2017/02/16 - 2017/02/16
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梅の花が咲き始めた名古屋城散策です。最初に見学した名古屋城の二の丸址は那古野城址とされ、天下統一を目指した信長が清須から小牧、岐阜、安土と居城を移し、役割の薄れた那古野城は天正10年(1582年)頃に廃城となりました。(ウィキペディア)
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江戸時代の二の丸庭園に関するネット情報の紹介です。尾張藩時代の二之丸庭園は、平常時には多目的に使用されたとされますが、非常事態に際しては、実に周到な用意が幾重にも構えられていたようです。その構造の秘密は、極めて側近の者以外は知る事は出来なかったとされます。(同上)
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発掘作業で見つかったのでしょうか、かなり大きな手水鉢らしい、上部がくり抜かれた石の光景がありました。二の丸庭園の秘密の話題に戻ります。万が一敵の襲撃を受けた時、藩主は直ちに、御殿の裏庭に姿隠す手筈が決められていたようです。奥庭の退避路は、これを称して『二之丸の秘境』と呼ばれ、秘密のベールに包まれていたようです。(同上)
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二の丸庭園の修復工事の現場光景です。平成29年(2017年)2月28日予定の工事期間が記されていました。きめ細かに杭を打ちながら、測量を繰り返して慎重に発掘作業と再建工事が進められているようでした。前方に見えるのは、栄螺山のようです。(同上)
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イチオシ
主に青石を庭石に使った、二の丸庭園の光景です。枯山水の河床には、丸い玉石が敷き詰められ、その上に落ち葉が降り積もっていました。中央奥に、この後に修復作業の継続が予定されている権現山が見えました。『寝覚め御庭』とも呼ばれた二の丸庭園です。(同上)
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築城に使われた石の残り辺りが敷石に使われたようです。担当した大名の目印の刻印が残っていました。(同上)
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敷石の一部として残されていた、『さざれ石』のような光景です。君が代の歌詞にも歌われる『さざれ石』は、神社の置物としてよく目にします。長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって、一つの大きな岩の塊に変化したものです。目視した限りでは、コンクリートで固めたものではないようでした。(同上)
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度々紹介する、現代建築の『二の丸茶亭』の建物光景です。かつて、二の丸御殿の建物があった一帯のようです。建築素材に木曽の桧が用いられ、点茶のための座敷や水屋などが造られています。 (同上)
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この辺りの光景は、発掘されたものか、長く保存されてきた二の丸庭園の一部のように見えます。イメージ的には、島を模した石組のように見えます。その後方にも大きな庭石の光景がありました。(同上)
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『光照』の題字以外、ほとんど読めなくなっていた、大きな石碑の光景です。第二次大戦当時でしょうか、六つの部隊名が刻まれているようでした。ネット情報によれば、名古屋城の内外に駐留していたのは、師団司令部、歩兵第6連隊、野砲兵第3連隊、輜重兵第3連隊、名古屋衛戍病院などだったようです。(同上)
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イチオシ
台座に、『清正公石曳きの像』の文字が刻まれたブロンズ像の光景です。加藤清正(1562~1611年)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名で、肥後熊本藩初代藩主です。豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人です。秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、秀吉死後には家康公に近付きました。城造りの名手としても知られます。(同上)
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『清正の石曳』のタイトルがあった立看板です。『天守の石垣普請は、加藤清正に割り当てられた』と冒頭に記されていました。池波そゆ太郎さんお『火の国の城』の中の『名古屋城』のしょうでは、家康公は名古屋城不振を手伝うよう清正に命じたものの、清正は、最も困難な天守の普請を自ら引き受けたと、物語っていました。この方が清正公の気質にはぴったりするようです。(同上)
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『藩訓君秘伝の碑』の光景です。更新されたのでしょうか、まだ新しい石碑でした。初代藩主の徳川義直公の直撲、『軍書合鑑』の中にある一項の題目で、勤王の精神について述べたものです。 歴代の藩主はこれを藩訓として相伝しました。『王命に依って催さるること』と刻まれているようです。(同上)
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『藩訓君秘伝の碑』の説明立札の光景です。この場所は、二の丸御殿があった場所と説明されていました。明治維新では、徳川幕府の親藩でしたが、勤王帰一を表明したとされます。『王命依催事』の『王』は天王を意味し、『ひとたび事を起こす際は朝廷の意向によりなさい。』という意味とされます。(同上)
