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 横浜市栄区中野町の本郷ふじやま公園駐車場に向かう五差路の瀬上沢沿いの一方通行の道路と環状4号線に向かう道路との三角の角に「馬頭觀世音」(弘化5年(1848年)銘)と彫られた石碑が建っている。ここには「横浜道の道標」という看板が栄区役所により立てられている。本来はいたち川沿いにあったと記されている。しかし、本当に横浜道(よこはま道)なのか?<br /> この石碑の瀬上沢側の側面には「右 か祢ざハ 寿ぎた み祢 道 左 よこ□ま道」と彫られている。問題なのは「左」の1字が私には読み下せないことだ。「久」とも「ぐ」とも見えるが…。もし、この1字が「は」なら、「右 か祢ざハ」の「ハ」を彫るはずだ。また、道を「右」に向かえば、峰(み祢)、杉田(寿ぎた)、金沢(か祢ざハ)に至ることを示している。円海山から北東に峰町があり、磯子区になる。杉田も磯子区になる。東漸寺がある杉田から南下すれば金沢(称名寺)である。今の環状4号線で金沢(称名寺)に行き、国道16号線で杉田に向かうなら中野町に一番近い峰町は通り過ぎてしまう。あるいは、保土ヶ谷区の区役所近くに峯の地名があったようで、峯小にその名を残しているが、今では峰岡町となっている。この峰岡町の峯であったなら、もう横浜村の近くを通って行かなければならない。中野町-峰-杉田-金沢なのか、中野町-金沢-杉田-峯なのか?旧街道は瀬上沢沿いに円海山に向かう山道であったとすれば、中野町-峰-杉田-金沢で良いだろう。しかし、円海山辺りから金沢に向かう尾根道もあり、現在はハイキングコースとして残っている。<br /> 一方、ふじやまを迂回して北に向かうと国境辺りの七曲で鎌倉街道(弘明寺道)になる。この七曲の旧道には弘明寺横浜道道標(文久元年(1861年)銘)があり、こちらの方が新しい。良く知られている弘明寺道ではなく、弘明寺から5kmほど進んだところにある横浜の地名も入れている。ところで、横浜の開港は日米修好通商条約が締結(安政5年(1858年))された翌年(安政6年(1859年))である。したがって、開港前の横浜村など、知る人など殆んどいなかったと考えるべきである。そんな隣国の無名の地名が道標に刻まれるハズもない。開港後の間もない頃には良く知られた弘明寺の名に続けて横浜を挿入しているのは理解できる。<br /> なお、「栄区石造物調査報告書」には、「上郷町の馬頭観音道標」とあり、「(台石正面?)「右 加〃さハ きた乃み祢/左 よこはま道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻」と記載されているという。道標では有り触れた「道」を「乃」としている。一方では同じ字を「(よこはま)道」と読んでいる。結果、「右」は意味不明(の地名)となっている。呆れて物も言えない。<br /> 果たして、「よこ□ま道」はどこを示すのであろうか?そもそも、ウィキペディアには「横浜道(よこはまみち)は幕末、横浜開港に際して、東海道と横浜港を結ぶために現在の横浜市西区・中区に造られた街道。」とある。「横浜道」の歴史は西区ホームページ(http://www.city.yokohama.lg.jp/nishi/miryoku/rekishikaido/yokohamamiti.html)にある通り、日米修好通商条約調印後に建設された。武蔵国を外れた相模国に「横浜道」が通る前に同じ名前の道があるハズもない。しかし、この「横浜道」の他にも横浜開港に際して相模方面からの道も作られた。これが弘明寺先の通町から関内へと延びている鎌倉街道であろう。いずれも、弘化5年(1848年)から11年後のことである。だからこそ、その2年後の文久元年(1861年)にこの延長された道路を含め弘明寺横浜道として隣接する鍛冶ヶ谷村七曲に道標が立てられたのであろう。すなわち、弘化5年(1848年)に「横浜道」など存在しなかったことは歴史上は自明のことである。<br /> 「左」は「藤澤道」か「鎌倉道」あたりを記載するべきだったようにも思える。しかし、その先の大山道である可能性もあろうか?江戸町民は大山詣での帰り道を辿り、大山から江の島、鎌倉で物見遊山して金沢まで足を延ばして江戸に帰るのである。それならいっそ折り返し点の「大山」でも事足りる。そう考えると、縦書きの「よこ□ま道」は「おゝ矢ま道」と刻んだようには見えないか?<br />(表紙写真は中野町の道標)

