ロンダ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ロンダの歴史は古く、クエバ洞窟の壁画から新石器時代には人が定住していたと考えられています。紀元前6世紀にはケルト人が住み、この地を「アルンダ」と呼びました。その後古代ギリシア人に征服されたアルンダは、「ルンダ」と改名されました。現在のロンダの基盤は、ローマ帝国の将軍スキピオ・アフリカヌスのカルタゴ遠征の最中に築かれました。ローマ帝国の衰退後、6世紀にはイベリア半島そのものが西ゴート王国に統一され、その後、800年に亘るイスラム統治時代には、この奇異なる地形は天然の要塞としてアンダルシアの歴史を傍観する役目を担ってきました。15世紀後期、アラゴン王フェルナンド2世が難攻不落と言われたロンダを苦戦しながらも陥落させ、イスラム支配は終焉しました。その後、イスラム時代の建物の多くが刷新され、メルカディーリョやサン・フランシスコといった新市街が次々に生まれ、一方、古いアラブ時代の市街はラ・シウダーと呼ばれる旧市街として遺されてきました。<br /><br />ロンダのシティーマップです。<br />http://turismoderonda.es/images/www/dynamic/pdf/2015/Plano%20Ronda%20Turismo%20Andaluz-EN.pdf<br /><日程><br />1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)<br />    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)<br />    宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)<br />            ==ランチ:Marina Bay by Moncho&#39;s==カタルーニャ広場<br />            15:00?フリータイム<br />    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==<br />            カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル) <br />    ==カタルーニャ音楽堂<br />            宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--<br />    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)<br />            ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)<br />    バレンシア宿泊:Mas Camarena<br />4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)<br />            ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿<br />            --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos<br />           (洞窟フラメンコ)<br />            --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)<br />5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)<br />            フリー散策<br />            宿泊:Parador de Ronda<br />6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==<br />            コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅<br />    AVE:コルドバ→マドリード<br />    夕食:China City<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター<br />    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio<br />    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==<br />            ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、<br />    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮<br />    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)<br />    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)<br />9日目:関空着(7:20)

ときめきのスペイン周遊⑬ロンダ(後編)

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2016/09/02 - 2016/09/10

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

ロンダの歴史は古く、クエバ洞窟の壁画から新石器時代には人が定住していたと考えられています。紀元前6世紀にはケルト人が住み、この地を「アルンダ」と呼びました。その後古代ギリシア人に征服されたアルンダは、「ルンダ」と改名されました。現在のロンダの基盤は、ローマ帝国の将軍スキピオ・アフリカヌスのカルタゴ遠征の最中に築かれました。ローマ帝国の衰退後、6世紀にはイベリア半島そのものが西ゴート王国に統一され、その後、800年に亘るイスラム統治時代には、この奇異なる地形は天然の要塞としてアンダルシアの歴史を傍観する役目を担ってきました。15世紀後期、アラゴン王フェルナンド2世が難攻不落と言われたロンダを苦戦しながらも陥落させ、イスラム支配は終焉しました。その後、イスラム時代の建物の多くが刷新され、メルカディーリョやサン・フランシスコといった新市街が次々に生まれ、一方、古いアラブ時代の市街はラ・シウダーと呼ばれる旧市街として遺されてきました。

ロンダのシティーマップです。
http://turismoderonda.es/images/www/dynamic/pdf/2015/Plano%20Ronda%20Turismo%20Andaluz-EN.pdf
<日程>
1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)
    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)
    ==ランチ:Marina Bay by Moncho's==カタルーニャ広場
    15:00?フリータイム
    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==
    カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル)
    ==カタルーニャ音楽堂
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--
    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)
    ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)
    バレンシア宿泊:Mas Camarena
4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)
    ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿
    --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos
    (洞窟フラメンコ)
     --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)
5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)
    フリー散策
    宿泊:Parador de Ronda
6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==
    コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅
    AVE:コルドバ→マドリード
    夕食:China City
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター
    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio
    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==
    ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、
    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮
    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)
    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)
9日目:関空着(7:20)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
日本旅行
  • 聖セバスティアンの塔<br />南端にあるアルモカバル城壁から市庁舎を経由し、旧市街の真ん中まで戻ってきました。<br />サルバティエラ公爵通りとアルミニヤン通りが交差する辺りに、14世紀に建てられた聖セバスティアン教会の塔(ミナレット) があります。元々あった主席モスクの姿は跡形もありません。立派な塔だけは鐘楼へと改造されていますが、外観を留めて往時を偲ばせています。

    聖セバスティアンの塔
    南端にあるアルモカバル城壁から市庁舎を経由し、旧市街の真ん中まで戻ってきました。
    サルバティエラ公爵通りとアルミニヤン通りが交差する辺りに、14世紀に建てられた聖セバスティアン教会の塔(ミナレット) があります。元々あった主席モスクの姿は跡形もありません。立派な塔だけは鐘楼へと改造されていますが、外観を留めて往時を偲ばせています。

  • 聖セバスティアンの塔<br />塔の幅に合わせた、とても狭い出入口です。<br />内部にはミフラーブと思しきものも遺されているそうで、現在、これがロンダに唯一残るモスクのミナレットだそうです。<br />

    聖セバスティアンの塔
    塔の幅に合わせた、とても狭い出入口です。
    内部にはミフラーブと思しきものも遺されているそうで、現在、これがロンダに唯一残るモスクのミナレットだそうです。

  • ビルヘン・デ・ラ・ルス通り<br />マルケス・デ・サルバティエラ通りから一本脇道に入るとこうしたお洒落な建物もあって吃驚させられます。

    ビルヘン・デ・ラ・ルス通り
    マルケス・デ・サルバティエラ通りから一本脇道に入るとこうしたお洒落な建物もあって吃驚させられます。

  • ムーア人の王の家(La Casa del Rey Moro)<br />右手の白壁の奥が、「ムーア人の王の家」です。この邸宅もマリーン朝のアボメリク王によって創建されたものです。<br />こうした高地の街で暮らすための命題は水の確保に尽きます。古代からロンダに住む人々は水の確保に苦慮してきましたが、14世紀に住んだアラブ人たちは遙か谷底の川まで至る井戸を掘って対応していました。井戸といっても、人がそこまで降りて行って水を汲む、とても原始的な地下坑道のような大規模な施設です。<br />「ラ・ミナ」と呼ばれる岩盤を削った洞窟に階段が設けられています。イスラムの支配時代には、キリスト教徒の捕虜がこの階段を上り下りして水を運んだそうです。<br />有料ですが見学もできるようです。ただしエレベータがありませんので、歩いて上り下りすることになります。捕虜の気持ちが少しは判るかもしれません。

    ムーア人の王の家(La Casa del Rey Moro)
    右手の白壁の奥が、「ムーア人の王の家」です。この邸宅もマリーン朝のアボメリク王によって創建されたものです。
    こうした高地の街で暮らすための命題は水の確保に尽きます。古代からロンダに住む人々は水の確保に苦慮してきましたが、14世紀に住んだアラブ人たちは遙か谷底の川まで至る井戸を掘って対応していました。井戸といっても、人がそこまで降りて行って水を汲む、とても原始的な地下坑道のような大規模な施設です。
    「ラ・ミナ」と呼ばれる岩盤を削った洞窟に階段が設けられています。イスラムの支配時代には、キリスト教徒の捕虜がこの階段を上り下りして水を運んだそうです。
    有料ですが見学もできるようです。ただしエレベータがありませんので、歩いて上り下りすることになります。捕虜の気持ちが少しは判るかもしれません。

