2017/01/15 - 2017/01/15
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koumeさん
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今シーズン初めて本格的な雪となった京都。
明治新政府に召し上げられたかつての南禅寺の敷地に建てられた15邸の別荘の一つで、現在も常時拝観できる旧山縣有朋が所有していた無鄰菴を訪ねてきました。
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地下鉄の東山駅で降りて、三条通から神宮道に入り平安神宮の大鳥居に向かい北上します。
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神宮道の雪景色。
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鳥居の少し手前、疎水沿いの仁王門通のさらに手前の細い道を東に入り、瓢亭別館の前を過ぎると無鄰菴はもうすぐ。
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朝粥で有名な瓢亭別館。すでに店開きされています。
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正面奥に無鄰菴の洋館が見えてきました。
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無鄰菴に到着。
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小正月のこの日、無鄰菴では餅花飾りや山縣有朋が愛した「椿」のしつらえとお茶席で訪問者を迎える催しが行われていました。
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七代目小川治兵衛作庭の東山を借景とした開放的な芝生の丘に琵琶湖疏水の水をを引き込み、浅い流れを配した池泉廻遊式庭園も、雪のこの日はご覧のとおりの風景となりました。
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雪に覆いつくされた庭を歩きます。
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疎水から引き込まれた水の冷たさにさらされた石も凍えているようでした。
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北国の冬空のようにも見える無鄰菴の庭から見たこの日の京都の空。
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ぐるりと庭園を巡り、正面に見える母屋に向かいます。
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母屋に入り、ここまで来た道を眺めます。
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白銀の世界にも赤くじっと耐える。
生あるもののたくましさを感じることができました。 -
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開け放たれてはいるもののやはり母屋のなかはずいぶん暖かく、山縣有朋が好んだとされる椿の花の設えがさらに寒さを和らげてくれるようでした。
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抹茶と和菓子をいただきました。
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こちらの和菓子も椿かな?
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抹茶と和菓子いただきながら眺めた無鄰菴の庭
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紅葉が往き、風景が白銀の世界に一変しても南天はただひたすら赤く。
母屋の中からもそんな姿を見つけることができました。 -
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新年らしく餅花飾り。そして椿。
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母屋で少し温まった身体でもう一度庭を逆周りに巡ることにしました。
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日差しが強くなってきました。
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強くなった日差しを受けて生き生きとしてきたように見えます。
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庭への出入り口の近くにある茶室。
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薮内流燕庵をもした茶室と紹介されていました。
調べてみると薮内流は千家とは違う茶道の流派で、利休の侘び茶に古田織部の武家茶の影響を受けたもののようです。 -
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茶室の前から見た母屋。
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茶室のすぐ近くにある洋館。
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無鄰菴のこの洋館は、1903年(明治36年)4月21日に日露戦争開戦前、山縣有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の四人で、対露政策について話し合われた場所として知られています。
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洋館側みた茶室。
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無鄰菴の玄関口から見た洋館。
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無鄰菴を出て通りから塀越しに洋館を眺めながら帰路につきました。
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この旅行記へのコメント (11)
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- Salaamさん 2017/02/07 02:25:57
- 雪に南天
- koumeさん、先日は旅行記に投票ありがとうございます!
大雪に見回れた京都に行かれたのですね。
半分京都の血が流れているはずなのですが、雪の京都を巡った記憶がとんとありません。
こうやって拝見すると良いものですね!
特に真っ白な雪に栄える真っ赤な南天の実がなんとも可愛らしい。
そして陽が射した庭園内の小川も不思議と暖かさを感じます。
街路樹の片面だけが雪に晒されていた様子を見るとなかなか強い横風の吹雪だったのでしょう。
まだまだ寒い日がある事でしょうが、お風邪を召されず、良い旅を〜!
Salaam
- koumeさん からの返信 2017/02/07 20:00:26
- RE: 雪に南天
- Salaamさん こんばんわ。
こちらこそありがとうございます。
わたしども京都で生まれ育ったわけではないのですが、縁あって京都に住み始めもう30年近くになります。
しかし、京都の街をあちこち歩き回るようになったのは6〜7年前からのことで、たまたまどなたかの4Tの旅行記を拝見し、「へぇ〜京都にこんなところがあるんだ。」って気がついてからです。
しかし、さすがに6〜7年続くといくら京都でもそろそろネタ切れの感ありの状況ですが、これからも自然体で街歩きを続けたいと思っております。
雪といえば今週末もしかしたら京都でも…という感じですので、またどこかで雪景色が見れたらなんて思っています。
同じような旅行記が続きますが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
koume
> koumeさん、先日は旅行記に投票ありがとうございます!
>
> 大雪に見回れた京都に行かれたのですね。
> 半分京都の血が流れているはずなのですが、雪の京都を巡った記憶がとんとありません。
> こうやって拝見すると良いものですね!
>
> 特に真っ白な雪に栄える真っ赤な南天の実がなんとも可愛らしい。
> そして陽が射した庭園内の小川も不思議と暖かさを感じます。
> 街路樹の片面だけが雪に晒されていた様子を見るとなかなか強い横風の吹雪だったのでしょう。
>
> まだまだ寒い日がある事でしょうが、お風邪を召されず、良い旅を〜!
