マドリード旅行記(ブログ) 一覧に戻る
マドリードは、1561年に「太陽の没することなき帝国」を実現させたフェリペ2世によって初めて首都に選ばれました。その後、幾度かの遷都を経て、1761年のカルロス3世の遷都以降、首都の座を死守しています。こうした事情から、他のスペインの古都に比べると歴史は浅いものになります。<br />アラビア半島のイスラム教軍がイベリア半島に上陸したのは711年のことでした。瞬く間に征服の手が半島北部にも延び、716年には半島の2/3が制圧されました。さらにイスラム教軍はピレネー山脈を越えてフランク王国の征服を企てるも、732年のトゥール・ポワティエの戦いで敗走しました。この戦いがキリスト教とイスラム教世界の「天下分け目の決戦」と言われる所以は、その後の歴史が物語っています。以後、イスラム軍はイベリア半島支配に専念し、キリスト教とイスラム教の融合した独特の文化が育まれたのです。<br />イスラム教軍が北部の拠点にしたのがトレドです。ムハマド1世は、トレド防衛のためにタホ川上流の現マドリードの王宮の辺りに砦を築き、アラビア語で「マヘリット(湧き水)」と呼びました。1083年、キリスト教軍がマヘリットを奪還後、ラテン語の「マトリス(水源地)」を語源に「マドリト」と改称されたのがマドリードの由来です。ですからマドリードが歴史の表舞台に登場するのは、イスラム支配下となった9世紀後半のことです。この地を「水源地」と呼んだ背景は、イベリア半島の中央部に広がるメセタ高地に位置し、タホ川の水源だったからです。<br />また、意外なことにマドリードは、ヨーロッパの国々の首都の中で最も標高の高い位置にあります。標高650m以上のメセタ高地に造られた首都は、山岳国スイスの首都ベルン(548m)よりも高いことに驚かされます。スペインは、ピレネー山脈を初め、メセタ、シエラ・モレナ、カンタブリア山脈や高地のある山岳国だということが首都の標高からも窺えます。<br /><日程><br />1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)<br />    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)<br />    宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)<br />            ==ランチ:Marina Bay by Moncho&#39;s==カタルーニャ広場<br />            15:00?フリータイム<br />    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==<br />            カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル) <br />    ==カタルーニャ音楽堂<br />            宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--<br />    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)<br />            ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)<br />    バレンシア宿泊:Mas Camarena<br />4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)<br />            ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿<br />            --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos<br />           (洞窟フラメンコ)<br />            --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)<br />5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)<br />            フリー散策<br />            宿泊:Parador de Ronda<br />6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==<br />            コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅<br />    AVE:コルドバ→マドリード<br />    夕食:China City<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター<br />    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio<br />    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==<br />            ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、<br />    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮<br />    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)<br />    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)<br />9日目:関空着(7:20)<br />

ときめきのスペイン周遊⑳マドリード 街ある記(エピローグ)

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2016/09/02 - 2016/09/10

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

マドリードは、1561年に「太陽の没することなき帝国」を実現させたフェリペ2世によって初めて首都に選ばれました。その後、幾度かの遷都を経て、1761年のカルロス3世の遷都以降、首都の座を死守しています。こうした事情から、他のスペインの古都に比べると歴史は浅いものになります。
アラビア半島のイスラム教軍がイベリア半島に上陸したのは711年のことでした。瞬く間に征服の手が半島北部にも延び、716年には半島の2/3が制圧されました。さらにイスラム教軍はピレネー山脈を越えてフランク王国の征服を企てるも、732年のトゥール・ポワティエの戦いで敗走しました。この戦いがキリスト教とイスラム教世界の「天下分け目の決戦」と言われる所以は、その後の歴史が物語っています。以後、イスラム軍はイベリア半島支配に専念し、キリスト教とイスラム教の融合した独特の文化が育まれたのです。
イスラム教軍が北部の拠点にしたのがトレドです。ムハマド1世は、トレド防衛のためにタホ川上流の現マドリードの王宮の辺りに砦を築き、アラビア語で「マヘリット(湧き水)」と呼びました。1083年、キリスト教軍がマヘリットを奪還後、ラテン語の「マトリス(水源地)」を語源に「マドリト」と改称されたのがマドリードの由来です。ですからマドリードが歴史の表舞台に登場するのは、イスラム支配下となった9世紀後半のことです。この地を「水源地」と呼んだ背景は、イベリア半島の中央部に広がるメセタ高地に位置し、タホ川の水源だったからです。
また、意外なことにマドリードは、ヨーロッパの国々の首都の中で最も標高の高い位置にあります。標高650m以上のメセタ高地に造られた首都は、山岳国スイスの首都ベルン(548m)よりも高いことに驚かされます。スペインは、ピレネー山脈を初め、メセタ、シエラ・モレナ、カンタブリア山脈や高地のある山岳国だということが首都の標高からも窺えます。
<日程>
1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)
    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)
    ==ランチ:Marina Bay by Moncho's==カタルーニャ広場
    15:00?フリータイム
    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==
    カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル)
    ==カタルーニャ音楽堂
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--
    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)
    ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)
    バレンシア宿泊:Mas Camarena
4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)
    ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿
    --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos
    (洞窟フラメンコ)
     --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)
5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)
    フリー散策
    宿泊:Parador de Ronda
6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==
    コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅
    AVE:コルドバ→マドリード
    夕食:China City
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター
    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio
    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==
    ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、
    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮
    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)
    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)
9日目:関空着(7:20)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
鉄道 観光バス 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
日本旅行
  • Rafael hoteles Atocha<br />2連泊でお世話になった4つ星ホテルです。周遊ツアーではホテルを転々とすることが多いのですが、連泊があるツアーは毎日パッキングをする必要がなく、精神的にも肉体的にもゆとりが持てます。<br />マドリードの中心地となる地下鉄Puelta del Sol駅へのアクセスは、地下鉄1号線のAtocha駅と3号線のPalos de la Frontera駅が便利です。いずれも駅まで徒歩10分弱です。1号線の工事は11月中旬には終了していると思いますが、出立前に確認してください。<br /><br />コルドバからAVEでマドリードに到着した夜は、ドクトール・エスケルド通り沿いにある「China City」で中華料理の夕食をいただきました。久しぶりのアジアンテイスト+お箸+お茶(ジャスミンティ)でホッと一息つけました。

    Rafael hoteles Atocha
    2連泊でお世話になった4つ星ホテルです。周遊ツアーではホテルを転々とすることが多いのですが、連泊があるツアーは毎日パッキングをする必要がなく、精神的にも肉体的にもゆとりが持てます。
    マドリードの中心地となる地下鉄Puelta del Sol駅へのアクセスは、地下鉄1号線のAtocha駅と3号線のPalos de la Frontera駅が便利です。いずれも駅まで徒歩10分弱です。1号線の工事は11月中旬には終了していると思いますが、出立前に確認してください。

    コルドバからAVEでマドリードに到着した夜は、ドクトール・エスケルド通り沿いにある「China City」で中華料理の夕食をいただきました。久しぶりのアジアンテイスト+お箸+お茶(ジャスミンティ)でホッと一息つけました。

  • Rafael hoteles Atocha<br />ホテルに一番近いスーパーは「Carrefour Express Ramirez del Prado(~21:00)」です。ホテルから400m程の距離です。日本では「カルフール」と呼ぶフランス系のスーパーです。名前に「Express」とあるため、日本のコンビニに近い小型店舗ですが、自社ブランド製品を含めて品揃えは悪くありません。<br />また、地下鉄Palos de la Frontera駅周辺にはスーパー「LiDL(~22:00)」や「Ahorramas, S.A(~21:30)」があります。「LiDL」はドイツ系のスーパーです。小規模店舗が多く品数は多くありません。ハーブ入りソーセージ等、日本人になじみのあるソーセージの種類が比較的豊富。食品以外にも、文具や工具等生活雑貨も取り扱っています。<br />http://www.lidl.es/es/index.htm<br />「Ahorramas」は小規模・中規模の店舗が多いようです。<br />http://www.ahorramas.com/<br />以上は、Google Mapにも載っていますので、場所をチェックできます。(拡大するとでてくるカートのマークが目印です。)

    Rafael hoteles Atocha
    ホテルに一番近いスーパーは「Carrefour Express Ramirez del Prado(~21:00)」です。ホテルから400m程の距離です。日本では「カルフール」と呼ぶフランス系のスーパーです。名前に「Express」とあるため、日本のコンビニに近い小型店舗ですが、自社ブランド製品を含めて品揃えは悪くありません。
    また、地下鉄Palos de la Frontera駅周辺にはスーパー「LiDL(~22:00)」や「Ahorramas, S.A(~21:30)」があります。「LiDL」はドイツ系のスーパーです。小規模店舗が多く品数は多くありません。ハーブ入りソーセージ等、日本人になじみのあるソーセージの種類が比較的豊富。食品以外にも、文具や工具等生活雑貨も取り扱っています。
    http://www.lidl.es/es/index.htm
    「Ahorramas」は小規模・中規模の店舗が多いようです。
    http://www.ahorramas.com/
    以上は、Google Mapにも載っていますので、場所をチェックできます。(拡大するとでてくるカートのマークが目印です。)

  • 旧アトーチャ駅<br />初めに、早朝に散策したアトーチャ駅界隈のレポから始めます。<br />スペインは全長1万6000kmに及ぶ鉄道網を持つ高速鉄道王国です。その玄関口に当たるのが、「RENFE」のアトーチャ駅です。アトーチャ駅には、「プエルタ・デ・アトーチャ駅(Madrid Puerta de Atocha)」と高速列車以外の地域の列車が発着する「アトーチャ・セルカニアス駅(Madrid-Atocha Cercanias)」が有ります。<br />その先にあるのが、「世界で最も美しい駅」のひとつに数えられているこの旧駅舎です。

    旧アトーチャ駅
    初めに、早朝に散策したアトーチャ駅界隈のレポから始めます。
    スペインは全長1万6000kmに及ぶ鉄道網を持つ高速鉄道王国です。その玄関口に当たるのが、「RENFE」のアトーチャ駅です。アトーチャ駅には、「プエルタ・デ・アトーチャ駅(Madrid Puerta de Atocha)」と高速列車以外の地域の列車が発着する「アトーチャ・セルカニアス駅(Madrid-Atocha Cercanias)」が有ります。
    その先にあるのが、「世界で最も美しい駅」のひとつに数えられているこの旧駅舎です。

  • 旧アトーチャ駅<br />側面のフォルムも粋です。<br />旧駅舎がイサベル2世の命で最初に建てられたのは1851年ですが、1890年代に火災でその駅舎の大部分を焼失しています。その2年後、世界遺産のビスカヤ橋を手掛けた建築家であり、エッフェルの弟子のひとりだったアルベルト・デ・パラシオによって再建されましたが、その際にパリのエッフェル塔をデザインしたエッフェルも協力しています。その後バルセロナ五輪やセビリア万博開催の1992年まで使われてきた旧駅舎は、再建当時の鉄道駅の雰囲気を偲ぶことができます。現在は、外観を保存したまま、構内を植物園に改造し、高速列車の待合室として利用しています。<br />

    旧アトーチャ駅
    側面のフォルムも粋です。
    旧駅舎がイサベル2世の命で最初に建てられたのは1851年ですが、1890年代に火災でその駅舎の大部分を焼失しています。その2年後、世界遺産のビスカヤ橋を手掛けた建築家であり、エッフェルの弟子のひとりだったアルベルト・デ・パラシオによって再建されましたが、その際にパリのエッフェル塔をデザインしたエッフェルも協力しています。その後バルセロナ五輪やセビリア万博開催の1992年まで使われてきた旧駅舎は、再建当時の鉄道駅の雰囲気を偲ぶことができます。現在は、外観を保存したまま、構内を植物園に改造し、高速列車の待合室として利用しています。

  • 旧アトーチャ駅<br />このように通路の軒先が長いもの特徴です。

    旧アトーチャ駅
    このように通路の軒先が長いもの特徴です。

  • 旧アトーチャ駅<br />高さ27m、幅48m、奥行き152mの巨大駅舎の外壁には細工彫の装飾が施され、シックで威風堂々たる風格を漂わせています。また、駅舎の頂には世界を現す地球と翼を持ったグリフォンが守護神のように鎮座しています。<br />因みにグリフォンとは、上半身が猛禽類(鷲、鷹、コンドルなど)、ライオンの下半身を持つキメラ型の伝説上の生物です。 ヨーロッパで貴族の紋章に用いられていました。日本では、「鷲獅子(じゅじし)」と訳されることもあります。語源はギリシア語の「グリュプス(曲がった嘴)」に由来します。<br />ここのものは、顔もライオンのようですが…。

    旧アトーチャ駅
    高さ27m、幅48m、奥行き152mの巨大駅舎の外壁には細工彫の装飾が施され、シックで威風堂々たる風格を漂わせています。また、駅舎の頂には世界を現す地球と翼を持ったグリフォンが守護神のように鎮座しています。
    因みにグリフォンとは、上半身が猛禽類(鷲、鷹、コンドルなど)、ライオンの下半身を持つキメラ型の伝説上の生物です。 ヨーロッパで貴族の紋章に用いられていました。日本では、「鷲獅子(じゅじし)」と訳されることもあります。語源はギリシア語の「グリュプス(曲がった嘴)」に由来します。
    ここのものは、顔もライオンのようですが…。

