2017/02/16 - 2017/02/16
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梅の花の開花に合わせて見学した名古屋城です。那古野城址、梅の花と本丸御殿見学の三つの目的でした。暖かい日でしたから、活発に動き回る鳥さん達の姿もありました。(ウィキペディア)
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地下照名城線の市役所駅で降りて、東門から名古屋城に向かいました。石垣だけになった名古屋城の東門の光景です。かつての縄張り図には、『二の丸大手門』、あるいは『東鉄門跡』などと記されていました。今渡っているのはお堀に架かる橋があった場所です。日本100名城の一つで、国の特別史跡に指定されている名城です。(同上)
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橋が架かっていた場所から眺めた南側方面の光景です。眼下に見えるのは、今は水が張られていない外堀の光景です。その前方に見えるビル群は、かつての名古屋城の三の丸辺りに建つ官庁街の建物です。かつての二の丸と三の丸の間のお堀です。(同上)
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イチオシ
外堀跡を渡り終えた、北側になる右手方面の石垣光景です。近年の改修の手が加わったのでしょうが、見事な切込み接ぎの石積です。(同上)
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南側から眺めた、二の丸庭園方面の光景です。かつては、二の丸御殿も建設されていたようです。かつての二の丸庭園は発掘調査されていますが、『那古野城』時代の遺跡は残っていないようです。(同上)
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通路脇にあった道案内の標識です。右手がの矢印が、入場した東門方面、左が本丸と本丸御殿の方面ですが、先に右に曲がって、二の丸庭園方面の見学です。後の名古屋城の二の丸辺りが、織田信長(1534~1582年)公が誕生したとされる、那古野城址になります。(同上)
(追記)織田信長公の誕生地は、従来は那古野城とされましたが、近年では津島に近い勝幡(しょばた)城説が揚力となりました。織田家が財を成した津島の港を擁していました。 -
『名勝・名古屋城・二の丸庭園』の文字が刻まれた石標の光景です。元和年間(1615~1623年)、二之丸御殿の造営に伴って同御殿の北側に聖堂(金声玉振閣)を中心として設けられました。その後改修が加えられた枯山水の庭園です。(同上)
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『二の丸茶亭』の案内標識の光景です。二の丸庭園跡の一角に設けられた、現代の茶席で休憩所です。金粉入りの抹茶などのメニューがあるようです。(同上)
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『那古野城址』のタイトルがあった、名古屋市教育委員会名の立札の光景です。大永年間(1521~1541年)に、今川氏親が築いたお城が始まりと紹介されていました。今川氏親(いまがわ・うじちか)は、戦国時代の武将、守護大名で戦国大名です。駿河今川家の9代当主でした。(同上)
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同じく、『那古野城址』のタイトルがあった、名古屋市教育委員会名の立札のズームアップ光景です。今川氏一族の今川氏豊が那古野城主でしたが、信長の父の織田信秀公が、天文7年(1538年)にこの城を奪い取りました。先に紹介した信長公の生誕とはずれがありますから、生誕の地を巡っては異説もあります。最近では、愛知県西部の愛西市と稲沢市の境にあった『勝幡城生誕説』が有力とされるようになりました。(同上)
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イチオシ
はっきりとは読み取れませんでしたが、『那古野城址』の文字が刻まれているらしい石碑の光景です。『那古』の2文字だけは読み取れました。(同上)
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二の丸址の光景です。木々の間から、現代建築の『二の丸茶亭』が見えてきました。文久2年(1862年)、尾張徳川家十四代藩主の義勝公は、独自の薬剤調合による湿式ガラス板写真技術により、名古屋城などの写真を撮影しました。その中に、名古屋城二之丸内の御殿や庭園などの珍しい光景が、現代まで残されました。(同上)
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この辺りは、現代の手が加えられた二の丸跡の庭園光景になるようです。見学用に石畳の通路が設けられていました。(同上)
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右手に見えていた枯山水風の石組の光景です。この光景は、以前に発掘された二の丸庭園の一部か、あるいはそのまま保存されてきた庭園かも知れません。近年に造られた庭園とはイメージが異なるようです。(同上)
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『二の丸茶亭』の建物光景です。近代建築の茶席ですが、周りとの景観を考慮した銅葺屋根と白壁の光景です。建物の高さも控えられているように見受けました。(同上)
