2016/12/08 - 2016/12/14
442位(同エリア976件中)
ミズ旅撮る人さん
- ミズ旅撮る人さんTOP
- 旅行記616冊
- クチコミ149件
- Q&A回答23件
- 797,724アクセス
- フォロワー42人
1週間で、4か国・10か所のクリスマスマーケットを訪れるという無謀なツアーに参加しました。
訪問国は、クロアチア・スロヴェニア・オーストリア・イタリアです。
第3回目は、クロアチアの首都ザグレブの「聖母被昇天大聖堂」が中心となります。
旧市街の聖カトリーヌ教会と聖マルコ教会は、内部が解放されておらず、覗き見しただけでしたが、大聖堂はネオ・ゴシック様式の内部を堪能することが出来ました。
13世紀から建設が始まり、中断・再開を繰り返して、17世紀に、バロック様式の教会として完成しました。しかし、19世紀末に火災に遭い、再建されました。
やや明るめで、すっきりとした教会内部の主祭壇には、大司教の墓が置かれています。壁には、キリル文字の
原形となった珍しい「グラゴール文字」が刻まれています。ステンドグラスも繊細な絵柄で、見応えがあります。
大聖堂の外に出ると、すぐそばに16世紀に造られた城壁の一部が残っていました。
最後に、イェラチッチ広場のクリスマスマーケットを少し紹介します。
クロアチア・ザグレブの旅行記の最後になります。次は、スロヴェニアに行きます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
PR
-
1926年から設置されているドラツ市場から見る大聖堂。
毎日朝7時から始まり、平日は15時頃、土日はお昼過ぎに閉まります。冬はこのように、開けっ広げな風景ですが、夏は各店が赤いパラソルを広げます。赤いハートとともにザグレブのシンボルとなっています。
ここから、大聖堂までは歩いても、数分の距離です。2本の塔のある方向に向かえば、すぐに大きな交差点に出て、大聖堂は目の前に建っています。 -
ドラツ市場から交差点に出て来ました。真ん中に金色のマリア像があります。
ホーリー メアリー モニュメント モニュメント・記念碑
-
交差点の手前から撮ったのですが、尖塔の突端が入りませんでした。
ザグレブ大聖堂 (聖母被昇天大聖堂) 寺院・教会
-
大聖堂だけで、撮り直します。残念ながら、現在修復工事中です。
ちゃんとカバーにも塔のコピーがプリントしてあるのがいいですね。
大聖堂は、1880年の大火災で焼失してしまいました。それをドイツ人建築家のヘルマン・ボレーが設計して再建されました。
しかし、その時に使った資材が、質の悪い砂岩だったため、劣化が激しく、現在、丈夫な石灰岩で修復している最中だということです。 -
こちら側はすでに修復工事を完了したらしく、しっかりとした外観になっています。
-
しかし、横から見るとまだ足場が組まれています。
現在、建っているものをその状態で石材を交換するのですから、手間と時間が掛かるのですね。 -
大聖堂の左側には、16世紀初頭に、オスマン・トルコの侵入を防ぐために造られた城壁が残っています。
-
この塔を見ると、エストニアの首都タリンにある通称「太っちょマルガレータ(海洋博物館)」を思い出します。
こちらの塔の方が、彼女よりはスマートなんですがね。 -
城壁に付いている時計については、近くにこんな説明板があります。
「1880年11月9日に発生した地震は大聖堂に深刻な被害をもたらし、ザグレブの時計を止めました。
大聖堂の時計は7時3分3秒で止まっています」
現在の塔の時計は、ちゃんと現在時刻を表示しています。「大聖堂の時計」とは、城壁の時計を指すのでしょう。
「大地震ののち、150人の石工たちが1901年に完了するまで大聖堂の再建のために働きました。しかし、残念なことに、数十年の間に、石が風化しました。共産主義(旧ユーゴスラヴィア)の時代、カトリックの重要な建物を放置したため、大聖堂の柱は、この古い柱のようになってしまいました。」
「1990年から二度目の修復工事が始まりました。傷んだ石を取り除き、新しいものに交換して元通りにしました。目の前にある石がそうです。2011年、720個の石が交換されました。」 -
城壁のそばに、赤い服を着て箒を持っている人がいますが、その人のそばに見える小屋のような建物が公衆トイレです。
ところで、説明板では「大地震(earthquake)」とあります。
日本での観光案内には「大火災」などと書かれています。