  • 旧アトーチャ駅<br />マドリードは、スペインの首都で、約400万人が住む大都市です。石造りの建物が多く、旧市街には旧い時代の面影が遺されています。一方、新市街には新しい街造りの配慮がなされ、近代的な街路が美しい景観を呈しています。<br />こうした落ちついた街の雰囲気は、市民生活からもたらされていることが判ります。地下ケーブルの敷設により電信柱がなく、洗濯物は目に付かないように中庭に干すため、表通りはスッキリしています。日本の典型的な観光地にありがちな、街路に沿って延びる無秩序な電線や電柱、集合住宅のベランダに洗濯物が翻り、布団が干されているといった見慣れた景観と比らべ、「公の規制を甘受する市民によって維持されている」というのが街の第一印象です。

    旧アトーチャ駅
    マドリードは、スペインの首都で、約400万人が住む大都市です。石造りの建物が多く、旧市街には旧い時代の面影が遺されています。一方、新市街には新しい街造りの配慮がなされ、近代的な街路が美しい景観を呈しています。
    こうした落ちついた街の雰囲気は、市民生活からもたらされていることが判ります。地下ケーブルの敷設により電信柱がなく、洗濯物は目に付かないように中庭に干すため、表通りはスッキリしています。日本の典型的な観光地にありがちな、街路に沿って延びる無秩序な電線や電柱、集合住宅のベランダに洗濯物が翻り、布団が干されているといった見慣れた景観と比らべ、「公の規制を甘受する市民によって維持されている」というのが街の第一印象です。

  • 旧アトーチャ駅<br />内部で目を引くのが、かつてプラットホームとして利用されていた広々としたかまぼこ状の広大なコンコースです。一見、SF映画の宇宙船のセットを彷彿とさせます。エッフェルらしく、鉄やガラスを潤沢に使って造った空間は、天井が高く、旧駅舎と同時期にヨーロッパ各地に造られた「熱帯植物園」に見立てた演出がなされ、まるで旅人を癒す都会のオアシスそのものです。4000平方mの敷地内には、五大陸から集められた260品種、7000本以上の希少な植物が植えられています。しかし現在は、2004年に起きた同時多発テロの影響もあり、植物園内には立ち入りが禁止されています。

    旧アトーチャ駅
    内部で目を引くのが、かつてプラットホームとして利用されていた広々としたかまぼこ状の広大なコンコースです。一見、SF映画の宇宙船のセットを彷彿とさせます。エッフェルらしく、鉄やガラスを潤沢に使って造った空間は、天井が高く、旧駅舎と同時期にヨーロッパ各地に造られた「熱帯植物園」に見立てた演出がなされ、まるで旅人を癒す都会のオアシスそのものです。4000平方mの敷地内には、五大陸から集められた260品種、7000本以上の希少な植物が植えられています。しかし現在は、2004年に起きた同時多発テロの影響もあり、植物園内には立ち入りが禁止されています。

  • 旧アトーチャ駅<br />数ある植物の中でも特に有名なのが、植物園エリアの入口付近にある「旅人の木(The Traveler’s Tree)」と呼ばれる大きなバナナの木です。この木の前で立ち止まって願い事をすると、その願いが叶うと言われています。<br />ガラス張りの天井から太陽光が降り注ぐ池では、のんびりと甲羅干しをする亀が群れています。その時間の流れに惑わされ、うっかり列車に乗りそびれないようにしてください。

    旧アトーチャ駅
    数ある植物の中でも特に有名なのが、植物園エリアの入口付近にある「旅人の木(The Traveler’s Tree)」と呼ばれる大きなバナナの木です。この木の前で立ち止まって願い事をすると、その願いが叶うと言われています。
    ガラス張りの天井から太陽光が降り注ぐ池では、のんびりと甲羅干しをする亀が群れています。その時間の流れに惑わされ、うっかり列車に乗りそびれないようにしてください。

  • アトーチャ駅<br />駅前には、直径3mを超える巨大で奇想天外な東洋的な顔のオブジェがあります。眠ってる幼児と起きてる幼児が距離を置いて対面しています。さて何を表しているのでしょうか?<br />これはパブリックアート作品のひとつで、現代スペイン・リアリズムの巨匠アントニオ・ロペス(Antonio Lopez)が制作したものです。題名は「El dia y la noche(昼と夜)」。なるほど目を閉じている子が夜を表しているのですね!判り易い!!<br />因みにマドリード郊外の町の交差点には、同じ作家の高さ5.5mもある女性の半身像が設置されているそうです。見てみたいような、見たくないような…。<br />氏の作品は、一頃流行ったスーパーリアリズムのように写真と見紛うような写実性を持つ絵画がある一方、キュビズムやシュールレアリズムの影響を見てとることもでき、複眼的な視点の置き方に虚を突かれることが多々あります。

    アトーチャ駅
    駅前には、直径3mを超える巨大で奇想天外な東洋的な顔のオブジェがあります。眠ってる幼児と起きてる幼児が距離を置いて対面しています。さて何を表しているのでしょうか?
    これはパブリックアート作品のひとつで、現代スペイン・リアリズムの巨匠アントニオ・ロペス(Antonio Lopez)が制作したものです。題名は「El dia y la noche(昼と夜)」。なるほど目を閉じている子が夜を表しているのですね!判り易い!!
    因みにマドリード郊外の町の交差点には、同じ作家の高さ5.5mもある女性の半身像が設置されているそうです。見てみたいような、見たくないような…。
    氏の作品は、一頃流行ったスーパーリアリズムのように写真と見紛うような写実性を持つ絵画がある一方、キュビズムやシュールレアリズムの影響を見てとることもでき、複眼的な視点の置き方に虚を突かれることが多々あります。

  • エンペラドール・カルロス5世広場と環境農林水産省庁舎<br />エンペラドール・カルロス5世 (Emperador Carlos V) とは、スペイン海軍が建造した1898年に竣工した装甲巡洋艦を指します。<br />前方に見える装飾が豪奢な建物は、環境農林水産省庁舎( Ministerio de Agricultura)です。曲面マンサードと呼ばれるドーム型屋根がアクセントになっています。<br />

    エンペラドール・カルロス5世広場と環境農林水産省庁舎
    エンペラドール・カルロス5世 (Emperador Carlos V) とは、スペイン海軍が建造した1898年に竣工した装甲巡洋艦を指します。
    前方に見える装飾が豪奢な建物は、環境農林水産省庁舎( Ministerio de Agricultura)です。曲面マンサードと呼ばれるドーム型屋根がアクセントになっています。

  • 環境農林水産省庁舎<br />ファサードの屋上にある彫刻は、スペイン政府公式彫刻家アグスティン・ケロルが制作したオリジナルの石像をブロンズ像にリメイクしたものです。<br />逆光で判り難いですが、両端はペガサスのようです。

    環境農林水産省庁舎
    ファサードの屋上にある彫刻は、スペイン政府公式彫刻家アグスティン・ケロルが制作したオリジナルの石像をブロンズ像にリメイクしたものです。
    逆光で判り難いですが、両端はペガサスのようです。

  • スペイン広場 (Plaza de Espana)<br />マドリード観光のスタートはスペイン広場です。<br />スペイン広場はアルバ公爵家から公園にと寄贈された土地であり、かつてはこの場所に兵舎があったそうです。20世紀中期に建てられた赤白の煉瓦壁が美しい25階建てスペイン・ビル(Edificio Espana)を借景にした、サンチョ・パンサを従えたドン・キホーテの騎馬像とその背後の中段に作者セルバンテスの坐像が刻まれたモニュメントがあります。1930年、16~17世紀に活躍したスペインの文豪セルバンテスの没後300年を記念して造られたものです。<br />それ以外には噴水があるだけの殺風景な広場ですが、周囲には近代的なビルが建ち並ぶビジネス街があり、市民の憩いの場となっています。観光スポットですが、時折、ロマ人(ジプシー)が出没するなど治安が良くないそうですのでスリには注意してください。<br />余談ですが、このスペイン・ビルはフランコ将軍による独裁体制下の1953年に建造され、オフィス兼住宅の複合ビルとして使われていましたが、不況の煽りで2006年からは入居者ゼロの状態が続いたそうです。そこに白馬に跨った救世主が表れ、2014年に2億6500万ユーロ(約370億円)で購入してくれたそうです。その救世主こそ、中国一の大富豪で2013年中国長者番付1位の王健林氏が会長を務める中国の不動産開発大手・大連万達集団の子会社です。バブル期に日本人がマンハッタンのビルを買い漁って顰蹙を買った状況を彷彿とさせるものがあります。<br />中国人観光客がセルバンテスの記念碑でなく、スペイン・ビルを盛んに写真に収めていたのですが、これで合点がいきました。きっと祖国の英雄として自慢話のネタになるのでしょうね!オーナーが代わったようですので、マドリードの中心地に新たな息吹が吹き込まれることを期待したいものです。<br />こう思った矢先に続報が入りました。大連万達集団は、このビルを解体して再建する計画をマドリード市に申請したようです。しかし市当局は、文化財として保護されているこのビルの解体を認めませんでした。やはり文化財を守る目的ではなかったようで、がっかりです。所有権さえ手に入れればやりたい放題できると、傲慢にもそう思っていたに違いありません。現在、このビルは売りに出されている模様です。変わり身も早いですね~!<br />翻って、日本においても自然豊かな水源を中国人が買い漁っていると聞きます。損得ではなく善悪で判断すべき事象だと思います。売却者は、国賊者と呼ばれても文句は言えません。

    スペイン広場 (Plaza de Espana)
    マドリード観光のスタートはスペイン広場です。
    スペイン広場はアルバ公爵家から公園にと寄贈された土地であり、かつてはこの場所に兵舎があったそうです。20世紀中期に建てられた赤白の煉瓦壁が美しい25階建てスペイン・ビル(Edificio Espana)を借景にした、サンチョ・パンサを従えたドン・キホーテの騎馬像とその背後の中段に作者セルバンテスの坐像が刻まれたモニュメントがあります。1930年、16~17世紀に活躍したスペインの文豪セルバンテスの没後300年を記念して造られたものです。
    それ以外には噴水があるだけの殺風景な広場ですが、周囲には近代的なビルが建ち並ぶビジネス街があり、市民の憩いの場となっています。観光スポットですが、時折、ロマ人(ジプシー)が出没するなど治安が良くないそうですのでスリには注意してください。
    余談ですが、このスペイン・ビルはフランコ将軍による独裁体制下の1953年に建造され、オフィス兼住宅の複合ビルとして使われていましたが、不況の煽りで2006年からは入居者ゼロの状態が続いたそうです。そこに白馬に跨った救世主が表れ、2014年に2億6500万ユーロ(約370億円)で購入してくれたそうです。その救世主こそ、中国一の大富豪で2013年中国長者番付1位の王健林氏が会長を務める中国の不動産開発大手・大連万達集団の子会社です。バブル期に日本人がマンハッタンのビルを買い漁って顰蹙を買った状況を彷彿とさせるものがあります。
    中国人観光客がセルバンテスの記念碑でなく、スペイン・ビルを盛んに写真に収めていたのですが、これで合点がいきました。きっと祖国の英雄として自慢話のネタになるのでしょうね!オーナーが代わったようですので、マドリードの中心地に新たな息吹が吹き込まれることを期待したいものです。
    こう思った矢先に続報が入りました。大連万達集団は、このビルを解体して再建する計画をマドリード市に申請したようです。しかし市当局は、文化財として保護されているこのビルの解体を認めませんでした。やはり文化財を守る目的ではなかったようで、がっかりです。所有権さえ手に入れればやりたい放題できると、傲慢にもそう思っていたに違いありません。現在、このビルは売りに出されている模様です。変わり身も早いですね~!
    翻って、日本においても自然豊かな水源を中国人が買い漁っていると聞きます。損得ではなく善悪で判断すべき事象だと思います。売却者は、国賊者と呼ばれても文句は言えません。

  • スペイン広場<br />「スペイン広場」と言う名の広場は各地にありますが、このスペイン広場こそが本家本元の「スペイン広場」だそうです。確かにスペインだけでも各地にあり、イタリアにも『ローマの休日』でお馴染みのスペイン広場があります。<br />セルバンテスは、1571年にオスマントルコとのレパントの海戦で負傷し、左腕の自由を失いました。その後も従軍を続け、本国へ帰還する途中、海賊に襲われて捕虜となりました。巨額の身代金を要求され長期間捕虜生活を送ることになり、アルジェで5年間の虜囚生活を送っています。やっと身代金が払われて本国に戻り、小説を書くも評価されず、仕事もうまくいきませんでした。そんな中、1605年に『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』を出版し、ベストセラーになり、やっと小説家として芽が出ました。

    スペイン広場
    「スペイン広場」と言う名の広場は各地にありますが、このスペイン広場こそが本家本元の「スペイン広場」だそうです。確かにスペインだけでも各地にあり、イタリアにも『ローマの休日』でお馴染みのスペイン広場があります。
    セルバンテスは、1571年にオスマントルコとのレパントの海戦で負傷し、左腕の自由を失いました。その後も従軍を続け、本国へ帰還する途中、海賊に襲われて捕虜となりました。巨額の身代金を要求され長期間捕虜生活を送ることになり、アルジェで5年間の虜囚生活を送っています。やっと身代金が払われて本国に戻り、小説を書くも評価されず、仕事もうまくいきませんでした。そんな中、1605年に『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』を出版し、ベストセラーになり、やっと小説家として芽が出ました。