  • ムーア人の王の家<br />これがミナの塔です。敷地の中にある家屋は、ご覧のように廃墟同然の姿に身をやつしています。庭園の方は20世紀初頭の持ち主だったフランス人が美しく改修したようですが、家屋の方は現在のドイツ人の家主が荒れるに任せて放置しているようです。ホテルに改造するとの話も耳にするのですが…。

    ムーア人の王の家
    これがミナの塔です。敷地の中にある家屋は、ご覧のように廃墟同然の姿に身をやつしています。庭園の方は20世紀初頭の持ち主だったフランス人が美しく改修したようですが、家屋の方は現在のドイツ人の家主が荒れるに任せて放置しているようです。ホテルに改造するとの話も耳にするのですが…。

  • サルバティエラ侯爵の館<br />マルケス・デ・サルバティエラ通りとクエスタ・デ・サント・ドミンゴ通りが交差する所に小さな広場があり、そこに十字架が建てられています。その後方に地味ながらファサードに豪華な装飾を持つテラスがある建物が、サルバティエラ侯爵の館です。<br />1485年にカトリック王がロンダを征服した際、戦利品の再分配としてこのイスラム建造物をサルバティエラ侯爵に贈ったものだそうです。

    サルバティエラ侯爵の館
    マルケス・デ・サルバティエラ通りとクエスタ・デ・サント・ドミンゴ通りが交差する所に小さな広場があり、そこに十字架が建てられています。その後方に地味ながらファサードに豪華な装飾を持つテラスがある建物が、サルバティエラ侯爵の館です。
    1485年にカトリック王がロンダを征服した際、戦利品の再分配としてこのイスラム建造物をサルバティエラ侯爵に贈ったものだそうです。

  • サルバティエラ侯爵の館<br />正面玄関にあるテラスの2本のコリント式円柱の上には4人のインディオの子供たちが彫刻されています。前を隠しているのが女の子で、男の子は舌を出しており、少し腰を落としたポーズがとてもキュートです。<br />この館の主人が南米を旅行した際、そこで出会ったインディオたちの印象を刻ませたものと伝えられています。中世の時代にここから南米まで行けるのは、財力と冒険心のなせる業です。

    サルバティエラ侯爵の館
    正面玄関にあるテラスの2本のコリント式円柱の上には4人のインディオの子供たちが彫刻されています。前を隠しているのが女の子で、男の子は舌を出しており、少し腰を落としたポーズがとてもキュートです。
    この館の主人が南米を旅行した際、そこで出会ったインディオたちの印象を刻ませたものと伝えられています。中世の時代にここから南米まで行けるのは、財力と冒険心のなせる業です。

  • フェリペ5世のアーチ<br />レアル通りのやや急な坂を降りていくと突然前方の視界が開け、左手前方にアーチの頭部が見えてきます。<br />

    フェリペ5世のアーチ
    レアル通りのやや急な坂を降りていくと突然前方の視界が開け、左手前方にアーチの頭部が見えてきます。

  • フェリペ5世のアーチ<br />18世紀に造られたイスラム様式の門のため、「アラビアンゲート」とも呼ばれています。ロンダは天然の崖と人工物の城壁に守られた街だったため、タホ川を渡って到着した旅人が入城するにはもっぱらこのゲートを潜ったそうです。<br />

    フェリペ5世のアーチ
    18世紀に造られたイスラム様式の門のため、「アラビアンゲート」とも呼ばれています。ロンダは天然の崖と人工物の城壁に守られた街だったため、タホ川を渡って到着した旅人が入城するにはもっぱらこのゲートを潜ったそうです。

  • ビエホ橋(旧橋)<br />この橋を渡れば新市街に入ることができます。下流にあるヌエボ橋が有名ですが、ヌエボ橋が完成するまではビエホ橋が旧市街と新市街を繋ぐ大動脈だったそうです。<br />この橋も川面から30mほの高さがあります。1616年に改築されていますが、橋脚の石組みなどは古代ローマ帝国時代のものとされ、俗に「ローマ橋」とも呼ばれています。この橋はグアダレヴィン川とクレブラス川の合流点にあり、上流方向にアラブ浴場跡、その反対側には断崖絶壁の景色が見られる景勝地です。

    ビエホ橋(旧橋)
    この橋を渡れば新市街に入ることができます。下流にあるヌエボ橋が有名ですが、ヌエボ橋が完成するまではビエホ橋が旧市街と新市街を繋ぐ大動脈だったそうです。
    この橋も川面から30mほの高さがあります。1616年に改築されていますが、橋脚の石組みなどは古代ローマ帝国時代のものとされ、俗に「ローマ橋」とも呼ばれています。この橋はグアダレヴィン川とクレブラス川の合流点にあり、上流方向にアラブ浴場跡、その反対側には断崖絶壁の景色が見られる景勝地です。

  • フェリペ5世のアーチ<br />下流にあるヌエボ橋は1度崩壊しています。その再建のため古くからあった橋を回収してリサイクルする必要がありました。その全てを指揮していたのが、往時の王フェリペ5世でした。<br />因みにフェリペ5世は、18世紀に「闘牛禁止令」を出した王としても知られています。それまで闘牛は貴族のスポーツとされ、騎士が馬上から牛と闘うスタイルでしたが、禁止令後は現在のような牛と直接対峠して闘うスタイルになったそうです。一休さん風の「とんち」に騙されたのかと思って調べてみると、「貴族に対して闘牛禁止令を発令した」と言うのが真相のようです。ですから騎馬闘牛は庶民の娯楽として生きながらえ、村々を巡回する興業が行う中で、いつしかプロ闘牛士が頭角を現し、馬から降りて戦うスタイルに変わっていったようです。

    フェリペ5世のアーチ
    下流にあるヌエボ橋は1度崩壊しています。その再建のため古くからあった橋を回収してリサイクルする必要がありました。その全てを指揮していたのが、往時の王フェリペ5世でした。
    因みにフェリペ5世は、18世紀に「闘牛禁止令」を出した王としても知られています。それまで闘牛は貴族のスポーツとされ、騎士が馬上から牛と闘うスタイルでしたが、禁止令後は現在のような牛と直接対峠して闘うスタイルになったそうです。一休さん風の「とんち」に騙されたのかと思って調べてみると、「貴族に対して闘牛禁止令を発令した」と言うのが真相のようです。ですから騎馬闘牛は庶民の娯楽として生きながらえ、村々を巡回する興業が行う中で、いつしかプロ闘牛士が頭角を現し、馬から降りて戦うスタイルに変わっていったようです。

