2014/08/06 - 2014/08/06
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junemayさん
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もうだいぶ前の旅になりますが、ふと思い出してはその余韻に浸る。そんな忘れえぬ旅の一つが、この青森紀行です。例によって例のごとく、思い立ったのは25日前。でも青森のお祭りシーズンとあって、宿はどこも満杯です。諦めかけていた時に、天の助けがあり、祭りを最後に店じまいするという弘前の宿を確保することが出来ました。こうなったら、行くっきゃありません。
ねぷたとねぶたと立佞武多。そんな「ハレ」を楽しみに訪れたのですが、意外にも思い出すのはいつも「ケ」の方。津軽では暖かい人情に触れることが多く、町歩きが本当に楽しかった!
前後を野暮用に挟まれ、確保できたのは丸3日。そのため、往復夜行バスという強行軍。しかしゆっくりと寝ていけるリクライニングシートだったので、疲れも少なく、3日間をフルに使うことが出来ました。
8/4弘前、田舎館、弘前
8/5弘前、青森
★ 8/6平川、黒石、五所川原
あっちも!こっちも!の欲張り根性が、むらむらと頭をもたげました。立佞武多を一目見たい! と大急ぎで弘前経由五所川原へと向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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弘南鉄道黒石駅です。なんとか15時50分発弘前行きに滑り込みセーフ。
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乗客はほんの数人程度でちと寂しい。弘南鉄道頑張れ!
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黒石からわずか4分で田舎館の駅に到着です。ここから村役場のある村の中心地まではたっぷり1.5km以上あります。津軽尾上から黒石間が開通したのは1950年(昭和25年)のこと。すでに電化されていたのに、どうしてこんな寂しい所を通したのでしょう?
駅の周りは驚くほど何もありません。 -
2日前に訪れた田んぼアート駅。展望台には何人かの観光客の姿が見えました。当然ですが、列車の中からはサザエさんの姿は全く見えません。
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弘前に戻ったら、JR奥羽線及び五能線は復活していましたが、ダイヤが大幅に乱れている様子。幸いすぐに発車する列車に飛び乗ることが出来ました。
しかし、行きはよいよい帰りが怖いということで五所川原から弘前間の時刻表を調べると、ううーん、夜行バス発車時刻の10分前に弘前に着く便がありますが、流石にこれは冒険でしょう。となると、その前の、祭りが始まる19時に五所川原を出発する列車しかありません。折角五所川原に行くのに祭りは見られそうにありませんが、いつもの 「まっ いいか!」 です。祭りの雰囲気だけ味わってきましょう。
ところで、五所川原への途中駅の「撫牛子」 って何て読むと思いますか? 答えは写真の中にあります。読めねえ~! -
車窓から見えるのは、一面のリンゴ畑! 奥羽線から五能線に入ってもリンゴ畑は続いて・・・
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板柳駅を過ぎると、ようやく田んぼが姿が現しました。板柳町もリンゴの名産地として知られていますが、平坦な土地なので水田も豊富。
そして間もなく、弘前から約50分弱で列車は五所川原に到着です。時刻は17:30。ああ~ 五所川原滞在時間はたったの1時間半じゃあ! -
駅のホームから見える場所に、立佞武多を2台収納する格納庫があり、出番を待っていました。小ぶりだけれどとても精巧。今そっちに行くから待っててね!
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五所川原駅のホームから改札口へと抜けるコンコースには、立佞武多の山車(の一部?)が勢ぞろいして出迎えてくれました。
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こちらは以前制作された立佞武多の1/10のスケールの立佞武多模型だそうで、2006年(平成18年)お目見えの「絆」。本物は高さ22m。これは7階建てのビルに相当します。重さ19トン。中には電球約800個が入っていたそうです。弘前同様 「雲漢」という文字が書かれていますね。
乳飲み子を抱えているから女性はお母さんかしら。心無い親が多くなった世の中を嘆き、もう一度親子の絆を確認しようという趣旨だとか。弘前や青森のものとは異なり、出典よりも、主催者の願いを込めたメッセージに重点が置かれているようです。 -
1枚上の写真の奥に、この立佞武多の実物大の女性の首が置かれていました。これは、後刻明かりが灯ってから撮った1枚です。
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頭の部分だけですが、これも実物かしら?