  • スペイン広場<br />韓国が朴大統領の機密文書流出問題で揺れていますが、オバマ大統領の広島訪問に大騒ぎした韓国を見て、風車を巨人と思い込んで突進したドン・キホーテを思い出された方も多いのでは?日本を悪の巨人と見做し、「戦犯国家のくせに免罪符を得ようと、オバマを広島に呼んだ」と妄想し、国を挙げて難詰したのです。常識人のサンチョ・パンサが「あれは風車ですよ」といくら言っても聞く耳を持たず、「巨人」に突撃して行ったのです。<br />このサンチョ・パンサこそ、元外交官 趙世暎 東西大学特任教授です。趙氏はアッラーの神よろしく、「大統領の広島訪問を『勝った、負けた』の次元で見るな」と諭し、「大統領の広島訪問は、日本に免罪符を与えるだろうか?私はそうは思わない。大統領が広島を訪問して犠牲者を称える道徳的優位性は、日本の戦争責任を上書きするどころか、日本に大きな負担となる」と論じました。しかし趙氏はそうした現実も踏まえ、韓国が核兵器の非人道性という本質的な問題には目を向けず、「加害と被害」を掲げて空騒ぎしたことを批判しました。<br />核廃絶を望む人たちは「広島訪問」の実現がその一歩となることを信じてやみません。一方、大統領の「実績作り」と冷ややかな目もありました。しかし、前者どころか後者の現実主義者からも韓国のエゴイズムは白い目で見られたはずです。<br />米中対立の構図が先鋭化する中、中国は「何時まで米国の子分をやっているのか。戻ってこい」と凄んでいます。本当に危険なのは、隣の巨大な国ではないのか…。遅まきながら韓国人たちがそう気付いたのです。益々大きくなる巨人が韓国を取って食おうとしているのに、防壁となる米韓同盟は壊れ始めているという現実が恐怖を募らせています。例えを『ドン・キホーテ』に戻せば、最近の韓国は恐ろしい現実から目を逸らすために無抵抗の風車に突撃しているようにも見えます。巨人相手に戦っているという自己満だけでなく、ありがたいことに風車、つまり日本なら反撃してきません。今やドン・キホーテが風車攻撃に出るのは、不都合な真実に気が付いていないからではなく、現実逃避が目的なのかもしれません。

    スペイン広場
    韓国が朴大統領の機密文書流出問題で揺れていますが、オバマ大統領の広島訪問に大騒ぎした韓国を見て、風車を巨人と思い込んで突進したドン・キホーテを思い出された方も多いのでは?日本を悪の巨人と見做し、「戦犯国家のくせに免罪符を得ようと、オバマを広島に呼んだ」と妄想し、国を挙げて難詰したのです。常識人のサンチョ・パンサが「あれは風車ですよ」といくら言っても聞く耳を持たず、「巨人」に突撃して行ったのです。
    このサンチョ・パンサこそ、元外交官 趙世暎 東西大学特任教授です。趙氏はアッラーの神よろしく、「大統領の広島訪問を『勝った、負けた』の次元で見るな」と諭し、「大統領の広島訪問は、日本に免罪符を与えるだろうか?私はそうは思わない。大統領が広島を訪問して犠牲者を称える道徳的優位性は、日本の戦争責任を上書きするどころか、日本に大きな負担となる」と論じました。しかし趙氏はそうした現実も踏まえ、韓国が核兵器の非人道性という本質的な問題には目を向けず、「加害と被害」を掲げて空騒ぎしたことを批判しました。
    核廃絶を望む人たちは「広島訪問」の実現がその一歩となることを信じてやみません。一方、大統領の「実績作り」と冷ややかな目もありました。しかし、前者どころか後者の現実主義者からも韓国のエゴイズムは白い目で見られたはずです。
    米中対立の構図が先鋭化する中、中国は「何時まで米国の子分をやっているのか。戻ってこい」と凄んでいます。本当に危険なのは、隣の巨大な国ではないのか…。遅まきながら韓国人たちがそう気付いたのです。益々大きくなる巨人が韓国を取って食おうとしているのに、防壁となる米韓同盟は壊れ始めているという現実が恐怖を募らせています。例えを『ドン・キホーテ』に戻せば、最近の韓国は恐ろしい現実から目を逸らすために無抵抗の風車に突撃しているようにも見えます。巨人相手に戦っているという自己満だけでなく、ありがたいことに風車、つまり日本なら反撃してきません。今やドン・キホーテが風車攻撃に出るのは、不都合な真実に気が付いていないからではなく、現実逃避が目的なのかもしれません。

  • スペイン広場 ドゥルシネア・デル・トボソ姫の像<br />『ドン・キホーテ』 には、アルドンサという村娘が登場します。「中世騎士物語」に取り付かれたドン・キホーテは、この見栄えのしない百姓娘が「想い姫ドゥルシネア」に間違いないと思い込みます。<br />ドン・キホーテの銅像の両側には。村娘アルドンサとアルドンサを妄想で貴婦人に仕立て上げたドゥルシネア・デル・トボソ姫の石像が並んでいます。

    スペイン広場 ドゥルシネア・デル・トボソ姫の像
    『ドン・キホーテ』 には、アルドンサという村娘が登場します。「中世騎士物語」に取り付かれたドン・キホーテは、この見栄えのしない百姓娘が「想い姫ドゥルシネア」に間違いないと思い込みます。
    ドン・キホーテの銅像の両側には。村娘アルドンサとアルドンサを妄想で貴婦人に仕立て上げたドゥルシネア・デル・トボソ姫の石像が並んでいます。

  • スペイン広場 アルドンサ像<br />アルドンサはざるを手にし、その中には小さな実のようなものが沢山見られますが、これらはオリーブの実です。この広場にも、オリーブの樹が沢山植えられています。<br />

    スペイン広場 アルドンサ像
    アルドンサはざるを手にし、その中には小さな実のようなものが沢山見られますが、これらはオリーブの実です。この広場にも、オリーブの樹が沢山植えられています。

  • スペイン広場 <br />天辺の球体の周辺には5大陸を表した5人の人物が揃いも揃って『ドン キホーテ』を読み耽っています。因みに『ドン・キホーテ』は、世界で聖書の次に読まれている小説だそうです。<br />

    スペイン広場
    天辺の球体の周辺には5大陸を表した5人の人物が揃いも揃って『ドン キホーテ』を読み耽っています。因みに『ドン・キホーテ』は、世界で聖書の次に読まれている小説だそうです。

  • スペイン広場 <br />グランビア側は巨大な大理石モニュメントの裏側に相当します。中央に座しているのはスペイン文学のアレゴリー(寓意像)です。アレゴリー像は、カルロス1世の妃 イサベル・デ・ポルトガル王妃を描いたティツィアーノの絵画に倣ったようです。どおりで凛々しいお顔をなされています。<br />余談ですが、1521年にイサベルの父ポルトガル王マヌエル1世が亡くなり兄ジョアン3世が即位すると、スペインとポルトガルはすぐさま縁談の交渉を始めました。両国はカルロス1世とイサベル、ジョアン3世とカルロス1世の妹カタリーナのダブル結婚で合意しました。<br />スペインは、あわよくばポルトガルもと虎視眈々と隙を狙っていました。ポルトガルもスペインとの併合は避けたかったため、両国間では以前から多くの政略結婚が当たり前のように進められてきました。<br />1526年、2人はセビリアで結婚し、イサベルの持参金はスペインに莫大な収入をもたらしました。勿論、政略結婚でしたが、まるで恋愛結婚のように愛し合い、仲睦まじかったそうです。記録によると、「ハネムーンの間、周りに誰がいようと2人には関係なかった」とあるほどです。<br />イサベルは魅力的な美しい女性だっただけでなく、才知にも恵まれていました。カルロス1世が不在の間は、摂政に就いて国を治めました。しかしフランドルから連れてきた廷臣たちの鷹揚な態度への反発もあり、1530年までは反乱が頻発し気が休まる時がありませでした。そんな状況下、2人で一緒に過ごす時間が至福のひと時だったようです。<br />しかし、そんな幸せな時は長くは続きませんでした。1539年、イサベルは6人目の子供を生んだ直後に亡くなります。彼女の早すぎる死は、カルロス1世に大きな悲しみをもたらしました。その後19年、カルロス1世は再婚もせず、生涯黒い服で過ごしたそうです。<br />1556年には自ら退位して粗末な庵へ隠居し、孤独と静寂の中で余生を送り、1558年に痛風で亡くなっています。

    スペイン広場
    グランビア側は巨大な大理石モニュメントの裏側に相当します。中央に座しているのはスペイン文学のアレゴリー(寓意像)です。アレゴリー像は、カルロス1世の妃 イサベル・デ・ポルトガル王妃を描いたティツィアーノの絵画に倣ったようです。どおりで凛々しいお顔をなされています。
    余談ですが、1521年にイサベルの父ポルトガル王マヌエル1世が亡くなり兄ジョアン3世が即位すると、スペインとポルトガルはすぐさま縁談の交渉を始めました。両国はカルロス1世とイサベル、ジョアン3世とカルロス1世の妹カタリーナのダブル結婚で合意しました。
    スペインは、あわよくばポルトガルもと虎視眈々と隙を狙っていました。ポルトガルもスペインとの併合は避けたかったため、両国間では以前から多くの政略結婚が当たり前のように進められてきました。
    1526年、2人はセビリアで結婚し、イサベルの持参金はスペインに莫大な収入をもたらしました。勿論、政略結婚でしたが、まるで恋愛結婚のように愛し合い、仲睦まじかったそうです。記録によると、「ハネムーンの間、周りに誰がいようと2人には関係なかった」とあるほどです。
    イサベルは魅力的な美しい女性だっただけでなく、才知にも恵まれていました。カルロス1世が不在の間は、摂政に就いて国を治めました。しかしフランドルから連れてきた廷臣たちの鷹揚な態度への反発もあり、1530年までは反乱が頻発し気が休まる時がありませでした。そんな状況下、2人で一緒に過ごす時間が至福のひと時だったようです。
    しかし、そんな幸せな時は長くは続きませんでした。1539年、イサベルは6人目の子供を生んだ直後に亡くなります。彼女の早すぎる死は、カルロス1世に大きな悲しみをもたらしました。その後19年、カルロス1世は再婚もせず、生涯黒い服で過ごしたそうです。
    1556年には自ら退位して粗末な庵へ隠居し、孤独と静寂の中で余生を送り、1558年に痛風で亡くなっています。

  • マドリード王宮 <br />スペイン広場からサバティーニ庭園の先にマドリード王宮の北面を見ることができます。<br />「オリエンテ宮」とも呼ばれるスペイン王の王宮ですが、実際には現国王のフェリペ6世とその王族は住んでおらず、彼らは郊外にあるマドリードより小さなサルスエラ宮殿で暮らしています。しかし、マドリード王宮は未だ国の公式行事に使用されており、王宮はスペイン政府の所有となり外局パトリモニオ・ナシオナルが管理しています。<br />1085年、キリスト教徒によって町が奪回されると、イスラム教軍の要塞跡にカスティーリャ王国の宮廷が置かれ、1561年にマドリードに首都が移されてからはハプスブルグ王家の居城となりました。しかし、1734年の火災で宮廷は焼失しました。<br />現在のマドリード王宮は、フランスのヴェルサイユ宮殿で育ったブルボン朝初代の王フェリペ5世がイタリアの建築家 F.ユヴァーラに設計を依頼し、26年余の歳月を費やして1764年に完成させたネオ・クラシック様式の建物です。しかし王宮の完成時には、すでに4代目カルロス3世の治世になっていました。フランスに従属的な地位に甘んじていたスペイン王室ゆえ、ルーヴル宮殿をイメージさせる王宮になったのも頷けます。以後、1931年までブルボン朝時代の歴代の王の住居となり、ここで政治を行ないました。画家ゴヤもこの王宮に住み込み、『カルロス4世とその家族』を描きました。<br />部屋数は約2800室もあり、ゴヤやティエポロをはじめ有名画家の素晴らしいタペストリーや絵画、天井画で装飾された絢爛豪華な内装に目を瞠ります。また、フランス風ロココ調の間や壁面に陶器で装飾が施された陶器の間、中国風の壁画で埋め尽くされた中国様式の間、晩餐会や舞踏会が開かれた大広間など、各部屋に特色を持たせています。スペイン王室の美術品コレクションは規模でも質でも世界的にも有名らしく、絵画だけでなく家具や金銀細工に至るまで美術館にできるほどです。王宮附属 の薬局や図書館、武具博物館、馬車博物館のコレクションも豊富で、マドリード観光の目玉のひとつになっています。

    マドリード王宮
    スペイン広場からサバティーニ庭園の先にマドリード王宮の北面を見ることができます。
    「オリエンテ宮」とも呼ばれるスペイン王の王宮ですが、実際には現国王のフェリペ6世とその王族は住んでおらず、彼らは郊外にあるマドリードより小さなサルスエラ宮殿で暮らしています。しかし、マドリード王宮は未だ国の公式行事に使用されており、王宮はスペイン政府の所有となり外局パトリモニオ・ナシオナルが管理しています。
    1085年、キリスト教徒によって町が奪回されると、イスラム教軍の要塞跡にカスティーリャ王国の宮廷が置かれ、1561年にマドリードに首都が移されてからはハプスブルグ王家の居城となりました。しかし、1734年の火災で宮廷は焼失しました。
    現在のマドリード王宮は、フランスのヴェルサイユ宮殿で育ったブルボン朝初代の王フェリペ5世がイタリアの建築家 F.ユヴァーラに設計を依頼し、26年余の歳月を費やして1764年に完成させたネオ・クラシック様式の建物です。しかし王宮の完成時には、すでに4代目カルロス3世の治世になっていました。フランスに従属的な地位に甘んじていたスペイン王室ゆえ、ルーヴル宮殿をイメージさせる王宮になったのも頷けます。以後、1931年までブルボン朝時代の歴代の王の住居となり、ここで政治を行ないました。画家ゴヤもこの王宮に住み込み、『カルロス4世とその家族』を描きました。
    部屋数は約2800室もあり、ゴヤやティエポロをはじめ有名画家の素晴らしいタペストリーや絵画、天井画で装飾された絢爛豪華な内装に目を瞠ります。また、フランス風ロココ調の間や壁面に陶器で装飾が施された陶器の間、中国風の壁画で埋め尽くされた中国様式の間、晩餐会や舞踏会が開かれた大広間など、各部屋に特色を持たせています。スペイン王室の美術品コレクションは規模でも質でも世界的にも有名らしく、絵画だけでなく家具や金銀細工に至るまで美術館にできるほどです。王宮附属 の薬局や図書館、武具博物館、馬車博物館のコレクションも豊富で、マドリード観光の目玉のひとつになっています。