  • ビエホ橋<br />深く狭く抉られ、蛇行した渓谷、ゴツゴツした岩肌に、かつてのグアダレヴィン川が相当の暴れ川だったことを思い知らされます。

    ビエホ橋
    深く狭く抉られ、蛇行した渓谷、ゴツゴツした岩肌に、かつてのグアダレヴィン川が相当の暴れ川だったことを思い知らされます。

  • ビエホ橋<br />上流には、モーロ時代の11世紀に架けられた小さなサン・ミゲル(アラブ)橋の姿も見られます。かつてはサン・ミゲル橋の袂に街へ入るための門が建っていたそうです。<br />サン・ミゲル橋まで降りられる道が、サン・ミゲル橋に向かって川の右側にあります。距離で50mほどです。<br />

    ビエホ橋
    上流には、モーロ時代の11世紀に架けられた小さなサン・ミゲル(アラブ)橋の姿も見られます。かつてはサン・ミゲル橋の袂に街へ入るための門が建っていたそうです。
    サン・ミゲル橋まで降りられる道が、サン・ミゲル橋に向かって川の右側にあります。距離で50mほどです。

  • ビエホ橋<br />サン・ミゲル橋の先にはアラブ浴場、その先は馬の姿がありますので牧場だと思います。

    ビエホ橋
    サン・ミゲル橋の先にはアラブ浴場、その先は馬の姿がありますので牧場だと思います。

  • 聖十字教会(La Ermita de la Virgen de la Cabeza)<br />ビエホ橋から道なりに下の方へ降りていくと、モリーノ・デ・アラルコン通りと交差します。その手前には、楚々とした印象の礼拝堂「聖十字教会」が佇んでいます。サン・ミゲル(聖ミカエル)を祀っています。

    聖十字教会(La Ermita de la Virgen de la Cabeza)
    ビエホ橋から道なりに下の方へ降りていくと、モリーノ・デ・アラルコン通りと交差します。その手前には、楚々とした印象の礼拝堂「聖十字教会」が佇んでいます。サン・ミゲル(聖ミカエル)を祀っています。

  • 聖十字教会<br />正面から見ても可愛らしい感じがする門です。<br />かつて建てられていたと言うサン・ミゲル橋の門のデザインを踏襲したものなのでしょうか?

    聖十字教会
    正面から見ても可愛らしい感じがする門です。
    かつて建てられていたと言うサン・ミゲル橋の門のデザインを踏襲したものなのでしょうか?

  • アラブ浴場(バーニョ・アラベ)<br />14世紀にマリーン朝のアボメリク王によって造られたイスラム時代のスチーム浴場が遺跡として遺されています。スペインの中でも規模が大きく、保存状態の良いアラブ風呂だと言われています。この浴場は銭湯のような公共浴場でしたが、入浴の仕方は大きく異なり、現在もイスラム圏に残る「ハマム」に近いものだったそうです。ですから浴槽はなく、スチームサウナで温まり、その後、垢すりを受け、汚れを落として入浴完了となります。<br />かまぼこ型屋根に施された明り取りは、アルハンブラ宮殿のナスル朝宮殿の王の浴場を思い出させます。<br />中に入らなくても出口からこの程度は覗くことができます。

    アラブ浴場(バーニョ・アラベ)
    14世紀にマリーン朝のアボメリク王によって造られたイスラム時代のスチーム浴場が遺跡として遺されています。スペインの中でも規模が大きく、保存状態の良いアラブ風呂だと言われています。この浴場は銭湯のような公共浴場でしたが、入浴の仕方は大きく異なり、現在もイスラム圏に残る「ハマム」に近いものだったそうです。ですから浴槽はなく、スチームサウナで温まり、その後、垢すりを受け、汚れを落として入浴完了となります。
    かまぼこ型屋根に施された明り取りは、アルハンブラ宮殿のナスル朝宮殿の王の浴場を思い出させます。
    中に入らなくても出口からこの程度は覗くことができます。

  • アラブ浴場<br />往時は、モスクへ入る前に身を清めるのがしきたりだったようです。また、サウナでの語らいやマッサージを受けたりするといった社交場としての役割もあり、不可欠な施設だったそうです。

    アラブ浴場
    往時は、モスクへ入る前に身を清めるのがしきたりだったようです。また、サウナでの語らいやマッサージを受けたりするといった社交場としての役割もあり、不可欠な施設だったそうです。

  • サン・ミゲル橋<br />サン・ミゲル橋からビエホ橋を見上げた様子です。<br />高さ30mと言われるだけあり、勇壮かつ武骨な姿です。

    サン・ミゲル橋
    サン・ミゲル橋からビエホ橋を見上げた様子です。
    高さ30mと言われるだけあり、勇壮かつ武骨な姿です。

  • サン・ミゲル橋<br />狭い渓谷がうねりながら先に進んでいます。

    サン・ミゲル橋
    狭い渓谷がうねりながら先に進んでいます。

  • サン・ミゲル橋<br />アラブ時代の城壁の先にエスピリトゥ・サント教会、その向こうにロンダ山脈の雄姿が並びます。

    サン・ミゲル橋
    アラブ時代の城壁の先にエスピリトゥ・サント教会、その向こうにロンダ山脈の雄姿が並びます。

  • 聖十字教会<br />サン・ミゲル橋から教会を見下ろした様子です。<br />入口は楚々とした趣がありますが、建物自体はかなり大きな物です。

    聖十字教会
    サン・ミゲル橋から教会を見下ろした様子です。
    入口は楚々とした趣がありますが、建物自体はかなり大きな物です。

  • ヌエストロ・ パドレ・ヘスース(我らが父イエス・キリスト)教会<br />ビエホ橋を渡って直ぐのメルカディリョ地区にある、ロンダの象徴とも言える教会です。3つの半円アーチ窓と4つのとんがり帽子の錆朱色の鐘楼が白壁に映えて印象的です。<br />

    ヌエストロ・ パドレ・ヘスース(我らが父イエス・キリスト)教会
    ビエホ橋を渡って直ぐのメルカディリョ地区にある、ロンダの象徴とも言える教会です。3つの半円アーチ窓と4つのとんがり帽子の錆朱色の鐘楼が白壁に映えて印象的です。

  • ロス・オチョス・カニョスの泉(新市街)<br />ヘスース教会の手前の広場にある、三角帽子の天辺に十字架を付けた水飲み場です。正面には8つの蛇口が取付けられ、その裏側は家畜用の水飲み場になっています。<br />18世紀半ば、フェリペ5世時代に造られた泉です。この広場は、19世紀半ばまではロンダの商業の中心地だった所だそうです。

    ロス・オチョス・カニョスの泉(新市街)
    ヘスース教会の手前の広場にある、三角帽子の天辺に十字架を付けた水飲み場です。正面には8つの蛇口が取付けられ、その裏側は家畜用の水飲み場になっています。
    18世紀半ば、フェリペ5世時代に造られた泉です。この広場は、19世紀半ばまではロンダの商業の中心地だった所だそうです。

  • アナ・アマジャ・モリーナ(Ana Amaya Molina )像<br />サンタ・セシリア通りの坂を少し登ると、右手にブロンズ像があります。ギターを抱えているこの女性は、アナ・アマジャ・モリーナです。1885年にロマ族(ジプシー)の子としてロンダに生まれた、フラメンコ歌手でありギタリストでもあり、またダンサーでもあった有名人です。<br />彼女は、有名なフラメンコ歌手かつダンサーでもあったカルメン・アマヤの叔母に当たります。