>
> Salaam
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- ラクパグさん 2017/02/06 16:53:14
- いつも ありがとうございます。ラクパグです
koumeさん 無鄰菴の 雪景色 美しいですね。
凛とした 雰囲気で ゆったりした時を 過ごす。
とても 贅沢な 時間です。
毎日 雪だと 大変ですが 時々 降ってくれると
感動の景色になりますね!
舞妓さんの 旅行記 見させていただきました。大変なんですね。
以前 渡月橋で 舞妓さんと ツーショットできるイベントが
ありまして 私と 我が家の パグと 写してもらいました。
今年で 8歳です。
かわいいと 言われて 舞い上がってしまいました。
小梅ちゃんですか。 上手に 自転車に かわいいです!
これからもよろしくお願いします。 ラクパグ
- koumeさん からの返信 2017/02/06 18:48:19
- RE: いつも ありがとうございます。ラクパグです
- ラクパグさん こんばんわ。
いつもありがとうございます。
紅葉ならば色づき具合には違いがあるもののシーズンの間はどこかで出会えますが、京都の雪だけはいきなりドカンと積もって、2,3日で消えてしまうことが多いのでタイミングが合わず写真に収められないこともたびたびです。
この日は土曜日で特に予定もなかったので、出かけることができて、めったに見られない風景に出会えることができました。
小梅はこの2月で13歳になります。年齢の割に太めで元気だったのですが、12月に体調を崩し、手術をしました。
今はおかげさまで元気を取り戻しましたが、食事制限ですっかりほっそりしてしまいました。
今の体型が本来のジャックラッセルテリアの体型なのですが。
なんとか今年も誕生日を迎えることができそうでありがたいことです。
koume
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- モチさん 2017/01/29 13:36:57
- やっぱり京都は素敵ですね。
- koumeさん
こんにちは、いいね有難うございます。
20年程前、洛北高校前の疎水近くで下宿をしておりましたので、
大変懐かしく思いました。
隙間だらけのボロボロの木造文化住宅ですが
今でもあるんでしょうかねぇ?
(お金がなく電気やガス、水道まで止められた記憶が…)
まだまだ知らない京都が沢山あるようですね。
これからもじっくりと拝見させて頂きます。
宜しくお願い致します。
- koumeさん からの返信 2017/01/29 18:54:18
- RE: やっぱり京都は素敵ですね。
- モチさん こんばんわ。
こちらこそありがとうございます。
洛北高校の前を通る下鴨本通のあたりはあまり街の様子は変わっていないように思います。
北大路通と交差するあたりの周辺には20年前と比べてラーメン屋さんが増えたかもしれません。
変わらないといっても、洛北高校自体は近隣にお住いの頃は改築前だったのではないでしょうか。
学校は改装され、今風の姿になっております。附設の中学校もできて中高一貫教育が行われ、かつて湯川秀樹氏、朝永振一郎氏の2人のノーベル賞受賞者を輩出した名門高校が再び進学校を目指しているようです。
koume
> koumeさん
>
> こんにちは、いいね有難うございます。
>
> 20年程前、洛北高校前の疎水近くで下宿をしておりましたので、
> 大変懐かしく思いました。
>
> 隙間だらけのボロボロの木造文化住宅ですが
> 今でもあるんでしょうかねぇ?
> (お金がなく電気やガス、水道まで止められた記憶が…)
>
> まだまだ知らない京都が沢山あるようですね。
> これからもじっくりと拝見させて頂きます。
>
> 宜しくお願い致します。
>
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- tadさん 2017/01/28 14:10:33
- うなるだけの雪景色
- まいりました。。雪がちゃんと京都は降るんですね。絶景です。
ただ、1903年の会談の場所ですか。。。1902年に日英同盟が締結され一気に鉄製の軍艦や最新のアームストロング砲などが英国から大量に購入されますね。日露戦争の準備が着々と進められていた時期です。ロシアの旧式軍艦は敵ではないことが専門家にはわかっていたでしょう。。伊藤博文はなんとか開戦を止めようと努力していましたが無駄でした。。つい、きな臭い話になりました。お許しください。
- koumeさん からの返信 2017/01/28 17:21:55
- RE: うなるだけの雪景色
- tadさん こんにちわ。
明治維新による我が国の政治体制の大変革により、京都は翻弄され政治の舞台から大きく取り残されたことからすれば、この無鄰菴会議は非常に稀有な出来事かもしれません。
しかし、政治の中心が東京に移ったという変革がその後の京都の運命を大きく変えたことは間違いないと思います。
首都が京都であり続ければ、今の京都の風景はなかったのではないでしょうか。
koume
> まいりました。。雪がちゃんと京都は降るんですね。絶景です。
>
> ただ、1903年の会談の場所ですか。。。1902年に日英同盟が締結され一気に鉄製の軍艦や最新のアームストロング砲などが英国から大量に購入されますね。日露戦争の準備が着々と進められていた時期です。ロシアの旧式軍艦は敵ではないことが専門家にはわかっていたでしょう。。伊藤博文はなんとか開戦を止めようと努力していましたが無駄でした。。つい、きな臭い話になりました。お許しください。
- tadさん からの返信 2017/01/28 21:59:05
- RE: RE: うなるだけの雪景色
- > tadさん こんにちわ。
>
> 明治維新による我が国の政治体制の大変革により、京都は翻弄され政治の舞台から大きく取り残されたことからすれば、この無鄰菴会議は非常に稀有な出来事かもしれません。
>
> しかし、政治の中心が東京に移ったという変革がその後の京都の運命を大きく変えたことは間違いないと思います。
>
> 首都が京都であり続ければ、今の京都の風景はなかったのではないでしょうか。
>
> koume
>
政治的に江戸が中心になったのは川幕府からでしょう?京都では関ケ原以降、政治らしいものがあったのは幕末の一時期だけだと思いますが。。そのお陰で京都らしさが保たれたような気がしますが。。明治政府になって皇室が東京に移ったのは確かに大変化をもたらしたのでしょう。近代国家となってから、京都が首都を担うのは地勢的に無理があるような気がしますが、どうでしょうか?古い建物や庭園は軒並み破壊されたかもしれませんよ。。京都は今のままであってほしいと私などは思いますが。。。文化庁を京都に移す案が検討されているようですが、そういう機能の移転はいいと思いますね。一方的ですか?