  • サン・ヘロニモ・エル・レアル教会<br />プラド美術館のすぐ横にあるこの教会は、1501年に建てられたマドリード唯一のゴシック様式の教会、かつ最古の宗教建造物でもあります。規模はさほど大きくありませんが、清廉なイメージと細かな装飾が印象的です。この教会は代々のスペイン国王の戴冠式が行われる場所でもあり、歴史と威厳、重厚感が漂っています。<br />余談ですが、1854年に天正遣欧少年使節団が往時のスペイン国王フェリペ2世に謁見した場所でもあります。教会の回廊は美術館の一部にもなっています。

    サン・ヘロニモ・エル・レアル教会
    プラド美術館のすぐ横にあるこの教会は、1501年に建てられたマドリード唯一のゴシック様式の教会、かつ最古の宗教建造物でもあります。規模はさほど大きくありませんが、清廉なイメージと細かな装飾が印象的です。この教会は代々のスペイン国王の戴冠式が行われる場所でもあり、歴史と威厳、重厚感が漂っています。
    余談ですが、1854年に天正遣欧少年使節団が往時のスペイン国王フェリペ2世に謁見した場所でもあります。教会の回廊は美術館の一部にもなっています。

  • Dudua Palacio<br />午前中にソフィア王妃芸術センターとプラド美術館を回った後、プラド美術館近くの免税店でショッピング・タイムを取り、その後ランチ・タイムとなりました。<br />スペイン広場の近隣にある「Dudua Palacio」というお店です。

    Dudua Palacio
    午前中にソフィア王妃芸術センターとプラド美術館を回った後、プラド美術館近くの免税店でショッピング・タイムを取り、その後ランチ・タイムとなりました。
    スペイン広場の近隣にある「Dudua Palacio」というお店です。

  • Dudua Palacio「子豚の丸焼き」<br />スペインの名物料理のひとつ「コチニージョ・アサード(Cochinillo asado)」、つまり「子豚の丸焼き」に舌鼓です。ハーブやニンニクで味付けされ、カスエラと呼ばれるスペインの伝統的な耐熱陶器で黄金色になるまでローストしたものです。カスティージャ地方の名物料理とされ、中でもマドリード近郊のセゴビアが特に有名です。子豚は生後2~3週間以内のものが使われ、その特徴は、まず皮が薄いため焼くとパリッパリになること。脂身がまだ層になっておらず肉の部分に溶け込んでいるため、脂っこくなく、身が柔らかいこと。外はパリッとして、そして中身は柔らかくジューシーです。<br />焼きあがったコチニージョは丸ごと一匹テーブルに運ばれ、その自慢の柔らかさを見せるためにナイフではなく、皿を使って切り分けられます。そして子豚を切った皿は、その場で割られます。皿を割るという習慣は、他国でも見られる一種の魔除けとしてスペインにも根付いています。<br />マドリードで「コチニージョ・アサード」で有名なのは、サン・ミゲル市場の近くにある1725年創業の老舗「Botin(ボティン)」です。常連だったヘミングウェイが、小説『日はまた昇る』で主人公に「ボティンは世界一のレストラン」とまで言わせた名店です。

    Dudua Palacio「子豚の丸焼き」
    スペインの名物料理のひとつ「コチニージョ・アサード(Cochinillo asado)」、つまり「子豚の丸焼き」に舌鼓です。ハーブやニンニクで味付けされ、カスエラと呼ばれるスペインの伝統的な耐熱陶器で黄金色になるまでローストしたものです。カスティージャ地方の名物料理とされ、中でもマドリード近郊のセゴビアが特に有名です。子豚は生後2~3週間以内のものが使われ、その特徴は、まず皮が薄いため焼くとパリッパリになること。脂身がまだ層になっておらず肉の部分に溶け込んでいるため、脂っこくなく、身が柔らかいこと。外はパリッとして、そして中身は柔らかくジューシーです。
    焼きあがったコチニージョは丸ごと一匹テーブルに運ばれ、その自慢の柔らかさを見せるためにナイフではなく、皿を使って切り分けられます。そして子豚を切った皿は、その場で割られます。皿を割るという習慣は、他国でも見られる一種の魔除けとしてスペインにも根付いています。
    マドリードで「コチニージョ・アサード」で有名なのは、サン・ミゲル市場の近くにある1725年創業の老舗「Botin(ボティン)」です。常連だったヘミングウェイが、小説『日はまた昇る』で主人公に「ボティンは世界一のレストラン」とまで言わせた名店です。

  • プエルタ・デル・ソル(太陽の門)<br />ここからは、午後のトレド観光を終えてからのフリータイムのレポです。トレドからの帰着が30分程遅れ、有志6人で19時40分頃にホテルを出発し、地下鉄3号線でソルまでやってきました。ソル着は20時頃です。それぞれ目的が違うため、ここで解散です。<br />地下鉄路線図です。<br />http://www.jametro.or.jp/documents/world/railmap/2010_madrid_map.pdf<br /><br />「太陽の門」と呼ばれていますが、現在は門は存在せず、広場となっています。その歴史は15世紀に遡り、往時のマドリードは今のような大都市ではなく小さな村で、城壁に囲まれていました。周囲には小さな村が転々と存在し、その村間を結ぶために城壁には幾つかの門が用意されていました。そのうちの1つが、プエルタ・デル・ソルでした。その門の扉は太陽が昇る東の位置に向いていたため、そこには太陽が描かれていました。そこから、太陽の門と呼ばれるようになったそうです。<br />因みにプエルタ・デル・ソルは、ゴヤの絵『1808年5月3日の銃殺』で有名なナポレオン軍の占領に対するマドリード市民蜂起の舞台となった場所です。捕えられた市民は、プリンシペ・ピオの丘やマドリードの外周門などの各所で銃殺されたとされています。しかしプラド美術館の公式ガイドブックによると、銃殺の舞台となった場所は、現在の王宮の南側にあったマドリードの外周門プエルタ・デ・ラ・ベガ付近だったとしています。

    プエルタ・デル・ソル(太陽の門)
    ここからは、午後のトレド観光を終えてからのフリータイムのレポです。トレドからの帰着が30分程遅れ、有志6人で19時40分頃にホテルを出発し、地下鉄3号線でソルまでやってきました。ソル着は20時頃です。それぞれ目的が違うため、ここで解散です。
    地下鉄路線図です。
    http://www.jametro.or.jp/documents/world/railmap/2010_madrid_map.pdf

    「太陽の門」と呼ばれていますが、現在は門は存在せず、広場となっています。その歴史は15世紀に遡り、往時のマドリードは今のような大都市ではなく小さな村で、城壁に囲まれていました。周囲には小さな村が転々と存在し、その村間を結ぶために城壁には幾つかの門が用意されていました。そのうちの1つが、プエルタ・デル・ソルでした。その門の扉は太陽が昇る東の位置に向いていたため、そこには太陽が描かれていました。そこから、太陽の門と呼ばれるようになったそうです。
    因みにプエルタ・デル・ソルは、ゴヤの絵『1808年5月3日の銃殺』で有名なナポレオン軍の占領に対するマドリード市民蜂起の舞台となった場所です。捕えられた市民は、プリンシペ・ピオの丘やマドリードの外周門などの各所で銃殺されたとされています。しかしプラド美術館の公式ガイドブックによると、銃殺の舞台となった場所は、現在の王宮の南側にあったマドリードの外周門プエルタ・デ・ラ・ベガ付近だったとしています。

  • プエルタ・デル・ソル カルロス3世騎馬像<br />スペイン・ブルボン王朝のカルロス3世は、ナポリとシチリアを統一し、18世紀には街のインフラを改善し、マドリードを近代化した国王として知られています。同姓同名のハプルブルグ家のカルロス3世も存在しますが、その人物とは別人です。<br />プラド美術館の建設(ただし、当初は自然史博物館)やアルカラ門、シベーレスの噴水など、現在マドリードにある主要な建造物はカルロス3世の時代に造られました。ゴヤを宮廷画家に任じた王でもあります。<br />カルロス国王は、奇数世は有能で、偶数世は無能と言われています。隔世遺伝なのでしょうか?

    プエルタ・デル・ソル カルロス3世騎馬像
    スペイン・ブルボン王朝のカルロス3世は、ナポリとシチリアを統一し、18世紀には街のインフラを改善し、マドリードを近代化した国王として知られています。同姓同名のハプルブルグ家のカルロス3世も存在しますが、その人物とは別人です。
    プラド美術館の建設(ただし、当初は自然史博物館)やアルカラ門、シベーレスの噴水など、現在マドリードにある主要な建造物はカルロス3世の時代に造られました。ゴヤを宮廷画家に任じた王でもあります。
    カルロス国王は、奇数世は有能で、偶数世は無能と言われています。隔世遺伝なのでしょうか?

  • プエルタ・デル・ソル 「熊と山桃の木」の像<br />セルカニアス(近郊線)の出口付近にあるのが、マドリード市の紋章「熊と山桃の木(ツツジ科の低木)」の像です。<br />その由来を調べてみると、19世紀中期にマドリードを旅したデンマークの童話作家アンデルセンの紀行文に次のようなものがありました。<br />ある日、母親と子供が山にピクニックに来て熊に出くわしました。子供は山桃の木によじ登って難を逃れました。母親が子供を助けようと近寄ったところ、子供は「母さん、逃げて(Madre huid)」と叫びました。その「Madre huid」が縮まって「Madrid」になったとのことです。<br />さすがに童話作家だけあり、夢のあるお話です。別の由来もあります。<br />9世紀に後ウマイヤ朝のムハンマド1世が現在の王宮の位置に小さな宮殿の建設を命じた時、この宮殿の傍に小さな要塞が建てられました。その近くを流れるマンサナーレス川はアラビア語で「アル・マジュリート(水の源の意)」と呼ばれ、そこからこの地は「マジェリト」と呼ばれるようになり、現在の「マドリード」となったと言う説です。<br />その他、ムハンマド1世が築いた砦の名が「Magerit(マヘリット)」と呼ばれており、この砦が11世紀後半にキリスト教徒に奪取され、「Magerit」から「Madrit」に変更され、これが次第に「Madrid」になったなど、諸説あります。<br />

    プエルタ・デル・ソル 「熊と山桃の木」の像
    セルカニアス(近郊線)の出口付近にあるのが、マドリード市の紋章「熊と山桃の木(ツツジ科の低木)」の像です。
    その由来を調べてみると、19世紀中期にマドリードを旅したデンマークの童話作家アンデルセンの紀行文に次のようなものがありました。
    ある日、母親と子供が山にピクニックに来て熊に出くわしました。子供は山桃の木によじ登って難を逃れました。母親が子供を助けようと近寄ったところ、子供は「母さん、逃げて(Madre huid)」と叫びました。その「Madre huid」が縮まって「Madrid」になったとのことです。
    さすがに童話作家だけあり、夢のあるお話です。 別の由来もあります。
    9世紀に後ウマイヤ朝のムハンマド1世が現在の王宮の位置に小さな宮殿の建設を命じた時、 この宮殿の傍に小さな要塞が建てられました。その近くを流れるマンサナーレス川はアラビア語で「アル・マジュリート(水の源の意)」と呼ばれ、そこからこの地は「マジェリト」と呼ばれるようになり、現在の「マドリード」となったと言う説です。
    その他、ムハンマド1世が築いた砦の名が「Magerit(マヘリット)」と呼ばれており、この砦が11世紀後半にキリスト教徒に奪取され、「Magerit」から「Madrit」に変更され、これが次第に「Madrid」になったなど、諸説あります。

  • プエルタ・デル・ソル マドリード市庁舎<br />デパート「エル・コルテ・イングレス」を背にして目の前に建つのは、時計台が印象的なマドリード市庁舎です。市庁舎の玄関前には「0km」地点の碑が地面に埋められています。日本で言う「日本橋」のように、放射状に伸びるスペイン国道の起点(セロ地点)です。<br />

    プエルタ・デル・ソル マドリード市庁舎
    デパート「エル・コルテ・イングレス」を背にして目の前に建つのは、時計台が印象的なマドリード市庁舎です。市庁舎の玄関前には「0km」地点の碑が地面に埋められています。日本で言う「日本橋」のように、放射状に伸びるスペイン国道の起点(セロ地点)です。

  • マヨール広場 サラゴサ門<br />マドリード市内では、一戸建ての家屋を建設することは許されていません。ですから、住民は6~7階建のアパートに住んでいます。各々の建物の高さに凸凹がないことから、整然とした調和感に溢れています。居住空間の平均的な広さは、3寝室・居間・台所・2バスルームの間取りで、100~130平方mです。これが1400万円前後で買え、アパートは中庭を囲む設計になっており、周辺には公園や広場が整備されています。<br />街の総面積の60%以上は緑地帯となり、虫や公害に強いスズカケ、アカシヤが植えられています。そしてこれらが、マドリードという都市の外観の美しさの要素にもなっています。<br />マドリード市民の夢は、週末に郊外に建てた庭付きの1軒家のセカンド・ハウス に出かけることだそうです。