    アナ・アマジャ・モリーナ(Ana Amaya Molina )像
    サンタ・セシリア通りの坂を少し登ると、右手にブロンズ像があります。 ギターを抱えているこの女性は、アナ・アマジャ・モリーナです。1885年にロマ族(ジプシー)の子としてロンダに生まれた、フラメンコ歌手でありギタリストでもあり、またダンサーでもあった有名人です。
    彼女は、有名なフラメンコ歌手かつダンサーでもあったカルメン・アマヤの叔母に当たります。

  • クエンカ庭園(Jardines De Cuenca)<br />ヌエストロ・ パドレ・ヘスース教会から少し戻って、エスコレラス通り沿いにあるクエンカ庭園に入ります。<br />公園ではバラが満開です。

    クエンカ庭園(Jardines De Cuenca)
    ヌエストロ・ パドレ・ヘスース教会から少し戻って、エスコレラス通り沿いにあるクエンカ庭園に入ります。
    公園ではバラが満開です。

  • クエンカ庭園<br />ピンク系が多いです。

    クエンカ庭園
    ピンク系が多いです。

  • クエンカ庭園<br />振り返ると、ビエホ橋が煉瓦と巨岩が溶け合ったような威容を見せています。

    クエンカ庭園
    振り返ると、ビエホ橋が煉瓦と巨岩が溶け合ったような威容を見せています。

  • クエンカ庭園<br />左手に渓谷美を愛でながら少しずつ登っていきます。<br />エル・タホ渓谷の右岸にテラス上に広がるクエンカ庭園は、1975年にロンダがクエンカと姉妹都市提携を結んだ記念に造営された公園です。<br />

    クエンカ庭園
    左手に渓谷美を愛でながら少しずつ登っていきます。
    エル・タホ渓谷の右岸にテラス上に広がるクエンカ庭園は、1975年にロンダがクエンカと姉妹都市提携を結んだ記念に造営された公園です。

  • クエンカ庭園<br />ヌエボ橋が見えてきましたが、思い切り逆光です。

    クエンカ庭園
    ヌエボ橋が見えてきましたが、思い切り逆光です。

  • クエンカ庭園<br />ヌエボ橋は、何処から見ても千両役者です。

    クエンカ庭園
    ヌエボ橋は、何処から見ても千両役者です。

  • クエンカ庭園<br />スケールが大きいので力強さが漲っています。

    クエンカ庭園
    スケールが大きいので力強さが漲っています。

  • クエンカ庭園<br />双子の塔があるのは、ムーア人の王の家です。

    クエンカ庭園
    双子の塔があるのは、ムーア人の王の家です。

  • 新市街地<br />エスコレラス通りからソコーロ広場へ向かう道路に出るとこんな景色が広がります。白壁を基調としながらも黄土色を用いた縁取りが良いアクセントになっています。

    新市街地
    エスコレラス通りからソコーロ広場へ向かう道路に出るとこんな景色が広がります。白壁を基調としながらも黄土色を用いた縁取りが良いアクセントになっています。

  • ソコーロ広場<br />エスビネル商店街は、お祭りの飾りで天井が埋め尽くされています。<br />

    ソコーロ広場
    エスビネル商店街は、お祭りの飾りで天井が埋め尽くされています。

  • エスビネル商店街<br />カラフルなボンボリがずら~っと並んでいます。<br />見ているだけでワクワク・ドキドキ、テンションが上がってきます。

    エスビネル商店街
    カラフルなボンボリがずら~っと並んでいます。
    見ているだけでワクワク・ドキドキ、テンションが上がってきます。

  • ソコーロ広場<br />2基の鐘楼や白と黄色のコントラストが美しいソヌエストラ・セニョーラ・デル・ソコーロ教会を中心とした、ロンダで一番の賑わいを見せる広場です。<br />中央にある2頭のライオンを従えたヘラクレスの像が建つ噴水もいい雰囲気です。アンダルシアの州旗にはヘラクレスが2頭のライオンと一緒に立っている姿が描かれており、それをモチーフにした彫像です。

    ソコーロ広場
    2基の鐘楼や白と黄色のコントラストが美しいソヌエストラ・セニョーラ・デル・ソコーロ教会を中心とした、ロンダで一番の賑わいを見せる広場です。
    中央にある2頭のライオンを従えたヘラクレスの像が建つ噴水もいい雰囲気です。アンダルシアの州旗にはヘラクレスが2頭のライオンと一緒に立っている姿が描かれており、それをモチーフにした彫像です。

  • ソコーロ広場<br />ギリシア神話によると、ヘラクレスはエウリュステウスに命じられ、12の苦難に挑みました。その苦難のひとつにライオンを倒すことがあり、ヘラクレスはライオンを見事に退治してその皮を剥いだと伝えられています。右のライオンは愛嬌よく左手を挙げ、挨拶するかのように見えます。ジブラルタル海峡は、ギリシア神話に因んで「ヘラクレスの瀬戸」、海峡の入口にある岩山は「ヘラクレスの柱」と呼ばれています。<br />この広場に面して建つソコーロ教会の前進は、貧しい人々や巡礼者のための病院だったそうです。それで「Socorro=救済」と呼ばれるようです。

    ソコーロ広場
    ギリシア神話によると、ヘラクレスはエウリュステウスに命じられ、12の苦難に挑みました。その苦難のひとつにライオンを倒すことがあり、ヘラクレスはライオンを見事に退治してその皮を剥いだと伝えられています。右のライオンは愛嬌よく左手を挙げ、挨拶するかのように見えます。ジブラルタル海峡は、ギリシア神話に因んで「ヘラクレスの瀬戸」、海峡の入口にある岩山は「ヘラクレスの柱」と呼ばれています。
    この広場に面して建つソコーロ教会の前進は、貧しい人々や巡礼者のための病院だったそうです。それで「Socorro=救済」と呼ばれるようです。

  • メルセー修道院<br />白壁に煉瓦色の柱がアクセントになっているキュートな感じの修道院です。手前にある椰子の木が南国情緒を醸しています。<br />1551年にメルセス会聖母の名の下に創設された歴史ある教会です。1882年に修道士が不足したために閉鎖されましたが、その後偶然ここにカルメル会創設者サンタ・テレサ・デ・ヘスースの聖遺物である左手の骨が持ち込まれ、亡命してスペイン全土に散らばっていたポルトガル修道女を集め、1924年にロンダ・カルメル会の修道会が発足しました。現在、ここは当初と同じように神に奉仕する女性たちの僧坊となっています。<br />余談ですが、ここの修道女たちが作るクッキーがスペインでは大評判だそうです。しかし、ロンダのこの修道院でしか販売していないそうです。添乗員さんによると向かって左側のドアをノックすると、対面販売してもらえるそうです。

