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慈雲山・大林寺(だいりんじ、神奈川県横浜市緑区長津田)はJR横浜線又は東急田園都市線の長津田駅南口から徒歩5分の地にあり、天正19年(1591)より相模国の長津田・栗木に知行を得た旗本岡野房恒(おかの・ふさつね)創建による臨済宗の寺院です。<br /><br />岡野氏は徳川家の家臣として長津田を支配してきましたが、その祖は北条氏康(ほうじょう・うじやす)から氏政・氏直と三代に亘り小田原北条氏に仕え、氏政時代には評定衆などの重職を勤め、対外交渉などでは外交僧として活躍した板部岡江雪斎(いたべおか・こうせつさい、1537~1609)です。<br /><br />江雪斎は伊豆田方郡狩野荘田中出身の僧侶で、頭脳明晰が故に氏康に見いだされ右筆として仕えやがて領内の寺社を管理する寺社奉行を務め、氏康の時代には嗣子がいない家臣の板部岡氏の跡目を継ぐことになります。<br /><br />持ち前の理路整然とした思考により外交僧として手腕を発揮したのは、天正10年(1582)織田信長が本能寺の変で横死した後の信長遺領である信濃・甲斐支配を巡る徳川家康との戦い(天正壬午の乱)においてで、北条・徳川双方対峙するも膠着した戦況が続き、江雪斎はこれを解決すべく5代当主氏直に代わり和睦交渉に臨みます。<br /><br />交渉の結果、信濃・甲斐を徳川領と認め代わりに上野を小田原北条領と認めさせ、更に家康娘の督姫を氏直の正室に迎えることで同盟関係を成就させています。<br /><br />そして畿内統一を果たし更に四国・九州を平定した豊臣秀吉との対立が深刻さを増してくると江雪斎は北条家一族の氏規(うじのり)と共に秀吉に拝謁し当主らの上洛を約し関係修復に尽力します。<br /><br />天正18年(1590)秀吉の小田原城攻めにおいて北条氏は滅亡、氏政並びに氏照は切腹、家康を義父とする氏直は高野山へ配流、江雪斎は死罪を免れ以降は秀吉の御伽衆として仕え姓を岡野と改めることになります。<br /><br />そして秀吉没後は徳川家康に主家を変え、関ケ原の戦いに際しては小早川秀秋(こばやかわ・ひであき)を取り込み秘密交渉にて家康に味方するよう画策しその結果として東軍の勝利に大きく貢献します。<br /><br /><br /><br />岡野家墓所入口には説明板が建っており、下記の通り記されています。<br /><br /><br />「横浜市地域史跡<br /><br />旗本岡野家歴代の墓所<br />            平成4年11月1日登録<br /><br />江戸時代初期、小田原北条氏の重臣であった岡野融成の嫡子、房恒が天正19年(1591)長津田村を知行し、菩提寺として大林寺を健立しました。<br /><br />以後大林寺を歴代の墓所として幕末に及び、墓域には灯篭7基を含めて33基を数えます。<br /><br />融成供養塔  寛永18年(1641)建立<br />       33回忌。<br /><br />房恒逆修者  明歴2年(1656)建立<br /> <br />       平成5年3月<br />                 横浜市教育委員会」<br /><br /><br /><br /><br /><br />

相模長津田 小田原北条氏外交僧で活躍し秀吉及び家康の評価高く没落後も交渉役で手腕発揮の板部岡江雪斎後裔で旗本岡野氏の菩提寺『大林寺』散歩

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2016/09/04 - 2016/09/04

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滝山氏照

滝山氏照さん

慈雲山・大林寺(だいりんじ、神奈川県横浜市緑区長津田)はJR横浜線又は東急田園都市線の長津田駅南口から徒歩5分の地にあり、天正19年(1591)より相模国の長津田・栗木に知行を得た旗本岡野房恒(おかの・ふさつね)創建による臨済宗の寺院です。

岡野氏は徳川家の家臣として長津田を支配してきましたが、その祖は北条氏康(ほうじょう・うじやす)から氏政・氏直と三代に亘り小田原北条氏に仕え、氏政時代には評定衆などの重職を勤め、対外交渉などでは外交僧として活躍した板部岡江雪斎(いたべおか・こうせつさい、1537~1609)です。

江雪斎は伊豆田方郡狩野荘田中出身の僧侶で、頭脳明晰が故に氏康に見いだされ右筆として仕えやがて領内の寺社を管理する寺社奉行を務め、氏康の時代には嗣子がいない家臣の板部岡氏の跡目を継ぐことになります。

持ち前の理路整然とした思考により外交僧として手腕を発揮したのは、天正10年(1582)織田信長が本能寺の変で横死した後の信長遺領である信濃・甲斐支配を巡る徳川家康との戦い(天正壬午の乱)においてで、北条・徳川双方対峙するも膠着した戦況が続き、江雪斎はこれを解決すべく5代当主氏直に代わり和睦交渉に臨みます。

交渉の結果、信濃・甲斐を徳川領と認め代わりに上野を小田原北条領と認めさせ、更に家康娘の督姫を氏直の正室に迎えることで同盟関係を成就させています。

そして畿内統一を果たし更に四国・九州を平定した豊臣秀吉との対立が深刻さを増してくると江雪斎は北条家一族の氏規(うじのり)と共に秀吉に拝謁し当主らの上洛を約し関係修復に尽力します。