    マヨール広場 サラゴサ門
    マドリード市内では、一戸建ての家屋を建設することは許されていません。ですから、住民は6~7階建のアパートに住んでいます。各々の建物の高さに凸凹がないことから、整然とした調和感に溢れています。居住空間の平均的な広さは、3寝室・居間・台所・2バスルームの間取りで、100~130平方mです。これが1400万円前後で買え、アパートは中庭を囲む設計になっており、周辺には公園や広場が整備されています。
    街の総面積の60%以上は緑地帯となり、虫や公害に強いスズカケ、アカシヤが植えられています。そしてこれらが、マドリードという都市の外観の美しさの要素にもなっています。
    マドリード市民の夢は、週末に郊外に建てた庭付きの1軒家のセカンド・ハウス に出かけることだそうです。

  • マヨール広場<br />1619年に完成した、南北94m、東西122mの長方形をした広場です。「マヨール」とは、「より高い」や「大きな」を意味し、19世紀に「ソル広場」にとって代わられるまでは「場末の貧民街」を意味するアラバル広場と呼ばれ、この広場がマドリードの中心地でした。<br />1561年にスペインの首都をマドリードに遷都したフェリペ2世は、アラバル広場を政治や王室行事も行える大きな新しい広場に大改築し、王宮と周囲の重要な教会、修道院、宮殿を繋ぐ地下通路も造らせ、マヨール広場の地下は地下道の交差点になっていたそうです。<br />世界中どこの観光地でも同じですが、マヨール広場やソル広場はスリやひったくりが多い事でも有名です。他国から出稼ぎにやって来るプロの犯罪集団がほとんどだそうです。バルやレストランで椅子に座っても、バッグは肩ひもを身体に掛けたままにし、隣の椅子や足下に置くのは御法度です。愉しい旅行にするためにも、最低限のリスクヘッジを心がけてください。

    マヨール広場
    1619年に完成した、南北94m、東西122mの長方形をした広場です。「マヨール」とは、「より高い」や「大きな」を意味し、19世紀に「ソル広場」にとって代わられるまでは「場末の貧民街」を意味するアラバル広場と呼ばれ、この広場がマドリードの中心地でした。
    1561年にスペインの首都をマドリードに遷都したフェリペ2世は、アラバル広場を政治や王室行事も行える大きな新しい広場に大改築し、王宮と周囲の重要な教会、修道院、宮殿を繋ぐ地下通路も造らせ、マヨール広場の地下は地下道の交差点になっていたそうです。
    世界中どこの観光地でも同じですが、マヨール広場やソル広場はスリやひったくりが多い事でも有名です。他国から出稼ぎにやって来るプロの犯罪集団がほとんどだそうです。バルやレストランで椅子に座っても、バッグは肩ひもを身体に掛けたままにし、隣の椅子や足下に置くのは御法度です。愉しい旅行にするためにも、最低限のリスクヘッジを心がけてください。

  • マヨール広場 カサ・デ・ラ・パナデリア<br />結婚式の前撮りでしょうか、ウェディングドレス姿の女性がいます。<br />長方形の広場を4階建の石造りの建物が囲み、時計のある北側の建物はカサ・デ・ラ・パナデリア(パン屋の意味)と言い、壁のフレスコ画が見事です。魚市場の跡地に建築家ディエゴ・シジェロが1590~99年にかけて建設したものです。ファサードのフレスコ画は、マドリードが欧州文化都市に選ばれた1992年にカルロス・フランコ・ルビオによってマドリードに関連のある神話の神々(女神シべーレス、女神プロセルピナ、オリュンポス十二神ディオニューソスやキューピットなど)が描かれています。1階にはアーケード、2階以上に237個ものバルコニーが迫り出しています。<br />かつては、ヨーロッパの広場の例に漏れず、王室の儀式や軍隊の式典の他、闘牛やグラディエーター、時には異端尋問、異端者の焚刑などのいわば見世物など、人々の血を騒がせる様々なアトラクションが行われ、市場も沢山立ちました。バルコ ニー群は、こうした見世物の観覧席の名残だそうです。因みに、往時は2階建ての建物だったそうです。また、20世紀のフランコ時代以来の入居者は、家賃が当時のまま凍結されていることでも有名です。マドリードの一等地ながら、家賃が1ヶ月50~70ユーロだそうです。

    マヨール広場 カサ・デ・ラ・パナデリア
    結婚式の前撮りでしょうか、ウェディングドレス姿の女性がいます。
    長方形の広場を4階建の石造りの建物が囲み、時計のある北側の建物はカサ・デ・ラ・パナデリア(パン屋の意味)と言い、壁のフレスコ画が見事です。魚市場の跡地に建築家ディエゴ・シジェロが1590~99年にかけて建設したものです。ファサードのフレスコ画は、マドリードが欧州文化都市に選ばれた1992年にカルロス・フランコ・ルビオによってマドリードに関連のある神話の神々(女神シべーレス、女神プロセルピナ、オリュンポス十二神ディオニューソスやキューピットなど)が描かれています。1階にはアーケード、2階以上に237個ものバルコニーが迫り出しています。
    かつては、ヨーロッパの広場の例に漏れず、王室の儀式や軍隊の式典の他、闘牛やグラディエーター、時には異端尋問、異端者の焚刑などのいわば見世物など、人々の血を騒がせる様々なアトラクションが行われ、市場も沢山立ちました。バルコ ニー群は、こうした見世物の観覧席の名残だそうです。因みに、往時は2階建ての建物だったそうです。また、20世紀のフランコ時代以来の入居者は、家賃が当時のまま凍結されていることでも有名です。マドリードの一等地ながら、家賃が1ヶ月50~70ユーロだそうです。

  • マヨール広場 フェリペ3世の騎馬像<br />カサ・デ・ラ・パナデリア「パン屋」の対面には、「肉屋」という意味のカサ・デ・カルニセリアがあります。<br />広場中央には、この広場の造営を命じたフェリペ3世の騎馬像が建てられています。彼も父フェリペ2世の意志を継いでイギリスに対して幾度かスペイン艦隊を派遣していますが、無敵を誇るスペイン艦隊がイギリス艦隊を破ることはついぞありませんでした。<br />イタリアの彫刻家ジャンボローニャが着手し、彼の死後の1616年に弟子ピエトロ・タッカが完成させました。往時のトスカーナ大公コジモ2世からスペイン王へ献上され、長い間カサ・デ・カンポに置かれていました。1848年、女王イサベル2世がマドリード市に命じて広場へ設置させています。<br />この騎馬像ですが、意外に役立つツールになっています。広場の門はどれも似ていて何処へ通じるのか迷ってしまうのですが、この像を方位磁石に見立てると結構便利です。例えば、顔の正面がソル広場へ通じるサラゴサ門。馬の鼻の右斜め前はアトーチャ通りへ通じる門で、サンタ・アナ広場方面へ続きます。馬のお尻の右側が居酒屋で賑わうマヨール広場 クチリェロスの門。馬のお尻の左側がサンミゲル市場や王宮に続くサンチャゴ通り。フェリペ3世像の右脇が、サン・イシドロ教会やトレド通り方面に通じるトレド門です。左脇のツーリストインフォーメーションの横からは、チョコラテ・サンヒネスやオペラ駅、王室デスカルサス修道院方面に通じています。

    マヨール広場 フェリペ3世の騎馬像
    カサ・デ・ラ・パナデリア「パン屋」の対面には、「肉屋」という意味のカサ・デ・カルニセリアがあります。
    広場中央には、この広場の造営を命じたフェリペ3世の騎馬像が建てられています。彼も父フェリペ2世の意志を継いでイギリスに対して幾度かスペイン艦隊を派遣していますが、無敵を誇るスペイン艦隊がイギリス艦隊を破ることはついぞありませんでした。
    イタリアの彫刻家ジャンボローニャが着手し、彼の死後の1616年に弟子ピエトロ・タッカが完成させました。往時のトスカーナ大公コジモ2世からスペイン王へ献上され、長い間カサ・デ・カンポに置かれていました。1848年、女王イサベル2世がマドリード市に命じて広場へ設置させています。
    この騎馬像ですが、意外に役立つツールになっています。広場の門はどれも似ていて何処へ通じるのか迷ってしまうのですが、この像を方位磁石に見立てると結構便利です。例えば、顔の正面がソル広場へ通じるサラゴサ門。馬の鼻の右斜め前はアトーチャ通りへ通じる門で、サンタ・アナ広場方面へ続きます。馬のお尻の右側が居酒屋で賑わうマヨール広場 クチリェロスの門。馬のお尻の左側がサンミゲル市場や王宮に続くサンチャゴ通り。フェリペ3世像の右脇が、サン・イシドロ教会やトレド通り方面に通じるトレド門です。左脇のツーリストインフォーメーションの横からは、チョコラテ・サンヒネスやオペラ駅、王室デスカルサス修道院方面に通じています。

  • マヨール広場 クチリェロスの門 <br />マヨール広場にある9箇所のアーチのうち最も有名な門で、広場南西にあります。<br />大火後の1790年、ビリャヌエバによって設計された門で、アーチ内の階段は広場とカバ・デ・サン・ミゲル通りとをつないでいます。<br />名前は、このアーチの場所にかつてクチリェロス通りがあったことに由来します。通りにはナイフ職人組合の工房が並び、同じ広場の中にある肉屋組合に商品を納めていたそうです。現在はバルやレストランが立ち並ぶ観光地となり、ギネスブックに世界最古のレストランとして記録されているソブリーノ・デ・ボティン(Sobrino de Botin、1725年創業)もこの通り沿いにあります。

    マヨール広場 クチリェロスの門
    マヨール広場にある9箇所のアーチのうち最も有名な門で、広場南西にあります。
    大火後の1790年、ビリャヌエバによって設計された門で、アーチ内の階段は広場とカバ・デ・サン・ミゲル通りとをつないでいます。
    名前は、このアーチの場所にかつてクチリェロス通りがあったことに由来します。通りにはナイフ職人組合の工房が並び、同じ広場の中にある肉屋組合に商品を納めていたそうです。現在はバルやレストランが立ち並ぶ観光地となり、ギネスブックに世界最古のレストランとして記録されているソブリーノ・デ・ボティン(Sobrino de Botin、1725年創業)もこの通り沿いにあります。

  • Hostal La Macarena <br />マヨール広場のクチリェロスのアーチの正面に位置する2つ星ホテルです。<br />歩道との境は、グエル公園で見たようなロザリオのような丸い石で仕切られています。<br />

    Hostal La Macarena
    マヨール広場のクチリェロスのアーチの正面に位置する2つ星ホテルです。
    歩道との境は、グエル公園で見たようなロザリオのような丸い石で仕切られています。

  • カバ・デ・サン・ミゲル(Cava de San Miguel)<br />メソン・デル・チャンピニョン、メソン・デ・ラ・トルティーヤ、メソン・デル・ボケロンの3つのバルが軒を連なる通りが、カバ・デ・サン・ミゲルです。<br />自慢の一品ずつをいただいてバルをはしごをするのに持って来いの通りです。

    カバ・デ・サン・ミゲル(Cava de San Miguel)
    メソン・デル・チャンピニョン、メソン・デ・ラ・トルティーヤ、メソン・デル・ボケロンの3つのバルが軒を連なる通りが、カバ・デ・サン・ミゲルです。
    自慢の一品ずつをいただいてバルをはしごをするのに持って来いの通りです。

  • メソン・デル・チャンピニョン(Meson del Champinon) <br />クチリェロスの門のすぐ近くにあります。店の外の看板には「マシツュルーム」と間違ったカタカナで書かれているのがご愛敬です。<br />看板料理は、マッシュルームの鉄板焼き「チャンピニオン・ア・ラ・プランチャ」です。アルバセテ産のマッシュルームにニンニクやチョリソ、パセリをのせてヒマワリ油で香ばしく焼き上げ、塩やレモン汁で味付けした絶品です。<br />店内は、天井にマッシュルームが生えており、面白い造りになっています。手前はカウンター席ですが、奥にテーブル席があります。

    メソン・デル・チャンピニョン(Meson del Champinon)
    クチリェロスの門のすぐ近くにあります。店の外の看板には「マシツュルーム」と間違ったカタカナで書かれているのがご愛敬です。
    看板料理は、マッシュルームの鉄板焼き「チャンピニオン・ア・ラ・プランチャ」です。アルバセテ産のマッシュルームにニンニクやチョリソ、パセリをのせてヒマワリ油で香ばしく焼き上げ、塩やレモン汁で味付けした絶品です。
    店内は、天井にマッシュルームが生えており、面白い造りになっています。手前はカウンター席ですが、奥にテーブル席があります。

  • ムセオ・デル・ハモン(Museo del Jamon) <br />チェーン店なので市内に多数あります。ボリュームがあり、安いのがポイントです。<br />ボカディージョ(サンドイッチ)は1つでおなか一杯になり、中でも生ハムの入ったボカディージョが人気です。生ハムを数種類、一度に楽しめる盛り合わせのメニューもあるので、選べない場合はそうしたプレートもお勧めです。<br />ドリンク、デザート、ボカディージョのピクニックセット(2.5ユーロ)なるものもあり、テイクアウトもできるので、持ち帰ってホテルで食べることもできます。

    ムセオ・デル・ハモン(Museo del Jamon)
    チェーン店なので市内に多数あります。ボリュームがあり、安いのがポイントです。
    ボカディージョ(サンドイッチ)は1つでおなか一杯になり、中でも生ハムの入ったボカディージョが人気です。生ハムを数種類、一度に楽しめる盛り合わせのメニューもあるので、選べない場合はそうしたプレートもお勧めです。
    ドリンク、デザート、ボカディージョのピクニックセット(2.5ユーロ)なるものもあり、テイクアウトもできるので、持ち帰ってホテルで食べることもできます。