    メルセー修道院
    白壁に煉瓦色の柱がアクセントになっているキュートな感じの修道院です。手前にある椰子の木が南国情緒を醸しています。
    1551年にメルセス会聖母の名の下に創設された歴史ある教会です。1882年に修道士が不足したために閉鎖されましたが、その後偶然ここにカルメル会創設者サンタ・テレサ・デ・ヘスースの聖遺物である左手の骨が持ち込まれ、亡命してスペイン全土に散らばっていたポルトガル修道女を集め、1924年にロンダ・カルメル会の修道会が発足しました。現在、ここは当初と同じように神に奉仕する女性たちの僧坊となっています。
    余談ですが、ここの修道女たちが作るクッキーがスペインでは大評判だそうです。しかし、ロンダのこの修道院でしか販売していないそうです。添乗員さんによると向かって左側のドアをノックすると、対面販売してもらえるそうです。

  • アラメダ・タホ公園 ペドロ・ロメロ像<br />公園の入口付近には、「近代闘牛の父」と称されるペドロ・ロメロのブロンズ像があります。左手にムレータ(赤い布)を持つ勇姿です。ここロンダは、実は近代闘牛発祥の地で、ペドロの父フランシスコが地上でムレータをかざして牛と闘うスタイルを考案し、「近代闘牛術の祖」となりました。18世紀のスペインで行われていた闘牛は、馬に乗った闘士が牛を相手にするというスタイルでした。伝説によれば、ある日、ロンダで闘牛を行っていた貴族が落馬し、それを大工フランシスコ・ロメロが帽子ひとつで救出したそうです。これが評判を呼び、現代に至る闘牛の原点が作られたと伝わっています。<br />ペドロはロメロ家で一番有名な闘牛士で、8歳で闘牛士生活に入り、生涯に5600頭もの牛を倒しました。しかし一度も怪我をすることなく72歳で引退し、90歳で生涯を閉じました。闘牛術に長けていただけではなく、闘牛士学校を開校して校長として闘牛士の育成にも尽力し、「近代闘牛の父」と讃えられました。それを憲章した像です。台座の 「1954」の年号は彼の生誕200年を記念してこの像が制作されたことを表しています。横には「勇気がなければ男じゃない、闘牛には男が必要だ」と書かれています。<br />因みに現在は女性の闘牛士もおられるそうですが、女性蔑視の標的にならなければよいのですが…。

    アラメダ・タホ公園 ペドロ・ロメロ像
    公園の入口付近には、「近代闘牛の父」と称されるペドロ・ロメロのブロンズ像があります。左手にムレータ(赤い布)を持つ勇姿です。ここロンダは、実は近代闘牛発祥の地で、ペドロの父フランシスコが地上でムレータをかざして牛と闘うスタイルを考案し、「近代闘牛術の祖」となりました。18世紀のスペインで行われていた闘牛は、馬に乗った闘士が牛を相手にするというスタイルでした。伝説によれば、ある日、ロンダで闘牛を行っていた貴族が落馬し、それを大工フランシスコ・ロメロが帽子ひとつで救出したそうです。これが評判を呼び、現代に至る闘牛の原点が作られたと伝わっています。
    ペドロはロメロ家で一番有名な闘牛士で、8歳で闘牛士生活に入り、生涯に5600頭もの牛を倒しました。しかし一度も怪我をすることなく72歳で引退し、90歳で生涯を閉じました。闘牛術に長けていただけではなく、闘牛士学校を開校して校長として闘牛士の育成にも尽力し、「近代闘牛の父」と讃えられました。それを憲章した像です。台座の 「1954」の年号は彼の生誕200年を記念してこの像が制作されたことを表しています。横には「勇気がなければ男じゃない、闘牛には男が必要だ」と書かれています。
    因みに現在は女性の闘牛士もおられるそうですが、女性蔑視の標的にならなければよいのですが…。

  • アラメダ・タホ公園 ダマ・ゴジェスカ(Damas Goyescas=ゴヤ風レディー)の像<br />このブロンズ像は特定の女性を指すものではなく、画家ゴヤの絵画に描かれたような女性(=ロンダの女性)の総称だそうです。ロンダでは、毎年ダマ・ゴジェスカと命名されたコンテストが催され、この像のような姿にドレスアップした女性が多数参加されるそうです。<br />

    アラメダ・タホ公園 ダマ・ゴジェスカ(Damas Goyescas=ゴヤ風レディー)の像
    このブロンズ像は特定の女性を指すものではなく、画家ゴヤの絵画に描かれたような女性(=ロンダの女性)の総称だそうです。ロンダでは、毎年ダマ・ゴジェスカと命名されたコンテストが催され、この像のような姿にドレスアップした女性が多数参加されるそうです。

  • アラメダ・タホ公園 展望台<br />オルソン・ウェルズ通りの先からの眺望です。<br />

    アラメダ・タホ公園 展望台
    オルソン・ウェルズ通りの先からの眺望です。

  • ロンダ(マエストランサ)闘牛場<br />ロンダは近代闘牛発祥の地でもあります。<br />ヌエボ橋から新市街に入り、道を真っ直ぐに進むとスペイン最古の1785年に落成した由緒ある闘牛場があります。マドリード、セビリアと並ぶスペイン3大闘牛場のひとつです。ビゼーのオペラを題材にしたジョゼフ・ロージ監督の映画『カルメン』は、この闘牛場が舞台でした。また、邦画『アンダルシア 女神の報復』のワンカットもここで撮られています。

    ロンダ(マエストランサ)闘牛場
    ロンダは近代闘牛発祥の地でもあります。
    ヌエボ橋から新市街に入り、道を真っ直ぐに進むとスペイン最古の1785年に落成した由緒ある闘牛場があります。マドリード、セビリアと並ぶスペイン3大闘牛場のひとつです。ビゼーのオペラを題材にしたジョゼフ・ロージ監督の映画『カルメン』は、この闘牛場が舞台でした。また、邦画『アンダルシア 女神の報復』のワンカットもここで撮られています。

  • ロンダ闘牛場<br />躍動感溢れる黒牛の像とその背景の真っ白な闘牛場の外壁のコントラストがシャープです。闘牛場の直径は66mあり、円柱が175本ある新古典様式で収容観客数は5000人です。周りをスペイン国旗の色で縁取られた細い通路が巡り、そこを気品に満ちたスペインの風が颯爽と吹き抜けていきます。<br />闘牛は、元々は馬術の訓練をするために行われていたそうです。裕福な貴族が周りの人を集め、馬に乗って牛を槍で突いて牛を殺し、その肉を見物者に分け与えていたそうです。しかしフランシスコ・ロメロが近代闘牛術を確立し、その近代闘牛術をヘミングウエーが世界に紹介したことでポピュラーになったそうです。

    ロンダ闘牛場
    躍動感溢れる黒牛の像とその背景の真っ白な闘牛場の外壁のコントラストがシャープです。闘牛場の直径は66mあり、円柱が175本ある新古典様式で収容観客数は5000人です。周りをスペイン国旗の色で縁取られた細い通路が巡り、そこを気品に満ちたスペインの風が颯爽と吹き抜けていきます。
    闘牛は、元々は馬術の訓練をするために行われていたそうです。裕福な貴族が周りの人を集め、馬に乗って牛を槍で突いて牛を殺し、その肉を見物者に分け与えていたそうです。しかしフランシスコ・ロメロが近代闘牛術を確立し、その近代闘牛術をヘミングウエーが世界に紹介したことでポピュラーになったそうです。