地震の後に火災がおこったのかもしれませんが、丘の上の聖マルコ教会も同じ時に失われているので、大聖堂崩壊の原因は地震のようですね。 -
20世紀に入ったばかりの頃に再建されたとはいえ、大聖堂の正面玄関は、実に細かい彫刻で飾られています。
-
下部の大写しです。細かいレリーフが、隙なく縁取っています。
古い時代らしい粗削りな所がなく、それがちょっと味気ない気もしますが、ゴシック様式を踏襲した完成された作品です。 -
天使の顔の下に「ΑΩ」という文字があります。
新約聖書の「ヨハネの黙示録」に、神が「Α(アルファ)であり、Ω(オメガ)である」と述べたという記述があります。
ギリシャ文字の最初の文字「Α」と最後の文字「Ω」であることから、「すべて」「永遠」という意味を持ちます。
簡単に言えば、「全知全能の神」を表す記号なんですね。 -
アーチの上の彫刻です。中央のキリストの手にしている本にも「ΑΩ」の文字が見えます。
そのキリストの頭の上には2006の文字が刻まれています。大聖堂の正面玄関が修復された年でしょう。
さあ、中に入りましょう。 -
拝廊の低いアーチの向こうに身廊・内陣が続きます。
手前のガラスケースには、劣化したかつての大聖堂の石が展示されており、「大聖堂の修復のために」と書かれています。もちろん、これは寄付金箱です。 -
「ネオ」とはいえ、ゴシックらしい垂直方向の性質の強い内陣です。
-
シャンデリアも、見事な意匠で、照明が灯された時を見たいです。
かつてはロウソクを灯したのでしょうが、今では電灯ですね。 -
説教壇。色とりどりの石材をふんだんに使った、豪華なものです。
下にいる天使は、説教壇を支えているわけではないんですね。なんで、そんなポーズ? -
クロアチアのキリスト教の総本山と言える大聖堂ですから、新しく再建されたとはいえ、収蔵品はなかなかのものです。
大聖堂の正式名称は「聖母被昇天大聖堂」です。だからもちろんマリア様が本尊です。この絵は、堂内でも最も敬われる対象です。 -
磔刑図は、もちろんどこにでも。
-
上を向いても、横を向いても、そして下を向いても、すごいです。
新しいだけあって、タイルが擦れてなくて、とても綺麗です。 -
ネオ・ゴシックは、とにかく天井が高いです。
-
高い天井に合わせて、ステンドグラスも縦長です。
-
この細長さが、高さを強調していて、いい舞台効果を生んでいます。
-
とにかく天井が高いです。
-
赤い大理石が、とても綺麗な祭壇です。特に屋根の形が独特でおもしろいです。
中の彫像はマリア様の方が相応しいと思うのですが、誰でしょうね。 -
この扉が閉まる形態の祭壇は、大聖堂創建当時のバロック様式を残しています。
-
拡大です。このマリア様は、かなり凛々しいお姿です。
-
反対側の翼廊にある、同じようにバロック様式の祭壇です。
-
内陣に近付きました。何か中央に置かれています。ガラス張りの棺です。
-
うわ~、誰かの蝋人形が安置されてます。
これは、アロイジエ・ステピナッツ(Alojzije Stepinac)大司教だそうです。
彼は、オーストリア・ハンガリー帝国時代までカトリックの国だったクロアチアで大司教となりました。
その後、ユーゴスラビア王国となり、セルビア正教が主流となるとそれに反発し、侵入してきたヒトラーを歓迎しました。
ヒトラーの傀儡政権として樹立したクロアチア国はカトリックだったからです。しかし、この政府のセルビア人への迫害に異を唱えるようになりました。
やがて、戦後旧ユーゴスラビアが成立し、ステピナッツ大司教は戦犯として軟禁され、そのまま死去しました。
クロアチアが独立した時に、彼の無罪が認められ、以来、大聖堂に殉教者として祀られることになりました。 -
内陣の向かって左側は、直に彫刻が取り付けられている、珍しい壁になっています。
「聖母被昇天大聖堂」なのに、ここのマリア様は、幼子イエスを膝に乗せた姿ばかりです。
「被昇天」の光景はどこに? -
ありました。「被昇天」の絵が一枚だけ。1986の文字がありますから、新しく描かれたものですね。
先に昇天したイエスが、母マリアの死を予告しに来て、今、天国へと迎えている場面です。
玄関から入ってすぐ左側の壁にあります。普通は、内陣の正面を飾る絵のはずなんですが・・・ -
ご覧のように、内陣の奥は、綺麗なステンドグラスだけです。
-
一応、真ん中のステンドグラスは、「聖母被昇天」の絵柄です。
-
真ん中の鳩は、聖母マリアの純潔の象徴です。
-
このステンドグラスは、たいへん綺麗なので、上部の花の部分もアップにしてみます。
-