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右の図面が、『名古屋城二之丸絵図』、左の説明文のタイトルが『二之丸御殿と能舞台』でした。能舞台は、平成9年(1997年)、三の丸跡に『名古屋能楽堂』として再建されています。(同上)
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『名古屋城二之丸絵図と『二之丸御殿と能舞台』の説明パネルのズームアップ光景です。絵図の年代は記されていないようですが、枯山水ではなく、水が引かれた状態の池泉回遊式の庭園でした。(同上)
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東南方面から眺めた、国の重要文化財の東南隅櫓の光景です。かつての名前は辰巳櫓でしたが、『辰巳』は、『東南』と同じ意味です。『巽』の表記法もあります。(同上)
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ほぼ東側から眺めた、東南隅櫓の光景です。屋根二層、内部三階の櫓です。破風は、落狭間破風の様式とされます。破風の下部に、石落しが設けられているようです。(同上)
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みじて前方に見えるのは、冬越しのために菰巻にされた『ソテツ(蘇鉄)』の光景です。二の丸庭園を築いた初代の義直公の時代、唐風の庭園だったとされ、ソテツも祝祭されていたようです。そのイメージの再現のためのソテツかも知れません。(同上)
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両側から高い石垣に挟まれた狭い区域の光景です。本丸の西側に『鵜の首』と呼ばれる、防御のための狭まった場所がありますが、それを小規模にしたようなイメージです。前方は、南側のお堀に繋がっているようでした。(同上)
(追記)現在の名古屋城平面図にも『鵜の首』と記載されていました。空堀の外堀に繋がっていました。 -
西方面に向かって移動中の城内光景です。右手前方に見えてきたのは、国の重要文化財の『表二之門』のようです。古くは南二之門と呼ばれていました。現在の本丸御殿方面への入口になります。(同上)
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イチオシ
南側から眺めた東南隅櫓の建物光景です。算木積の石垣の角の部分には、積み直したような色違いの石が見えました。全体としては打ち込み接ぎのようです。(同上)
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西南側から眺めた、東南隅櫓の建物光景です。石落しが設けられているのは、お堀に面した東面と南面でした。漆喰で塗り固め、火矢責めに負けない造りです。(同上)
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名古屋城のイベントには、『なごやおもてなし武将隊』が活躍しています。デビューは、平成21年(2009年)11月です。記念撮影に応じているのは、そのメンバーさん達のようです。(同上)
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記念撮影に応じていた、『なごやおもてなし武将隊』の方達のズームアップ光景です。スケジュールを決めて、土日、祝祭日を中心に活動しているようです。信長、秀吉、家康の三英傑のほかに、加賀百万石の祖、前田利家、肥後54万石の加藤清正などの役を始めとする多彩な陣容です。(同上)
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ここからは、内堀に囲まれた本丸エリアに入城しての見学です。本丸御殿もこのエリアの中にあります。その入り口付近の石垣光景です。守りのための、枡形を形成していた石垣の一部のようです。(同上)
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スケールの大きな南御門(表門)の枡形の石垣光景です。かつては、城門の建物と、石垣の上にも多門櫓などの施設があったかも知れません。本丸には、この表門のほか、東に東御門(搦手門)、北に不明(あかず)御門の三つがありました。(同上)
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『本丸表一之門』付近の石垣光景です。1個だけ、一際大きな石が使われていました。名古屋城で最大の石垣石材は、今回は紹介していませんが、本丸搦手枡形の石垣の通称、『清正石』です。黒田長政の担当区域でしたが、巨石であるために普請の名手加藤清正の名前になってしまいました。(同上)
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『本丸表一之門跡(ほんまるおもていちのもんあと)の説明立札です。説明文をそのまま紹介しますと、『古名は南一之門。本丸大手の主門で、外門である表二之門とともに枡形(ますがた)を形成していた。入母屋造(いりもやづくり)・本瓦葺の二階建てで、門扉の上には石落を設けていた。昭和二十年(一九四五)、空襲により焼失した。』と記されています。(同上)
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城内から眺めた、国の重要文化財の『東南隅櫓』の建物光景です。普段は立入り禁止ですが、時々、内部公開されます。その時に見学したことがあります。二の丸址方面がよく見渡せました。(同上)
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『重要文化財・東南隅櫓』のタイトルの立看板です。少し拾い読みしますと、古名は辰巳櫓、かつては北側と西側に、多門櫓が続いていたと紹介されていました。昭和27年(1952年)の修理で分かった、過去の修理履歴も紹介されていました。(同上)
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