  • アルデウエラ展望台(Mirador de Aldehuela )<br />展望台の一画で見つけた日本人の名前「HARUTA MIKI」は、ロンダをこよなく愛してロンダに移り住んだ芸術家 春田美樹氏のことです。ロンダの地に日本の桜を植樹して開花させた功労で名誉アンダルシア人に認定され、今はこの地に静かに眠っておられます。<br />画家でエンターテイナーだった春田氏は、日本への望郷の念から桜を植樹したいと願いました。しかし資金や衛生上の問題、また乾燥したロンダでは桜は咲かない等の周囲の反対もあり、なかなか実現できませんでした。諦めかけた頃に出会ったのが、当時の横浜港南区長 下山貞明氏でした。下山氏は、彼の「桜植樹」の夢を叶えるため、横浜スペイン協会を設立し、1993年に夢を実現させました。毎年春には「日本さくら広場」に植えられた「横浜緋桜」の花がロンダ市民を愉しまるそうです。<br />日本の桜が咲くロンダの闘牛場近くの公園には、春田氏の「燈籠モニュメント」が置かれています。墓碑銘には、「死ぬるがために生を受け、生きるがために死す」と記されています。日本では日劇などに出演する女優の絵を描いていた画家でしたが、ここで10数年間暮らしたそうです。刻まれた言葉には「メメント・モリ」への深い思想が窺われ、「ロンダの桜」に託したふたりのサムライのロマンが垣間見られます。因みに、下山氏は、イサベル女王勲章オフィシャル十字型章を受賞されています。<br />燈籠をここまで厳重に囲わなければならないのは、切ない気持ちにさせられます。

    アルデウエラ展望台(Mirador de Aldehuela )
    展望台の一画で見つけた日本人の名前「HARUTA MIKI」は、ロンダをこよなく愛してロンダに移り住んだ芸術家 春田美樹氏のことです。ロンダの地に日本の桜を植樹して開花させた功労で名誉アンダルシア人に認定され、今はこの地に静かに眠っておられます。
    画家でエンターテイナーだった春田氏は、日本への望郷の念から桜を植樹したいと願いました。しかし資金や衛生上の問題、また乾燥したロンダでは桜は咲かない等の周囲の反対もあり、なかなか実現できませんでした。諦めかけた頃に出会ったのが、当時の横浜港南区長 下山貞明氏でした。下山氏は、彼の「桜植樹」の夢を叶えるため、横浜スペイン協会を設立し、1993年に夢を実現させました。毎年春には「日本さくら広場」に植えられた「横浜緋桜」の花がロンダ市民を愉しまるそうです。
    日本の桜が咲くロンダの闘牛場近くの公園には、春田氏の「燈籠モニュメント」が置かれています。墓碑銘には、「死ぬるがために生を受け、生きるがために死す」と記されています。日本では日劇などに出演する女優の絵を描いていた画家でしたが、ここで10数年間暮らしたそうです。刻まれた言葉には「メメント・モリ」への深い思想が窺われ、「ロンダの桜」に託したふたりのサムライのロマンが垣間見られます。因みに、下山氏は、イサベル女王勲章オフィシャル十字型章を受賞されています。
    燈籠をここまで厳重に囲わなければならないのは、切ない気持ちにさせられます。

  • アルデウエラ展望台<br />展望台には、印象的な西洋風あずまや「ガゼボ」が建てられています。<br />ここは「ロンダ展望台」とも呼ばれています。<br />

    アルデウエラ展望台
    展望台には、印象的な西洋風あずまや「ガゼボ」が建てられています。
    ここは「ロンダ展望台」とも呼ばれています。

  • アルデウエラ展望台<br />ロンダで最も人気のある展望台からは、エル・タホ峡谷の景色や断崖絶壁の上に軒を連ねる白い建物群、遥かロンダ山脈に向けて広がる大草原の壮観な景色を一望することができます。<br />この展望台が人気を集める理由は、眺望の良さは勿論ですが、建築家ホセ・マルティン・デ・アルデウエラに敬意を表した命名になっているからです。彼は、ヌエボ橋やロンダ闘牛場を建造し、マラガ大聖堂を完成させた人物です。こうした意味合いからも見逃すことのできないビューポイントです。

    アルデウエラ展望台
    ロンダで最も人気のある展望台からは、エル・タホ峡谷の景色や断崖絶壁の上に軒を連ねる白い建物群、遥かロンダ山脈に向けて広がる大草原の壮観な景色を一望することができます。
    この展望台が人気を集める理由は、眺望の良さは勿論ですが、建築家ホセ・マルティン・デ・アルデウエラに敬意を表した命名になっているからです。彼は、ヌエボ橋やロンダ闘牛場を建造し、マラガ大聖堂を完成させた人物です。こうした意味合いからも見逃すことのできないビューポイントです。

  • ロンダ闘牛場(出口)<br />ロメロ家に並ぶ、2大名門闘牛士一族のオルドニアス家父子の像が闘牛場の入口の両脇に立っています。左がカジェターノ・オルドニアス(父)、右がアントニオ・オルドニアス(息子)の像です。因みに、アントニオの娘婿が若くして牛に刺されて亡くなったフランシスコ・バッキーリ、その子がフランシスコ・リベラ・オルドニアスと言うトップスター闘牛士という家系です。バッキーリはアントニオの娘と離婚した後、ロンダ闘牛場のオーナーの娘と再婚したようですが…。ロンダは、文豪ヘミングウェイや俳優オーソン・ウェルズがこよなく愛した街だったそうですが、アントニオは彼等とも親しかったそうです。<br />現在は祭りの時だけ使用され、普段は闘牛博物館となっています。

    ロンダ闘牛場(出口)
    ロメロ家に並ぶ、2大名門闘牛士一族のオルドニアス家父子の像が闘牛場の入口の両脇に立っています。左がカジェターノ・オルドニアス(父)、右がアントニオ・オルドニアス(息子)の像です。因みに、アントニオの娘婿が若くして牛に刺されて亡くなったフランシスコ・バッキーリ、その子がフランシスコ・リベラ・オルドニアスと言うトップスター闘牛士という家系です。バッキーリはアントニオの娘と離婚した後、ロンダ闘牛場のオーナーの娘と再婚したようですが…。ロンダは、文豪ヘミングウェイや俳優オーソン・ウェルズがこよなく愛した街だったそうですが、アントニオは彼等とも親しかったそうです。
    現在は祭りの時だけ使用され、普段は闘牛博物館となっています。

  • ロンダ闘牛場(出口)<br />歌手のマドンナがロンダでプロモーションビデオの撮影をするために闘牛場を訪れたことがあるそうです。しかし彼女の目に余る悪態に、闘牛場のオーナーが撮影を拒否したという武勇伝があります。<br />くれぐれもマタドール(闘牛士)の尊厳を欠く様な身なりで入場なさらないでくださいね!彼らにとっては、神聖なる場所なのですから!<br />グラナダ生まれの反戦詩人ガルシア・ロルカは、「この国で最も詩的な豊かさと生命力を持つもの、世界で最も教養的なフェスタが闘牛だ」と絶賛したそうです。また、ジャン・コクトーは「闘牛は舞踏」だと賞賛し、ピカソは他の芸術にはない力を感じ、ダリはミノタウロスをイメージしたそうです。多くの芸術家を感銘させた闘牛は、岩山の上のロンダの地で芸術へと昇華していったのです。彼らが生きていたら今の闘牛界を嘆くことでしょう。<br />個人的には、闘牛は命を粗末に扱う行為として嫌悪感を抱いていましたが、その考え方はあさはかだったかもしれないと思いました。牛のような闘争本能を持つ動物にとっては、牧場で安穏と飼育され、やがて人知れず精肉場へ搬送されるよりも、こうして最期に大衆の目前で喝采を浴びながら本能を曝け出して闘って息絶える方が幸せではないかという気にさせられたからです。それが牛にとっての花道なのかもしれません。

