2017/02/23 - 2017/02/25
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しんちゃんさん
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鎌倉時代の契機はこの場所から…
戦国時代以前から勝てば官軍、負ければ賊軍。負ければ城主の首は晒され、妻子はもちろん使用人まで殺される運命であった。
時に後の源頼朝(右兵衛佐頼朝)は父義朝と逃亡中迷子になり捕らわれるが、池の禅尼(平清盛の継母)に助命され蛭ヶ島に流刑される。
最近「新・平家物語」全20巻を読破し是非訪問したいと見学にきた。
公園は周れば5分で見学出来る。しかし歴史を振り返ればここは偉大なる場所であった。
写真は源頼朝の監視役であった北条時政の長女「政子」との夫婦(めおと)姿。「新・平家物語」第5巻は〔火乃国の巻〕彼らの逢引から始まる…
- 旅行の満足度
- 5.0
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またまた、運転中から信号機の写真。
フランスでは運転中のカメラ・飲食も違反と聞いた。
日本も近くそうなるのでは。 -
久しぶりに文字へ写した。
【蛭ケ島(ひるがしま)(源頼朝配流の地跡)
このあたりを、韮山町四日町字蛭ケ島といい、平治の乱で敗れた源義朝(よしとも)の嫡子、兵衛佐頼朝(ひょうえのすけよりとも)配流の地といわれている。狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古河(ふるかわ)・和田島(わたじま)・土手和田(どてわだ)等の地名が現存するところから、往時な大小の田島(中州)が点在し、そのひとつが、この蛭ケ島であったことが想像される。永暦元年(1160)14才でこの地に流された頼朝は、治承4年(1180)34才で旗挙げ、やがては鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流20年間における住居跡等の細部は詳らかではない。しかし、 「吾妻鏡(あずまかがみ)」治承4年によれば、山木攻め(頼朝旗挙げ)ぃの頃は、妻政子(まさこ)の父、北条時政の館〔当地より西方約1.5粁の守山(もりやま)北麓〕に居住し館内で挙兵準備を整えたとある。このことから考えると、頼朝は、北条政子と結ばれる治承元年(1177)頃までの約17年間を、ここ蛭ケ島で過ごしたものといえよう。当公園中央部にある「蛭島碑記」の古碑は、源氏が天下支配の大業を果たした歴史の原点を後世に伝承すべく、寛政2年(1790)豆州志稿(ずしゅうしこう)の著者、秋山富南の撰文により、江川家家臣飯田忠晶が建立したもので、韮山町の有形文化財に指定されている。また、この碑の西側にある高い碑は秋山富南の頌徳碑で、豆州志稿の増訂に当った荻原正夫が、明治26年に建立したものである。伊豆の国市】(漢数字はアラビア数字にしました) -
かたや流人、かたや監視役役人の娘が恋に…本来許されるものではなかった!
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蛭島碑記」
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蛭島碑記」
ソテツが邪魔である! -
遠藤韮城の句碑、表側
説明版な~んにも無し
帰宅後ネットで調べる -
遠藤韮城の句碑、裏側
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説明文
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公園内
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もっと説明・資料展示があれば良かった。
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銅像説明版
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公園内
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公園内
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北側、あいにく富士山は見えない
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西側、田畑にはいちご畑が多かった
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公園内のトイレと茶屋
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茶屋はお休み中
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公園前の道路より
あっても面積400坪くらいの公園、写真もこれが限界!
でも“ここに見学に来た事”が大切。
「新・平家物語」全20巻の読破に三ヶ月要した。
今後は『私本太平記』(しほんたいへいき)を読む予定である。
吉川英治はこの本を完結した翌年死去している。
ネットとは、しばらく疎遠になるかも…
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