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さて、中山道を歩くシリーズの第三回です。 三週連続して健康のために歩いてみました。<br /><br />今回は前回の終了地点である、JR蕨駅からスタート、西へ約500m行ったところにある蕨宿から再び中山道をたどります。<br /><br />そして、浦和宿を抜けて、大宮までの約10kmとなりました。 <br /><br />

中山道を歩いてみた。 第三回 蕨から大宮へ

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2015/04/04 - 2015/04/04

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Nobby’s

Nobby’sさん

さて、中山道を歩くシリーズの第三回です。 三週連続して健康のために歩いてみました。

今回は前回の終了地点である、JR蕨駅からスタート、西へ約500m行ったところにある蕨宿から再び中山道をたどります。

そして、浦和宿を抜けて、大宮までの約10kmとなりました。

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 徒歩

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  • ふたたび蕨宿の歴史民俗資料館の前に戻ってきました。<br /><br />ここは前回書きましたが、江戸時代の蕨宿がどんなであったかが展示されているので、おすすめです。<br />

    ふたたび蕨宿の歴史民俗資料館の前に戻ってきました。

    ここは前回書きましたが、江戸時代の蕨宿がどんなであったかが展示されているので、おすすめです。

  • これが外観です。

    これが外観です。

  • そして民俗資料館の隣には工事中の蕨宿の立派な碑が建っていました。<br />

    そして民俗資料館の隣には工事中の蕨宿の立派な碑が建っていました。

  • 中山道の蕨宿あたりには古い建物がけっこう残っています。<br /><br />

    中山道の蕨宿あたりには古い建物がけっこう残っています。

  • こちらも古い薬局です。

    こちらも古い薬局です。

  • このような格子のある家が建っていました。

    このような格子のある家が建っていました。

  • 中山道ふれあい広場というところがあり、そこにはこのように壁画が描かれてました。 江戸時代の旅姿が描かれています。

    中山道ふれあい広場というところがあり、そこにはこのように壁画が描かれてました。 江戸時代の旅姿が描かれています。

  • これは火消しか。

    これは火消しか。

  • 蕨宿は中山道の六十七宿の中でも、五指に入る大きな宿場だったそうです。<br /><br />

    蕨宿は中山道の六十七宿の中でも、五指に入る大きな宿場だったそうです。

  • 当時、さまざまな職業の人が生活していたそうです。<br /><br />

    当時、さまざまな職業の人が生活していたそうです。

  • 蕨宿周辺の古い建物についてイラストが描かれています。

    蕨宿周辺の古い建物についてイラストが描かれています。

  • 蕨宿の中心を離れても、このように古い建物が残っています。<br />

    蕨宿の中心を離れても、このように古い建物が残っています。

  • 立派な屋根の家が残っています。

    立派な屋根の家が残っています。

  • 境橋という、蕨との境に架かる橋がありました。

    境橋という、蕨との境に架かる橋がありました。

  • これがその碑。<br /><br />いまは蕨市とさいたま市の境となっているようです。<br />

    これがその碑。

    いまは蕨市とさいたま市の境となっているようです。

  • やがて、美女木の外環道が見えてきましたが、その手前に立派な桜がちょうど満開を迎えていました。

    やがて、美女木の外環道が見えてきましたが、その手前に立派な桜がちょうど満開を迎えていました。

  • 六辻水辺公園だそうす。 <br /><br />

    六辻水辺公園だそうす。

  • 中山道沿いには、各所で桜が見ごろを迎えていました。

    中山道沿いには、各所で桜が見ごろを迎えていました。

  • 焼米坂という坂を上って行きます。 <br /><br />名物、焼米を売るところだったとか。<br /><br />

    焼米坂という坂を上って行きます。

    名物、焼米を売るところだったとか。

  • やがて、浦和が近づいてきます。

    やがて、浦和が近づいてきます。

  • 調神社。 <br />平安期からの古い神社だそうです。<br /><br />

    調神社。
    平安期からの古い神社だそうです。

  • 由来が書いてあります。<br /><br />なんでも、調神社の調は、租庸調の調から来ているそうです。<br /><br /><br />つまり、調物(貢ぎ物)がここに集められたとのことです。

    由来が書いてあります。

    なんでも、調神社の調は、租庸調の調から来ているそうです。


    つまり、調物(貢ぎ物)がここに集められたとのことです。

  • 道路元標がありました。<br /><br />

    道路元標がありました。

  • 浦和駅周辺の中山道沿いには、このように浦和宿であることを示したものがあります。<br /><br />

    浦和駅周辺の中山道沿いには、このように浦和宿であることを示したものがあります。

  • 浦和橋を渡り、JR線をまたぎます。<br /><br /><br />

    浦和橋を渡り、JR線をまたぎます。


  • 橋を渡ったところに神社がありました。<br /><br />

    橋を渡ったところに神社がありました。

  • 浦和を過ぎ、さいたま新都心を抜けていきますが、このあたりは道路が立派で、歩道もひろびろしています。

    浦和を過ぎ、さいたま新都心を抜けていきますが、このあたりは道路が立派で、歩道もひろびろしています。

  • ついに、大宮、武蔵野国一宮の氷川神社、一の鳥居が見えてきました。<br /><br />ここから2kmくらい、参道が続いています。<br /><br />

    ついに、大宮、武蔵野国一宮の氷川神社、一の鳥居が見えてきました。

    ここから2kmくらい、参道が続いています。

  • 参道入り口には、武蔵野国一宮という碑と桜が植わっていました。<br /><br />

    参道入り口には、武蔵野国一宮という碑と桜が植わっていました。

  • 氷川神社までの参道です。<br /><br />当初はこの参道が中山道だったそうです。

    氷川神社までの参道です。

    当初はこの参道が中山道だったそうです。

  • 大宮宿は氷川神社の門前町として発達したそうです。<br /><br />やがて、大宮駅へ近づいていきますが、このあたりは開発が進んでいて、昔をしのぶものがなかなか見つかりませんでした。次回はそのあたり、何かないのかを探索していきたいと思います。<br /><br />さて、高島屋の角を曲がると大宮駅が見えてきました。<br /><br />本日はここまでです。 そばでも食べて帰ることとしましょう。 お疲れさまでした。<br /><br />次回また。

    大宮宿は氷川神社の門前町として発達したそうです。

    やがて、大宮駅へ近づいていきますが、このあたりは開発が進んでいて、昔をしのぶものがなかなか見つかりませんでした。次回はそのあたり、何かないのかを探索していきたいと思います。

    さて、高島屋の角を曲がると大宮駅が見えてきました。

    本日はここまでです。 そばでも食べて帰ることとしましょう。 お疲れさまでした。

    次回また。

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