2016/12/02 - 2016/12/09
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旅の6日目は、ウィーンからハンガリーのブダペストにバスで移動し、午後はブダペストの観光、そして夜はお楽しみのドナウ川ディナークルーズ。
ブダペストは2回目ですが、重厚なマーチャーシュ教会や美しい漁夫の砦は、10年前と同じくらい感動的でした。
ブダペストは、1896年にハンガリー建国1000年を記念して建てられた建造物や施設が多く、見どころの多い街なので、前回とはまた違った印象です。
今回のツアーは、思ったほど寒くなかったし、 雪もなく、アッという間に8日間が過ぎた楽しい旅でした。
写真は、ライトアップされた「くさり橋」と「ブダ城」・・・ドナウ川ディナークルーズの一コマです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
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-
6日目は9時にホテルを出発し、一路、ハンガリーのブダペストへ。
オーストリアは水力発電、ハンガリーは火力発電が中心ですが、風力発電機もよく見かけます。 -
約1時間でオーストリアとハンガリーの国境へ・・・シェンゲン協定のお蔭で、バスはノン・ストップ。
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国境を越えてから、しばらくハンガリーの田園風景が続きます。
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約3時間でブダペストに到着。
窓からぶら下がるサンタさんが微笑ましいですね。 -
ところが、中心街に近づくと、大渋滞でバスは進みません。
これは、車窓から見えた「ブダ城(ブダ王宮)」・・・ブダ城は、1241年にモンゴル軍の攻撃で破壊された後、石造で再建されましたが、17世紀にオスマン・トルコの攻撃で再び破壊されます。
その後、バロック様式で再建されたのは、ハンガリーを支配したハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの命によるもので、1770年のことでした。
第一次・第二次世界大戦などで大きな被害を受けましたが、1950年代に修復され、1987年に「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」として世界遺産に登録。
現在は、美術館や博物館として公開されています。 -
聖イシュトヴァーン大聖堂の大きなドーム(写真中央)も見えてきました。
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ドナウ川に架かる「エルジェーベト橋」まで、やっと進みました。
大渋滞の原因は、この橋の中ほどで起きた交通事故。
今回のツアーのドライバーさんはハンガリー人でしたが、こんな渋滞は経験したことがないとのこと・・・約1時間遅れとなりました。 -
エルジェーベト橋から見える「くさり橋」。
ドナウ川が流れるブダペストの街の中心部には4つの橋があり、北から南へ向かってマルギット橋・くさり橋・エルジェーベト橋・自由橋の順で、王宮があるブダ地区(左側)と旧市街があるペスト地区(右側)を繋いでいます。 -
やっと昼食のレストランへ・・・何とこのレストランは、前回の旅行の時に夕食で訪れた「KALTENBERG」。
私は全く覚えていませんでしたが、夫はしっかり覚えていました。
地下に下りて店内に入ると、ビアホールのような雰囲気のレストランです。 -
レンガ造りの落ち着いた店内は、広くていい感じ。
前回の夕食の時は、アコーディオンとバイオリンの生演奏を聞きながら、自家製のビールを飲んだことを思い出します。 -
メインは、ハンガリー料理の「テルテットパプリカ(パプリカの肉詰め)」とハンバーグのような肉団子、しかも丸いジャガイモが4個・・・美味しかったのですが、満腹になりました。
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昼食後は、バスで英雄広場に向かいます。
これは「自由橋」・・・長さは333.6mで、幅は20.1m。
最初の自由橋は1896年に架けられ、1918年のハプスブルグ帝国崩壊まではフランツ・ヨーゼフ橋と呼ばれていました。
1945年にドイツ軍が爆破したため、1946年に掛け替えられた2代目の橋で、トラムも通っています。 -
橋の手前には「中央市場」があり、対岸は「ゲッレールト温泉」・・・両方とも前回の旅行で立ち寄りましたが、その時の写真です。
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バスはブダペストのメインストリート「アンドラーシ通り」を進みます。
通りの名前になっているアンドラーシ・ギューラ伯爵は、オーストリア=ハンガリー二重帝国が誕生した時、ハンガリー内閣の首相になった人物です。 -
「オペラハウス(ハンガリー国立歌劇場)」は、ハンガリーが世界に誇る欧州有数のオペラ劇場です。
この劇場は、1875年から10年の歳月をかけて1884年に完成しました。
欧州の多くのオペラ劇場が第二次世界大戦の被害を受けましたが、この劇場は幸いにも戦禍に遭いませんでした。
