かれていました。先ほどのは確か「中」でした。脇には真っ赤に塗られた鉄骨の簡易櫓もありました。この櫓ってホースを干すためのものだったんですね。世の中知らないこと多すぎ! -
この角度から見ると、望楼の窓が四方ともガラスが入っているのが良くわかります。最初の屯所のようなユニークさはないけれど、コンクリート製の大きな消防署しか見たことがない者の目にはとても新鮮に映りました。
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また少し雨が降りだしましたよ。どうも今回の旅は雨にたたられています。でも雨のおかげで黒石に来れたんだから、悪くはないか・・・ものは考えようです。
上町まで来ると、立派な板塀に囲まれたお屋敷が目に留まりました。金平成園、またの名を澤成園と言います。明治から昭和にかけての政治家、実業家の加藤宇兵衛の屋敷で、中には1902年(明治35年)に作られた本日3つ目の大石武学流の庭園があるそうなのですが、門は固く閉ざされていました。 -
黒石市のサイトによると、加藤宇兵衛は「万人に金が行きわたり、平和な世の中になるように」との願いから金平成園と名付けましたが、加藤家が明治の頃に家業としていた造り酒屋の屋号「澤屋成之助」から取った「澤成園」の方が一般に良く知られているそうです。
木立の向こうに、立派な津軽風屋敷が姿を現しました。 -
蔵にもこみせが付けられている??? こみせとは呼ばないにしろ雪対策でしょうね。
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お屋敷の方は非公開ですが、春、夏、秋に庭園は期間限定で10時から15時まで有料公開されています。少々時間が遅すぎたようですね。行き当たりばったり、またいつものトホホです・・・
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山口肥料店の店舗は明治時代に作られた土蔵造り。我が家からそう遠くない川越にはこうした観音開きの扉を持つ土蔵が沢山残っていますが、津軽では初めて見たような記憶。
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イチオシ
黒石にある三番目の火の見櫓はこちらです。やったぁ~ 見事に期待に応えてくれました。思わず拍手をしたくなりましたよ。第三、第一と回ってきたので、言わずもがな第二分団第二消防部屯所です。
1920年(大正9年)の建造で、3つの中では最古参。望楼の高さが高いですね。半鐘はここでは中に置かれているようで、窓ガラス越しにうっすらと見ることが出来ました。 -
1階部分の木製扉は一時アルミ製に変えられましたが、市民の強い希望により、オリジナルの木製扉に復元したのだそうです。第一分団のシャッターは戦後生まれだから変えようがないか・・・
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2階建ての和風建築を劇的に変える効果を持つ赤い可愛い望楼です。
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最後に斜めから。地域の方々の愛情に支えられて、100年近くも黒石を見守り続けて来た火の見櫓が次の世紀も現役でいられるよう、祈りたい気持ちです。純粋な木造家屋だから、火の用心が肝心ですよ!!
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火の見櫓ツアーも終了したことだし、そろそろ黒石にいとまを告げますか?
ん? ここは何でしょう? 遠くにお寺の山門が見えますが、こちら側には本堂はありません。真っ直ぐの道が伸びているばかり。住所表記を見ると「寺小路」とあります。はて? -
かつてはここにお寺があったと思しき、石仏が並ぶ参道を歩いていますが、寺はなし。
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弘前で最初に訪れた景勝院同様、観音様を彫った石仏が並んでいました。
中央に四番、右に泉国 左に施福寺とありますから、これは西国三十三所の札所巡りなのでしょうね。想像ですが、弘前から西国は遠いので、昔の人達は地元で御参りが出来るよう三十三寺院の観音様を彫ったのでしょう。
ちなみに西国三十三所の第四番は大阪府和泉市にある槇尾山施福寺で、本尊は千手観音でした。 -
山門だけ立派なものが残っています。山門先の道路を超えると、そこは黒石の寺町でした。後で調べてみたけれど、この山門に纏わる寺院は見つかりませんでした。
現在時刻は15時42分。弘前に戻ると16時半近くになりますが、21時過ぎのバスの発車時刻まではまだだいぶ時間があります。
その時急に五所川原の立佞武多の姿が目に浮かんで参りました。JR五能線が動いていたら、行っちゃおうかな。五所川原・・・弘前まで戻るのは遠回りなのですが、車はないし、バス便もなさそう。ということは、急がば回れでしょうか?
1時間に1本ないし2本しかない弘南鉄道を逃すとそれも難しくなりますね。それっ急げ~ -
というわけで、慌ただしく黒石を後にします。この続きはねぷたとねぶたと立佞武多 青森紀行 その6 五所川原で。
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