振り返ると、シャンデリアの向こうに、パイプオルガンも見えます。バラ窓が半分隠れてしまうのが残念です。
修復された大聖堂は、内装の色彩がとてもハッキリしていて、古式ゆかしい教会では見る事の出来ない本来の姿を見ることが出来ます。 -
内陣に向かって左の側廊に、棺のあったステピナッツ大司教とイエス・キリストを描いたレリーフがあります。
クロアチアの彫刻家イヴァン・メシュトロヴィッチによる作品です。また、ステピナッツ大司教の名誉が回復した後の2011年、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世がここに来て祈りを捧げています。 -
先程のと同じ外枠に、違うレリーフが入っています。
-
誰が見てもわかる「最後の晩餐」ですね。
-
この祭壇は、聖人を取り囲む天使たちの絵が、アールヌーボーっぽくて好きです。
-
玄関を入ってすぐ右側の壁一面に大きく文字が書かれています。
これは「古代グラゴール文字」です。
文字を持たなかったスラブ圏に布教するため、ギリシャ人の聖職者キュリロスが、弟子のメトディウスとともにギリシャ文字から考案しました。
これが、やがてロシア語やブルガリア語で使用されるキリル文字となって行きます。 -
大聖堂の内陣には何もないと勘違いさせてしまいそうでした。ちゃんと主祭壇があります。
信者の皆さんが一心に祈っているのに、その正面で主祭壇の写真を撮るのが憚られるので、遠く離れてからこっそり撮ります。
このマリア像も、キリストを抱いています。イエスあってのマリアですから当然なのでしょうね。 -
あっ、でも見られちゃった。ごめんなさい。お邪魔しました。
-
大聖堂の見取り図があったので、添付しておきます。
さあ、これで大聖堂の見学は終わりです。 -
大聖堂を出て左側に、緩やかな下り坂があります。Vlasa通りです。行ってみましょう。
-
Augusta Cesarca通りと合流する、ヨーロッパ広場(Trg Europe)です。ここでもクリスマスマーケットをやっています。
ヨーロッパ広場 広場・公園
-
クリスマスグッズ満載の店。
-
赤や紫のハートは蝋細工で、いい匂いがします。
-
今朝、バスで着いた時とは、随分雰囲気が変わりました。
誘われるままに真っすぐ歩いて見ましょう。 -
街中で良く見掛けるクロアチアのスーパー「KONZUM」。
既に手持ちのクーナがないので、中には入らなかったのですが、覗いて見ればよかったな。
窓清掃のお兄さんが、三輪自転車でやって来ました。 -
ショーウィンドウには、ザグレブの象徴である赤いハート「リツィタル」をあしらった人形が飾られています。
-
ウィーンの一角にでも建っていそうなユーゲントシュティール(アールヌーボー)様式の立派な建物がありました。
隣は解体されてしまったのか、剥き出しのレンガの壁が侘しいです。 -
Palmoticeva通りを渡って、 Vlaska通りはまだ続きます。
小さな広場になっていて、誰かが柱にもたれています。 -
ちょっと見づらいのですが、柱には薄く浮き彫りがされています。
-
こういうものを見つけるのも、街歩きの楽しみです。
-
大きな通りに出ました。左から来たSostariceva通りをぶつかって、Vlaska通りは右に曲がります。
正面に見えるスパー(spar)は、ヨーロッパのどこにでもある大手スーパーです。 -
大通りとなったVlaska通りには、トラムヴァイが通っています。
せっかく一日券を持っているので、近くのDraskoviceva駅から乗って
イェラチッチ広場に戻りましょう。
11・12・14番のトラムヴァイで行かれます。 -
懐かしの「P」マーク。イェラチッチ広場に戻りました。
朝はまだクリスマスマーケットが開いていなかったので、人影もまばらでしたが、さすがに昼間になって、人の姿が増えました。イェラチッチ広場 広場・公園
-
Pマークの建物は「ザグレブ銀行」が入っています。
-
これがクリスマスマーケットの入り口。背後にドイツ系百貨店のミューラー「Muller trgovina Zagreb」が見えます。
Muller ショッピングセンター
-
スノードーム風に展示したシトロエンの車。
-
ザグレブは気温が割と低い街で、12月は最高気温で2~3℃、最低はもちろん氷点下だということです。
たまたま私が訪れた時は、一桁後半くらいの気温はありましたが、平均して寒い街のようです。
それなのに、なぜわざわざクリスマスマーケットの会場に、雪景色を再現するんでしょう?
