2016/11/18 - 2016/11/18
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ドクターキムルさん
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戸塚区の広報に「萩原代官屋敷・道場跡」が載り、初めてその存在を知った。実は、境木地蔵前の旧東海道案内板にも記載されているのだ見落としてしまっていた。代官屋敷や道場がどの程度残っているのか気になっていた。まあまあの小春日和に近い天気なので出かけてみた。
境木小の裏手に出、西側の坂道を少し下りた辺りで犬の散歩中のおばさんがいたので聞いてみた。しかし、知らないという。その少し先にもおばさんがいたのでまた聞いてみた。同じく、知らないという。官屋敷というから家屋敷が狭いはずがない。その場所の南側が擂鉢状になって竹林があり、擂鉢の底には家屋が見える。坂道を南に下ってみた。すると表門が見える。これだ。門の前には史跡看板があり、萩原代官屋敷・道場跡の説明がなされている。何のことはない、萩原代官屋敷・道場跡に隣接する北側の道路で場所を聞いていたのだ。それだというのに、この辺りの住民には全くのところ知られていないだけのことのようだ。擂鉢状の谷地とはいえ、近くにある1ブロックの広さの屋敷地に気を留めない住民も住民だ。
立派な表門が建てられてはいるが、江戸時代を感じさせるものは何も見当たらなかった。ただ、竹林の間に見える家の西側にある池は、おそらくは、江戸時代からのものかも知れない。また、家屋敷内に石碑があるというが、中に入れないのでそれも見られない。ただ、門前の史跡看板だ虚しく見えるだけだ。
(表紙写真は萩原家の表門)
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萩原家の表門。
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「萩原代官屋敷・萩原道場跡
萩原家は代々旗本杉浦氏の代官職として、この地に屋敷を構えました。旗本杉浦氏は、県下では茅ヶ崎市小和田・菱沼・平塚市四之宮・寒川町宮山・市内では平戸を所領としていました。
幕末から明治初年の当主太郎行篤は嘉永4年(1854)直心影流の免許皆伝を得、ここに道場を開きました。道場には数多くの剣客が訪れ、萩原家所蔵の「剣客名」には「安政5年(1858)8月、天然理心流近藤勇」の名が記され、慶応2年(1866)9月までの入門者の総計が225人に達したといいます。現在の保土ヶ谷区・戸塚区・鎌倉市から三浦市にかけて、また、平塚市・茅ヶ崎市・寒川町等の広範囲にわたる門弟のため、出稽古を行っていました。
明治45年には萩原家敷地内に「剣道師範萩原君碑」が建立されています。」
注.明治45年は1912年。 -
萩原家の母屋。現代建築だ。
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萩原家の表門。
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萩原家の表門の東側。
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