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2002年(平成14年)制作の「白神」の実物です。自然を破壊し続ける人間達に対して、怒りの警鐘を鳴らすために天から下りて来た神様は大変お怒りのご様子。
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こちらは閻魔様??? 山車の一部だから、安定悪いですねえ・・・
大型立佞武多は年に1台ずつ制作。祭が終わるとローテーションで解体されてしまうので、1回のお祭りで見ることが出来るのは過去2年分のものを含めて3台。しまって置くにもスペースが半端でなく必要ですものね。全ては無に戻る、または水に流すという如何にも日本的な文化の一片が伺えます。 -
突然ですが舞台が飛びますよ。古い写真を持ち出してきました。
私が初めて五所川原市の立佞武多に触れたのは、なんと東京ドームで開催されたあるお祭り会場。2009年(平成21年)1月10日の事です。
これを見て度肝を抜かれ、それ以来是非地元で見たいものだと思い焦がれてきたのです。流石にドームの天井にはまだ余裕があるけれど、凄い迫力でしょう?! -
この立佞武多は、2008年(平成20年)の山車の一つで「不撓不屈(ふとうふくつ)」。戦国から安土・桃山時代にかけての大友氏の家臣立花道雪が雷神と戦う場面を描いています。
彼は若いころ、雷に打たれて左足が不自由になったものの、その後も勇猛果敢な武将として戦いに臨み、主君を護ったことから、不撓不屈の忠臣と呼ばれています。この立佞武多は、人心乱れた世の中であっても、信念を貫き通し、自らの道を切り開いていく力を象徴しているのです。 -
山車が正面を向くまでだいぶ時間がかかりましたが、こちらが主人公のお二人 立花道雪と雷神です。
五所川原駅のコンコースで、東京ドームでの立佞武多との出会いを思い出し、暫し感慨にふける・・・いや、時間がないので、ふける暇はなしでした(笑)。
五所川原の立佞武多が巨大化したのは明治中期から大正初期の頃です。しかし、電気の普及とともに町に電信柱や信号等が設置され、立佞武多を曳く環境悪化により、次第に小型化していったと言われています。
再び12間(21m)を超える立佞武多が登場したのは1996年(平成8年)のこと。運行コース上の電線を地中に埋設させる工事が終了した1998年(平成10年)、遂に勇壮な立佞武多の山車が復活を果たしたのだそうですよ。 -
ホームから見えた格納庫に急ぎます。
長慶天皇、五所川原伝説とはいったい何でしょう???
長慶天皇は南北朝時代の第98代天皇にして、南朝第3代の天皇ですが、五所川原という地名の元になった五所村の御所権現社という神社が、実は長慶天皇を祀ったものだという伝説があったのだそうです。五所ではなく、実は御所だったという説なんですね。しかし、都からは離れすぎていませんかねえ? -
雷神武甕槌というのは、タケミカヅチと呼ばれている神話に登場する神様です。茨城県にある鹿島神宮の主神としても有名です。このサイズの山車は中型立佞武多で、全部で5台登場します。
稲妻サインがばっちりですねえ。 -
駅から今回訪問できなかった旧金木町へは、写真右に見える建物の奥にある津軽鉄道で行くことが出来ます。いつもは静かであろう駅前も、今日は人と車で溢れています。
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大型立佞武多の格納庫を兼ねた立佞武多の館に向かう途中、五所川原のマンホールと遭遇しました。五所川原市のゆるキャラムッシーくん。龍に見えますが、実は虫だそうで、五穀豊穣と無病息災を祈願する地元の行事「虫おくり」のキャラクターなんですって。ゆるキャラなどが流行るずっと前から五所川を代表するキャラだったようですよ。
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こちらは後刻撮った写真ですが、「立佞武多の館」前の1枚。立佞武多の館は2004年に竣工された、五所川原でもかなり高い方のビルの一つで、ビルの7階分もある大型立佞武多が3台格納できるスペースを持っています。祭り当年とその前年2年分の大型立佞武多が常設展示(格納?)され、エレベータと階段を使って見学ができるようになっています。
その他、美術展示ギャラリーもあるそうですが、今回は覗いて見る時間がありませんでした。 -
立佞武多の館に入った時、1枚上の写真の大太鼓「忠孝太鼓」はまだ館内にありました。この大太鼓を外に出して、次いでその奥に格納されている大型立佞武多を外に出す作業が行われている真っ最中でした。
太鼓が2階建て! 直径が2.4m、全長3.3mもあるそうですよ。立佞武多よりは低いけれど高さも17mとド迫力です。 -
忠孝太鼓の上にも佞武多があって、こちらがその「三日月祈願 山中鹿之助」です。
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山中鹿之助は山陰の戦国大名尼子晴久の家臣で、尼子十勇士の筆頭。尼子氏が落ち目になっても主君を裏切ることなく、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った話で有名です。戦前の国語の教科書にはこの話が必ず載っていたそうですよ。
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兜の前立には大きな三日月、脇立には鹿の角。鹿之助の名はこの兜から来たのかしら?