  • サン・ミゲル市場(Mercado de San Miguel ) <br />1916年に建築家アルフォンソ・ドゥベによって建設された、古くからの青果市場でした。現在に残る唯一の鉄製の市場と言うことで、建造物のカテゴリーでは文化遺産となっています。<br />現在は2009年に約15の店やバルが集結したグルメスポットとしてリニューアルされており、フードコートのように購入した料理をテーブル席で食べられます 。寿司バーもありますが、さすがに帰国前日では食す気にはなれません。週末の夜ともなると午前2時頃まで開いているそうです。<br />

    サン・ミゲル市場(Mercado de San Miguel )
    1916年に建築家アルフォンソ・ドゥベによって建設された、古くからの青果市場でした。現在に残る唯一の鉄製の市場と言うことで、建造物のカテゴリーでは文化遺産となっています。
    現在は2009年に約15の店やバルが集結したグルメスポットとしてリニューアルされており、フードコートのように購入した料理をテーブル席で食べられます 。寿司バーもありますが、さすがに帰国前日では食す気にはなれません。週末の夜ともなると午前2時頃まで開いているそうです。

  • サン・ミゲル市場<br />ガラス張りの市場に一歩足を踏み入れると、色とりどりの季節の果物や珍しい野菜、沢山の種類のチーズや、チョコレートやケーキなどのスイーツ、新鮮なシーフードや天井から吊るされたチョリソや生ハムなどなど、スペイングルメの博物館のようになっています。

    サン・ミゲル市場
    ガラス張りの市場に一歩足を踏み入れると、色とりどりの季節の果物や珍しい野菜、沢山の種類のチーズや、チョコレートやケーキなどのスイーツ、新鮮なシーフードや天井から吊るされたチョリソや生ハムなどなど、スペイングルメの博物館のようになっています。

  • サン・ミゲル市場<br />やっぱり目が行くのはスイーツ系です。

    サン・ミゲル市場
    やっぱり目が行くのはスイーツ系です。

  • ビリャ広場 シスネーロスの家(正面)<br />旧市街にあるマドリッドで最古の広場です。ビリャ広場からは、街の昔の道筋に当たるコド通り、コルドン通り、マドリード通りという3本の小さな通りが延びており、かつての広場は中世マドリードの中心地のひとつでした。15世紀、カスティージャ王エンリケ4世はマドリードに対して「高貴で忠実な町(Noble y Leal Villa)」という称号を与えたため、これに因んでビリャ広場と命名されました。<br />この小さな広場に、15世紀に建てられたらルハーネスの塔、16世紀に建てられたシスネーロスの家、17世紀に建てられたカサ・デ・ラ・ビリャ(旧マドリード市庁舎)など、異なる時代に異なる様式で建てられた歴史的建築物が立ち並ぶのも妙ですが、その保存状態の良さにも定評があります。<br /><br />正面にあるのは、シスネロスの家です。1537年、プラテレスク様式(ルネッサンス期にスペインで見られた、ムデハル様式とフランボワイヤン=ゴシック様式の混合)で建てられた邸宅です。シスネロス枢機卿の甥ベニートが暮らしていたため、この名があります。広場に面したファサード部分は、20世紀に家の所有者となったマドリード市により、市庁舎との調和を図るために改修されています。言い伝えによると、フェリペ2世の秘書アントニオ・ペレスがここに監禁されていたそうです。首相を務めたラモン・マリア・ナルバエスは、退陣後にこの邸宅で暮らしました。

    ビリャ広場 シスネーロスの家(正面)
    旧市街にあるマドリッドで最古の広場です。ビリャ広場からは、街の昔の道筋に当たるコド通り、コルドン通り、マドリード通りという3本の小さな通りが延びており、かつての広場は中世マドリードの中心地のひとつでした。15世紀、カスティージャ王エンリケ4世はマドリードに対して「高貴で忠実な町(Noble y Leal Villa)」という称号を与えたため、これに因んでビリャ広場と命名されました。
    この小さな広場に、15世紀に建てられたらルハーネスの塔、16世紀に建てられたシスネーロスの家、17世紀に建てられたカサ・デ・ラ・ビリャ(旧マドリード市庁舎)など、異なる時代に異なる様式で建てられた歴史的建築物が立ち並ぶのも妙ですが、その保存状態の良さにも定評があります。

    正面にあるのは、シスネロスの家です。1537年、プラテレスク様式(ルネッサンス期にスペインで見られた、ムデハル様式とフランボワイヤン=ゴシック様式の混合)で建てられた邸宅です。シスネロス枢機卿の甥ベニートが暮らしていたため、この名があります。広場に面したファサード部分は、20世紀に家の所有者となったマドリード市により、市庁舎との調和を図るために改修されています。言い伝えによると、フェリペ2世の秘書アントニオ・ペレスがここに監禁されていたそうです。首相を務めたラモン・マリア・ナルバエスは、退陣後にこの邸宅で暮らしました。

  • ビリャ広場 カサ・デ・ラ・ビリャ(旧マドリード市庁舎)<br />1693年にフアン・ゴメス・デ・モラの設計によりバリェ侯爵の邸宅の跡地に建てられた市庁舎です。刑務所としての役割も担ったそうです。2007年にマドリード市長や本庁舎がシベーレス広場に面したコムニカシオネス宮殿へ移転したため、現在は市庁舎分室となっています。<br />

    ビリャ広場 カサ・デ・ラ・ビリャ(旧マドリード市庁舎)
    1693年にフアン・ゴメス・デ・モラの設計によりバリェ侯爵の邸宅の跡地に建てられた市庁舎です。刑務所としての役割も担ったそうです。2007年にマドリード市長や本庁舎がシベーレス広場に面したコムニカシオネス宮殿へ移転したため、現在は市庁舎分室となっています。

  • ビリャ広場 ルハーネスの塔<br />マドリードで最古となるムデハル様式の塔と邸宅からなり、15世紀に建てられたアラゴン人豪商ルハーネスの邸宅です。言い伝えでは、パヴィアの戦い(1525年)で捕虜となったフランス王フランソワ1世が、塔に住まわされていたとされています。現在は人文・政治学アカデミーの本部となっています。<br />

    ビリャ広場 ルハーネスの塔
    マドリードで最古となるムデハル様式の塔と邸宅からなり、15世紀に建てられたアラゴン人豪商ルハーネスの邸宅です。言い伝えでは、パヴィアの戦い(1525年)で捕虜となったフランス王フランソワ1世が、塔に住まわされていたとされています。現在は人文・政治学アカデミーの本部となっています。

  • ビリャ広場 ルハーネスの塔<br />イスラムとキリスト教が融合したムデハル様式の門扉から、今にも屋敷の住人が飛び出してきそうな雰囲気を湛えています。<br />

    ビリャ広場 ルハーネスの塔
    イスラムとキリスト教が融合したムデハル様式の門扉から、今にも屋敷の住人が飛び出してきそうな雰囲気を湛えています。

  • ビリャ広場 ルハーネスの邸宅<br />邸宅の入口も味わい深いムデハル様式になっています。

    ビリャ広場 ルハーネスの邸宅
    邸宅の入口も味わい深いムデハル様式になっています。

  • ビリャ広場 サンタ・クルズ侯爵アルバロ・デ・バサン像<br />1888年、16世紀に活躍した軍人アルバロ・デ・バサンの没後300年を記念し、市はバサン像の設置を決定しました。実際に設置されたのはその3年後のことです。台座の正面には彼の名前が、後方にはロペ・デ・ベガによる追悼文が刻まれています。<br />サンタ・クルズ侯爵は、スペインとヴェネチアの連合艦隊がトルコの地中海支配を打ち破った「レパントの戦い」など数多の海戦で軍功を挙げています。<br />イングランドの脅威を察して時の国王フェリペ2世にスペイン無敵艦隊の構想を進言し、自ら海軍総司令官となって指揮を執るのですが、心労と高齢のため志半ばでポルトガルのリスボンで急死しています。報を受けた国王は「彼の他に海戦を熟知した者はいない」と落胆したと言われています。その後、海賊上がりのフランシス・ドレイクなどが率いたイングランド海軍との「アルマダの海戦」で、スペイン無敵艦隊は破滅状態に陥っていったのです。

    ビリャ広場 サンタ・クルズ侯爵アルバロ・デ・バサン像
    1888年、16世紀に活躍した軍人アルバロ・デ・バサンの没後300年を記念し、市はバサン像の設置を決定しました。実際に設置されたのはその3年後のことです。台座の正面には彼の名前が、後方にはロペ・デ・ベガによる追悼文が刻まれています。
    サンタ・クルズ侯爵は、スペインとヴェネチアの連合艦隊がトルコの地中海支配を打ち破った「レパントの戦い」など数多の海戦で軍功を挙げています。
    イングランドの脅威を察して時の国王フェリペ2世にスペイン無敵艦隊の構想を進言し、自ら海軍総司令官となって指揮を執るのですが、心労と高齢のため志半ばでポルトガルのリスボンで急死しています。報を受けた国王は「彼の他に海戦を熟知した者はいない」と落胆したと言われています。その後、海賊上がりのフランシス・ドレイクなどが率いたイングランド海軍との「アルマダの海戦」で、スペイン無敵艦隊は破滅状態に陥っていったのです。

  • スペイン軍大聖堂教会(Iglesia Catedral de las Fuerzas Armadas de Espana)<br />荘厳なバロック様式の教会です。<br />軍の行事でもあったのか、教会から軍人さんが沢山出てきました。<br />

    スペイン軍大聖堂教会(Iglesia Catedral de las Fuerzas Armadas de Espana)
    荘厳なバロック様式の教会です。
    軍の行事でもあったのか、教会から軍人さんが沢山出てきました。

  • ふと右側に目をやると、ひとり黄昏ていっらしゃる方がおられます。<br />よく観るとブロンズ像でした。この下に一寸した遺跡があるようです。

    ふと右側に目をやると、ひとり黄昏ていっらしゃる方がおられます。
    よく観るとブロンズ像でした。この下に一寸した遺跡があるようです。

  • サンタ・マリア・ラ・レアル・デ・ラ・アルムデナ大聖堂<br />マドリード州のカトリック教会の総本部にもなっている、エレガントなネオ・ゴシック様式の教会です。「アルムデナ」とは、マドリードの守護聖母のことです。スペインでは、女子の名前にも好まれるそうです。<br />「聖母アルムデナ」に捧げるマドリード新大聖堂の建設計画は16世紀にすでにありましたが、フェリペ2世はエル・エスコリアル宮殿や修道院の建設に夢中で後回しにされていました。結局、着工したのは1883年、アルフォンソ12世の時代になってからで、途中スペイン内戦による長い中断を挟んで1993年に完成しています。

    サンタ・マリア・ラ・レアル・デ・ラ・アルムデナ大聖堂
    マドリード州のカトリック教会の総本部にもなっている、エレガントなネオ・ゴシック様式の教会です。「アルムデナ」とは、マドリードの守護聖母のことです。スペインでは、女子の名前にも好まれるそうです。
    「聖母アルムデナ」に捧げるマドリード新大聖堂の建設計画は16世紀にすでにありましたが、フェリペ2世はエル・エスコリアル宮殿や修道院の建設に夢中で後回しにされていました。結局、着工したのは1883年、アルフォンソ12世の時代になってからで、途中スペイン内戦による長い中断を挟んで1993年に完成しています。

  • アルムデナ大聖堂<br />とっくに落陽したものと諦めていましたが、ぎりぎり日没に間に合いました。<br />2004年5月22日、フェリペ皇太子とアナウンサーだった民間出身のレティシア・オルティス嬢の挙式が行われたのがこのアルムデナ大聖堂です。日本からは皇太子様も招待され、1400人もの来賓に見守られる中、華やかに式は執り行われました。尚、2014年に国王フェリペ6世、レティシア王妃として即位されています。<br />また、2004年3月11日に起こったマドリードの同時列車爆破テロの国家葬もここで行われています。

    アルムデナ大聖堂
    とっくに落陽したものと諦めていましたが、ぎりぎり日没に間に合いました。
    2004年5月22日、フェリペ皇太子とアナウンサーだった民間出身のレティシア・オルティス嬢の挙式が行われたのがこのアルムデナ大聖堂です。日本からは皇太子様も招待され、1400人もの来賓に見守られる中、華やかに式は執り行われました。尚、2014年に国王フェリペ6世、レティシア王妃として即位されています。
    また、2004年3月11日に起こったマドリードの同時列車爆破テロの国家葬もここで行われています。

  • アルメリア広場<br />アルムデナ大聖堂とマドリード王宮に挟まれたスペースは広場になっています。<br />エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)9階のマルチ・ガストロノミー・スペースも夕景で定評があるのですが、ここもいいですね!<br />

    アルメリア広場
    アルムデナ大聖堂とマドリード王宮に挟まれたスペースは広場になっています。
    エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)9階のマルチ・ガストロノミー・スペースも夕景で定評があるのですが、ここもいいですね!