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名古屋城内の二之丸庭園の創建当時の紹介です。築庭はニ之丸御殿の造営に伴う元和元年(1615年)頃とされ、初代藩主の義直公が傾倒する儒教思想を取り入れた庭園だったようです。南蛮練(ねり)塀で囲まれた中国風回遊式で、巨岩や園地の間に門、聖堂などの中国風建物や蘇鉄を配した異色の庭園だったようです。築山の周りには、尾張藩所縁の木曽の寝覚めの面影を写したとも言われます。(同上)
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二之丸庭園は、10代藩主の斉朝公が一橋家から入った文政年間(1818~1830年)頃に大きく改庭されたとされます。唐風庭園から、茶席などを加えた枯山水回遊式大名庭園となりました。明治になって、陸軍省が入り、築庭当時の建物はすべて失われました。(同上)
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明治になり、北庭部分が陸軍省名古屋鎮台将校集会所の北庭として残され、戦後は名古屋大学の中庭として利用されて残存しました。当初よりかなり改変されたようですが、築山や大形の庭石、青石を用いた石組等が残存していることなどから、昭和28年(1953年)、国の名勝に指定されました。指定の内容は、桃山時代の慶長年間の『大名庭園』です。(同上)
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二の丸庭園跡の東の境界辺りになるようです。これより東は、二の丸東庭園のエリアになります。発掘調査がされた場所らしい穴の周りが、竹垣で囲われていました。名古屋市の発掘調査に関する公式HPによれば、2015年に発掘調査が行われた場所のようでした。(同上)
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上から見下ろした、二の丸庭園の光景です。国の名勝に指定されたのは、昭和28年(1953年)3月のことです。全国では180箇所以上の庭園が国の特別名勝、あるいは名勝に指定されていますが、愛知県では名古屋城の二の丸庭園だけです。(同上)
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枯山水の庭園ですから、河床を模した場所には丸い小石が敷かれています。水を流しませんので、防水工事は不要のようです。(同上)
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枯山水の川に架かった石橋の光景です。二枚の長い石板が並べられていました。渡った先が築山のようです。立入りはできませんでした。(同上)
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イチオシ
青石と呼ばれる名石が使われている石組のようです。どちらから青石が運ばれたかは分かりません。現代でも、緑泥石片岩などの青石は、産地によって秩父青石、伊予青石、紀州青石などと呼ばれ、庭石として珍重されています。(同上)
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江戸時代には、二之丸庭園の中には6~7の茶室があったとされます。これらの茶室跡も発掘調査の対象となっています。2015年の調査では、その内の二つが調査対象と、名古屋市の公式HPに記されていました。(同上)
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二の丸庭園跡の発掘調査を物語る光景です。かつての庭石を、楠らしい大木の根が抑え込んだ光景です。その楠からは、小さな芽吹きの光景もありました。国の名勝に指定された後の発掘調査のようです。(同上)
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昭和42年に名古屋市によって主要部が整備公開され、さらに残されていた東部分も整備され、昭和54年に全面公開されました。現存する数少ない大名庭園の一つとして貴重とされます。指定面積は、5千百平方メートル余です。(同上)
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二の丸庭園の平面図には、権現山や栄螺山など、いくつかの築山が記されていますが、この山は権現山でしょうか、南面に石段が設けられていました。(同上)
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二の丸庭園の樹木の光景です。庭木として育ってられたものではなく、自然に育った木々も多いようです。二の丸庭園の復元のためには、育ち過ぎた木々の除去も必要なようです。昔、京都の庭園などで耳にしたのは、何百年経っても庭園の光景は代わりませんとの説明でした。適切な剪定により、樹木が大きくなり過ぎないようにコントロールされているためでした。(同上)
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二の丸庭園エリアの芝生と庭木ではないと思われる樹木の光景です。芝生の部分は、明治時代に入り、二の丸御殿関係の建物が撤去された跡かも知れません。(同上)
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同じく、二の丸庭園エリアの光景です。右手奥に『二の丸茶亭』の建物が見えています。江戸時代の建物は失われましたが、文久2年(1862年)、尾張徳川家十四代藩主の義勝公が撮影した写真記録は貴重な資料となっているようです。(同上)
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二の丸庭園には、現在も発掘調査場所があり、行止まりの個所がありましたから、元来た道を引き返しました。その途中の庭園光景です。(同上)
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