    ロンダ闘牛場(出口)
    歌手のマドンナがロンダでプロモーションビデオの撮影をするために闘牛場を訪れたことがあるそうです。しかし彼女の目に余る悪態に、闘牛場のオーナーが撮影を拒否したという武勇伝があります。
    くれぐれもマタドール(闘牛士)の尊厳を欠く様な身なりで入場なさらないでくださいね!彼らにとっては、神聖なる場所なのですから!
    グラナダ生まれの反戦詩人ガルシア・ロルカは、「この国で最も詩的な豊かさと生命力を持つもの、世界で最も教養的なフェスタが闘牛だ」と絶賛したそうです。また、ジャン・コクトーは「闘牛は舞踏」だと賞賛し、ピカソは他の芸術にはない力を感じ、ダリはミノタウロスをイメージしたそうです。多くの芸術家を感銘させた闘牛は、岩山の上のロンダの地で芸術へと昇華していったのです。彼らが生きていたら今の闘牛界を嘆くことでしょう。
    個人的には、闘牛は命を粗末に扱う行為として嫌悪感を抱いていましたが、その考え方はあさはかだったかもしれないと思いました。牛のような闘争本能を持つ動物にとっては、牧場で安穏と飼育され、やがて人知れず精肉場へ搬送されるよりも、こうして最期に大衆の目前で喝采を浴びながら本能を曝け出して闘って息絶える方が幸せではないかという気にさせられたからです。それが牛にとっての花道なのかもしれません。

  • ロンダ闘牛場(出口)<br />こんな岩山の上に闘牛場があるのは不思議だと思いませんか?闘牛の起源には2つの説があり、ひとつは古代ローマ帝国のコロッセオでの動物との格闘技を由来とする説です。もう一つはスペイン発祥説で、騎馬上から野生の牛を槍で突く貴族の狩猟の風習が闘牛の前身だとする説です。<br />後者の説の舞台になるのが、17世紀のロンダのサン・フランシスコ地区にあった広場です。そこでは、騎士たちが技と勇気を競い、牡牛を相手にゲームを行っていました。やがてこの町で生まれたフランシスコ・ロメロが、馬から降りて地上で牛をけしかけるムレータ(赤い布)をかざす近代闘牛術を確立しました。その息子ペドロが闘牛のルールやスタイルを様式美として組込み、芸術的なスポーツにまで高めた功労者です。また、闘牛士学校も創設し、マタドールの育成に尽力しました。まさしく闘牛史に深く関わり続けたファミリーです。<br />激しい闘いの末、牛は最期にマタドールの前に立ち尽くします。やがて身を委ねるかのように微動だにしなくなり、マタドールは牛の肩胛骨の間、わずか5cmの急所に剣を刺し込みます。勇敢に闘った牛に敬意を表し、苦しませずに一発でとどめを刺すのが闘牛の美学だそうです。当然マタドールは毅然と美しく振る舞わねばなりません。観衆は、マタドールと同じ目線で牛と戦い、歓喜するのです。スペインでは昔から人気のエンターテイメントですが、最近では牛の殺傷に異議を唱える人も多く、廃止を訴えるデモ行動も見られ、カタルーニャ州では禁止されています。

    ロンダ闘牛場(出口)
    こんな岩山の上に闘牛場があるのは不思議だと思いませんか?闘牛の起源には2つの説があり、ひとつは古代ローマ帝国のコロッセオでの動物との格闘技を由来とする説です。もう一つはスペイン発祥説で、騎馬上から野生の牛を槍で突く貴族の狩猟の風習が闘牛の前身だとする説です。
    後者の説の舞台になるのが、17世紀のロンダのサン・フランシスコ地区にあった広場です。そこでは、騎士たちが技と勇気を競い、牡牛を相手にゲームを行っていました。やがてこの町で生まれたフランシスコ・ロメロが、馬から降りて地上で牛をけしかけるムレータ(赤い布)をかざす近代闘牛術を確立しました。その息子ペドロが闘牛のルールやスタイルを様式美として組込み、芸術的なスポーツにまで高めた功労者です。また、闘牛士学校も創設し、マタドールの育成に尽力しました。まさしく闘牛史に深く関わり続けたファミリーです。
    激しい闘いの末、牛は最期にマタドールの前に立ち尽くします。やがて身を委ねるかのように微動だにしなくなり、マタドールは牛の肩胛骨の間、わずか5cmの急所に剣を刺し込みます。勇敢に闘った牛に敬意を表し、苦しませずに一発でとどめを刺すのが闘牛の美学だそうです。当然マタドールは毅然と美しく振る舞わねばなりません。観衆は、マタドールと同じ目線で牛と戦い、歓喜するのです。スペインでは昔から人気のエンターテイメントですが、最近では牛の殺傷に異議を唱える人も多く、廃止を訴えるデモ行動も見られ、カタルーニャ州では禁止されています。

  • エスビネル商店街<br />闘牛場の周辺はセンター街となっており、ホテルやレストラン、商店街が密集している賑やかな場所です。

    エスビネル商店街
    闘牛場の周辺はセンター街となっており、ホテルやレストラン、商店街が密集している賑やかな場所です。

  • パラドール<br />部屋のベランダから見る落陽は格別です。<br />

    パラドール
    部屋のベランダから見る落陽は格別です。

  • パラドール<br />丁度、アルデンウエラ展望台が見渡せる部屋でした。<br />こうした暮れなずむ黄昏時の至宝のひとときをベランダで過ごせるとは思ってもみませんでした。<br />夕食が20:30からで正解でした。<br />

    パラドール
    丁度、アルデンウエラ展望台が見渡せる部屋でした。
    こうした暮れなずむ黄昏時の至宝のひとときをベランダで過ごせるとは思ってもみませんでした。
    夕食が20:30からで正解でした。

  • パラドール・デ・ ロンダ レストラン<br />このレストランが2013年に認定されたミシュランのフォーク&スプーンのX字マーク2個は、「快適」なレストランである証しです。お皿にはパラドールのマークが燦然と輝いていますが、お味(星)については評価されているわけではありません。<br />前菜は、薄くカットしたメロンで包んだサラダです。その上にはプリップリの車海老が撥ねています。日本ならメロンの代わりが桂むきした大根なんでしょうね!

    パラドール・デ・ ロンダ レストラン
    このレストランが2013年に認定されたミシュランのフォーク&スプーンのX字マーク2個は、「快適」なレストランである証しです。お皿にはパラドールのマークが燦然と輝いていますが、お味(星)については評価されているわけではありません。
    前菜は、薄くカットしたメロンで包んだサラダです。その上にはプリップリの車海老が撥ねています。日本ならメロンの代わりが桂むきした大根なんでしょうね!