  • アルムデナ大聖堂<br />伝説によると、イスラム国が西ゴート王国を滅ぼした711年、マドリードのアルムダイナ(アラビア語で城塞)村の人々は城壁の水車井戸に聖母マリア像を隠しました。それから約300年後の1085年、イスラム国トレドに無血入場したアルフォンソ6世王が凱旋行進の途中、アルムダイナ村の城壁を通りかかったところ、壁から小石が転げ落ちてきました。その小石が止まった場所には聖母マリア像があり、2本の蝋燭が灯されていました。それに感激したアルフォンソ6世は早速画家を遣わし、アルムダイナ村のモスクの壁に「百合の花のマリア」の絵を描かせました。イエスを抱き、手に百合の花を持ったマリアの姿は、アルフォンソ6世王の妻コンスタンサに似ていたと言います。<br />イスラム国時代に生きたカトリック信者たちは、百合の花に無原罪のマリアを重ね、 秘密裏に信仰を守っていたのでした。1868年、アルムダイナ村の百合の聖母マリアを祀る新しい教会を建立したいという信徒会は、当時のアルフォンソ12世の妻メルセデス女王を御加護することを理由に、カトリックの総本山であるトレド大聖堂の大司教に懇願して認められ、このアルムデナ大聖堂が造られることになったそうです。<br />一方、この奇跡は、実は首都に何らかの「聖母の奇跡」を創設したかった一部の司祭が演出したもので、アルムダイナはアラビア語の「都市」という意味のアルメディーナ(al-medina)の省略形でしかないという説もあります。

    アルムデナ大聖堂
    伝説によると、イスラム国が西ゴート王国を滅ぼした711年、マドリードのアルムダイナ(アラビア語で城塞)村の人々は城壁の水車井戸に聖母マリア像を隠しました。それから約300年後の1085年、イスラム国トレドに無血入場したアルフォンソ6世王が凱旋行進の途中、アルムダイナ村の城壁を通りかかったところ、壁から小石が転げ落ちてきました。その小石が止まった場所には聖母マリア像があり、2本の蝋燭が灯されていました。それに感激したアルフォンソ6世は早速画家を遣わし、アルムダイナ村のモスクの壁に「百合の花のマリア」の絵を描かせました。イエスを抱き、手に百合の花を持ったマリアの姿は、アルフォンソ6世王の妻コンスタンサに似ていたと言います。
    イスラム国時代に生きたカトリック信者たちは、百合の花に無原罪のマリアを重ね、 秘密裏に信仰を守っていたのでした。1868年、アルムダイナ村の百合の聖母マリアを祀る新しい教会を建立したいという信徒会は、当時のアルフォンソ12世の妻メルセデス女王を御加護することを理由に、カトリックの総本山であるトレド大聖堂の大司教に懇願して認められ、このアルムデナ大聖堂が造られることになったそうです。
    一方、この奇跡は、実は首都に何らかの「聖母の奇跡」を創設したかった一部の司祭が演出したもので、アルムダイナはアラビア語の「都市」という意味のアルメディーナ(al-medina)の省略形でしかないという説もあります。

  • アルムデナ大聖堂 身廊<br />王宮側にある入口は博物館(MUSEO)専用で有料との情報がありましたが、今回は特別な催しがあったようで開放されていました。因みに博物館の入場券は、2箇所の展望台への入場ができる特典付きです。<br />教会内部に入った途端に目に飛び込む色鮮やかな内装は、見とれてしまうほど魅力的です。教会の中央は奥行き 104m、幅76mもあり、中世に建立された大聖堂のような荘厳な雰囲気こそありませんが、現在風に洗練されたエレガントな印象です。教会にいる事を忘れてしまいそうなほど、斬新なデザインが施された空間です。もしサグラダ・ファミリアを見ていなかったら、度肝を抜かれていたことでしょう。

    アルムデナ大聖堂 身廊
    王宮側にある入口は博物館(MUSEO)専用で有料との情報がありましたが、今回は特別な催しがあったようで開放されていました。因みに博物館の入場券は、2箇所の展望台への入場ができる特典付きです。
    教会内部に入った途端に目に飛び込む色鮮やかな内装は、見とれてしまうほど魅力的です。教会の中央は奥行き 104m、幅76mもあり、中世に建立された大聖堂のような荘厳な雰囲気こそありませんが、現在風に洗練されたエレガントな印象です。教会にいる事を忘れてしまいそうなほど、斬新なデザインが施された空間です。もしサグラダ・ファミリアを見ていなかったら、度肝を抜かれていたことでしょう。

  • アルムデナ大聖堂 身廊<br />大聖堂の見所は、「モダンでポップな内装」に尽きます。外観は上品で美しいネオ・クラシカル様式ですが、内装はゴシック・リバイバル様式と言われるユニークな現代感覚です。現代芸術家による礼拝堂や像の装飾は、歴史的復古作品からポップアート装飾まで多岐に亘る様式が採用されていて吃驚ポンです。<br />パイプオルガンも星や月で飾り付けられ、とても可愛らしいです。<br />もしも王室のお墨付きでなければ、侃々諤々の議論を呼んだ大聖堂だと思います。実際に、教皇ヨハネ・パウロ2世が1993年に聖別するまでは、大聖堂としては認められていなかったそうです。ですから大聖堂の完成年度は1993年とされています。

    アルムデナ大聖堂 身廊
    大聖堂の見所は、「モダンでポップな内装」に尽きます。外観は上品で美しいネオ・クラシカル様式ですが、内装はゴシック・リバイバル様式と言われるユニークな現代感覚です。現代芸術家による礼拝堂や像の装飾は、歴史的復古作品からポップアート装飾まで多岐に亘る様式が採用されていて吃驚ポンです。
    パイプオルガンも星や月で飾り付けられ、とても可愛らしいです。
    もしも王室のお墨付きでなければ、侃々諤々の議論を呼んだ大聖堂だと思います。実際に、教皇ヨハネ・パウロ2世が1993年に聖別するまでは、大聖堂としては認められていなかったそうです。ですから大聖堂の完成年度は1993年とされています。

  • アルムデナ大聖堂 中央祭壇<br />天井もカラフルで風変わりなデザインで装飾されており、ずっと眺めていても飽きることがありません。<br />また、中央祭壇にはこのように階段が設置してあり、観光客にも「聖母アルムデナ」像の足元まで立ち入ることを許可しています。勿論、レプリカですが、オリジナルは大聖堂の博物館に展示されています。<br />聖母像の背後には、マリアの物語が描かれた豪華なレタベル(祭壇衝立)もあります。

    アルムデナ大聖堂 中央祭壇
    天井もカラフルで風変わりなデザインで装飾されており、ずっと眺めていても飽きることがありません。
    また、中央祭壇にはこのように階段が設置してあり、観光客にも「聖母アルムデナ」像の足元まで立ち入ることを許可しています。勿論、レプリカですが、オリジナルは大聖堂の博物館に展示されています。
    聖母像の背後には、マリアの物語が描かれた豪華なレタベル(祭壇衝立)もあります。

  • マドリード王宮<br />美しい白亜の王宮です。外観は簡素ながらも堂々としており、柱やコーニス、モールディングを中心とした装飾の一番高い部分には欄干が巡らされています。<br />新しい王宮に最初に暮らしたのはカルロス3世でした。そして最後に暮らしたのがアルフォンソ13世とビクトリア・エウヘニア王妃になります。

    マドリード王宮
    美しい白亜の王宮です。外観は簡素ながらも堂々としており、柱やコーニス、モールディングを中心とした装飾の一番高い部分には欄干が巡らされています。
    新しい王宮に最初に暮らしたのはカルロス3世でした。そして最後に暮らしたのがアルフォンソ13世とビクトリア・エウヘニア王妃になります。

  • マドリード王宮<br />アルマス広場から眺める美しい王宮のファサードです。<br />パラシオ・レアルが立つこの地は、11世紀にカスティーリャ王国の宮廷が置かれ、16世紀には国王の居城となり、スペインの中で最も絢爛な歴史の舞台となった場所です。

    マドリード王宮
    アルマス広場から眺める美しい王宮のファサードです。
    パラシオ・レアルが立つこの地は、11世紀にカスティーリャ王国の宮廷が置かれ、16世紀には国王の居城となり、スペインの中で最も絢爛な歴史の舞台となった場所です。

  • マドリード王宮<br />広大な石畳の中庭を中心に建てられた王宮は、ベルニーニによるパリのルーヴル美術館の図面に発想を得たという四角い形をしており、荘厳な正面ファサードや柱廊、ギャラリーが中庭を取り囲み、更にアルマス広場がこれに加わるという壮大なスケールです。<br />ファサードに開かれた数々の窓の中では、王宮の代表的な部屋部屋のバルコニーが目を引きます。「王座の間」に当たる部分には、4本の太いオーダーが配されています。

    マドリード王宮
    広大な石畳の中庭を中心に建てられた王宮は、ベルニーニによるパリのルーヴル美術館の図面に発想を得たという四角い形をしており、荘厳な正面ファサードや柱廊、ギャラリーが中庭を取り囲み、更にアルマス広場がこれに加わるという壮大なスケールです。
    ファサードに開かれた数々の窓の中では、王宮の代表的な部屋部屋のバルコニーが目を引きます。「王座の間」に当たる部分には、4本の太いオーダーが配されています。

  • オリエンテ広場 <br />スペイン王ホセ1世(ジョゼフ・ボナパルト)が中世以来の住宅が立ち並んでいた場所を一掃させ、ナルシソ・パスクアル・イ・コロメルによってこの広場が完成しました。マドリード王宮の東側にあることから、オリエンテ(東)広場と名付けられています。<br />広場には、石灰岩に彫られた歴代スペイン王の石像(西ゴート王5体、レコンキスタを行ったキリスト教王国の王15体)が中央庭園を挟んで東西に分かれて並んでいます。<br />正面はマドリード王宮の東面ファサードです。

    オリエンテ広場
    スペイン王ホセ1世(ジョゼフ・ボナパルト)が中世以来の住宅が立ち並んでいた場所を一掃させ、ナルシソ・パスクアル・イ・コロメルによってこの広場が完成しました。マドリード王宮の東側にあることから、オリエンテ(東)広場と名付けられています。
    広場には、石灰岩に彫られた歴代スペイン王の石像(西ゴート王5体、レコンキスタを行ったキリスト教王国の王15体)が中央庭園を挟んで東西に分かれて並んでいます。
    正面はマドリード王宮の東面ファサードです。

  • オリエンテ広場 フェリペ4世像<br />ハプスブルク家のフェリペ4世は、マヨール広場で見たフェリペ3世の息子です。そして、プラド美術館で見た『ラス・メニーナス』の主人公マルガリータ王女やハプスブルク家最後のスペイン王カルロス2世の父親に当たります。<br />フェリペ4世像は、1641年にフェリペ4世が友達の公爵夫人のツテを使い、フィレンツェにあるコジモ1世の騎馬像を制作したピエトロ・デ・タッカに発注したものです。この騎馬像は、技術的な面からも騎馬彫刻の傑作と称されています。この2本の後ろ足で立ち上がった騎馬の造形は、世界初のチャレンジだったそうです。

    オリエンテ広場 フェリペ4世像
    ハプスブルク家のフェリペ4世は、マヨール広場で見たフェリペ3世の息子です。そして、プラド美術館で見た『ラス・メニーナス』の主人公マルガリータ王女やハプスブルク家最後のスペイン王カルロス2世の父親に当たります。
    フェリペ4世像は、1641年にフェリペ4世が友達の公爵夫人のツテを使い、フィレンツェにあるコジモ1世の騎馬像を制作したピエトロ・デ・タッカに発注したものです。この騎馬像は、技術的な面からも騎馬彫刻の傑作と称されています。この2本の後ろ足で立ち上がった騎馬の造形は、世界初のチャレンジだったそうです。

  • オリエンテ広場 フェリペ4世像<br />騎馬像の発注に当たりフェリペ4世は、マヨール広場にあるフェリペ3世の騎馬像より上を行くものを欲しました。フェリペ3世騎馬像は颯爽と闊歩している姿ですが、フェリペ4世は「我輩の騎馬像は、馬が格好良く前足を上げて走っている姿にしろ」と我侭をのたまったそうです。<br />しかし往時の技術では達成するのが困難であり、ピエトロ・デ・タッカは頭を抱え込んでしまいました。そこに物理学的検証を行って解決策を提示したのがガリレオ・ガリレイでした。バランスを計算した結果、馬の頭部と両前足を中空にし、お尻から後足、そしてこれでもかと太くした尻尾を重くする事で難題をクリアしています。更に吃驚なのは、制作の際のモデル代わりに送った肖像画は、なんとベラスケスの作品だったそうです。

    オリエンテ広場 フェリペ4世像
    騎馬像の発注に当たりフェリペ4世は、マヨール広場にあるフェリペ3世の騎馬像より上を行くものを欲しました。フェリペ3世騎馬像は颯爽と闊歩している姿ですが、フェリペ4世は「我輩の騎馬像は、馬が格好良く前足を上げて走っている姿にしろ」と我侭をのたまったそうです。
    しかし往時の技術では達成するのが困難であり、ピエトロ・デ・タッカは頭を抱え込んでしまいました。そこに物理学的検証を行って解決策を提示したのがガリレオ・ガリレイでした。バランスを計算した結果、馬の頭部と両前足を中空にし、お尻から後足、そしてこれでもかと太くした尻尾を重くする事で難題をクリアしています。更に吃驚なのは、制作の際のモデル代わりに送った肖像画は、なんとベラスケスの作品だったそうです。

  • 王立オペラ劇場「テアトロ・レアル」<br />オリエンテ広場に建つ、マドリード市の主席建築家アントニオ・ロペス・アグアドが設計した国の記念物指定建造物です。ここの正門は、元々は国王の入口として設計され、オリエンテ広場に向って円弧状に開いています。<br />1850年10月10日にガエターノ・ドニゼッティの『ラ・ファボリータ(殉教者)』で華々しくこけら落としがなされたものの、その後、興行不振が続いて1925年に一時閉鎖に追い込まれ、1966年にリニューアルオープンしたという波乱万丈のオペラハウスです。<br />1世紀半に亘る歴史を通じ、音楽ホールであっただけでなく、国会やダンスホールになったこともありました。1997年の改修により、かつてイサベル2世がこの劇場に与えようとした「首都にふさわしいオペラハウス」としての役割を取り戻しています。<br />現在は、ウィーンやベルリン、スカラ座に並ぶオペラハウスとしてマドリード王立劇場管弦楽団が劇場付属オーケストラとして公演が開催されているそうです。