これは、イミテーションであって、実際には雪は無いです。 -
サラミが美味しいです。ぶら下がっているのは、マスタード・マヨネーズ・ケチャップです。
-
こちらには、生ハムが吊り下げられています。恨めしそうなピンクの豚。
-
ああ、しまった。美味しそうなサラミと生ハム。まさかクリスマスマーケットでこんなものをテイクアウト出来るとは。
既にドラツ市場で、クーナは使い果たしてきたので、買えません。なんて愚かな私・・・
日本は、こうしたものは持ち込み禁止なので、買って帰ることは出来ません。せめて、現地で食べておきたかった。 -
さて、今更ながらのイェラチッチです。この広場の名前でもあります。
広場が出来た当初は、オーストリア・ハンガリー帝国時代で、商品に掛けられた30%の「ハルミッツァ(ハンガリー語)」という税金の名前をそのまま付けていました。
その後、1866年に、クロアチアの独立のために戦ったイェラチッチ総督の銅像が建てられます。広場の名前も「イェラチッチ広場」になりました。
しかし、旧ユーゴスラビアとなり、「独立の闘士」と呼ばれるイェラチッチ総督の銅像は撤去されてしまいました。広場の名前は「共和国広場」と変えられます。
やがて1991年にクロアチアが独立すると、再び「イェラチッチ広場」に戻されました。
銅像も総督の誕生日に戻されたのですが、剣を振りかざした姿なので、現在のハンガリーのある方向を向かないように、逆向きに設置されたということです。イェラチッチ総督の騎馬像 モニュメント・記念碑
-
イェラチッチ広場で青いトラムヴァイを見るのも最後。集合時間まで、見納め撮影をします。
イェラチッチ広場駅です。 -
イェラチッチ広場駅の手前は、トラムヴァイの軌道がT字路で交わっているので、前後左右に確認が必要です。
今の車両は、ガタンガタンなんて音はしないので、スウ~っと近付いて来ます。
足元の軌道に気づかないと、思ってもみない場所でトラムヴァイに迫って来られてびっくりします。
ヨーロッパでは当たり前の風景ですが、慣れていない日本人は特に注意が必要です。 -
旧型の車両は、少し狭そうですね。乗ってみたかったな。
-
新型車両。巻き込み防止で車輪のある場所にカバーがしてあります。振動も少なくて、いい車両です。
-
そうは言っても、ノスタルジックを感じるのは、こちらの車両。最後に連続写真で行きます。
-
トラムヴァイが目の前でカーブする様は格好いいです。
-
ついつい連続写真を撮ってしまいます。
-
車体番号314の隣にザグレブ市の紋章が描かれています。
なるほど、聖マルコ教会の屋根のグラデッツの紋章とは色違いですね。(第2回参照) -
それでは、ザグレブに来て最初に目にして嬉しかった、ツーリストインフォメーションの「観光案内所」の文字を最後に、クロアチア・ザグレブを後にします。
次回は、ザグレブから140km離れたスロヴェニアの首都リュブリャナの夜のクリスマスマーケットです。
ドイツとは違う、ちょっと現代調の華やかなイルミネーションが、とても素敵でした。ご期待あれ。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ミズ旅撮る人さんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ザグレブ(クロアチア) の人気ホテル
クロアチアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
クロアチア最安
567円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
77