![サッポロビール園は昔一度、出張の際、一人でここに来たのだが、退散してしまった。今回は家内と再度挑戦することにした。2時間の飲み放題食い放題というのは、身体には良くないが、話のタネということで体験。で、その前に、一応、恰好付けにビール博物館をさっと見物した。<br /><br />この二日後には余市にまっさんとリタのウィスキーの里を訪問することになっており、こちらでは、ビールの故郷訪問となった。中川清兵衛なる名前を知らなかったので、勉強になった。明治政府の外交部門で大活躍した萩出身の青木周蔵のドイツでの援助があったことも初めて知った。(青木周蔵については、http://4travel.jp/travelogue/11142337 萩出身では珍しい国際派だ。伊藤博文、陸奥宗光と並んで、幕末の不平等条約撤廃のために苦労し活躍した大物。)<br /><br />明治の胎動期には、一気に動いたところは、こういう国際体験を国内にすぐに持ちこみ、薩摩出身の村橋久成の協力も得て、有効に事業を開始させている。中川清兵衛だけでは、ここまで一気に走れなかっただろう。開拓時代の北海道は、活気があったようだ。御雇外国人の貢献が大であったことは言うまでもない。札幌農学校も当時の水準は素晴らしかった。(http://4travel.jp/travelogue/10937292)当時の日本人だけではどうすることもできないほど、科学的水準等が低かったからだ。ビールはそのなかでは、そんなに高度な技術というほどのものではないが、北海道に大麦栽培を促進し、欧米で愛飲されている麦酒の生産技術が移植されたのであった。もともと日本には既に醸造技術(日本酒)も蒸留技術(焼酎)もあったので、そんなに驚くべきものではない。ただし、北海道開拓に絡んで、大麦を原料としたビールとウィスキーが生産できるようになったのは、我が国の飲食文化の多様化には貢献した。<br /><br />一枚目は、サッポロビール園のビール博物館の入り口。右側の入り口が後で食事をするケッセル・ホール。<br /><br />(なお、デジカメの設定のミスで、低い精度の写真になっている。一枚0.7mega程度の設定)<br /><br /><br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/18/30/650x_11183068.jpg?updated_at=1477519603)
2016/10/19 - 2016/10/19
913位(同エリア8789件中)
tadさん
サッポロビール園は昔一度、出張の際、一人でここに来たのだが、退散してしまった。今回は家内と再度挑戦することにした。2時間の飲み放題食い放題というのは、身体には良くないが、話のタネということで体験。で、その前に、一応、恰好付けにビール博物館をさっと見物した。
この二日後には余市にまっさんとリタのウィスキーの里を訪問することになっており、こちらでは、ビールの故郷訪問となった。中川清兵衛なる名前を知らなかったので、勉強になった。明治政府の外交部門で大活躍した萩出身の青木周蔵のドイツでの援助があったことも初めて知った。(青木周蔵については、http://4travel.jp/travelogue/11142337 萩出身では珍しい国際派だ。伊藤博文、陸奥宗光と並んで、幕末の不平等条約撤廃のために苦労し活躍した大物。)
明治の胎動期には、一気に動いたところは、こういう国際体験を国内にすぐに持ちこみ、薩摩出身の村橋久成の協力も得て、有効に事業を開始させている。中川清兵衛だけでは、ここまで一気に走れなかっただろう。開拓時代の北海道は、活気があったようだ。御雇外国人の貢献が大であったことは言うまでもない。札幌農学校も当時の水準は素晴らしかった。(http://4travel.jp/travelogue/10937292)当時の日本人だけではどうすることもできないほど、科学的水準等が低かったからだ。ビールはそのなかでは、そんなに高度な技術というほどのものではないが、北海道に大麦栽培を促進し、欧米で愛飲されている麦酒の生産技術が移植されたのであった。もともと日本には既に醸造技術(日本酒)も蒸留技術(焼酎)もあったので、そんなに驚くべきものではない。ただし、北海道開拓に絡んで、大麦を原料としたビールとウィスキーが生産できるようになったのは、我が国の飲食文化の多様化には貢献した。
一枚目は、サッポロビール園のビール博物館の入り口。右側の入り口が後で食事をするケッセル・ホール。
(なお、デジカメの設定のミスで、低い精度の写真になっている。一枚0.7mega程度の設定)
- 旅行の満足度
- 5.0
-
煮沸釜
サッポロビール博物館 美術館・博物館
-
ビール酵母の純粋培養装置
-
以上の2点がこのビール博物館の貴重品だろう。
-
-
-
-
日本人初のビール醸造に取り組んだ人物。
-
青木周蔵は外務大臣、ドイツ公使などを歴任したドイツ学の権威。奥さんはドイツ人の貴族だった。このバックアップなしには、醸造技術習得には入り込めなかっただろう。
-
ドイツで修業した中川清兵衛を、北海道のビール生産の主任技師として推薦したのも青木周蔵だった。
-
ベルリンで修業した時の終了の証明書
-
中川が努力し受け入れられたことがうかがえる。
-
-
多方面の人材がいなくては、麦酒ひとつとっても、安定生産はできない。
-
-
-
-
当時のビール一本は16銭。日本酒一升が4銭5厘であった!!今のシャンペンより高かった!!
-
以上だけだと、私の大学院教授時代のスタイルに近いので、ここで、少し柔らかくしたい!とっておきのサービスのつもり。因みに講義中には、こんなサービスはしなかった。(学期末や試験終了後のあつまりだと、話は違う。。)
それにしても、いいポスターだとは思う。。。 -
-
カメラを持つ手が震えたかも。。。
-
これはつまらないこと、おびたたしい。。。
-
-
-
-
どれも甲乙つけがたい。。。
-
その勢いでジンギスカン食べ放題飲み放題2時間コースにはいったので、こういう写真一枚しか残っていない。
-
ケッセル・ホールに入り、ここで飲み食いした。終わって外にでると、すぐに酔いは醒めた。私は麦酒を2時間飲んだくらいではほとんど素面なので、ウィスキーを最後にダブル以上の大盛りを3杯飲んでなんとか暖をたもった。ホテルに戻って、改めて、ニッカ・ウィスキーを訪問するための「予習」として、札幌到着後、一本購入したので、追加して飲んで寝た。明日は朝から稚内に移動する。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
tadさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
27