    王立オペラ劇場「テアトロ・レアル」
    オリエンテ広場に建つ、マドリード市の主席建築家アントニオ・ロペス・アグアドが設計した国の記念物指定建造物です。ここの正門は、元々は国王の入口として設計され、オリエンテ広場に向って円弧状に開いています。
    1850年10月10日にガエターノ・ドニゼッティの『ラ・ファボリータ(殉教者)』で華々しくこけら落としがなされたものの、その後、興行不振が続いて1925年に一時閉鎖に追い込まれ、1966年にリニューアルオープンしたという波乱万丈のオペラハウスです。
    1世紀半に亘る歴史を通じ、音楽ホールであっただけでなく、国会やダンスホールになったこともありました。1997年の改修により、かつてイサベル2世がこの劇場に与えようとした「首都にふさわしいオペラハウス」としての役割を取り戻しています。
    現在は、ウィーンやベルリン、スカラ座に並ぶオペラハウスとしてマドリード王立劇場管弦楽団が劇場付属オーケストラとして公演が開催されているそうです。

  • カジャオ広場<br />今回のスペイン旅行のゴールは、エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)<br />になりました。<br />スペイン最大にして唯一のデパートチェーンが、エル・コルテ・イングレスです。1940年創業のこのデパートはスペイン各地に84店舗あり、スペイン人の衣食住を長年に亘って支え続けています。ここで商品を購入することが庶民の夢だった時代もあったほど、スペイン人にとってはシンボリックな存在の老舗デパートです。<br />しかしスペインでも日本同様、ここ数年の市場消費傾向の変化により、デパートの経営は大変難しい時代になってきています。顧客離れを払拭すべく、様々な対策が採られていますが、そのひとつが「GOURMET EXPERIENCE」の設置です。買い物とバル休憩が同時にできることもあって、観光客にとっても人気スポットに数えられるようになってきています。<br />「GOURMET EXPERIENCE」は、マドリードに4箇所、アリカンテ、セビリア、そしてマラガに各1箇所とまだプロジェクトとしては緒に就いたばかりです。

    カジャオ広場
    今回のスペイン旅行のゴールは、エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)
    になりました。
    スペイン最大にして唯一のデパートチェーンが、エル・コルテ・イングレスです。1940年創業のこのデパートはスペイン各地に84店舗あり、スペイン人の衣食住を長年に亘って支え続けています。ここで商品を購入することが庶民の夢だった時代もあったほど、スペイン人にとってはシンボリックな存在の老舗デパートです。
    しかしスペインでも日本同様、ここ数年の市場消費傾向の変化により、デパートの経営は大変難しい時代になってきています。顧客離れを払拭すべく、様々な対策が採られていますが、そのひとつが「GOURMET EXPERIENCE」の設置です。買い物とバル休憩が同時にできることもあって、観光客にとっても人気スポットに数えられるようになってきています。
    「GOURMET EXPERIENCE」は、マドリードに4箇所、アリカンテ、セビリア、そしてマラガに各1箇所とまだプロジェクトとしては緒に就いたばかりです。

  • エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)<br />カジャオ広場に面するエル・コルテ・イングレスの9階には、マルチ・ガストロノミー・スペース「Gourmet Experience Gran Via」があり、様々な飲食店が軒を連ねています。<br />スペインと世界中のお洒落な食材が見つかる他、その中に散らばるバルなどのグルメショップとフードコート風のテラス席を併設しています。そしてもうひとつの魅力が贅沢な眺望です。

    エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)
    カジャオ広場に面するエル・コルテ・イングレスの9階には、マルチ・ガストロノミー・スペース「Gourmet Experience Gran Via」があり、様々な飲食店が軒を連ねています。
    スペインと世界中のお洒落な食材が見つかる他、その中に散らばるバルなどのグルメショップとフードコート風のテラス席を併設しています。そしてもうひとつの魅力が贅沢な眺望です。

  • エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)<br />アルムデナ大聖堂のライトアップです。<br />マドリード市内の展望も素晴らしく、この眺望を目的にここまで上がってくる欧州観光客も多いそうです。<br />西側に向かってマドリードの王宮方面を見渡すことができるテラスになっており、夕焼け時には茜色に染まり行くマドリード市街を見下ろしながら、ワインなどを愉しむことができる贅沢な寛ぎのスポットになっています。

    エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)
    アルムデナ大聖堂のライトアップです。
    マドリード市内の展望も素晴らしく、この眺望を目的にここまで上がってくる欧州観光客も多いそうです。
    西側に向かってマドリードの王宮方面を見渡すことができるテラスになっており、夕焼け時には茜色に染まり行くマドリード市街を見下ろしながら、ワインなどを愉しむことができる贅沢な寛ぎのスポットになっています。

  • エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)<br />マドリード王宮と手前にあるのはテアトロ・レアルです。

    エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)
    マドリード王宮と手前にあるのはテアトロ・レアルです。

  • エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)<br />カジャオ広場とプレシアドス通りです。<br />思わず笑ってしまいそうな、とてもハッピーで賑やかな照明の色使いです。

    エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)
    カジャオ広場とプレシアドス通りです。
    思わず笑ってしまいそうな、とてもハッピーで賑やかな照明の色使いです。

  • エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)<br />数あるバルの中で選んだのは、ナッツとチーズのピッツアです。<br />お腹が膨れた後は、地下のスーパーマーケットでお土産の調達をし、地下鉄3号線のCallao駅からホテルの最寄り駅となるPalos de la Frontera駅まで戻りました。Villaverde Alto(終着駅)方面の列車に乗るようにしてください。

    エル・コルテ・イングレス(グラン・ビア店)
    数あるバルの中で選んだのは、ナッツとチーズのピッツアです。
    お腹が膨れた後は、地下のスーパーマーケットでお土産の調達をし、地下鉄3号線のCallao駅からホテルの最寄り駅となるPalos de la Frontera駅まで戻りました。Villaverde Alto(終着駅)方面の列車に乗るようにしてください。

  • Rafael hoteles Atocha<br />フライト時間が早く、ホテルを早朝に出立(5時頃)するため、ホテルで朝食が摂れません。なので、ホテルが用意してくれたピクニック・バックが朝食代わりになります。朝早くから添乗員さんが各部屋に配ってくれました。<br />観光バス車内は食事禁止ですので、ホテルか空港で済ませることになります。ただし、ジュースは、空港のセキュリティ・チェックまでに処理する必要があります。

    Rafael hoteles Atocha
    フライト時間が早く、ホテルを早朝に出立(5時頃)するため、ホテルで朝食が摂れません。なので、ホテルが用意してくれたピクニック・バックが朝食代わりになります。朝早くから添乗員さんが各部屋に配ってくれました。
    観光バス車内は食事禁止ですので、ホテルか空港で済ませることになります。ただし、ジュースは、空港のセキュリティ・チェックまでに処理する必要があります。

  • アドルフォ・スアレス・マドリード・バラハス空港<br />市内中心部から北へ12kmに位置し、2014年3月に死去した元首相の名に因み、正式名称を「マドリッド・バラハス空港」から「アドルフォ・スアレス・マドリード・バラハス空港」に変更しています。民主化移行後のスペイン最初の首相であり、スペイン民主化の立役者の一人として知られるアドルフォ・スアレス・ゴンサーレスの功績を讃えています。<br />この空港は、1928年に開港し、乗降客数では世界10位の空港だそうです。<br /><br />グラデーションがかかった燃えるような朝焼けを借景に、寡黙に旅立ちの時を待つB747-400の姿です。浮かんでは消えていくスペインの光と影の錯綜、そして歴史のうつろいの余韻に浸りながらも、明日からの日常生活の始まりを思うといきなり現実に引き戻される瞬間です。非日常から日常へのトランジットが、エドヴァルド・ムンクが感じたメランコリーのような魂の叫びを呼び起こしたのかもしれません。<br /><br />最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。

    アドルフォ・スアレス・マドリード・バラハス空港
    市内中心部から北へ12kmに位置し、2014年3月に死去した元首相の名に因み、正式名称を「マドリッド・バラハス空港」から「アドルフォ・スアレス・マドリード・バラハス空港」に変更しています。民主化移行後のスペイン最初の首相であり、スペイン民主化の立役者の一人として知られるアドルフォ・スアレス・ゴンサーレスの功績を讃えています。
    この空港は、1928年に開港し、乗降客数では世界10位の空港だそうです。

    グラデーションがかかった燃えるような朝焼けを借景に、寡黙に旅立ちの時を待つB747-400の姿です。浮かんでは消えていくスペインの光と影の錯綜、そして歴史のうつろいの余韻に浸りながらも、明日からの日常生活の始まりを思うといきなり現実に引き戻される瞬間です。非日常から日常へのトランジットが、エドヴァルド・ムンクが感じたメランコリーのような魂の叫びを呼び起こしたのかもしれません。

    最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。

  • おまけ その1<br />グラナダで購入した寄木細工、ミハスのアマポーラのキーフォルダー、トレドの銀細工のブレスレットです。

    おまけ その1
    グラナダで購入した寄木細工、ミハスのアマポーラのキーフォルダー、トレドの銀細工のブレスレットです。

  • おまけ その2<br />空港の免税店で調達した、GODIVAのスペイン・スペシャル・バージョンです。<br />パッケージのデザインもスペインらしくてGOODです。

    おまけ その2
    空港の免税店で調達した、GODIVAのスペイン・スペシャル・バージョンです。
    パッケージのデザインもスペインらしくてGOODです。

  • おまけ その3<br />娘夫婦へのお土産は、TOUS(トウス)製のペアの財布です。<br />TOUSは、1920年に創業以来、「スペイン人がこれほど群がるブランドはない」と言われるほど大人気なジュエリーブランドです。現在では、NY、ロンドン、パリをはじめとして世界32カ国に252の店舗があり、時計やバッグ、革製品、さらにはインテリア用品まで手広い商品を扱っています。<br />トレードマークのベアをはじめ、フラワー・モチーフなど、可愛らしいモチーフをシンプルなデザインとシックな色使いで仕上げた小物は年代を問わず人気を博しています。 <br />日本でも一時期、『冬のソナタ』のヒロイン役のチェジュが着けていたペンダントがTOUSのものだったことでプチ・ブレイクしましたので、ご存知の方も多いかもしれません。

    おまけ その3
    娘夫婦へのお土産は、TOUS(トウス)製のペアの財布です。
    TOUSは、1920年に創業以来、「スペイン人がこれほど群がるブランドはない」と言われるほど大人気なジュエリーブランドです。現在では、NY、ロンドン、パリをはじめとして世界32カ国に252の店舗があり、時計やバッグ、革製品、さらにはインテリア用品まで手広い商品を扱っています。
    トレードマークのベアをはじめ、フラワー・モチーフなど、可愛らしいモチーフをシンプルなデザインとシックな色使いで仕上げた小物は年代を問わず人気を博しています。
    日本でも一時期、『冬のソナタ』のヒロイン役のチェジュが着けていたペンダントがTOUSのものだったことでプチ・ブレイクしましたので、ご存知の方も多いかもしれません。

  • おまけ その4<br />レアルマドリードの応援グッズ(マフラー)です。

    おまけ その4
    レアルマドリードの応援グッズ(マフラー)です。

  • おまけ その5<br />ご近所用にエル・コルテ・イングレスで調達した、オリーブオイルとHORNIMANS(ホルニマンス)のティーバッグです。爆買いしたのでショッピン・バッグが重宝しました。<br />パッケージに「Manzanilla con Miel」とスペイン語で書かれたこの紅茶は、日本語に訳すとManzanilla=カモミール+Miel=蜂蜜、つまり蜂蜜入りのカモミールティーです。種類が沢山あるので、名前を間違わないようにしてください。<br />お茶の原産国はペルーですが、HORNIMANSはペルー国内でも大人気の紅茶メーカです。しかし、蜂蜜入りカモミールティは、スペインでしか販売されていない希少品です。スペインへ行かれた際には是非買っていただきたいお勧め品です。<br />パッケージを開けた途端、ふわっと広がる蜂蜜の甘い香りに癒されます。まるで蜂蜜を飲んでいるような柔らかな甘みが感じられますが、カモミールのおかげで後口はすっきりしています。ティーバッグで入れた紅茶だとは思えないほど、蜂蜜の味の濃い、美味しいハーブティーです。

    おまけ その5
    ご近所用にエル・コルテ・イングレスで調達した、オリーブオイルとHORNIMANS(ホルニマンス)のティーバッグです。爆買いしたのでショッピン・バッグが重宝しました。
    パッケージに「Manzanilla con Miel」とスペイン語で書かれたこの紅茶は、日本語に訳すとManzanilla=カモミール+Miel=蜂蜜、つまり蜂蜜入りのカモミールティーです。種類が沢山あるので、名前を間違わないようにしてください。
    お茶の原産国はペルーですが、HORNIMANSはペルー国内でも大人気の紅茶メーカです。しかし、蜂蜜入りカモミールティは、スペインでしか販売されていない希少品です。スペインへ行かれた際には是非買っていただきたいお勧め品です。
    パッケージを開けた途端、ふわっと広がる蜂蜜の甘い香りに癒されます。まるで蜂蜜を飲んでいるような柔らかな甘みが感じられますが、カモミールのおかげで後口はすっきりしています。ティーバッグで入れた紅茶だとは思えないほど、蜂蜜の味の濃い、美味しいハーブティーです。

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