2016/09/29 - 2016/09/30
431位(同エリア594件中)
三峯霧美さん
いつもの友人たちと戸隠五社巡りに行ってきました。
紅葉の季節にはちょっと早い、微妙な時期、ずっとお天気が悪く心配していましたが、旅の二日目の午前中は奇跡的に天気が良くなり、予定を変更して、最高の戸隠奥社参拝ウォーキングを楽しみました。
早朝の鏡池のに映った戸隠山を堪能し、飯縄神社の御朱印も頂け、真田丸で話題の上田も寄ることができて、充実した二日間でした。
例によって、都内在住の友人達と西武線狭山市駅で待ち合わせから始まります。
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7:45 友人と西武新宿線狭山市駅で待ち合わせ、高田馬場駅からレッドアローに乗って来てもらいました。都内はやっぱり電車が早い!
圏央道狭山ICから上田ICへ。
11:15 上田城 駐車場がわかりにくい!
限定施設の大河ドラマ館や、テントの飲食店が並ぶイベントをやって、通常駐車場は満車なのに、臨時駐車場の案内看板がない(あったとしても良く分からん)ので、城の周りを一周してしまった。上田城 公園・植物園
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上田城は真田昌幸によって築城され、関ケ原で西軍に着いた昌幸は九度山に配流になり、城は徳川軍に破却されて堀も埋められてしまいます。
関ケ原の後に上田を領した真田信之は三の丸の跡地に屋敷を構え、城の再整備を幕府に申請しますが却下され、松代へ転封になります。
昌幸時代の上田城の構造は記録が無く分からないんだそうです。
堀から本丸を見ると、丸く凹んでいます。鬼門を欠いた造りになっています。上田城 公園・植物園
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東虎口櫓門にある「真田石」2.5×3mの巨石 昌幸が築城の際、柱石として据えました。
信之が松代に移るときに父の形見として持って行こうとしますが大勢の人夫の力でも動かなかったという伝説の石。
その後は小諸藩から仙谷氏が移封し上田城が新たに築城が始まりますが、仙石忠政の死により中断し、増築されないまま幕末を迎えます。
仙石氏は移封となり松平忠周が入封します。
千曲川の大洪水、善光寺地震などの被害でたびたび修復工事が行われました。 -
本丸南櫓
明治になり城の土地や建造物、樹木まで民間に払い下げられてしまいます。
櫓は1棟6円で分売されて、遊郭の貸座敷として使われました。
遊郭は昭和に入り廃業し、上田市へ寄贈の申し出がありましたが、多額の費用がかかるため放置されます。
その後保存運動が起こり太平洋戦争中に工事は中断しますが、戦後に南櫓と北櫓として完成します。上田城 公園・植物園
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本丸には眞田神社があります。
元は松平神社(しょうへいじんじゃ)と言い1879年に創建され、旧藩主の松平氏への報恩のため初代から三代までの御霊を祀りました。
第二次大戦後、先代の城主も併せて祀ることが望まれ、上田神社として改称しますが、かつて市内に同名の他社があったため、1963年に眞田神社として再度改称しました。真田神社 寺・神社・教会
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平日なのに大勢の参拝客がいるのは、やっぱり大河ドラマとタイアップイベントの効果でしょう。しかし平均年齢は70歳くらいで年配の方ばかりです。皆さんお元気ですね。
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祀られた真田昌幸、幸村親子にあやかり、知恵と勇気のご利益があります。御守りは不落城として不落城合格守、必勝守などがありました。
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御朱印を頂きました、こちらが通常の御朱印。
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2016年は見開きの特別御朱印の領布があり、実はこの御朱印を頂くために上田城まで来たわけです。
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12:00 生島足島神社 いくしまたるしまじんじゃ 式内社(名神大社) 別表神社
上田に来たら、この神社をお参りしないわけにはいきません。
創建は不詳 祭神は 生島大神 足島大神生島足島神社 寺・神社・教会
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生島大神は万物を産み育てる生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神。
建御名方富命が諏訪に向かっていたときに、ここで生島神、足島神に米粥を煮て献じたことから地主神とみられています。
科野国造が宮中から両神を勧請したともいわれています。 -
本殿は神池に囲まれた神島に立っていて、内殿は床板がなく大地そのものが御神体として祀られています。
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神橋は御籠祭の際、向かい合わせに建つ諏訪神社の神様が遷座するときだけ開かれるそうです。
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本殿の中の内殿は覆屋として現本殿が建てられるまで本殿として屋外にありました。内殿は室町時代の造営とされています。
本殿は北向に建っていて、近くの北向観音との関連があるのでしょうか? -
摂社諏訪神社 1610年に真田信之の寄進により再建。
祭神 建御明方富命、八重事代主命、八坂刀売命 -
諏訪神社の前には夫婦欅 樹齢800年 良縁子宝、安産子育、夫婦円満の御神木だそうです。
