2017/02/28 - 2017/02/28
110位(同エリア518件中)
元カニ族さん
2017年2月28日、JR埼京線「浮間舟渡駅」で下車し、中山道を荒川を渡り、蕨宿まで歩きました。
表紙写真は浮世絵に描かれた「蕨の駅 戸田川渡」です。板橋と蕨の中間を流れていたのが「戸田川」(現荒川)です。勿論「江戸防衛」のため舟渡しになっていました。戸田川は江戸を出発すると最初の大河であり、多くの旅人が緊張した場所でもありました。
蕨宿の規模は天保14年の記録によると、本陣2、脇本陣1、旅籠屋23軒です。因みに板橋宿の規模は、本陣1、脇本陣2、旅籠屋は54軒でした。
これからもわかるように、蕨宿は小さな宿場でした。
明治になって、ここは鉄道を通す時に猛反対したようです。下のコースマップでもわかるように、「蕨駅」は宿場から1kmほど東に出来て、宿場はさびれてしまいました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
-
この日のルートマップです。
-
この日のウオーキングの出発地点「①埼京線浮間舟渡駅」です。
浮間舟渡駅 駅
-
駅前の「浮間公園」です。大きな池に水鳥がたくさんいました。
浮間公園 公園・植物園
-
荒川(戸田川の東京側には渡し場跡が残っていないので、国道17号線にかかる「②戸田橋」を渡り、対岸の埼玉県側に向かいました。
-
橋の中央に「ここから埼玉県」、「ここから戸田市」の標識がありました。
-
橋を渡り終えると、写真の案内図がありました。
-
「旧中山道」の標識がありました。
-
水神を祀った「③水神社」です。多くの旅人が旅の安全を願って、水神に祈っていたことでしょう。
-
見ず神社の御神体です。
-
水神社の説明板です。
-
ここから堤防に登ると「③渡船場跡碑」が立っていました。この付近に舟渡し場がありましたが、目の前に高い堤防があり残念んがら荒川を見渡すことが出来ません。
-
「戸田の渡し」の説明板です。
-
戸田橋に戻り、堤防の反対側にある「④戸田公園」に向かいました
-
「④戸田公園」の案内板です。1964年東京オリンピックの時に作られたもので、漕艇場と、競艇場があります。
1964年の東京オリンピックの時に造られた漕艇場ですが、2020年の東京オリンピックでは使うことが出来ません!! by 元カニ族さん県立戸田公園 公園・植物園
-
国立の艇庫です。
1964年の東京オリンピックの時に造られた漕艇場ですが、2020年の東京オリンピックでは使うことが出来ません!! by 元カニ族さん県立戸田公園 公園・植物園
-
漕艇場は、拡張して2020年の東京オリンピックに使えないかと、検討されましたが、片側は艇庫、片側には住宅が並び、使用不可能とされました。
1964年の東京オリンピックの時に造られた漕艇場ですが、2020年の東京オリンピックでは使うことが出来ません!! by 元カニ族さん県立戸田公園 公園・植物園
-
漕艇場では、ボートの練習をしていました。
1964年の東京オリンピックの時に造られた漕艇場ですが、2020年の東京オリンピックでは使うことが出来ません!! by 元カニ族さん県立戸田公園 公園・植物園
-
国道17号線(中山道)に戻りました。
-
国道17号線(中山道)を進むと右に「つつじ幼稚園」がありました。この付近に日本橋から4里目の「上戸田の一里塚」があったと推定されています。
-
ここから「さいたま」まで7km、「熊谷」まで48kmです。
-
「本町」交差点を左に折れると「⑥光明寺」がありました。南北朝時代足利将軍の一門桃井氏の居城跡といわれています。
-
国道に戻ると、国道沿いに古い民家がありました。
-
国道沿いの駐車場の一角に「⑦小堂」がありました。
-
やがて戸田市から蕨市に入ると、「中山道」の碑がありました。
-