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忠孝太鼓の背面を撮った1枚。こちらにも大きな三日月が光っていますね。
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さあ、いよいよ、忠孝太鼓が外に引っ張り出されますよ。皆が位置につきました。
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一斉に曳いて、曳いて、少しずつ18トンの巨体が動き出しました。
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きょう未明の豪雨により、五所川原では被害のあった地域もあったということですが、床上浸水した家の後片づけもせずに、祭りに駆けつけた人もいらっしゃると聞きました。大勢の人達の願いが込められている大太鼓がようやく外に出たところです。
空は鉛色ですが、何とか降らないでいる状態。このままもって欲しい。 -
さあて、続いては格納庫から曳かれて外に出る大型立佞武多の登場です。わあ~でっかい!!
見学者はエレベータで4階まで上り、立佞武多の周りにあるスロープを伝って、上から下までじっくりと隅々までねぶたを観察できるようです。 -
姿を現したのは、2013年制作の「陰陽 梵珠北斗星」。残念ながら昨年解体されてしまったので、今はこの雄姿を見ることは叶いません。
五所川原市と青森市の間にある標高468mの梵珠山には、北斗七星の形に並んでいる神社仏閣があったと言われ、一大パワースポットになっています。またここには稀代の大陰陽師と言われる安倍晴明が寺を建てたという伝説も残っているとか・・・そんな地域に伝わる説をもとに作られた大型立佞武多です。 -
灯りが点灯しました!
中国の陰陽五行思想に基づき、日本でも律令国家時代にはすでに官職の一つであった陰陽師は長い歴史があり、中世、近世の時代には占術師、祈祷師、神官も含めてその名で呼ばれていたそうです。これは大陰陽師安倍晴明が呪文を唱えている場面でしょうか? -
陰陽師さんは鬼のような形相ではなく、至ってクールな感じ。こちらもいよいよ動きますよ! 小さくて見えにくいですが、下の額絵には天の四方の方角を司る霊獣 青龍、白虎、玄武、そして朱雀(雲漢と書かれた額内)そしてその右横には白い麒麟の姿もありましたよ。
大迫力の映像はyoutubeで見て下さいね。
五所川原の掛け声はヤッテマレ、ヤッテマレですが、ここではソーレ、ソーレでした。
https://youtu.be/LpqzVckYCh8 -
外に出た陰陽 梵珠北斗七星の背面です。一番上にいる怪鳥は姑獲鳥(こかくちょう)という中国原産の妖怪。その下にいるのは山兎。共に陰陽師には欠かせないキャラクター達です。最近はゲームの方が有名になっていますね。
姑獲鳥と山兎の下には、弘前同様見送り絵が描かれていました。弘前や青森市とのも違っていて、これまた楽しめますよ。 -
姑獲鳥と山兎、そして見送り絵のアップです。
中央の女性は安倍晴明の母葛の葉です。左側には父安倍保名の姿がありましたが、ちょん切れてしまった。実は、葛の葉は保名に助けられた白狐だったそうで、正体がばれてしまい、家族と別れるときに残した歌が見送り絵内に書かれていました。
右側は如意輪観音。如意輪観音は北斗七星と結びつきの強い観音様で、北斗七星を神格化した七星如意輪観音は、日本各地で見ることが出来ます。 -
傍に見える電柱の高さと比較してみてください。高い建物の殆どない五所川原では異様に存在感を増しますね。
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そしてこちらが正面。迫力あり過ぎ!