グスタフ・マーラー(1860~1911)が音楽監督を務めて黄金時代を築き、リヒャルト・シュトラウス、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどの巨匠達もここで客演指揮を執っています。 -
最初の観光は、アンドラーシ通りの突き当たりにある「英雄広場」・・・1896年、ハンガリー建国1000年を記念して建設された広場です。
1894 年に着工し、完成したのは何と1929 年のことで、3年後に英雄広場という名前がつけられました。 -
広場の中央にある「建国1000年記念碑」・・・高さが36mの白い円柱で、一番上には、右手に聖イシュトヴァーンの王冠、左手には大主教十字を握った大天使ガブリエルの像が飾られています。
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記念碑の台座を囲むように置かれている騎馬像は、895年にハンガリー人を率いてカルパチア山脈を征服したアールパードと、ハンガリーの7つの部族の長を称えた像です。
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記念碑の後ろにある列柱の上には、戦争と平和、労働と繁栄、学問と栄光を象徴する銅像が並んでいます。
左の像は「蛇と人 戦争の象徴」、右の像は「平和の女性像」。 -
記念碑の両脇には左右対称に柱廊が半円を描き、歴代の国王や独立戦争の指導者などハンガリー史上で活躍した人物の彫像が、左右7体ずつ並んでいます。
右側の柱廊の左から2番目の像は、マーチャーシュ1世の像。 -
中世ハンガリーの最盛期を築き、ルネッサンス文化を奨励したことでも知られるマーチャーシュ1世(1443~1490)。
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左側の柱廊の1番左の像は、初代ハンガリー王のイシュトヴァーン1世。
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イシュトヴァーン1世(969または975~1038)は、ハンガリーのキリスト教化に貢献し、カトリック教会では聖人とされています。
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英雄広場の両脇には、ブダペスト現代美術館とブダペスト西洋美術館が向かい合って建っています。
これらの建物は、ハンガリー建国1000年の記念行事として建てられたもので、向かって右にある現代美術館は1895年、左にある西洋美術館は1906年にオープンしました。
同じ建築家が造った建物で、どちらも正面はギリシャ神殿風のデザイン。
この現代美術館は現在、常設展示ではなく企画展用に使用されているそうです。 -
左側のブダペスト国立西洋美術館は、ハンガリーの貴族でハプスブルク帝国の大地主だったエステルハージ家のコレクションが元となっています。
ラファエロ、レンブラント、ルーベンス、ベラスケス、ゴヤ、ブリューゲルなどの作品が一堂に集められ、中でもエル・グレコの作品数はスペイン以外では最大だそうです。 -
英雄広場の次は「聖イシュトバーン大聖堂」へ・・・ハンガリー人の祖先にあたるマジャール人が、この地にやってきた896年の1000年目にあたる1896年の完成を目指して建設が進められましたが、途中で屋根が崩れるなど工事が進まず、1905年にようやく完成しました。
両側に聳える2本の尖塔は80m、中央のドームは96mの高さで、ドームに登るとブダペストの街を360度見渡すことが出来ます。 -
くさり橋からズリーニ通りの突き当たりにある聖イシュトヴァーン大聖堂は、その名の通り、1000年にハンガリー王国の初代国王となったイシュトヴァーン1世に捧げられたもの。
荘厳なファサードの上部には、12使徒が彫られています。
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聖堂の中は厳かな雰囲気に包まれ、主祭壇に祀られているのは、キリストではなく聖イシュトヴァーンの像・・・ハンガリーの人々にとって、聖イシュトヴァーンが如何に特別な存在であるかが窺えます。
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天井からの光が降り注ぐ主祭壇のドームには天使たちの絵が描かれ、白い大理石でつくられた聖イシュトヴァーンの像は、ハンガリーのシンボルである二重の十字架(宗教と政治を表す)を手に立っています。
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大理石の柱が、より荘厳な雰囲気を漂わせています。
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直径22m、高さ96mの巨大な中央のドームには、多くの窓があり、内部を明るく照らす仕組みになっています。
描かれているモザイク画は、ハンガリーを代表する画家ロツ・カーロイ(1833~1904年)の作品。 -
パイプオルガン。
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聖堂右脇の祭壇には、一人息子を狩りの事故で失い、ハンガリーの王冠を誰に託せばよいか、イシュトヴァーンが聖母マリアに尋ねている情景が描かれています。
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建物を飾るモザイク画や彫刻も素晴らしい!