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御朱印を頂きました。 神社は日本の真ん中に位置し国土の守護神。
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12:30 ランチは神社の境内にある蕎麦屋さんで
蕎麦茶屋 生島の杜
店を探す時間がもったいないので、目の前にある店に飛び込んだわけで。そば茶屋 生島の杜 グルメ・レストラン
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友人が注文したく真田そばはくるみ汁、蕎麦の上に水にさらした大根が乗っている
食した本人は「大根邪魔」 -
田舎蕎麦 レタス・山菜・水菜・揚げ玉・かまぼこ・野沢菜にこちらも水にさらした大量の細切り大根が乗っております。
で、汁が薄い。蕎麦自体はのどごしを味わう感は無い田舎風のそばです。
蕎麦好きの友人は、先に野菜類を食べているので「どしたの?」と聞いたら「汁がさらに薄まるから先に食べてる」ですと。
サクッと食べて、早々に退散。 -
13:17 北向観音 駐車場から参道に向かう道 高い石垣の上に観音堂があるのですが、石垣の中ほどが膨れています。
地元の方が、近々工事が行われるって話だと言っていました。
この状態、地震が来ると一気に崩落する予兆だそうで、熊本城の石垣崩壊もこれが原因だそうです。北向観音堂 寺・神社・教会
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参道から観音堂を見る。
825年(平安時代初期)に円仁によって開創
800年代に火災の伝説が残っているそうですが、木曽義仲の兵火によって焼失し、源の頼朝により再興、江戸時代に火災で焼失し、現在の堂は1721年に再建されたもので、その後も増改築が行われています。 -
階段を登ると境内は山を切り崩してテラスのようになっていて、東側の眺望がすばらしい。
手水舎の流れるのは温泉で、別所温泉の源泉です。 -
本道が北向きなのは、ほとんど例が無く、南向きに建てられている善光寺と向き合っているために両方お参りした方が良いと言われるようになりました。
ご本尊は千手観音 -
温泉薬師瑠璃殿 以前は別の場所にありましたが湯川の氾濫で流され、189年に再建されました。
足元には別所にゆかりのある北原白秋の歌碑があります。 -
額堂に飾られた明治時代に奉納されたガラス張りの額。小さな針山のような、絹の布に綿が詰まったようなもので、地元の裁縫師の方の名前が書かれています。気になった友人がお寺の方に伺うと「着物の褄(つま)」と教えてくださいましたが、「ご存じでしょ?褄・・・調べてください」とにっこり笑われたそうな。
見た感じ、婚礼時に着用した打掛の端っこはこんな感じだったなと思ったら、やっぱり正解でした。奉納された時期からして、存命の方はいらっしゃらないでしょうが、まだまだふんわりとした褄は眺める人の目を楽しませています。 -
御朱印を頂きました、坂東、秩父、信濃の観音霊場の別格札所ということで、善光寺と合わせて結願した折には、再訪することになります。頑張ります・・・。
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参道のお饅頭屋さんでお土産を購入。やっぱ温泉に来たら当然まんじゅうだそうだ。
13:50 長野に向け出発 -
15:00 坂城ICから高速に乗り長野ICで降り、あまり通りたくなかった長野市内を北上し、やっとたどり着いた善光寺。
当初の予定では善光寺参拝は二日目の午前中でした、お寺の御朱印は午後3時ごろには受付が終了してしまうところがあるからです。善光寺(長野県長野市) 寺・神社・教会
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善光寺本堂の御朱印。これは限定御朱印で金色の字 書置きで紙の色は月によって変ります。
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こちらが通常の本堂の御朱印
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山門 今回も登らなかったので次回に持ち越し。
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山門の文殊菩薩の御朱印
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前回の参詣は御開帳の時だったので、御朱印を頂くのに4時間待ちでした。
臨時の御朱印窓口などもなく、平時に戻ったお寺は落ち着いてお参りができます。 -
御詠歌の御朱印
「身はここに心は信濃の善光寺 導き給へ弥陀の浄土へ」 -
おびんつるさんの御朱印。
撫仏 と書いてあります。
お釈迦様の弟子のひとりで病を治す神通力が強かったそうで、本堂の外陣に像があります。調子がイマイチの膝をなでてきました。 -
お戒壇巡りをしたことがない友人がいたので、28年ぶりにお戒壇巡りへ。
まずは内陣でご本尊と弥勒菩薩、地蔵菩薩をお参りし、階段でご本尊の下へ潜っていきます、本当に真の闇を手探りで進みます。
後ろに小学生のグループがいて、時々興奮して声を上げると、付き添いの先生に怒られてました。 -
おやこ地蔵
東日本大震災の被害者の追悼と復興支援のために作られた地蔵菩薩が安置されています。
津波被害のあった陸前高田の松原の松を使い作られ、親と子の二体の像は陸前高田市の普門寺にあんちされています。 -
復興支援のため、御朱印を頂きました。
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善光寺から東に城山公園の脇を進むと善光寺の守護神があります、
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健御名方富命彦神別神社 たけみなかたとみのみことひこかみわけじんじゃ 長い!