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昨日の大雨の夜には、この巨大立佞武多はどういう姿で町を練り歩いたんでしょう? まさか、こんなに大きな佞武多をビニールシートですっっぽリと包むなんてありえませんね。
右下の白い麒麟が凄く小さく見えます。 -
忠孝太鼓上の部分の佞武多だけが姿を見せています。この部分の小型佞武多はどうやら毎年山車が変わるようですよ。小型といってもこの高さ! 9m以上はありそうです。
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午後6時半を回ったので、名残惜しいけれど、そろそろ帰途につかねばなりません。これは帰りがけに撮った1枚。右側にある立佞武多の館と並んでも遜色ない高さを誇っています。
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お祭りの開始まであと20分。駅に帰る途中に、もう一つマンホール発見! これはずばり立佞武多ですね。左側にあるのが五所川原市の市章です。
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大型立佞武多は3台あるそうですが、残念ながら「陰陽」以外は見ること叶わず。19:00の開演を待っているねぷたの行列がずらりと駅まで伸びていました。
こちらは中型立佞武多?の児雷也(じらいや)。児雷也とは江戸時代の読本に登場した架空の盗賊兼忍者の名前で、圧倒的な人気キャラクターだったようです。 -
青森型組ねぷたもありました。「奪戦 巴御前」。巴御前は御馴染平家物語に登場する女武者。「色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者なり」と書かれていて、こちらもまさにヒロインにぴったりの美形キャラです。
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後刻再度見かけた巴御前と左側にいるのは、兜の形からして木曽義仲。やはりねぷたは暗闇に映えます。うっとり!
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木曽義仲を真横から撮るとこうなります。衣装の桐の花柄がくっきりと浮かび上がって大層綺麗です。木曽家の家紋はささりんどうなのですが、これはどう見ても桐ですよね。
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ここからはまだビニールが取れていなくて、灯りさえついていなくていまいちですが勘弁して!
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綱舘は明治初期に流行した長唄からの出典。羅生門で片腕を切られた鬼が渡辺綱の館にその叔母の姿に化けて現れ、片手を奪い返すというお話だそうです。
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明かりがついた後の姿。余計、何なのか分からなくなりました。
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♪ジバニャンもいたよ♪
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駅前に陣取っていたのは、長野県戸隠に伝わる鬼女伝説を描いた「紅葉狩」。平安時代中期の武将平 維茂が戸隠山にいた紅葉という鬼女を退治したという話は、室町から江戸時代にかけて、能や浄瑠璃、歌舞伎で盛んに取り上げられました。
凄~い! 鬼女は鼓から紅葉の葉をまき散らす戦法に出たな~! -
行き掛けに寄って行った駅に隣接した格納庫の二体の佞武多にも灯りが灯されていました。雷神武甕槌もご覧の通り。
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角度を変えてもう1枚!
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こちらは、格納庫を出た武甕槌の後ろ姿です。雷神様だからでしょうか。大きなでんでん太鼓をしょっていますねえ。
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お隣の長慶天皇・・・あらら、こちらはまだ点灯されていませんでした。
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駅に着いたけれど、上り列車は遅れているみたいで、まだ到着していません。寸暇を惜しんで明かりが灯り始めたねぷたの間を駆けまわります。
紅葉狩さん、まだビニール取らないの??? -
駅前通りにスタンバっているねぷたの行列が見えます。もう一回りしてこようかな・・・
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走り回ったものの残念ながら、雨粒は落ちて来ていませんが、ビニールねぷたのオンパレードでした。がっくし・・・
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色はとても鮮やかです。前に廻ってみようっと。
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タイトルは「那智の滝」でした。ねぷたやねぶたによく取り上げられる「那智の滝」には、先ほど見た大型立佞武多の主人公 陰陽師安倍晴明にまつわる話がたくさん出て来ます。晴明自身も那智瀧で千日籠りの修行をしたそうですよ。
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お終いはこの恐ろしい顔。ひぇ~!!
輪入道は江戸時代の画家・浮世絵師の鳥山石燕が生み出した妖怪で、炎に覆われた車輪の真ん中に描かれ、見た者の魂を抜いていくのだそうですよ。これはビニールがかかっていて、かえって良かったかも・・・ -
五所川原滞在1時間半を終えて、遅延列車に道中はらはらしながらも無事弘前に戻って参りました。今回弘前ねぷた以外は綺麗な写真があまり撮れなかったけれど、何とかねぷたとねぶたと立佞武多を眺めることが叶いました。欲張って良かったね。
慌ただしい旅に最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。津軽にはまだあまり知られていない伝説や伝承が多く残っていそうで、今回知った「一代様」の信仰、大石武学流の庭園の数々、岩木山修験道についても、もう少し詳しく知りたいなと思っています。2017年の夏、弘前再訪を目指していますが、あっちもこっちと相変わらずの欲張りなので、どうなることやら・・・乞うご期待!!
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