国道から折れて、旧道に入ると「⑧下木戸跡」に木戸を模したモニュメントがありました。
-
道路には「中山道六十九次」の浮世絵のタイルもはめ込まれていました。
-
蕨宿の案内看板です。
-
すぐに織物の買継商を営んだ旧家を公開した「⑨蕨市立歴史民俗資料館分室」がありました。
-
「⑨蕨市立歴史民俗資料館分室」の庭園です。
-
近くにノスタルジックな「⑩八百市商店」がありました。
-
写真は「⑪蕨町道路元標」で、1920年(大正9年)に設置されたものです。
-
国道から脇道に入っていくと「風呂屋」がありました。
-
「風呂屋」の向かいに「⑫長泉院」がありました。
-
ここの梵鐘は蕨宿の時の鐘として親しまれた「いぼなし鐘」で、蕨市指定文化財です。
-
国道にもどると「創業二百数十年 うなぎ 今井」の看板を掲げたうなぎの店がありました。
-
そして「岡田厚生堂薬局」がありました。ここは「⑬岡田新蔵脇本陣跡」です。
-
その隣は「⑭岡田加兵衛本陣跡」で、現在は「蕨市立歴史民俗資料館」になっています。
蕨本陣跡 名所・史跡
-
内部には、蕨宿シオラマがありました。
蕨宿のジオラマ、道祖神や庚申塔のレプリカ、当時の旅籠屋の内部の様子などが展示されています。 by 元カニ族さん蕨市立歴史民俗資料館 美術館・博物館
-
庚申塔や高札も展示されていました。
蕨宿のジオラマ、道祖神や庚申塔のレプリカ、当時の旅籠屋の内部の様子などが展示されています。 by 元カニ族さん蕨市立歴史民俗資料館 美術館・博物館
-
すぐ近くに「⑮手打ちうどん四国屋」があり、ここから街道を離れ「⑯和楽備神社」に向かいました。
-
「⑯和楽備神社」の一の鳥居です。
明治期に、町内の18社を合祀して「和樂備神社」と改名された神社です。 by 元カニ族さん和楽備神社 寺・神社・教会
-
「⑯和楽備神社」は、渋川氏が蕨城の守護神として、八幡社を勧請した神社です。
明治期に、町内の18社を合祀して「和樂備神社」と改名された神社です。 by 元カニ族さん和楽備神社 寺・神社・教会
-
「⑯和楽備神社」の本殿です。
明治期に、町内の18社を合祀して「和樂備神社」と改名された神社です。 by 元カニ族さん和楽備神社 寺・神社・教会
-
「⑯和楽備神社」の天神と筆塚です。
-
中山道にもどると、高札を模した掲示板と「中山道武州蕨宿 板橋宿二里十町」の碑がありました。
-
商家造りの旧家「⑰鈴木薬局」がありました。
-
古い家がありました。
-
「萬寿屋」の前の角に「地蔵の小径」の石碑がありました。
-
道路にも「地蔵の小径」のタイルが埋め込まれていました。
-
小径の先に「⑱金亀山極楽寺三學院」の山門が見えました。
-
「⑱金亀山極楽寺三學院」の山門です。
仁王門前の地蔵堂の「目疾地蔵」の目に味噌を塗って祈ると目の病気が治るといわれています。 by 元カニ族さん三学院 寺・神社・教会
-
山門の横に「馬頭観音」がありました。
-
三学院の仁王門です。
仁王門前の地蔵堂の「目疾地蔵」の目に味噌を塗って祈ると目の病気が治るといわれています。 by 元カニ族さん三学院 寺・神社・教会
-
仁王門前に「地蔵堂」がありました。
-
この「地蔵堂」には、蕨市指定文化財の「子育地蔵」、「六地蔵石仏」、「地蔵石仏(目疾地蔵)」があります。
-
大きな子育地蔵です。
-
六地蔵石仏ですが、なんとなく艶っぽいお姿です。
-
左端が「地蔵石仏(目疾地蔵)」です。目に味噌を塗ると目の病気が治るといわれています。
-
仁王門をくぐると、鐘楼と三重の塔がありました。
-
大きな本堂がそびえていました。
-
本堂の前の大きな太子像です。この日のウオーキングはここまでにしました。
-
蕨宿から東に約1km離れた「⑲京浜東北線蕨駅」に向かい、ここから帰宅しました。
蕨駅 駅
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
62