2015/12/26 - 2016/01/03
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ふくうめちゃんさん
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毎年恒例・夫と行く年末年始の台湾旅行は11年目に突入。今年も2匹のニャンを預けて、台北を気ままにブラブラ。
台北市内に戻ってきました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
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「猴とん」から台鉄区間車で台北市内に戻ります、15:32。
猴ドン駅 駅
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台鉄松山站で下車。各駅停車で途中駅で特急列車の通過待ちなどもあり‥1時間弱かかりました。
自動改札にあるICカードリーダーに遊悠カードをタッチしてでます。松山駅 駅
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MRT新店松山線に乗り換え。
松山駅 (MRT地下鉄) 駅
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台鉄松山站はMRT松山站と地下道でつながっていて、雨でも濡れずに移動できます。地下道に色々お店がありました。
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MRT松山站は始発、空いてます。
この先は夫任せ、ドコに行くのか? 昼食を食べてないから‥きっとご飯だろうなぁ(食べ物の為なら歩きたくないモードでも頑張れる夫なのです)。 -
MRT台北小巨蛋站で下車。
※地図は北が下になってます台北小巨蛋站 駅
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台北小巨蛋站5番出口を出て南京東路四段を東に、セブンイレブンのある角を左折。左側にある「冠京華」に到着。
予想通り夫の目的地は‘ご飯処’でした。冠京華(クワンチンホア) 中華
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冠京華はかなり庶民的なお店で、日本語は通じない・食器はプラスティック製・お茶や生姜のおかわりはセルフスタイル。
でもお店は清潔で皆親切、そして安くて美味しい。主人お気に入りのお店のひとつ。
メニュー表をみてオーダー表に注文の数量を記入し渡します。日本語表記もあるので簡単です。 -
必食の小籠湯包、1蒸籠10個で140元。
鼎泰豊に比較すると大きくて皮少し厚め。肉汁たっぷり~お肉の美味しさが詰まった小籠包。2人で2蒸籠完食。
オーダーした数が一度にまとめてきます。小籠湯包は冷めてしまうと脂っぽさが舌に残るので、最も美味しいのはやっぱり‘熱々’。2蒸籠以上オーダーするときは‘一度に頼まず1つずつ’がポイント。 -
よほどお腹が空いていたのか、夫はいつも頼む「川味牛肉麺110元」の他に「海老シュウマイ200元」も頼んでた‥。大包頼まなければ良かった(食べきれず1個お持ち帰り)。
お腹いっぱいで苦しいので「もう何処にも行けない、帰る」と夫、MRTで先にホテルに戻りました。
私は食後の運動も兼ね、ちょっと気になる場所に寄り道・散歩しながら戻ることにします。
バスで移動、307板橋行 南京敦化路口→南京林森路口 -
南京林森路口降りて目の前の「林森公園」
私が初訪台した時、二基の鳥居が二二八和平紀念公園の北側にひっそりと残されていました。ある時突然その姿がなくなり、どうしたものかと思っていたら‥こちらに移された事がわかりました。なかなか行く機会がなかったので、今回立ち寄ることにしたのでした。 -
鳥居の近くにパネルがあり、この場所・鳥居について日本語説明がありました。
大きな鳥居は第七代台湾総督‘明石元二郎’氏の、並ぶ小さな鳥居は明石総督の秘書官を務めた‘鎌田正威’氏の墓地鳥居。
『林森・康楽公園は昔「三板橋」と呼ばれる地で、清朝時代は兵舎、日本統治時代初期から次第に墓地になってきた。1896年第三代総督・乃木希典の母親がここに葬られたことにより日本人専用墓地に転じていたが、1900年には正式に合同墓地に定められた。』
戦後中国大陸から来た国民党の下級兵士が三板橋墓地を占拠。墓石が倒されバラックの土台・梁・柱などに流用された違法建築群(いわゆるスラム街)が50年近く存在していました。
『1997年に台北市政府が公園整備を始め、元来ここにあった明石総督の墓を台北県三芝郷のキリスト教墓地に改葬させた。二つの鳥居も一時は二二八公園に移されたが、2010年10月には再びここに戻された。』
三板橋墓地にあった鳥居は、乃木総督の母・明石総督・鎌田氏の3基。
小さな鳥居は長年‘乃木氏の母のもの’といわれていましたが、小さな鳥居に残された「昭和十年十月有志建之」と刻まれた文字や調査から‘鎌田氏のもの’と特定されたそうです。