通称で水内大社 城山県社 彦神別神社といわれています。
式内社 名神大社(論社)
創建は不明
以前は善光寺境内にあり「年神堂八幡宮」と称していましたが、明治の神仏分離で現在の場所に遷座し改称しました。 -
延喜式に記載されていますが、他に2社あり、実際にはどこだかわからない。
祀る神様もそれぞれ解釈が違い、ここでは建御名方富命 -
御本殿 当然無人の神社ですが、近くの武井神社で御朱印がいただけるというので、時間が押しているため、翌日武井神社に行くことにしました。
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16:22 善光寺から戸隠方面へ山を登ります、28年ぶりの七曲りの山道を登って、戸隠バードラインに出たところに車を停めました。
飯縄神社の里宮へ参拝に行くのですが、駐車場が見当たらないので、目星をつけていた場所だったのですが、道路工事の現場事務所になってました。
他に停められる場所が無いので駐車して、神社に向かいます。 -
山の斜面に畑とリンゴ畑と民家が点在する集落です。山の間から長野市内が見えました。上空はどんよりと灰色の雲が垂れ込めている。
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16:29 飯縄神社 皇足穂命神社 すめたるほのみことじんじゃ
善光寺の御開帳の時に、善光寺と戸隠神社と飯縄神社で三大パワースポットという企画のテントがありました。
その時から気になっていた飯縄神社にお参りできました! -
全国に祭祀されている飯縄神社の惣社。こちらは里宮になります。奥社は当然飯縄山の山頂です。
由緒によれば、270年ごろ飯縄山に天神大戸道命を祀って飯縄大明神と称したのが起こりとされます。
その後は修験道の山となって、飯縄権現は戦勝の神様として中世の武将が信仰しました。上杉謙信の兜の前立てに飯縄権現像があるそうです。 -
中世から近世にかけては天狗やキツネなどを使う外法とされます。
飯縄権現の信仰については分からないことが多いそうですが、高尾山薬王院の本尊は飯綱権現なので、拝殿には高尾山のパンフレットが置いてありました。
参拝リストに名前を書きました。 -
山岳信仰発祥の神仏習合の神様ということです。
しかし同じ山岳信仰系の戸隠神社の規模とはえらい違いです。 -
祭神は 大戸道命 大戸辺命 保食命
1873年に 長野県庁から皇足穂命神社 すめたるほのみことじんじゃ の称号を与えられますが、式内社の同名神社とは関係ないでしょう。 -
長野市指定の大杉 落雷に合わず生き残った大杉です。
ひっそりと山里にある神社は当然無人。集落でも人に出会うことなく、駐車場に戻ります。 -
17:44 戸隠宝光社前 越志旅館
飯縄神社の宮司さんのご自宅です。事前に御朱印を頂く連絡を入れてあります。 -
茅葺屋根の旅館で、戸隠神社の宿坊でした。母屋に九頭竜神を祀った祭殿があるそうです。奥様らしき方に御朱印を頂きました。
次回はこちらに宿泊してみたい・・。信州戸隠高原 越志旅館 宿・ホテル
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書置きですが、いただけるだけでありがたいです。何しろ4人なので書き入れしていただくととても時間がかかってしまいます。
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17:35 本日の宿は飯綱高原のアルカディア
飯綱高原から戸隠高原は濃霧の中でした。ARCADIA ~ふたつとない景色~ 宿・ホテル
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お部屋は長野市内を見下ろす和洋室。ここも28年ぶりの宿泊で、以前本館だった建物は撤去されていて、周辺は少々寂れた雰囲気です。
スキー場は近いのですが、コレ!といった特徴のない高原リゾート。集客は苦労されていると思われます。
館内に大浴場があったら、もっとよかったのに。 -
お食事はバイキング、アルコール類も飲み放題。野菜の美味しさが際立ったお料理で、とてもおいしく頂きました。
以前の本館レストランは眺望がよかったですが、今のレストランは地下で窓がなく、綺麗なんだけど、圧迫感がある。 -
この日は友人の誕生日だったので、サプライズのケーキとシャンパンはお部屋でゆっくり楽しみました。
9時ごろになると、雲が切れ、星が見えてきたので、フロントでランタンを借りて駐車場で星空を見ました。ちょっと寒かった。
二日目はいよいよメインの戸隠五社巡りです!
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旅行記グループ 2016年 戸隠奥社参拝と長野ツアー 3日間
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