天正18年(1590)秀吉の小田原城攻めにおいて北条氏は滅亡、氏政並びに氏照は切腹、家康を義父とする氏直は高野山へ配流、江雪斎は死罪を免れ以降は秀吉の御伽衆として仕え姓を岡野と改めることになります。

そして秀吉没後は徳川家康に主家を変え、関ケ原の戦いに際しては小早川秀秋(こばやかわ・ひであき)を取り込み秘密交渉にて家康に味方するよう画策しその結果として東軍の勝利に大きく貢献します。



岡野家墓所入口には説明板が建っており、下記の通り記されています。


「横浜市地域史跡

旗本岡野家歴代の墓所
            平成4年11月1日登録

江戸時代初期、小田原北条氏の重臣であった岡野融成の嫡子、房恒が天正19年(1591)長津田村を知行し、菩提寺として大林寺を健立しました。

以後大林寺を歴代の墓所として幕末に及び、墓域には灯篭7基を含めて33基を数えます。

融成供養塔  寛永18年(1641)建立
       33回忌。

房恒逆修者  明歴2年(1656)建立
 
       平成5年3月
                 横浜市教育委員会」





交通手段
JRローカル

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  • 大林寺・通用門<br /><br />街路地を歩きますと白壁が連なり、やがて「大林寺」並びに「慈雲山」と刻された石柱を挟んだ通用門とも思われる小規模な扉が現れてきます。<br /><br />

    大林寺・通用門

    街路地を歩きますと白壁が連なり、やがて「大林寺」並びに「慈雲山」と刻された石柱を挟んだ通用門とも思われる小規模な扉が現れてきます。

  • 大林寺・延命地蔵<br /><br />更に白壁に沿って進むと地蔵を配した建屋が視野に入ってきます。

    大林寺・延命地蔵

    更に白壁に沿って進むと地蔵を配した建屋が視野に入ってきます。

  • 大林寺・延命地蔵近景

    大林寺・延命地蔵近景

  • 大林寺・板碑<br /><br />延命地蔵と同一の建屋の傍らには板碑が建てられています。

    大林寺・板碑

    延命地蔵と同一の建屋の傍らには板碑が建てられています。

  • 大林寺・仁王門(全景)<br /><br />屋根瓦を左右に大きく広げたような二階建ての山門が現れ、一階の中央が入口でその左右には金剛力士像が配されています。

    大林寺・仁王門(全景)

    屋根瓦を左右に大きく広げたような二階建ての山門が現れ、一階の中央が入口でその左右には金剛力士像が配されています。

  • 大林寺・山号<br /><br />山門の二階部には「慈雲山」と記された扁額が掲載されています。

    大林寺・山号

    山門の二階部には「慈雲山」と記された扁額が掲載されています。

  • 観音菩薩像

    観音菩薩像

  • 大林寺・本堂<br /><br />仁王門を潜り参道を進むと大樹の向こうに大林寺本堂が控えています。

    大林寺・本堂

    仁王門を潜り参道を進むと大樹の向こうに大林寺本堂が控えています。

  • 大林寺・境内

    大林寺・境内

  • 大林寺・鐘楼堂<br /><br />境内右奥には鐘楼が建っています。「大林晩鐘」と称されて長津田の十景の一つに数えられています。

    大林寺・鐘楼堂

    境内右奥には鐘楼が建っています。「大林晩鐘」と称されて長津田の十景の一つに数えられています。

  • 大林寺・本堂<br /><br />正式には慈雲山大林寺と称する漕洞宗の寺院で、当地の領主である岡野房恒が開基、清源院五世麟哲が開山となって創建されています。

    大林寺・本堂

    正式には慈雲山大林寺と称する漕洞宗の寺院で、当地の領主である岡野房恒が開基、清源院五世麟哲が開山となって創建されています。

  • 大林寺・本堂

    大林寺・本堂

  • 大林寺境内風景<br /><br />本堂より山門方向の風景を展望します。<br />

    大林寺境内風景

    本堂より山門方向の風景を展望します。

  • 大林寺・仁王門<br /><br />仁王門内側の左右には四天王像が配されています。

    大林寺・仁王門

    仁王門内側の左右には四天王像が配されています。

  • 大林寺・鐘楼堂

    大林寺・鐘楼堂

  • 長津田十景<br /><br />大林寺の晩鐘は「大林晩鐘」として長津田十景の一つと言われています。

    長津田十景

    大林寺の晩鐘は「大林晩鐘」として長津田十景の一つと言われています。

  • 大林寺・鐘楼堂

    大林寺・鐘楼堂

  • 「旗本岡野家歴代の墓所」説明板

    「旗本岡野家歴代の墓所」説明板

  • 岡野氏墓所入口<br /><br />当該墓所は横浜市の地域史蹟として登録されています。

    岡野氏墓所入口

    当該墓所は横浜市の地域史蹟として登録されています。

  • 岡野氏墓所・標柱

    岡野氏墓所・標柱

  • 岡野氏墓所中央部

    岡野氏墓所中央部

  • 岡野氏墓所左側

    岡野氏墓所左側

  • 岡野氏墓所右側

    岡野氏墓所右側

  • 岡野氏墓所石碑<br /><br />長期に亘る風雪を受けたためか石に刻された文字が不明の状態です。

    岡野氏墓所石碑

    長期に亘る風雪を受けたためか石に刻された文字が不明の状態です。

  • 岡野氏墓所

    岡野氏墓所

  • 岡野氏墓所

    岡野氏墓所

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