残った二基の鳥居はバラックの梁としてそのまま利用されたため殆ど無傷ですんだとのこと。 -
上の写真は公園になる前、バラックが乱立していた頃(1997年3月1日撮影)
下の写真が現在の林森公園・康楽公園の様子(2011年3月29日撮影) -
上は明石総督一周忌の記念葉書。左側の写真が明石総督墓地の全景で、鳥居が確認できます。
下の地図は三板橋共同墓地と鳥居のあった場所を示しています。
共同墓地は菱形。鎌田氏の墓地は明石総督墓地の北側にあったことがわかります。
現在鳥居の横に位置している大きな木(ガジュマル)は、明石総督の墓石の背後にあったものだとか。鳥居は元々あった場所に・同じ状態で戻されたのではないようです。
ブログ『日本李登輝友の会 台北事務所 2011年4月29日』見るとわかります、興味のある方は是非ご覧下さい。 -
パネルには明石元二郎氏の経歴も記されていました。
日露戦争を勝利に導いた「明石工作」で諜報の天才と称されていることは知っていましたが、1年4か月という短い台湾総督在任中「台湾教育令発令」「台湾電力株式会社設立」「中部海岸線鉄道と東西縦貫道路の開設」など数々の政策を成し遂げ台湾でも大きな功績を残したことがわかりました。
『1918年6月台湾総督就任、1919年10月任期中に福岡で病没。
その遺言に従い、わざわざ亡骸は台湾に移され、台北の三板橋日本人共同墓地に埋葬された。そして同氏は、歴代台湾総督のうち、唯一台湾の土地に葬られた総督になった』
‘死んでも台湾に戻ってきた、台湾の土に還った明石総督’
この史実を知り感動したこの地域の町内会長・王金富氏が「この地なら日本人が観光ついでに見学しやすいのではないか。多くの日本人に見てもらえるのではないか」と鳥居移設を発案、この提案を受け台北市議の陳玉梅氏が市政府に働きかけ、この二基の鳥居はこの地に戻ってきたのだそうです。
広大な公園の一角に残された二つの鳥居は‥歴史の記憶を留めると同時に、
明石総督の台湾への想いと・その想いを大切にする台湾の人の真心を現しているのでした。 -
かつてここが墓地・バラック街だったとは全く想像できない、緑に囲まれた静かな公園。
ここで発掘された日本人遺骨約2500柱。身元の確認ができたものは僅かで、現在遺骨は台中市の宝覚禅寺に安置されているとのことです。
残された日本人の遺骨を、現在も大事に祀ってくれている台湾‥ご厚情に感謝します。 -
中山北路に出ました、街路樹がイルミネーションで飾られ綺麗です。
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中山北路二段にある白亜の洋館「台北之家」
日本統治時代1926年(昭和元年)アメリカ大使館(台北領事館)として建てられたもの。
当時の住所は‘台北市御成町4丁目9番地’ -
門の脇に「古跡 前美國駐台北領事館」のプレート
1997年2月20日三級古跡に指定。
廃墟となっていたこの場所はリノベーションされ、複合施設「光點台北」に生まれ変わりました。
プロデュースしたのは台湾の映画監督・侯考賢氏。
侯考賢氏は、九分を観光地として復活させるきっかけとなった映画『非情城市』を手掛けた方で、数々の作品で受賞されている著名な映画監督の一人です。
現在この場所は‘台湾映画振興の拠点地’となっています。 -
台北之家は2階建て。入り口入ると吹き抜けの階段。
入って右側は雑貨店「光點生活」。大使館のダイニング・キッチン、衣装室を改造したところ。映画関連の本やDVD、台湾人クリエーターによる雑貨があふれていました。
その反対はカフェ『珈琲時光』。
大使館の応接室を改造。外壁一面が窓になっていてとても開放的なカフェ、テラス席もあります。
店名は2004年公開された日本映画のタイトル。侯考賢監督、主演一青窈・浅野忠信。この映画のテーマは「珈琲を味わうときのように、気持ちを落ち着け、心をリセットし、これからのことを見つめるためのひととき」だそうで、このカフェは見事にテーマにハマってます。 -
階段下奥にミニシアター「光點電影院」のチケット売り場がありました。
「光點電影院」はもともと大使館の々車庫と発電室だったところ。建物から一度外にでないと行くことはできません。 -
2階は大使館のプライベートスペース(寝室)だった場所、バーラウンジ『紅氣球』があります。
この店名も侯考賢氏監督作品のタイトル、2007年のフランス・台湾合作映画(仏: Le Voyage du ballon rouge)。
台北之家はとても目立つ建物なので、存在自体は以前から知っていたけれど‥今までずっと素通りしてきて一回も中に入った事がなかったんです‥。
細部にもこだわってリノベーションされたことが実際行ってみてよくわかりました。
今回は中を覗き見るだけでしたが、カフェが想像以上に雰囲気が良くとても素敵でした! 今度時間のある時、ここでゆっくり「珈琲時光」したいです。 -
台北之家をでて、中山北路の西側にある路地に入りました。
去年いった西門紅楼16工房にあった「emmaAparty」がある!