中野町の道標

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2016/10/12 - 2016/10/12

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 横浜市栄区中野町の本郷ふじやま公園駐車場に向かう五差路の瀬上沢沿いの一方通行の道路と環状4号線に向かう道路との三角の角に「馬頭觀世音」(弘化5年(1848年)銘)と彫られた石碑が建っている。ここには「横浜道の道標」という看板が栄区役所により立てられている。本来はいたち川沿いにあったと記されている。しかし、本当に横浜道(よこはま道)なのか?
 この石碑の瀬上沢側の側面には「右 か祢ざハ 寿ぎた み祢 道 左 よこ□ま道」と彫られている。問題なのは「左」の1字が私には読み下せないことだ。「久」とも「ぐ」とも見えるが…。もし、この1字が「は」なら、「右 か祢ざハ」の「ハ」を彫るはずだ。また、道を「右」に向かえば、峰(み祢)、杉田(寿ぎた)、金沢(か祢ざハ)に至ることを示している。円海山から北東に峰町があり、磯子区になる。杉田も磯子区になる。東漸寺がある杉田から南下すれば金沢(称名寺)である。今の環状4号線で金沢(称名寺)に行き、国道16号線で杉田に向かうなら中野町に一番近い峰町は通り過ぎてしまう。あるいは、保土ヶ谷区の区役所近くに峯の地名があったようで、峯小にその名を残しているが、今では峰岡町となっている。この峰岡町の峯であったなら、もう横浜村の近くを通って行かなければならない。中野町-峰-杉田-金沢なのか、中野町-金沢-杉田-峯なのか?旧街道は瀬上沢沿いに円海山に向かう山道であったとすれば、中野町-峰-杉田-金沢で良いだろう。しかし、円海山辺りから金沢に向かう尾根道もあり、現在はハイキングコースとして残っている。
 一方、ふじやまを迂回して北に向かうと国境辺りの七曲で鎌倉街道(弘明寺道)になる。この七曲の旧道には弘明寺横浜道道標(文久元年(1861年)銘)があり、こちらの方が新しい。良く知られている弘明寺道ではなく、弘明寺から5kmほど進んだところにある横浜の地名も入れている。ところで、横浜の開港は日米修好通商条約が締結(安政5年(1858年))された翌年(安政6年(1859年))である。したがって、開港前の横浜村など、知る人など殆んどいなかったと考えるべきである。そんな隣国の無名の地名が道標に刻まれるハズもない。開港後の間もない頃には良く知られた弘明寺の名に続けて横浜を挿入しているのは理解できる。
 なお、「栄区石造物調査報告書」には、「上郷町の馬頭観音道標」とあり、「(台石正面?)「右 加〃さハ きた乃み祢/左 よこはま道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻」と記載されているという。道標では有り触れた「道」を「乃」としている。一方では同じ字を「(よこはま)道」と読んでいる。結果、「右」は意味不明(の地名)となっている。呆れて物も言えない。
 果たして、「よこ□ま道」はどこを示すのであろうか?そもそも、ウィキペディアには「横浜道(よこはまみち)は幕末、横浜開港に際して、東海道と横浜港を結ぶために現在の横浜市西区・中区に造られた街道。」とある。「横浜道」の歴史は西区ホームページ(http://www.city.yokohama.lg.jp/nishi/miryoku/rekishikaido/yokohamamiti.html)にある通り、日米修好通商条約調印後に建設された。武蔵国を外れた相模国に「横浜道」が通る前に同じ名前の道があるハズもない。しかし、この「横浜道」の他にも横浜開港に際して相模方面からの道も作られた。これが弘明寺先の通町から関内へと延びている鎌倉街道であろう。いずれも、弘化5年(1848年)から11年後のことである。だからこそ、その2年後の文久元年(1861年)にこの延長された道路を含め弘明寺横浜道として隣接する鍛冶ヶ谷村七曲に道標が立てられたのであろう。すなわち、弘化5年(1848年)に「横浜道」など存在しなかったことは歴史上は自明のことである。
 「左」は「藤澤道」か「鎌倉道」あたりを記載するべきだったようにも思える。しかし、その先の大山道である可能性もあろうか?江戸町民は大山詣での帰り道を辿り、大山から江の島、鎌倉で物見遊山して金沢まで足を延ばして江戸に帰るのである。それならいっそ折り返し点の「大山」でも事足りる。そう考えると、縦書きの「よこ□ま道」は「おゝ矢ま道」と刻んだようには見えないか?
(表紙写真は中野町の道標)

  • 五差路。

    五差路。

  • 瀬上沢沿いの道路(左)と環状4号線に向かう道路(右)との角にある「馬頭觀世音」(弘化5年(1848年)銘)。

    瀬上沢沿いの道路(左)と環状4号線に向かう道路(右)との角にある「馬頭觀世音」(弘化5年(1848年)銘)。

  • 「馬頭觀世音」。

    「馬頭觀世音」。

  • 「弘化五年」。

    「弘化五年」。

  • 裏面には表記なし。

    裏面には表記なし。

  • 「右 か祢ざハ 寿ぎた み祢 道 左 よこ□ま道」。

    「右 か祢ざハ 寿ぎた み祢 道 左 よこ□ま道」。

  • 「左 よこ□ま道」。「左 おゝ矢ま道」には見えないか?

    「左 よこ□ま道」。「左 おゝ矢ま道」には見えないか?

  • 「横浜道の道標」看板。<br /><br />「横浜道の道標<br /> 中野町にあるこの馬頭観世音塔は、横浜への道しるべを兼ねたもので、市内では数少ない横浜道の道標。いたち川沿いの古道分岐点にあったもの。<br /> 横浜道は明治になり民間の手で作られた。<br />         栄区役所」

    「横浜道の道標」看板。

    「横浜道の道標
     中野町にあるこの馬頭観世音塔は、横浜への道しるべを兼ねたもので、市内では数少ない横浜道の道標。いたち川沿いの古道分岐点にあったもの。
     横浜道は明治になり民間の手で作られた。
             栄区役所」

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