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ステンドグラスも美しく輝いています。
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主祭壇の左手奥にある礼拝堂。
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礼拝堂には、1038年に他界したイシュトヴァーン1世の「聖なる右手」のミイラが安置されています。
遺体から失われていた右手がトランシルヴァニアで発見され、各地を転々としてから、1771年に女帝マリア・テレジアによってブダに戻されました。 -
200フォリントの寄付を横にある募金箱に入れると、墨のように黒くなった「聖なる右手」が約1分ほどライトアップされます。
キリスト教では右手が聖なる天国を表し、左手は地獄を意味します・・・ミサの時に神父が右手でパンを信者の口に運ぶのは、パンはキリストの肉体として、聖なる右手で取るべきもの、という教えからきています。 -
大聖堂の前には、クリスマス・マーケットが開かれていました。
大聖堂の正面階段下の小屋にはイエスの生誕を模した馬小屋が設置されています。 -
午後3時過ぎですが、大勢の人で賑わっています。
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ここのクリスマス・マーケットで一番のイベントは、大聖堂がスクリーンに早変わりする夜のプロジェクションマッピング。
ハンガリーの民族音楽に合わせて、3Dアニメーションが大聖堂をスクリーンに流れ始めるそうです。 -
暗くなると綺麗でしょうね。
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大聖堂のそばにある土産店でショッピング。
ハンガリーのお土産と言えばフォアグラ・・・缶詰も売っているので、お土産にゲット。 -
ブダペストのドハーニ街にあるシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)・・・玉葱型の2本の塔(ドーム)が特徴的なこの建物は、1854年から1859年にかけ、ユダヤ系の建築家の手で建てられました。
ヨーロッパでは最大、世界でもエルサレムとニューヨークに次いで3番目に大きいシナゴーグです。 -
ブダ王宮の丘に立つ「マーチャーシュ教会」・・・1255~1269年にかけてベーラ4世によってゴシック様式で建築されました。
正式には聖母マリア教会という名前なのですが、マーチャーシュ王が1479年に教会を大改築したことに因んでマーチャーシュ教会とも呼ばれています。 -
歴代のハンガリー王は、この教会で戴冠式を執り行っています。
16世紀にオスマン帝国がハンガリーを占領すると、モスクとして使用され、17世紀にオスマン軍が撤退するとすぐにカトリック教会に戻され、19世紀後半には広範囲にわたって修復されました。
教会中央の主祭壇には聖母マリアが祀られています。 -
教会入口の上にあるパイプオルガン。
オルガンを使ったコンサート も開かれているそうです。 -
教会の内部は、言葉では言い表せないほどの美しさ・・・オスマントルコの時代にモスクにされたことが、教会内の装飾に影響を与えたのでしょう。
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鮮やかな壁画や模様で彩られて、全体が芸術作品のよう。
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金箔のフレスコ画やステンドグラスの窓も目を奪われます。
ステンドグラスに描かれているのは、ハンガリーの聖人や12使徒など。 -
豪華なカーテンのような柱。
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ハンガリーの三種の神器である王冠・杓・玉のレプリカ・・・本物は国会議事堂に展示されています。
王冠の十字架は、衝撃で曲がった形に・・・王冠を仕舞う鉄の箱に入れる際、きちんと仕舞わないで蓋を閉めてしまったためと言われています。 -
2階から見た主祭壇。
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2階から見た教会内部とパイプオルガン。
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2階から見えるアラビア風の柱模様を見ると、スペイン・コルドヴァのメスキータを思い出します。
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壁に描かれたフレスコ画。
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マーチャーシュ教会は、ハプスブルク帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇妃エリーザベトが、ハンガリー帝国の王と王妃になる戴冠式を行った教会でもあります。
エリーザベトはウィーンの王宮での厳格な生活を嫌い、ハンガリーの離宮で過ごすことを好み、ハンガリー語を身につけ、ハンガリーでは「シシイ」の愛称で親しまれていました。 -
教会博物館の展示品。
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16時を過ぎて外に出ると、マーチャーシュ教会はライトアップされていました。
尖塔と、鮮やかなジョルナイ焼きの瓦で彩られたモザイク屋根が印象的。 -
マーチャーシュ教会の前に建つ、イシュトヴァーンの騎馬像・・・お月様も出ています。
この後は、ライトアップされた「漁夫の砦」を見学。 -
漁夫の砦は王宮の旧城壁を利用して、1895年から1902年にかけて、建国千年祭の一環として建てられた砦です。
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7つの尖塔は、この地にやってきたマジャール人が、7つの部族で構成されていたことに由来しているそうです。
白い石灰石で出来たトンガリ屋根の5つの丸塔とメインの高い尖塔を回廊で結び、童話に出てくるお城のような漁夫の砦。 -
中世の頃にドナウ川で漁をしていた漁師が城壁を守っていたことや、ここに魚の市があったことから、この名前が付きました。
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前回は昼間に来ましたが、夜も素晴らしい。
ドナウ川に架かる「くさり橋」が見えます。 -
漁夫の砦とマーチャーシュ教会の美しい夜景・・・メルヘンの世界です。
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ドナウ川の向こうに見える国会議事堂。
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観光も終わり、夕食前にホテルへ。
今日のホテルは「メルキュール・ブタペスト・ブダ」・・・10年前もこのホテルに泊まりました。 -
フロントの前に飾られたブダ地区とペスト地区の地図。
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建物は新しくありませんが、部屋の広さもマアマア。
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地下鉄駅にも近く、ホテルの裏にはスーパー「PRIMA」があります。
ここで、ツアー最後の爆買い(?) -
ツアー最後の晩餐は、ドナウ川ディナークルーズ(19~21時)。
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まずは、シャンパンでカンパーイ!!