- koumeさん からの返信 2017/01/29 05:51:31
- RE: RE: RE: うなるだけの雪景色
- tadさん おはようございます。
tadさんのおっしゃるとおりですね。
政治機能が京都から江戸に移ったわけではなく、徳川慶喜から大政奉還された当時京都にお住いの皇室がどこに住まわれるかということですね。
大久保利通が最初考えた大阪遷都であれば、皇室は京都に残られたでしょうが、結局江戸に決まりました。
徳川幕府を武力で倒そうとした薩長ですが、名目は天皇親政による政治の転換でしたから
江戸に政治の中枢を置くと決めたからには天皇にお越しいただければならないということですね。
京都に政治機能を置くとなれば、土地の確保の問題でいえば、それこそ無鄰菴のように岡崎近辺に寺領を有していた南禅寺や祇園界隈に広大な領地を有した建仁寺から完全に土地を召し上げてこのあたり一帯に置くなんてことをしなければならなかったですね。
平安神宮も岡崎に造る余裕はなかったかもしれません。
土地の問題もさることながら、薩長の藩士たちにとっては京都よりも、巨大で賑やかな江戸の町が憧れであり住みたかったのかもしれません。
koume
> 政治的に江戸が中心になったのは川幕府からでしょう?京都では関ケ原以降、政治らしいものがあったのは幕末の一時期だけだと思いますが。。そのお陰で京都らしさが保たれたような気がしますが。。明治政府になって皇室が東京に移ったのは確かに大変化をもたらしたのでしょう。近代国家となってから、京都が首都を担うのは地勢的に無理があるような気がしますが、どうでしょうか?古い建物や庭園は軒並み破壊されたかもしれませんよ。。京都は今のままであってほしいと私などは思いますが。。。文化庁を京都に移す案が検討されているようですが、そういう機能の移転はいいと思いますね。一方的ですか?
- tadさん からの返信 2017/01/29 09:47:10
- RE: RE: RE: RE: うなるだけの雪景色
> tadさん おはようございます。
>
> tadさんのおっしゃるとおりですね。
>
> 政治機能が京都から江戸に移ったわけではなく、徳川慶喜から大政奉還された当時京都にお住いの皇室がどこに住まわれるかということですね。
>
> 大久保利通が最初考えた大阪遷都であれば、皇室は京都に残られたでしょうが、結局江戸に決まりました。
>
> 徳川幕府を武力で倒そうとした薩長ですが、名目は天皇親政による政治の転換でしたから
> 江戸に政治の中枢を置くと決めたからには天皇にお越しいただければならないということですね。
>
> 京都に政治機能を置くとなれば、土地の確保の問題でいえば、それこそ無鄰菴のように岡崎近辺に寺領を有していた南禅寺や祇園界隈に広大な領地を有した建仁寺から完全に土地を召し上げてこのあたり一帯に置くなんてことをしなければならなかったですね。
> 平安神宮も岡崎に造る余裕はなかったかもしれません。
>
> 土地の問題もさることながら、薩長の藩士たちにとっては京都よりも、巨大で賑やかな江戸の町が憧れであり住みたかったのかもしれません。
>
> koume
>
京都は日本伝統文化の中心地のままであってほしいですね。私の大好きなフィレンツェを上回る規模の文化都市です。ただ、観光地化されているので、どうしても、非生産的な維持が中心活動になりがちですが、京都大学、国際日本文化研究センターなどに文化庁などが加われば知的な面での維持や活性化もできますね。
京都には私も数週間くらい滞在してゆっくり庭園などを鑑賞して歩きたいのですが、宿泊設備が不足しているようです。airbnbなども含めて何度も安い長期滞在場所を捜しています。koumeさんがうらやましいのは気楽に京都を楽しんでいらっしゃるからです!
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