可愛いお店が沢山できていて、この一画がとても明るくなっていたのでビックリ。 -
すこし北上すると私のイメージする‘中山北路の裏路地’の風景がでてきました。
薄暗くてちょっと淋し気な、古い建物の残された一画。 -
高層ビル群の中に、広い庭付の平屋の建物。
市定古跡「蔡瑞月舞踏研究所」
日本統治時代1920年代に日本人公務員宿舎として建てられ、
戦後‘台湾現代舞踊の先駆者’と評される蔡瑞月女史の住居として使われました。
すっかり暗くなってしまい建物の様子がわからない~。 -
今日はもう帰ろう。
宿泊先Kホテル台北Ⅱ、本日から部屋変更。
フロントで部屋番号確認し部屋へ。
夫は施錠し爆睡中‥「Do Not Disturb」になっているからチャイム押しても鳴らないし、扉を叩いても携帯電話の着信音にも反応せず。中に入れない~! -
部屋に入れないので時間潰し。
台泥大楼近く・錦州街にある「得力」へ。按摩さんが施術してくれる健康マッサージ店です。
スタッフは視覚障害ある方だけですが国家資格をもつベテラン揃い。施術する人によって当たり外れがないし、人それぞれ微妙に違うツボの位置を目ではなく指先で探すため本当によく効く~! 私お気に入り&行きつけのお店です。
足底500元(30分)+肩200元(15分)
※写真は2014年末のものです、足底マッサージ少し値上がり得力健康按摩中心站 エステ・スパ・マッサージ
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ホテルに戻ってみます。
中山北路・台泥大楼バス停近くの「奇華餅家」は香港から来たお店。SOGOとかデパートにも入ってます。
この店舗(本店?)は年末割引セールをやっていることが多く、今回は全品8折(2割引き)お買い得~。
私はこのお店の「桃核餅」が大好物!で、陳列されていたものを一人で買い占めるという大人買いをしてしまいました(だって去年は1枚もなかったんだもの‥)。1枚45元→20%OFF36元。そのままだと日本に持ち帰る際、割れ砕けてしまうので箱に入れて貰いました。奇華餅家 (総店) お土産店
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職場のお土産は、今回奇華餅家のパイナップルケーキにしました。
鳳梨(パイナップル)、蛋黄鳳梨(黄身とパイナップル)、香芒(マンゴー)、蜜瓜(メロン)の4種類。12個入り1箱510元→20%OFFで408元。
沢山買ったのでおまけで試食用にと焼き菓子をいくつか袋に入れてくれました。
クレープをたたんだような形「鳳凰捲」、生地をくるっと巻いた「蛋捲」、スライスアーモンドが乗った薄いクッキー、ヌガー、どれも美味でした。 -
ホテルに戻ってきました。頼む、起きてくれ~!
部屋のドアを叩くと寝ぼけた夫でてきた、やっと部屋に入れる。
1108号室・窓なしスイート。
玄関入るとリビング、大きなスーツケース2つを余裕で開けられる広さ。
リビング奥にベッドルーム。テレビはリビングとベッドルームに1台ずつ。K ホテル タイペイ II ホテル
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リビングにあったのはソファーベッド。この部屋は3人泊まれる仕様になってるみたい。
他の部屋同様デスク・冷蔵庫・湯沸かしなど一通りのものは全て揃ってます。 -
ベッドはキングサイズ
窓はあるけど外は全く見えないです(壁に面していて、天気も昼なのか夜なのかわかりません)ゆえに‘窓なし’スイート。 -
ベッドルームの奥にバスルームがあります。
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バスタブとシャワールーム分離型、ウォシュレット。アメニティも他の部屋と全く同じ。
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シャワールームはバスタブの反対側、離れているのでやや使いにくいバスルームでした。
でも部屋の広さ・設備・快適性・サービスなど総合的に考えると、K-ホテル台北Ⅱはどの部屋もコスパは高い。やっぱりここはいい!
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