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メインは、お肉と豆のライス添え。
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多くの人は、暖かい船内で夜景を眺めますが、折角なので多少の寒さは我慢して甲板へ。
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ライトアップされた建物の中でも、ひと際目立つのは、96mのドームがある「国会議事堂」・・・1896年の建国1000年祭に関連して、1885年に建設が始まり、1904年に完成した国会議事堂は、昼も夜も美しい。
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くさり橋のペスト側(右側)にあるのは、超高級ホテルの「フォー シーズンズ ホテル グレシャム パレス ブダペスト」・・・宿泊代は、最低でも5万円以上。
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そして、ブダ側にある王宮。
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ため息が出る美しさです。
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マーチャーシュ教会と漁夫の砦。
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「ブダペスト工科経済大学」・・・世界最古の工科大学で、ノーベル賞受賞者が何人も出ており、ルービックキューブの発明者、ルビク・エルネーも卒業生です。
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「エルジェーベト橋」・・・最初の橋は、ハンガリー王妃エルジェーベトが暗殺された1898年に建造が開始され、1903年に完成したその橋には、彼女の名前が付けられます。
第二次世界大戦末期に、ドイツ軍によって爆破され、現在架かっている橋は、1961年から1964年に以前と同じ場所に再建されました。
この橋のライトアップは、日本とハンガリーの国交回復50周年にあたる2009年に、日本の協力で実現し、手がけたのは、日本の著名な照明デザイナーの石井幹子さん。 -
エルジェーベト橋のペスト側にあるのは「市内教区教会」・・・13世紀に建造されたペスト地区最古の教会です。
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ブダ側の「ゲッレールト温泉」・・・1918年に建てられた療養効果がある温泉施設で、中世にはこの場所に病院があったそうです。
前回来た時に泳いだり、温泉に入ったことが思い出されます。 -
<7日目>
飛行機の関係で、ホテル出発は7時。
通常ならランチボックスの朝食になりますが、添乗員さんがホテルに頼んで6時からレストランをオープンしてもらいました。
多少、品数は少なかったのですが、バスの中で食べるランチボックスに比べたら、暖かいだけでも有難いです -
霧の中、7時15分に空港へ到着。
ブダペストの空港は、ピアノの魔術師と言われたフランツ・リストの名を冠した「リスト・フェレンツ国際空港」。 -
スイス国際航空の受付カウンターで荷物を預け、最後のお土産も買って出発ロビーへ。
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9時35分発のチューリッヒ行きに乗りました。
簡単な朝食のサービス。 -
チューリッヒが近づくと、スイスアルプスの峰々が見えてきました。
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チューリッヒ空港近くの街並み。
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11時20分にチューリッヒ空港に到着。
空港ロビーを見て回ると、日本ではあまり見かけなくなった靴磨き屋さんがいます。 -
美味しそうなケーキ屋さん。
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スカイメトロに乗って、ゲートEへ。
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明るいロビー。
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13時発の成田行きに搭乗。
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これは、日本にも乗り入れているエーデルワイス航空。
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定刻に出発し、昼食タイム。
これは、豚肉の赤味噌ソースとライス。 -
こちらは、マラケシュ風ベジタブルマサラ(ネパール・カレー)。
黄色いクスクスは、小麦粉から作る粒状の粉食。
初めて食べました。 -
<8日目>
成田到着前の朝食は、スクランブルエッグとレシュティ(スイスのジャガイモ料理)。
9時前に、成田に無事到着。
いつも、これが最後と言いながら、やはり行ってしまうヨーロッパ・・・次は何処へ(?)
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