  • パラドール・デ・ ロンダ レストラン<br />メイン・ディシュはスズキのソテーです。<br />小骨が多く、一寸食べ難かったですが、薄味で好みの味付けでした。

    パラドール・デ・ ロンダ レストラン
    メイン・ディシュはスズキのソテーです。
    小骨が多く、一寸食べ難かったですが、薄味で好みの味付けでした。

  • パラドール・デ・ ロンダ レストラン<br />ショートケーキの上にアイスクリームが載せられたデザートです。<br />スペイン語でデザートは、「ポストレ(postre)」と言います。<br />アイスクリームは「エラド(Helado)」、苺アイスクリームなら「エラド・デ・フレサ(Helado de fresa)」になります。

    パラドール・デ・ ロンダ レストラン
    ショートケーキの上にアイスクリームが載せられたデザートです。
    スペイン語でデザートは、「ポストレ(postre)」と言います。
    アイスクリームは「エラド(Helado)」、苺アイスクリームなら「エラド・デ・フレサ(Helado de fresa)」になります。

  • 新市街地<br />食後は、夜景鑑賞に街へ繰り出します。<br />ラサリオ通りの賑わいは半端ではありません。道全体がテラス席に早変わりです。また、ナトリウム・ランプの光が情熱の国を象徴するかのような妖艶な感じです。<br />このようにナトリウム・ランプが多用される理由は、人の網膜は緑~橙の範囲の光に対して敏感で、視細胞も色より明暗に敏感なため照明の有効範囲が広くなることが挙げられます。<br />この通りを縦断したのは、クエンカ庭園からヌエボ橋の夜景を撮ろうと思ったからです。しかし公園に入る扉はしっかり施錠されており、立ち入ることだけでなく、橋を望むすることすらできませんでした。

    新市街地
    食後は、夜景鑑賞に街へ繰り出します。
    ラサリオ通りの賑わいは半端ではありません。道全体がテラス席に早変わりです。また、ナトリウム・ランプの光が情熱の国を象徴するかのような妖艶な感じです。
    このようにナトリウム・ランプが多用される理由は、人の網膜は緑~橙の範囲の光に対して敏感で、視細胞も色より明暗に敏感なため照明の有効範囲が広くなることが挙げられます。
    この通りを縦断したのは、クエンカ庭園からヌエボ橋の夜景を撮ろうと思ったからです。しかし公園に入る扉はしっかり施錠されており、立ち入ることだけでなく、橋を望むすることすらできませんでした。

  • 旧市街地 展望台<br />少しナトリウム・ランプの光が強烈過ぎますが、オレンジ色に染まったヌエボ橋も見応えがあります。

    旧市街地 展望台
    少しナトリウム・ランプの光が強烈過ぎますが、オレンジ色に染まったヌエボ橋も見応えがあります。

  • 旧市街地 展望台<br />レストランも賑わっています。<br />スペインでは、夏は21時頃まで明るく、小さな子供たちもこの時間まで外で遊んでいます。ですから、夕食は21時過ぎが一般的です。遅い家では23時頃に食べることもあるそうです。でも夕食は軽く食べる程度です。

    旧市街地 展望台
    レストランも賑わっています。
    スペインでは、夏は21時頃まで明るく、小さな子供たちもこの時間まで外で遊んでいます。ですから、夕食は21時過ぎが一般的です。遅い家では23時頃に食べることもあるそうです。でも夕食は軽く食べる程度です。

  • 旧市街地 <br />旧市街側から西面を撮ったものです。

    旧市街地
    旧市街側から西面を撮ったものです。

  • 旧市街地 Restaurante Casa Santa Pola<br />思った通り、夜景も趣があります。

    旧市街地 Restaurante Casa Santa Pola
    思った通り、夜景も趣があります。

  • 旧市街地 <br />ドン・ボスコの家の先にある広場から渓谷へ少し下った所から写しています。<br />本音を言えばもっと下まで降りて行きたかったのですが、浮浪者と思しき輩が酒瓶を片手に下って行ったのを見ただけに、何かあったらなすすべがない思って諦めました。<br />もし夜間にここを下るのであれば、グループ行動されるのが望ましいと思います。

    旧市街地
    ドン・ボスコの家の先にある広場から渓谷へ少し下った所から写しています。
    本音を言えばもっと下まで降りて行きたかったのですが、浮浪者と思しき輩が酒瓶を片手に下って行ったのを見ただけに、何かあったらなすすべがない思って諦めました。
    もし夜間にここを下るのであれば、グループ行動されるのが望ましいと思います。

  • 旧市街地 サンタ・マリア・ラ・マヨール教会 <br />昼の顔とは別の顔をしています。

    旧市街地 サンタ・マリア・ラ・マヨール教会
    昼の顔とは別の顔をしています。

  • パラドール<br />パラドールの横のテラスから写したものです。

    パラドール
    パラドールの横のテラスから写したものです。

  • パラドール<br />夜明け前のアルデンウエラ展望台です。<br />展望台は夜遅くまで人が絶えなかったのですが、今はひっそりと束の間の安息に浸っているようです。<br />

    パラドール
    夜明け前のアルデンウエラ展望台です。
    展望台は夜遅くまで人が絶えなかったのですが、今はひっそりと束の間の安息に浸っているようです。

  • パラドール・デ・ ロンダ レストラン<br />朝食のバイキングも種類が豊富で、目移りして困るほどです。<br />しかしレストランのオープンが8:00、出発が8:45ですのでゆっくり味わっている場合ではありません。<br />オープン時間にもう少し融通が利けばいいのですが・・・。そこはプライドが許さないようです。<br />

    パラドール・デ・ ロンダ レストラン
    朝食のバイキングも種類が豊富で、目移りして困るほどです。
    しかしレストランのオープンが8:00、出発が8:45ですのでゆっくり味わっている場合ではありません。
    オープン時間にもう少し融通が利けばいいのですが・・・。そこはプライドが許さないようです。

  • ロンダ(車窓)<br />山腹には、漂よいながら流れる冷涼な朝霧が薄っすらとかかっています。<br />

    ロンダ(車窓)
    山腹には、漂よいながら流れる冷涼な朝霧が薄っすらとかかっています。

  • ロンダ(車窓)<br />Muchas gracias y Adiós, Ronda !<br />何時の日にかこの地を訪れることがあるのだろうか・・・。<br />一気に高度を下げようとするバスの揺れも手伝ってか、少々センチメンタルな気分に浸ります。バスはアンダルシア州の州都「セビリア」に向けて爆走します。<br /><br />この続きは、ときめきのスペイン周遊⑭セビリアでお届けいたします。

    ロンダ(車窓)
    Muchas gracias y Adiós, Ronda !
    何時の日にかこの地を訪れることがあるのだろうか・・・。
    一気に高度を下げようとするバスの揺れも手伝ってか、少々センチメンタルな気分に浸ります。バスはアンダルシア州の州都「セビリア」に向けて爆走します。

    この続きは、ときめきのスペイン周遊⑭セビリアでお届けいたします。

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